徒然297.「bed」の意味

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1. 私は、今年の夏は、東南アジアに滞在している。友達と会い、ドリアンと美味しい中華料理を味わい、少し贅沢なホテル・ライフを楽しむためである。現地でタクシーに乗ってよもやま話をしていたら、私のことを「日本人か?」と聞くので、「そうだ。」と答えると、笑いながらこんな話をしてくれた。シンガポールのチャンギ空港から市内に向かうタクシーの運転手仲間の間で、近頃こういう小話が交わされているそうだ。

 あるとき、妙齢の日本人女性が、空港からタクシーに乗り込んだ。そして、いきなり曰く「I want to go to bed.」

 その運転手は、心底たまげて「be...bed?」と聞き返したそうだ。するとその女性は、「Yeah! I wanna bed.」という。運転手は、まさかと思ってバックミラー越しにその女性を見ると、多少の怒りが加わってか、妙に色っぽく見えた。

 運転手は、あるいは本当かと思うようにもなったが、やはりまさかと思って、「Which hotel are you going?」と聞くと、ますますご機嫌を損ねたようで、「I said “bed”.」と言われてしまった。

 いや、これは困ったと思った運転手は、地図はあるかと尋ねたら、ハンドバックの中を探し始めた。しばらく経って、クシャクシャになった紙を出してきた。それにはシンガポールの地図が描かれていて、「Bedok(ベドック)」に、赤い丸が打たれていたそうな。


 ちなみに、ベドックは、チャンギ空港からほど近いところで、大型ショッピングモールや駐在員用のコンドミニアムが多くあるベッドタウンである。元は、水源地があったところだ。全く知らない人のこととはいえ、同胞の話であるから、顔が赤くなる思いであるが、英語の発音には気をつける必要があるという一例である。

2. 話は変わるが、昔々、やはり「bed」の話で、赤面したことがある。職場関係の研修所で、夜間に泊まり込んで、英語の授業を受ける機会に恵まれた。受講生は男女を交えて10人ほどで、講師はやや皮肉屋のイギリス人である。

 その晩の授業が終わり、まず、男性の受講生が立ち上がり、礼を言って教室から出ようとした。次に女性の受講生も同じようにしたので、講師が、「これからどうするの?」と気楽に尋ねた。

するとその女性は、「I’m going to bed. 」と答えたので、私は「ああ、教科書通り言ってしまった。」と、恥ずかしくなった。講師の方を見ると、これまたびっくりしたようで、固まっている。後から聞いてみると、やはり「この二人は出来ているのか」と思ったそうだ。

 確かに我々が中学生の頃に習った英語の教科書には、「I’m going to bed. 」というのは、単に「これから部屋で寝ます。」という程度の意味しかなかった。しかしその表現が確立してから時が経ち、話すシチュエーションによっては、そんな単純な意味ではなくなったのである。

3. また話は変わるが、同じようなことが、私が高校時代に習った「土砂降りの雨」を表す「It rains cats and dogs.」という表現にも見受けられる。その時は、「猫や犬がなんで土砂降りと関係あるんだ?」と思わないわけでもなかったが、何しろ教科書にも載っている表現だからと丸暗記した。

 ところが、今時、アメリカ人にこんな表現を言っても、ポカンとするばかりである。それもそのはずで、これはアメリカ開拓時代の言い方なのである。当時のアメリカでは、屋根は粗末な板敷で、天井には家畜の餌の藁が置いてあり、しばしばそこに犬や猫が隠れていた。それが、大雨が降って屋根板に激しく打ち付けると、びっくりして天井から落ちて来たそうな。だから、こういう表現が出来たそうだ。

 そういうわけで、言葉というのは、そのときの時代背景や人々の感覚によって、いかようにでも変化していくものである。だから私も、「聞くのは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」という精神で、これからも英語に立ち向かっていきたい。





(2018年8月22日記)


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ドリアン図鑑

ドリアンの外観


 私は、王様の果物といわれるドリアンを、こよなく愛する一人である。ドリアンの魅力については、この悠々人生のエッセイでも何度か取り上げている(その1その2)。ドリアンの原産地はマレー半島である。話は飛ぶが、実はバナナの原産地も同じくマレー半島で、私は種が一列に並んで入っている小さいバナナの原種を見たことがある。ただ、不味くてとても食べられたものではないそうだ。

 それと同様に、カンポン(田舎)産のドリアンには、かつては色々な種類があった。種の多様性というものだろう。ドリアンといえば、あのトゲトゲの果実を開いてみると、黄色の実が現れるのが普通である。ところが、私が一番驚いたのは、カンポン産の中に、黄色ではなくて文字通り「ピンク色」のドリアンがあったことだ。食べてみると、なかなか美味しかった。地元の人も、これは珍しいと言っていたほどだ。その他、味にしても、大きさにしても、実の色にしても、まるで日本の蜜柑や林檎のような多様性がある。問題は、果実を開いてみなければ、味の良し悪しが分からないことだ。2,000円近い高いお金を払って買ったのに、ひどく不味かったでは、がっかりする。そういうわけで、近頃はドリアンの売り手の方も工夫をして、美味しいドリアンにはブランドを付けて売るようになってきた。

 なかでもトップ・ブランドが、「猫山王(Musang King)」(1,000円/kg)で、これは掛け値なく美味しい。その代わり、普通のカンポン産のドリアンと比べると、値段は倍ぐらいになっている。その他、「D24 XO」(750円/kg)など、様々なブランドが育っている。私の現地の友人から、そうしたブランド化されたドリアンについての資料を貰ったので、私の心覚えのためにも、下に掲げておきたい。

ドリアンの実だけを取り出したもの


 ところで、現地で言われるのは、ドリアンがあまりに強烈な果物であるだけに、色々な伝説がある。それを集大成したものが、次の6つのタブーである。ただ、私は、昔の日本で言われた「食べ合わせ」(「天麩羅と西瓜は同時に食べるな」など)のようなもので、(2)のアルコール以外については、本当かどうかは、かなり疑わしいと思っている。

  (1)カフェインとともに食べないこと。
  (2)アルコールとともに食べないこと。
  (3)蟹とともに食べないこと。
  (4)コーラとともに食べないこと。
  (5)乳製品とともに食べないこと。
  (6)茄子とともに食べないこと。

 ドリアンを巡る話は尽きないが、最近は中国経済の急拡大に伴い中国がものすごい勢いで輸入するようになって、価格が高騰するようになった。だから、高級なブランド物は、あっという間に価格が2倍から3倍になって、地元では金持ちはともかく、普通の人はカンポン産のドリアンしか手が出なくなった。そういう状況を見て、ドリアンの産地のプランテーション農園にも、新規参入が相次いでいる。私がテレビで見たのは、なだらかな丘陵地帯で、いかにもかつてはパーム椰子が植えられていたようなところに、ドリアンの苗木が幾何学模様を描いて整然と植えられている情景である。しかも、個々の苗木の根元には散水装置まで設置してあって、その稼働状況をビデオで監視している。これには驚いた。これらの最新鋭の農園が本格的に生産する頃には、ドリアンの価格が再び安くなることを祈りたい。

 その反面、一部の農園で行われていると言われているのが、成長促進剤の使用である。日本の「桃栗3年、柿8年」の伝でいくと、ドリアンは、柿と同じで果実が生るまで8年かかる。しかも、果実が大きくて重いものほど高く売れる。だから収穫までの期間を短縮したり、果実を大きくしようと化学物質を使うのである。日本でも種無し葡萄の作出に使われているジベレリンではないかと思うが、消費者にとってあまり気持ちのいいものではない。








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(2018年8月21日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:29 | - | - | - |
アート・アクアリアム

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 この夏は、まだ始まったばかりだというのに、猛烈な暑さである。7月の平均気温は平年より2.8度も高い。一時は絶対値で40度もあったほどだ。ということで、せっかくの土曜日だから、出掛けるにしても、暑くないところと考えて、日本橋の三井ホールで行われている「アート・アクアリウム 2018」に行くことにした。

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 入場すると、廊下の天井に格子があって、その一つ一つに琉金が入ってゆらゆらと動いている。背景に立体的な鏡があるので、その姿があちこちに反射して、何尾もいるように見える。江戸時代に、紀伊国屋文左衛門という目端の効いた商人が、大火で焼け野原になった江戸の町へ、木曽の木材を運んで大儲けした。大金持ちとなった文左衛門は、その屋敷の天井にギヤマンつまりガラスを張って、金魚を浮かべて悦にいったと聞いたことがある。それはこういうものだったのかと思ったのだが、この展示は、まさにその話をヒントにしたようだ。

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 会場に入ると、全体に暗くしてあって、色々な形の水槽があり、そこに当たる光の色が刻々と変わる。オレンジ色、紫色、青色、緑色、赤色、昼光色と、様々で、もちろんそれに応じてその色を反射する金魚や緋鯉の見え方も変わっていく。写真を撮る時はこれがカメラマン泣かせで、昼光色の光が当たっていないと、色がめちゃくちゃになってしまう。例えば、真っ赤な模様のはずの金魚が、何とまあ、真っ黒な模様に写ってしまうのである。そんな中で何とか写すことができたのが、別途の写真である。

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 ちなみにこの会場に入る時に確かめたところ、ビデオやフラッシュによる写真だけが禁止されていて、あとは良いという。インスタ映えを狙っているのだろう。「花魁」のイメージが元に作られた不思議な形の水槽などは、インスタグラムに写真を載せれば、確かに見栄えがする。

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 最初に、緋鯉が立派なのには驚いた。それもそのはずで、これらは緋鯉の本場である山古志村の産だという。値段を言うのも品がないかもしれないが、一匹が何百万円もしそうだ。

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 金魚は、2000年ほど前に、中国南部の鮒の一種(ヂイ)から偶然に赤い個体が生まれ、それが代々にわたって飼育され、新品種が選び抜かれて今日に至っている。日本に渡来したのは今から500年ほど前の室町時代末期である。その時は、今でいう「和金」つまり流線形をした赤い小さな魚だったという。それが、今では多くの品種に分かれている。

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 「水泡眼」は、ほっぺたが膨らんで、ゆらゆらと揺れている珍しい金魚だ。「琉金」は、口が突き出た卵で尾が短めのスカートをはいているように見えるありふれた金魚だが、観ていて飽きない。「蘭鋳」は、まるで卵に飛行機の尾翼を直接くっつけたような金魚だ。よくこんな姿で泳げるものだ。

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 黒の「出目金」は、横から見るとまるで怪獣映画に出てきそうな剣呑な顔つきをしている。紫色の照明に照らされて、ますます不気味に感じる。ところが、水槽を上から覗き込むと、印象は全く変わって、よちよち歩きの幼児のように可愛い。その次のスマートな流線型で尾びれが長いのは、いわゆる「コメット」だ。欧米に渡ってからその地で作出された品種らしい。

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 琉金タイプの金魚にも、色々ある。赤白黒の色の派手な金魚は「キャリコ」である。頭に何か被り物をしているように見える金魚は「オランダ獅子頭」だ。その泳ぎ方を見ていると、実に可愛いのである。最後は、頭だけが赤くて、後は真っ白の「丹頂」である。一見して涼やかで、凛々しい。

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 私などは、こうして緋鯉や金魚の種類だけを鑑賞して十分に楽しんでいる方だが、このアート・アクアリウムは、更にまた水槽の形や照明で飾ろうとする。これを「アート」というのか、魚にとっての「迷惑」というのか、私にはよくわからない。



【後日談】 その後、2020年6月になって、日本橋にアートアクアリアム美術館が開館した。私も期待して見に行ったのだが、大切な生き物である金魚が実に粗末に扱われていて、がっかりして帰ってきた。その後、どうなるかと思っていたら、翌21年9月に、ひっそりと閉館した。





 アート・アクアリアム(写 真)




(2018年8月 4日記)

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