(平成30年3月25日)
6.小田原城址
小田原城に、家内とお花見に行ってきた。私は東京に住んで45年になるが、東京にほど近い小田原は、箱根に行く途中の玄関口という程度の認識だった。それでも、一度だけだが、乗り換えのついでに余った時間を利用して、小田原城を見に行ったことがある。お城そのものの記憶よりも、やたらと蒲鉾屋が多い街だなという印象と、この地が発祥の「ういろう」薬局を見に行ったことを覚えている。
ご存知の通り小田原城は、戦国時代には北条早雲を始祖とする北条家5代が統治した際の拠点であったが、天正18年の秀吉の小田原攻めによって北条家は滅亡した。その後のことは、案外知られていない。私も今回、小田原城の公式HPを読んで初めて学んだのだけれども、要はこういうことらしい。徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となったものの直ぐに改易され、その跡を継いだのが、あの春日局の一族である稲葉氏だそうだ。ところが、貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となって、幕末に至った。それからは小田原城に苦難の時代が続く。明治3年に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物が解体されたそうな。後に、城内は県庁やその県支庁の所在地となり、明治34年には、御用邸が建てられた。しかし、大正12年の関東大震災で、御用邸はもちろん石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。その後、隅櫓、天守閣、常盤木門、銅門(はがねもん)、馬出門と、順に再建されて、今日に至っている。
小田原駅を降りて、小田原城に向かう。近道をしようかと思ったが、こういう場合は正面から行って写真を撮るのが王道だろうと、南口の正門の方に回りこんだ。お堀端通りの歩道は、もう満開の桜に覆われている。手前に桜、お堀の水の向こうには赤く塗られた「学橋」が見えて、素晴らしい眺めだ。そこでまずは何枚かの写真を撮る。その向こうの「隅櫓」と桜の組み合わせも良い。お堀に沿って更に歩いて正門から入り、「馬出門」→「住吉橋」→「銅門」→「常盤木門」→「天守閣」の順に移動して、桜の木を写していった。桜と天守閣の組み合わせは、正に絵になる。天守閣に登って周囲を眺めると伊豆半島が目の前に横たわるなど絶景そのものである。その他の遠景は、花曇りのためによく見えなかったものの、大山、大島などの方向を確認することができた。
(平成30年3月31日)
7.千鳥ヶ淵で
また今年も、千鳥ヶ淵緑道の桜を観に行った。3月の平日の早朝だから、どこかの大学が武道館で卒業式を開催している。女学生が明治時代のような紺色の袴をはいて、歩いている。なかなか似合っている。ところで、私がお花見の名所10箇所を挙げよと言われれば、真っ先に挙げたいのが、
第1位、千鳥ヶ淵の染井吉野である。続いて
第2位は秋田の角館の武家屋敷地区にある枝垂れ桜、
第3位は井の頭公園の染井吉野、
第4位は三春の滝桜、
第5位は池上本門寺の染井吉野、
第6位は京都平安神宮の庭園にある枝垂れ桜、
第7位は奈良の長谷寺の染井吉野、
第8位は六義園の枝垂れ桜、
第9位は新宿御苑の八重桜、
第10位が弘前城公園の染井吉野と枝垂れ桜である。
それぞれに、思い出がある。東京では、目黒川沿いの染井吉野の並木が近年かなりの人気となっている。確かに都会の真ん中であれほどの桜のトンネルを味わう所はそうそうないというのは事実ではある。でも、川の両岸が垂直のコンクリートの壁で固められているので、風情というものがないのが、画竜点睛に欠けるところである。
ところで、この千鳥ヶ淵の桜の何が良いかというと、まずはお濠沿いの道の頭上に染井吉野の並木が立ち並ぶ。ここまではありきたりの風景であるが、それに並行してお濠ギリギリのところにも染井吉野の並木があって、それらの桜がお濠に対してグーンと張り出している。それだけでなく、対岸の皇居側の方にも桜の木があるから、お濠を両岸から桜で覆うようになっていることだ。その桜の雲の下を、のんびりとボートが行き交う。しかもこれらの風景を十分に堪能したところに展望台がある。その真下が貸しボート乗り場というわけだ。そこからたった今歩いて来た方向を振り返ると、まるで四角いキャンバスを2本の対角線で4つに分割したような情景で、上の逆三角形は青い空、下の三角形はグリーン色のお濠の水面、両脇の2つの相対する三角形は桜の雲である。もう、絶景としか言いようがない。これを観て感激しない人はいないだろう。
なお、午前中は、対岸の皇居側の桜に対して逆光になるので、写真を撮るのであれば、午後早くの方が順光になって具合が良いと思う。夜にはライトアップされるが、その頃には押し合いへし合いの満員電車状態になるので、ゆっくり写真を撮るというわけにはいかないから、私はまだ夜には訪れたことがない。もっとも、昔のカメラだと手ブレがひどくて夜の桜を撮るなど論外であったが、今のカメラで今年、六義園の夜桜を撮ってみたら、まあまあの写真が撮れたから、案外それなりの写真が撮れるかもしれないと思っている。
(平成30年3月26日)
8.飛鳥山公園
北区の飛鳥山公園に行って、染井吉野の桜を見てきた。王子駅を降りてすぐ目の前に飛鳥山がある。この地の桜は、享保年間に8代将軍の徳川吉宗が、江戸庶民の行楽の場として整備したのが始まりという。享保の改革で日常生活を厳しく取り締まる一方で、憩いの場を設けようといった飴と鞭の政策だったのだろう。
さて、私が行った時はまだ午前中だったが、桜という桜の木の下にはブルーシートが敷かれて、若者がその番をしている。中にはそういう人同士で一杯やっている微笑ましい風景もあって、完全なるお花見モードだ。江戸の昔から変わらないらしい。地元の北区が付けたぼんぼりが、桜の花の間を通って風に揺れている。なるほど、これは小上野公園といったところだ。それにしても、肝心の桜はまだ三分咲きといったところだから、桜の下で宴会を開いても、気分が盛り上がらないかもしれない。
(平成30年3月25日)
9.愛宕神社で
標高26メートルの愛宕山の頂上にある愛宕神社は、出世の階段などのエピソードに事欠かないし、何よりも桜の季節には池の鯉と周囲の桜が素晴らしく調和していて、私の好きな花見の場所である。以前の私のオフィスから近かったが、その後、職場が変わって少し遠くなった。でも、今年こそは是非とも再訪したいと思っていたので、早朝に立ち寄ってみることにした。記録をたどれば、直近は2010年4月と2012年4月に訪れたことがあるので、今回は6年ぶりということになる。
愛宕神社の正面の出世の階段からではなく、地下鉄日比谷線の神谷町駅で降りて裏手から登ることにした。愛宕山に近づくと、満開の桜の花に囲まれた「愛宕隧道」つまりトンネルがある。その向こうの出口にも、桜の花が見える。今日はそのトンネルをくぐらずに、左手前の階段をひたすら登って行く。途中、降りてくる2人とすれ違った。そして登り切って出たところがNHK放送博物館前の広場である。白い染井吉野と、赤っぽい別種の桜とが並んで咲いており、まるで紅梅と白梅のようである。その反対側には染井吉野がびっしりと咲いているのだが、今年は登り道の補修工事が行われていて、工事車両が駐車していたり、工事機材が置かれているので、どうも落ち着かない。何もこんなお花見シーズン真っ盛りにわざわざ工事をしなくともと思うのであるが、そういえば年度末だからであろうか。
さて、その博物館前の広場から愛宕神社の方を見たところ、これは驚いた。染井吉野の満開の桜越しに、大きな高層ビルが見えたからだ。その特徴がある形からして、虎ノ門ヒルズである。6年前は影も形もなかった。そういえば、虎ノ門地区は国際金融地区を目指しているらしいから、今後ともますます発展して行くだろう。
愛宕神社の境内に入り、本殿にお参りし、池の方に行って緋鯉を眺めて周囲にある桜の木を観賞するのがいつものパターンだったが、鯉も桜も、昔と比べて相当、数が減ってしまっている。いささか寂しい限りだ。昔は池に近付くと、餌を貰えると思った沢山の緋鯉たちが折り重なるようにやって来て、それぞれが大きな口を開けて「ジョボジョボ、パクパク」という音を立ててうるさいほどだった。あの頃は人間だけでなく、鯉も活気があったなぁと思う。しかも、以前は池の中にボートが浮かんでいて、それがややシュールな雰囲気をもたらしていたが、そういうものが一切なくなっていた。全体に愛想がなくなったというか、何というか、最近の世相そのものだ。
さて、出世の階段を上から覗いて、改めて勾配が急だなと思ったら、降りる気がなくなった。そこで、放送博物館の方にあるエレベーターで地上に降り立った。そこから出世の階段まで歩いて行ったところ、おや、昔は焦げ茶だった鳥居が、赤く綺麗に塗られている。それに、「出世の階段」の看板が、より小ざっぱりしたものになっている。しかもその裏には、「出世の階段のいわれ」と題して、こういう記述があった。講談調だから、面白い。
「愛宕神社正面の石段『男坂』(となりの緩やかな石段は『女坂』)は別名『出世の階段』と呼ばれ、その由来は講談で有名な『寛永三馬術』の一人、曲垣平九郎の故事にちなみます。
時は寛永十一年
三代将軍 徳川家光公が 芝 増上寺ご参詣の帰り道 神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて『誰か騎馬にてあの梅を取って参れ』と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても・・・と家臣たちは下を向くばかり。
誰一人 名乗り出る者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時、一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を登り始めました。
『あの者は誰じゃ?』と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き、愛宕様に『国家安泰』『 武運長久』を祈り、海の枝を手折って降りてきました。
早速 家光公にその梅を献上すると『そちの名は?』『四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます』『この太平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ、日本一の馬術の名人である』と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世した故事にちなみ、『出世の階段』と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰をいただいております。」なるほど、実に、良い話である。
(平成30年3月27日)
10.新宿御苑で
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桜のシーズンの最後を締めくくるのが、新宿御苑の八重桜である。毎年、千鳥ヶ淵の染井吉野とともに、この八重桜を必ず観に行くことにしている。特に、「関山(カンザン)」は桜の花が八重であるばかりか、それがこんもりとした花束のようなクラスターを作っていて、その下に入るとすごい。とりわけ桜のピンク色は、青い空の下で見上げながら観ると、ますます引き立つ。だから行くのは、晴天の日に限るというわけだ。加えて、新宿御苑らしいと思うのは、代々木のドコモタワーが見えることだ。どの場所にあっても見え、建築された当初は公園の雰囲気を損ねていると思っていたが、歳月を経て次第に景色に馴染んでくると、方向が直ぐに分かるし、写真のアクセントになってなかなか便利である。
地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅は、新宿門と大木戸門につながっているが、どちらに行くにも5分程度と、ほぼ同じ時間がかかる。新宿門に行くには、いったん道を渡って新宿御苑の中を外周に沿って歩いて行くとよい。そうでなくて道路を渡らずに歩いて行って新宿門に行こうとすると、新宿門を通り過ぎてずーっと向こうの信号まで行って道を渡り、また戻って来なければならない。だから私は、ついつい大木戸門の方に行って、そこから入ることが多い。
この日も大木戸門から入り、温室の脇を抜けて行くと、白い八重桜がある。「一葉(イチヨウ)」だ。その横のピンク色の「陽光(ヨウコウ)」とともに、紅白の形を成しているが、他の大きな桜の木と比べれば、まだまだ小さい。でも、その広がった枝の中に入って外を見れば、なかなか面白い。風景が一風変わって見える。
イギリス庭園、といっても広大な芝生が広がっているだけだが、その芝生の向こう側に大きなピンク色の八重桜の木がある。あれこそ「関山」だ。それにしても、実に大きいし、その形もなだらかな富士山のようで非常に美しい。それが重たそうに満開の八重桜の花を付けている。惚れ惚れとしてしばし眺めていた。これを観ただけでも、本日わざわざ来た甲斐があったというものだ。その近くに「普賢象(フゲンゾウ)」という白い八重桜があり、また「御衣黄(ギョイコウ)」という緑がかった八重桜がある。この「御衣黄」は、まさに変わり種で、花の中心は赤っぽい色をしているが、どういうわけか花びらになると、薄緑色になる。桜といえばピンク色というのが日本人の常識であるだけに、不思議な魅力ある花である。
日本庭園の「中の池」と「下の池」の間の橋を渡る。下の池には、ピンク色が濃い八重紅枝垂れ桜が咲いていて、水面に映ってこれまた実に美しい。中の池の向こう岸には「修善寺寒桜」だと思うが、やはり濃いピンク色の桜があって、同じように湖面に映る姿は神々しいばかりである。その付近にある染井吉野はもう葉桜となっていて、日光越しに見える若葉が綺麗だ。「躑躅山」というところには、その名の通り丸く刈り込まれた躑躅の木が赤や紫色の花を一面に付けている。今が見頃らしい。
八重桜の花を充分に堪能したので、三角花壇を経由して新宿門の方へ向かう。実は、この近くの「母と子の森」に向かう道の入り口手前に、「ハンカチの木」がある。ミズキ科の落葉高木で、中国の四川省・雲南省付近が原産地だそうで、その紹介者の名前をとって「ダビディア」と呼ばれる。花に上下の白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がっている様は、まさにハンカチそのものだ。咲き始めの花は緑色っぽいが、この日はかなり日が経っていると見えて、花の色は茶色になっていた。それにしても、これは相当に変わった花だ。風に吹かれてぶらぶら揺れる様子をずーっと見ていても、飽きない。
新宿御苑の園内マップ
(平成30年4月14日)