横浜中華街の春節

獅子舞


 今年は2月18日(金曜日)が中国のお正月つまり「春節」である。私は、若い頃に東南アジアに駐在したことがあるので、現地の華僑の皆さんの春節の迎え方を見たことがある。その頃になると、民族大移動が起こって、皆、自分の故郷に帰ってしまうから、街中は空っぽになる。さすがに一流ホテルは通常通りの営業をしているが、それ以外の街中の商店、レストランやショッピングセンターなどはほとんどが閉店である。それで、故郷に帰った華僑の人たちはというと、両親、兄弟、親類縁者が集まって、大宴会をして、絆を確かめ合うというのである。大晦日(今年の場合は17日)の夜には、あちらこちらで爆竹を鳴らすものだから、うるさくて寝られないほどだ。

 そしてお正月の三が日には、獅子舞が其処此処を駆け巡る。獅子舞といっても、日本のような赤い獅子頭に唐草模様のような無骨なものではない。全体にカラフルで、誠にチャーミングなものである(冒頭の写真)。これが各家や商店を回って、口に咥えたオレンジを、家や店内に放り込む。何をやっているのかと聞くと、「オレンジはお金の象徴で、それを投げ入れている。」のだそうだ。いかにも華僑らしくて、思わず笑ってしまった。

 ところで、横浜中華街で春節を祝う行事を行うというので、昔を思い出して懐かしくなり、行ってみることにした。我が家から千代田線に乗り、明治神宮前駅で副都心線に乗り換えたところ、直通運転の特急で、終点の元町・中華街駅まで1時間強で着いてしまった。残念ながら、春節当日は平日だったので、その日に行われた大々的な獅子舞は見られなかった。でもその代わり、18日に「娯楽表演」として獅子舞、舞踊、中国雑技を見物し、更に祝舞遊行として皇帝衣装隊、龍舞、獅子舞を見物した。


1.春節娯楽表演

 横濱中華街のHPによると「娯楽表演(ごらくひょうえん)」と銘打ち、中華街内の山下町公園では獅子舞・龍舞・舞踊・中国雑技などの中国伝統芸能を披露します。 名実共に春節の顔となっている勇壮な龍舞や躍動的な獅子舞に加え、優雅で華やかな中国舞踊、息を呑む演技が続く中国雑技など、まさに横浜中華街の『春節』ならではの華やかな雰囲気を味わうことができます。」というわけで、次の演目が掲げられていた。 (1) 横濱中華學院校友會(獅子舞) 、 (2) 神技/張海輪(中国雑技) 、 (3) 東京中国歌舞団(京劇) 、 (4) 横浜中華学校校友会国術団(舞踊・獅子舞)


01.jpg


 当日、中華街の関帝廟脇にある山下町公園は狭い。そこに立錐の余地がないほど人がぎっしりといる。これは写真を撮るのは難しいかなと思いつつ、舞台の正面に行くと、何とか撮れそうな位置がある。そこで待つことにした。いよいよ獅子舞が始まった。ダンダンダダダンという威勢の良い太鼓の音とともに、愛嬌のある獅子が動き出した。目は、ギョロ目もあれば、瞼で隠れることもある。それに、舌をベロリと出すことがある。獅子には、2人が入っているようだ。愛らしく頭を左右に振ったり、胴がグーンと長くなったり、金の巻物のようなものを伸び上がって咥えたりして、なかなかの役者である。そうそう、この太鼓のリズムだった、とても懐かしい。

獅子舞


01.jpg


 それが終わると、中国雑技の番である。雑技とは、要するにアクロバットのことで、中国には専門の学校があるほどである。この日は、張さんという女性と、同じく張さんという男性が出演する。まずは女性が背の高さ以上の一輪車に乗る。ユラユラと揺れながら、手にチューリップハットのようなものを持って、それを4つも足先に乗せて足を跳ね上げ、頭の上に器用に載せるということをやっていた。次の男性は、中国雑技伝統の椅子の技である。これには、ビックリした。まず背より高い台の上に4本の瓶を置き、その上に4脚の椅子を次々に重ねて載せる。その上に更に椅子を斜めに置き、その高さから、身体を真横に倒立するのである。しかも、片手で・・・よほど腕の力がないと出来ない技だし、一歩間違えれば3階の高さから真っ逆様に落ちる。皆で、大きな拍手を送った。

中国雑技


中国雑技


 3番目の出し物は、京劇の触りである。最初のテーマは、確か孫悟空の一場面のようなことを言っていた。男性が1本の剣を持って舞い、途中から童子と闘うというもので、後半は女性が2本の剣を持って舞うという趣向である。物語の筋も知らないし、知っていてもどの場面かもわからないから、ただ、京劇の衣裳と音楽と立ち居振る舞いを見ただけに終わった。そういえば、25年ほど前に、北京で京劇を観に行ったことを思い出した。

京劇


京劇


 最後は、孔雀の舞らしく、スッキリした薄緑の衣裳に身を包んだ若い女性たちが出て来て、中国らしい赤い旗を背景として、優雅に踊る。よく見ると、薄緑の衣裳には孔雀の羽根の模様が描かれている。私がこれを観ると、どうしてもインドの孔雀ダンスを思い出してしまう。インド人は、孔雀をモチーフにした踊りが大好きだからだ。ただ、ここではそれを中国人が演じていて、音楽も典型的な中国の調べである。だから、違和感を感じてしまうのだが、この場でそんなことを思っていたのは、私だけかもしれない。ともあれ、中国かインドかというのは別にして、異国情緒を思い切り味わった1時間だった。

孔雀の舞




2.祝舞遊行

 同じく横濱中華街のHPによると「春節の一大イベントである祝賀パレード『祝舞遊行(しゅくまいゆうこう)』を実施致します。祝舞遊行では華やかな皇帝衣装隊に加え、人気者の獅子や龍が登場します。ダイナミックな演技が続く龍舞や、勇壮な中にも愛らしい表情の獅子舞は来街者のすぐ目の前で行われ、それは中華街の春節でなくては体験できない光景です。華やかな衣装や、目前で繰り広げられる様々な演技、横浜中華街の祝舞遊行を存分にお楽しみ下さい。」というので、行ってみることにした。

 祝舞遊行は、24日午後4時から始まるので、その15分前に中華街の山下町公園に行ってみた。ところが、そこがスタート地点ということで、警備があって入れない。どうやら、そこから時計周りに出て行くようだ。そこでコースを逆時計周りに行けるだけ歩いていった。すると、山下町公園とほぼ対角線上にある地点まで行けた。そこから先は、道の両側に見物人がビッシリといて、カメラを構えるどころではなかったから、その辺りが限界だ。ここだとコースの中ほどだから、演技する人たちも疲れていなくてまだ元気だろう。しばらく待っていると、「バババッバン、バババッ」と大きな爆竹の音がして、パレードが近づいて来た。


01.jpg


01.jpg


01.jpg


 最初に、「日本横濱中華街将軍會」の横断幕に引き続いて現れたのは、「将軍組」というまるで関帝廟から出てきた閻魔様のような出で立ちの一団である。これは、「ユッケッ」ではないだろうか。明朝末期に広東省で生まれた伝統的な劇で、広東オペラともいわれるものだ。そのおどろおどろしい顔のメイクがすごい。背中に何本かの幟のようなものを指し、足はというと、まるで竹馬に乗っているかの如くである。その姿で見物人に愛嬌を振りまこうというのだから、観ている方も、笑顔がこわばる。子供などは、明らかに怖がっている。あたかも秋田のナマハゲ並みだ。続いて、三保の松原に現れた天女のようなスタイルの、若い女性たちの踊りである。とても、愛らしい。見惚れていると、次にグリーン色の獅子舞がやって来た。それも、肩車をしているから、大きい。瞼が開いたり閉じたりしている。そこに、ババンと爆竹の音と煙が上がる。見物人と獅子が触れ合う。おやおや、その獅子の口に赤い袋の「アンパオ」つまりお年玉を入れる人もいる。

01.jpg


01.jpg


01.jpg


 いよいよ「皇帝衣装隊」なるものが来た。「ハマの人力車」なるものに乗って、まあものすごい髭を生やした京劇俳優のような人物が登場した。輿ではなくて人力車というのがミスマッチだが、細かなことは言うまい。和中折衷で、何でも良いのだ。ところでこの皇帝、特に子供に向けて愛想がいい。でも子供の方は、やや敬遠気味である。その出で立ちといい、お供のいない点といい、皇帝というよりは、その辺の館の主人といったところだが、これも白髪三千丈の類いであろう。

01.jpg


 「広東獅子園」ということで、また獅子舞が来た。LEDライトで眼が光っているから、怖くもあるが面白い。現代的でもある。目の前で、爆竹がコンロに入れられた。「バババッバン、バババッバン、バババッ、バババッ」と、ひときわ大きな音がして、真っ白な煙が立ち込め、見物人が耳を押さえる。煙が晴れた頃、そのうちの一人(?)の獅子が私の目の前に来て、私の頭をガブリとやってくれた。まるで、日本のお獅子ではないか。後からネットで調べると、中国の獅子舞はそんなことをせずに専らオレンジらしいから、この点も横浜中華街らしい和洋折衷の風景である。

01.jpg


 「世界旗袍連合会」ということで、鮮やかなチャイナドレスを着た中年女性たちが、色とりどりの扇子をなびかせながら、目の前を通り過ぎる。どうやら、この辺りの中華街のレストランのマダム達であろう。若い子たちとは違う、落ち着いた雰囲気が心地よい。きっと経済的にも、皆さんはとても裕福なのだろう。それぞれの顔に現れている。 。

01.jpg


01.jpg


 「楊貴妃壹四参加 中国舞踊スタジオ」とある一団が来た。お揃いの真っ赤な中国服に身を包み、一糸乱れずキビキビと踊っている。踊り手さんが、皆とても美しく見えた。中国情緒を満喫した瞬間である。それから、雲南の小数民族のような衣裳を着たグループが来て、踊りを披露している。中に、若い頃のアグネスチャンさんにそっくりな人がいて、何だかおかしかった。

01.jpg


01.jpg


 横濱中華学校の小学生らしき子供達が、龍の踊りを披露してくれた。なかなか上手だ。これを動かしている中華学校の子供達を見ていると、中国人のようなアジア系だけでなく、アフリカ系やインド系もいることがよくわかった。あちらの方から、今度は横濱中華学校の高学年らしき人達の操る獅子舞と龍舞(ドラゴンダンス)がやって来た。龍は、結構大きなものである。先頭の金の玉を龍が追いかけて行くという趣向らしい。もっと言うと、東南アジアで観たドラゴンダンスのオレンジの原点がここにあるのかもしれない。ドンタン、ドンタンという中国風のお囃子が心地よい。それを聞いているうちに、一行は去って行った。所要約1時間の、横浜中華街の皆さんによる、手作り感満載のパレードだった。





 横浜中華街の春節(写 真)




(2018年2月18日・24日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:13 | - | - | - |
確定申告の季節

国税庁の確定申告作成コーナー


 2月に入り、北陸地方は何十年ぶりの大雪で、国道8号線には1,400台もの車が立ち往生して、60時間も掛けてようやく解消したそうだ。そのような中で、今年も確定申告の季節が到来した。私の場合、去年は歯医者に行ったから医療控除を受けられるし、家内の国民年金基金への一括払い掛金もあるので、そちらの控除もある。また、昨年の投資信託の解約で若干の損失が出たから、それを繰り延べしないといけない。そういうわけで、帳票原本が集まるのを待って確定申告書類を作ろうとした。

 何しろ私は新しもの好きなものだから、電子申告が始まったばかりのときに、早速やってみた。それ自体は便利なものだけど、一方で控除を受ける証明書などを5年間も保管しておかなければならない。スキャナーで写したり写真を撮ったりした電子形式のものではなくて帳票原本だと、嵩張る上にいざという時なかなか見つからないこともあり得る。だからそれが面倒になって、3年ほど前からパソコンで確定申告を作成した後、それをPDF形式の紙にして印刷し、書類で提出することにしている。いわば先祖返りしたというわけだ。

 今年も、自宅のパソコンから国税庁の確定申告作成コーナーに入って、コツコツとデータを打ち込んでいった。途中、源泉徴収票の内容を入れていき、(1) 給与の支払金額、(2)源泉徴収税額、(3)社会保険料等の金額を入れたところで、動かなくなった。(まさか源泉徴収票に問題があるなどとは疑いもせず)、数回繰り返しやってはみたものの、前に進めない。困ってしまったが、一計を案じて、(3)社会保険料等の金額を源泉徴収票とは切り離して入力するという荒業で、この問題を回避することができた。これで30分間も時間を浪費してしまった。でも、ともあれ作成できたから良しとしよう。結果をみると、医療費控除よりも、家内の国民年金基金への一括払いの効果が大きくて、何十万円かの単位で還付金がある。

 これは良い、それにしても申告書類をこのまま手元に置いておいても仕方がないので早めに提出することにした。善は急げというわけだ。確定申告の期間は2月16日から始まるが、還付金がある申告なので、それまででも受け付けてもらえる。そこで、書類一式をとりまとめ、2月6日に税務署に持って行った。税務署は、自宅から片道15分もかからない近いところにある。行ってみると待っている人は誰もいなくて、直ぐに受け付けてもらえ、「控」に受け付け印を押してもらって帰ってきた。

 その次の日のことである。勤め先の人事から、「実は源泉徴収票の中に間違いがあり、源泉徴収税額が5万円ほど少なかったので、訂正後の源泉徴収票を渡します。」という連絡を受けた。単純なミスなら仕方がないが、「できればもう一日早く言ってくれれば、誤った確定申告をせずに済んだのに」と内心思ったものである。私は、給与所得をもらうようになってから優に40年を超えるが、源泉徴収票が間違っていたというのは、初めての経験である。文字通り、「まさか」の世界だ。なるほど、国税庁の確定申告作成コーナーでつっかえた理由がわかった。というのは、この訂正後の源泉徴収票でやってみると、何の問題もなく作成できたからである。

 ところがこの時、人事担当者から受けた示唆がまた間違っていた。いったん提出した確定申告については、「更生の請求」なるものをすべきというのである。国税庁のホームページで探すと、なるほど「更生の請求」なる書式が出てきた。そこで、それ以上調べないままに、その書式に書き込んでいった。狭い欄なのに、結構書かなければならないことがある。しかも今時珍しい手書きだ。真ん中辺りまで書いたところで、数字を書き間違えた。あららと思ったがもう遅い。書き直しである。そういうことで、四苦八苦して書き上げ、それに訂正後の源泉徴収票と家内の国民年金控除証明書を貼ってようやくお仕舞い、出来上がりである。ふと時間を見たら、2時間も経過していた。楽しかるべき夕方のひと時が台無しだ。いやはや、税理士にならなくて良かったと思った。こんな書式、パソコンで書けるようにしてほしい。そうすれば、途中で間違えてもその部分を直すのは簡単だ。


更生の請求


 というわけで、翌日の早朝、その成果物を持ってまた税務署に行ったのだが、何とまあ、係員の人から「まだ確定申告の期限が来ていないので、更生の請求ではなくて、訂正申告です。」と言われてしまった。「では、どうするの」と聞くと、「最初の確定申告と同じものを作って、また出してくれれば良いです。最初のページに『訂正』と書いてあれば、わかります。」とのこと。「何だ、そんなことならもう作ってある。」と思ったものの、手元にない。やむを得ず、出直す羽目となった。

 これは、ひょっとして最初から電子申告でしたのなら、送信するだけで済み、また出向くという必要はなかったのではないかとも思った。しかしながら、それにしても大事な原本を5年間も自宅に保管するというのは、職業柄もあってか私の趣味には合わない。どこか銀行の貸金庫を借りて、この季節になると5年前の書類を取り出して廃棄し、新しくその年の書類を入れるというやり方にするのも一案だ。しかし、今回のようにかなりの金額が還付される年ならばともかく、貸金庫を開けてみれば病院の領収書ばかりという一方でその貸金庫代自体が馬鹿にならないという年もあるだろうから、コストパフォーマンスが悪すぎる。それまでは、税務署まで往復30分の道のりを、運動を兼ねて歩いて行くことにしよう。

 ところで、この問題、個人の電子申告についても、帳票原本の電子化(PDF化)と、その送信を認めれば解決できる。確か法人の申告では何年か前にそうなったはずだから、それと同じことである。だいたい、本体の電子申告を認めておきながら、それを裏付ける帳票原本の保管を個人に5年間義務付けるという現行の制度は、割り切り過ぎの反面、納税者からすると中途半端なのである。

 例えば、家内の国民年金基金の一括支払いで、100万円を超えたという場合の控除証明書は、他に紛れたりすると、何十万円かの還付金に影響する。こういう帳票原本たる紙は、税務署に保管しておいてもらいたい。ところが、一件当たりせいぜい数千円の病院の領収書の束は、嵩張る割には確定申告の金額にあまり影響がないことから、そのほとんどは要らない。ところが稀には歯のインプラントの領収書のように100万円を超えたりするものがあるから、こういうものは自宅でより税務署の方で大事にとっておいてもらいたい。それが困るなら、PDFでの保管を認めるべきである。病院の領収書の束を見るたびに、そう思っている。

 もっと大きな視点でみれば、今やマイナンバーの時代なのだから、そもそもサラリーマンの給与の源泉徴収票などは、税務署と給与の支払事業所とを回線で結んでそちらから申告させるようにするべきだ。税務署と社会保険事務所との間も同様である。ついでに言うと、税務署と病院の間もそうしてほしいが、その前提としてレセプト請求が電子化されないといけないから、これはなかなか難しい課題だろう。もっとも、そういう時代が来るまでには、私はすっかり仕事からリタイアして、ご隠居さんをやっているかもしれないので、以上述べたことは、私についてはまるで必要がなくなり、あたかも犬の遠吠えのようなものかもしれない。




(2018年2月16日記)


カテゴリ:エッセイ | 09:22 | - | - | - |
ドラム式洗濯乾燥機が壊れた

1.jpg


 確かまだ7年しか経っていないと思うのだけど、サンヨー製のドラム式洗濯乾燥機が壊れてしまった。型式は、「AQUA のAWD-AQ4000」である。写真は、次の通りである。そもそもサンヨーという会社はもうなくなってしまって、今は吸収合併先のパナソニックが修理交換の問合せ先となっている。2年前に、その乾燥フィルターが壊れたので、パナソニックのサイトから、このドラム式洗濯乾燥機の交換部品を取り寄せたことがある。これからもわかるように、ちゃんと製品と修理の引き継ぎがされているのは、結構なことだと思っていた。

1.jpg


3.jpg


 ところで、今回壊れたというのはどういう状況かというと、冒頭の写真にあるように、回転ドラムの真ん中にあるプラスチック製の丸い部品が、あたかも「もう疲れた」とばかりにポロリと落ちてきたのである。よく見ると、プラスチックが破断している。ここはまさにドラム式の中核部分なので、そんなところが落ちてくるとはどういうことだと言いたいところだが、会社が潰れてしまっていては、致し方ない。このままだと、乾燥時など高速回転をするときに危ないと思い、買い替えることにした。加えて、前回購入できた乾燥フィルターも、もはやパナソニックのサイトにも売っていないので、がっかりしたという事情もある。だから、もう買換えの潮時なのだろうと自ら納得することにした。

 こういう時、私は勤め先に近い家電量販店に行くことにしている。昔々、上京して勤め始め、しばらくして結婚したときには、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電製品一式を買うために秋葉原の家電量販店に行ったものだ。ところが、秋葉原はいつのまにかパソコンとゲームとオタクのメッカとなり、家電を探すどころではなくなった。その代わりに、ビックカメラやヨドバシカメラなどの全国チェーン店で家電を買うようになった。それが今やアマゾンなどの通販が急速に台頭してきたことから、ネットでかなりの用を足せることになった。「かなり」というのは、照明器具やせいぜいテレビなどは通販でよいのだけれど、洗濯乾燥機の場合は、果たしてあの狭いスペースに入るだろうかとか、洗濯物の仕上がりとか、その他家電リサイクルの手続などがあるため、店員さんのいる対面販売の方がいいと思って、店舗に行ったというわけである。

 すると、洗濯機のコーナーは、かつてとは様変わりしていた。昔は、洗濯乾燥機といえば東芝、松下、サンヨー、日立などのメーカーが乱立気味だったが、私の買いたい価格帯のものは、今やパナソニック(松下)か日立かという二択しかない。まあいいかと思って一つ一つ見ていく。予算は、20万円である。実は、壊れた洗濯乾燥機で一番気に入っていたのは、乾燥した後の衣類の肌触りの良さである。これで乾燥しないで部屋干したりすると、肌着もタオルもゴワゴワとなる。特に今は冬なので乾燥しやすく、肌着がまるで板のようになる。だから乾燥機能の良いものを選びたい。ただし壊れた洗濯乾燥機で妙だったのは、普通の「乾燥」モードにすると、仕上がった直後に焦げ臭いにおいがしたことだ。温度が高過ぎて繊維が焦げているのは明らかである。だから、「低温乾燥」というモードで使っていた。これだと、ちょうどいい。ただし終わるのに5時間近くもかかるのが難点である。もっとも、動く音がとても静かなものだから、夜の寝ている間に動かしていた。

 次に気に入っていたのは「洗剤ゼロ」 モードである。驚くことに、洗剤がなくても汚れがとれるし、洗剤がある場合とほとんど遜色がない。オゾンを発生させて汚れを取っているらしいが、洗剤を使わないから環境に良いかと思って、洗濯物があまり汚れていないときに、ときおり使っていた。今から思うと、オゾンが人体に悪影響を与える可能性もあったのだろうが、扉を開ける時には、その度にオゾンが排出されていたので、さほど神経質になることもないと思っていた。

 そういうわけで、売り場の洗濯乾燥機を見て回ったのだが、いずれも帯に短し襷に長しで、希望通りのものがない。まず、サイズは、どれも我が家の置き場所に入りそうだし、我が家の水栓の位置もこれでよい。しかし残念ながら、オゾンを使って洗剤ゼロという商品はもうなくなっていた。乾燥機能は、色々とお題目は並んでいるものの、使ってみないことには分からない。どれにするか大いに迷うが、意外なことに、ドアを左右どちらの開きにするかということと、納期の短さで、一つの機種に絞られてしまった。日立の「BD-NX120BL」である。つまり、この他にこれが良いなと思ったら、希望する左開きのものがない。直ぐに欲しいと思っても、人気機種だから納期は1か月後だとか、そういう調子である。その欲しかった機種は、いわば前々年のモデルで、それなら20万円で予算にちょうど合うのだけれど、持って来てもらうのに1か月もかかるというのでは、今回のような急場の役に立たない。そこでやむを得ずに納期が3日後という4か月前に発売されたばかりの最新モデルにした。何と、お値段は28万円強で、かなりの予算オーバーだが、仕方がない。ただし、家電リサイクル料金のサービスや5年保証と、3万円のポイント付きだから、実質24万円くらいである、ネットでみると、25万円から26万円だから、まあそんなところだ。


4.jpg


5.jpg


 さて、約束の日曜日に持って来てくれた。その前に壊れた洗濯乾燥機を持ち出さないといけない。洗面台の向かいの狭い洗濯機用スペースに収まっていて重たそうなのだけど、係の人は何の苦もなくグッと持ち上げて、運び出して行った。新しい洗濯乾燥機は、前のものより縦に短く横に3センチほど長い。この長さが邪魔して入らないのではないかと心配したが、浴室に通じるドアを開け、そこに器用に身体を入れて持ち込み、防水パンの上にすっぽりと乗せてくれた。ホースを水栓に繋ぎ、試運転をしてみると、ちゃんと動いた。その時、「水栓から少し水が漏れています。この部分の中部が錆びついているので、水道屋さんを呼んで早めに取り換えた方がよろしいです。」との御宣託があった。

 お礼を言って帰ってもらった後、家内に聞くと、「この部分はTOTOの製品で、以前来てもらってパッキンを取り換えたことがある。」というので、またお願いすることにした。その作業が終わって、家内が言うには、意外なことが分かったという。TOTOの修理担当者は、「この水栓そのものは、書いてあるようにTOTO製ですが、この錆びた部分だけは、TOTO製ではない。」と言ったという。下の写真の「L」字様の金属部分である。「ええっ。これ全体がTOTO製ではないのですか?」と聞くと、「工務店かマンションの販売会社かはわかりませんが、少しでも安い材料を使って安く上げようとしたのでしょう。よくあることですよ。」という。そんなことは、初めて知った。ちなみに、このマンションの水回りを担当した会社の仕業だろうが、ケチくさいことをしたものだ。案の定、この会社はもう潰れているそうだ。いずれにせよ、TOTO製の部品に替えてもらうことにした。次の写真の上がサードパーティ製で、下がTOTO製の部品である。素人には、その差がさっぱりわからない。


サードパーティ製


TOTO製


 洗濯乾燥機の買い替えから始まって、意外な手抜きの事実まで判明したものである。ともあれ、新しい洗濯乾燥機の使い勝手はどうかというと、まあ順調に動いてくれている。洗濯の時間は以前の機種とほぼ同じで約30分だが、乾燥に要する時間は以前の5時間近くから大きく改善して2時間からせいぜい3時間となり、乾燥終了後の乾き具合と肌触りは共に満足するレベルである。ただし、乾燥機能を使うたびに、エア・フィルターの掃除が必要であるし、その構造は以前のものと比べて、はるかに複雑なものとなっている。

 昔々、私が小学生の頃の洗濯機は、一つの槽しかなくて、それで洗ったら上下2つのローラーの間を通して水を切ったものだ。それからしばらくして出た二槽式洗濯機は、一方の槽でぐるぐると水で洗い、他方の槽で洗濯物を脱水したものだ。ちなみに私の母は、まだそのタイプを使っている。それが今の最新の機種は、同じ洗濯槽で洗い、脱水し、乾燥までしてくれる。その乾燥も、機械が複雑になった反面、確実に性能は上がっている。一般に機械器具というものは、文明そのものと全く同じで、時間が経つにつれて、ますます複雑でややこしくなるもののようだ。進歩して止まないというのは、良いことではあるけれども、どこかで飽和点に達してご破算となるのではないかという気もしないではない。その結果、まるきり新しいものにとって代わられるか、あるいはまたゼロから始めるかのどちらかだろう。




(2018年2月14日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:02 | - | - | - |
若草山焼きと京都四社巡り

若草山焼き







 若草山焼きと京都四社巡り( 写 真 )


1.若草山焼き

 奈良の若草山焼きを見物に行ってきた。一度は見てみたかったのだが、何しろ寒い季節に行われるし、加えて例年その頃は仕事が忙しい時期に当たり、なかなか行く機会がなかった。ところが今年は体調はよろしいし、幸いにして十分に時間があったので、それでは見物して来ようと思ったのである。現地の状況がある程度事前に見当のつく行事なら、往復の交通機関の切符と宿、そして有料観覧席があるならその切符を手配してから行くようにしている。ところが、今回は寒い季節に行われる夜のイベントでもあり、風邪をひいたり転んで怪我でもしてはかなわないので、安直にツアーに乗ることにした。そのパンフレットの写真によると、漆黒の空の下、若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮かんでいる。こんな写真が撮れたらいいなというわけだ。それだけでなく、山焼きの翌日には、京都で4つの社寺を訪れるそうだ。青龍、朱雀、白虎、玄武の、都を守るいわゆる四神である。このうち、八坂神社と上賀茂神社はよく知っているが、松尾大社と城南宮には行ったことがない。だから、面白そうだという気がしたのも事実である。ところが問題は、新幹線なら楽なのに、バスで行くツアーだったことだ。まあ、この冬の寒い季節だから、道路はそれほど混まないだろうと期待して、申し込んだ。

 当日朝、新宿に集合して8時半にバスに乗り込んで出発した。私は、中部・関西方面に行くにはもっぱら新幹線を使っているので、新東名高速道路は通ったことがない。だから、バスの旅を楽しみにしていた。東名高速道路を順調に走る途中で仰ぎ見る真冬の富士山には、真っ白な冠雪がある。それが折からの快晴の青い空を背景に輝いて見え、文字通り感動するほどに美しい。期待通りだ。御殿場を過ぎたところで、いよいよ新東名高速道路に入る。道路は新しいし、ドライブイン内はまるでスーパーのように商品で溢れている。30年ほど前のこと、私は小さい車に家内と子供たちを乗せて高速道路を走り、当時はまだ粗末な設備のドライブインでよく休んだものだが、その時代とはまるで大違いだ。バスは更に進み、名古屋市中心部を通らずに、伊勢湾岸自動車道に抜ける。巨大な吊り橋をどんどん走って、左手に昔は長島スパーランドと呼んだ娯楽施設が、まだあるではないか。でも、ジェットコースター中心のようで、昔とは様変わりだ。新名神高速道路に入り、甲賀の山を越える。その辺りで雪になる。これが奈良まで続いて山焼きが中止になったりすると、目もあてられないなという考えも一瞬、頭の中をよぎるが、「いやいや、私は晴れ男だから」と思ってそういう考えを振り払う。


東大寺の大仏さま


 さて、バスは奈良市内に入り、東大寺南大門脇の駐車場に停車する。雪がちらついているが、大したことはなくて、安心する。時刻は午後4時である。5時から若草山麓の「古都屋」で早目の夕食をいただいた後、その前で繰り広げられる山焼きを見物し、バスには7時20分に戻ってきてほしいとのことである。私は、せっかくだから、この際、東大寺の大仏さまを拝んで来ようと大仏殿に入った。そして大仏さまを正面から拝んで裏に回り、更に例の四角い穴が空いている柱をくぐる人を「あっ、やっている」とばかりに眺めて、直ぐに出てきた。それから手向山神社の方へと階段を上がっていき、そこから右手に曲がって若草山の裾野に出た。夕食会場の「古都屋」は、すぐその前だ。天候は曇りで、花火直前には雲一つない青空が見えてきた。これは良い。

雲一つない青空の若草山焼きの直前


 現地でいただいた若草山焼き行事実行委員会作成のガイドブックによると、「若草山三重目の頂上には巨大な前方後円の鶯塚古墳があります。その昔、ここから出る幽霊が人々をこわがらせるという迷信が長く続いていたらしく、しかもこの山を翌年1月までに焼かなければなにか望ましくないことが起こるといったことで、通行する人が放火し、東大寺境内に火が迫る事件が再三起こりました。1738年12月に奈良奉行所は若草山に放火停止の立て札を立てましたが、その後も誰ともわからないまま放火が続きました。近隣社寺への延焼の危険が絶えず、江戸時代末期には若草山に隣接する東大寺・興福寺、奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養の為でもあったと言えます。」とあった。

 その他、ネットでは、「若草山一帯の春日大社・興福寺と、東大寺との領地争いから始まった」とか、「早春にしばしば行われる原始的な野焼きに由来する」などという話もあった。上の実行委員会パンフレットの説では、春日大社が出てこない。ところが、当日の式次第では「春日の大どんど」より御神火が発したり、神事一切を春日大社が行っているし、そもそも春日大社の宮司さんがこのパンフレットに一文を寄せているので、むしろ興福寺や東大寺の影は薄い。わずかに「三社寺にゆかりの深い温食」として、名前が挙がっているのみである。真実のところはどうなのか、聞こうにも適当な人はいなかった。それでもパンフレットをよくよく見ると、「春日大社、興福寺、東大寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、さらには奈良全体の防火、世界の人々の平安を祈ります」とある。長い間に色々と変遷があったのだろうが、今では、春日大社が前面に出て、それを奈良県と消防団が支える観光行事となっているようだ。当日の式次第は、次のようになっている。

 午後4時45分 御神火奉戴祭「春日の大どんど」より御神火をもらい受けます。」

 午後5時05分 聖火行列出発「御神火が金峯山寺の法螺貝に先導され、山焼きに関係の深い三社寺と奈良奉行所の役人など総勢40名の厳粛な時代行列により、山麓にある野上神社まで運ばれます。」

 午後5時15分 松明点火「春日大社の御神火を松明に点火します。」

 午後5時40分 山麓中央の大かがり火に点火 「御神火は野上神社到着後かがり火に点火され、山焼き行事の無事を祈願する祭礼が行われます。続いて法要として、東大寺・興福寺・金峯山寺の読経の中、山麓中央の大かがり火に点火します。

 午後6時15分 大花火打ち上げ

 午後6時30分 山焼き一斉点火「奈良市消防団員が山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、法螺貝、ラッパの合図で一斉点火します。

 夕食会場の古都屋から出てきたのは、午後5時50分頃である。そのまま古都屋の前で見物する人も多かったが、私の場合はカメラを載せる三脚を広げるので、そんなことをすると通行の邪魔となる。それではどこか適当な場所はないかと見渡して、若草山の麓にもっと近づいて、その柵を越えたところで三脚を構えることにした。幸い、この日は柵の中に入ってよいし、適当な場所も見つかった。その間、風に乗って法螺貝の音や読経の声が聞こえてくる。気温は零度を下回っているようなので手先が寒い。手袋をした。午後6時15分になり、花火が打ち上げられた。打ち上げ場所が近いので、花火がシューッと上がり大輪の花を咲かせた瞬間、ドーンという音と身体に響く振動を感じる。


大花火打ち上げ


 さて、愛用のキヤノンのカメラを構えて、「B」(バルブ)、つまりシャッターを常時開放にし、それにケーブル・レリーズを接続する。これのボタンを押している間だけ、シャッターが開くという仕掛けである。我々人間が花火を見ると、一瞬の残像が繋がって美しい像となる。ところが、カメラで数十分の1秒間だけシャッターを開けても、ほんの一瞬の点にしか見えない。そこで、バルブ状態でレリーズを使うのだが、手でやるものだからあまり短いと点になり、長すぎると火の玉のようになる。そこで、適当に手動ですることになる。その他、バルブを使わずに2分の1秒などの長いシャッターにすれば良いのだが、本日の花火は僅か15分間なので、試行錯誤している暇はない。私が以前持っていたオリンパスのカメラの場合は素人向けの製品だったから「花火モード」というものがあって、単にシャッターを押すだけで綺麗な花火が撮れた。ところがこのカメラは少し高度なものだから、そういう素人向けの便利なモードはない。私も、花火は年に1回、撮るかどうかというところだから、全く慣れていない。でも、この際、適当にやるしかない。

大花火打ち上げ


 花火が始まり、そんな心許ない状態で、撮り始めた。暗い中だし、次の花火が大空の中でどのくらい広がるのかを想定してレリーズを押さないといけない。でも、やってみると何とか写っている。順調である。そう思ったその瞬間、とんでもないことが起こった。押し込んだレリーズのボタンが元に戻らないのである。やっとのことで元に戻した。その間、シャッターが開きっぱなしになるから、写った写真はまるで太陽のような火の玉となってしまった。こんなことがあるのかと思ったが、翌日、試してみたところ、1回も起こらなかった。原因は、零度を下回る低い気温のせいだったのかもしれない。とにかく、そうこうしているうちに、15分間の打ち上げは終わった。皆が盛り上がったのは、奈良公園の鹿を模したスターマインだったが、残念ながら写真はうまく撮れなかった。

若草山焼き


 それから、若草山に左右から火が放たれて、山頂に向けて燃え広がった。漆黒の空に、炎が揺らめく。幻想的な風景である。顔が少し暖かくなる。壮大な焚き火である。写真を撮るが、今度は幸いなことに、レリーズがフレーズしない。撮っているうちに30分ほどであっけなく終わってしまった。でも、山に近すぎて全体像が上手く撮れない。少し離れた春日野園地や、もっと遠くの若草山の南側に位置する高円山から撮るべきだったと思った。その他、奈良県庁の屋上という手もあった。ただし、県庁は予約が必要だそうだ。あるいは、平城京跡で行われる「奈良大立山祭り」の闇夜に浮かぶ巨像とともに写すという方法があったようだ。

 なお、この若草山焼きは、一昨年は乾燥していて、普通なら30分は燃えるはずのところ、たった3分しかもたなかったそうだ。昨年は牡丹雪が降って湿っていて、ちっとも燃えなかったという。こうなると、もう笑い話の類いだ。では今年はどうかというと、前日から晴れて適度に乾燥し、雪もちらついて気温が低く、点火から30分、普通に燃えてくれたそうだ。

 それは良かったのだが、そもそもこのツアーのパンフレットにあった「若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮ぶ」というのは、実は合成写真だったのだ。現実には花火を打ち終わってからの山焼きだし、その炎のごく近くにあんな大きなライトアップされた寺社の建物があるはずがない。もしあったら、今頃は燃えてしまっているだろう。騙されたようなものだが、翌日の日経新聞を見ると、(1)山焼き、(2)花火、(3)ライトアップされた寺社の建物の3点セットの写真が載っている(下に掲げた2枚の上の写真)。全く見事に合成したものだが、読者を騙しているようなものだ。その点、朝日新聞大阪版を見ると、「燃え上がる若草山。手前は興福寺五重塔」という題名で「午後6時13分から7時31分までの17枚を合成」と、ちゃんと書いてある(下に掲げた2枚の下の写真)。こちらの方が正直だし、花火は合成の対象にはしていない。


日経"


朝日"





2.京の四社巡り

(1)八坂神社(青龍)

八坂神社


 八坂神社は、東大路通と四条通との交差点に向けて建っている京都のシンボルのような社で、祇園祭の本拠である。私は、桜の季節になると、その裏手にある円山公園にはよく行って枝垂れ桜を愛でたものだが、1月に行ったのは初めてで、「いとすさまじきものかな」という感じである。

美御前社


 しかし、今回発見したのは、八坂神社には実に色々な「祇園さんの神さまたち」がおられるということである。素盞嗚尊を祀る厄除けの本殿のほか、例えば、 美御前社(お参りすると身も心も美しくなる)、疫神社(無病息災)、大国主神社(縁結び)、太田社(諸芸上達)、北向蛭子社(商売繁盛)、刃物社(刃物を扱う人の守り神であり、開運)などである。時代背景によって、庶民の色々な需要に応えようとしたものだろう。

八坂神社本殿にお参りするプロサッカーチーム


 今回、プロサッカーチームが、外国人監督以下揃って八坂神社本殿にお参りに来ていたのには驚いた。日本の神様の懐が深いのか、それとも外国人サッカー選手たちの唯一神信仰がいい加減なのか、私にはよくわからない。

知恩院の駐車場





(2)上賀茂神社(玄武)


上賀茂神社の神馬舎


 別名「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちのかみじんじゃ)で、9年前に家内と訪れた思い出の神社である。神社の一ノ鳥居の緋色が映えて美しい。広い境内を進んで行くと、右手に手作り製品のマーケットをやっている。そこを過ぎると、神様の使いである白馬がいる「神馬舎」があり、子供が人参を食べさせていて、それが誠に可愛い。外国人観光客を含めて、参拝客皆がニコニコしながら見守っている。

神前結婚式の御一行


 二ノ鳥居の前まで来たら、神主さんと巫女さんに先導された神前結婚式の御一行のお通りだ。新郎新婦さんの幸せそうな顔が通り過ぎて鳥居をくぐり、神域に入る。そして直行したのが「細殿」である。これは、400年の歴史ある建物だそうだ。もちろんその前には、上賀茂神社を特徴づける立砂(円錐形をした二つの砂の山)が置かれている。その裏手に回ると、本殿に通じる緋色が美しい楼門がある。それをくぐると、権殿と本殿だ、家内と来た9年前はあと7年で式年遷宮を迎えるというので桧皮葺用の桧皮を寄進したが、もうそれが使われているのだろう。何しろ時間が限られているバス旅行だから、のんびり感慨にふける間もなく、次の社に向かう。

上賀茂神社を特徴づける立砂





(3)松尾大社(白虎)


松尾大社の絵馬


 次は松尾大社で、私はこれまで来たことがなく、これが初めての参拝となる。一言で松尾大社を評すると、「いかにも昔ながらの神社らしい渋い神社」である。上賀茂神社のような派手な緋色の楼門や鳥居などは一切なく、檜皮葺の地味な社がひたすら並んでいる。この日はまだ1月だったので、正面に色鮮やかな戌年の大きな犬の絵馬が飾ってあったものの、それ以外は誠に平凡な印象である。

松尾大社本殿


 ところが、その中でひとつだけカラフルなお酒の樽が並んでいる一画があった。何かと思ったら、この社は、お酒の神様なのだそうだ。というのは、5世紀頃に朝鮮から「秦氏(はたし)」の一団がこの地に入植した。その秦氏が得意としていた技術の一つが、酒の醸造だったからだという。ちなみに、飛鳥から奈良、平安時代にかけて上賀茂神社一帯にいた豪族は賀茂氏といい、桓武天皇が平安遷都に踏み切った後は、松尾社の秦氏とともに、皇室を支えたとされる。よって、「当社(松尾大社)と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。」(同社HP)とのこと。

松尾大社の酒樽


 ちなみこの日は、赤ちゃんの初宮参り(産土参り)を、3組も見かけた。この零度近い中、生まれて僅か1月ほどの赤ちゃんと連れ回して大丈夫かと思ったが、両親と双方の祖父母が笑顔で写真を撮り合っている。微笑ましい風景だ。なお、重森美玲作の庭園「松風苑」があったようだが、残念ながら観る時間がなかった。また次回にしよう。


(4)城南宮(朱雀)


城南宮の神苑


 京都の伏見にある城南宮については、私は全く知らなかったが、鳥羽伏見の戦いの舞台だったようだ。そのHPには、「明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったのであり、錦の御旗が翻って旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れました。」とある。

城南宮の神苑


 「都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。家庭円満や厄除や安全祈願、また車のお祓いに全国からお見えです。また古くより、住まいを清める御砂や方角の災いを除く方除御札を城南宮で授かる習慣があります。そして曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ安らぎの庭になっています。巫女神楽の鈴の音が毎日響く城南宮をお訪ねください。」とある。

城南宮の神苑


城南宮の神苑


 その神苑に入ってみた。なるほど、梅や桜、曲水の宴の時期にはさぞかし美しかろうという風情であるが、残念ながらこの日は真冬の気温が低い時期だったので、まさに「すさまじき」景色であった。ただ、鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物のある建物は、とても良かった。外の景色を見るより長い時間をかけて、絵巻物を覗き込んだ。

城南宮の神苑の鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物





(5)京都五社巡りのいわれなど

 城南宮の「京都五社めぐり ー 四神相応の京(みやこ)」の説明によると

「千年にわたって続いた京の都は、「四神相応」と讃えられています。方角を司る「四神」、すなわち玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する土地として、ここに都が造営されたのです。
 うらうらと朝日が昇る東山の麓に八坂神社、広々とした桂川を渡った西に松尾大社、水清き鴨川が流れ出る北に賀茂別雷神社(上賀茂神社)、鴨川と桂川が出会う南に城南宮、そして、平安神宮の建物は、平安京の大極殿さながらに建てられ、東に「蒼龍楼」、西に「白虎楼」がそびえます。  古来より人々は都の要所要所に鎮まるお宮に祈りを捧げ、それに応えて神々は人々の暮らしを守り、願いを聞き届けて来られました。四季の祭礼行事と美しい自然に彩られた京都のお社を巡れば、神々の息吹きに触れ、清々しい気持ちになります。元気をもらいに平安京にゆかりの深い神社にお出かけください。そして神様のご加護の印の御朱印を集めてみてはいかがですか。」
とあって、「五社めぐり四神色紙」なるものを勧めている。

 ああ、なるほど、そういう仕組みだったのかと、やっと納得した。そういえば、各社で僅か40分間しかない参拝時間で、どうやって御朱印をもらおうかと腐心している人がおられた。ちなみに私の場合は、もう物には一切こだわらないので、そういう一種の「物欲」には無縁である。残すとしたらデジタルの形式にしている。そうすると、誠に清々しい気分になる。例えば、昨年はアルバムにして20数冊分の写真をデジタル化してすっきりした。今年は、書類と本のデジタル化に手を付けようかと思っている。そして最終的には、ハードディスク1個になるのが理想である。




(2018年1月28日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:04 | - | - | - |
| 1/1PAGES |