国際鉄道模型コンベンション

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 国際鉄道模型コンベンション(第18回)に行ってきた。2回目である。前回は、2012年8月の第14回だったから、5年前のことだ。そのときは、鉄道模型そのものより、ジオラマのレベルが高くて、それに感心したものである。今回も、入ってすぐ左手に、東京駅の模型を中心に、小さな電車の模型が走り回っていた。東京駅の模型がよくできているなとつくづく見入っていると、何とあちこちに隣のトトロや猫バスなど、スタジオ・ジブリにちなんだ人形があって、その遊び心あふれる仕掛けに、つい笑ってしまった。そうかと思うと、黄緑色の山手線の電車が走る脇に、コンビニや衣料品ストアの看板が掲げられた量販店の模型がある。その屋上に舞台があって何かのショーをやっていて、大勢の人がそれを見ている。その次には、桜の木々があるのんびりした山あいの地域に跨線橋のある駅があり、そこを東西に2本の路線が走っている。中央線だったら、藤野の辺りはこんな感じだ。作者は、こういうところのご出身かもしれない。何かジオラマを作るとなると、日常、目にしているところか、あるいは出身地の情景が目に浮かぶはずである。

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 米を商っている小さな商店があり、その前を蒸気機関車が走る。これほど小さな模型なのに、ちゃんと蒸気を吐いているから面白い。考えてみれば、いまどき本物の蒸気機関車に長時間乗った経験のある人は、あまりいないのではないだろうか。実は私は、昭和31年、父の転勤に伴って神戸から福井まで延々と蒸気機関車に乗ったことがある。何時間かかったのかは、もはや忘却の彼方であるが、ともかくあの固い直角の座席にもう嫌というほど長時間座っていた。途中、機関車の煙に含まれている煤のために、常に非常に臭かったし、いざ着いてみるとタオルで顔を拭ったら真っ黒になったことを覚えている。蒸気機関車とは、そんな不快な経験のある乗り物だったのだけれど、今や古き良き時代の鉄道のシンボルとして脚光を浴びているから、ノスタルジーのなせるものとはいえ、誠に不思議なものである。ちなみにその当時の町中には、このジオラマのような商店ばかりだった。更に先に進むと、山中の川沿いの温泉町にある温泉ホテルのような建物がジオラマで作られている。実によくできていて、今にも川の流れの音が聞こえて来そうである。もちろん、電車が走っているが、むしろホテルの建物や川の情景の方に、目を奪われた。

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 おやおやこれは、丸型ジオラマとでもいうべきものだ。丸くなっている土台の上に、ホテル、そのプール、一軒家の家々がびっしりと立ち並び、電車は半分だけ地上に出て走り回っている。そうかと思うと、有名な「関東学院六浦中学校・高等学校鉄道研究会」の、藤沢から江ノ島にかけての街並みが本物そっくりに再現されているジオラマがある。鎌倉大仏が鎮座ましましているし、よく出来た街中の建物の間を縫ってチョコマカ走り回る江ノ電が実に可愛い。自分の鎌倉の街を愛情を持って再現しているから、その情熱があちらこちらに感じられて、実に素晴らしい。家内も、じっと見入っていて、後から、「これが一番、良かったわ。先輩から受け継いで、どんどん良くして来たのよね。」と話していた。なるほど、その通りである。

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 プラレールのコーナーがあり、子供たちが熱心に取り組んでいる。平面的なコースは、小さな子たちばかりだが、立体的なコースはさすがに大きな子たちが中心だ。それにしても、三次元の集積回路と同様に、これは誠に複雑な構造である。見ていて、目が回ってきた。先を急ごう。あれあれ、これはレゴではないか。人形もそうだし、走り回る電車の先頭の斜めの線などで、それとわかる。一昔前の単純でシンプルなレゴとは全く違い、表現力が全く違って完全な別物になっている。東京や名古屋にレゴランドができているが、これなら、子供たちも面白いと思うだろう。

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 ああ、これもすごい。ミニジオラマだ。多言を弄するよりも、写真を見ていただきたい。山深い地域を流れる川、藁ぶき農家、池などがある。ごくごく小さなものだけど、林間鉄道の模型で、トロッコ電車が木橋を渡っているジオラマがあり、更にその先には小さいながらも転轍機がある。これらになぜか引き付けられて、しばし見入ってしまった。おやまあ、これは面白い。小さな丸いガラスの容器の中に、苔などが植えられていて、その周りをミズスマシのようにチョコマカと電車が走っている。これにも、思わず目を奪われた。

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 「スイッチバック 山と河川の風景」という作品も、単に電車が左右に行ったり来たりするものに過ぎないが、ついつい、その動きを目で追ってしまった。列車の前に掲げられている「能登」「白山」「雷鳥」「白鳥」「はくたか」のプレートがある。実は、私はこれらすべてに乗ったことがあるから、それだけでも懐かしくて、万感、胸に迫るものがある。

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 会場を4分の3ほど回ったところで、いささか疲れてきたから、目の前にあるテーブルの椅子に座った。すると家内が、「荻野家の峠の釜めしがあるわ」という。おっと、こんなところにあるとは思わなかった。昔、信越本線経由で北陸に向かうときに、横川駅で機関車の連結作業があって時間がかかったので、そこで売られていたこの釜飯をよく買って車内でいただいたものだ。懐かしくなって買い求め、2人でじっくりと味わった。気のせいか昔と比べて、味が薄くなったような感じがしたが、今時の味に合わせて健康志向になっているのかもしれない。食べ終わったら、器の分別回収に協力だ。

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 ああ、これも素敵な組み合わせだ。お城をバックに、新幹線のドクター・イエローが走っている。どこか現実離れがする感は、お城の屋根の薄緑と新幹線の黄色の対比から来るのかもしれない。それから最後に、宮下洋一さんが作られた精巧なジオラマを見物した。自動車の形からして、これは昭和30年代前半の頃だろう。駅前の定期券発売所、大衆食堂と酒場、野球をしている子供たちの姿まであり、懐かしさで胸が一杯になる。鉄道模型を見に来たつもりだったが、ジオラマで表現された昔の風景の方に、心が奪われたようである。かくして、暑い夏の厳しい気候の中にもかかわらず、半日ほど2人とも童心に帰って、じっくりと楽しむことができた。



(2017年8月20日記)


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イスラム美術館

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1.MRT鉄道

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 クアラルンプールのイスラム美術館に行ってきた。国立モスクに隣接している。最近、同市内ではモータリゼーションが飛躍的に進んでいる一方、道路の整備が追い付かず、市内は慢性的に渋滞している。そこで、同時に整備が進められている鉄道網を利用してみることにした。公共交通機関で、今年の5月に全線開通したばかりのMRT(The Klang Valley My Rapid Transit)という鉄道に乗った。路線図を見ると、これはクアラルンプールを南東から北西に向けて斜めに貫く路線である。両端の一部が先に完成して既に電車が走っていて、中心部の7駅だけが未完成だったが、それがようやく出来たというわけだ。

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 最新のサンウェイベロシティ・ショッピングモールと、古くからあるイオン・ショッピングセンターからほど近いマルリ駅からMRTに乗った。平日の午前10時頃だったから、駅で待っている人は、ほんのちらほらといるだけだ。「タッチ&ゴー」というプリペイドカードを買って改札を抜ける。日本のスイカと同じ要領だ。読み取り機の反応は、なかなか良い。プラットホームには、ホームドアがある。高さは、大人の顔くらいだが、転落防止にはこれで十分だろう。ホーム上の案内スクリーンを見上げると、青地に白抜きの文字で、縦に「1st. 3min.、2nd. 10min.、3rd. 17min.」と並んで表示されているので、あと3分後に電車が来そうだ。待っていると、MRT電車が静かに到着した。お台場のゆりかもめのような無人運転の4輌編成で、車体はさほど高くない。乗ってみると、座席は固いプラスチック製である。これがもし日本で季節が冬だと、冷たくてとても座っておられないところだが、ここは常夏の国だから、この方が良いし、掃除も簡単なのだろう。ただ、車輌は小さいから、1輌当たりの輸送力は、日本の首都圏の鉄道車輌と比べれば、かなり少ないのではないかと見受けられる。

 事前に調べて、イスラム美術館は国立モスク(現地語で、MASJID NEGARA)の裏手にあることがわかっていたので、そうするとMRTの路線上のパサール・セニ駅(中央マーケット駅)が最寄りの駅だ。そこで、グーグルの地図でパサール・セニ駅からイスラム美術館への道順を表示させたら、川の向こう側に行くのに、わざわざ隣のクアラルンプール駅に行ってまた戻るという馬鹿馬鹿しいルートが表示されて、しかも徒歩22分と出た。そんなはずはない。せいぜい10分くらいの距離のはずだ。地図をよくよく見ると、川の上に細い道があって、向こう岸の国立モスクに繋がっている。たぶん、この道の方が正解だ。東京でグーグルの地図が初めて利用され始めたばかりの時のように、当地では、グーグルの地図はまだ発展途上のようだ。

 乗った車輌は、マルリ駅のいくつか先で地下に潜る。そして、再び地上に出たと思ったら、パサール・セニ駅に着き、そこで降りた。駅のプラットホームは地下2階ほどのところにあってとても涼しいくらいだが、そこから長いエスカレーターで上って地上に出ると、むっーとする暑さが体にまとわりつく。駅のすぐ脇には泥川が流れている。「あれあれ、これはひょっとして、クアラルンプール(泥川が合流するところ)の語源となったクラン川(そのすぐ北の地点で、ゴンバック川と合流する)ではないか。では、この川を渡ればよい。」と思いつつ見回すと、国立モスクはこっちという矢印表示がある。どうやら川の向こう岸に、やはり交通機関のKTMコミューターの駅があって、それとパサール・セニ駅が歩道橋で繋がっているらしい。なるほど、これがグーグルの地図上では、川の上に細い道として描かれていたもののようだ。

 ところで、例えば東京の新宿だと、JR、東京メトロ、都営地下鉄、小田急線、京王線、西武新宿線などが集まっていて、慣れない旅行者には、非常にわかりにくい。ここクアラルンプールも、数え上げれば、MRTの1路線、KTMコミューター3路線(うち、1路線は未開通)、LRT3路線に加えて、KLモノレールなるものがある。そのほか、KLIAエクスプレスとトランジット2路線があって、これは国際空港や行政首都のプトラジャヤに行く。合計10路線だ。その多くは、KLセントラル駅を通るから、その点はよく出来ている。だから、路線図は、この駅を中心に見ていけば、わかりやすい。問題は、駅どうしが繋がっているけれども、かなり歩かなければならないようなところである。このパサール・セニ駅もそんなところがあって、MRT駅からKTMコミューター駅まで、細々とした回廊のようなところを歩く。もっとも、東京でも大手町駅で乗り換えようとすると、初めての人はまごつくから、それと同じかもしれない。


国立モスク


国立モスク


国立モスク


 そういうわけで、MRTのパサール・セニ駅から歩いて、KTMコミューターのパサール・セニ駅に着いたが、国立モスクは、さらにその先だ。クラン川上の橋を渡り、迷路のような駐車場の建物を抜け、地下の歩道橋を渡って、やっと国立モスクに着いた。それをぐるっと半周くらい回って、ようやくイスラム美術館となる。


2.イスラム美術館


イスラム美術館


イスラム美術館


イスラム美術館


 イスラム美術館に着いたはずなのだが、道路の左右にそれらしき建物がある。特に左の建物は、立派なイスラム模様を施してある。これかなと一瞬思ったが、事前に調べた外見とは違う。守衛に聞いたら、これはオフィスで、美術館本体は向かい側だという。そこには、入り口こそモスク風の玉ねぎ形だが、他はがらんどうの何の変哲もないコンクリートの空間が広がっている。イスラム的な雰囲気はある。でも誰もいない。本当にここかと思いつつそちらに行き、やっと見つけた脇の階段を降りていくと、そこにようやく美術館の入り口があった。愛想のいい係員に14リンギットほどの入場料を支払って、入った。私のすぐ後に、白人の若いカップルがやって来て、こんなやりとりをしていた。

 係員「いらっしゃい。お嬢さんは、学生さんですか。」
 女性「いいえ。違います。でも、聞いてくれてありがとう。」

 学生なら、入場料が半額になる割引きがあるそうで、係員は確かめたかったのだろうけど、女性は、学生さんと若く見られて、どうやらひどく嬉しかったようだ。乙女ごころは、洋の東西を問わず、変わらない。


イスラム写真展


イスラム写真展


イスラム写真展


 イスラム教では、偶像崇拝が禁じられているから、日本の寺院のように、仏様を拝んで感情移入をするということは出来ない。だから、イスラム美術といえば、偶像に繋がるような造形ではなく、せいぜいタイル模様の延長のような幾何学模様しかないだろうという程度の認識であった。ところがまず最初の展示は、「心の旅」と称する50人の写真家の写真の展示である。中でも、イスラム教の寺院であるモスクが、主に取り上げられていた。ここで見るモスクの数々は、朝焼け、夕焼けに映し出されたり、目の前の湖に青い空と白い雲が写ったり、空の色との対比が鮮やかな濃いピンク色をしていたりして、息をのむほどに、実に美しい。時間が経つのを忘れて、思わず魅入ってしまった。しかも驚いたことに、雨上がりの森の道を、数人のマレーの子供が楽しそうに語らいながら歩く後ろ姿もある。また、父の手を引いてさも嬉しそうにモスクの階段を登る子供の姿もある。いかにも、人間らしい平和な風景だ。宗教や人種、時代を超越した感がある。私も、暇ができたら機会を作って、是非こういう写真を撮ってみたいものだと、つくづく思う。

イスラム写真展


イスラム写真展


 それから、 ミュージアムショップや図書館の脇を通って、展示室に向かう。その前に、暑い外から冷房が効く建物の中に急に入ったためか、汗がとめどもなく出てきて、シャツがびっしょりと濡れてしまった。このまま館内の冷気に当たり続けると風邪を引きかねないので、身障者トイレで着替えさせてもらった。ひと息ついたので、レストランに行くと、昼食はちょうど12時からだというから、まだ1時間ほど早い。展示を見てからまた戻ることにした。

クチ族の衣装


 いつもの通りの無手勝流で、興味の向くままに展示品を見て行く。個々の展示品に英語とマレー語の説明があるが、暗い上に字が小さいので、見辛いことこの上ない。途中で説明を読むのを諦めて、大まかな題名を眺めることにした。インド・ギャラリーでは、インドの王侯貴族の肖像画、衣装、家具などがある。テキスタイル・ギャラリーでは、アフガニスタンの遊牧民「KUCHI」(クチ)族の女性の衣装というのが誠にカラフルで、非常に印象に残った。これを着て、男性を魅惑するのだろうか。その他、中央アジア系のイスラム女性の衣服は、色使いといい、デザインといい、非常に魅力的である。そういう衣装を、上から下まで真っ黒で目しか出していない、おそらくサウジアラビアからの観光客のような黒づくめの女性が見ているのは、珍妙な風景である。ただ、宗教問題なので、事は微妙である。

マヤ文明を想起させるモチーフのイスラム模様


マヤ文明を想起させるモチーフのイスラム模様


 次に、マレー風のテキスタイルが、いくつか展示されている。今でも 街中で目にするデザインが多い。当地では、歴史的にインドや中国との貿易が盛んで、そういうところから、こうしたデザインが定着していったらしい。まあ、何というか、マヤ文明を想起させるモチーフの文様もある。これは、14世紀から16世紀にかけて全盛期を迎えたチィムール王朝が工芸を尊重して周辺国に広めさせたものだそうだ。そうかと思うと、絹でできた立派な衣装がある。これは、3世紀から7世紀にかけてシルクロードを実質的に支配していたソグド人のものだそうだ。ソグド人といえば、唐の玄宗皇帝時代に反乱を起こした安禄山は、確かソグド人の血を引いている。高校で習った知識が、半世紀ぶりに蘇ってきた。

宝石のギャラリー


宝石のギャラリー


宝石のギャラリー


 宝石のギャラリーは、非常にわかりやすい。ややゴテゴテとしているが、そのまま現代でも使えそうな飾りが多い。例えば、金地に緑や赤の宝石を飾ったパイプは、素晴らしい。青いトルコ石を使った19世紀のネックレスは、誠にモダンなデザインだ。トパーズやサファイアのネックレスも、実に美しい。

武具のギャラリー


武具のギャラリー


武具のギャラリー


 武具のギャラリーには、オスマン・トルコの男性の武具、装飾品、肖像画などがある。特に、ペンダントに入れられた男性の肖像画は、なかなか味がある。誰がどこで、こんなペンダントを身に付けていたのだろうと、不思議に思う。やはり、戦争に行った夫を思う妻なのだろうか。単発式の昔の銃がたくさん並んでいる。しかも、銃把に虎などの動物の像が彫られているから、面白い。クリスという不思議な形の短剣がある。何が不思議かというと、普通の短剣は左右が対照的なのに、これは非対照で、まるで平仮名の崩し文字のような形をしているからだ。まあこれは、説明に文字を費やすより、実際に写真を見た方が早い。

陶磁器のギャラリー


陶磁器のギャラリー


 陶磁器のギャラリーでは、昔の中国から輸入された、イスラム模様やコーラン文字が描かれた陶磁器がたくさんあった。金属ギャラリーでは、精巧加工された銀やブロンズ性の作品が置かれている。硬貨のギャラリーでは、硬貨のツリーや、金貨に目を奪われた。この他、マレー世界ギャラリーというのがあったようだが、残念ながら、気が付かなかった。考えてみると、文化を残すというのは、少なくとも数百年に渡る平和が続き、国民の中で裕福で文化的な生活をする層が一定数いないとあり得ないことだから、その点、まだ時期尚早ということなのかもしれない。

 そういうことで、展示品をあらかた見終わったのであるが、その印象を取りまとめていえば、この美術館は、最初思っていたような「イスラム教そのもの」の美術館ではない。そうではなくて、「イスラム諸国の美術品や民族品」を集めた美術館だということが、よくわかった。だから、最初はモスクに入るような緊張感があったのだけれど、そこまで用心することもなかったというわけである。

 さて、もうお昼がすぎてお腹がすいた。この美術館のレストランに行く。60リンギットのブッフェ・ランチしかない。日本円で1500円ほどだから、食料品が安いこの国では、相当に高い。でも、喫茶メニュー以外はそれしかないので、やむなく注文した。肉の種類を選べというので、鶏肉にした。周りを見ると、あまり客がいないくて、 もう70歳くらいの白人女性が2人、中国人の旅行者らしきカップルが1組、それに日本語を話す男性を含む3人組、それだけだ。

 ウェイターのお兄さんが、「あそこにある」とばかりに、顎をしゃくってブッフェの方向を示す。そちらに行くと、サラダ、豆、卵、干し魚の細片などが、10種類ほどお皿に盛られている。これは、ダイエットに良いとばかりに、全種類を大きなお皿に盛る。ついでに、メキシコ料理のトルティーヤらしきものを席に持ち帰り、また引き返して、お魚のスープをいただいてきた。いずれも 、(「マレー料理にしては」と言うと叱られそうだが)、味が良くて美味しい。トルティーヤもスープとともに3枚ほど続けて食べたので、お腹がいっぱいになった。そうこうしているうちに、 メインデイッシュの大きなお皿が運ばれてきた。うっかり、そんなものがあるのを忘れていた。そのお皿には、カレー味の角切り鶏肉、レタスなどの野菜、こんもりと盛られたお米が、綺麗に盛り付けされていた。それを見ていると、また別腹で食欲が湧いてきて、お米は半分ほど残したが、後は皆、食べてしまったから、我ながら驚いた。ついでに、デザートのムースと西瓜も平らげてしまった。その日は、ドリアンも食べてしまったことから、はてさて帰国した後、果たして体重が何キロになっているかが、目下の気掛かりなことである。


ドリアン





【後日談】 帰国して体重を計ったところ、行く前の71kgが、72kgと、ちょうど1キロの増加にとどまった。あれだけ食べていたことを考えると、上々の出来かもしれない。暑くて外出時には汗をたくさん流したし、それに加えて、毎日ホテルのジムに行って運動したおかげかもしれない。ちなみに、帰国してからさらに気を付けて、1週間後には、70kg台へと落とすことができた。







 イスラム美術館(写 真)




(2017年8月3日記・10日追記)


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