出産直後のママのイライラとウツ

シドニーの教会内の聖母子像


 いささか旧聞に属するかもしれないが、2016年1月31日(日)午後9時からのNHKスペシャル「ママたちが非常事態 〜 最新科学で迫るニッポンの子育て」という番組があった。そこで、出産直後のママたちのイライラやウツ状態の科学的な解明がされていた。改めてビデオを見たところ、その内容は、今年に入って私がたまたま感じていた「皆で暮らすことの大切さ」と同じだったので、深く印象に残った。以下でこの番組の内容を記述していくこととしよう。

 「最近の日本では、出産後ウツに陥るママの割合が7割にものぼっている。その多くは、子育てが上手くいかないのは、母親の自分のせいだと思い込むからだ。しかし、実はそうではない。歴史を辿ると、700万年前に人類とチンパンジーが分かれた。チンパンジーは一匹の赤ちゃんを産むのは5年毎という少産で、産まない間は、その一匹の自分の赤ちゃんの子育てに専念する。ところが、人間は毎年でも子供を産む。それは、集団の中で子育てをお互いに任せたり、分担したりする『共同養育』をするからだ。これで、人間は多くの数の赤ちゃんを産んでも育てられるようになり、だからこそ、人口が増えた。つまり、人間の多産と、進化の過程で獲得した共同養育は『対(つい)』をなすもので、共同養育の欲求は、いわば本能的なものと言ってよい。

 現代の日本は、核家族率が8割にも達する。だから子育ては、母親一人が行っている家庭がほとんどだが、実は母親には、共同養育の本能的な欲求がある。妊娠後にエストロゲンというホルモンが増えていくが、出産直後にピークに達して直ちに急減する。このホルモンの作用で、出産直後の母親は不安と焦燥にかられる。これは、子育てを他人に預けよという体のサインである。

 その頃、赤ちゃんの夜泣きでも、母親が苦しめられる。夜泣きは、自分のせいと思う母親が多いが、そうではない。胎児は、昼も夜もなく、深い眠りと浅い眠りとを繰り返す。夜は、昼より目を覚ます度合が強い。これは、胎児が、母親が目を覚まして活動する昼間に母親から酸素や栄養をとるのではなく、むしろ母体を守るために夜間に目を覚ますようになっている。その傾向が産まれてからもしばらく続く。それが夜泣きというものだ。夜泣きをするのは、人間だけである。

 人間は直立歩行を始めたので、産道が狭くなり、そのため脳が小さく未熟で産まれてくる。大人の脳は1300gだが、新生児の脳は400gである。この小さな脳が、10年の年月をかけて成長する。その初期の幼児期には、人間の衝動を抑える前頭前野が未発達で、これがイヤイヤ期である。これは、2〜3歳の間に起こる。これは、目先の欲求を我慢できないのが特徴だ。ところが、成長につれて前頭前野が発達し、そうすると、イヤイヤがなくなる。それは、思春期までかかる。

 出産前の若い女性が子供の育児を3ヶ月でも体験すると、育児に関係する脳内の部位が発達する。母性は生まれつきあるのでなく、子供の世話をすることによって、脳にスイッチが入り、脳の構造が組み替えられ、子供への母性が生まれるのである。だから、出産前の女性に、赤ちゃんに触れさせることが大事である。

 離婚が多いのは、子供が0〜2歳の家庭である。これも、ホルモンから説明できる。ホルモンのオキシトシンは、脳下垂体から分泌され、出産時、子宮を収縮させ、乳を分泌させるという重要な働きがある。このホルモンは、子に愛情を感じさせる働きもある。ところがその一方、近づいてくる相手を攻撃するように仕向ける働きもある。これまで、オキシトシンは、愛情や絆を強めるホルモンといわれていたが、愛情を邪魔する人への攻撃性が高まる。夫でも育児が下手なら、イライラ感や攻撃性が高まる。データを見ると、出産直後の妻は、ほとんどイライラしている。わずかに妻がリラックスできるのは、授乳のときと、夫が妻の話をそのまま聞いてくれているときだけである。」


 そういうことで、その内容をまとめると、

(1) 初産前の女性は、少なくとも3ヶ月ほどは、赤ちゃんの世話をして母性を育てておくことが望ましい。そうすると、脳の中で母性を育む部位が発達して自分の子育てがスムーズになる。
(2) 赤ちゃんは、共同養育が望ましいし、それが人間の本能に沿っている。
(3) 赤ちゃんが夜泣きするのは、仕方がない。母親のせいではない。
(4) 出産直後の育児を夫はなるべく手伝うべきだが、それができないか、あるいは下手なのなら、せめて妻の話をよく聞いてあげて、リラックスさせてあげること。
(5) 子供が2〜3歳の間に起こるイヤイヤ期は、思春期まで続く。衝動を抑える前頭前野の機能が未発達だから仕方がない。

ということだが、今まで経験的に感じていたことが、ホルモンの分泌や働きで科学的に説明されると、妙に納得できるから、これまた不思議である。それにしても、私の直感と経験に基づく観察も、それなりに科学的にも裏付けられたので、我ながら、少しは自信になった。




(2016年3月25日記)


カテゴリ:エッセイ | 20:45 | - | - | - |
徒然289.熱海梅園

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 もう梅の季節も終わるという頃、まだ熱海梅園で梅が残っているかもしれないと思って行ってみたら、予定より1週間も早く、梅まつりが終わっていた。今年の冬は暖かくて、梅が咲くのが早かったらしい。満開の梅が見られなかったのが残念だったのみならず、途中で雨が降ってきたりもした。それでも、ごく少しだけど梅が残っていたし、中山晋平記念館に入ったり、孫と足湯に行って両足をお湯に浸けて楽しんできた。

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 中山晋平さんというのは、「雨降りお月」、「波浮の港」、「東京音頭」などを作曲した人らしい。その住居を移築したとのこと。典型的な和風建築で、床の間、違い棚、欄間、縁側など、昔の日本家屋を思い出して、とても懐かしい。あれあれ、孫が備え付けのノートに、何か書いている。いたずら描きだと困るなと思って覗くと、自分の名前と「8才」(実は7才なのに、サバを読んでいる)を書いた後に「アタミをだいすきになりました。またきたいです。」などど、まともなことを書いていたので、驚いた。いつの間に、覚えたのだろう。

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 韓国庭園というのがあって、なるほど朝鮮式の建物があり、その脇で朝鮮料理を売っていた。金大中大統領がこの梅園を訪れたのを記念して作られたそうだ。

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 梅園五橋のうち、駐杖橋という橋は、赤く塗られていて優雅な形をしている。その近くの句碑には、「錦浦観潮 夏すでに漲る汐の迅さかな」(武田鶯塘)とあった(漲る=みなぎる)。このほか、

「梅が香にのっと日の出る 山路かな」(松尾芭蕉)

「月光は 流れに砕け 河鹿なく」(波多野光雨)

「梅園や 湯あみの里の 出養生」(石田春雅)

「三界の さとを出あるく 頭巾かな」(斧 三休)

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 梅見の滝というのがあって、11月中旬から12月中旬にかけての紅葉の頃がよさそうだし、6月には蛍鑑賞の夕べがあるという。そうした季節に、また行ってみようと思う。

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 熱海梅園(写 真)





(2016年3月6日記)


カテゴリ:徒然の記 | 21:15 | - | - | - |
徒然288.浜離宮恩賜公園の春

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 浜離宮に菜の花が満開だと聞き、ぽかぽか陽気に誘われて、行ってみた。いただいたパンフレットによれば「ここは徳川将軍家の庭園で、海水を引き入れた潮入りの池と2つの鴨場を備えた江戸城の出城としての役割を果たしていた。承応3年(1654年)、徳川将軍家の鷹狩場に。4代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が海を埋め立て甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子の綱豊(家宣)が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍の別邸となり『浜御殿』と呼ばれるようになった。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、11代将軍家斉の時代にほぼ現在の形となった。明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を『浜離宮』と変えた。関東大震災や戦災によって御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなったが、昭和20年に東京都に下賜された。」とのこと。

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 この日は、お花畑にたくさんの菜の花が植えられていて、あたり一面が鮮やかな黄色に彩られていた。余りにたくさんあるので、写真にははまりにくい。それでも、汐留の高層ビルを背景に撮ると、それなりの趣きがある。菜の花に近づくと、甘い春の香りがする。

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 さらに入っていくと、紅梅と白梅が咲いていて、とても美しい。梅の花にカメラを向けると、たまたま小さなメジロがやって来た。でも、花を撮るためにシャッター速度を遅くしていたので、それを変えて早くする暇がなかった。だから、やっと1枚写真が撮れたものの、メジロの体がややブレてしまったのは、非常に残念だった。

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 それから進むと、新樋の口山という少し盛り上がっているところがあり、そこからはレインボーブリッジが見えた。水上バス発着場を横に見て歩いていくと、潮入りの池に出る。その岸に沿って行くと、木の橋(お伝い橋)がある。これは中島の御茶屋につながるもので、そこを渡って行った先の中島の御茶屋は、なかなか瀟洒な建物で、昭和58年に再建されたもののようだ。そこからさらに橋を渡ると、松の御茶屋と燕の御茶屋があり、それぞれ平成22年、27年に復元された。

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 ここにも、鴨場がある。私も宮内庁の埼玉や千葉にある鴨場での鴨猟に参加したことがあるが、これがまた非常に面白い伝統的な猟だ。池と繋がっている「引堀」という水で満たされた細長い溝を設けて、そこに野生の鴨をおびき寄せる。そんなところに野生の鴨などが来るはずがないと思うが、それがこの猟の巧妙なところである。アヒルを囮に使い、稗や粟などの雑穀をまく。そうすると野生の鴨も警戒感が薄れるのか、引堀の奥の方まで入って来る。それを引堀の突き当りにあるのぞき穴から見て、十分に鴨が入って来たと思うと、合図がされる。身を隠しつつ待ち受けていた我々が、引堀の土手の両脇に、大きな網(二股に大きく分かれた部分に、絹糸で網をこしらえ、そこに柿渋を塗ったもの)を抱えて進出する。再び合図があるので、一斉に飛び立とうとする鴨をその網をふるって空中で捕まえるという手順である。鴨が多いと、面白いように獲れる。

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 しかしながら最近は、地球温暖化の影響か、こういう東京の近場に飛んで来る野生の鴨の数が減ってきており、それに連れて鴨場で捕獲される鴨が少なくなりつつあるようだ。もっとも、かつてはそうして捕まえた鴨をそのまま食べていたようだが、さすがに最近の自然保護の精神の下では、そのようなかわいそうなことはしない。標識を付けて、すぐに放鳥することになっている。

 そうすると、中には毎年のように何度も捕まる鴨がいるというから、そういう鳥は運が良いのか悪いのか、それとも学習しない性格なのか、あるいは餌にありつけるという意味では実はとても賢いのか・・・何ともいえない。でも、もしその鴨が人間の言葉を理解するなら、是非とも聞いてみたい気がする。







 浜離宮恩賜公園の春(写 真)




(2016年3月5日記)


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