六義園の紅葉の外れ年

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 今年もまた、六義園の紅葉を観て、晩秋を味わおうと行ってみた。ところがどうだ・・・いつもの真っ赤な紅葉がない。こういうことがあるのかと、驚いたくらいだ。夜にはライトアップもあるからそれまで残ろうと思って午後遅くに行ったのに、全く、期待外れだ。しかも、池にはいつも群れているはずの寝癖鳥(キンクロハジロ)が全然おらず、鴨がいて、しかもその数はわずかだ。いったい、どうなっているのだろうと思う。気象異常で夏が暑過ぎたのか、それとも最近の朝晩があまり冷えないからか、よくわからない。このままでは、紅葉するまでもなく、葉が散ってしまいそうだ。

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 でも、池に出てみると、池面に青い空が反射して、実に美しい。この池の左手には、小さな石組みがあって、その上にこれまた小さな松が生えていたのだけれど、東日本大震災でそれが崩れてしまった。4年前の3月のことだ。それが、今日見たところ、しっかりと修復されていて、松の木が戻っている。結構なことだ。

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 さて、肝心の紅葉だが、たいていの紅葉の木は、同じ木の中で3分の2がまだ緑色のままで、残る3分の1が少し色づいている。これでは、写真にならないではないか・・・おやおや、あちらにすべてが紅葉している木がある。近づくと、ハゼの木のようだ。漆の木の仲間だから、漆と同様、一面に色づく。かぶれるから、近づいてはいけない。紅くなっているのは、この木だけだ。異常な年である。

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 六義園の紅葉の外れ年(写 真)






(2015年11月28日記)




カテゴリ:写 真 集 | 21:19 | - | - | - |
能面のような子供たち

秋の落ち葉と苔


 家内が通う美容院のお客さんに、心理カウンセラーの女性がいて、その人がこのように語っていたという。「最近では、カウンセリングに来るお客さんの傾向が急に変わってきて、一番多いのが『うちの子が、何かおかしい。まるで能面みたいに、ぜんぜん表情がない。』というのです。症例を集めて、研究しているところです。」

 私は、これを聞いてピンときた。思い出したのは、旧ソヴィエト連邦のコルホーズ(国営集団農場)において、集団保育をされている子供達の写真である。何人もいるというのに、揃いも揃って無表情で、笑うことも、じゃれ合うこともなく、ただ黙って突っ立っているだけだった。昔、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」というアニメがあり、そこに出てくるカオナシそのものだ。まさに、能面のようなのである。

 先に私の見解を言えば、これは子供に対する保育園と親の接し方に原因がある。特に、保育園では、おそらくテレビをつけっぱなしにして、単に赤ちゃんを部屋に転がしているだけなのだろう。ましてや、赤ちゃんを抱き上げたり、顔を見てあやしたり、外出して公園で遊ばせたりするようなことは、全くしていないのだと思う。親も、働いて帰ってきて疲れている中、夕食の支度をしたりお風呂に入れたりするのに忙しくて、じっくり子供の顔を見て、話してあげることができないのだろう。

 赤ちゃんにとっては、ミルクと同じく、大人、特に母親との接触は、何にも増して大事な「精神的な」栄養である。たとえ忙しくても、寝る前に絵本を読んであげるとか、親子が触れ合う時間を大切にしなければならない。能面と言われた子供たちはそういう触れ合いがなく育ったものだから、喜怒哀楽の表現が全くできない、話し掛けても答えられないなどという表情の乏しい子供になるのは、ある意味では当たり前なのである。

 それどころか、先日の栃木県宇都宮市の認可外保育施設の虐待には驚いた。この保育所では、病児を放置して死亡させただけでなく、赤ちゃんが動き回らないように、何とまあ、毛布でくるんで縛っていたというのである。一般に赤ちゃんというのは、まず手足をバタバタさせてその動かす筋肉や神経を育てる。次に幼児となって動き回り、自らの運動神経と手足の筋肉を成長させるものだ。それを縛ってしまうと、そもそも運動どころか歩行もできない子供になってしまうのではないか。こんな非人道的なことがあってよいものかと、思ってしまった。

 日本は人口減少期に入っており、政府は労働力の確保の一環として、女性の社会進出に力を入れている。その結果、働くママが増え、その分、保育所が足りないと、各地方公共団体は大忙しで保育所の整備を進めている。その一方で、こんな悪辣な保育所が見逃されているのでは、次世代の子供を育てるどころではない。保育所の質も、しっかり確保する必要がある。

 ところで我々夫婦が、娘の子つまり我々にとっては初孫のお世話を引き受けて、もう3年近くになるが、我が家に来たばかりの、4歳の頃の初孫くんの様子を思い出す。それまで通っていたのが、日中は原則として外で遊ばせるタイプの英語系保育園だったためか、いやもうワイルドそのものの元気良さだった。能面どころか、喜怒哀楽の塊のような子だ。それは良いとしても、その反面、両親があまりに忙し過ぎて、生活習慣や礼儀を身に付けさせる躾が十分でなかった。それを高い料金を払ってベビーシッターにしてもらおうとしたのだが、子供の元気良さについて行くのが精一杯だったし、所詮は他人なので、親身になって躾などしてくれなかった。

 だから、我々の前に現れた初孫くんは、よく言えばダイヤモンドの原石のような存在、悪く言えばワイルドなモンキーのような状態であった。これを人間社会に適応させるために、家内とともに本当に大変な思いをした。そのときの方針は、危険なときや、本当にけしからぬときを除いて、ガミガミ言わない、叱らない。でも、同じことを繰り返し話し聞かせて、出来るようになるまで忍耐強く待つ。テレビ番組は、良いものだけを厳選して見せる。人並みの勉強はさせるが、その日の調子次第で、無理強いはしないなど、家内が実に上手くやってくれた。かくして、石の上にも3年というわけで、小学校1年生も半ばを過ぎた今では、めでたく人間社会の仲間入りをしてくれている。それどころか、いろいろと教えられたり、人情細やかに気を遣ってくれるようになった。

 我々は、初孫くんが可愛いし、将来まともな人間になってほしいし、また娘にも医者の仕事を続けてほしいから、子育てを手伝ってきた。問題は、そういう信頼できる子供の預け先がない場合である。都内や近郊に親がいないときなどは、公立や私立の保育園に頼らざるを得ない。いやその前に、保育園そのものに入れないというのが現実である。運良く保育園に入れたとしても、所詮は他人に我が子という大切な宝物を預けるわけであるから、特に認可外保育所などについては、事前にどんな保育をしているのか、よくよくその内容を確かめて、自衛するしかないのかもしれない。

 女性の社会進出は、大いに結構なことであるし、またそうしないと、これからの日本は衰退の一途をたどってしまう。それは、社会全体のことだけではなく、個人の幸福にも直結している。だから重要なのであるが、女性が働く職業がアルバイト程度のことではなく、会社の正社員や専門職になるにつれ、男性と同じ労働条件となる。そうすると、当然に疲労も蓄積するし、労働時間も延びる。午後5時に終わって保育園に迎えにいくなどということができなくなるから、子育てどころではない。

 そこを何とかできたとしたとしても、子供が熱でも出したら、どこも引き受けてもらえない。では、どうするかという話になってしまって、やむなく母親が退職を余儀なくされるというのが、世間でよくあることだ。これは、女性本人だけでなく、社会的な損失なのではないだろうか。もっとも、ちゃんとした職業を維持してキャリアを積み重ね、同時に子育てをしっかりと行うということは、気力と体力が伴わないとできない。実に大変なことである。世の中でキャリアウーマンと言われる女性たちは、いずれもこのような厳しい道をたどってきたのだろう。

 これからは、妻が職業を持つなら、夫も「我が事」として、妻以上に積極的に子育てをしないといけない時代である。そうでないと、我が子が能面になってしまう。でも、重要な仕事を任されている婿さんたちには、時間的にも体力的にも、それがなかなかできないのも、また現実である。その兼ね合いが難しい。初孫くんのお世話をして、つくづくそう思った。


【後日談】

 このように書いていたところ、最近の雑誌の記事が目に留まった。それによると、表情の乏しい子供が多くなった原因は、親がiPhoneなどのスマートフォンに夢中になり、子供の顔など見なくなったからだという。現に、そうした子供の出現は、スマートフォンが世の中に広まった時期と一致するというのである。いずれにせよ、幼児期の子供にとって、親や保育者と笑顔を交わして心と心のコミュニケーションを図ることは、何にも増して重要な精神的な栄養である。スマートフォンのせいか、あるいは共稼ぎで多忙なせいかどうかはともかくとして、今やそれすら与えられない世の中になっているとは、何とも嘆かわしいとしか言いようがない。




(2015年11月28日記。12月19日追記)


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国営昭和記念公園の秋 2015年

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 晩秋の季節がやって来たので、また今年も立川の国営昭和記念公園の紅葉を見に行ってこようと出かけた。いつもここは、銀杏の黄葉が見事だ。ところが、残念なことに、銀杏の黄葉は終わりかけ、その一方、楓の紅葉には少し早いという端境期だったので、いささかがっかりしたものの、それなりに広大な景色と紅葉と青い空を楽しんだ。

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 なかでも、立川口から歩いてきたところにある噴水と、青い空に広がる白い雲の組み合わせが美しかった。また、公園のバーベキュー広場にある背の高い「皇帝ダリア」は、威風堂々としていて、これまた良い眺めだった。その脇にあった箒を上にしたような南米産のパンパス・グラス(銀葦)(シロガネヨシ)は、ススキの大型のような草で、大きいだけでなく、穂が美しい。日本庭園の中の紅葉が、赤く色づき始めていた。

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 国営昭和記念公園の秋(写 真)





(2015年11月23日記)


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新宿御苑菊花壇 2015年

第一露地花壇


 最近は晩秋になると、毎年のように、新宿御苑で行われる菊花壇展を観に行くことにしている。例年は菊の勢いが強い内にと思って、なるべく早目に行くが、今年は色々と用事があったり天気が悪くて、最終日の11月15日になってしまった。いただいたパンフレットを引用しながら、鑑賞していこう。

 その前に、なぜこの菊花壇が「皇室ゆかりの伝統を受け継ぐ」というのかというと、まず、明治元年に菊が皇室の紋章に定められたそうだ。それから、宮内省が菊の鑑賞の機会を設けた。「昭和4年から観菊会が御苑で行われるようになりました。大正から昭和にかけては、観菊会の展示の規模、技術、デザインがもっとも充実した時期で、これらによって、新宿御苑はパレスガーデンとして、広く海外に知られるようになりました」という。つまり、今風にいえば、文化的な「ソフトパワー」で海外に発信したというわけである。

 菊花壇展は、日本庭園の周囲に幾つか置かれた、上屋(うわや)という展示用の半屋根の四阿屋で行われる。本来は、中央休憩所近くの中央入り口から入り「第一露地花壇」→「懸崖作り花壇」→「伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇」→「大作り花壇」→「江戸菊花壇」→「第二露地花壇」→「一文字菊・管物菊花壇」→「肥後菊花壇」→「大菊花壇」という順序で回るらしい。過去3年ほどは、そうしていた。

 ところが今年は、新宿門から近い楽羽亭(茶室)の側から入って行った。今から思うと、指示された通路とは逆回りだ。だから、「一文字菊・管物菊花壇」→「第二露地花壇」→「伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇」→「大作り花壇」→「江戸菊花壇」→「肥後菊花壇」→また「一文字菊・管物菊花壇」→「第一露地花壇」→「大菊花壇」→「懸崖作り花壇」と、さまよってしまった。「一文字菊・管物菊花壇」は重なったし、「懸崖作り花壇」は、人に聞いて探す始末。やはり、地図を取り出して説明の通りの順序で見れば良かった。

 しかし、そうやってウロウロしている間に、空を一面に覆っていた雲が晴れて、真っ青な秋空が出てきた。手前には露地花壇、真ん中には日本庭園の池、正面には代々木のドコモタワー、それが池の水に映っており、空の半分は白い雲だ。これは素晴らしい景色だと思ってカメラを向けた。ところが、測光を空に合わせると、青い秋空が美しく写るが、日本庭園の池や第二露地花壇は真っ暗となる。逆にそちらに合わせると、空が情けないほどの薄っぺらい青色になる。HDRだと、上手くいくかもしれないと思ったが、やはり全体がくすんだ感じとなる。


ドコモタワーと第二露地花壇


 これは、手動でやってみるしかないと思って、測光の位置を色々と変えて試行錯誤を繰り返した結果、 何とか1枚だけ、上のような、まあまあの写真が撮れた。それにしても、この露地花壇というのは、菊の植え方から配色から全体のバランスまで、実によく計算された繊細な芸術品だと思う。

 菊を撮りに来たことを思い出し、上屋巡りを始めた。


一文字菊、管物菊花壇


一文字菊、管物菊花壇


一文字菊


管物菊


 一文字菊、管物菊花壇は、パンフレットの説明では「一文字菊は、花びらの数が16枚前後の一重咲きの大輪菊です。花の形から御紋章菊と呼ばれれいます。管物菊(くだものぎく)は、筒状に伸びた花びらが放射状に咲く大輪菊で、糸菊とも呼ばれています」とのこと。大正14年から作り始めているそうだ。このうち一文字菊は、白い紙に支えられて、平べったく咲く美しい菊だ。確かに、紋章に最適な形をしている。「管物菊」や「糸菊」というのも、あまり味わいのない呼び方だが、よくその形を現している。 庭師さん主動の名付けだろうが、もう少し皇室らしい雅びな名前を付けても良かったのではないかと思う。

大作り花壇


大作り花壇


大作り花壇を支える一本の茎


 大作り花壇は、この新宿御苑菊花壇のいわば華で、誠に優美な菊作りの技法である。説明によれば「初冬に出てくる芽を1年がかりで枝数を増やし、1株から数百輪の花を半円休に整然と仕立てて咲かせる技法」である。左右対照の整然とした美しさは、あたかもクラシック音楽のようだ。今年は、白と黄色の2色である。たった1本の木から今年は601輪の花が咲いていた。作り始めは、明治17年という。

伊勢菊花壇


丁子菊花壇


嵯峨菊花壇を支える一本の茎


 伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇は、咲き方が対照的だから面白い。丁子菊は、花の中心が大きくて、しかもこんもりと盛り上がって咲いているから、別名アネモネ咲きという。それとは正反対に、伊勢菊と嵯峨菊はどちも紐のような細い花びらを持っている。ところがその咲く方向が反対だから、不思議な気がする。伊勢地方(三重県松坂)で育てられた伊勢菊は、細長くて縮れた花びらが、だらりと垂れ下がって咲く。逆に京都の嵯峨野で発達した嵯峨菊は、細長い花びらが真っすぐ上を向いて立ち上がって咲く。その3つを同時に並んで 見られるのが、この花壇というわけである。その作り始めは、昭和30年とのこと。

江戸菊花壇


江戸菊花壇


江戸菊花壇


江戸菊花壇


 江戸菊花壇も、なかなか魅力的な花壇である。一つ一つの花びらが奔放に乱れ咲いている。説明によると「江戸菊は江戸時代に江戸で発達した菊で、花が咲いてから花びらが様々に変化し、色彩に富んでいるのが特徴で、そうした花の変化を鑑賞する菊です。新宿御苑の菊花壇の中では最も古い歴史があります。」との由。その作り始めは、明治11年とのこと。

 なお、国立歴史民族学博物館で、「くらしの植物苑特別企画『伝統の古典菊』」というものを開催中で、その説明がとても参考になった。それによると「菊は、日本を代表する園芸植物のひとつです。菊は日本在来の植物ではありませんが、平安時代の宮廷ですでに菊花の宴が流行していることにより、律令期に他の文物とともに中国からもたらされたと考えられています。

 平安・鎌倉時代からは日本独自の美意識により、支配者層の間で独特の花が作り出されました。筆先のような花弁をもつ『嵯峨菊』は京都の大覚寺で門外不出とされ、花弁の垂れ下がった『伊勢菊』は伊勢の国司や伊勢神宮との関わりで栽培されました。そして、菊は支配者層の中で宴に、美術工芸品に、不老不死のシンボルとして特権的な地位を築いていきました。

 それが、近世中頃以降になると大衆化し、変化に富む園芸種の菊花壇や、菊細工の見世物が流行したと言われています。それらの流行を支えたのが、花弁のまばらな『肥後菊』と花弁が咲き始めてから変化していく『江戸菊』です。これらに花の中心が盛り上がって咲く丁子菊を加えた伝統的な中輪種は『古典菊』と呼ばれています。」


肥後菊花壇


肥後菊花壇


肥後菊花壇


肥後菊花壇


 肥後菊花壇は、個々の花を眺めていると、小さい花火のようで、可愛い。「古くから肥後地方で作られた一重咲きの古典菊で、主に武士の精神修養として発達しました。その栽培方法や飾り方は、江戸時代に熊本で確立した秀島流の厳格な様式にもとづいています」とのこと。新宿御苑での作り始めは、昭和5年という。

 ここでいう「精神修養」という意味が今ひとつわからなかったので、インターネットで調べてみると、熊本シニアネットの城 正史(肥後六花)さんの記事が目にとまった。肥後菊栽培の基礎は、文政2年(1819年) に、秀島七衛門(『養菊指南車』)によって築かれたそうだ。明治10年の西南戦争時には菊の苗を市外に分散させて、辛うじて絶滅を免れたと伝えられている。

 続きをそのまま引用させていただくと「明治20年には、同志により『愛寿会』が結成され、肥後菊栽培が本格化した。このようにして、熊本で発達改良を見た肥後菊は、観賞用秋ギクの正常種で中輪ギクに属し、そのわびしさの中に備わる気品と清楚を特性とする。いわゆる日本古典ギクの一種としてみのがすことのできないものである。また、肥後菊は花壇栽培が建前で、一本一本の花にも趣はあるが、全体の総合美に重きをおいているところが、ほかのキクと違っている。肥後菊花壇の前に立つと、あたかも古典美術を鑑賞しているように心がときめき、襟を正さずにはおれない不思議な感懐が湧く。そこには、花壇を精神修養の場と見立て、ここに儒教の教えを表現した、肥後モッコス精神の発露がある。」ということである。侘びの中の気品と清楚、全体の総合美に重きをおく点など、なるほど深く納得した。


大菊花壇


大菊花壇


大菊花壇


 大菊花壇は、これも大作り花壇に並ぶ、この菊花壇の素晴らしい展示である。それにしても、まずこれだけの大ぶりの花を同時に咲かせる技術、それを三色の粒ぞろいの花にまとめる技術は、大変なものである。私の亡くなった父も、晩年はこの大菊に挑戦して、結構綺麗な花を咲かせていたが、これほど粒ぞろいの花を咲かせることまでは、なかなか難しいと言っていた。

 なお、大菊とは「菊の代表的な品種で、花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴です。それを神馬の手綱模様に見立てた『手綱植え』と呼ばれる新宿御苑独自の技法で39品種311株の菊を、黄・白・紅の順に植え付け、全体の花がそろって咲く美しさを鑑賞する花壇です。」との由。作り始めは、明治17年という。


懸崖作り花壇


懸崖作り花壇


 懸崖作り花壇は、菊を長い三角の形に大きく垂れ下がる株に仕立てている独特の花壇で、野性味にあふれている。というのも「野菊が断崖の岩間から垂れ下がっている姿を模して、1本の小菊を大きな株に仕立てる技法『懸崖作り』とよびます。古木の台の上に、花鉢を配色良く並べています。」とのこと。大正5年から作り始めているそうだ。 ちなみに、この新宿御苑の懸崖作りは、「前垂れ型懸崖」といって、古くから伝わる形であるが、このほか「静岡型懸崖」という、犬が横向きに立ち上がったような形のものがある。湯島天神の菊まつりで見たことがある。

 ともあれ、またとない目の保養になった。できれば、毎年、これを鑑賞したいものである。







 新宿御苑の菊花壇 2015年(写 真)





(2015年11月15日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:27 | - | - | - |
東京モーターショー 2015年

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 東京ビッグサイトで開催されている東京モーターショーに行ってきた。モーターショーは、その時々の自動車産業の技術的な課題と自動車会社の戦略が如実に現われるので、メカ好きにとって、これほど心が踊るほど楽しいものはない。今回は、「スズキ」が気を吐いていたし、「ホンダ」が自動車の原点のような「走る楽しさ」のようなものを見せていたのが印象に残った。それに、乗用車ではないが、「三菱ふそう」のまるで千手観音のような作業車が、実に面白かった。

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 まず「トヨタ」だが、プリウスの最新型が置かれていて、燃費性能をさらに向上させて目標40km/リッターとしたようだ。面白かったのは、「KIKAI」で、メカがそのままむき出しになっている車だ。説明によると「機械は本来、人間の思想や情熱や知恵が生み出す愛すべき身近な存在です。クルマを人の手が生み出す“機械”と捉え、その美しさ・精巧さ・動きの面白さなど、豊かな魅力を伝えることを目指した『TOYOTA KIKAI』。 このクルマを通して、今まで見えなかったものに気づき、モノに触れる暮らしのよろこびを発見して欲しいとの想いを込めました。 従来のクルマの常識にとらわれない、新しい魅力の提案です。」ということだ。しかし、20世紀前半にまた戻ったような、骸骨のようなメカがそのまま見えるこんなスタイルに、人々が馴染めるかどうかは別問題だろう。でも、時計でいえば、その中の歯車などがそのまま見えるようなもので、私には、興味深いものだった。

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 トヨタ・レキサスブランドの「RCF」というスポーツカーは、なかなかスタイリッシュで、素敵な車である。

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 「三菱」も、かなり頑張っている。Mitsubishi eX Concept(表紙の写真と上の写真)は「三菱自動車が提案する電気自動車のコンパクトSUVです。三菱自動車ならではの電動化技術と四輪制御技術をはじめ、コネクティッドカー技術と予防安全技術を組み合わせた自動運転(準自動走行)技術などを採用しています。デザインは、コンパクトSUVにシューティングブレークのもつ上質さとクーペスタイルを融合させ、キビキビと街を疾走するスポーツクロスオーバースタイルを提案しています。また、フロントはデザインコンセプト『ダイナミックシールド』をベースに新しいデザインを提案。エクステリア、インテリアのすべてでこれからの三菱自動車のデザインの方向性を示しています。」とのこと。ただし、あまりに技術的・感覚的な物言いで、何を言っているのか、よくわからないのが難点だ。もう少し、素人にもわかるような表現にしてもらいたい。

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 「スズキ」は、エアトライサーというミニバンが非常に目新しかった。というのは、駐車中に座席配置を自由に替えられるのである。扱いやすいボディーサイズに、プライベートラウンジをコンセプトとした広い室内空間とこだわりのシートアレンジを備えた、新発想のコンパクト3列シートミニバン。駐車中には、シートを対面に配置するリラックスモードや、コの字型配置のラウンジモードにアレンジが可能。また、Bピラーから天井までつながる大画面モニターでスマートフォンのコンテンツを楽しむことができる。移動中だけでなく、駐車して仲間と過ごす時間も考えた、これまでになかったミニバンを提案する。」とのこと。

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 そのほか、軽自動車でも、車椅子を乗せることができるものがあるとは、知らなかった。高齢化社会を迎えて、特に地方では重宝すると思う。

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 「ホンダ」では、まず、燃料電池車の「クラリティ」が目に入った。「Hondaは、自由な移動の喜びと、豊かで持続可能な社会の両立を目指して、水素をエネルギーとして、CO2や排出ガスを一切出さない「燃料電池自動車(FCV)」を1980年代後半から研究開発に取り組んできました。そして2015年、東京モーターショーにおいて、ガソリン車同等の使い勝手と燃料電池自動車ならではの魅力を融合した「新型FCV(仮称)」を提案します。Honda独創の技術により、市販車として世界初、セダンのボンネット内に燃料電池パワートレインを集約し、大人5人が快適に座れるフルキャビンパッケージを実現。さらに、700km以上の航続距離や、短時間での水素タンク充填、高出力モーターが生み出す爽快な走りを可能性にしました。」という。これからの車社会が、電池自動車に行くのか、燃料電池車に行くのか、それとも水素自動車なのかはまだわからないが、実用的という意味では、燃料電池かもしれないので、期待できそうだ。

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 「Honda WANDER WALKER CONCEPT」というのは、「自由に移動する喜びをもっと広げたい。移動することで出会う発見やドラマをもっと多くの人に体験して欲しい。そんな想いからHondaは”WANDER=自由に動き回る”をコンセプトにしたモビリティー開発に取り組んでいます。大人2人が並んで乗車できる空間をコンパクトなボディーの中に実現し、全方位駆動車輪機構『Honda Omni Traction Drive System』を応用。細い路地にも気軽に入れて、前後、真横、斜めへの移動も自由自在、新感覚のドライブフィールを味わえながら、自動運転モードに切り替えることも可能です」ということだが、都会の狭隘な路地をチョコチョコ動き回るという発想か。私の住んでいる東京の下町など、ちょうど良いかもしれない。

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 ああ、これが復活したNSXかと、思わず嬉しくなった。昔、最初にこの初代が発売されたときは、とうとう車のボディがアルミになったかと感動したものだ。「ドライビングプレジャーを追求しつづけるHondaのひとつの到達点、それが新型『NSX』です。初代NSXのDNAを継承し、徹底して軽量化を図ったボディーに新開発の縦置き直噴V型6気筒ツインターボエンジンをミッドシップに配置し、走りと環境性能を両立した革新的な3モーターシステム『SPORT HYBRID SH-AWD』を搭載。エンジンと、高効率モーターを内臓した9速デュアル・クラッチ・トランスミッションを組み合わせるとともに、前輪を左右独立した2つのモーターで駆動させ、四輪の駆動力を自在に制御するトルクベクタリングを実現することで、全速度域でのラインとレース制を画期的に向上させています。」との由。かなり進化したようだ。

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 「ベンツ」では、すごい外見の車を見た。コンセプトカー「Vision Tokyo」で、正面から見ると噛みつかれそう、横から見たら窓がない。後ろから見ると、まるでロケットの噴射口のようである。でも、あまりにも説明不足で、この車は何のコンセプトか、今一つ分からなかった。動くラウンジとでも言うのかもしれない。

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 「三菱ふそう」では、「スーパーグレートV スパイダー」が、感動するほど面白かった。作業車なのだけれど、まるで、千手観音のような車両だからだ。「ナックルブームクレーンを4基搭載し、多機能でパワフルな『働くクルマ』をイメージしたコンセプトモデルです。ナックルブームクレーンは、作業用途に応じてアタッチメントを選択・交換することで、マルチに作業をこなします。」。つまり、作業台に4本の柱があって、それぞれに腕が出ていて、その先にあるものを取り換えれば、工事現場の大抵の作業ができるようだ。パケットなら土すくいと移動、ドリルなら穴掘り、5本アームなら掴むこと、4本アームだと丸太掴みなどで、なんでもできそうだ。これは、凄いの一言である。

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 「トヨタ車体」が、「コムス コネクト」という「ビジネススタイルや生活スタイル、街づくりまで変わっていく未来。パーソナルモビリティの先駆者であるトヨタ車体が思い描く、人とクルマと社会をつなげる、マルチパーパス超小型モビリティ」なる車を出店していた。一人乗りだが、座席が真横になるから、斬新なデザインである。

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 「アルファード エルキュール コンセプト」というのも、南欧のヨットハーバーへ向かう途中、心地よい潮風を感じながら仲間とシャンパングラスを傾ける。そんな休日の過ごし方が似合う、開放感に満ちた上質な室内空間を備えたオープンクルーザー」ということで、座席がまるで航空機の座席のようだし、屋根の後ろ半分からリア・ウィンドゥにかけて、蛇腹になっているから、太陽を燦燦と浴びることができそうだ。真夏の日本では無理だが、春や秋には気持ちよく走れるだろう。

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 「日産車体」の「NV200タクシー」は、ニューヨークへの売り込みに成功したイェロー・キャブを思い出させるタクシー仕様の車だ。天井が高いし荷物がたくさん積めるから、なかなか実用的だ。そういえば、先日、赤坂見附の交差点を歩いていると、この車が走っていて、その側面には「この車は普通の料金です」と書いてあったのには、思わず笑ってしまった。料金が高いのではないかと利用者が警戒するらしい。

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 「アウディ」の「Audi R8 V10 plus」は、前部から見るといかにもドイツ社らしい質実剛健な車だが、後部はポルシェを思い出させる華やかさがある、なかなか面白いデザインの車で、見ていて飽きない。2台の車に乗っているようなお得感がある。日本のメーカーには、なかなかこういうデザインはできないだろうと思う車だ。「Audi史上もっとも速く、もっとも運動性能に優れたロードカーがこの新型Audi R8です。2006年に初代がデビューして以来9年ぶりのモデルチェンジです。初代の技術的特徴であったミドシップレイアウト、ASF(アウディスペースフレーム)による超軽量ボディ、自然吸気のV10エンジン、quattroフルタイム4輪駆動システムなどは継承しつつ、すべての点で進化を果たしています。ボディは、従来からのアルミに加えて、乗員セルの主要部分にCFRPを用いることで、重量をさらに削減すると同時にボディ剛性を高めています。5.2 FSIエンジンは、449kW(610PS)、560Nmを発揮し、新型Audi R8を静止状態から100km/hまでわずか3.2秒で加速、330km/hの最高速を可能にしています。」とのこと。ドイツのアウトバーンを走るのには、ふさわしい車だろう。

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 「Audi A4/A4 Avant」も、デザインがなかなか素晴らしい車だ。「Audi A4の新世代モデルです。従来どおりボディはSedanとAvantの2タイプで、アウディらしい優美さとスポーティネスを兼ね備えたそのスタイリングは、クラス最高のCd値0.23(Sedan)を実現しています。ドライブシステムは、FWDとquattroフルタイム4輪駆動システムの2タイプ用意され、両仕様ともエンジンは2.0 TFSIユニットが搭載されますが、パワーは140kW(190PS)と185kW(252PS)の2種類を用意。従来比で燃費効率を大幅に改善し、あるいは出力を大幅に向上させました。」という。ただ、展示では、車よりも可愛いモデルさんの方が、皆さんの気を引いていた。

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 「ポルシェ」の「パナメーラ S E−ハイブリッド」は、いかにもポルシェらしい車だ。「ポルシェはパナメーラ S E-Hybrid はラグジュアリークラスで世界初 となるプラグインハイブリッドモデルです。最高出力 416 PS 、電気モードでの航続距離は最大 36 km に達します。 燃料消費量(NEDC)がわずか 3.1 l/100 km 、CO2 排出量はわずか 71 g/km に抑えられ環境性能はコンパクトカーと同等レベルながらポルシェの名にふさわしいスポーツ性能を誇ります。その驚くべき効率とスポーツ性能はポル シェの誇る駆動テクノロジー、パッケージ ング、バッテリーソフトウェアのノウハウにより支えられています。」 だそうだ。

 昔、某産油国の首長の弟の家に行ったら、ポルシェが大好きなようで、色とりどりのポルシェが何台も、その家の前に並んでいたことを思い出す。会って話してみると、ややシャイな普通の人という印象を受けた。しかし、それからしばらく経ってから、その当時、財務大臣となっていたその人が、国家財政に何千億円もの穴を開けたという話が新聞に載っていたので、驚いたことがある。現在は欧州に滞在しているという話を聞いたが、趣味はポルシェにとどめておけばよかったのにと思う。


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 「NISSAN CONCEPT 2020 VISION GRAN TURISMO」は「『ニッサン コンセプト2020 ビジョン グランツーリスモ』は、『グランツーリスモ』シリーズを開発したソフトウェア会社『株式会社ポリフォニー・デジタル』と日産の協力のもと、『プレイステーション 3』専用ソフトウェア『グランツーリスモ6』の『ビジョン グランツーリスモ』プロジェクトの一環として制作されました。多くのプレイヤーがヴァーチャルな世界で、日産ならではの卓越したパフォーマンスとイノベーションを体験しています。」 とのことである。

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 「マツダ」の「Mazda RX-VISION」は「新しさの中にスポーツカーの正統を感じさせる、マツダのスポーツカーの歴史を凝縮させたようなスタイリングを備えたモデル。東京モーターショーにおいて、デザインの全容を公開する。」という事前の触れ込みであったが、なるほど現物はなかなか素晴らしい車だった。それにしても、せっかく開発した断面がおむすび型のロータリーエンジンは、確か燃費がすごく悪くて、販売を中止したが、それからどうなったのだろうと思う。改善したのだろうか? なお、この車の写真を撮ったら、天井からの光が一部に当たって、光り輝いていた。






 東京モーターショー(写 真)




(2015年11月 8日記)


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