古河庭園の秋薔薇

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 もう10月下旬となり、秋薔薇の季節となった。西ヶ原の旧古河庭園では、恒例のバラ週間がもう明日で終わるという日に、タムロンのレンズ16−300mmを付けて撮りに行った。天気は快晴で、やや風が強い。その中での撮影である。撮った写真の不要なところをボケさせようと思って、わざわざ望遠側の焦点距離200〜300mm、f値5〜6.3、シャッター速度1/250〜400秒の範囲内で撮っていたのだけれど、どうも焦点が合わず、しかもシャープさに欠け、全体的にボケた画像となった。

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シャルル・ドゥ・ゴール

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ローラ

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初 恋


 もう少し、くっきりした画像を撮りたかったに、いささかがっかりした。撮り方が悪かったのか、風でバラの花が揺れていたためか、それともシャッターを押すときにブレたのか、おそらくそのすべてかもしれない。シャッターを押す際に、さすがのVC(Vibration Compensation)という補正機構も、うまく補正できなかったということか。三脚が使えないから仕方のないことではあるが、それにしても、少し残念である。

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クリスチャン・ディオール

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ブルーライト

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丹 頂


 これなら、元のキヤノン EF−S 18〜135mmのレンズの方がよかった。やはり、二兎を追うものは・・・の類である。でも、このレンズの欠点はわかった。今度は腕の両脇を締め、焦点距離をあまり長くしないで、シャッター速度を少し上げて撮ってみよう。このほかの原因を考えてみると、焦点の測光範囲が中途半端だったのかもしれない。やや絞ったつもりだったが、むしろバラの中のどこか一点に合わせるべきだったかもしれない。こういう試行錯誤を繰り返さないと、レンズに習熟できないのだろうなと思う。

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リオ・サンバ

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バラのコンサート


 なお、今回、面白かったのは、バラの花の上にカマキリが乗っていたことである。見物人のご高齢のご婦人によれば、これはバラの花に来る蝶を狙っているのだという。美しい花にも、恐ろしい仕掛けがあるものだ。また、恒例のバラのコンサートが行われていた。バラの花を眺めながら。バッハや日本のメロディーを聞くのも、なかなか良いものだ。




 古河庭園の秋薔薇(写 真)



(2015年10月25日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:53 | - | - | - |
川越祭り 2015年

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 昨2014年に引き続き、今年もまた、川越祭りを見物するついでに撮りに出かけた。昨年と同じで、やはりキヤノンEOS70Dのカメラを肩からぶら下げているのだけれど、今年はレンズを一本で済ませるために、タムロンのレンズ16−300mmを付けている。昨年は川越祭りについて色々と書いたので、今年はこのレンズの性能を確認することを主目的にしよう。

 さて、今日は日曜日だから山車揃いはなく、山車巡行の日だ。川越市役所前に行き、行き交う山車をこのレンズで撮ってみた。まあ、そのすごい性能には驚嘆する。たとえば、この山車は「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」(岸町2丁目)だけれど、37mmの広角で撮ると、3階建ての山車の全体像が写る。ところが同じ場所から、今度は300mmの望遠端で撮ると、姫のお顔が画面いっぱいに広がる。細かい髪飾りまで写っている。これほどの性能とは思わなかった。


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 最近は歳のせいか遠くがあまり見えなくなって来たから、これほど遠方がよく見えるというのは、本当に有り難い。次の山車は、「八幡太郎(はちまんたろう)」(野田五町)である。なかなか凛々しい姿形をしている。平安時代後期の武将で、源義家のことらしい。源頼朝の祖先で、白河法皇につかえていたようだ。関東各地では英雄である。このときの山車の演技者は、お猿さんだ。

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 それにしても、市役所前でずーっと演技している山車がある。直射日光が当たる中で、ご苦労様なことだと思ったら、それもそのはずで、川越市そのものの山車「猩猩(しょうじょう)」であった。赤い毛で顔も背中も覆われている。猩々というのは、確か猿のような想像上の動物だったはずだと思いながらインターネットで調べてみると、この姿は能の猩々という演目のシテだそうだ。その前を、「八幡太郎」が通り過ぎるとき、挨拶のために向かい会った。

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 時間的に前後するが、「太田道灌(おおたどうかん)」(連雀町)の山車が来た。太田道灌は江戸城を作ったので、関東では祖先の英雄のようなものだ。右手を額に持ってきて日の光を遮り、遠くを見ているような姿勢をしている。弓矢を持ち、スカートのように履いているのは、毛皮のようだ。よく見ると、市役所の脇にある太田道灌像と同じだ。

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 「家康」(脇田町)の山車が近づいてきた。徳川家康は、誠に立派な衣冠束帯の姿である。太田道灌の山車と向かい合って立つと、まるで歴史的偉人の会見のようで、面白い。

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 さて、市役所前を離れて、札の辻交差点から時の鐘方向へ、人出でごった返す蔵造りの街並みを歩く。「弁慶(べんけい)」(志多町)が真っ青な空を背景にやって来た。足元に幼子が二人配されている。それもあってか、山車を引く一行の前に、幼い子たちが目立っていた。とても、華やかである。この山車に乗って演技をしていたおかめさんは、とても上手に踊っていた。

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 埼玉りそな銀行前に、幸町(さいわいちょう)の会所があり、その山車「小狐丸(こぎつねまる)」があった。手に槌のようなものを持っているが、何だろうと興味が湧いた。ネットで調べてみると、これは、能の「小鍛冶」に出てくる話が元になっているらしい。帝の守り刀を打つべしという勅命を受けた三条小鍛冶宗近は、相方となって一緒に槌を振ってくれる者がいないので、一度は断ろうとした。ところが、家の向かいのお稲荷さんに祈願したところ、お稲荷さんの狐が化けた男が現れ、ともに槌を振るって立派な刀を仕上げることができた。だから、小狐丸とは、狐様の化身ということらしい。なるほど、槌を持っているのは、そういうことなのか。

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 この祭りの主役は、山車とともに、山車の前面の舞台で踊る、おかめ、ひょっとこ、猿、天狐、獅子などの踊り手とともに、囃子である。どれを見ても聞いても面白い。かなり遠くから、しかも踊りの動きは結構早いので、果たして上手く撮れるかどうか心配だったが、このタムロンのレンズは大丈夫だった。

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 さて、夕方になってきたので、夜の部に備えて食事をしておこう。川越名物は鰻だから、それを食べようと大きな通りのそれらしきところに入った。特上の鰻が3,000円という、東京ではあり得ない値段になっている。運ばれてきた鰻重に口を付けてみると、タレの塩味がやや強いが、とても美味しい。食が進むというものだ。

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 午後5時半が過ぎると、もう辺りは暗くなる。そこへ、電飾を付けた山車が、大勢の引き手にひかれて通りを練り歩く。暗い中、それらが近づき、目の前を通り過ぎると、提灯が揺れ、囃子の音が響き、踊り手はますます熱が入って、素晴らしい踊りを見せる。山車が各町内の会所前にさしかかる時や、あるいは通りで他の山車とすれ違う時には、山車の正面をそちらに向け、囃子の儀礼打ちと最高の踊りを見せる。それに、手に手に提灯を持ったたくさんの曳き手が「せーのぅ」という合図とともに「わっせ、わっせー」と飛び上がって声援を送る。いやもう、幻想的な夢幻の世界にいるようだ。これを曳っかわせという。川越祭りの一番の見せどころで、見物人まで興奮するクライマックスである。

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 中町の会所前に八幡太郎の山車がさしかかり、囃子の儀礼打ちとひょっとこの踊りが演じられる。ああ、あちらの方から、昼間に見られなかった山車の「三番叟(さんばそう)」(六軒町)がやって来た。直角の交わる形で山車の「猩猩」がやって来る。曳っかわせが始まると思った瞬間、タムロンのレンズに問題が発生した。自動のピントが合わないのである。撮ろうとしている特定の画面の一部にごく明るいところがあると、ピントが合わないからシャッターが切れないのである。最初はとまどったが、焦点距離を前後に動かしたり、ピントの範囲を調整したり、焦点位置を変えたりしたら、やっとピントが合って、撮ることができた。しかし、山車は動くから、あれこれとやっている内に行ってしまう。急いでいるときは、マニュアルにするしかない。キヤノンのレンズでは、あまりこういうことは起こらなかった。タムロンは、夜で、コントラストがきつい時に、こういう現象が起こるようだ。これから気を付けよう。

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 それでも、夜で、群衆にもみくちゃにされながら、三脚も使わずに手持ちで、よくこれだけ撮れたものだと感心する。カメラも良いけれど、タムロンのレンズもなかなかのものである。おお、蔵造りの通りを、「八幡太郎」と「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」の山車が行き交う。囃子と踊りと、光と山車とが絢爛たる夢幻の境地に誘い込む。これぞ江戸の世界か・・・素晴らしい。

 なお、地元の人と話していると、山車は全部で24台もあるらしい。そのうち、今年は13台だけ出ているそうな。今年の山車で、とうとう最後まで人形が見られなかったものの名を挙げると、竜神、住吉大明神、鏡獅子、徳川家光、松平信綱の5台である。






 昼の川越祭り( 写 真 )


 夜の川越祭り( 写 真 )





(2015年10月18日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:57 | - | - | - |
両国の水芸

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 両国のシティーコアというところで、「水芸」が披露されるという。かつてテレビで見たことはあるが、実際にこの目で観るのは初めてだ。では、行ってみようという気になった。両国駅で降りると、横綱の額に迎えられる。駅を出て左折し、国技館通りを国技館とは反対側に進む。歩道には、大きな台座の上に銅製の力士像が乗っている。立っている姿もあれば、横綱の土俵入り姿もある。緑青をひいた像なのに、通行人に触られるせいか、出っ張ったお腹のところだけは地の銅色が出ているから面白い。

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 国技館通りをそのまま歩いていき、京葉道路を渡ったところのマンションのようなオフィスビルのような所が会場らしい。その横は、あの回向院だ。そうするとこのシティーコアというのは、旧国技館跡に建てられたものということだ。今は「L」字型に建てられた二つの高いビルと回向院に囲まれた青空スペースで演じられるみたいだ。時間割というものがないので、何が何だかわからないが、とりあえず見物人の中に混じって座る。

 そのうち、司会のお姉さんが出てきて、水芸は1時からだという。それでは、結構時間がある。暇だからインターネットで水芸なるものを調べてみた。すると、「日本古典奇術『水芸』」という大学の紀要があった(愛知江南短期大学39(2010) 河合勝・斎藤修啓の両氏)。それによれば、こういうことらしい。

 日本固有の手品「水芸」は、江戸時代初期の1665年にはもう文献に現れていて、水からくり、水仕掛けなどと呼ばれ、噴水の原理、つまり「水を高い位置から細い管の中を通し、管の先を上に向ける」を利用している。楽屋裏の高いところに水を入れた桶を幾つも置き、そこから樋、竹、金属の管などを通して水を導いて噴出させたという。

 「江戸末期から明治前期にかけて水芸を得意とした手品師は、養老瀧五郎と吉田菊丸である。養老瀧五郎(後の養老瀧翁斎)は、興行ビラに『水の曲』と入れるほど、水芸を得意とした。舞台における水芸の創始者は養老瀧五郎であるといっても過言ではない。一方初代吉田菊丸は水芸と水中早替りを十八番とした。二代目吉田菊丸は明治19年(1886年)に吉田菊五郎と改名し、翌20年には大阪・角座で改名披露興行をおこなったが、舞台全体が水であふれるほどの大掛かりな水芸ショーを繰り広げた。見世物研究家の樋口保美によれば、『裃姿の太夫が出て、下座の “千鳥” や “手まり唄” などのにぎやかな囃子に合わせて、扇子の先や湯飲み茶碗、刀の刃先、花瓶などから太く細く、長く短く、次々と水を出す。最後に後ろの黒幕が切り落とされると、天女姿の美しい女が四、五人宙吊りで登場し、手に持った花束から一斉に水を噴き出す。舞台の前後左右に仕掛けた数百本の管から水しぶきが入り乱れて噴出し、と同時に五色の花火が火炎をあげ、水と火の祭典となって幕となる』。当時の水芸は、噴水の中に蝋燭や松明の火、花火などを取り入れていた。すなわち『陰陽水火の術』である。いずれにしても吉田菊五郎の水芸は、今日の水芸とは一味違う芝居がかりのスペクタクルな水芸であり、口上、お囃子、仕掛け、演技、演出面において、驚くほどの力量を持っていたと推察され」るという。そして、水芸の第一人者となった松旭斎天一が登場する。

 「天一は上海から帰国後の明治13年ごろ独立し、芸名を松旭斎天一と改め、大阪・千日前で旗揚げ興行をした。『明治奇術史』によれば、時期は不明であるが、松旭斎天一は中村一登久から水芸の手ほどきを受けたという。それを示す記録は一切残っていないが、天一の水芸の中にそれを思わせるふしがある。明治 21 年文楽座での興行の水芸図に刀の刃に卵を積み、そこから噴水する絵が描かれている・・・また、明治22年の両国回向院や明治32年の興行ビラに描かれた『陰陽水火の遣い分け』は、まさに一登久のそれと類似する。天一は明治34年7月から38年5月まで、アメリカ、ヨーロッパ巡業を実施したが、このときは火を使わない水芸を演じた。海外巡業で天一の『水芸』と『サムタイ』は欧米人に高く評価された」という。ここに「両国回向院」とあるが、まさにこの場所ではないか。次に、昭和期以降の水芸はというと、

 「昭和20年以降、水芸は二代目松旭斎天勝、松旭斎椿、松旭斎正恵らによって受け継がれた。 しかし、舞台で水芸を披露するには、大がかりな装置と何人かの裏方を必要とする。そのような中、藤山新太郎は水芸の装置と道具に画期的な改良を加え、屋内外でも実施できる方法を考案した。平成9年(1997 年)、土戸直哉(芸名:藤山新太郎)は『水芸の装置及び水芸の道具』 で発明特許を出願した(注)。そして、2009年 7 月北京で開催された第24回FISM世界奇術大会で、 藤山新太郎と東京イリュージョン所属の藤山晃太郎、小林大郎、和田奈月、高橋花子は約2000人の世界のマジシャンの前で、日本の伝統芸『水芸』を披露し、嵐のような拍手を浴びた。」と、ここまで読んだところで、本日の舞台脇の演題と演者に目をやると、『藤山新太郎』とある。ああ、この人ご自身ではないかと、初めて気がついた。それにしても、奇術の種で特許を出願するなんて、誠に斬新なアイデアだが、それは一体、何だろう、種を一般に知られてしまったら、マジックでなくなるではないかとも思う。産業上利用できる技術的思想を保護するものとはいえ、まさかこんなところにも特許制度が活用されているとは知らなかった。結構なことである。


(注) 原文では「発明特許を取得した」としていたが、2020年3月26日、マジックネットワーク代表 中村安夫氏の指摘により、「発明特許を出願した」と訂正した。その理由は、審査請求をしなかったために取下げとみなされたことによる。この点、同氏に御礼を申し上げたい。



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 さて、水芸の舞台が始まった。背の高い紺色の背景に、その藤山新太郎さんらしき見栄えのよい裃姿の年配の方が出てきて、赤い橋の上に座って、まず両袖の行灯から水を出した。それも、ちょっとその上に手をやるとピタッと水が止まったかと思うと、また手を振ると、水が上がる。水と高さは3〜4mはあると思う。意外に高い。背景が紺色だから、よく見える。また、いったん水を止めてから、別の棒を差し掛けると、その棒の先に水の噴出が移っていく。あるいは、掛け合い漫才よろしく、お手伝いの助手の頭からも、水を噴出させたりしている。なかなかコミカルだ。

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 おやおや、若い女性が二人、舞台に出てきて、優雅な身のこなしを見せる。その両手に菖蒲の棒を持っていたかと思うと、その先からも水が噴出している。これは、携帯用の水の噴出器だ。でも、結構な高さの水が上がる。どういう構造になっているのかと思う。やがて、あちこちから水が噴き上がるクライマックスを迎え、背景に色とりどりの布が降りてきて、舞台は終わった。なるほど、これがそうかと感心した。

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 お昼は、せっかく両国に来ているからというので、伊勢ヶ濱系らしい巴潟でちゃんこ鍋を食べたが、量をセーブしたせいか、かなり美味しく食べられた。ただでさえ量が多いのは確かだけれど、味が薄いから、時間をかければ、いくらでも食べられる気もしないではない。

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 最後に、これもせっかくだからと、駅の反対側に回って、江戸東京博物館に立ち寄った。たまたま「浮世絵から写真へ」という特別展示を見た。初期の写真で、鶏卵紙に焼き付けたものがあり、線がくっきりと出ているのに驚嘆した。また、明治の高官の奥方で、日本髪を結っていた写真があったかと思うと、同一人物の鹿鳴館風の洋装写真があり、これがとても良く似合っていて、これにも驚いた。

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 それから常設展も見たが、芝居小屋、日本橋、江戸の模型は昔とほとんど変わらなかった。しかし、戦後の高度成長期の家屋や電気製品の展示が新しくなったようで、ふと見ると、私が子供時代の家電製品などが、なんとまあ、「歴史的文物」として並んでいた。チャンネルを回すタイプの「テレビ」、ご飯を炊く「お釜」、電気ではなく氷で冷やした「氷冷蔵庫」、洗濯槽で洗ったばかりの濡れた洗濯物の水分をローラーで濾しとる「ローラー付きの洗濯機」などだが、親子連れがこれらを「これは一体、何だろうね」と話していているのには参った。もう、私の知っている世界は、もはや完全に過去の歴史的遺物になってしまっているらしい。

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(2015年10月11日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:01 | - | - | - |
シーテックのロボホン

ロボホン


 我が国最大の情報技術・家電見本市といわれる「シーテック(CEATEC)」に、足を運んだ。幕張メッセなので、文京区の自宅から1時間半くらいかかるかと思ったら、案外近くて、海浜幕張駅まで1時間ほどで着いた。しかし、それからが、どうにもいただけない。7〜8分ほど歩くのだが、道路も街もだだっ広くて、しかもグレーのモノトーンだから、歩いていてさほど楽しくない。今回は見本市に行くから、単に人の群れが行く方について行けば良いだけのことだ。だからまだよいものの、これが一人で行くとなると、途中で行く気が失せてしまうのは確実だと思いながら歩き、やっと着いた。

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 あまり時間がなかったものだから、ゆっくり見て回る暇もなかったが、なかでも印象に残ったものを記しておきたい。まず、日本の名だたる大企業があまり参加していない。わずかにホンダ、三菱電機、NECがブースを出しているくらいで、トヨタ、日立、ソニー、ドコモ、東芝がいない。もっとも、東芝は例の会計不祥事でそれどころではないのかもしれないが、我が国を代表する見本市を標榜しながら、これでは寂しい、それだけ、国内市場に魅力がなくなったのか、それとも各社に研究開発力や誇るべき新製品がないということだろうか。その代り、中国企業の進出が著しい。ファーウェイ(華為技術)は最新の携帯端末、BOE(京東方科技集団)は4Kや8Kどころか、10Kのテレビまで展示していた。

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 それでは、個別の新製品や会社で目に付いたものを挙げていきたい。最初は、「みらい翻訳」のAI翻訳ロボットである。なかなか可愛くて愛嬌があったが、残念ながら翻訳内容はまだ使いものにならないような印象を受けた。しかし、こういうものは日進月歩だから、IBMのワトソンのように急激に力を付けてくるので、明日のことは分からない。今は2〜3歳のレベルとすると、あと5年もすれば中学生レベル、さらに10年もするとちょっとした大人か、あるいは専門分野を限ると専門家並みのレベルに達しているかもしれない。そうすると、現在でも既に銀行の案内役にワトソンが使われ始めたように、単純な知識を使う程度の仕事は、ロボットに取って代わられるのは確実だ。

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 テスラ・モーターズの電気自動車があった。いかにも高級車仕様だ。モデルSというらしい。価格は、1000万円程度という。ボンネットが開けてあって、当たり前だがエンジンはなく、単なる荷物置き場の空間になっている。では後部のトランクはというと、もちろんこれも荷物置き場だ。でも、スペースは思ったより小さかった。ということは、バッテリーはシャーシの上に並べて、座席の下にモーターがあるのかもしれない。各車輪の中に小さなモーターを入れ込むという方式もあるが、そうではないようだ。アメリカ企業らしく解説も何もないから、よくわからない。

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 オムロン、昔の立石電機のブースがあって、人間とピンポンをしている機械があった。卓球ロボットだそうだ。結構それなりに難しい球でも、ミスなく打ち返している。これは、凄い。こんなこと、ほんの数年前までは不可能だった。高速度カメラと正しい瞬時の演算、自分のラケットの制御機能を備えていて、球の来るコースを把握し、当たるところに自分のラケットを持って行って、しかも適度に打つという動作がいる。その一連の制御を完璧にしないと、こんなことは出来ない。いやはや、驚いた。

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 NECの天頂衛星のコーナーがあった。2010年9月 に宇宙航空研究開発機構から第1号の「かがやき」が打ち上げられて以来、1基体制であった。しかしこれは「8」の字型の軌道を描くので、いつも日本上空にはいないから、これだけでは役に立たない。そこで近々4基体制にし、常時日本上空にいるようにして、24時間体制の運用ができるようにする。これが完成すると、誤差が1cm程度に収まるから、産業上の利用や、現在のところ1〜7mと、まだまだ誤差の大きいGPSの精度が高まるという。しかし、説明員の話を聞くと、産業上の利用の現在の誤差はまだ1m程度で、しかも受信機はパソコンくらいでまだ大きく、数百万円くらいするという。量産化になっても、当面は数十万円かなと自信がなさそう。また、GPSの利用もそう簡単ではないらしい。

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 中国で解放軍関係者が創業したというファーウェイ(華為技術) は、てっきり携帯電話の会社だと思っていたが、アップルウォッチに触発されたか、IT端末腕時計を開発したようで、その宣伝をしていた。それも正直に「我々には時計のデザインの経験がないので、専門の時計デザイナーに依頼した。」と言っているから面白い。でも、百何十種類の文字盤のデザインを作ったという。いずれも、最新の時計の文字盤と遜色ない。現物を手に取ったわけではないが、モデルさんの動作を見ると、リューズに触れるとデザインが変わったような気がした。

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 今年の見本市で一番面白かったのは、シャープのロボホンである。高さは20センチ弱、手に持ってみると、頭の方がややずっしりとくるが、重さは390gくらいである。いただいたパンフレットのキャッチコピーは「ロボホンは、ちょっと変わった電話です。見てのとおり、ヒトの形をしています。だからロボホンにだったら話しかけてしまう。ロボホンも、あなたのことをもっと知りたい。あなたと同じ音を聞き、同じ景色を見て、そして、同じ夢を見ていたい。それが、小さなロボホンの大きな夢。さあ、ロボホンを持って出かけてみませんか。ココロ、動く電話。」

 というもので、あまりに情緒的過ぎてよくわからない宣伝文句だ。でもこれで、電話、メール、音声認識、簡単な会話、プロジェクターなどに加えて、歩いたり踊ったりする。買い物の項目を覚えてくれたり、写真を撮ってくれたり、メールの着信を知らせてくれたりする。電話するときなど、万歳スタイルだし、踊る姿はなかなか滑稽だ。なるほど、これだと愛着が湧くだろう。ひっくり帰ったら起きあがれるのかと思うが、身体を前後に動かして器用に起きてくる。


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 売れるのかなぁという気がするが、かってソニーの愛犬ロボットといわれた「アイボ」のように、一定のマニアはいるだろう。これに購入者の作ったソフトウェア(アプリケーション)が動くようにすれば、今度はITオタクも買うだろう。それだったら、私だって買いたいくらいだ。スマートフォンが人気を博した最大の理由がそれだと思っている。だから、なかなか面白い製品を作ったといえるが、その反面、液晶がコケて経営危機が現実のものとなったシャープだというのに、こんな元気が残っていたのかとも思う。いずれにせよ、今後の発展を期待したい。

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 なお、パナソニックのブースに近づくと、本物のブラジル人ダンサーが、サンバを踊っていた。製品とどういう関係にあるのかよく分からないが、面白くて、ついレンズを向けてしまった。

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(2015年10月10日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:48 | - | - | - |
タムロンの万能レンズ

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 最近、アウトドアの趣味といえば、カメラ片手に風景やお祭りや花々を撮りに行くことしかやっていない。その場合のポイントは、やはりカメラで、これが高性能なものでないと、せっかく撮りに行っても、ちゃんとした写真が撮れないので、意味がない。そういうことで、カメラをいくつも買い換えて、2年前に、やっと現在のキヤノンEOS70Dにたどり着いた。フルサイズではなくてAPS−Cだが、これ以上のカメラはもう私には必要ないと思う。

 ところで、EOS70Dを購入して以来、次の3本のレンズを使ってきた。

(1)Canon EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS STM
(2)Canon EF 70-300mm F4-5.6 IS USM
(3)Canon EF-S 10-18mm F4.5-5.6 IS STM

 簡単に言えば、(1)は標準望遠レンズ、(2)は超望遠レンズ、(3)は広角レンズというわけである。しかし、それぞれの使用割合をみると、(1)92%、(2)6%、(3)2%くらいで、ほとんど(1)標準望遠レンズで足りている。(2)超望遠レンズは、お祭りなど、離れた所でしか撮れないような時にしか使わないし、(3)広角レンズが必要なのは雄大な風景のときくらいで、それもレンズの入替えが面倒だから持って行ってもあまり使う気が起こらない。要するに、私のようなアマチュアで少し面倒臭がり屋の人間には、宝の持ち腐れなのである。

 それで、遠目で撮る風景にしても、近接して撮影をする花にしても、(1)標準望遠レンズでほとんどをまかなってきた。ただ、まだ持っていないマクロレンズが欲しいなぁという気がしていた。でも、これは良さそうだというマクロレンズには、10万円ほどする値段が付いている。別に買えない値段でもないが、買ってもまた広角レンズの二の舞いになるかもしれない。何しろ、レンズの付け替えが面倒なのである。だいたい、こんなに色々な種類のレンズを作り、しかもカメラ本体よりも値段が高いというのは、未だに納得がいかない。なぜ1本に出来ないんだという気がする。

 昔、オリンパスのミラーレス一眼カメラを持っていたときは、新しいカメラに標準望遠レンズを付け、その一代前のカメラに超望遠レンズを付けて両肩に下げ、二丁拳銃のように使っていたこともあった。これは便利この上なかったが、カメラの規格がマイクロフォーサーズで小さいからこそ出来たことだ。しかし、キヤノンのカメラは大きくて重たいので、そんなことは不可能だ。

 先日、海外旅行に行った際、外国の航空会社だったので、機内持込みの荷物のチェックが厳しくて、2kgオーバーだった。だから、その分、何かを取り出さないといけないというので、仕方なく、カメラと3つのレンズを取り出した。こんなことが続いてしまうのでは困るなぁと思っていたところだった。

 幸か不幸か、そういう状況のときに、ビッグカメラに行って、とあるレンズを見つけてしまった。それが「タムロン16-300mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD MACRO」である。店の宣伝文句は、「この1本であらゆるシーンに対応できる高倍率ズームレンズだからレンズ交換不要。世界最大倍率18.8倍の16−300mm。APS−C専用。画角は、35mm判換算焦点距離で25.6ー480mm相当(キヤノンEOS70Dの場合)をカバー」とのこと。

 ネットで調べてみると、このタムロンのレンズ16−300mmは、マクロレンズにもなるというか、マクロレンズ代わりに使える。どの領域でも最短撮影距離が39cmらしい。しかもこれは、被写体と撮像素子との距離だから、その間にこのレンズが入ることを思うと、望遠側で筒が伸ばすようなときは、ごく近くなる。

 広角端、つまり16mmにすると、画角が35mm判換算焦点距離で25.6mmになるという。これまでの同種の高倍率ズームレンズは28mmだから、少し広くなる。望遠端、300mmにすると、画角が同じく480mmにもなるという。遠くのものが写るのは楽しいが、これで近くの被写体を撮ると、良質の「ボケ」を出せそうだ。480mmというこれだけの超望遠になると、手ブレがひどいだろうと思ったが、VC(Vibration Compensation)という補正機構が備わっていて、かなり良いようだ。


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 ということで、このタムロンのレンズ16−300mmを購入することにした。同じものなのに、家電量販店では、74,000円、アマゾンでは、66,000円、後で調べた価格ドットコムでは、59,000円という値段だった。いつも使っているし慣れているので、アマゾンに注文したが、それにしても値段にこれほどの差があるとは思わなかった。


1.新宿御苑

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 注文した翌日にレンズが届いたので、それを持って、新宿御苑に行って撮ってみた。すると、温室の池に咲いていた睡蓮の花は、55mmだと広がった葉と一緒に平板に写るが、280mmの超望遠だと、細部まで綺麗に写り、手ブレもない。なかなか良いではないか。

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 同じように撮ったホトトギスの花とツユクサの花も、望遠端で撮るとまるで本物のマクロレンズで撮ったかのようだ。しかも、VC補正機構のおかげか、手ブレがない。これは、十分使える。また、広角端で撮ると、公園の広大な雰囲気がよく出ている。しかも、ピントが素早く合い、音も静かでいい。とても、気に入った。まさに、万能レンズである。そろそろ秋になり季節が良くなるから、外出する機会も多いので、これを散歩のお伴にしようと決めた。

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2.向島百花園

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 タムロンのレンズ16−300mmを抱えての外出の第2回目は、向島百花園である。たまたまこの日は、萩のトンネルの最盛期らしい。その萩のトンネル越しの、はるか遠くに東京スカイツリーが見える。それを16mmの広角端で撮ると、マッチ棒のように写る。ところが同じ場所から、今度は300mmの望遠端で撮ると、これはすごい。画面いっぱいに、展望台が広がる。これこそ、18.8倍の威力である。池の中にトンボがとまっていた。こんな遠いものが撮れるかと思いつつ、望遠端でシャッターボタンを押したところ、ちゃんと羽まで写っていた。

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 さて、その萩のトンネルだが、なるほどピンク色で愛らしい小さな萩の花が美しい。これが垂れ下がるトンネルの入り口からトンネルの中を覗くと、ピントを手前の萩か、遠くの出口かのどちらに合わせるかで写真が全く異なるから、これまた面白い。

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 アザミの花がたくさん咲いていて蜜が豊富らしく、蝶が集まっていて、被写体には事欠かない。これも、高速撮影だが、結構ピントが合っている。タムロンのレンズは、VC補正機構のおかげか、手ブレもなく、なかなか優秀なレンズである。その蝶どうしが争っていて、肉眼では、何が何やらわからない。しかし、こうして高速撮影していると、2匹が渦を巻くように争ったあと、うち1匹が勝者らしくアザミに取り付いて吸い始める。それを負けた方がホバリングしてバックしながら近づき、嫌がらせをしているようだ。

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 園内には糸瓜があり、瓢箪が生っている。芭蕉ならぬ、バナナも植わっている。妙な公園である。ところどころに俳句がかかっている。うち、2つを紹介すると、

 七曜の めぐる早さや 秋の暮れ (土屋久佐)

 句読点 なき 母の文 吾亦紅  (中村袖木)


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(2015年10月1日記)


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