徒然274.六義園のライトアップ

六義園のライトアップ



 六義園のライトアップ(写 真)


 紅葉の季節となり、六義園でもライトアップが始まったというので行ってみたところ、それが意外にも非常に素晴らしいので驚いてしまった。とりわけ、六義園を象徴する中央に広がる大泉水の池の向こう側をライトアップしているから、その灯かりが池に反射して写る。紅葉の赤だけでなく、松の緑に雪吊りなども写り、それがまた実に美しい。見とれて思わずため息が出るほどだ。まあ、じっくり見ていただきたいものである。

> 六義園のライトアップ


六義園のライトアップ


 持って行ったカメラは、買ったばかりのキヤノンEOS 70Dである。夜景撮影モードというのがあって、手持ちで4枚連続高速撮影し、それらを自動的に合成して手振れを抑えた写真が撮れるというのが売り物なのだが、確かに夜店の撮影などの比較的近くの撮影はそれで良い。ところが、この池の夜景のように被写体が遠くにあってしかも細かいと、この夜景撮影モードでもなかなか難しい。たくさん撮って、比較的良い写真を選ぶほかない。最初にいくつか撮った写真を見ていたところ、空の明るさが気になったので、露出補正をマイナス1にして暗く撮ったら、まあまあ見られる写真となった。

六義園のライトアップ


六義園のライトアップ


 池の廻りを巡って、吟花亭跡を通り園の裏手から帰ろうとしたら、普段は何もない水香江の辺りで燃えるような紅葉がライトアップされているかと思ったら、その真下の沢のようなところに青色の光でライトアップされていた。その補色による対比が何やら妖しい雰囲気を醸し出していると思ったら、今度はその青色の光の場所に白い蒸気のような雲が立ち込めて、ますます妖しくなってきた。ほほう、最近はこのような演出もされるのかと感心した。

六義園のライトアップ


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 さらに行くと、池面に橋や美しい紅葉が写る場所があった。橋といっても、ほんのわずかにアーチを描いているごく小さなものにすぎないが、それでも鏡のように水面に反射している姿はなかなか風情がある。これもライトアップが成功している例だろう。さらに、紅葉の方は大小の木が重畳的に重なっていて、深山幽谷の紅葉を見ている趣があり、これも気に入った景色である。


六義園のライトアップ

六義園のライトアップ





(2013年11月30日記)


カテゴリ:徒然の記 | 08:43 | - | - | - |
東京モーターショー 2013年

東京モーターショー



 東京モーターショー(写 真)


 東京モーターショーに行ってきた。初日だったためか、いやもうその混雑といったら満員電車並みでひどかった。前回2011年に行ったときには、主要メーカーの中でトヨタが最後となってしまったので、今回はまず最初にトヨタを見ようとそのブースに行ったのであるが、たいへんな人だかりの中、ショータイムが来るまでの間、人混みの中でしばらく待つことになった。すると、どんどん流れていく人波によっていつの間にか最前列に押し出されている有り様だ。でも、そのおかげで今年のトヨタ売り物の車をじっくり見ることが出来た。

 まず、ペンギンと一緒に真っ青な車があった。2015年に市販を開始する「FCV(燃料電池自動車)」だそうだ。水素で走る燃料電池車で、水素を満タンにするまでわずか3分、その航続距離は700キロメートルと、ガソリン車並みである。いずれも電池自動車の欠点を克服ししている。これなら、まさに実用レベルであるが、あとはお値段次第ということだろう。またこのFCVの外観スタイルがとっても良くて、とりわけ前面左右に三角形で大きく開いている空気の取り入れ口の格好が実に魅力的である。

i−ROAD


 次のトヨタ・コンセプトは、「i−ROAD」というバイクのような、車のような不思議な逆三輪車である。逆というのは私の造語で、前輪が2つ、後輪が1つという意味である。ところが、その前輪の高さが合わないのか、傾いて停まっていると思ったら、そもそもそういう風に作ってあるのだそうだ。つまり左右前輪が上下して車体の傾きを自動的に制御する「アクティブ・リーン機構」を採用しているという。座席はかなり狭そうだが、前後二人乗りで、目の前をさーっと通り過ぎるのを見ていると、バイクのような車のような不思議な乗り物である。

JPN_TAXI_Concept


 3番目は、「JPN TAXI Concept」という、要はタクシーである。印象はロンドンの黒い背高タクシーを近代的にした感じだ。新しく開発したLPGハイブリッド・システムを採用し、広い室内空間、電動式スライド・ドア、段差がないフロアを採用している。確か、ニューヨークで日産の車がイエロー・キャブとして採用されたと聞いているが(ただし、車そのものは使いやすいものの、値段が高くてタクシー運転手の反発を招いているそうだ)、それと外見や性能を比較してみたいものだ・・・とまあ、ここまでは何とかまとまった展示と車を見たという印象はあった。しかし、それ以降は洪水のような人の波に押されて、どのメーカーの車を見ているのか、それはどんな特徴があるのか、もう何がなんだかわからないくらいに雑然と会場を巡ることとなってしまった。どの車もたくさんの人に取り囲まれていて、写真を撮るのもたいへんという状態である。そういう中で人混みの隙間をやっと見つけてポツポツと撮っていたものを、後からパンフレット対比して、「ああ、そういう車だったのか」とやっと知るという有り様である。

EMIRAI2


 たとえば、白い車体にブルーの線を引いてある丸っこい車体があり、その脇で美人のモデルさんが艶然とした表情で立っている。車のメーカーにしては、どちらもぎこちないなぁと思ったら、三菱電機の「最先端のモータ制御技術とヒューマンインターフェイスが融合したコンセプトカー『EMIRAI2』」のうちの、運転支援系のものだそうだ。複数のディスプレイを連携させて、「シンプルなスピードメーターはもちろん、停車時にはエンターティンメント画面へも切り替わるインテリジェントパネル」があるというが、そんなもの別に目新しくもないと思うけれど、何が良いのか不明だ。こんな展示なら、大画面を使って常時映像でも流しておけばよいと思うのであるが、どうであろうか。

文明開化時代の服装をしたお嬢さん


文明開化時代の服装をしたお嬢さん


 BMWのコーナーに行くと、「ニューBMW4シリーズ・カブリオレ」という車があった。鼻先が少し盛り上がっている力強いスタイルは、なお健在である。次に「L」マークがついているセダンがあった。トヨタの最上位ブランドのレクサスである。この車はその出だしでリーマン・ショックに見舞われて苦戦したが、2013年には世界販売で年52万台を見込んでいるらしい。しばらく行き、いすずのブースだったと思うが、文明開化時代の服装をしたお嬢さんが、昔のトラックの座席に座っている。人混みのために説明が読めなかったことから、どういう趣旨かはよくわからなかったが、お嬢さんの屈託のない笑みが印象的だった。

ポルシェのエンブレム


ポルシェ


 ポルシェのコーナーに行った。あのエンブレムを付けたポルシェの格好の良さといったらない。昔々のことだが、私は、とあるイスラム国の国王の弟の家に行ったことがある。彼の家に着くと、色とりどりのポルシェが5〜6台、玄関脇に無造作に置かれていたのを覚えている。その家に入ると、中央に噴水があり、その周りの螺旋階段を登っていって彼の部屋に着くという趣向である。その弟君そのものは、どこにでもいそうな人の良いお兄さんという印象だったが、そのときはポルシェの蒐集に凝っていたらしい。まあ、それくらいは可愛いものだった。それから20年ほど経ち、彼が大蔵大臣となったのは知っていたが、しばらくして何千億円もの使途不明金を出して首になったのには驚いた。ポルシェのほか、いったい何に化けたのだろうか。

スズキのクロスハイカー


ホンダのS660


ホンダS660


 また人波に押されて流れていったら、スズキのコーナーにたどり着いた。スズキといえば、アルトなどの軽自動車メーカーというイメージだったが、どうしてどうして。たとえば「前衛的で躍動感あふれるスタイリングが印象的なクロスハイカー」というのは、確かに素晴らしい。モデルさんも、なかなかだった。日産とホンダはゆっくり見る間もなく人波に流されてしまったが、ホンダが出してきたスポーツカーであるS660は、遠くから眺められた。ちなみに日産の車は、どれを見ても似たようなスタイルで、デザイン能力が枯渇しているのではないかとすら思うほどである。現に、日本の自動車各社のほとんどが今季は大幅な販売増となっているのに、日産だけはあまり売れていないようだ。コストダウンのために車体や部品の共通化を進めたばかりに、個々の車の個性をなくしてしまったようだ。それと対照的なのが次の三菱自動車だ。車には個性があふれている。そのブースへは、人波に押されて舞台の裏手にたどりついてしまった。おかげで舞台を裏手からゆっくり見ることが出来たのは皮肉なものだ。一昨年も、三菱のステージはなかなかよかったが、今年もまたその良い点を受け継いでいるのは、誠に結構なことである。


三菱のステージ


三菱のステージ





(2013年11月23日記)


カテゴリ:エッセイ | 06:34 | - | - | - |
勝沼ぶどう狩り

勝沼ぶどう園


 まるで真夏のような異常に暑い気候が続いた10月からようやく11月になり、やっと過ごしやすい季節となった。初孫ちゃんに、山梨のぶどう狩りを体験させてあげようと、2人で新宿から、はとバスに乗り込んだ。初孫ちゃんは、八王子から山の中をくねくねと走る中央高速道路からの眺めを楽しんでいた。途中には昨年の12月2日に天井板落下事故を起こした笹子トンネルがあり、そこを通るときにはさすがにやや緊張した。あれは上り線だったと思い出しているうちにテレビで見慣れたトンネル出口にさしかかり、心の中で亡くなった9人の方のご冥福を祈っているうちにいつの間にかトンネル内部に入っていた。オレンジの照明が続いて、そのままトンネルを抜けたところが山梨県の勝沼ぶどう郷だ。この勝沼の辺りは、私の子供たちが小さかった頃に自動車でよく連れてきたものだ。それが、昔の勝沼町は平成の大合併の結果、笛吹市となったらしい。またひとつ、昔の思い出がなくなったような気がするが、時の流れで仕方がない。ただ、中央本線の駅名として、「勝沼ぶどう郷駅」があるのは、まだ救いといえる。

 バスは、その勝沼の目的地のぶどう園につき、全員が降り立った。入り口近くには、バスの高さ以上のぶどう棚があって、茶色い丸いぶどうを付けた房がたくさん生っている。初孫ちゃんは、窮屈なバスから降りられて、それがうれしくてふどう棚の下を走り回っている。なんでも、ぶどうには季節があって、最も早いのが8月中下旬のデラウェア、次いで8月中旬から9月中旬にかけての巨峰、実はこれが食べたかったがもう遅い。そして9月下旬から10月上旬の甲斐路、ベリーAと続く。本日は、これらの二つ、特に甲斐路を採って食べられるらしい。係りのお兄さんが説明する。甲斐路の中には二つの種があり、これを直接包んでいるところを食べると酸っぱいものが出てくるので、この辺りの人は種もそのまま食べています」という。

勝沼ぶどう園


 そんなものかと思いながら、係のお兄さんを先頭に、皆が自然と2列になって歩き始めたので、初孫ちゃんの手を引きながら付いて行った。途中、鮮やかなオレンジ色の柿が生っている木があって、初孫ちゃんはそれに気が付いて「ねえ、これを見て」と大声を上げて感激し、両手をぐるぐる回して喜びを表現している。私は私で、それに適当な相槌を打ちながら民家の庭先のコスモスの写真を撮ったりしている。やがて葡萄畑の真ん中まで来て、「ここです」という場所に入って、鋏を渡された。上のぶどう棚を見るとワインでいえばロゼの色をした甲斐路がぶら下がっており、机の上には、採ってきたばかりの紫色のベリーAが山盛りに置いてある。甲斐路を食べ飽きたときには、こちらを食べてくださいという趣向らしい。

 皆さん、思い思いにぶどうを採って食べ始めた。我々も、さあ始めようかと初孫ちゃんを抱っこし、甲斐路を鋏で切って食べてもらった。家でよく食べているせいか、皮をうまく向いて、ぶどうの中身を吸うように食べている。なかなか上手である。最初は、中の種を出していたが、そのうち面倒になったのか、あるいは係りのお兄さんの言うように種を出そうとすると酸っぱいのが自然にわかったのか、種を出さずに食べているようだ。まあ仕方がない。ローカル・ルールに従うとしよう。私も食べ始めたが、ぶどうの一粒一粒に比べて、種が大きすぎる。はっきりいうと、あまり美味しくない。なるほど、これでは食べ放題にするわけだ。では、摘み取って皿の上に盛ってあるべりーAの方はどうかというと、なるほど、これは甘い上に種も小さくて、なかなか美味しかった。ちなみに、そのぶどう園の出口で持ち帰り用に売っているぶどうは、その色からして甲州かもしれないが、粒が大きくて、とっても立派な外観だった。こういうものを採るのであればそれなりに意味があるのだが、所詮は食べ放題の限界というわけだ。まあ、居酒屋のワイン飲み放題と同じようなものだろう。

 というわけで、あまり盛り上がらないまま、ぶどう狩りが終わった。一行を乗せたバスは、とあるレストランに立ち寄って、旅館の料理のような昼食を摂った。山梨だからほうとう鍋でも出てくるかと思ったら、そうではなく、松茸、栗などの秋の味覚を並べたもので、それなりの味でなかなか美味しく食べることが出来た。初孫ちゃんは、とりわけ小鍋のうどんが気に入ったようで、私の分まで食べに来たほどだ。食欲が旺盛で、なかなかよろしい。この辺りでようやく心に余裕が出来て、バスの一行の皆さんを見回すことが出来た。定年後の夫婦といった方々が大半であるが、母娘が2組、独身らしき女性が一人といった中に、大学生らしき5人組がいた。この5人組とは席が近かったので、会話が自然に聞こえてきた。しかし、驚いたのはその内容の乏しさで、道中ずーっとゲームのことばかり。バスの中ではそのゲームとスマートフォンを無言で操っているという体たらくだ。大学生なら、学業のこと、恋の悩みに、将来の展望、人生のことなど、語ろうと思えばいくらでもあるはずなのに、全く何たることか・・・。しかも、ど突き漫才のようなじゃれあい方をしているが、これはまるで小学生の行動そのもので、実に幼い。こんな調子では、日本の将来が危ぶまれる。

モンデ酒造


 さてバスは、モンデ酒造という会社に到着した。ワインの品評会の国際ワインコンテストで上位入賞を果たした会社ということで、なかなかしっかりと運営されている工場である。試飲コーナーがあったが、初孫ちゃんはぶどうジュースを飲ませてもらって、ご機嫌さんだった。そこを出て、桔梗屋という菓子メーカーの工場に着いた。これは、山梨名物の信玄餅を製造している工場で、ひと回りさせてもらったが、あの信玄餅を今時、手作業で包んでいるのには、驚いた。見学コースから見下ろしていると、その手作業が実に速くて、5〜6秒/個といったところである。案内の人は、自分も半年やってみたが、30秒/個もかかったという。「コスト高になるから、機械化できないのですか」と聞いたところ、やってみたが、皺なく包むのは手作業が一番」と言っていた。見学コースの途中には、御菓子の美術館のようなところがあって、いろいろな造形がすべて菓子の材料で出来ているというので、興味深く見させていただいた。帰りに、私は信玄餅、初孫ちゃんは新発売の信玄棒なるお菓子を買って、うれしそうにバスに乗った。

山梨名物の信玄餅


河口湖から見た富士山


 次いで向かったのは、河口湖畔の紅葉のライトアップである。延々と走って富士山の麓の河口湖に着いたのは、もう午後4時を過ぎていた。まだ残照が河口湖を照らしていて、富士山もうっすらと見える。やがて日が落ちて午後5時を過ぎる頃には辺りはすっかり暗くなり、とても寒くなってきた。気温は、5度くらいではなかったか。初孫ちゃんは元気だったが、私はもう1枚、何か羽織ってくればよかったと思ったが、駐車場にはバスはあっても、ドアを閉めると言っていたので戻っても仕方がない。これは困ったなと思いつつ、紅葉のライトアップの場所に向けて歩いていくと、焚火がたかれていた。これは有難かった。ドラム缶を半分に切ったものの中に薪が何本もくべられていて、あかあかと周囲を照らしている。そこに初孫ちゃんを座らせて、「これが焚火っていうものだよ。うかつに近づくと火傷するけれど、こういう寒いときや肉を焼くようなときには、役に立つよ」などと説明する。うんうんと頷いて聞いていたが、果たしてわかったのかな、どうなのかなと思っていたら、どうやら理解していたようだ。というのは、焚火の火が衰えそうになると、何も教えないのにすっくと立ち上がり、近くの係りの人にそれを教えに行ったからだ。なかなか気が利いている。ところで、その係りの人の半纏には「河口湖観光協会」と書いてあった。焚火の回りにはテントもあって、お土産品のほか、ぜんざい、甘酒、野菜のトマト煮なども売っているので、ぜんざいやトマト煮を買って、初孫ちゃんとそれを美味しくいただいた。

河口湖畔の紅葉のライトアップ


河口湖畔の紅葉のライトアップ


 そうこうしているうちに、体が温まってきた。では、紅葉でも見に行くかと思って焚火から離れて、川沿いにライトアップされた紅葉の回廊を一周してきた。持って行ったカメラは、先日買ったばかりのEOS 70Dで、三脚を使わなくとも高速連写で4枚の写真を撮って合成するから、手持ち撮影で夜景が撮れるというのが売り文句のカメラである。ところがこの日は、手持ち撮影どころか、一方の手は初孫ちゃんと繋いでいるからふさがっている。だから、文字通りの片手撮影を余儀なくされた。こんな調子で果たして撮れるものかと思っていたら、ちゃんと撮れていたから驚いた。でも、さすがに遠景の細かい部分は無理だった。とまあ、そういうことで、またバスに乗って中央道を走り、東京駅で降りて地下鉄で帰宅した。初孫ちゃんは、バスに乗ったとたん寝てしまい、このまま家まで抱いて帰ることになるのか、それは困ったなあと思っていたら、東京駅に着いたとたん、目がぱっちりと開いて、自力で歩いてくれた。5歳となるのはもう目前だから、だんだんお兄さんになってくれて助かっている。


河口湖畔の紅葉のライトアップ





(2013年11月 5日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:24 | - | - | - |
飯能まつりは鬼が魅力

飯能まつりの鬼


飯能まつりの白狐



 飯能まつり(写 真)は、こちらから。


 11月3日は文化の日なので各地で催しがあり、東京の浅草では東京時代祭りが行われている。これは、浅草寺の創建から始まって歴史の年代に沿い、平安、鎌倉、江戸、幕末、文明開化の時代を経て東京となった現代までを再現している。文字通り壮大な歴史絵巻というわけであるが、もちろん本物ではなくて、まあお芝居の類だ。たくさんの関係者が一所懸命にお金と時間をかけて開催に努力をされているのはわかるのだが、いわゆる観光色が強くて、3年続けて見に行くと、申し訳ないが、いささか飽きが来てしまう。では何かほかに興味を引かれる催しはないかと思ってインターネットで検索しているうちに、埼玉県飯能市で飯能まつりというものが開催されることを知った。今年で43回だそうだ。八王子祭りのように、各町内から山車が出るようだが、花火を景気よく打ち上げてその下を山車が躍動する秩父祭りほどの華やかさはないみたいだ。それとも、川越祭りくらいのものかな・・・いやいや、あそこは小江戸といわれる土蔵造りの街並みこそが売りなのだから・・・いずれにせよ飯能にはそもそも行ったことがないからよくわからないのだが、飯能祭りのポスターを眺めていて、妙なものに気が付いた。それは、まるで鬼のような不細工な赤ら顔をした仮面を付けている演者がいて、何やら不思議な踊りを披露している場面である。頭は毛皮の被り物になっている。そのほかの資料を見ると、山車の上には、ひょっとこ・おかめ・狐・獅子がいて演じているが、それらは普通よく見かけるものだ。それにしても鬼というのは変わったキャラクターだと思い、がぜん見てみたいという気がしてきた。そういうわけで、たまたま晴れ上がった3日に、買ったばかりのカメラ(キヤノンEOS70D)を大事に抱えて、西武池袋線に乗って出かけたのである。

飯能まつり


飯能まつり


 お昼前に飯能駅に着いた。駅前で飯能市観光協会の人から祭りのパンフレットをもらい、それを読んでみると、すべての山車の第一回引き合わせが12時40分から13時の間に、高麗横丁(仲町交差点)であるそうだ。そこで駅前通りをまっすぐ歩き、東町交差点で左に曲がって中央通りをその仲町交差点まで行ってみた。そこにたどり着くまでにはたくさんの屋台が並んでいて、それらをひとつひとつ見て回りながらだったが、意外と早く着いた。繁華街はあまり大きくないようだ。途中、居囃子というらしいが、ちょっとした台の上でお囃子に合わせ、ひょっとこや白狐が演じている。お祭りの気分を盛り上げるには、なかなか良い。また、目指す高麗横丁に向かう山車の何台かにも行き当たり、おかめなどの舞台をじっくりと見させてもらった。

飯能まつり


飯能まつり


飯能まつり


 高麗横丁には、各町の山車が当番町の原町からはじまって、すべて並んでいた。いただいたパンフレット (1)(2)によると、このうち「原町の山車」は、その屋根に金の八咫烏を抱える神武天皇の人形があるのが目印で、遠くからでもすぐにわかる。この山車は、明治15年(1882年)に建造され、同25年に人形師3代目法橋原舟作のこの神武天皇の人形が乗せられたそうで、歴史は古い。その囃子も小田原囃子若狭流として有名だそうだ。ところで原町の山車が「會所」という建物を通るときに、下の台はそのままで、上の台だけ建物の方向に90度回転する「廻り舞台」を使った。この上下2重構造の廻り舞台を持たない山車は、山車本体そのものを建物の方向に斜めに傾けるしかない。だからこの廻り舞台がある山車は、なかなか便利な上に優越感にひたることが出来そうである。次いで「双柳の山車」は、平成2年に富山県井波で建造された単層向唐破風屋根白木造りの屋台というそうだ。井波は、欄間などの木の彫刻で有名な町だから、龍など随所にその彫刻が見られる。乗演は双柳囃子連保存会(神田囃子大橋流)とのこと。「中山の山車」は、昭和53年(1978年)に単層向唐破風屋根の廻り舞台付きで建造され、乗演は中山囃子連(小田原囃子若狭流)。

飯能まつり


飯能まつり


 原町の山車が神武天皇であるのに対し、「二丁目の山車」は、神宮皇后の人形を乗せ、元々は江戸末期の建造の屋台らしい。この二台が並び立つと、非常に豪華絢爛な印象を受ける。二丁目の乗演は通弐親和會(神田囃子大橋流)。「柳原の山車」は、昭和22年に地元の大工が建造し、平成に入って大改修して天女彫刻を施し、廻り舞台などを付けたそうだ。乗演は通弐親和會(神田囃子大橋流)。「一丁目の山車」は、大正9年に単層向唐破風屋根の廻り舞台付きで建造され、舞台が一番広いそうで、乗演は飯能一丁目囃子保存会(神田囃子大橋流)。「前田の山車」は、昭和22年に四重高欄唐破風屋根付囃子台の廻り舞台付きで建造され、盛留には諌鼓鶏があり、乗演は前田囃子保存会(小田原囃子若狭流)。「宮本町の山車」は、大正14年に単層向唐破風平屋根の廻り舞台付きで建造され、確かに繊細で緻密な彫刻が素晴らしい。乗演は宮本町囃子連(小田原囃子若狭流)。「三丁目の山車」は、明治中ごろに取得した八王子型山車を大正4年と平成25年に改修したもの。乗演は三丁目共鳴会(神田囃子大橋流)。「本郷の山車」は、平成19年の単層向唐破風平屋根で、真新しい。前方向かって左に昇降龍の彫刻がある。乗演は本郷囃子保存会(小田原囃子若狭流)。なお、このほか「河原町の山車」があるが、今年は不参加だそうだ。

飯能まつり


飯能まつり


飯能まつり


 整列していたこれらの山車は、それぞれの町内お揃いの衣装に身を包んだ皆さんが曳き縄を一斉に曳くと、中心部に向かって一台ずつ動きだした。その先頭には、何人かの女児のお稚児さんが旅支度で歩き出す山車もある。そのお化粧の仕方も、町内ごとに違うのが面白い。また何よりも、舞台で演じるひょっとこ男、おかめ女、獅子、白狐、鯛を釣ってそれを抱える大黒様まで演じられる。ああ、鬼がいた、いた。人形劇まである。私には、これが何とも魅力的に感じた。というのは、まず鬼のお面そのものがどこそこ笑えてくるくらいに滑稽なのである。次に、その仕草がまたユーモラスなのだ。たとえば、両手を両側に並行に上げて、さあ注目してくれといわんばかりの格好をしたと思えば、次に体を低くして斜に構えてまるでいじけているようなポーズをとる。とても、面白い。関東には色々とお祭りがあって同種の演者があるかどうかは知らないか、いずれにせよこの鬼は、お祭り中の白眉ではないかと考える。いやあ、良いものを見物した。

飯能まつり


飯能まつり


 ところで、こうして各町内の山車が街の中に散らばったが、また14時から「山車総覧」なるものが行われて、すべての山車が一堂に会するという。ただし、舞台で演じられることはないそうだ。それでも近くに寄って山車そのものをつくづく観察することが出来た。面白かったのは、それが東町交差点で行われ、その交差点の角に並んだのが、神武天皇像を載せる原町の山車と、神功皇后像を戴く二丁目の山車である。その対比が実に絶妙だった。これに加えてもっと面白かったことは、神武天皇の背景の位置にたまたま交差点角のビル2階に描かれた白人女性の大きな顔が来ていたことである。その脇に八咫烏を頭上脇に従える生真面目な神武天皇像が来ると、これまた「ぷっと吹き出したくなるほど」不思議な感覚を醸し出す。ところで、この交差点では、まといと梯子乗りも行われた。特に梯子の上で仰向きになって水平になり、両手両足を放すなど、高度な演技にやんやの喝采が巻き起こった。中央通りの東飯能駅寄りには「おまつり広場」のステージが置かれて、たまたま私が見たときには、和太鼓と、青森の馬っ子のような演技を楽しくやっていた。

飯能まつり


飯能まつり


 夕刻以降、各地で「引き合わせ」を行うらしい。これは、辻々で数台の山車が囃子の腕を競い合ういわば対戦型の催しだそうだ。それを楽しみにして、まずは腹ごしらえと思ってとんかつ屋さんに入り、定食を注文してそれを美味しく食べた。外に出るともう暗くなっていた。広小路と飯能駅前交差点を結ぶ銀座通りなるところを歩いていると、ここには露天の屋台は置かれていないようで、元々の商店街を見ることができた。しかしそれが、まあなんというか、なかなかレトロな雰囲気なのである。東京でいえば青梅辺りの商店街のような感じがするが、あそこまでレトロに徹しているわけではないが、大正の雰囲気を味わいたい人には、最適ではないかと思う。私はそこまで年寄りではないが、私が覚えている昭和30年代の商店街を彷彿とさせて、実に懐かしい気がした。

飯能まつり


 しばらくしてとっぷりと日が暮れて、街のあちこちで山車どうしの「引き合わせ」が行われはじめた。さっそくそこに行って、素晴らしい演技の数々を撮ろうとした。白狐が歌舞伎役者みたいにテープを四方八方に投げたり、いやいやこれだけ派手だと嬉しくなる。そうかと思えば、獅子舞、鬼、おかめひょっとこもいずれも素晴らしい。真っ暗になった中でのそうした動き回る舞台風景を、買ったばかりのEOS70Dが手持ち撮影のフラッシュなしで撮れるのものだろうかと思ったが、これが案外、撮れるのである。連続した動きではなくて、歌舞伎のように「決める瞬間」さえ押さえておけば、なかなか良い写真となった。さて、別の場所に移動してもっと撮ろうと思ったとたん、運の悪いことに雨がぱらついて来た。買ったばかりのカメラにはよろしくないと思い、後ろ髪を引かれる思いで帰途に着いたのである。

飯能まつり


 ところで、八王子祭りのときにも書いたが、こうした伝統ある祭りの準備や当日の演技には時間と手間とお金が必要で、とても大変だろうと思う。とりわけ、若い人に技を伝授してそれを連綿と続けていかなければならない。場合によっては、なぜこんな町内に生まれたのかと思う人もいるだろう。しかし、こういう伝統ある役割を担えることは、めったにない幸運のようなもので、たとえば外部の私などは絶対に出来ないことである。そういう意味で、良い町内に生まれてこういう役割を担うことになった皆さんについては、非常に羨ましく思う次第である。「武蔵路の 我が祭の彩になる 伝承の芸は 磨いて 子に渡す」という一句が、二丁目の山車の側面に書かれていた。東京のように、世界の最先端を走りながら激烈な競争をし、その過程で常に新しいものを追い求めてやまない世界も経済成長という点では必要だが、その一方でこういう変わらない伝統的な世界というのも、日本にとって実に貴重なものではないかと思う次第である。



(2013年11月 3日記)


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