徒然273.初孫ちゃんと高尾山へ

高尾登山電鉄駅舎



 高尾山薬王院(写 真)


 2013年は10月になってもその中旬から下旬にかけて、台風26号やペア台風の27・28号が来襲し、とりわけ26号は伊豆大島に大規模な土砂災害が発生させ、死者・行方不明者が40名を超す大惨事となった。これから地球温暖化が進んでいくと、こうした災害の件数と規模がますます増えるのではないかと心配である。まあしかし、先のことをくよくよ悩んでも仕方がない。それにしてもこの10日間ほどは、連続した台風の影響で雨模様が続き、どこか沈鬱な気分を感じていた。そのような中で、やっと27日になって久しぶりの青空が見えた。ちょうど日曜日だし、初孫ちゃんを一度、山のピクニックに連れて行こうと思い付いた。

 あまり遠くに行くと大変なので、高尾山に行ってみることにした。ここなら、都心の我が家から1時間15分で着くから、近くて手頃だ。最近はミシュランの旅行書の評価で三ッ星に輝いたというから、立派な国際観光地化してしまっている。初孫ちゃんは、「」たとえば葛西臨海公園の西なぎさや横浜港には行き慣れているが、「」などというものには、行ったことがない。二人で手を繋いで地下鉄に乗り、新宿駅で京王線の八王子行き特急電車に乗換えて北野駅、そこから各駅停車で高尾山口駅に着いた。前回、ここを訪れたのは2009年の9月だから、もう4年も経っている。そのときは高尾登山電鉄の高尾山ロープウェイに乗った。今回もそれでと思ったが、初孫ちゃんが「ロープウェイなんか、絶対、嫌だ!」と頑張るので、ケーブル・カーに乗ることにした。階段状のプラットホームで待っていると、運よく最後尾の運転手席脇の座席に、2人とも座ることが出来た。ここなら、中間地点で2台のケーブル・カーがすれ違うのを見ることが出来る。

高尾登山電鉄ケーブル・カーがすれ違う


 黄色とグリーンに塗り分けられたケーブル・カーが到着し、さっそく2人で真っ先に乗り込んだ。仲良く並んで座り、いわば出発駅を見下ろす形となる。チンチンと鳴って、さあ出発だ。初孫ちゃんは熱心に見下ろしている。ガガガガッという音とともに車体が軋みながら上がっていく。トンネルをくぐり、さらにまたトンネルをくぐると両側が林で、地上を歩く登山中の人たちが見える。そこを過ぎると一気に視界が広がり、遠くに東京の街が見えるという具合だ。やがて中間地点に差し掛かって降りて行く車両とすれ違い、更に上へと進み、急こう配地点を一瞬過ぎたと思ったら、そこはもう駅である。

高尾登山電鉄ケーブル・カーを下りて薬王院に向かう途中



 駅で降りてから、林の中の道を進んで行く。木立ちを通ってくる木漏れ日が美しい。足元の道は舗装された道だから、もうすぐ5歳になる初孫ちゃんでも、安全に歩くことが出来る。山門をくぐって行こうとすると、その脇に祠があり、石でできた真新しいマニ車のようなものもある。こんなマニ車は前回来たときにはなかったなと思いつつ、初孫ちゃんに「これを回すと良いことがあるといわれているのだよ」というと、両手でぐるぐると回していた。我々の後ろで並んでいる女性に場所を譲って見ていると、その年配のご婦人は、別にそのマニ車を回す気配もなく、ただ単に両手を合わせて拝んでいるだけだった。まあ、マニ車も日本に伝来すると、こうなってしまうという一例である。

 

苔むした杉の大木、通称タコ杉


展望台から東京方面を一望の下に見渡す


 更にどんどん歩いていくと、苔むした杉の大木、通称タコ杉が現れた、前回見たのと同じ形をしているから、保存がうまくいっているようだ。初孫ちゃんに、「この木のてっぺんが見えるかな?」と問いかけると、倒れるくらいに必死になって上を見上げていた。再び歩き出し、急階段の男坂と、なだらかな傾斜の女坂にたどり着いた。もちろん右手の女坂を選んで歩いていって、見晴しの良いところに出た。そこには展望台があって、東京方面を一望の下に見渡すことが出来る。初孫ちゃんと東京スカイ・ツリーを見つけて感激した。その手前に見える高層ビル群は、東京都庁など新宿副都心にある一連の高層ビルだ。まあその、はるか遠くにあること・・・そして手前の山々の緑の濃いこと・・・。しばし眺めていたら、初孫ちゃんが真っ白なアイスクリームに興味を示した。そこで、帰りに食べようと約束して、さらに昇っていく。

薬王院の山門


 茶屋を抜けて、ようやく薬王院に着いた。四隅に四天王を配置した門をくぐり、境内に入ると、見慣れた天狗と烏天狗の二体の石像がある。初孫ちゃんがへっぴり腰で近づいておそるおそる見に行く姿がかわいい。そして私に聞く。おじいさん、あの天狗さんは、動かないの?」やっぱり、石像というものを見たことがないらしい。そこで説明をすると、安心した。まあ、長い年月の間にこういう経験を積み重ねていって、ようやく物知りになるのだなぁという気がする。だから、なるべくあちこちに連れて行って何でも本物を見せてあげることにしよう。そういえば、この子の親つまり我々の子供たちがまだ小学校4〜5年生の時のことを思い出した。その頃は、社会科で東大寺や奈良やらと言われてピンと来ていなかったから、家内が二人を伴って京都、奈良、飛鳥に連れて行って直接本物を見せてあげたところ、一発で理解したということがあった。そういうことが大切なのだろう。

天狗


烏天狗


 本堂に入った。現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立されたというので歴史はなかなか古いと思ったら、それどころか、ウィキペディアによれば「天平16年(744年)に聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として、行基菩薩により開山されたと伝えられている。その際、本尊として薬師如来が安置されたことから薬王院と称する。永和年間(1375〜79年)に京都の醍醐寺から俊源大徳が入り、飯縄権現を守護神として奉ったことから、飯縄信仰の霊山であるとともに修験道の道場として繁栄することとなる」という。その奈良時代まで遡る歴史を反映してか、山上の諸堂の本尊がいろいろとありすぎる。たとえば、修験道といえば必ず出てくる役小角をはじめとして、愛染明王、不動明王、弁財天、弘法大師、お稲荷さん、金毘羅さん、それに大天狗・小天狗・・・やっとこのあたりで高尾山らしくなる。タイから贈られた仏舎利まであった。日本人というのは、本当に昔から色々な神様仏様を敬ってきて、よくその相互に悶着を起こさなかったものだと感心するが、その歴史がこんなところにも現われているのは感慨深い。

本堂


本堂の赤い天狗の面


<  本堂正面の向かって右には赤い天狗の面が、左には緑の烏天狗の面が大きく飾られている。なかなかの迫力だ。初孫ちゃんは、あまりにもリアルなので、嫌がって逃げて行った。ふと見ると、お線香に火を灯しそれを灰の中に突き刺して、そこから立ち上る煙を体に浴びようとする仕草をしている人たちがいた。あれは何かと聞くので、ああすると健康になって頭もよくなると昔の人は言っていたというと、初孫ちゃんは「ふうぅーん」と言い、次いで「ボクもやるーっ」とやりたがったので、お線香に火を灯すところからやってもらった。その次は、お御籤を引きたがったので、これも自分で選んでもらったら、「大吉」を引き当てた。人生最初のお御籤にしては、なかなか上出来ではないか。そういえば、亡くなった私の父も、お御籤を引くと必ず「大吉」という人だった。この子も、その伝統を受け継いでいるのかもしれない。

本堂の天狗


本堂の天狗


 さて、そこから薬王院の奥の院に繋がる階段を登って富士山が見える展望台へと向かうのが普通のルートであるが、その上方に向けて折れ曲がる階段を見上げてびっくりした。延々と人波が続いて途切れることがない。しかも階段そのものがとても急だ。こんなところを5歳の子を連れて登るというのは、かなり無茶なことだと思って、そこで昇り続けるのを断念して、下り始めることにした。下の茶屋で、紫色のアイスクリームが売られている。初孫ちゃんはそれを食べたがったので、一息入れることにして2つ注文し、その合間にパンを食べることにした。ところがこのアイスクリームは、何とファンタ・グレープを冷やしたようなもので、初孫ちゃんは「これじゃない方が良かったな」などと不満そうだったが、何だかんだと言いながら、アイスクリームまるまる1つと、パンを2つ食べてしまった。

 食欲があるなぁと思ったら、次は睡魔に襲われたようで、「抱っこ!」とせがんでくる。しかしそうすると、こちらもまだ下りを控えていてダメージが大きい。そこで、なだめすかしながら何とかケーブル・カーの駅まで到達し、それでやっとのことで麓まで降りることが出来た。京王線に乗ってから、初孫ちゃんはぐっすり寝入ってくれたのである。しかし、そのまま起きてくれないものだから、電車を降りてから、自宅へ運ぶのには往生した。この子は最近ぐーんと成長して、ただでさえ重くなったのに、それが寝てしまったからますます重く感ずるようになった。今日は、山登りというよりはウェイトリフティングに行ったようなものだった。


本堂脇のお堂





(2013年10月27日記)


カテゴリ:徒然の記 | 23:22 | - | - | - |
徒然272.遺伝子解析会社(23andMe)

23andMeのホームページ



 私は以前、遺伝子改変技術を使って遺伝子操作が行われる可能性について、エッセイ(遺伝子操作の世界)に書いたことがある。人間の遺伝子は、たかだか26,800にすぎないが、これに遺伝子操作を加えて、頭の良くなる遺伝子、見目麗しくなる遺伝子などを強化していくビジネスが近い将来、流行るかもしれないと述べた。それは2009年6月1日のことだから、わずか4年前のことなのに、今朝(2013年10月20日)の朝日新聞を読んで、そうした手法の特許がアメリカで成立したことを知った。曰く「青い目で足が速く、乳がんになるリスクが低い子どもが欲しい…親が望む特徴を持つ赤ちゃんを作るデザイナーベビーにつながる遺伝子解析技術が考案され、米国で特許が認められた」。詳しくいうと、「自分と、精子や卵子の提供候補者ごとに、遺伝情報を解析して、望み通りの子どもが生まれる確度を予測するシステムだ」という。

 特許を得たのは、個人向け遺伝子解析会社の「23アンドミー:23andMe」(カリフォルニア)で、2007年から唾液に含まれるDNAの遺伝子配列の僅かな違いである(SNP)を分析して、アルツハイマー病や糖尿病など120の病気発症のリスクだけでなく、目の色や筋肉のタイプ等の250項目を判定する事業を行ってきた。価格は約1万円(99ドル)、利用者は50ヶ国以上の40万人という。このデータを利用して、病気発症のリスクだけでなく、人間の特徴たとえば身長、性格、寿命、酒の強さ、目の色、頭髪の薄毛、筋肉のタイプなどを判定するらしい。

 もちろん、病気は遺伝的要因だけでなく、生活習慣にも大きく影響されるものだから、この結果が悪いからと言って過度に心配する必要はないし、この結果を信じ過ぎて生活が乱れてかえって病気を引き起こすという恐れもある。それに、遺伝子が人間の特徴の発現に影響を与えるとはいっても、この調査で分かるのは大まかな可能性に過ぎないから、さほど信用すべきものではないと思う。しかし、それでも最近、美人女優のアンジェリーナ・ジョリーが、こうした検査の結果、自分は乳がんになる確率が87%と非常に高いと知って、サッサと自分の両乳房を切り取ってしまったということが報じられ、その当否が話題となった。だから、やはりこうした検査結果をそのまま信じる人も必ずいるというわけだ。これからデータがどんどん集積されればされるほど、データの正確性が増し、調査項目もますます多くなってくるものと思う。そうすると、結婚前の相手の選別に利用されることなど、ごく当たり前のことになるだろう。それどころか、今でもインターネットで売られている精子や卵子が、そのDNA情報付きになってますますコマーシャル化が進むに違いない。

 問題は更にその次の段階で、現在は農業などで利用されている遺伝子組換え作物の技術が人間に応用されかねないかという心配である。たとえば、記憶力が良くなる遺伝子が同定されたとして、それが組換え技術で受精卵に組み入れられ、文字通りデザインされた赤ちゃんが誕生するという事態になるのではないかと思うのである。これに比べれば、受精卵を着床前に調べて男女の産み分けをする技術など、まるでかわいいものだ。

 さて、そのような次の段階が定着したとして、更にまたその次の段階はどうなるかといえば、人間の能力を経済力が支配する時代が訪れるのではないかと思う。現在、インターネットでは既に、たとえばノーベル賞受賞者の精子、世界のトップ・アスリートの精子、一流芸術家の精子、白人女性の一流モデルの卵子などが売買されているらしい。試行錯誤を経て遺伝子操作技術が安全な技術として定着してくると、これと同様に近い将来、受精卵を操作するための、頭の良くなる遺伝子セット、運動神経が一流になるセット、女優並みの美人になるセットなどというのが用意されて、それぞれの組み合わせで価格がどんどん上がっていくという、まるで結婚式の費用のオプション料金みたいになるだろう。要は、お金を出せば出すほど、子供は素晴らしい能力や外見を持てるというわけだ。そうなると、経済力のあるお金持ちだけが、この恩恵にあずかることが出来る。かくして、強い者・恵まれた者は、ますます強く美しく壮健になり、かつ経済的にも社会的にも恵まれてくるというわけだ。

 こういう傾向が続くと、場合によっては今から数百年後、遺伝子組換え人間という新人類が世界を支配しているということにもなりかねない。これこそ、まるでSFのような世界にほかならない。しかしこれが、やがて100億人にも達しようとする近未来の人類の姿かもしれないのである。そうなると、フランス革命以来、人類が獲得し、営々と積み上げてきた「自由、平等、博愛」の精神は、いったいどうなるのであろうか。




(2013年10月21日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:07 | - | - | - |
ふじさわ江の島花火大会

ふじさわ江の島花火大会の20号緑芯錦冠先色蜂


 ふじさわ江の島花火大会(写 真)

 10月19日、江の島で花火大会が開催されるという。時間は午後6時から6時45分までだ。そうすると東京に帰り着くのは午後9時前後となるはずだから、もうすぐ5歳になる初孫ちゃんを連れていくのにはちょうど良い。この時期の花火大会としては、花火カレンダーの全国花火大会による関東の人気ランキングで第1位の「土浦全国花火競技大会」があるが(注)、帰京するのが真夜中になりそうだから、小さい子連れには無理である。

ふじさわ江の島花火大会


 また例の通り電車で行くのも良いが、調べてみると「ぽけかる倶楽部」という旅行会社で丸の内ビル前午前11時50分発、帰京午後9時のツアーがある。これまでの花火大会でやってきたように、花火の帰りに子連れで混んでいる電車に乗るというのもなかなか大変なことなので、ではこちらにしようということで申し込んだ。手続きはインターネットで簡単に出来て、支払いもクレジット・カード決済だから手軽である。ツアー・イベント名:<湘南の夜空に煌めく秋の華! 『ふじさわ江ノ島花火大会』バスツアー(江ノ島にて海鮮丼のお食事付)>(バス代+花火観覧「桟敷席」チケット代+添乗員)というわけだ。1人分8,980円。

ふじさわ江の島花火大会


 当日になった。丸の内ビルの東京駅と新丸の内ビルに面した角にツアー・バスが到着して、初孫ちゃんと一緒にそれに乗り込んだ。参加者は意外と多くて30人、添乗員は60歳を過ぎたと思うくらいの胡麻塩頭のおじさんである。出発前、初孫ちゃんは立ち上がって盛んに後ろの席のおばさんと話をしている。そうこうしているうちに、バスが出発するのでシートベルトをさせるために初孫ちゃんを座らせた。首都高に乗ってまず横浜に向かう。無理やり座らせられてご機嫌斜めだった初孫ちゃんも、途中、レインボー・ブリッジや東京湾の海底トンネルをくぐって行くのに興味を持ち、景色の変化を楽しんでいる。そうこうしているうちに、かつて自分の保育園があった横浜ランドマークタワーを見つけてはしゃいでいる。バスはベイブリッジすぐ脇の大黒パーキングエリアに到着した。そこでトイレに行ってもらい、またバスに乗る。横須賀半島根元の山の中を走り抜け、逗子から高速道路を降り、逗子と鎌倉を抜けて午後1時20分に江の島に到着した。

ふじさわ江の島花火大会


 こんな早く着いてどうするのだろうと思っていたら、辻堂の駅の北側にある「テラスモール湘南」というところに連れていかれた。ここで1時間ほど過ごしてくれとのこと。バスから少し歩いてこのショッピングモールに着いたが、途中は風も強くてとても寒かった。気温は15度とのこと。われわれにとっては、まるで真夏から晩秋に一足飛びに連れて来られたようだ。これは初孫ちゃんが可哀相だと思って、ショッピングモールのすぐ入口にあるユニクロでサイズ120のジャンパーを買った。いろいろな色調があったが、初孫ちゃんが「青がいい!」というので、真っ青のものを選んだ。着させてみると、まるで青い蓑虫のようで笑えて来たけれど、暖かそうだからまあ良いか。迎えに来たバスに再度乗り込み、夕食の会場に向かう。そこは江の島のKKRニュー向洋というのだけれど、まあ、それなりのものが出てきた。こんな海鮮丼、果たして初孫ちゃんが食べるのかと思っていたら、玉子だけでなく、魚も2種類を選んで食べ、それから寿し飯も半分近くも食べていたのは意外だった。

ふじさわ江の島花火大会


 午後5時となり、いよいよ花火会場に向かう。バスの駐車場である江の島タクシーから有料観覧席まで歩いて10分の道のりだ。観覧席はどこかと思ったら、何と江の島に繋がる江の島大橋の中ほどにある海岸そのものに並べられたパイプ椅子の列である。そこの指定された番号の席に座り、午後6時の開始を待つ。気になるのは天候だ。東京の家内からのメールによれば、あちらではもう雨が降り始めているそうだ。こちらはショッピングモールにいた時にポツポツと雨粒が落ち始めたけれども、少なくとも今は雨が降っていない。でも、空は雲が低く降りてきていて、いつ降り始めてもおかしくない。そんなことになれば、せっかくここまで来た甲斐がないというものだ。加えて、いささか心配なことに、風が強くなってきた。それにつれて体感温度も低くなってきたので、初孫ちゃんを膝の上に乗せて抱いた。手持ち無沙汰になった初孫ちゃんが私の三脚やカメラに手を出そうとするので、大好物のメロンパンを食べさせてその手が自然に塞がるようにした。そのうちようやく午後6時となり、藤沢市長の開会宣言で花火大会が始まった。

ふじさわ江の島花火大会


 実は、これがキヤノンEOS−70Dを使った最初の花火の撮影だったのだが、何か気が乗らなくて事前の準備を全然していなかった。そもそも初孫ちゃんの世話があるから、カメラを持って行くのは止めようと思っていたくらいだったが、出発直前になって三脚が入るリュックが準備出来たからカメラを持ってきたという体たらくである。それでも、いざ会場に来てみて三脚をセットし、その上にカメラを乗せると、良い写真を撮りたくなった。リモート・レリーズ(Remote Release )、つまりカメラのシャッターボタンを押す代わりに離れた場所からシャッターを切るアクセサリーは買ってあったのだが、使うのは初めてだ。カメラの脇にある適当な穴に差し込んで、ボタンを押すと、シャッターを切ることが出来た。長い間押し続けるのはどうするのかと思って試してみたところ、押したまま上にスライドすれば押しっぱなしになるようだ。まあ、これで適当にやるか・・・。当然、カメラ撮影の設定は「B」つまりバルブである。天文現象でなくて花火だから1秒から3秒くらい、シャッターを開いておけばよいだろう。それから、背景に花火の煙が光って入り込むと画面が汚くなるので、露出補正をマイナス2ないし1.5にしよう。これらの操作を片手で初孫ちゃんの相手をしながらもう片方の手でやるのだから、大変だ。

ふじさわ江の島花火大会


 いただいたパンフレットによると、それなりのシナリオがあるらしい。シーン1はプロローグで「しっとりした前半から、これからの盛り上がりを予感させる迫力ある花火に続」くという。花火の打上げが真上だけでなく、斜め上に上がって行くのは斬新で美しい。

 シーン2はメモリアル・ステージということで、花火そのものは普通だが、打ち上げ前にメッセージが入る。たとえば、しゅんくん、ここ江の島で元気に育ってね」(しゅんくんのパパとママより)、きらら、1年半ありがとう! 今年も愛してます」(カンカン)、91歳おめでとう!来年も一緒にいようね」(佑樹、萌華、双葉)、頑張れ藤沢応援しているよ。光の芸術ありがとう」(藤沢湘南台病院)などというものである。これだけを見ると千葉の花火大会とあまり変わらないが、広告宣伝色が全くないのですっきりしている。それに続いた音楽花火は、コンピューター制御による、まるで組体操のようなもので、感心して観ていた。初孫ちゃんの方を見ると、うっとりして「いいねぇ」などとつぶやいている。笑ってしまった。

ふじさわ江の島花火大会


 シーン3は、光の造形ということで、芸術玉の数々や色とりどりの花火で様々なキャラクターが登場する。しかし、これがなかなか撮りにくい。シャッター開放が短かければ写らないし、長いと何がなんだかわからなくなる。こういうものを調整して自然にみせる人間の眼というものは、つくづく素晴らしいと思う。

 シーン4は、エビローグというもので、「フィナーレを飾るのは江の島花火名物、金色の大瀑布そして特大2尺玉で大会を締めくくります。壮大なメロディーにのせて、花火の迫力を体で感じてください」とのこと。確かに、最後を飾る一面が金色となった大花火と、大空一杯に、赤、青、緑、白、黄色の下向きの箒の先のような形が広がる「20号緑芯錦冠先色蜂」(冒頭写真)という花火は、素晴らしいものだった。

ふじさわ江の島花火大会


 この大会は、花火の合間にかかっている曲も、湘南らしい雰囲気が出ていてなかなか良かったし、花火そのものも全部で3000発と少ないが、何よりもあの江の島のサイズにぴったりとなるように厳選された感があった。また、観覧席と花火との距離がちょうどよくて、見やすいし、写真も撮りやすい。なるほど、このローカルの花火大会が関東地方で土浦全国花火競技大会に次いで第2の人気をよんでいるだけのことはある。

ふじさわ江の島花火大会


 ところで、いただいたパンフレットの中に書かれていた記事の中で面白いものがあったので、ここに引用しておきたい。第一は、日本の花火と外国の花火の違いである。日本の花火の典型例である芯のある菊の形が出る花火は、球体を作るのだが、真ん中に導火線、その周りに割火薬、その周りに心星、その外側にまた割火薬、その外側にまた星という形をしている。これによって「(1) まん丸く大きく、空に五彩七彩の花を広げる、(2) 花弁ひとつひとつの色が変わる、(3) ひとつの円でなく、花の芯のように二重三重の円を描く」という。これに対してアメリカ・ヨーロッパ・オーストリア系の花火は、そもそも筒型が多くて、花火が開く形は、下向きの箒の先のような姿をしているという。なるほど、さきほどの「20号緑芯錦冠先色蜂」は、これかもしれない。

ふじさわ江の島花火大会


 第二は、花火の楽しみ方である。単発で打ち上げられる割り物花火は、「(1) 玉の座り〜 美しい花火が開くには発射された玉が空中に上がり上昇力を失ってちょうど落下する瞬間の静止状態で破裂することが理想的で、この瞬間を逃すと丸くなくなって花火の形が崩れてしまう、(2) 割り口〜 玉が座ったところで点火し、星が一斉に飛び散る瞬間のことだが、すべての星が同時かつ均等に飛びちらないといけない、(3)〜 つまり玉の開いたときの形で、どれだけ均等のとれたきれいな球形に見えるかがポイントで、たとえば瞬間的に素早く開く玉は男性的だが、これとは対照的にゆっくりと大きく開く玉は女性的で優雅なおおらかさを感ずる、(4) 星が泳ぐ・抜け星〜 前者は星がいびつだったりその表面の燃焼が均等ではなかったりした等のために軌跡が曲がったり均等ではないこと、後者は星の一部が着火せずにそこだけ抜けてしまうこと、(5) 消え口〜 すべての星が一斉に吹き消すように消えるのが良いとされている」とのこと。

ふじさわ江の島花火大会


 それから、煙火(花火)の形である。「」というのは、芯とその周辺の二重三重構造の球体で、ひとつひとつの星が細長くなっている。「牡丹」というのは、同じく二重三重構造の球体だが、個々の星が細長くなくて丸い。「」は、下向きの箒の先のような形。「大柳」は、柳が大きくなっている。「スターマイン」は、上にたくさんの丸型の花火を何発も連続して打ち上げる。「小割」は、大きく打ち上げるが、それが中くらいの花火に分かれてそのひとつひとつが菊のように開く。「土星(立体型物)」というのは、土星やキャラクターを模ったもの。「椰子」というは、文字通り椰子の木のような形になっている。

ふじさわ江の島花火大会




(2013年10月19日記)






(注)花火カレンダーの全国花火大会による関東の人気花火大会ランキング(2013年10月9日現在)

第1位 第82回 土浦全国花火競技大会(茨城県)
第2位 ふじさわ江の島花火大会(神奈川県)
第3位 燃えよ!商工会青年部!!第12回こうのす花火大会(埼玉県)
第4位 2013 NARITA花火大会in印旛沼 8th(千葉県)
第5位 あついぞ!熊谷 第64回熊谷花火大会(埼玉県)
第6位 第36回 隅田川花火大会(東京都)
第7位 第35回 足立の花火(東京都)
第8位 第2回 寒川みんなの花火(神奈川県)
第9位 第28回 神奈川新聞花火大会(神奈川県)
第10位 納涼花火(神奈川県)




カテゴリ:エッセイ | 23:27 | - | - | - |
東京スカイツリーからの眺め

東京スカイツリー



 東京スカイツリー(写 真)


 今頃と言われそうだが、先日、家内と東京スカイツリー(634m)に昇って来た。勤めているオフィスから、夏休み休暇の最後の日を消化してほしいと言われて、それではと応じたのはよいが、さて、どうしようと思っていた。すると家内が、去年5月に東京スカイツリーが完成して以来全く昇ったことがないから、一度は行ってみたいという。そうだ、確かにその工事中は、もう何メートルまで出来たなどと大いに関心があったのに(245m511m609m)、完工してからは大混雑だという話を聞いて、そもそも行こうという意欲が失せてしまっていた。では行ってみようということになり、その提案に乗ってみることにした。もちろん平日の朝だから、もうそれほど混んではいないだろうという計算もあった。

東京スカイツリーの入場までの列


 東京スカイツリーは、千代田線沿線の我が家からは大手町回りでも北千住回りでも、30分もかからないで行ける。しかし、朝一番で日本橋のデパートに行って紳士服を買おうとしていたので、そちらに回っていたから押上駅に着いた時には、既に午前11時を過ぎていた。もうその頃からスカイツリーへの入場を待つ人の列は延々と続いていて、入場待ちの建物から、もう少しではみ出しそうなくらいだった。なんとかその最後尾に付いて表示を見ると、70分待ちだそうな。家内にどうするかと聞いたら、雑談しながら待ちましょうということで、そのまま、うねうねと果てしなく続く行列の中にいることにした。周りの人たちを見ると、年齢層も国籍もバラバラ。我々もそうだけど、その人たちもまあ、忍耐強く待っていること。思わず感心してしまうほどだ。

東京スカイツリーの入場までの列


 やがて最前列に来たかと思うと、直ぐに呼ばれて二人分の入場料5000円を支払った。そうすると、直ちにエレベーターのところに案内されて、気が付いてみるとその扉の前に立っていた。エレベーターは直ぐに来て、そのまま上へと一直線に昇ったのである。途中で籠の中から真上を見上げると、スカイツリーの網目状の構造が良く見える。わずか50秒という文字通り瞬きするほどのわずかな間に、展望台である天望デッキに到着した。ドアが開くと、そこはもう地上350メートルの世界だ。エレベーターのドアから降りると、目の前に東京のパノラマ風景が広がる。この日は晴れていたとはいえ、遠くは霞んでいる。その中で家内が「あれは、富士山ではないかしら」と指差すので、その方向を目を凝らしてよくよく眺めると、霞の中で水墨画のごとくにそれらしき山が浮かんでいる。「そうそう、山の形といい、方向といい、あれは富士山以外にはあり得ないね」などと言ってから、目を凝らさなければ見えなかったのは、近頃、法律の文章を読み過ぎたことによるものかと反省した。

東京スカイツリーから見た富士山



東京スカイツリーからの眺め、不忍池ほとりの高層マンション


 入場するときにいただいたパンフレットと実際の風景を照らし合わせてみる。まずは、分かりやすい上野公園方面にある我が家の方向である。これは、上野公園の緑と不忍池の畔に立っている高層マンション、さらにはその左隣にある東京大学医学部附属病院の新棟を目印にすればよく、すぐに分かった。すると我がマンションは、あの辺りかと、目星がついた。撮った写真をあとで拡大して見てみると、やはり写っていた。それもそのはず、私のマンションの屋上から何の障害物もなくスカイツリーを眺められるから、建物を直接見られるのは当たり前なのだが、こうやって確認できると嬉しい。

東京スカイツリーからの眺め


東京スカイツリーからの眺め、隅田川〜東京タワー方面



東京スカイツリーからの眺め、新宿副都心方面


 そのようにして、おおよその方向を見定めた上で、あれはなに、こちらはなに、というように見知った風景を確認していった。知っている風景とはいっても、それは地上から間近で見たものだ。ところが地上から相当高く、しかもこれだけ離れていると、やはり高層ビルでなければ容易には分からない。新宿の都庁をはじめとする高層ビル群は良く判別できたが、驚くほど小さいのである。東京湾方向に目を転ずると、レインボーブリッジがあるし、それにお台場のフジテレビの丸い球体に太陽の光がキラリと反射しているから判別しやすいのだけれど、これも相当に小さい。さらに左手をみていくと、初孫 ちゃんとよく行く葛西臨海公園はすぐに分かった。公園中央の吊り橋と観覧車が見えたからである。それでは、ディズニーランドが見えるはずだと思ってそのさらに左手に目をやるとスペースマウンテンの屋根とディズニーシーのプロメテウス火山が見えた。近くでは、隅田川に掛かっている「X」字の形をした桜橋が目立っている。荒川が東京の外側を大きく回り込んでいるのがよく分かる。確かに、この堤防が決壊しようものなら、東京は水浸しになるだろう。ただでさえ、地下鉄のトンネルで繋がっているから、ますます危険だ。

東京スカイツリーからの眺め、葛西臨海公園



東京スカイツリーからの眺め、ディズニー・リゾート


 それはそうと、皇居がもっと大きく見えるかと思ったが、そうでもなく、かなり小さかった。また、スカイツリーの足元に目をやると、道路と街並みが碁盤の目のようになっている。関東大震災か東京大空襲のときにでも整備されたのだろうか。それにしても、大空襲のときにはこのスカイツリーの真下を流れる北十軒川には、被害者の方々が折り重なって浮かんでいたそうだなどという話を聞くと、我々はそのような痛ましい歴史の上で、束の間の繁栄を謳歌しているのではという思いがしてならない。

東京スカイツリーの天望デッキ(350m)と天望回廊(450m)



東京スカイツリーの天望デッキ(350m)と天望回廊(450m)


 それはともかく、家内がもっと上に昇ってみようという。確かに、70分も待った末にここで帰るのは意味がないことから、さらに一人当たり1000円を払って地上450メートルの天望回廊に行った。眺めは更に遠くまで見渡せるようになったものの、何かが抜群に良くなったというものではない。それでも、この天望回廊の売りはそのガラス張りのスロープにある。スカイツリーの外側をカタツムリの殻のように巻き付いているこのスロープをゆっくりと下りながら景色を見ていくと、大空を歩いているような不思議な感覚に襲われる。 >


東京スカイツリーからの眺め


 ということで、空中散歩は終わり、家内と二人でまた、地上に戻って来た。やはり、こちらの方が落ち着く気がする。雲の上は、あまり性に合わないようだ。さて、東京プチツアーは、これでお仕舞いとしよう。



(2013年 9月18日記)






 東京スカイツリー245mは、こちらから。

 東京スカイツリー511mは、こちらから。

 東京スカイツリー609mは、こちらから。

 東京スカイツリー634mは、こちらから。

カテゴリ:エッセイ | 22:37 | - | - | - |
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