徒然268.フニクリ・フニクラ


 赤い火を噴くあの山へ 登ろう登ろう
  そこは地獄の釜の中 のぞこうのぞこう
  登山電車ができたので 誰でも登れる
  流れる煙は招くよ みんなをみんなを
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ


 暗い夜空に赤々と 見えるよ見えるよ
  あれは火の山ベスビアス 火の山火の山
  登山電車が降りてくる ふもとへふもとへ
  燃える焔は空に映え 輝く輝く
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ
  行こう行こう 火の山へ
  行こう行こう 山の上
  フニクリフニクラ フニクリフニクラ
  誰も乗る フニクリフニクラ


             訳詞: 清野 協、 青木 爽
             作曲: ルイジ・デンツァ


 ウチの初孫ちゃん、ディズニーシーに何回か行ったことから、あそこのプロメテウス火山が大のお気に入りで、誰にでもその話をする。「ねえ、プロメテウス火山って知ってる?ドドドーって、爆発するんだよー」と、爪先立ちして両手を一杯に伸ばして爆発の様を見せ、ついでに口を大きく開けてドドーンとやるから面白い。

 そんなに火山が好きなら、何か歌がなかったかなと考えて思いついたのが、フニクリ・フニクラだ。ウチの子供が小さい頃からあった歌だったなぁと思いながら歌詞を諳んじてみたら、意外と簡単に出て来た。念のため、ネットで調べてみると、ほぼあっている。これだこれだと思い、初孫ちゃんに歌ってみたら、あっさり「変なの!」と言われてしまった。これはいかん、誰かプロが歌っているビデオはないかと思ってYouTubeで検索したところ、面白いビデオを見つけた。それが冒頭のビデオである。

 このビデオを含めてこの歌にまつわる話をいろいろと集めてみると、面白いことが分かった。そもそもここに歌われた火山は、イタリア半島の西側にある風光明媚なナポリ湾の東9kmに位置するヴェスヴィオス火山のことである。ヴェスヴィオス火山といえば、紀元79年の大噴火で、その麓にあった古代ローマの町ポンペイを火砕流で焼き尽くし、埋めてしまったことで世界的に知られている。ヴェスヴィオス火山はその後何回も噴火を繰り返してきたが、今日までイタリア市民にこよなく愛され、親しまれて来た火山だという。

 そして、19世紀末には、この火山を見物するために、麓から火口までをつなぐ登山鉄道まで出来たそうな。どんな鉄道かは、このビデオに出て来る。東京近辺なら、ちょうど大山のケーブルカーのようなものだ。ところがこの鉄道、開業当初は客がいなくて閑古鳥が鳴いていたそうだ。そこでこの鉄道の完成を祝し、合わせて宣伝するために、作曲家ルイジ・デンツァが1880年に作ったのがこの曲というわけだ。一説には、世界で初めて作られたCMソングだという。そういうわけで、この登山鉄道は評判となり、大繁盛したそうな。ところがそれで話をおしまいにしてくれないのがヴェスヴィオス火山の怖いところ。この登山鉄道は、1944年の大噴火で焼けてしまったそうだ。それ以来、再建されていない。しかし、この歌だけは人々の記憶に残り、未だに歌い継がれているという。ただ、原語の歌の意味は、日本語の歌詞とは似ても似つかないもので、意中の女性に愛を告白するというもの。さすがにイタリアらしい。

 色々なエピソードがさりげなく入れられているこのビデオ、歌っているのが由緒正しきテノール歌手の福井敬さんで、実に良い声だ。イタリア語なのに、日本語の「山」に聞こえる部分があるから、これまた不思議である。調べてみると、ナポリ語の「Jammo」を歌う部分である。初孫ちゃんは、じーっとこれを聴いていたが、特に何も言わなかった。しかしその直後に二人で手を繋いで外出したとき、「ヤンマ、ヤンマ、ヤンマ」と調子よくつぶやいていたのには、思わず笑ってしまった。




(2013年 2月16日記)


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徒然267.インフルエンザ

いただいたイナビルの説明書



 先週の土曜日、普段通りに夕方にお風呂に入っているとき、珍しく寒けがした。ついでに、体も少しだるい。夜になると、寝付いたところで咳が出て、眠るどころではなくなった。ああ、これは風邪を引いたのだなと思い、インターネットで休日当番医を検索して、明日になったら行こうと思ってそのまま寝床でうつらうつらしていた。

 翌朝、体温を測ったら、37.1度である。たいした風邪でもないが、咳が続いて眠られなくなるのは辛い。念のため、医者に行っておこうと思い、朝一番で、その休日当番医に行ってみた。バスに乗って15分、iPhoneの地図ですぐに見つかった。町医者に毛が生えた程度というよりはやや大きく、地域の診療機関としてはまあまあの規模ではないだろうかと思える医院である。

 50歳代の医者に病状を告げ、渡された体温計で計ると、やはり37.1度と変わらない。ああーんと口を開けて診てもらうと、「喉が赤いです」と言われ(それくらい、自分でわかっている)、その他症状から、「これは風邪ですね」と、にべもない。私が、「最近はインフルエンザが流行っているから、念のため調べていただけませんか。周りにうつしたくないので」というと、医者は「ああ、この程度の熱なら普通の風邪だと思いますが、それでは念のため検査しましょう」と答えて、鼻水を採られた。そして検査キットに入れて待つこと数分。医者の素っ頓狂な声が響いた。「あれぇー、A型インフルエンザです。検査キットを見せてもらったら、A型のところに赤い線が浮き出ていた。

 あれまあ、これは困ったなというのが、まず第一に思ったこと。というのは、その週の火曜日から大事な仕事が続き、ほとんど缶詰状態になることがわかっていたし、それに娘一家が横浜を引き払って来て東京に新居を構える頃であることから家内が活躍する必要があり、したがって、家内には特にインフルエンザ・ウイルスをうつしてはいけない時期だったからである。

 医者は、よく話を聞くタミフルやリレンザではなくて、イナビルという抗インフルエンザ薬で処方してくれた。これは、その場で吸い込んで、喉や気管支に巣食うインフルエンザ・ウイルスにくっついて、これを無力化するという最新の薬らしい。吸い込み口のある小さな容器をトントントンと叩いて、まずその半分を吸い込めという。それが終わったら反対側。さらにそれをもう一度繰り返した。10歳以上は合計4回も吸い込まなければならないそうだ。面倒だが、薬を吸い込むことによって、患部にいるウイルスに直接作用するから、いかにも効きそうだ。

 それを終わってから医者に対して、「昨年11月にインフルエンザの予防注射をしたのですがねぇ」と言うと「ああ、あれは型を外したのか、あまり効果なかったようです」と事もなげに言う。帰ってからインターネットで調べると、あの予防注射は、「インフルエンザに罹ることを防ぐことはできないが、重症化するのを避けられる」という程度のものらしい。そんなものは予防注射と言うべきではないと思うが、今回の私の37.1度というのは、インフルエンザに罹ったときの話として聞く39度台の高熱に比べれば、確かに症状は強くない。

 私は、ここ10数年間、幸いにして通勤は車なので、通勤電車に乗り合わせることがないためか、風邪を引くのはせいぜい数年に一回というペースであることから、前に風邪を引いたのはいつのことか、忘れてしまったほどである。しかし、仕事のことやら家庭のことを考えると、ここで周囲の人にうつしてしまっては、誠によろしくない。帰りのバスの中でどうしようかと考えたところ、これはもう自己隔離しかないと思った。つまり、入院する代わりに、治るまで自分でホテルに泊まって周囲への感染を防ぐのである。幸い、体温は37.1度だから、だるいがゆっくり歩けば歩けないこともない。

 インターネットで自宅から20分圏内のビジネス・ホテルを調べて、そこに4泊することにした。5日間もあれば、治るだろう。予約は、iPhoneから簡単に出来る。一泊1万円弱だから、さしたる出費ではない。それより、このまま家にいると、回りにうつしてしまうから、その方がはるかに安心だ。驚く家内をしり目に手早く荷物をまとめ、そのままタクシーでホテルに直行した。繁華街のビジネス・ホテルで、やや狭いが、シーツも枕も清潔で気持ち良かった。午後はその部屋に寝ていて、夕方7時のニュースを見て、マスクを着け、そこからゆっくりと歩いて、近くのレストランへ食事に行った。やや頭痛がするので、そろりそろりと歩く。天麩羅などの揚げ物、中華料理のような脂っこい物には全く食欲がわかない。肉じゃがと焼き魚という至ってシンプルな和風料理を注文した。食べられるかなと思ったが、何事もなくすべて食べられた。

 家族からどんどん様子をうかがうメールが来て、時間を置かずにそれに対して返事を書いていると、「何だ、案外元気じゃない」という反応もあって思わず苦笑い。枕元にお茶のペットボトルを置いて、少しずつそれを飲むようにしていたら、明け方、飲んだ直後に胃が重い気がしてそのまま起きてしまった。なぜお茶を飲んだ直後にこうなるのだろう考えたところ、これは単にお茶に含まれるカフェインのせいだけではなくて、やはりお茶は却って薬の成分を抑えてしまうからではないかと思い付いた。こんなこと、常識なのだろうが、何しろもう何年も病気をしていないので、すっかり忘れてしまっていた。

 ちょうど、その頃、医者をやっている娘からメールが入る。何か持っていこうかという話なのだが、「ポカリスエットをどんどん飲みなさい。これは、点滴をしているのと同じことよ」とのこと。近くにコンビニがあるので、やはりマスクをしてよろよろと買いに行った。自分でも不思議なことに、どんどん飲めてしまう。1日でポカリスエットを2本、普通の水を1本も飲んでも、それでいて何ともない。まるで砂漠が水を吸い込んで跡形もなくなるように飲めてしまうのである。

 そうやって翌月曜日もホテルの一室で寝ていた。ややお腹が空いたので、お昼は、やはりマスクを付けて近くの蕎麦屋に行き、天麩羅蕎麦を注文したくなるのを抑えて、ちから蕎麦つまり餅とほうれん草が入った蕎麦を注文して、これまたペロリと食べられた。こうやって食べられるから、治りも早いかもしれないと期待する。それでまた、帰りがけにポカリスエットを買って帰ったのである。うつらうつら寝ていると再び夕方となった。時間の経つのが早い。さて、今度は何を食べようかと考えながら外へ出て、結局、浅草今半の牛丼を注文した。ところが、ここで異変が起きた。普段の大好物で、美味しいはずの今半の牛丼に、少しも味が感じられなかったからである。ああ、これはインフルエンザのせいかと思ってネットを調べたら、まさにそうだった。食べ物の味がしなくなる症状が出るとある。そのほか、調べたところでは、体の節々が痛くなるとあったが、やはりこの症状も、その日の夜から出てきた。もっとも、どちらも大したことはなかったが、これでインフルエンザに罹っていることがますますはっきりした。

 次の火曜日は、仕事があるので、車にホテルまで来てもらいマスクを付けて何とか出勤し、夕方に早退してきた。ポカリスエットを飲み、再び寝付く。翌日もその繰り返しだ。おかしなことに、朝の体温は36.8度に下がるが、寝る直前に測ると37.1度へと上がる。これが続いたが、ホテルをチェックアウトする最後の日の朝の体温は36.4度と平熱に戻り、その日の夕方も同じだったので、ようやくインフルエンザが抜けたことを実感した。それにしても、家族や職場の皆さんのどちらにも影響なくて、本当に良かった。





(2013年 2月10日記)


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