ふるさと祭り 2013年(写 真)
近くの東京ドームで開催された
「ふるさと祭り」に行ってきた。実は平成23年1月10日、つまり東日本大震災の発災の日である3月11日の直前にも
見物に行ったので、これが2回目となる。昨年、開催されたかどうかは知らないが、大震災と津波の被害からまだ1年も経っていないから、たとえ開かれたとしてもとても行こうという気はしなかったはずだ。しかし、どんなに悲惨なことがあったにせよ、人というものは忘れるのも早い。いや、これだけ自然災害に襲われる日本だからこそ、そうした一種の健忘症のようなものが必要なのかもしれない。
というわけで被災地の皆さんには申し訳ないが、今回もそうした癖がつい出てしまい、1月14日と19日と2回も東京ドームに通った。おかげで全国各地のお祭りを10ヶ所も網羅することができた。見られなかった主な祭りは、仙台すずめ踊り(宮城)、牛深ハイヤ祭り(熊本)、佐渡おけさ(新潟)それに鳥取しゃんしゃん祭りだけだ。仙台すずめ踊りは見たことがあるし、ほかのお祭りもそのうち見物する機会もあるだろう。それに、19日は初孫ちゃんと一緒だったから、その反応がなかなか面白かった。
(1)五所川原立佞武多
あの広い東京ドームの会場で、あたりを睥睨するように立っていたのが五所川原立佞武多(ごしょがわら・たちねぶた)である。高さは確か20メートル、重さは21トンもあると言っていたような記憶がある。ともかく、圧倒されるような巨大な像である。青森県五所川原市で毎年8月初旬になると、これが運行されるそうな。青森ねぶたは横に広い像だが、この五所川原立佞武多は巨人が立ち上がっているような趣があり、アラジンの魔法のランプから出てくる巨人を思い出してしまう。
やがて運行という時になると、会場の電気は暗くなり、この五所川原立佞武多に煌々と電燈がともる。すると、法被を着た威勢の良い人たちが、鳴り物を持って登場し、「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の掛け声とともに会場を練り歩く。それとともに山形の花笠音頭の踊り手のような衣装を着た奥様方がしなやかな踊りを繰り広げる。ただし、青森ねぶたのハネト(跳ね人?)のようなカオス的踊りではなく、それなりのリズムと決まった踊り方のようだ。
五所川原の立佞武多の館の
HPによれば、これが記録に現れるのは明治40年頃で、その頃から巨大ねぷたは高さを誇るようになり、約10〜12間(約18〜21.6m)に及ぶようになったという。しかし、大正時代になり電気が普及すると、ねぷたは小型化の一途をたどり、戦後の2度の大火で設計図や写真が消失したことから、巨大ねぷたはいったん姿を消した。ところが、1993年に当時の設計図と写真が発見されたことから翌年に小さなねぷたが復元され、その後1998年になって、80年ぶりに完全復活をとげたという。いずれにせよ、この佞武多は貴重な文化遺産である。
(2)久麻加夫都阿良加志比古神社
久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶと あらかしひこ じんじゃ)とは、石川県能登半島の七尾市にある神社で、熊甲神社といわれ、毎年9月20日に行われる例大祭のお熊甲祭では、鳥兜をかぶり、狩衣を着け、棒を持った猿田彦が、鉦や太鼓に合わせて不思議な踊りを踊る。その一方では数十人の若い衆が長さ20メートルは十分にある真っ赤な旗を担ぎ、しかもそれを地面すれすれに倒すという勇壮な祭りである。
特にその真っ赤な旗を倒すのは「島田くずし」といわれるそうである。つまり、旗を乗せた長四角の枠を全員で傾け、それをまた枠の上に乗った2人が旗の先に括り付けた紐で必死になってコントロールするという手に汗を握る演技だ。豊作や豊漁を祈るものだそうだけど、いやはや、これは凄いの一言である。
(3)八戸市日計えんぶり組
次は八戸市の日計(ひばかり)地区の「八戸(えんぶり)」である。「木と八」の字を左右に組み合わせて「えんぶり」というそうだ。八戸市の
HPによると、
「えんぶりは、その年の豊作を祈願するための舞で、太夫と呼ばれる舞手が馬の頭を象った華やかな烏帽子を被り、頭を大きく振る独特の舞が大きな特徴です。その舞は、稲作の一連の動作である、種まきや田植えなどの動作を表現したものです。また、えんぶり摺りの合間の子供達による可愛らしい祝福芸も、見る者を楽しませてくれます」。
ああ、なるほど・・・あの派手な被り物は馬の頭を模した烏帽子なのか・・・それにしても、これを被って頭を倒しながら左右に、あるいは丸く円を描くように振っているが、稲作の動作を真似ているとは知らなかった。それから、男の子や女の子が出てきて、竿を垂れて鯛を釣る様子を演じていたが、本人たちは真剣にやっていたのだけれど、少しユーモラスな仕草や動作だった。たまたま私の隣で写真を撮っていた同年輩の人が私に話しかけてきた。
「あれは、私の故郷の踊りなんですよ。私の友達も、あれをあんな風にやっていました」。私が、「はあーっ、それはそれは・・・懐かしいでしょう」というと、少し涙ぐんで
「いや、その通りです」などと言っていた。
ところで、東京ドームのお祭り広場の赤絨毯の上で演じられていた八戸(えんぶり)は、それなりに重々しくて、見応えがあったわけであるが、やはり何かしら場の雰囲気にそぐわない気がしていた。しかし、会場の脇で放映されていた八戸(えんぶり)を見たところ、これは雪がしんしんと降る中で演じられていたのである。なるほど、元々はあのような雰囲気で行われる厳粛な神事なのかと、非常に印象的だった。
(4)南部俵積み唄
次に出てきたのは、どことなくのんびりした田舎の雰囲気を漂わせる南部俵積み唄である。だれが作ったか、その由来はどんなものななどは、一切わかっていないというが、三戸にあった掘っ建て小屋に一人で住んでいた俵づみ爺様から聞いたという
HPの記述によれば、こんな唄らしい。これを見ると、お正月に家々を回り、門付をいただく際の唄であることが、よくわかる。
「ハアー 春の始めに この家(や)旦那様サ 七福神のお供してコラ 俵積みに参りた。ハアー この家旦那様は 俵積みが大好きで お国はどこかとお聞きあるコラ 私の国はナアコラ 出雲の国の大福神 日本中の渡り者コラ 俵積みの先生だ。 ハアー この家旦那様の お屋敷おば見てやれば 倉の数が四十八コラ いろは倉とはこのことだ 一の倉は銭倉コラ 次のお倉は金(かね)倉で 次のお倉は宝倉コラ・・・」 ところで会場では、この歌に合わせて青い法被を着た綺麗どころが舞いかつ踊り、最後には俵を山型に積み上げて、しかも日の丸の扇をかざしていた。人々の関心はもっぱらその美人さんたちに注がれていて、私も含めてその歌詞を聞いていた人は、あまりいなかったようである。
(5)おがみ神社法霊神楽
やはり八戸の神社で、おがみ神社の法霊神楽(ほうりょう かぐら)の権現舞というものを見物した。これには、たくさんの獅子頭を持った舞い手が出てきて、それが一斉にその獅子頭の歯をカチカチカチッと打ち鳴らすのである。それがまた独特の緊張感と厳粛さを醸し出して、不思議な気分に陥るのである。しばらくの間、この獅子集団の歯の合奏を聞いていると、何かしか怖い集団というイメージが出来てしまう。ところが、神楽の舞が終わって、その獅子たちが自分の顔を出してくると、再び驚く。というのは、演じていたのは、いずれも10歳代と思われる少年少女だったからである。
青森県の
HPによれば、
「おがみ神社は、もと龍神をまつる法霊神社で、八戸城内にまつられ、山伏たちは神楽奉納をした。戦後地元の青年たちが、旧八戸領内の九戸郡から市内に伝わっていた江刺家手という舞い方と、太鼓の打ち方を伝習したのがこの神楽である。八戸三社大祭ではおがみ神社の神輿に従う」とのこと。
(6)沖縄エイサー祭り<
勇ましい琉球スタイルで、集団でぐるぐると体を回しながら太鼓をドンドンと打ち鳴らして行進する沖縄エイサーは、首都圏ではすっかりお馴染みである。私などは、エイサーとはそんな踊りなのかとすっかり思い込んでいたが、この日は、絣の着物を着た女性陣がやはり沖縄民謡を大きな口を開けて元気に歌っていたので、認識を新たにしてしまった。
元々これは舞踊なのかと思っていたが、実は旧暦の盆にやってくる祖先の霊をなぐさめ、無事にあの世に戻れるように送り出すために祈願するお盆の行事だという。地元の青年団が旗頭を先頭として組織した団が、地域の各戸を回ってこのエイサーを踊って祈願し、酒や金を受け取ってまた次の家で踊って祈願を繰り返すものだとのこと。今回の出演は、園田町の青年団だった。
(7)高円寺阿波おどり
元々は徳島の踊りである。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ。ヨイヨイヨーイ。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな損損」で知られる阿波踊りは、後述の高知よさこい踊りほどではないものの、その強烈な印象から全国に伝播していて、中でもこの高円寺阿波おどりというのは、老舗である。確か、私が上京して杉並区に住み始めた頃には既に高円寺商店街で開催されていたから、すごく古い部類に入る首都圏の阿波踊りである。
実は一昨年の9月に、
大塚で行われた阿波おどりを見物したことがあるが、そのときもあの独特のリズムと両手を上げて腰を振る特有の踊りに感心したものである。しかし、今回見物させていただいた高円寺阿波おどりは、失礼ながら大塚の踊りと比べて、格段に素晴らしかった。個人個人の踊る動きが非常に良いことに加えて、各連の練り歩く形がとてもうまいのである。いやもう、これにはただ驚いて見物していた。
(8)秋田竿灯祭り
うれしいことに、
一昨年にこの同じ東京ドームで見物した秋田竿灯祭りの感動をまた味わうことになった。あの大きな東京ドームの中をたくさんの提灯をぶら下げた竿灯が、ゆらゆらと揺れながら集まったりまた離れたりを繰り返す様は、まるで生き物のよう。それを下から支える「差し手」の皆さん方は、竿を手で持ったり額で支えたり、果ては腰の脇に乗せたりと、様々な技を繰り出す。これは面白い。
(9)高知よさこい祭り
本場の高知のよさこい踊りは、もはや高知の枠には収まらなくなって全国版の踊りである。先日は、池袋で行われた
東京よさこいを見物に行ってきたけれど、その若さあふれるエネルギーの発散に当てられて満足して帰ってきた。これに対して、こちらの「ほにや」の皆さんが演ずる高知よさこいは、音楽といい、踊りといい、またその衣装といい、まさに本場の正統派の踊りである。なかなか豪華で、品格のある踊りであった。
(10)盛岡さんさ踊り
また今年も、二人のミスさんさ嬢を先頭に、跳ねるような元気でしかも優雅な踊りを披露してくれた。太鼓の皆さんも、にこやかに演技をされていた。また、今年に気が付いたことなのだけど、太鼓の皆さんは、どうかすると真上を見上げる所作をすることがある。誰もがそうだから、間違いないと思うのだが、妙な気がしてしまった。
(初孫ちゃん) ところで、この東京ドームで開催された「ふるさと祭り」に、4歳になったばかりの初孫ちゃんを連れて行った。いくつか面白いことがあったので、記録しておきたい。
まず、自宅まで横須賀線で迎えに行ったのだけれど、電車に乗っているときに、窓のブラインドを指差して、
「なんでこれがあるの?」と聞いてきた。何でも大人に聞くのではなくて、ひとつ自分の頭で考えさせようと思い、「キミはどう思うの?」というと、
「眩しくないようにするため」と答えたから、「そう、その通りだよ」と褒めた。わかっていたのに、答えを確認したかったのだろうか。
ふるさと祭りの会場に着いた。そこで、人混みで賑わうフードストリートを歩いていたら、あちらこちらで試食を勧められた。たまたまそのひとつの柚餅子を食べた。すると、嬉しそうな顔をして
「これ美味しい」というものだから、では、皆の分を買って帰ろうと5個を買い、「これはママの分・・・」などと数えて、「あなたの分はこれ。どこで食べる」と聞くと、直ぐに食べたいという。そこで、席に戻って1個を手に持たせたら、あっという間に平らげてしまった。それを見て、残りの柚餅子を指差し、「これはママたちの分ね・・・」などと数えていたら、首を振って、
「いやいや、みーんなボクの分」と言った。意外と欲深いんだ。まあ、これからの時代、こうでなくっちゃ生き残れないのかもしれない。でも、分け与えるということも、教えないと・・・。
何かの拍子に、初孫ちゃんの言うことが無理無体だと思ったから、それを無視していると、
「おじいさんがボクの言うことを聞かないなら、ボクもおじいさんの言うことを、聞かない」と言われて、参った。案外、理屈っぽいんだ・・・。法律家に向いているかもしれない。
観客席に座っていたら、後ろの席のおばあさんと世間話を始めた。
「みなとみらいに行ったことある?」、
「 ああ、横浜ねぇ」、
「観覧車、あるんだよーっ。大きなの」なんてやっている。
「ディズニーシーでは、プロメテウス火山が、ドーンと爆発するんだよ」と、両手を高くあげて大袈裟な身振りをする。おばあさんから気に入られ、ビスケットなどを貰ってご機嫌さんだった。
秋田の竿灯を見ていたとき、秋田の団長さんが、
「どうか皆さん、竿灯に合わせて、どっこいしよ、どっこいしよと大声で掛け声を掛けてください」といったものだから、皆に合わせて、初孫ちゃんも
「どっこいしよ」と言っていた。意外と、乗りやすいんだ。
沖縄のエイサーの太鼓を叩くのをたいそう気に入って、立ち上がって敲く物まねをするだけでなく、
「ボクもやりたーい。太鼓たたきたーい」などとただをこねたから困った。
(2013年 1月20日記)