(1) 東京の銀杏の黄葉
東京の銀杏の黄葉(写 真)
東京都のシンボルともいえる銀杏の木々が、都内各地で色づいている。まずは、自宅近くの東京大学本郷キャンパス構内に行ってみた。正門から安田講堂へと続く道の両脇にある銀杏並木は、既に真っ黄色の世界である。そこへ太陽の鋭い光が斜めに当たり金色に輝いている様は、思わず神々しさを感ずるほどだ。それに加えて銀杏の木を下から見上げたときの真っ青なの空とこの金色との対比がまさに鮮やかで、それを眺めてしばし茫然と佇んでいた。同じ秋の風景でも、もみじの紅葉とはまた異なる趣きで、素晴らしいとしか言いようがない。はっと我に返って、あふれんばかりの銀杏の葉の金色の洪水を写真に収める。気が付くと、ついさきほどまで傍にいた家内の姿が見えない。見回すと、はるか遠くのところで、iPhoneを手にして黄葉の写真を撮っているではないか。
次いで、明治神宮外苑の銀杏並木に行ってみた。ここは私にとっては銀杏というよりテニスのホームグラウンドではあるが、それでもかつて、1年を通じて同じ場所から銀杏の木の
定点観測を試みたことがある。この銀杏並木の美しさは、何といってもそのシンメトリカルな美であり、天高く尖っている銀杏の木の梢が、正面の絵画館に向かって遠近法で描いたかのように低くなっていくところである。種を明かせば、そういう効果が出るように、わざと木々の高さを次第に低くする剪定法をとっているとのことであるが、目の錯覚を利用した名所である。
次に、日比谷公園に向かった。ここには、かつてこの公園を作るときに道路の拡張で切られそうになり、担当者が「首を掛けて」植え替えたという銀杏の巨木があるので有名である。もちろんその巨木は、しっかりと公園内に根付いて、今日でも多くの黄色い葉を地上に落としている。もう11月の中旬というのに、薔薇がまだ咲いていた。
最後は、皇居前の行幸通りの和田倉門付近である。この道は、東京駅に行く天皇皇后両陛下が利用したり、あるいは日本に赴任してきた外国の大使を馬車で送迎するときに通ることで有名である。道の両側には銀杏の巨木が立ち並んでいて、これらは剪定がされないので、自由自在に枝を伸ばしていて、その分、黄葉が落ちるのも早い。さらにその外側の歩道にある銀杏は剪定されているので、これらの巨木の葉が落ちても、まだ枝には葉が多く残っている。和田倉門の噴水が見事である。昨年の今頃は建設中であったパレスサイド・ホテルは出来上がった。昼食をとろうと家内と立ち寄ったが、人気のせいか満席だった。
(2) 横浜港山下公園の秋
横浜の山下公園の秋(写 真)
家内と私、それに娘一家と横浜の山下公園に行ってみた。私の家からは千代田線の大手町駅で半蔵門線のみなとみらい線に乗り換えると元町中華街まで直通で行くことが出来る。横浜ニュー・グランド・ホテルのレストランで待ち合わせて一緒に食事をする。ここは、スパゲティのナポリタンの発祥の地らしいから、それを頼むと間違いなく美味しく食べられる。初孫ちゃんにこんなリッチな食事はどうかと思ったが、実はこれが大好物とのこと。贅沢な子だ。ついでにクラブ・サンドイッチも注文したら、これもなかなか美味しかった。
昼食が終わり、皆で歩いて山下公園に向かう。公園の端に水が流れていて、初孫ちゃんは水に浮かぶ枯葉の流れに興味を持ったらしくて、しばらく無言でそれを目で追いかけていた。そのとき、誰かから
「マリン・タワーに上ってみない?」という提案があった。よし、久しぶりだということで、そちらの方に向かったのである。
マリン・タワー内のエレベーターで昇り、展望室に行く。この日は快晴だったので、周囲がよく見渡せる。右から左とへ目を転じていくと、まずは大黒ふ頭とベイ・ブリッジ、山下公園と氷川丸、その向こうには大桟橋とみなとみらい地区が続く。ランド・マークタワーを指さして、初孫ちゃんが叫ぶ
「あっ、イマジン・タワーだ!」。実はこの子の通っているイマジンという名の幼稚園がその中にあるからだが、それにしても直截的な言い方だと、思わず笑えてきた。マリン・タワーから真下にある山下公園を見下すと、もうすっかり秋の装いだ。紅葉・黄葉の木々に囲まれて、なかなか美しい。二階建てになっているマリン・タワー展望室の一階下に降りると、その床には、透明なガラスの部分があって、障害物なしに地上を見下ろすことが出来る。大人たちが初孫ちゃんに向かって
「さあ、ボク、ここから下を見ることが出来る?」と聞く。それを聞いた初孫ちゃんは、恐る恐るへっぴり腰でそのガラスを覗いたので、大人たちは一斉に笑った。すると初孫ちゃん、プライドを傷つけられたと思ったのか、
「えい、えいっ」とガラスを蹴り始めたので、あわててママが抑えていた。一寸の虫にも、五分の魂だ。小さいからといって、馬鹿にしてはいけない。初孫ちゃんに悪いことをした。
マリン・タワーを出たら、港内を一周する船が出るところだった。全員分の乗船券を買って、乗り込んだ。船の中は甲板が透明なアクリル板で覆われていたから、とても暖かい。岸壁を離れて、まずベイ・ブリッジの方に向かう。そこで、地図を指さしてグランマが初孫ちゃんに説明する。
「ほら、ここから船に乗ったのよ。それでこちらのベイ・ブリッジに向かっていて、やがてブリッジの下を通るわよ。見ていて」。そこで私は、暖かいアクリル板の部屋からドアを開けて船尾に出て、船がブリッジの下をくぐる写真を撮ろうとした。ところが、あろうことか、我々の乗った船はブリッジの手前でUターンして港内へと戻っていくではないか。「あれれ、おかしいな」と思って、グランマと初孫ちゃんのいるところへ戻ると、ちょうど初孫ちゃんがこう言っているところだった。
「グランマ、船はブリッジをくぐらないよ!」。グランマは、大汗をかいて説明した
「あらあら、普通の60分コースならくぐるのにねぇ。これは時間が短い40分コースだったから、通らなかったみたいね。ご免なさい。また今度来たときに、乗ろうね」。それにしても、よくわかっているものだ。こういう子には、決して誤魔化してはいけないと思った次第である。
船が港の桟橋に戻り、我々が最後になって、船から出て桟橋の上に立った。そこには、船長のような制服制帽の人が立っていて
「有り難うございました。またのご乗船をお待ちしています」と律儀に挨拶をしていた。そこでグランマが初孫ちゃんに
「ほら、船長さんだから、ご挨拶して」というと、こっくりと頷くようなお辞儀をした。それを見たこの人
「いやいや、私は船長ではなくて、機関長です。坊や、船長さんは学校を出ないと、なれないんだよ。勉強してね。」といい、聞かれないのにこう語った。
「私はもう、40年間、この海の仕事をしています。最初は、しけのときの船酔いで、辛かった。しかしあるとき、先輩に聞いた秘策を試したのです。気分が悪くなって胃のものが上がってくると、それをまた飲み込むのです。元々自分の体の中にあったものだから、別に汚くはないんです。そうやって、船酔いを克服しました。長い海員生活です」と。まあ、大変苦労されたようで、おっしゃることはよくわかるのだが、それにしてもそんなことを乗客、とりわけこんな小さな子に言うことではないだろうと思い、一同は、少し顔をしかめた。するとこの機関長さんはあわてて、
「いやいやこれは、海上保安庁でも自衛隊でも、やっていることなんです」という。まったくもう・・・やはり、船長さんになるには、少し早いのかもしれない。
という変なことがあったものの、それから皆で横浜高島屋に行き、小龍包が美味しいと評判の中華レストランに向かった。注文して小龍包が来ると、皆、さきほどの出来事は忘れて、黙々と食べ始めたのである。美味しいと、口を利かなくなるというのが我が家の習いで、初孫ちゃんもついついそれに引きずられて、そのよく食べること、食べること・・・驚くほどだった。
(2012年11月24日記)