徒然252.浅草サンバカーニバル

浅草サンバカーニバル



 浅草サンバカーニバル(写 真)


 いやはやともかく暑かったというのがまず第一の感想で、そのような厳しい天候の下での出演者の皆さんのとめどもないエネルギーと情熱に感嘆し、最後に大音響のサンバのリズムがまだお腹に響いているようだ。これが、2年ぶりに開かれた浅草サンバカーニバルの感想である。この日、朝起きてみて、気温が高くなかったら早めに行って写真を撮る場所を確保しようというつもりでいた。ところが、朝9時の段階でもう外気温が33度を上回っているようなので、とたんに出かける意欲をなくして、家でのんびりとしていた。それでお昼になり、家内と一緒に御徒町の風月堂の2階で、のんびりと海鮮パスタなどを食べていた。食事後、そういえばここから銀座線で浅草はすぐ近くだと思い出し、やっと見物する気になってきた。iPhoneで調べると、浅草より手前の田原町駅で降りれば、パレードの終点へ最短距離で行けることに気が付いた。パレードの出発は午後1時半だ。今ちょうどその時間なので、これは間に合う、カメラバックも持っている、暑ければそのまま帰ってくればよいと思って、地下鉄に乗った。

浅草サンバカーニバル


浅草サンバカーニバル


 以前、何回かこの浅草サンバカーニバルを見物したときは、いずれもパレードの出発点である浅草寺の二天門の近くの馬道通り西側で見ていた。自宅から、都バスで行くと、浅草寺の北に停留所があるからだ。ところが、この日はそういうわけで、パレードの終点(スタート)近くの、雷門通り南側での見物となった。有料席を買うという手もあるのだが、7月中に締切となるようだし、そもそも私が写真を撮るというのは気まぐれだから、せっかくチケットを持っていても、果たして実際に行って写真を撮りたいという気になるかは、わからない。というのは、特にこのイベントは、盛夏に行われるものだから、まず暑くてかなわない。次に、雨模様だったら、カメラが気になるから行くはずがない。そもそもそのときの元気さの具合によるというわけである。

浅草サンバカーニバル


浅草サンバカーニバル


 田原町駅で降りて、雷門通りへと向かった。すしや横町の出口の雷門通り南側まで行き、そこで見物することにした。たいへんな人混みだけれど、立って見てカメラを構えるくらいの余地はある。でも、被写体まで遠いから、35ミリ換算で400mmの超望遠レンズの出番となる。これだと、かなり遠くまでくっきりと撮れる。それでパレードが来る方向に構えて気がついた。そちらの方は直射日光が当たるので、何の工夫もいらない。ただ、動きが速いから、シャッター優先モードの400分の1秒程度にするだけだ。ところが、パレードが目の前に来ると、困ったことが起きる。つまり、私の立っている雷門通りの向かい側に猛烈な直射日光が当たっているせいで、それが背景になると、踊っている出演者の皆さんが建物の影に入って真っ黒に写ってしまうのだ。そこで、測光を中央重点とし、露出補正を+1.7くらいにして、ちょうどよかった。ちなみに、+2.0だと、露出補正効果が強すぎた。

浅草サンバカーニバル



浅草サンバカーニバル


 そういうことで、パレートがやや遠くにあって直射日光が当たっているときには単なるシャッター優先モードとし、目の前に来ると、露出補正をあわてて+1.7に切り替えるということをしていた。ただ、今から思うと、測光を中央スポットにしておけば、そんな必要もなかったのかとも思っている。次回、試してみようと思う。なお、太陽が落ちてくると、シャッター優先モードが400分の1秒では暗くなってしまう。そこで、250分の1秒にしたら、案の定、手を振っているときのその手の先が、かなりブレていた。技術的なことは、その程度であるが、この雷門通りのパレードの視線の先には、今年5月にオープンしたばかりの東京スカイツリーが道に覆いかぶさるように鎮座していて、なかなかの眺めである。夜になると、スカイツリーが白や紫に彩られて、さぞかし華やかなものとなるに違いない。今回の出し物にも、スカイツリーの形の飾り物を被った人がいて、面白かった。

浅草サンバカーニバル


浅草サンバカーニバル


 さて、肝心のパレードだけれど、今年は、テーマや衣装や出し物と山車にいろいろと工夫があった。ブラジルからの直輸入ではないものをめざし、これらを作ったり企画した人たちは手間と時間と費用をかけて、さぞかし大変だっただろうと思う。しかし、申し訳ないが、若干、一部の企画が空回りした感がなきにしもあらずというところである。たとえば、日本調を出そうと、鳥居、縁日の綿菓子、黄金小判を背負った招き猫、七福神の山車などが出てきて、びっくりした。それはそれで新しい試みでチャレンジはすること自体はよいことだが、やはりサンバには合わないのではないだろうか。私などは、サンバといえばまずは、カーホ・アレゴリア(アレゴリア)という大きな山車が出てきて、そこに超美人が乗り、まあこれ以上はないと思うほど豪華絢爛たるファンタジア(パレード用衣装)を来た踊り手が踊りまくるというのを思い浮かべる。その山車と衣装の色感覚と音楽やリズムと踊り、そして最後に個々のダンサーの魅力、それらの総合的な調和というのがサンバの醍醐味なのだ。それにしても、今年は、日本調だけでなく、アラビアン・ナイト風の企画もあったし、駱駝の格好の人もいたし、鍵を模した飾りを付けたドレスの人もいたし、インディアン風の人もいた。まあ、その日本調も、ここは浅草だと思えば、妙に調和しているからむしろ当たり前か・・・ともかく、面白かった。関係者の皆さん、暑い中、本当にご苦労様。

浅草サンバカーニバル



浅草サンバカーニバル


 なお、サンバカーニバルの隠れた威力にびっくりしたことがある。我々見物人の前の身障者優先席にいた男性のお年寄りのことだ。外国人ダンサーが、手を振り、腰を振り、胸を振って近づいてきた。すると、すっくと立ち上がったではないか・・・それを見ていた見物人から、「おおっ」という声が一斉に上がった。しかもそれから、よろよろと前に歩いて行く。あちこちからハァーというため息とともに、「あの人、歩けるのか・・・」という声が上がる。そして何と、キヤノンの立派なカメラを取り出して、バシャバシャと撮り始めたので、見物人一同が驚いた。このサンバのダンサー見物は、老人の回春効果もあるらしい。なるほど、ここはまさに、浅草である。


浅草サンバカーニバル





(2012年 8月25日記)


カテゴリ:徒然の記 | 11:15 | - | - | - |
いまどきのベルト

「ピン」



 この話をする前に、男性用ベルトの留め金とでもいおうか、あの中央にあるバックル(広義)に、3つのタイプがあることについて、説明しておきたい。バックル(広義)には、「ピン」「バックル(狭義)」それに「トップ」の3つの種類がある。「ピン」というのは、おそらくバックルというものが出来上がった頃からあるのではないかと思うくらいに伝統的なタイプで、バックル(広義)の丸い外周の真ん中にピンが突き出ていて、これをベルトに空けた穴に差し込んで、それでもって留め金の用をなすものである。「バックル(狭義)」というのは、ピンを使わずにバックル(広義)の留め金の裏にベルトを通し、そこで生まれる摩擦の力を使ってベルトを留めるものである。これだと、バックル(広義)を通したベルトの先は、体を一周するベルトの上に出るのが普通である。ベルトにかかる摩擦を利用しているから、ベルトには、穴が開いていないのが特徴となっている。最後の「トップ」とは、バックル(広義)の留め金の先端の裏に、ちょっとした出っ張りのような小さなピンがあって、これをベルトに空けた穴に差し込んで留めるという仕掛けである。

「バックル(狭義)」



 私の小さい頃・・・といっても、半世紀以上も前のことだが・・・ベルトといえば、ピン・タイプしかなかった。よくよく思い出すと、西部劇の時代もベルトといえばこのタイプだった。現にしっかりと留められるのが利点で、いつの時代でも当たり前のようにあるベルトの定番である。しかし、このピン・タイプの大きな欠点は、ピンを外すときにベルトを折るように持ち上げて曲げるから、その曲げを繰り返し行う結果、その部分でベルトが割れて痛んできてしまうことである。せっかく気に入ったベルトでも、その割れのために使えなくなると、悲しい。そういう気分を味わったことは、一度ならずともある。ところが、私が高校生の頃だっただろうか、バックル(狭義)・タイプというものが出てきた。これは、ベルトに穴が開いていないし、外すときにはバックルに通したベルトをちょっと持ち上げだけでよい。そういう意味で、ピンよりはベルトが長持ちする。これは良いと思って使い始めたら、とある部分を不満に思うようになった。それは、バックル(狭義)が分厚いし、バックルを通したベルトが持ち上がるようになってしまうことから、腹廻りが太く見えて、格好良くないのが気に入らないという点だ。

「トップ」



 これは、何とかならないものかと思っていたら、就職した頃に理想的なベルトを見つけた。30数年ほど前のことである。それがトップ・タイプのベルトだった。どういうことかというと、これは、バックル(広義)の先端の裏にある小さなピンをベルトの穴に通すだけだから、装着しやすく、かつ外しやすい。しかも、装着時や外す時にいちいちベルトをその部分で折り曲げるようなことは必要ないから、まずもってベルトが痛まないのが良い。加えて、バックル(狭義)のように厚い留め金そのものだけでなく、留め金を通したベルト全体が浮き上がるようにして分厚くならないのも良い。それやこれやで、私はこのピン・タイプをいたく気に入り、それ以来、こればかりを使っている。また、ベルトのメーカーも、このタイプの品ぞろえが豊富で、主なブランドもほぼすべてこのタイプをたくさんそろえていた。

 そういうことで、私は、十数年前に日本でダンヒル、数年前に外国でアーノルド・パーマーなどのブランド物のベルトをまとめて買って、そのまま今日までとっかえひっかえしながら、使い続けきたというわけだ。何しろこのタイプのベルトは痛まないから、長く使えるのが特徴だ。しかしそうはいっても、さすがにもう、古くなったから新しく買ってこようと思って、先日、日本橋高島屋に出かけていった。ところがどうだ・・・売り場にあるのは、7割方がピン・タイプばかりで、残りはほとんどがバックル(狭義)タイプではないか・・・トップなど、どこにもない。まるで時間が半世紀ほど巻き戻ったようだ。でも、どうしてこういうことになってしまったのかと思って、売り場の人に聞いてみたところ、「今はほとんどがピンですねぇ」とのこと。トップなんて、ほとんど見たことがないらしい。日本橋三越でも同じことだった。

上野松坂屋で買った「トップ」



 あれれ、これは困った・・・トップ・タイプは今や絶滅寸前といったところなのか、それは本当なのかと思って、中高年が集まる上野地区で探すことにした。まず、上野松坂屋に行った。売り場のベルトをいろいろと見て歩いたところ、こちらもピンとバックル(狭義)ばかりだ。やっぱりと思いつつ、ふと売り場のワゴンに目をやると、あった・・・トップ・タイプがたった1本だけ(黒)、それも1,000円の投げ売りだ。安いベルトだと、表は牛革なのに裏は合成皮革ということもあるからと思ったら、やはりそうだった。でも、背に腹は代えられないから、とりあえずそれを購入した。ベルトは、後日ピン・タイプを買って、そのベルト本体を切った上で取り換えればよい。しかし、トップはこれ1本なのか・・・本当に他にないのかと思って、iPhoneでネットショップを検索したのだけれど、どうもベルトの種類まで指定できないようで、出てくる写真はピンばかりだ。もうこうなると、さすがのiPhoneも使えない。こういう場合はローテクに限ると思った瞬間、その手の雑貨屋、つまり近くの多慶屋に行ったらどうかと思いついた。まるで、希少な植物を探索するプラント・ハンターのような気分である。

買ったカルバン・クライン「トップ」



 松坂屋から地下道を歩いて多慶屋に到着し、すぐにブランド売り場へと直行した。しかし、ざーっと見渡したところ、ここもほとんどがピン・タイプぱかりだ・・・ううむ、ブランドも転向してしまったかと、まるで裏切られた感がする。ひとつひとつ、じっくり見ていくと、わずかにあったバックル(狭義)タイプのそのまた狭間に、トップ・タイプをやっと数本見つけた。カルバン・クラインで、この1種類しかない貴重なものだ。私は、金色のバックルが好きなのに、これはメタル色だ。趣味が合わないが、贅沢は言っておれない。取り敢えず、これも買うことにした。そういうことで、これでやっと2本だけ、トップを確保した。それにしても、これではまるで、半世紀前の世界ではないか・・・しかし、よくよく考えてみると、流行という時代の流れが、半世紀たってぐるりと回って再び元のところに戻った気がする。誠に妙な経験をした思いである。それとも、単に自分が時代遅れになっただけのことかもしれない。人生60年とは、よくいったものだ。




(2012年 8月24日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:12 | - | - | - |
徒然251.国際鉄道模型コンベンション

関東学院六浦中学校・高等学校鉄道研究会



 国際鉄道模型コンベンション(写 真)


 東京ビックサイトで、第14回となる国際鉄道模型コンベンションが開かれている。私の孫は、まだ小さいながら、鉄道ファンなので、何か参考になることがないかと思い。家内と二人で出かけて行った。ところが、行ってびっくり、これは子供向けどころか、大人の、しかもかなりのコア中のコアからなるマニア向けの展示会だった。この展示会を見ての感想だが、ひと言でいうと、鉄道ファンといっても、実に様々な人たちがいることがよくわかった。たとえば、東武鉄道を模して、アナウンスと運行全般を楽しむグループがいる。始発前の点呼までやり、列車が遅れればその旨をアナウンスするなど、本物さながらである。これなら、東武鉄道に就職しても、その地のままでやれそうだ。まあ、これは写真に撮れないのが残念というところ。

NGP


NGP



 そうかと思うと、ジオラマに凝るグループがいる。NGP(Narrow Gage Party)は、開拓時代のアメリカのような情景をそっくりそのまま持ってきている。郊外にも森林、川、牧場があるし、街中には劇場、駅、酒場まである。作業場では、溶接の仕事をしていて、その光がときどき青く光ったりするのは、もう・・・凝り過ぎだ。駅舎では、着飾った家族連れの人形がいる。そこから離れたところでは、猫が屋根に乗っているバラックのそばで、インディアンの夫婦がたき火を囲んでいる。平原にはバイソンがいたりする。そういう長細い楕円形の鉄路を、煙突が太い蒸気機関車がシュッシュッポッポという軽快な音を立てながらゆっくりと走り抜ける。貨車はいろいろなものがあるし、最後尾の車掌車には、リオ・グランデとそれらしく書いてあり、しかも車体の汚れなども本物そっくりにしてあって、とっても感心した。これは、本当に面白い世界である。私はこのジオラマが一番気に入った。

NGP


関東学院六浦中学校・高等学校鉄道研究会



 これはアメリカのジオラマであるが、もちろん日本の情景を描いたものもある。ひとつは、関東学院六浦中学校・高等学校鉄道研究会のもので、藤沢から江ノ島にかけての街並みが本物そっくりに再現されていて、しかもその中をあのかわいい江ノ電がチョコマカと走っているではないか。お寺さんも、お墓も、街並みも、駅舎も、それに鎌倉大仏までそっくりだ。いやはや、こんなものが作られているのかと思うと、この鉄道研究会はレベルが高い。素晴らしいと思う、家内は、これが一番好きだそうだ。そうだろうな。ひとつだけ言わせてもらうと、江ノ電のチンチンとか、ガタンゴトンなどという効果音が入っていると、満点なのだけれど・・・という気がした。

soundtrackage



 鉄道の音といえば、soundtrackageという展示があった。ふと見ると、新幹線やら貨物列車や電車が単に走り回っているだけなのだけれど、違和感が全くないのは、その走行音が本物そっくりだからなのだろう。そっくりといっても、普通の録音ではたとえば音が突然聞こえてきて、またブツッと急に聞こえなくなるけれども、これはそうではなくて、近づいてくると次第に音が大きくなり、去ると自然に小さくなる。ドップラー効果が組み込まれている。だから、本物そっくりに見え、かつ聞こえるのだ。これは、iPadで制御できるというから、最新型のシステムなのだろう。

早稲田大学理工学部職員OB鉄道模型同好会



 また、早稲田大学理工学部 職員OB鉄道模型同好会の展示もあった。これは、日本の主要な電車の編製を作って、外周をどんどん走らせるという趣向である。その周りに座っていると、アナウンスがあって、そういう列車が走ってくる。昔の寝台特急「日本海」のような青い色と形をした寝台列車、田舎に帰るのによく使った特急列車など、今はもう見ることもかなわないが、私には懐かしい電車が数多くあり、とても懐かしい気がした。ちなみに、これらは結構早い速度で運転されているので、写真をとろうとすると焦点を合わせづらい上に、速度が出ているからシャッター速度を上げないとブレてしまい、写真にならなくなる。ということで、なかなか撮りにくいものだった。

鉄ちゃん倶楽部



 鉄ちゃん倶楽部の展示も、なかなか凝っていた。水上温泉地区とか、それぞれの作者のイメージした地区のジオラマが、本物以上に本物そっくりに作ってあり、一種の芸術の域に達している。IHTモジュール倶楽部も、これは各人が作ったジオラマのモジュールを持ち寄って、無理してくっつけたようなところがあり、統一感のないところが欠点だけれども、しかしそれぞれのモジュールが持つ面白さがその欠点を補って余りあると思う。

Tavata



 Tavata Narrow Gauge Railwayと、レイアウトしわざ人の展示は、西部開拓時代のアメリカの山中や原野をひた走る蒸気機関車の貨物列車がテーマで、私はとても良いと思う。そういうことで、ああ面白い、これは楽しいと思いながら、半日をこの展示会に費やしてしまった。家内は、目が回ったというが、小さな模型電車がぐるぐる走り回るのを見過ぎたせいだろう。もう、笑い話だ。それにしても、大人も学生も子供の区別なく、純粋に趣味を楽しんでいるこの鉄道模型の世界は本当に奥深い。それを垣間見て、微笑ましくも、心豊かになる気がした。


レイアウトしわざ人





(2012年 8月19日記)


カテゴリ:徒然の記 | 20:01 | - | - | - |
徒然250.羽衣ねぶた祭り

羽衣ねぶた



 羽衣ねぶた祭り(写 真)


 今日の気分はまだ夏休みの続きのようなもので、また東京のどこかで、全国各地のお祭り版をやっていないかとインターネットを見ていた。すると、先週の多摩おわら風の盆に引き続いて、今度は東立川商店街で、青森ねぶた祭りをするというのである。いやもう、東京というのは、非常に奥が深い。東京在住のかなりの人は、全国各地から上京してきているから、この調子でいくとほとんどの祭りが揃いそうだ。では、どんなものかと思って、出かけていった。JR立川駅から、南武線に乗って一つ目の西国立という駅で降り、羽衣橋というのを目指して行くと、5分で着いた。まあ、これは普通の商店街である。

羽衣ねぶた



 着いた時は午後5時でまだ日が高かった。その中を商店街の中ほどを目指してブラブラと歩いていった。午後6時から、地元の小学生たちのよさこい踊りなどが始まり、お祭りのムードが高まる。人通りも多くなってきた。背中に大きな武者絵を描いている人、編笠を被って揃いの浴衣を来た人たちが目立つようになり、商店街の奥の方へと、どんどん集まっているようだ。中には、編笠に赤や黄色の派手な造花を付け、白い浴衣に赤いたすきをしたハネトのような格好をした人も往来するようになった。ああ、やはりこれは青森ねぶた風である。そういえば昔、新幹線開通前に、青森ねぶたの里という施設を訪ねたことを思い出した。参加型展示ということで、ねぶたを皆で引かせてもらったのが、良き思い出だ。

「黒石よされ」の一行



 それからしばらくして、「地元の山車が出ます」というアナウンスがあり、ひょっとこの面を被った二人の男の子が乗った山車が目の前を通り過ぎた。この男の子たち、なかなかうまいもので感心した。そのとき後ろの方で「黒石よされ」(日本三大流し踊り)というパンフレットを配っている女の人がいた。その人に聞くと、黒石よされの流し踊りと廻り踊り、それに黒石ねぶたをするのだという。「特に廻り踊りは激しいよ。私も結婚して主人の実家へ行って初めてこの踊りを見たときに、びっくりしたくらいだから」という。それで興味をそそられて、どんなものかと思っていた。確かに、眼の前を通り過ぎた一行の流し踊りは比較的ゆっくりしたリズムとテンポだったが、10数人が輪になって踊る廻り踊りは、いやもう、爆発的なエネルギーの塊のような踊りだった。なるほどと納得した。

羽衣ねぶた地元の山車



 その「黒石よされ」の一行が通り過ぎたあと、ねぶたがひとつひとつ道路に並ぶようになった。これも私の眼の前をゆっくりと通り過ぎる。辺りが次第に暗くなって午後6時40分過ぎになり、誰かが「一斉に点灯」と叫ぶ。するとそれを合図に10基ほどのねぶたに同時にあかりが灯った。いやそれはそれは壮観だった。明るいときに見たねぶたより、こうして暗くなって点灯されたねぶたの方が、はるかに美しくも怪しく、力強く、まさに夢幻の中を彷徨う感がある。しばしシャッターを押すのも忘れ、唖然とし、呆然として眺めた。

羽衣ねぶた


羽衣ねぶた



 中には戎さんや美人を描いた絵もあるが、武者絵が多いし。特に迫力ある武者絵などはとても怖い。まるで、夢に見そうなくらいに恐ろしげである。それもそれはず、武者の隣の赤い怪物などは、眼が5個も付いているではないか・・・。しかもその眼に、東北地方の底知れぬエネルギーを感じざるを得ない。それに加えて、ピーヒャラ・ラッタッターという笛と太鼓の音に合わせ、ラッセーラッセーの掛け声を掛けながら踊りまくるハネトさんたちの激しさといったら、この暑い中をよくあれだけの運動量で体が続くものだと驚いてしまう。これは、すごいの一言に尽きる。まるで青森県黒石市のお盆に行ってきたような錯覚に陥った。


羽衣ねぶた踊りまくるハネトさんたち


羽衣ねぶた





(2012年 8月18日記)


カテゴリ:徒然の記 | 20:27 | - | - | - |
徒然249.多摩おわら風の盆

多摩おわら風の盆町流し



 多摩おわら風の盆(写 真)


 私の田舎ではお盆の最中で、親類一同が集まってお墓詣りの後で賑やかに会食などをしているというのに、今年の私は、仕事の関係で東京にいなければならない。でも、東京は広いので、何かそういう古里の雰囲気が味わえないかと思ってインターネットを調べてみた。すると、あった、あった、あるではないか。世の中は狭いというか、東京は広いというか・・・。多摩センター地区連絡協議会(多摩センター夏祭り2012実行委員会)主催で、13日に、多摩のおわらを披露するというのである。しかも、本物の八尾の風の盆は、午後7時以降だから写真を非常に撮りにくいのに対して、こちらは午後5時から6時までということで、まだ明るいから写真を撮ることが出来る。これはちょうど良いということで、見物に出かけることにした。

パルテノン多摩



 それにしても、多摩センターというのは行ったことがないが、どこだろうかとiPhoneのマップで見てみたら、これはかなり遠くて、私の自宅から行くのは面倒なようだ。乗換えが多くてそれだけでも相当時間がかかるのではないかと思いつつ、iPhoneの乗換案内で調べると、私の自宅から、千代田線を使って小田急線多摩急行唐木田行きに乗れば、ちょうど1時間足らずで直接行けることがわかった。しかも、小田急多摩線と京王相模原線が同じ多摩センター駅にあり、その近くに多摩都市モノレールもあるという交通体系のようだ。これは立川と南北に結ぶ線だから、中央線でいうと、立川辺りまで行くということかと納得した。

パルテノン大通り



 多摩センター駅に降り立つと、わあ、すごいの一言だ。駅からまっすぐに走るなだらかな上り坂となっている大きな通りの両脇には、近代的な店舗が並んでる。しかもその先には、小高い丘の上にまるでアテネのパルテノン神殿を思わせる建物がある・・・だからこの道は、なんと・・・パルテノン大通りと言うらしい・・・! いったいここは、日本なのかといいたくなったとき、ちょうどその坂を、これもお祭りの一環らしいが、江戸かっぽれのご一行が踊りながら通っていくので、ますます混乱してきた。これは日本の下町風景ではないか。ところが、周囲を見れば見るほど、これはどうにもこうにも、人工的な都市だ。綺麗な舗装された道路に、ホテル、イトーヨーカドー、それに百貨店の三越まである。その先に4階分くらいの階段があって、登ってみるとコンクリートに囲まれた池がある・・・それだけだ。そこから振り返って三越の看板があるココリア多摩センターなる建物を眺めていたら、そういえば1〜2年前、ここから大塚家具が撤退し、代わりにユニクロなどが入るという騒動があったことを思い出した。引き続きパルテノンの丘から眺めると、iPhoneのマップによれば、サンリオピューロランドが右手にあるらしい。まあ、街として何でもあるようだが、それにしてもあまりに人工的かつ合理的な都市空間であり過ぎる。若い年代ならともかく、坂もあるし、私のような年配者には少し住みづらそうだ。私には、やはり東京の下町の谷根千が向いている。そんなことを思いつつ、街の様子がおおよそわかったところで丘を下り、再びパルテノン大通りへと戻った。

男踊り(かかし踊り)



 おわらは、町流しと舞台踊りをするそうだ。その舞台がパルテノン大通りの十字路に作られていて、見物のための席も設けられていた。着いた時間がまだ早かったので、私のほかには、ほとんど人がいないとう有り様だったこともあり、その列の先頭に座らせてもらった。踊り手は、この地の同好会の皆さんなので、おわら節の唄いや、胡弓、三味線、太鼓を使った演奏はなく、それらはスピーカーで代用するらしい。しばし、待つことになった・・・やがて時間になり、ステージ上で男踊り(かかし踊り)が始まった。いつもながらの、あの哀愁をそそるような音楽が流れる。これは、いつ聞いても心が溶け入ってしまいそうだ。編み笠を深く被り、黒い法被を着た2人の男性が両手首をカクンと曲げ、両足をガニ股風に曲げて、サッサッと軽快に踊る・・・これが日暮れ過ぎだと、感じがでるのになぁと思いつつ・・・。その後、女踊り、夫婦踊りと続き、町流し、そして皆で踊って、お仕舞いとなった。

女踊り


夫婦踊り





(2012年 8月13日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:07 | - | - | - |
徒然248.第24回 東京湾大華火祭

レインボーブリッジと、青いライトアップがされた東京タワー



 東京湾大華火祭(写 真)


 3週間前に、立川の花火大会に出かけて、少しは花火の写真を撮るのに慣れたかなと思ったので、今シーズンにもう一回、どこかで花火が撮れたら理想的だと思っていた。ただ、問題は撮る場所である。人混みの中や、周りに建物とか街路樹などがあって視界の妨げになる所だと、写真にならない。そう思っていると、昨日、明8月11日に東京湾大華火祭があるというポスターを見かけた。これも、あの隅田川花火大会と同じで、都心で行われるから場所的には自宅から近いものの、撮影する場所が難しい。さりとて、今からでは有料席など、あるはずがない。屋形船に乗るという手もあるが、ゆらゆら揺れては写真どころではない。日航ホテルなどで食事しながらという案もあるが、ガラス越しでは室内の照明が写り込んで、こちらも写真にならない・・・でも、何とかならないかとネットを見ていたら、ひとつだけあった。お台場のアクアシティ・メディアージュで、屋上に椅子付きの観覧席を設けるというのである。1000席あり、朝10時から指定券を配るというので、自宅から45分かけて現地に行ってその券を入手した。配布前30分前に着いて448番目のJ席24番である。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 お昼は、帝国ホテルで、我々夫婦、娘夫婦と初孫、息子夫婦とで行う家族会で食事をした。私は、初孫ちゃんの正面に座って、パチパチッと写真を撮った。そのときの連続写真のバチバチバチッという機械音が面白かったらしくて、初孫ちゃん、自分もやりたいというので、撮らせてあげたら、自分で撮った写真を確認して大層よろこんでいた。家族で久しぶりによもやま話をして、それが終わっていったん家に帰った。それから午後7時開始の花火に間に合うようにと、またお台場に出かけたのである。午後5時40分頃に新橋でゆりかもめに乗ろうとしたら、何と、乗るまでに30分待ちという混雑ぶり。しかも、暑い。人混みの熱気と30度を超す暑さ、そして湿度の高さで、不快指数は相当高かったはずだ。それでも、やっとゆりかもめに乗り込んだ。中は涼しくて快適である。動く車窓より見下ろしていたら、途中、竹芝桟橋などで大勢の人たちが地面にビニールシートを敷いて座り込んでいる。ああいうところで見物ができるとは思わなかったが、それにしても、たかが花火を見るだけでも大変だ。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 お台場の駅に着いた。こちらも混雑の極みであったが、まだ6時半前だったので、アクアシティの建物の屋上に向かった。するとそこには、確かに1000を超える席が設けられている。無事に指定の椅子へと着席した。後ろの人に迷惑とならないよう、自分の眼の高さに三脚をセットしたところ、困ったことに気が付いた。何とまあ、視界の正面に街灯のような水銀灯がある。これは写真に写り込むから困るなと思っていたら、始まる直前に、ちゃんと消してくれた。主催者による配慮が行き届いていて、誠に有難い。次に気が付いた問題は、右手に避雷針があって、その右手方向に花火が上がると、それで花火が縦に分断されることである。まあ、これは仕方がないので、そちら方面の花火は、捨てることにした。ただ実際には、右手方向には、あまり上がらなかった。しかし、画面で見る花火が中央ではなく、右手に位置しているような構図になっているのは、右手にある避雷針を避けた結果である。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 時間になり、花火大会が始まった。すると、またひとつ困ったことが起こった。この建物は7階なので、外は見下ろさなければならないから、低い花火は私の席からはもともと見にくいのであるが、ただでさえそうなのに、そちらの方向に、郵便ポストのような構造物があって、邪魔になる。まあ、これは今更どうしようもないので、それも捨てることにし、中程度の高さ以上の花火を狙うことにした。やがて打上げは本格化した。大小の花火がシュルルッと音を立てて次々と上がり、ドーンという音とともに体全体に爆発のショックが響くというのは、いつもながら心地よい。テレビではなかなか味わえない夏の風物詩である。花火には、シュルルッと上がるときにどんな形と色なのかを推測して楽しみ、実際にそれを眼にして楽しみ、それから音と体で感じてまた楽しむという三つの楽しみがある。ところが写真にすると、その楽しみと感動が十分に伝わらないので、いささか残念ではある。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 前回の立川花火大会のときにも感じたが、シュルルッと上がるのが高いと、大きい花火が来るなと誰にでもわかる。しかし、それ以外の花火は、事前に研究しておかないと、そもそも撮った写真の画面から外れてしまって、良い写真というものはなかなか撮れるものではない。加えて、この日はにわか雨も予想されるほどの曇天で、雲の位置がとても低かった。このため、ドッドーンと大きな音とともに打ちあがった花火は、その垂れこめた雲を突き抜けて上がり、そこで花火の火の球を開くものだから、大きな花火球の下半分しか見えない有り様。これには見物人から失笑が漏れた。私も、こんな花火は見たことがなかったが、まあ、仕方がない。加えて、正面が東京の街なので、街の灯が明る過ぎる。だから、それが垂れこめている雲に反射し、花火の背景がぼんやり明るくなってしまう。これも、写真にはよろしくない。まあ、それやこれやで、本日の舞台設定は、あまりよろしくなかった。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 ともあれ、そういう細かい舞台設定のことはともかくとして、そもそも花火を撮るのは、なかなか難しい。加えて、画面に花火をどうはめ込むかという問題以上に、撮影の諸元を設定するのがこれまた難しい。もちろんこの花火には、予めセットできる「花火」という項目がある。それで撮ると、諸元は、絞り値F/9、露出時間4秒、ISO感度200、露出補正が−1ステップというもの。この設定は、大玉の普通の花火を撮るには最適だが、特にスターマインなどの光量の多い花火を撮るときはほとんどが光でつぶれたようになってしまって、うまくいかない。露出補正をもっと下げてみたが、そうすると今度は大玉の花火だったりして、タイミングを逃す。また次回以降の研究課題としたい。

東京湾大華火祭


東京湾大華火祭


東京湾大華火祭



 帰り際に見た、レインボーブリッジと、青いライトアップがされた東京タワーの組み合わせ(冒頭の写真)は美しかった。ところでこの帰り、ゆりかもめのお台場駅から帰りの電車に乗ろうとした。そうしたところ、60分待ちといわれて閉口し、りんかい鉄道のテレポート駅まで歩いていった。その駅の近くのダイバーシティ・ビルの前に、眼を光らせたガンダムの巨像があった。2009年6月にお台場の潮風公園に期間限定で置かれて好評を博し、それから静岡に持っていかれ、そしてまたこの地に置かれたものだ。この像が、近未来的というか、暗い夜闇の中でこの一角だけが明るく、なんとも言いようのない存在感を表していた。


ダイバーシティ・ビルの前に置かれたガンダムの巨像





(2012年 8月11日記)


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カラビ=ヤウ多様体


「見えざる宇宙のかたち」水谷淳訳、岩波書店




 私は、2005年から8年にかけて、物理学の超ひも理論に魅了されて、「エレガントな宇宙」などの関係する多くの啓発本を読んでいた。ほんの1ヶ月ほど前に、欧州CERNの大型ハドロン衝突器(LHC)がヒッグズ粒子をほぼ発見するという歴史的な成果を挙げたと発表された。それを聞いて、そういえば、超ひも理論の前提となっている余剰次元も、このLHCで発見されるのではないかと言われていたことを思い出し、最近の超ひも理論はどのようになっているのだろうかと気になった。ちょうど夏休みでもあり、何か良い本が出ていないかとオアゾの丸善に探しにいったのである。すると、あったあった。ただでさえ猛暑で暑くなっている頭が、痺れそうな本である。「見えざる宇宙のかたち」と題し、「ひも理論に秘められた次元の幾何学」という副題が付いている。著者は、Shing-Tung Yauと、Steve Nadisである(水谷淳訳、岩波書店)。ここであっと思ったのは、前者のヤウ教授である。超ひも理論で10次元が巻き上げられている6次元を記述する幾何学を、カラビ=ヤウ多様体というが、その数学を思いついたヤウ教授本人ではないかと思ったら、まさにその通りだった。

 この本は、上下二段組みで358頁もある。パラパラとめくっていくと、翻訳もこなれた文書で、読みやすい。宇宙論のはずなのに、どういうわけか、冒頭から巻末のすべてにわたって、私の不案内な幾何学が描かれている。これは、虚を突かれた感がする。昔々、学生時代の数学の授業で、私が代数を使ってやっと解いた問題を誰かに複素数で解かれて、ははぁ、そんなやり方があるのかと驚いたことがあるが、それをさらに先生が幾何で解いたのを見て唖然としたことがある。そのときの気持ちを半世紀ぶりに思い出した。これは面白そうだけれど、難しそうだ。なかなか歯ごたえのある本が見つかったと嬉しくなり、早速それを買い求めた。

 その前に、本書の中心課題となっている「カラビ=ヤウ多様体」と超ひも理論との関係について、ここで、確認しておこう。「ひも理論では、きわめて重要な物理が生じるとされる。カラビ=ヤウ多様体と呼ばれる不気味な六次元空間の幾何によって、実在する種類の素粒子がなぜ存在するのかを説明し、それらの質量だけでなくそれらの間にはたらく力も決定できるかもしれない。さらに、その六次元空間を研究することによって、重力が自然界の他の力よりはるかに弱く見える理由に関する洞察が導かれ、初期宇宙のインフレーション膨張のメカニズムや、いま宇宙を押し広げているダークエネルギーの手掛かりが得られている」(25頁)というわけだ。いままで、宇宙の法則は、E=mC2のような代数の世界で説明されるものと思っていたのに、幾何学でそんなことまで解明できるなんて、思ってもみなかった。数学の世界には、計り知れないものがある。ただ、これは凄いというほかない。

 ところでこの教授は面白い。1949年に中国本土に生まれ、直ぐに香港へ移住した。父は安月給の大学教授で、8人の子を持ち、非常に貧しかった。子供時代には、川で身体を洗うというまさに赤貧洗うがごとくを地でいっている有り様だった。この教授は5歳のときパブリックスクールの入学試験を受けたが中国語の書き損じで数学に失敗し、平凡な中学に入学した。勉強に耐えられない子供が通う学校で、とても乱暴な生活をしていたが、そんな荒んだ子供時代を送るが、悪いことに14歳のときに父親が死んだ。多額の借金を抱えた中で、一家の家計を支えた叔父からアヒルを飼えといわれた。それに従っていたら今頃はアヒル業者になっていたところだが、流石にそれは止めて、数学の勉強に賭けることにした。それで、刻苦精励して香港中文大学からカリフォルニア大学バークレー校に行き、そこで教授になったというのである(現職は、ハーバード大学教授)。そのバークレー校がたまたま幾何学のメッカだった。

 ということで、幾何学をなりわいとするに至ったという。そのヤウ教授の研究生活から、カラビ=ヤウ多様体が純粋に数学の概念として生み出された経緯と、それが思いがけず、当時の超ひも理論が苦しんでいた余剰次元の問題(10次元から我々の生きている4次元を除いた6つの次元)を見事に解決する理論として、物理学者に注目された経緯が記されている。ポイントは、「幾何的」な解決を図ったことである。その結果、この多様体が作り出すカラビ=ヤウ空間は、今や超ひも理論の中心的な概念となりつつある。さらに、現代物理学が抱えるビックバン直前の特異点の問題、重力が他の3つの力と統合ではない問題、最近新たに浮かび上がったダークマターとダークエネルギーの問題などを一挙に解決する有力な理論として浮き上がる様子を生き生きと描いている。

 「真空のエネルギーは余剰次元のコンパクト化によって生成する。・・・ダークエネルギーは、無鉄砲な加速によって宇宙を膨張させているだけではない。そのエネルギーのすべてではないが一部は、余剰次元がスイス製時計のぜんまいよりもきつく巻かれた状態を維持するのに使われている」(279頁)。また、「現在、私たちには四つの次元しか見えないが、長期的には、宇宙は4次元ではいたくない。10次元になりたいのだ。そして十分長い時間待てば、実際に10次元になる。コンパクト化された次元は短期的には問題ないが、長い目で見ると宇宙にとって理想の状態ではない」(278頁)。だから、いつかはその巻き戻しが起こって、我々の4次元の世界が、泡が構成する10次元の世界へと巻き込まれ、すべてのものが膨張する6次元に向かって爆発するかもしれないという。

 超ひも理論は、ここ最近、理論面で特段の進歩がない中で、超ひもを実証する方法がないかどうかが検討されている。何しろ超ひもや余剰次元が占めるプランクスケールはごくごく小さくて、現代の技術で観察できるスケールの16桁以下なので、これらを直接観察することは不可能である。したがって、間接的な証拠でよいから、何か見つけられないかと考えて、世界各地の研究者が取り組んでいる(289頁以下)。そのひとつが、我々の住んでいる宇宙は真空に生じた泡のひとつで、過去に我々の宇宙に対して他の泡が突進してきたときの痕跡を見つけることだという。具体的には、ビッグバンの痕跡で、我々の宇宙を満たすマイクロ波背景放射の中から、ランダムでないどこか一方向から加えられたエネルギーのずれが見つかると、その根拠になるという。

 次の可能性は、超ひも理論から出てくる「宇宙ひも」の存在を観察することだ。そもそも宇宙ひもは、「宇宙の歴史における最初のマイクロ秒以内に起こった『相転移』のときに形成された細く超高密度なフィラメント」(293頁)だ。これは「スパゲッティのように絡まり合い、一本一本は光速に近いスピードで動いている。原子を構成する粒子よりはるかに細く、測定できないほどの細さだと考えられているが、長さに限界はなく、宇宙の膨張によって宇宙全体にまで伸びている・・・線密度はすさまじい値をとり、・・・1センチメートルあたりおよそ10の22乗グラムに達する」(293〜294頁)。これほど重いから、遠くの銀河からやってくる光を途中の宇宙ひものレンズ効果によって曲げるから、それを観察すれば逆に宇宙ひもの存在を推測できるかもしれないという。

 欧州CERNの大型ハドロン衝突器(LHC)が、まだ見つかっていない超対称粒子パートナーのニュートラリーノ、グラビティーノ、スニュートリーノを発見できるかどうかも、超ひも理論が正しいかどうかがわかるひとつの鍵を握っている。超ひも理論が余剰次元に適した幾何としてカラビ=ヤウ多様体を選んだのは、その内部構造に超対称性が自動的に組み込まれているからだ。もっとも、これは傍証にすぎないが、それでも理論の正当性について、一歩進めることになる。また、もっと直接的な証拠としては、余剰次元からやってくるカルツァ=クライン粒子を大型ハドロン衝突器(LHC)が捉えることである。この素粒子も超ひも理論によって予言されており、重力を伝える通常のグラヴィトンよりも余剰次元の運動量を持っているためにもっと重い。これは、グラヴィトンと一見同じで、その質量を調べればわかるはずだ。

 ヤウ教授は語る。「超ひも理論は数学的に美しい。数学的整合性があり、超対称性があり、素粒子物理に関してこれまでわかってるすべての事柄と矛盾しないし、重力やブラックホールなど様々な難問への見方を提供する。しかも双対性によって、場の理論とひも理論とは等価だ」(319頁)。しかし、実験によって何ひとつ立証されていない。それが超ひも理論の唯一、かつ、最大の欠陥なのであるが、超ひも理論の研究によって生み出された新しい概念、たとえばミラー対称性の発見などは、数学における何世紀も昔からの難問がたやすく解けるようになった。このように「ひも理論は、数学にこれほどの恵みを与え、新たなアイディアの大きな源泉となっているのだから、もし自然の理論として完全に間違っていることがわかったとしても、考えられる人類のいかなる取り組みよりも多くのことを数学に対して行ったことになる」(ブランダイス大学のボン・リアン)(325頁)とまで表されるのは、実にすばらしいことである。だから、その実証は、そんなにあせることはない。インフレーション理論だって、それを考案したアラン・グースは、まさか自分が生きているときにそれが実証されるとは思っていなかったと語っている。

 数学者のヤウ教授は、実に興味深いことを言っている。「マクスウェルの電磁気方程式の登場と、その後の量子力学の発展により、数学と物理学とのあいだに溝が生まれ、それは一世紀近くのあいだ埋まらなかった。1940年代から60年代には、多くの数学者は物理学者をあまり相手にせず、交流もしなかった。物理者も横柄になり、数学者の助けをほとんど借りなかった。数学において何かが発見されても、物理学者は自分たちだけで導けると考えた」。そしてMITの物理学者マックス・テグマーグは「一部の数学者は、物理学者はだらしなく、厳密さに欠けた計算をやっているとして見下す一方、一部の物理学者は数学者を軽蔑し、私たちが数分で導けるものを延々と時間をかけている。もし私たちの直観力があれば、すべて必要ないと気づくはずなのに」と(328頁)・・・これなどは、カルチャーギャップの表現としては、誠に面白い。それが、超ひも理論のカラビ=ヤウ多様体の研究をきっかけに再び交流が始まり、今ではお互いの協力の成果が出ているというわけである。




(2012年 8月 8日記)


カテゴリ:エッセイ | 18:56 | - | - | - |
徒然247.八王子祭り


八王子祭り



 八王子祭り(写 真)


 八王子市で、八王子祭りが行われるというので、カメラと三脚を肩に出かけて行った。iPhoneの乗換案内を見ると快速で御茶ノ水から52分ということで、やや遠い気がしたものの、先週、花火大会を見に行った立川を過ぎたら案外早くて、すぐ着いた。駅前に立つと、いやこれはなかなかの大都会である。八王子といえば、私などは高尾山に行く手前の街という印象しかなかったが、どうしてどうして、八王子がこれほどの都市とは迂闊にも知らなかった。

八王子祭り



 しばし駅前を眺めていたが、やがて人波に混じって西放射線ユーロードなる道を歩いて行った。というのは、その入り口には、たくさんの提灯でゲートが作ってあって、その上に「祝 八王子祭り」と書いてあったからだ。その道すがら、子供向けにカラーボールを掬わせる台が置いてあったり、またお囃子に合わせて狐が踊るという舞台(居囃子というらしい)もあったりして、否応なくお祭り気分が盛り上がる。その舞台を見ていると、踊り出した狐さんが、わざわざ体を曲げて、小さなお子さんと握手をしている。いろんなお子さんたちが次々に握手を求めてくるものだから、なかなか踊れないほどだ。いやいやこれは、子供さんに優しいお祭りである。こういうのは、これまで見たことがない。


八王子祭り


八王子祭り



 パーク壱番街通りの、とある交差点に差し掛かった。するとそこでは、三つの山車がお互い舞台を付き合わせるようにして、それぞれの芸を見せているではないか・・・。まるで、競うように山車の上で踊り、かつお囃子を奏でている。書かれた提灯の字を読むと、「三和会」、「駅前銀座」、「パーク壱番街」とあった。ひとつめは、獅子舞。ふたつめは、白と赤の狐。みっつめは、おかめとひょっとこが主役らしい。山車には、細かい彫刻が施されて、これ自体が動く文化財のようだ。それに乗った囃子方が太鼓や笛でお祭り囃子を奏でる。その調べに合わせて、狐さんなら、手首を折る独特の手つきで狐踊りを披露するかと思えば、おかめさんとひょっとこさんが、いかにも剽軽な仕草で踊る。獅子舞は、お正月によく見かけるあれと同じものだが、特に上下方向への動きがダイナミックである。それらが面白くて、見入ってしまった。20分ほど経っただろうか、三台の山車がそれぞれ勝手な方向へと散っていくその瞬間まで見物してしまった。最後に、正面の山車の屋根の上に乗っている法被の人たちが、色つきテープを投げて終わった。ああ、面白かった。それにしても、最後のテープは、一体どういう意味なのだろうか?

八王子祭り


八王子祭り



 甲州街道に出た。「下地区」という大きな表示がある。ここは舗装された幅広の通りだが、両側の歩道には屋台が出て、多くの人通りがある。屋台は、綿菓子、焼きそば、かき氷、焼き鳥、お好み焼きなど、なんでもござれ状態だ。車道は、先ほど見物していたような山車が何台も往復するようになっていて、山車を引っ張る町内の人たち、整理するおじさん、それに通行人が混然一体となって、日暮れを迎えた。通行人は、浴衣を着ている人の数が多いし、子供は甚平スタイルだ。大人のかなりの人が、ビールを入れた紙コップを持って飲んでいる。右を見ても左を見ても酔っ払いがいる。山車の祭囃子がそこここで響く中、夕暮れの青い空に輝く山車の明るい灯火が映える。そこに、山車の屋根の上に乗った数人が、提灯を掲げて叫ぶ。ああ、これがお祭りだという気がする。


八王子祭り



 あれあれ、あれは横山町三丁目の山車で、年配のおじさんの笛に合わせて、ひょっとこ踊りを披露している。うまいものだ。ちなみに、この山車はというと、「平成六年に再建された三層鉾台方式、建造は新潟県村上市の伽藍師細野実、細野幹雄ほか、山車人形は三代目原舟月作『織田信長羅陵王』」とのこと。ははぁ、これは新しいんだ・・・。では、古いものはというと、あった、あった。南町の山車で、「一本柱の人形山車として明治三九年に建造され、工匠は小野小三郎、彫工は小松光重。戦災で焼失した三人立ちの山車人形『応神天皇を抱く武内宿禰と龍神』が平成一八年に復元されました」という。古い文化財と最近の復元とが混じり合っている。

八王子祭り



 駅でいただいたパンフレットによると、「八王子の山車祭りとして有名な江戸時代から続く市街地の氏子を中心とする山車祭りは、八幡八雲神社の祭礼として下の祭り、多賀神社の祭礼を上の祭りとして親しまれ、江戸中期から明治中期にかけて人形山車の祭りとして、明治後期以降は、彫刻を全面に施した彫刻山車の祭りとして、関東一円に名声を博していました。しかし昭和20年に戦火に遭い8台の山車が焼失、失われた山車も、上八日町、横山町三丁目、八日町一・二丁目三町で山車の再建を果たされ、現在19台の山車が八王子祭りに参加するようになり、毎年甲州街道を舞台に華麗な山車祭り絵巻を繰り広げています」とあった。

八王子祭り



 そんなことで甲州街道を多数の山車が行ったり来たりを繰り返しているが、山車どうしがすれ違うときに、あれあれどうしたことか、お互いまるで磁石に引かれるように近づいていった。そして、相互に見合うような態勢をとって、狐踊りやひょっとこ踊りを見せ合っている。大音量のお囃子付きだ。これは何かというと・・・例のパンフレットにこうあった。「ぶっつけ・・・山車がすれ違うとき、山車を寄せ囃子を競い合うこと。相手に囃子に釣り込まれた方が負けです。2台に限らず、3台4台がぶつかりあうことがあります」とある。これだったようだ。いくつか見たが、あるとき、山車どうしが別れる際に、うち一台の山車の屋根の上に乗った法被の人たちが、色つきテープを投げて終わった。これって、勝利の意味だったのだろうか?まあ、それはまた次の機会にやって来て、誰か地元の人に聞いてみることにしよう。それにしても、このような地域の伝統的行事に小さい頃から自然に参加できる地元の人たちが、とっても羨ましい気がする。

 ところで、今回、私が見たのは、3日間にわたる八王子祭りのごく一部らしい。ちなみにパンフレットを参考にして来年以降また来た場合のシャッター・チャンスがありそうな催しを記録しておくと、次のようなことになる。

8月3日(金)18:30以降   宵宮の舞(八王子芸妓)、西放射状ユーロード
8月4日(土)14:00〜16:00 関東太鼓大合戦
8月4日(土)18:00〜21:30 山鉾巡行と御輿渡御(今回、山鉾だけ見物した)
8月5日(日)15:00〜18:00 多賀神社宮御輿「千貫みこし」渡御
8月5日(日)16:00〜18:00 獅子舞(氷川神社獅子舞保存会等が披露)
8月5日(日)17:00〜21:30 (下地区)山鉾巡行と御輿渡御
8月5日(日)17:00〜19:00 (下地区)御輿連合渡御
8月5日(日)18:00頃 八日辻・横山辻にて山車辻合わせ(それぞれの辻に山車が集結し、囃子の競演を行った後、木遣りが入って揃いびきが始まる)
8月5日(日)18:00〜21:30 (上地区)山鉾巡行と御輿渡御
8月5日(日)19:00〜19:20 (上地区)御輿連合渡御(八幡辻に9基の御輿が集結)
8月5日(日)19:00〜19:20 (上地区)(八幡辻に9基の山車が集結)
8月5日(日)19:50〜20:30 (上地区)山車八幡大辻合わせ(八幡大辻に10台の山車が集結し、木遣りが入り囃子の競演を行った後山車が巡行し「ぶっつけ」を行う)

 これを見ると、最も合理的な撮り方は、8月5日(日)にやってきて、15:00から多賀神社宮御輿「千貫みこし」渡御、16:00から獅子舞、17:00から下地区の山鉾巡行と御輿渡御、18:00頃から八日辻・横山辻の山車辻合わせ、19:00から上地区の八幡辻の山車の集結、19:50から上地区の山車八幡大辻合わせに行くというものだが、猛暑の中をあちらへ行ったかと思うと、またこちらへと向かわなければいけない。これは大変なことになる。それに、8月3日(金)18:30以降の宵宮の舞というのも、なかなか捨てがたい。まあ体力勝負になりそうだが、それでも祭りの魅力には勝てない。できれば来年、また撮りに行ってみよう。なお、光の関係から写真がブレずに撮れるのは、せいぜい日没直後の19:00までだ。それ以降は、動きのある被写体は、今のカメラでは、どうしてもブレてしまうので、なるべく人や山車の動きが止まった瞬間をとらえたいものである。




(2012年 8月 5日記)


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