徒然246.向島百花園の夏

大輪朝顔展の朝顔



向島百花園の夏(写 真)


 大輪朝顔展が今日から開かれているというので、向島百花園に行ってみた。何しろ朝顔なので、早く行かなければと思っていたのだが、ゆっくり朝食を食べたりしていたものだから、結局、東向島駅に着いたのが午前10時を回っていた。いやもう、すごい暑さである。駅からiPhoneのマップに表示させた経路に従って歩いたのだけれど、汗がしたたり落ちてきて、持っているハンカチがあっという間にぬれた。昨日から気温が全国で35度を上回る都市も珍しくなくなって、熱中症で病院に運ばれる人も多く、その中で運悪く亡くなる人もいたりする。そんなことを思いながらふらふらと歩いて行き、もうたまらないと思った頃に着いた。

大輪朝顔展の朝顔


大輪朝顔展の朝顔


大輪朝顔展の朝顔


 こんなもので良いのかなと思うほどの、ごくわずかな入園料をお支払いして向島百花園に入る。入り口に近いところにたくさんの朝顔の鉢が並べてあり、これが大輪朝顔展のようだ。ところが、着いたのが午前10時と遅かったせいか、それともこの猛暑のせいかはわからないが、朝顔の多くは、可哀そうなほど萎んで元気のないことおびただしく、せっかくの朝顔展が台無しとなっていた。写真を撮りたくなる朝顔の数はごくわずかだ。いやはや、これは残念である。でも、私が小さい頃によく見かけた朝顔、特に紺色、赤色、白色などという懐かしい昔ながらの朝顔に加えて、絞りというのか、斑入りというのか知らないが、白い線が何筋も入っている朝顔も結構あって、こういうところは品種改良が進んでいる分野なのかもしれない。それに、茶色の朝顔なんて、私の小さい頃にあったものかどうか、どうも思い出せない。ともあれ、庶民がこういう朝顔を育てて、楽しんでいるというのは、日本ならではのことではないだろうか。

大輪朝顔展の朝顔


大輪朝顔展の朝顔


 さて、猛暑のせいで大輪朝顔展にはがっかりさせられたが、せっかく向島百花園にきたのだから、園内を一周しようと歩き始めた。すると、これは鮮やかとしか評することができないくらいに目立つオレンジ色をした凌霄花(のうぜんかずら)があった。空の青さによく映えて、いやこれは素晴らしい。よく見ると、オレンジ色の花の中に蟻がたくさん動き回っている。何か蟻を引き付けるフェロモンのような物質を出しているのかもしれない。

凌霄花(のうぜんかずら)


 花魁草(おいらんそう)という、赤い小さな花が集まった見たことのない花があった。季節の花さんの説明によると、「花の香りが花魁(おいらん)の白い粉の香りに似ているからこの名前になった」らしい。私はてっきり、花の赤さとその儚げな様子から花魁になったのではないかと思ったが、違ったようだ。香りを嗅いでみたが、確かに、かすかにおしろいのような匂いがした。

花魁草(おいらんそう)


 次は、おなじみの桔梗(ききょう)である。私の小さい頃からこの花はよく見かけたものだが、花がまだ咲かないときには、花びらがお互いにぴったりくっついていて、まるで紙風船のようになっているからよく覚えている。事実、英語では「balloon flower」というそうだから、笑ってしまう。まあ、紫色の品の良い可憐な花である。見ていて飽きない。

桔梗(ききょう)


 あらら、これはすごいと思ったのが、紅葉葵(もみじあおい)だ。青い空とちょうと補色関係にあるピンクや真っ赤な力強い花が咲いている。一見すると、ハイビスカスのようでもあり、あるいは木槿(むくげ)のようでもあるが、それより少し大きくて、はるかに力強い印象を受ける。これを見ていると、ああ、夏本番だという感じがする。いや、もう暑くなってきた。熱中症になる前に、さっさと家に帰って休むとしよう。とんだ大輪朝顔展だった。

紅葉葵(もみじあおい)





(2012年 7月29日記)


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徒然245.立川花火大会

立川花火大会




 立川花火大会(写 真)


 今日ほど、各種イベントが立て込んでいる日はない。午後1時半からは新宿で沖縄エイサー祭り、午後7時5分からは東京の東で隅田川花火大会、午後7時20分からは東京の西で立川花火大会、さらに加えて午後8時からはロンドン五輪で日本の女子サッカーなでしこジャパンがスウェーデンと試合をするという。いやこれは、1日の中では近年に類のないほどの豊富さで、どれを選ぼうかと迷うほど。しかし、この35度を超える炎天下でエイサー見物というのも、体によくないからまずこれはパスしよう。先週は、サンバ風の沖縄エイサーを見物したばかりだし・・・いや、まったく別物かもしれないが、ともかく熱中症にならないように暑さを避けることが肝心だ。次に隅田川花火大会も自宅から近くて良いが、花火の写真を撮る適当な場所が思いつかない。何しろ人の洪水のような状態になる。さりとて、家でなでしこジャパンの見物をするのも、まだ予選だし、気が乗らない(しかし、ウチの奥さんは、賢明にも、こちらの方を選択した)。

立川花火大会


 というわけで、未だ行ったことがない立川花火大会に出かけることにした。何でも、目新しいことに挑戦することが大事だ。iPhoneの乗換え案内によれば、自宅からだと新御茶ノ水で青梅線直通に乗ればよい。午後5時ちょうどに家に出ると、西立川駅に午後5時53分に到着する。昭和記念公園で開かれるこの花火大会用の見物の門が開くのが6時ちょうどだから都合がよい。そんなことで、新御茶ノ水で中央線に乗り、座席に座った。最初はさほど混んでいなかったが、新宿、荻窪、吉祥寺と進むにつれて、電車が混んできて、三鷹に着く頃には満員電車並みになった。あまりに押されるので、入口付近で悲鳴が聞こえる。隣に座った年配のおばあさんなどは、国分寺で電車の外に出るのに一苦労していたほどだった。そうこうしているうちにこうした混雑やら特急通過の調整で電車は7分遅れとなり、開門時間とちょうど重なることになった。立川駅に着いたがそこでは大半の乗客は降りず、そのままの混雑状態で、西立川駅に向かった。こちらの方が、会場の昭和記念公園までの歩く距離がはるかに短いからだ。

立川花火大会



 その西立川駅で中央線の電車を降りると、すぐ目の前が昭和記念公園のゲートである。打上げ会場のみんなの原っぱを目指して人波に合わせてぞろぞろ歩き始めてしばらくしたとき、視界がすーっと開けて、湖のほとりに出た。大勢の家族連れが、その付近の地面にレジャーシートを敷いて座っていた。「ああ、これは湖越しに花火が見られそうだ。それに、三脚を立てられそうだ」と思って、その中ほどの空いているスペースに座って待つことにした。シートを敷いて腰を下ろし、三脚を2段だけ出して目の前に置き、カメラを載せた。こうすると、座った私の目の前にカメラの液晶画面が来る。試し撮りをしてみると、写真の画面下の部分には、鬱蒼とした木々が黒いシルエットを作り出していて、なかなか良い感じである。そういう体勢で花火の開始を待っていたのだが、困ったことに、なんとお尻が熱くなってきた。まるで鉄板の上にいて焼かれているようなものだ。昼間の暑さで、コンクリートが熱を帯びてしまっている。仕方がないので、万一の際の着替えに持ってきた下着やシャツを畳み、その上に座ると、少しは熱くなくなった。湖面を通ってきた涼しい風がたまに通るものの、風がなくて空気がよどむときは耐え難い暑さである。団扇や扇子を持ってきた方がよかった。手持ちのペットボトルの水やお茶を飲んで、しばしの時間、耐える。

立川花火大会



 午後7時20分となり、いよいよ始まった。真っ暗となった空に、次々と花火が上がる。こちらから見ていると、正面に比較的大きな花火が上がり、その左手の、木々が切れ込んで低くなっているところからやや小さめの花火が上がるという具合で、それが同時に上がると、大小ふたつの花火を同時に見ることができる。正面の花火の多くはいわゆる一尺五寸玉で、ヒュルヒュルヒュルという音を立てながらどんどん上がって行く。誰かが「これは大きいぞ」と叫ぶ。その頂点に達して、空一面に球形に火が飛び散り、ややあって、ドーンという腹に響く音が聞こえる。ううーん、これがまさに夏の花火の醍醐味である。これだけでも、来て良かった。

立川花火大会


 プログラムに、全国選抜の芸協玉というものがあった。これは、全国の競技会で優秀な成績を収めた花火を再現したものという触れ込みで、立川名物一尺玉10発があると書いてあった。午後7時50分からの打ち上げである。その書いてあったとおりに記していくと、01[新潟]昇曲導 三重芯銀閃冠、02[東京]昇小花 八重芯ダリア、03[群馬]昇小花 胡蝶の舞、04[山梨]昇小花 雌雄芯菊先オレンジ銀乱、05[秋田]昇小花 花キキョウ芯錦冠先変化、06[静岡]昇小花 ひまわり千輪菊、07[愛知]昇曲付 大万華鏡、08[茨城]昇小花 虹の華、09[静岡]昇尾引 水色芯銀カムロ、10[長野]昇曲付 四重芯錦冠群声、というものだが、これを読んでいるだけでも面白い。また現物の花火も、いやこれはなるほどと思うくらいに、なかなかの見ものであった。確かにダリアのようであり、オレンジ色であり、虹といえば虹みたいで、これは芸術の域に達していると思った。

立川花火大会



 ただ、肝心の花火の写真だが、花火というものは、撮りにくいものだ。単に、暗いからというわけではなくて、その花火によって、まずは大きさが違うし、上がる位置もかなり異なる。だいたい、上がっているときにはどういう大きさの花火なのかわからないではないか・・・もっとも、最後の頃には、高く上がる花火は空一面に広がるほど大きいなどと体感したが、時すでに遅かった。加えて、眼で見た花火と写真に撮れた花火とでは、相当違う。なぜかというと、人間の眼では残像のようなものがあって、時々刻々飛び散って行く花火の火が一連でつながっているように見える。しかし、カメラはまさにその瞬間を写すので、多少は露出時間で操作するにしても、やはり何か違うのである。

立川花火大会



 ということで、写真は撮ったものの、納得がいくのものはあまり撮れない。そこで試しに映像ではどうかと思ってビデオを撮ってみたところ、あにはからんや、かなり良いものが撮れた。花火は、ビデオに限るということか・・・。しかし、残念なことに、私の周囲でビールを飲んで酔っ払って戯言を呟いている若者たちの、その声までを拾ってしまっている。さりとて、音がないと、あのドーンという腹に響く花火の醍醐味が味わえない・・・うまくいかないものである。今度、ビデオを花火を撮影するときは、指向性マイクを使うほかない。まあ・・・でも、この花火大会は、とても面白かった。

立川花火大会



 帰り際、家にいて、なでしこジャパンのスウェーデンとのサッカーの試合をお茶の間観戦している家内に対して、これから帰るよとメールを出した。すると、「試合は今のところ0対0だけれど、圧倒的に攻め込まれてハラハラします」とメールが帰ってきた。なるほど、家のお茶の間観戦は、確かに涼しかったが、精神衛生上はあまりよろしくなかったようだ(ちなみに、家に帰ってみると、この試合は、引き分けに終わっていた)。

立川花火大会






(2012年 7月28日記)



カテゴリ:徒然の記 | 17:08 | - | - | - |
幼稚園からのお便り

幼稚園から初孫ちゃんあての「好奇心賞」



 手元に、一枚の英文がある。実はこれ、幼稚園からの初孫ちゃんについてのレポート、つまり日本風にいうと「お便り」なのである。この幼稚園は、インターナショナル・スクール系なので、その内容が実によく書けていて、我が初孫ちゃんの特徴がしっかりとらまえられていると感心した。日本の幼稚園でしばしばあるような、単に「はい、なになにが良くできました」という程度のものとは、観察の深さや本質の捉え方がそもそも違う。この幼稚園は、文字通りインテリが運営していると思うのである。まずはその内容を見てみよう。

1.社会性と感情の発達

 この子は、この幼稚園のクラスでとても大きなスタートを切りました。幼稚園の友達と良い関係を築き始めています。ほかの子たちに分け与える力が一層良くなったり、何かを待つ忍耐力がさらに身に付くようになりました。また、自分がコントロールできる環境にいることを好むことから、小さなグループで遊んでいたり、あるいはひとり遊びをしています。クラスで行われる毎日の日課をこなすことがとても上手になりました。お食事、トイレ、お掃除などを含めてたくさんのことを自分でしようとしています。もし自分で出来ないことがあると、必ず助けを求めるようになりました。でも、ほかの子との揉め事を言葉で解決するという点については、まだ学んでいる最中です。しかし、先生の言うことを良く聞いて、自分の感情を非常にはっきりと表現することが出来ます。


1. Social Emotional Development
He has made a great start in preschool class. He is beginning to form better relationship with his preschool friends. He is showing an improved ability to share with others and has more patience when waiting for something. He enjoys playing in small groups or individually as he likes to be in control of his environment. He has shown great improvement in following the daily classroom routines. He tries to do many things independently including eating his lunch, toileting and cleaning up. If he cannot do something he does well ask for help. He is still learning how to resolve conflicts by talking with friends. He does well to listen to teachers and is very good at expressing his feelings clearly.


 確かに、初孫ちゃんは両親が働いているので、保育園育ちである。言葉もままならないうちから、大きな子や小さな子、同じくらいの子に囲まれて育ったものだから、言葉は悪いが、それは弱肉強食の世界だったのかもしれない。昔、聞いたところによると、朝、まだハイハイをし始めたばかりのこの子を保育園の玄関にポーンと置いた。すると、早速おもちゃ箱に向けて突進していき、気に入ったおもちゃを右手で二つ確保し、残る左手でまた別のおもちゃで遊ぶという離れ業を演じていたというから、笑ってしまう。それくらい要領が良ければ社会でやっていけると思う反面、マナー違反は困るし、周囲に分け与える精神もまた必要だと思っていた。そうすると、よくしたもので、このインターナショナル・スクール系の幼稚園がそういう足りない点をちゃんと教育してくれるのだから、本当に有難いことである。

 初孫ちゃんは一人っ子で兄弟はいないので、確かに、ひとり遊びをする傾向にある。しかし、まだ3歳半という年齢で、最近ようやくまとまった話が出来るようになったことから、それで同年代の子と話し合って解決せよといわれても、なかなかすぐには出来ないことだと思う。しかし、話すのに慣れるに従ってそういうことは徐々に出来るようになるだろう。そうそう、ここに書いてあるように、この子はなかなか独立心に富んでいて、何でも自分で取り組むタイプだから、まずはやらせてみてという方針の方が、自立心の育成には良い効果があると思う。また、確かに聞き分けの良い子で、自己主張もそれなりにあるから、「先生の言うことを良く聞き、しかも自分の感情を非常にはっきりと表現することが出来」るというのは、本当である。こういうところは、幼稚園側がよく観察していてくれることを示していて、誠に有難いところだ。

2.知性の発達

 この子は、周囲の環境にとても好奇心を示し、学ぼうというモチべーションが強い子です。その英語能力は素晴らしく、友達や先生との毎日の会話を英語で行うのを楽しんでいます。しかも(単語を並べる程度のたどたどしい英語ではなくて)ちゃんとした英文で話し、ボキャブラリーも豊富です。クラスで英文を読む力を見せるのを楽しんでいます。今期は、書くことをたくさん取組みました。この子の書く文字は形が良く、それをちょうど良い大きさで書けるようになりました。クラスで行う課題に大きな興味を示しました。発表会を皆と楽しみ、おもちゃの車で遊んだときには、健全な想像力を巡らせました。それに、この子は数字にとても興味があり、「僕は150くらい大きくなりたい」などと、大きな数字を言って楽しんでいます。また、時間や計測にも興味を示します。


2. Intellectual Development
He is very curious about his environment and shows great motivation to learn. His English skills are excellent and he enjoys using English in his everyday conversations with friends and teachers. He speaks in full sentences and has a wide range of vocabulary. He enjoys showing the class his reading skills. This term he has practiced a lot of writing. His letters have good form and he is improving in writing them the correct size. He showed a lot of interest for our project. He enjoyed sharing his show and tell and showed a healthy imagination when playing with vehicle toys. He is very interested in numbers. He enjoys saying big numbers "I want to be 150 big!" and is also interested in time and measurement.


 ははぁ、まずは初孫ちゃんが1歳10ヶ月で受け始めた幼児向けの英語スクールのレッスンの効果が表れていることを素直に喜びたい。確かに、単なる単語の羅列ではなくてちゃんとした英文で話すように教えられているから、それを実践しているようで、誠に結構である。もうアメリカの小学校の2〜3年生の教科書を読んでいるというから、ボキャブラリーが豊富というのも当然だし、また数字や時間なども、お手のものというわけだ。最初は、こういう幼児向けの英語スクールなんて、どうなることやらと思わないわけでもなかったけれど、なかなかどうして、しっかりと消化できているようだ。それに、「健全な想像力」というのも、大事に育てられている証拠で、嬉しい評価である。両親は、この子を本当にかわいがり、あちらこちらに連れて行って生の体験をさせているからだろう。親が時間とお金と、それに愛情をかけてやってきたということが、こんなところにも表れるものだ。

3.身体能力の発達

 この子の運動能力は抜群です。走る、そして飛ぶときのバランス感覚はとても良く、高いところから飛ぶことが好きです。また、今期はサッカーのプレーを楽しみ、ボールを追いかけたり蹴ったりすることが上手になりました。その運動能力は、この子の年の割には抜群といえます。さらに、ハサミを扱うことが出来、紙をうまく切ったりそれを上手に折ったり、しかもペンで上手に書くことが出来ます。


3. Physical Development
He has very good gross motor skills. He shows good balance when running and jumping and loves jumping from high places. He has also enjoyed playing soccer this term and is getting better chasing the ball and kicking it. He fine motor skills are outstanding for his age. He is capable of using scissors to cut can fold paper well and shows good control when writing with a pencil.


 私は小さい頃、自分は走るのは遅いし、何をやっても不器用であることを自覚していた。しかしそれも、孫の代になると、大いに改善されているようで、本当に嬉しい限りだ。前回会ったときに、自宅でビーチボールでサッカーをしたことを思い出す。いやいや、その前にも、娘夫婦はまだよちよち歩きをし始めたばかりのこの初孫ちゃんを、あちこちの行楽地やら公園やら建物内で「ラン」と称して存分に走らせていたから、そういう効果が出ているのだと思う。運動能力と頭の発達とは相関関係が高いと思うので、この調子で育ってくれれば、申し分ないと考えている。






  関 連 記 事
 初孫ちゃんの誕生
 初孫ちゃんは1歳
 初孫ちゃんは1歳4ヶ月
 初孫ちゃんは1歳6ヶ月
 初孫ちゃんもうすぐ2歳
 初孫ちゃんは2歳2ヶ月
 初孫ちゃんは3歳4ヶ月
 初孫ちゃんは3歳6ヶ月
 幼稚園からのお便り(1)
10  初孫ちゃんもうすぐ4歳
11  幼稚園からのお便り(2)
12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15  孫と暮らす日々





(2012年 7月28日記)


カテゴリ:エッセイ | 15:17 | - | - | - |
徒然244.沖縄サンバカーニバル

沖縄サンバカーニバル



 沖縄サンバカーニバル(写 真)


 表参道を散歩していたところ、近くの代々木公園で、ブラジル・フェスティバルを開催中で、ちょうど沖縄サンバBBB(ブロッコ・バトゥッキ・ブラザース)が出演するというので、行ってみた。明治神宮前の交差点の歩道橋を渡り、体育館の方向へ向かって、NHKの裏手にあるイベント広場である。ゲートをくぐってすぐのところに、頭に白い受話器を載せた女性がいて、びっくりした。実はこれ、Brastelというブラジルの電話会社の宣伝ガールというから、笑ってしまう。しかもとっても愛想がよくて、通る人をつかまえて一緒に写真に納まってくれる。これは、よい宣伝になると思う。とまあ、それを通り過ぎると、黄色いアドバルーンを上げているテントがあった。これはBanko De Brazilつまりブラジル銀行だ。あれあれ、バスの上に飛行機が乗っているのもある・・・これは、日本の旅行会社のHISである。それにしても、このテント群から漂ってくる肉の焼ける匂いはすごい。どうかすると、匂いだけでなく、煙が目に染みてくる。なるほど、これがブラジル風の歓迎というわけか・・・。

ブラジルの電話会社の宣伝ガール



 などと思いながら並んでいる数々の店を通り過ぎようとすると、フルーツ屋があった。店頭の絵を眺めると、そこにはドリアン、マンゴスティン、マンゴ、パイナップル、バナナなど、よく知っているフルーツに混じって、見たこともないものも結構あるではないか。私は、フルーツ好きといっても、東南アジア専門だから、南米の果物の中には、もちろん見たこともないものがあるかもしれないと思って近づくと、いやはや、そんなものばかりであった。世界は広いと実感する。そこで、結局ドリアンを買い、それをいただいてから、ステージの方へと向かった。

司会のお姉さん



 ステージ上では、前の舞台が終わったばかりのようで、しばらく間が空いた後、司会のお姉さんの紹介で、いよいよ沖縄サンバカーニバルが始まる。私は、浅草サンバカーニバルと同じ調子のものが出てくると思ったのだが、あにはからんや、舞台には和服に三線(さんしん)らしきものを持った年配の男性が数人出てきた。これは、かなり想像とは違ったなと思っていると、いきなり浅草で聞きなれたサンバのリズムに合わせて、舞台上にどんどん出演者の方々が湧き出るように出てきて、いやまあ、その賑やかなことといったらない。それに合わせて、今度は舞台の下に、沖縄のエイサーの太鼓敲きの一団まで出てきて、もうエイサーなのかサンバなのかわからなくなってきた。普通なら、絶対にお互い調和しそうにない二つの音楽のリズムなのだけれど、沖縄の皆さんがやると、もうぴったり合ってしまうからこれが不思議である。

沖縄サンバカーニバルのエイサー


沖縄サンバカーニバルのプロ



 あらら、目の前では、沖縄の演武のようなものが始まった。もう、滅茶苦茶だ・・・でも、面白い。遠く舞台に目をやると、ひときわ背の高いサンバ・ガールがひとり、所狭しと踊りまわっている。ははぁ、この人はプロだ。その手つき、身のこなしだけでなく、顔の表情が多彩で、あちこち万遍なく愛想を振りまいている。それを見ていたら、こちらまで体のあちらこちらが踊りだしそうになる。これがサンバカーニバルの特徴なのか・・・。

沖縄サンバカーニバル



 それを見終わり、まだサンバのリズムに頭がしびれる気がする中を、表参道に向かって歩いて行った。そして、最近開業したばかりの東急プラザ表参道原宿に入っていった。全面が鏡で覆われたような出入口のエスカレーターを登っていき、ショップを覗いて、そのあまりの若々しさに、これはたまらんとばかりに早々と退散し、6F「おもはらの森」に行った。ここは、「都心に出現する緑豊かな避暑地」というだけあって、なるほど樹間でくつろげる空間であり、家内もたいそう気に入ったようだ。ここだけは、われわれ高齢者向きであり、お勧めしたい。

東急プラザ表参道原宿


東急プラザ表参道原宿の6F「おもはらの森」





(2012年 7月22日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:56 | - | - | - |
徒然243.上野公園不忍池の蓮

上野公園不忍池の蓮



 不忍池の蓮 2012年(写 真)

 不忍池の蓮 2009年(写 真)


 家の近くに上野公園の不忍池があるものだから、7月の声を聞くとその蓮の花の写真を無性に撮りたくなって、落ち着かなくなる。とはいえ、あまり早い段階で行っても咲いていない。そこで、やっと7月下旬となったので、今朝早く起きて、8時半頃に池の畔に立った。池面は、蓮の緑の葉でもうかなり覆い尽くされているが、池の中心部のところは、まだ十分には育っていないようだ。全体的に池面の8〜9割程度は、蓮の葉で覆い尽くされている。さて、肝心の蓮の花であるが、あるある、あちこちで咲いているが、まだ咲き始めという感じで、数は多くない。それでも既に蓮の実となったものをたったひとつ見つけた、そんな程度である。

上野公園不忍池の蓮の花びらの水滴



 池の回りを歩いて蓮の花を見かけると、それに超望遠レンズを向けて、どんどん撮っていった。実は昨晩遅くから、霧雨が降ったり止んだりしていて、その雨の滴が丸い数珠のように蓮の花に付着して、いつもとは違った風情のある写真が撮れた。それに、あの大きな蓮の葉の中心部に大きな水たまりができていて、それもまた美しい。まるで溶かした氷砂糖のごとくである。しかも、風が吹いて葉が左右に揺れる度に、その大きな氷砂糖の水滴が形を変えながら葉の中心部で傾く様は、自然の妙といってもよいほどである。

上野公園不忍池の蓮の葉の水滴



 それにしても、冬の時期には蓮の枯れ葉と枯れ茎でその一面が茶色に覆われるこの不忍池なのに、それからたった数ヶ月の間に、あの広い池面がすべて新緑の蓮の葉に覆われるだけでなく、ピンク色のこの愛らしい蓮の花を咲かせるなんて、まるで魔法の仕業のように思うのである。それも、泥の中にすっくと立ち、しかもそれが丸くて大きなピンク色の花だから、昔の人はここに極楽浄土を重ね合わせたのも当然で、なるほど、むべなるかなという気がする。 私たちは2年前に平泉への旅をして、中尊寺の蓮の花を見てきたが、これは中尊寺の金色堂須弥壇から発見されてなんと800年ぶりに発芽させることに成功した蓮の花という。藤原家3代も、この蓮の花を見て楽しんでいたかと思うと、感慨もひとしおというものである。ちなみに、もっと古い発芽例としては、昭和26年に千葉市の東京大学検見川農場の遺跡から発掘されて、大賀一郎博士が発芽させることに成功した蓮は、今をさかのぼること2000年前の弥生時代後期のものであるというが、今度、機会を見つけてその写真を撮ってこようと思っている。

上野公園不忍池の蓮



 私は、実はあまり蓮にまつわる思い出はないが、それでもたったひとつあるのは、蓮フレーバーのお茶が実に美味、いや美香だったことである。ベトナムに行ったとき、何の気なしにお土産として、蓮のお茶のパックを買って来た。それを自宅で淹れて、家内と飲もうとしたところ、室内に得も言われぬ芳香がただよった。これがまた素晴らしくて、思わず2人でうっとりとしたものである。もっともお茶そのものの味は、あまり大したことはなかったが、これは普通のお茶っ葉を使って単にそれに香り付けをしたからだろう。しかしそれにしても、その香りが味を上回るお茶なんて、初めての経験である。

上野公園不忍池の蓮





(2012年 7月21日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:22 | - | - | - |
徒然242.カタログ・ショッピング

羽田空港の七夕飾り



 実家から帰京する飛行機の中では、特にやることもないので、JALショッピングという雑誌を手に取った。これは要するに通販の雑誌なのであるが、面白い品物が多くて、読んでいるうちに思わず、顔がほころんでしまった。別に、今すぐに欲しいというわけでもないのだが、どの品物にも人を引き付ける魅力があるというか、ともかく面白いのである。たとえば、このホットデュランII「炊く、焼く、煮る、蒸す、保温ができる、お弁当」という商品は、炊飯器とグリルと鍋とお弁当箱を兼ねている。しかも100〜120Vと200〜240Vに対応しているというから、海外でも使える。長期の海外旅行や出張には本当に便利だ。これで、9,800円というのは、お買い得だと思う。私も、長い海外出張の際には、これを持っていこう。もっとも、中身の料理は、いったい誰が作るのかという疑問もあるが・・・。

ホットデュラン?



 ああ、これこれ、革靴風のスリッパである。ビジネス・スリッパ(ローファータイプ)というらしいが、実は、私はこれをわざわざ有楽町のJALショップまで買いに行って、現在オフィスで使っている。このモデルは、その当時のものより、先端がさらに革靴らしくなっている。私のように、時として明け方まで仕事をすることもないわけではないという激務だと、「睡眠」、「食事」に次いで、「靴を長時間履かないこと」というのが健康維持に大切なことである。でも、普通のスリッパでは、来客時や部屋の外にちょっと出るような時にいちいち履き替えるのが不便である。そういうときにこの手の革靴もどきのスリッパは、誠に便利ということになる。お値段は、5,250円と、高いといえば高い。

ビジネス・スリッパ(ローファータイプ)



 次は、スリングボックスPRO-HDなるもので、べちゃんとした台形をしている。いったい、これは何だろうと思ったら、「海外でも、出張先でも、移動中の車内でも、自宅のテレビ&録画番組の映像をいつでも視聴&操作可能」とある。でも、この機械には、そもそもスクリーンすらない。ますます、わからなくなってきたので説明を読むと、「インターネットに接続できる環境であれば、外から自宅のテレビ放送や録画番組をいつでもどこでも視聴できる便利アイテムです。海外赴任中でも、実家や自宅のHDDレコーダーと接続してネット回線を繋いでおけば、見たいときにPCやタブレット端末、スマートフォンなどで視聴でき」るそうだ。何だ、要するに日本のテレビ回線を、これを介してインターネット接続させてパソコンやタブレット端末に表示させる機械のようだ。だから、インターネット接続さえしてあれば、家の中でも風呂場でも、あるいは遠く海外からでもどこでも見られるというわけだ。インターネット経由で自宅のテレビ回線で自分が番組を見るわけだから、著作権法上は問題になりようがない。なるほど、うまいことを考えたものだ。しかし、日本の実家でその時間だけ、あるいはそれが面倒なら常時これに電源を入れておく必要があるし、時差のある海外、特に欧米で即時で見るのは、ちょっとつらいかもしれない。だから、実家のHDDに予約して録画しておいたものをこれでインターネットに飛ばして出先で好きな時に見るということを実現する機器なのだろう。29,800円。

スリングボックス



 さてその次はというと、「色気とタフさを両立した2ウェイ・ボストンだそうだ。何のことやら、理解しかねるが、「着替えも書類もざくざく入る」と言っているから、仕事とオフにもという意味で、2ウェイなのかもしれない・・・いやいや、それとも表裏をひっくり返すと茶色になったりして・・・まさかね。レザー製で、ネイビー色は、なかなか魅力的である。以前イタリア旅行の最中に家内が買った真っ青の綺麗な皮のハンドバックは、半年も経たないうちに色が褪せてしまった。これも、使っているうちに、退色しないだろうかといささか気になるが、しかし、色そのものがとても魅力的で、少しは心が動く。今のボストンバックがもうぼろぼろだから、そろそろ換え時かもしれないなどと思うと、ますます気になる。ただしお値段は47,250円と、かなり高い。

2ウェイ・ボストン



 最後は、これまた妙なバックで、赤いくっきりとした色である。その名も、「かぶせボディバック」といい、何と斜めに背中にかけるという使い方をするらしい。もちろん、ベルトの長さが許せば腰回りに巻いてもおかしくはないと思うが、それにしても朱色に近いこの赤色、なかなか目立つ。「大人の雰囲気。身体に沿うように馴染み、ポケットの延長感覚で持ち歩けます」などといわれると、そうかと思ってしまう。お値段は、32,025円と、やや高いが、ここは迷うところである。

かぶせボディバック



 以上、商品を好き勝手に評したが、いずれ劣らず魅力的なものばかりである。短い空の旅を楽しませてくれる、ウィンドウ・ショッピングならぬ「カタログ・ショッピング」だなと思ったりした。しかし、ものの1週間もしないうちに、このうちの何点かが家にあったりして・・・、おお怖い。



(2012年 7月17日記)



カテゴリ:徒然の記 | 22:49 | - | - | - |
徒然241.父の一周忌

玄関脇の朝顔



 父が亡くなってから一周忌の法要が巡ってきたので、帰省した。法要自体は、和尚さんがやってきて親類一同が見守る中、読経してくださって無事に終了した。それから皆でマイクロバスに乗って料亭に向かい、そこで亡き父の思い出話をしながら会食をするというスタイルである。ちょうどフェーン現象の最中であり、気温がぐんぐん上がって37度近くにもなったので、親類の中にはご高齢の方も多いことから、お墓参りはまた別の日にしようということになった。

 それにしても、田舎の慣習というのは想像を絶するものがある。たとえば、帰り際には参加者の皆さんの両手が重たくて嵩張る引き出物でいっぱいになるようにするということで、片手には大きな果物のバスケット、もう一方の手にはとても大きなバッグを持たせる。そのバッグの中には、商品券やらコーヒーセットやらお餅やら、その他いろいろな品物がぎゅうぎゅう詰めにされる。それだけではなく、お供えのどら焼きの山・・・確かに故人の好物ではあったが、それにしてもなぜどら焼きがと訝しく思うが、それはともかく・・・、それに加えて参加者が申し合わせたように持ってきた箱入りの様々なお菓子が分けられて、どら焼きとともに全員に行き渡るように包まれたお菓子パックが用意され、それもまた持ち帰ってもらう。いやはやこうなると、この法要のあとは、各家庭とも数週間分のお菓子のストックが積みあがってしまうではないかと思うが、どうもそんなことを気にしているようでは、この地では暮らせないらしい。

池の端にある狸の置物



 それよりも忙しいのは、各親類との積る話である。伯母さんとは10数年ぶりだし、あそこの従兄弟とも長らく会っていない。あれあれ、あの従妹とは、20年ぶりだ・・・確か、昔開かれた従兄弟会でお会いしたきりだ・・・などと、それぞれと長らくの無沙汰を埋めるように、話すことが多い。父とよく釣りに行ったとか、お正月のお年玉をもらったとか、そんな話から始まって、今どうしているかとか、子供たちは何しているとか、そういう話をしているうちに、長年のギャップが一気に埋まっていく。親戚とは、良いものである。

 あれあれ、あそこでは妹たちの旦那さん2人が、いつものようにまた何か大声で笑い、話し、差しつ差されつ掛け合い漫才をやっている。これまた普段とまったく変わらない光景だ。しかし、父が存命中はこの調子で実家へ毎土曜日に一家でやってきて、飲みかつ大いに食べて騒いでいたのだが、賑やかな風景が好きな父には、これを見るのが何よりの楽しみだったというから、深く深く感謝しなければならない。

木瓜(カリン)の花



 それらがすべて終わり、親類一同がその重たい引き出物を車に積んで帰っていった。やれやれ、これでひと段落ついた。仏壇にその旨を報告し、それから家の周囲を歩いてみた。玄関の脇には、朝顔と向日葵が咲いている・・・そういえば、そんな季節だ。あれれ、門の脇の木に花が咲いている。しかも、かなり野性味あふれるピンクの花だ・・・青い空の色とよく調和している。これは確か、木瓜(カリン)の花だと思うが、今頃咲くものなのだろうかといささか不思議な気がする。池の方に目をやると、端にある狸の置物が、相も変わらずに愛嬌を振りまいている。あれあれ、その上がやけに明るいなと思ったら、この法要のためか、庭師を入れて庭の樹木をすべて剪定したようだ。だから、庭が小ざっぱりして見通しがよくなっている。いつもは木陰にいるお狸さんの顔が輝いているように見えるのは、そのせいだ。

 次に裏庭へ回った。ああーっ、何だこれは・・・父の自慢だった一群のサツキが、ごく一部を残して、野菜畑に変わっているではないか・・・これはまた、大胆なことを・・・いかにも母らしい。植わっているのはどんな野菜かと思ったら、トマト、きゅうり、茄子・・・いずれも、ちゃんと実が生っている。しかも、食べ頃だ・・・うちの母も、こういう才能があったのか・・・それにしても、花より団子というわけだから、笑ってしまう。その日の夕食には、そうした自家製の野菜が並んだ。それらを美味しくいたただいたのち、母と深夜まで語り合った。そしていささか心残りがある中、翌朝早く、飛行機に乗って帰京した。




(2012年 7月16日記)



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徒然240.アガパンサス

新宿御苑のプラタナスの並木


 新宿御苑に行き、外周を文字通り一周して、森林浴をした。梅雨の晴れ間のことである。春は桜と薔薇、秋は紅葉と薔薇と菊が美しい新宿御苑であるが、この時期はいってみれば端境期のようなもので、特に印象が残る花はない。しかし、その中でも、アガパンサス(Agapanthus)という紫色で賑やかに咲いている花が目に留まった。説明によると、「南アフリカ原産の多年草で、明治時代に日本に渡来しました。茎先に小花が円形に集まって咲きます。紫の花色から『ムラサキクンシラン(紫君子蘭)』の和名があります。新宿御苑には白色と紫色の2種類があります。ユリ科」とあった。また、花といえばいつもお世話になっている季節の花さんによると、「Agapanthus(アガパンサス)はギリシャ語の『agapa(愛らしい)+ anthos(花)』の組み合わせことば」とのこと。よくよく眺めていると、これは一個の蕾から咲くという花ではなくて、ひとつの苞の中にたくさんの蕾があり、それが一斉に飛び出して咲くという不思議な花である。つまり、咲く仕組みが魅力的で、これを次のように連続写真のように並べると、なかなか面白い。

新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス


新宿御苑のアガパンサス





(2012年 7月 8日記)


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徒然239.郷土の森博物館

新田義貞公之像



 郷土の森博物館(写 真)


 府中市にある郷土の森博物館を訪ねてみた。京王線の分倍河原駅で降り、そこからバスで10分もかからないところにある。駅を降りてロータリーの方へと向かう。その中心に騎馬武者の猛々しい姿の銅像がある。あれ、これはひょっとして新田氏かと思って台座の前に回り名前を確かめると、「新田義貞公之像」とある。高校時代に歴史を学んでおいてよかった。確か、鎌倉時代末期(1333年5月)に幕府に反旗を翻して上野国において挙兵し、幕府軍と小手指原とこの地、分倍河原において戦い、戦勝を得てさらに南下し、鎌倉に至った。そこであの有名な切通しを突破しようとしたものの跳ね返されるが、稲村ヶ崎を通る海のルートから鎌倉に突入し、これによって北条氏は壊滅した。なるほど、あの分倍河原かと、誠に懐かしい気がした。でも、それから679年後の現在は、当時をしのばせるものは何もなく、単なる平和な町にすぎない。

旧府中町役場庁舎


 郷土の森博物館に着いてみたら、「あじさい祭り」という幟が立っていて7月8日までということだった。しかし、先週の飛鳥山公園の紫陽花の様子からすると、もう盛りをとうに過ぎている・・・というより、むしろまさに終わりかけの頃で、7月8日に来たらもう花は完全に枯れているのではないかという気がする。花の咲く時期をあらかじめ当てるのは難しいという典型だ・・・それはともかく、この博物館のひとつの売りは、敷地内に昔の建物を移築したり復元していることである。なかでも面白かった建物として、まず旧府中町役場庁舎がある。薄緑色のモダンな大正期の建物で、表手が洋風、裏手が和風という不思議な組み合わせであるがとても軽やかな雰囲気の建物である。その隣が赤い郵便ポストのある旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)であるが、郵便制度が始まったばかりの当時は各地の有力者に取扱いを任せたというが、この矢島家もそうだったのかもしれない。中にあった小さな机と椅子が、私の小学校時代を思い起こさせる。

旧田中家住宅(府中宿の大店)


旧田中家住宅(府中宿の大店)の庭


 そこから少し離れて、旧田中家住宅(府中宿の大店)という建物があるが、この家は幕末から明治にかけての府中宿を代表する商家だったそうな。明治天皇の休憩所や宿所として利用されたこともあり、その御座所として使われた奥座敷が残っている。見て回ると、品の良い屋敷に落ち着いた庭など、なるほど大店だったことが一目瞭然であり、居心地が良かった。実はここにしばらく長居をしたのである。というのは、単に居心地の良さだけでなく、美味しいお蕎麦屋さんが入っていたからだ。そこで天ざるに舌鼓を打ち、明治天皇の御在所を眺め、その庭の景色を堪能した。これは面白かったと思いつつ、そこを辞去してしばらく行くと、旧河内家住宅というものがあった。この家は、人見街道に面した旧人見村にあったという。移築した母屋は、ハケ上の農家としては一般的な造りらしい。ここで「ハケ」というのは、関東平野の中に位置する武蔵野台地の崖のことで、ハケの上は水に乏しいから畑作、ハケの下は湧水があるので稲作が行われていたという。その農家特有の造りを見ていたところ、台所にお米を炊いたお釜を見つけた。私の家はサラリーマン家庭だったが、昭和30〜40年代にかけてこれと同じものがあったことを思い出し、懐かしい気がした。何十年ぶりに再会したようなものである。さらに歩き、萩のトンネルを抜けると、そこには水車小屋があり、ゆっくりと動いていた。

水車小屋


 紫陽花の見物をし、水の遊び場を通りさらに奥へ進むと、そこには旧三岡家長屋門というものがあり、江戸時代の文政12年(1829)の建築とされる農家の長屋門だそうだ。旧是政村の名主を勤めていた三岡家の分家の門として建てられたとのこと。ちなみに長屋門とは長い建物の中央に門が開くようになっている造りをいうらしい。両側の部屋は屋根の下を含めてすべてが厚い土壁で覆われている置屋根構造の蔵造りとなっているとされる。確かに、そうでもしないと物騒な時代に家を守ることは出来なかったろうと思う。

まいまいず井戸


 外歩きの最後に、まいまいず井戸を復元したものを見た。これは、地面を大きくすり鉢状に掘っていった井戸で、すり鉢状の窪みの斜面を螺旋状にくだって水を汲むものである。その形状から「まいまい」つまり、かたつむりと名づけられたものであり、武蔵野台地や伊豆諸島に特有なものという。少なくとも平安時代の昔からあるそうだ。私がなぜ知っているかと言うと、私の子供たちが小学校のときに、これを見学に行ったからである。

、大國魂神社「くらやみ祭」の万灯


 さて次に、郷土の森博物館そのものへと入った。最初は、大國魂神社「くらやみ祭」の展示である。まず万灯の飾りがあり、その出来映えやそれを操る者の技、力強さを競い合うものらしい。それからもちろん、山車の巡行や御御輿の渡御があるようだ。私は先年、川越祭りを見に行って、山車の巡行にいたく感激したが、同じものが府中にあるとはこれまた知らなかった。5月の連休中に開催されるそうだが、私も長く東京に住んでいながらこのような伝統ある行事については、全く知らなかった。今度是非その見物に行きたいと思っている。

1万年前の石器


縄文時代の装身具


 それから武蔵台遺跡出土の石器が展示されている部屋となる。2万年前、1万年前の石器、それに縄文時代の矢じりである。2万年前の石器より1万年前の石器の方が、より洗練されているし、縄文時代の矢じりに至っては、ロクな道具もない時代に、よくもこれだけ繊細なものを作れたものだと感嘆するばかりだ。縄文時代の石斧や土偶にまざって装身具があったが、耳ピアスなるものがあるので、笑ってしまった。当時も耳に付けていたものとみえる。しかも、こんなに大きいものを・・・穴をあけるのも痛かったろうにと、苦笑する。その次に古墳時代のアクセサリーもあったが、こちらはガラス製の小さなもので、確かに時代が進歩したものだと実感する。

和銅開珎


 さて、府中の原点となる武蔵国府と国分寺の設置であるが、未だに解明されていないところが多いが、それでも発掘が進んで、少しはわかってきたという。展示物の中に、古代の銭があった。和銅開珎もある。私の高校時代は、日本書紀に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」との記述があり、これが和銅開珎で、まさに日本最古の国産銭と習ったと記憶しているが、いまではそれは否定されていて、先行する貨幣として富本銭というものがあったらしい。武蔵国府の発掘により、昔の瓦や土器の破片に、当時の郡の名前などが書かれている。立派な漢字である。今どき、墨でこれほど書ける人がいるだろうか・・・とりあえず、私は無理だ。鉄製の小道具がいくつかあったが、大きさも手ごろで、なかなか使いやすそうだ。びっくりしたのは櫛で、出土した本物の櫛の破片の写真はブレてしまってここには掲げていないが、その形は参考出品されている現代の櫛と全く変わらないのには、驚いた。

中世の書状


 中世の府中は、戦乱の真っただ中にあり、鎌倉街道を通じて上野国から押し寄せた新田義貞の軍勢は分倍河原の戦を戦い、その勢いをかって鎌倉幕府を倒したものの、その子は人見原の合戦で足利尊氏に敗れて歴史から消えてしまった。戦国時代にこの地は、後北条氏の支配に組み込まれて、小田原の指令を受けていたそうだ。商業が繁栄したようで、宋、元、明のたくさんの銭があった。

江戸時代の手習いの読本


 江戸時代の府中は、16村中、中央の3村が宿場町だったようだ。府中の大半は幕府の天領に組み込まれ、一部は旗本の領地だった。一般に天領は年貢も安くて支配もゆるくて比較的自由だったから、さぞかし繁栄したものと思われる。また、この頃になると、一般庶民が読み書きを習ったものとみえて、手習いの読本などが残っている。「そもそもひつがくのみちは、にんげん よろず ようたしのこんぽんなり」とは、よく言ったものだ。このような読み書きの知識が現代日本の発展の礎を作ったものと思われて、とても興味深い。それにしても、むずかしいことを習ったものだ。

戦時配給券


 明治になってもこの教育はさらに重視されて、尋常・高等小学校の教科書が作られたし、唱歌集まで出来た。また、京王線が開通したようで、その路線図まであって、面白い。昔の印刷機、蓄音機、ミシンまである。と思ったら、戦時下の生活の展示があり、モンペ、召集令状、戦時国債、配給券まである。話には聞いていたが、召集令状や配給券の実物を見るのは、始めてだ。それにしても、召集令状は赤紙と称されていたのに、これは白紙だ・・・臨時とあるから、そのせいかもしれない。

昔のお釜


 生活用品の展示があった。さすがに糸車は知らないが、七輪、お釜、お櫃、盥(たらい)、湯たんぽ、臼と杵、氷を使った冷蔵庫は、母が使っていたから私は小さい頃に見たことがある。白黒テレビは、私が小学校高学年の頃にやっと買ってもらった。あのチャンネルをぐるぐる回したら抜けてしまい、叱られたことを思い出す。いやはや、懐かしいの一言である。来て良かった。

紫陽花


紫陽花


 それから博物館の外へ出て、再び紫陽花を見に行った。大ぶりの西洋紫陽花と額紫陽花がたくさんあり、それがまた川の両側にこんもりと咲いていて、とても美しかった。なお、こちらでは、敷地の奥の方に、梅林があった。これもなかなか見事で、シーズンになると賑わうらしい。ところで、その梅林を通っていると、梅ジュースのような良い香りがした。それもそのはずで、地面に梅の実がたくさん落ちている。ああ、もったいないと思ってその梅の木を見ると、「野梅(やばい)」と書いてあったのである。妙に記憶に残る名称である。

紫陽花


紫陽花


紫陽花





(2012年 7月 1日記)


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徒然238.放射能汚染地図その後

早川由紀夫教授作の放射能汚染地図七訂版



 放射能汚染地図七訂版 (表)  (裏)

 昨年(2011年)3月11日に東京電力の福島第1原子力発電所で原子力重大事故が起こり、高濃度の放射能が環境中に放出された。事故直後の放射能汚染の状況については、私は政府発表を毎日緊張して聞いていたものの、何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。そういう状況の下で、専門家である早川由紀夫教授の火山ブログは大層役立った。大げさにいうと、危機下での精神安定剤のようなものである。教授には、改めて深く感謝を申し上げる次第である。それから、1年数ヶ月が経ち、再び早川由紀夫教授の火山ブログを見ると、表題の放射能汚染図が版を重ねて七訂版となっている。各種のデータを取り込んで、ますます精緻なものになりつつある。それだけでなく、今度は印刷物になるそうだ。その解説によると、「放射線量率は、事故当初の2011年3月に比べて同年9月時点で85%、2012年8月時点で66%に減じている」そうだ。思ったより減衰率が大きくて、ほっとする。この調子でさらに1年過ぎると、半分以下となりそうだ。朗報といえる。また、「一般に放射性物質が風雨で取り去られやすい土やアスファルト上では低くなりがちだが、その代り放射性物質は雨どい、軒下、側溝、路傍の土などに集まりやすいので、そういう場所では局所的に何倍も高くなりやすい」とある。これは当たり前といえばその通りであるが、私のような素人には、近づくべきでないところを知る上で参考になる。

事故当時の福島第一原発サイトからの放射能汚染の推移



 事故当時の汚染につき、早川由紀夫教授は、「放射性物質は高さ数十メートルの風に乗って地表をなめるように移動したと思われる。・・・3月12日21時に南相馬市を通過した放射能雲は仙台湾を越えて翌日2時に女川町に達し・・・3月15日にもっともひどい汚染があり・・・4時にいわき市を通過した放射能雲は6時には関東平野に達し・・・そこでは雨が降らなかったために・・・そのまま西と北に向かって関東山地と群馬栃木北部の山地に突き当たり、雨によってそこの地表にたたき落とされ・・・午後遅くになって特別に濃い放射能雲が・・・風に乗ってまっすぐ北西に移動して18時に飯館村を壊滅させました。20日夕刻、宮城・山形県境と岩手南部が汚染され・・・そのあと風は南に回り、放射能雲は6時に水戸を通過して9時に東京に達しました。21日から23日までの3日間、関東地方には強い雨が断続的に降り、首都圏東部に見られる中程度の汚染はこのときに生じました」という。確かに、福島第1原子力発電所の正門前のデータをみると、15日から16日にかけて、放射線量が飛び抜けて跳ね上がっている。21日の柏コース(上の図の一番右)では、我が家からすぐ近くの東大の本郷にまで達している。そういえば近くの根津小学校校庭で放射線量が高いところを見つかったと騒いでいたが、このときの汚染が原因だったのかと初めて知った。

今回の福島の事故と旧ソ連時代のチェルノブイリ事故での放射性物質の拡散状況を同じ縮尺で比較できる図



 放射性物質の拡散を予測できる政府(文部科学省)のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)は3月11日の事故の数日後には、放出源情報がないながらも動かして実測値に非常に近い汚染図が出来ていたのに、それが公表されたのは3月23日と、非常に遅れた。だから事故直後の避難先の選択や11日と12日の避難地域の選定には全く生かされることがなかった。それだけでなく、事故直後の昨年3月17日から19日にかけて、米エネルギー省が米軍機を使って空から原発サイト周辺の半径約45キロの地域の放射線量を実際に測定し、その結果を3月18日と20日の計2回、在日米大使館経由で外務省に電子メールで提供されたという。ところが、外務省がそのメールを経済産業省原子力安全・保安院と、放射線量を測定する実務を担当していた文部科学省にそれぞれ転送したものの、保安院と文部科学省は、そのデータを公表せず、首相官邸や原子力安全委員会にも伝えなかったというのである。こちらは、実測データであるから、それを踏まえて実際の避難にいかようにでも、使えたはずであるが、関係者にはそういう危機に備えて何でも使えるものは活用するという発想がそもそも欠落していたに違いない。これは返す返すも、残念なことである。猛省を促したい。なお、今回の福島の事故と旧ソ連時代のチェルノブイリ事故での放射性物質の拡散状況を同じ縮尺で比較できる図も作られているが、これを見ても、今回の福島の事故の影響は、決して過小評価してはいけないと思われる。




(2012年 7月 1日記)


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