徒然229.亀戸天神 藤まつり 2012年

亀戸天神の入り口



 亀戸天神 藤まつり(写 真)


 久しぶりに亀戸天神の藤まつりに行ってきた。ちょうど、ゴールデン・ウィークの前半で、とても良い気候の季節である。こちらの藤は、350年前の神社創建当時から植えられ、藤の姿は古くは江戸時代の安藤廣重の錦絵にも描かれたということで、東京では有名である。以前訪れたときには、確かに藤の花は見事で、棚からずっしりと重そうに垂れ下がっていたことを覚えている。しかし、今回行ってみたところでは、こぼれるほどに咲くどころか、ほんの少しだけがぽつぽつと本当に情けなく咲いていた程度だった。少し早かったのか、それとも今年ははずれの年だったか、そのどちらかだ。

亀戸天神の鳥居


亀戸天神の藤の花


亀戸天神の藤の花



 しかし、新緑に囲まれた境内は、なかなか清々しくて、気分がよい。たまたまこの日は午前中だったから、人の出はまだ少なくてよかった。これが満開のときには身動きがとれないほどになる。それが、あの朱色の太鼓橋一杯になることもあるから、いささか恐ろしい気がするそういえば、この朱色に塗られた太鼓橋は、数年前に架け替えられていたことを思い出すが、その新装なった橋が出来た直後の藤の花の出来はすごく悪かったというから、やはりそういう人工的な環境の変化が藤の生育に悪影響を与えたことは、間違いない。その点、今年は冬に雨も降らず寒かったことから、梅も桜も2週間ほど咲くのが遅れた。そこから類推すると、こちらの藤も何らかの影響を受けたのかもしれない。


亀戸天神の朱色に塗られた太鼓橋



亀戸天神の亀



亀戸天神の鷺


 亀戸天神というだけあって、池には亀がたくさん放されている。それが池中の岩に登って日光を浴びているから、子供たちは「あっ、亀さんだ。たくさんいる!」などと喜んでいる。亀のほか、池には鯉もいて、悠然と泳いでいる。と、そのとき白くて少し大型の鳥が飛んで来て、丸太の上に止まった。鷺(さぎ)である。鋭い目をして、あちこちを見回し、さっと飛び立ってしまった。実は飛び立つ瞬間を写真で捉えようとしたが、うまくいかなかった。まだまだ修業が足りない。

亀戸天神の本殿


 本殿の前には、お参りする人の波が2列になって続いている。これでは、お参りするまでに時間がかかって仕方がない。いつから、こんなことになってしまったのだろう。気の短い江戸っ子が思いつくはずがない。たぶん、人間の数の少ない地方の風習がそのまま持ち込まれたのかもしれない。浅草寺などは人の数が多すぎるから、いまでもわーっと横一列になっててんでばらばらにお参りを済ませるのが習いだ。私は、この方が性に合っている。何しろ、団塊の世代の過当競争時代を生きてきたからだ。

亀戸天神と東京スカイ・ツリー



亀戸天神の菅公五歳の絵馬


 神社の左手には、この5月22日に開業する東京スカイ・ツリーの姿が見える。藤の花とこのツリーを合わせて撮ろうと思ったが、あまりにも高いことと露出が難しいものだから、うまく撮れなかった。本殿の脇に、五歳菅公像というものがあり、台座には五歳のときに菅原道真公が庭の紅梅をみて詠んだとされる和歌があって、それには「美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」・・・これで五歳とは、恐れ入る。神社であるから、絵馬がたくさん捧げられている。いずれも、その神社の特徴を現しているから、私は眺めて歩くのが好きなのであるが、こちらには梅の形をした絵馬があると思ったら、この菅公五歳の和歌であった。もうひとつの普通の家形をした絵馬は、亀戸天神の名所である藤と朱色の太鼓橋が描かれていた。

亀戸天神の名所の絵馬



 帰りは、船橋屋に立ち寄って、今日は足を痛めて来られなかった家内のために、くず餅を買って帰った。その箱にあった説明によると、「時は文化2年(1805年)、学問の神様と謳われ、沢山の参拝客で賑わう亀戸天神。その境内に生まれたのが、船橋屋・初代勘助が故郷下総(船橋)名産の小麦粉を用いて作った『くず餅』です。その味は、神社詣でとともに親しまれるようになり、庶民の味・文化として今日まで二百余年、受け継がれて参りました。」とある。家に持ち帰って、二人で黒糖の蜜と、きな粉をかけて味わった。とっても、美味しい。私の家も谷根千という下町にあり、その中には葛餅を出してくれる店もあるのだけれど、この船橋屋のくず餅ほどは、美味しくない。本当に不思議だが、これが長年続いている秘訣なのだろう。

亀戸天神脇の船橋屋くず餅





(2012年 4月30日記)


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徒然228.根津神社つつじ祭と権現太鼓

根津神社つつじ祭


根津神社権現太鼓



  根津神社のつつじ祭(写 真)

  根津神社の権現太鼓(写 真)


(1) つつじ祭り

 家の近くの根津神社で、また今年もつつじ祭りが開かれている。私の家は駅に近くて神社へ行く途中となっているから、この期間中は表通りだけでなく裏通りも人混みでいっぱいとなる。近くの商店主には、格好の稼ぎ時ということになる。どうかすると、普通の家の駐車場まで売店に早変わりしていることもあるから、その商魂の逞しさに辟易するほどだ。それはともかく、神社内のつつじ祭りの会場に行って写真を撮って来ようと思ったが、こういうのは朝方に行くに限る。ということで、朝の10時過ぎに行ってみたら、もうかなりの人出である。ゴールデン・ウィーク中だから、まあ、仕方がない。この根津神社のつつじ祭りについては、昨年一昨年にそれぞれ書いたことがあるので、もう繰り返さないが、何回見ても、つつじの集団の威力に圧倒される。私の毎年の楽しみのひとつである。


根津神社つつじ祭


根津神社つつじ祭


根津神社つつじ祭


根津神社つつじ祭


根津神社つつじ祭



(2) 権現太鼓

 つつじを見終わって、さあ本殿でお参りして帰ろうと思っていたら、本殿の脇でドンドンと太鼓の音がする。何事ならんとそちらの方へと歩いていくと、権現太鼓の奉納だという。数人の女性と若い男の子がひとり、太鼓にバンバン、バチを当てていて、その気持ち良さそうな感じといったらない。これは相当、ストレスの解消になる。またそのうちのリーダーとおぼしきうら若い女性が、太鼓のバチさばきが上手なうえに下町美人ときているから、皆の注目を浴びている。やがてそのうち太鼓の回りをぐるぐる回ったりして踊るように流れるように打ち鳴らすものだから、見物人は、やんやの拍手であった。これを権現太鼓というらしい。


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓


根津神社権現太鼓






(2012年 4月29日記)


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東京の桜 2012年(10) 新宿御苑(続き)


新宿御苑の八重桜・関山(かんざん)




  新宿御苑の八重桜(下)(写 真)


(10) 新宿御苑(続き)

 あれから2週間が経ち、再びカメラを持って新宿御苑に出かけた。というのは、新宿御苑の八重桜の最後を飾る関山(かんざん)をぜひ見たかったし、それと桜なのに緑色の花をつける御衣黄(ぎょいこう)を撮るためである。新宿門を入ってすぐに右手に向かう。前回は八重桜をたくさん付けていた一葉(いちよう)はすっかり散ってしまって、もはや見る影もない。ところがその近くにあるハンカチの木が花を付けているというので、それを見物に行った。ボランティアの方の説明が聞くともなしに耳に入ってくる。それによると、この木は植えられてからちょうど20年といういわば青年の木だから今が盛りとのことで、こうやってたくさん花を付けている。ところでこの花は、中国四川省雲南省付近が原産で、プラント・ハンターだったアルマン・ダヴィッド神父が西洋に報告した(西洋世界にとっては、「発見」というわけだ)。このダヴィッド神父は、その意味でパンダも発見したそうで、むしろそちらの面で有名になったそうだ。

ハンカチの木



関山(かんざん)



関山(かんざん)



 あった、あった、関山(かんざん)の花が。なかなか赤みが強い。それがもっこり、ぼとっという感じで咲いている。それだけ花が付いていると重たいのでもちろん下向きに咲いているが、それを下から見上げるように撮ると日光に透かしてとても美しい。しばし、その美しさに感じ入って見とれていた。これだけでも、ここにやってきて良かったと思う。さて、そのまま進んでいくと、もうすぐ5月だけあって、ツツジが真っ赤となっており、これも迫力があって非常に美しい。その向こうには、代々木のドコモ・タワーがあり、これらを合わせるとなかなか近代的な風景だ。ここでもまた、しばし見とれたのである。このツツジという花、集団として見ると非常に自己主張が強い花であるが、近づいていると一個一個の花は誠に単純素朴であるから、その落差が何ともいえず可笑しい気がする。

代々木のドコモ・タワーとツツジ



ツツジ



 普賢象(ふげんぞう)という赤味の強い桜の花があった。一見すると、関山(かんざん)のようだが、色がややピンクがかっている。これもまた、満開の時期を迎えている。花弁がひとつひとつ分厚い感じがして、その花びらが地面に落ちたところをみると、ぽっこりもっこりしている。面白いので、その写真もカメラに収めた。

普賢象(ふげんぞう)



普賢象(ふげんぞう)



普賢象(ふげんぞう)の花びらが地面に落ちたところ



普賢象(ふげんぞう)の花びらが地面に落ちたところ



 ああ、これも大輪の桜である。関山や普賢象を見慣れていると、これは白っぽく思える桜である。松月(しょうげつ)という名前らしい。眺めていると、誠に品の良い桜に思えてきた。あまり知られていないけれど、染井吉野には飽き足らず、さりとて関山のような本格的な赤っぽい八重桜はどうも、という向きには適している桜である。

松月(しょうげつ)



松月(しょうげつ)


 うむ、これが鬱金(うこん)というものか・・・淡い黄緑色をしている桜で、しかも大輪の八重咲きである。そもそも桜のうちで黄緑色の花を咲かせる品種はあとは御衣黄(ぎょいこう)しかないが、それにしても珍しい品種である。花弁に葉緑素が入ったということだろうか。ちなみにこの名前は、ショウガ科のウコンの根を染料に用いた鬱金色によるものとのこと。

鬱金(うこん)



御衣黄(ぎょいこう)



 それでは次に、御衣黄(ぎょいこう)を探さなければと思い、地図を広げる。おっと、行き過ぎだった・・・ということで、御苑の中心部へと戻る。レストハウスの近くで、やっと見つけた。何しろ桜といってもピンク色ではなくて薄緑色だから、周囲の色に紛れてしまうのだ。新聞記事によると、飛鳥山公園にもこれが一本だけあり、「開花が進むにつれて、花の色が淡い緑から黄色、そして最盛期には花弁の中心に紅色の縦線が現れて赤みを帯びる。かつて貴族がまとっていた御衣(衣服)の色と、この花の緑色とが似ていることから名付けられた」という。なるほど、そういうことかと改めてじっくり眺めた。赤色の縦線が現れつつあるので、これは最盛期が近そうである。ちなみに、全国の桜のDNAを調べている先生がいて、その最新の調査結果によると御衣黄も鬱金も、DNAは全く同一だったとのこと。つまり枝変わりのものを育てて行って品種が別のように思われてきたらしいというのである。

白い花水木(はなみずき)



白い花水木(はなみずき)



赤い花水木(はなみずき)



 あった、ここにあったのか・・・花水木(はなみずき)である。4つの花びらの先端がいずれもタバコで焦げたような色と形になっていて、ほかにこのような花は見たことがないという不思議な存在である。花びらが成長して満開となると、四方に伸びて十字形となるけれど、そこに至るまではひとつひとつの花びらが丸まっていて、まるで両手で頭を隠しているような格好となるから、面白い。ここでは、白い花の木と赤い花の木が隣り合って植えられている。その写真をぱちぱち撮っていると、年配の男性が、「これは、何という花ですかねぇ」と聞いてきたので、「ああ、花水木ですよ。アメリカでは、Dogwoodといいます」というと、「なんでDogwoodというのですかねぇ」と聞くので、「さあ、わかりません。でもこの木は、むかし東京からワシントンDCに桜の木が送ったときに、しばらくしてそのお返しとしてアメリカから送られた北アメリカ原産の木なんですよ」と答えた。ところで、後からWebのウィキペディアで調べたところによると、「dogwoodの語源には諸説あるが、一説には17世紀頃に樹皮の煮汁が犬の皮膚病治療に使用されたためと言われ、他には木製の串(英古語:dag,dog)を作る材料に使われる堅い木であったことからとも言われる。」とのことだった。しかし、これくらいのこと、もうiPhone時代に入っているわけだから、その場で調べればよかった。

その名も小手毬(こでまり)



 最後に、面白い花を見つけた。白くて可愛い花がいっぱい集まって、丸くて愛らしい形をしている。その名も小手毬(こでまり)という。花言葉は「友情」とのこと。





(2012年 4月28日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:42 | - | - | - |
3世代家族ランチ

孫と遊んでくれたピエロさん。


 昨年秋、独身だった下の子が結婚したこともあり、2人の子供たち夫婦と私たち夫婦とが、仕事の都合や体調が許す限り、数ヶ月に一度は一同に会してホテルで食事しようということになった。それが昨日の土曜日、帝国ホテルのレストランで開かれたのである。前回は、たまたま私の昇進祝いということで、同じホテルの2階にあるレ・セゾンの個室で開いたのだけれど、今回はそこでもよかったのに、残念ながら手ごろな大きさの個室が予約できなかった。娘夫婦に3歳4ヶ月の初孫ちゃんがいるものだから、個室でないと、レストランが受け入れてくれないからである。そもそも、こんな年頃の子をちゃんとしたホテルのレストランが受け入れるということ自体が珍しいことなのだけれど、この初孫ちゃんは我が家のマスコットだから、皆でこの子をサカナにして話が盛り上がるので、何はさておいてもその存在は欠かせない。

 というわけで、娘が東京中のホテルをあたったところ、帝国ホテルのレストランだけが、個室であればという条件でやっとOKしてくれた。まあそのときは、私の記念ということで、個室の中で時計のプレゼントをいただく儀式を行ったりしたが、その脇ではこの初孫ちゃんが母親や家内を相手に大騒ぎを演じているという有り様で、確かにこれは一流レストランにはあるまじきご乱行ということになる。今回、また同じ場所でと思ったが、前回のように我々家族7人が集うちょうど良い大きさの個室に空きがないということだったけれど・・・体よく断られたのかもしれない。そこでホテルから勧められたのが、17階のサールでのバイキングである。では、そこに行こうということになった。

帝国ホテルの前に植えてあったビンカ、和名を蔓日日草(つるにちにちそう)という。地中海原産。


 当日は、幸い、家内の体調もまあまあで、勇んで行った我々が先に着き、それから息子夫婦がやってきて、やや遅れて娘夫婦が到着した。初孫ちゃんは、我々を見た瞬間、もうにこにこして両手を広げて差し伸べてきた。皆の視線が集中し、この子なりに緊張しているようだ。顔を両手で覆ったり、その指の影から皆を見たり、そわそわ落ち着かない。まあ、慣れるまでしばらくかかりそうだ。席に着いたばかりだけれどバイキング形式だから、それでは、食事をとりに行って来よう。初孫ちゃんも来る?と聞くと、うんと頷く。しばしばバイキングに行っているそうで、もう慣れたものである。ステーキを切り分けているのを興味深く見せてもらったり、母親と一緒に好きなチーズとパンなどをたくさんお皿に取り分けてもらって、笑顔で席に戻ってきた。

 それでまあ、その食べること、食べること。ひっきりなしに口を動かしている。右手にホテルが用意してくれた子供用スプーンを持ち、それだけでは足りなくて左手でパンを持ちパクパクやっている。娘に言わせると、1時間くらい食べ続けることもあるそうだ。好き嫌いなく何でも食べるという。もっとも、トマトの生は食感が悪いらしくて食べないが、トマトジュースは水代わりに飲んでいるらしい。その食べっぷりに、一同驚いてしまった。なるほど、これならバイキングを選んでよかった。

 しゃべっているうちに、初孫ちゃんが、突然、息子のお嫁さんの名前を呼んだ。確か、昨年の結婚式と前回のこのホテルでの食事会でしか会っていないし、今回もお互いに名前を言い合ったわけでもないのに、覚えているものなのだろうか。お嫁さんは感激するし、皆でびっくりしてしまった。それにしても、ウチの家内のことは「グランマ!」と言って外人風に手のひらを上に向けて手招きしたりするけれど、私のことは単に「おじいちゃん」と言うのは、いったいなぜだろうか。最初からグランパと教えておいたらそうでもなかったので、うかうかしていてそれに失敗したからに違いない。何事も最初が肝心である。

 実はたまたまこの日の日経新聞の付録紙面に、ホテルのバイキングのランキングが載っていて、このホテルのインペリアル・バイキング・サールは、第2位だった。その新聞の記事によるとこちらのレストランは、日本でのバイキング料理の元祖だということである。確かに、食事は種類がある割にはいずれもなかなか美味しくて、肉も野菜もデザートも、どれをとってもそこそこ満足できる水準である。その記事には、バイキングの食べ方の講釈があった。つまり、お客は得てして前菜をどっさり食べ、加えてメインをまたどっさり食べてしまって文字通り満腹になり、デザートにまで行きつかないことが多いのは悲しい。だから、前菜もメインも控えめにして、デザートまで一度ワンサイクルで味わってから、その上で余力があればそれを生かしてもう1回ラウンドするのがよいとあった。ははぁ、なるほどと感心し、その忠告に従って、何事も控えめとした。ついでに、ダイエット中なので、その最初のラウンドで止められたら、それはそれでもよいと思ったわけである。

 それが、どうだろう。初孫ちゃんが実に美味しそうに楽しくパクパク・モリモリと食べているのを見ると、こちらもついつい食が進み、やはり第2ラウンド目に入ってしまった。最初のラウンドのメインは魚中心だったのに、今度は家内が持ってきたプレート中に、焼きたてで香ばしいパイ料理とでもいうのか、薄いパンの皮の中に肉の塊のあるのを見た。これは美味しそうだと思い、私もそれをいただこうとまた出かけたのが運のつきだった。ダイエット計画は、台無しとなる。それにしても不思議なもので、私が持ってきた食べ物については、今度は家内がそれは気が付かなかったわと言って取りに行ったりして、人によって着目する食べ物がこれほど違うとは思わなかった。

 ようやく、初孫ちゃんが満足して食べ終わったようで、皆のところへ来て遊び始めた。ちょうど窓際の席だったものだから、そのガラスの手前に棚のようなところがあり、そこに荷物を置いている。そこへ初孫ちゃんはよじ登り、その辺りに座っている人には、その棚を経由して皆の膝と椅子に移ろうとする。窓からは日比谷公園の美しい緑が見える。その窓際の棚の上に立って怖くはないのかと思ったら、初孫ちゃんは全く平気だった。さすが、みなとみらいの横浜ランドマークタワー(地上70階)の幼稚園に毎日通っているだけのことはある。あれれ、窓のブラインドを使って、隠れん坊をし始めた。息子夫婦が相手をしている。おや、息子のお嫁さんに抱き着いただけでなく、息子の膝に乗り始めた。ついこの前までは、なかなか寄りつかなかったし、その前の更に前の回のときには、あろうことか息子の顔を見たとたんに、泣き出したことを思えば、いやもう、これは大きな進歩である。

 余裕が出来たので、いったいどういう人たちが来ているのだろうかと、レストラン内を見渡す。我々のような2世代以上の家族連れが多い。中には、娘夫婦のように、赤ちゃんや小児をバギーに乗せた若夫婦という組もちらほら見かける。ほとんどの人は全く普通の普段着で、別におしゃれをしているというわけでもない。そのまま街に出たら、全く目立たなくて風景と人波の中へと自然に溶け込んでしまいそうな人たちばかりである。バブルの頃は、こんなところにいるということが否応なくすぐにわかる服装をしていたのに、今の人は少なくとも服装には頓着していないらしい。もう、ファッションの時代ではないようだ。何しろ、ユニクロが銀座の真ん中に店を構える時代だから・・・。

 さて、楽しい食事が終わり、レストランを出ようということになった。会計のところで、支払をしようとすると、初孫ちゃんの分が計上されていない。4歳から料金が発生するそうで、まだ3歳4ヶ月だから無料とのこと。あんなに食べて、申し訳ないと思う。さて、今日の記念に、店の人に、全員集合写真を撮ってもらうために壁際に整列する。初孫ちゃんも、前を向いて指でピース・サインを作り、ちゃんと写真に納まった。それからエレベーターで1階へと向かった。途中、初孫ちゃんは、エレベーターの操作盤に向かって、ワン、ツー、スリー・・・と数える。あれ、この子、数字を読めるようになったんだと思いつつも、果たしてテンの壁を越せるのか見ものだと思って聞いていると、テン、イレブン、トゥエルブ、となんなく数えるのを聞いていた。ああ、できるんだ・・・そのあと、フォーティーンとやっている。やっぱり間違えたなと思って初孫ちゃんの顔を見下ろすと、向こうも私の顔を見上げていて、おじいちゃん、なんでサーティーンはないんだろうね」という。そんな馬鹿なと思って操作盤を見ると、確かに帝国ホテルのエレベーターには、そもそも13階がないではないか。これには絶句した。13日の金曜日のことなんて、この子にどう説明すれば良いのだろう?

 ホテルの玄関から出る前に、まだ時間があるからと、家内と娘がホテル出口近くのベンチに座って、おしゃべりをし始めた。これは長くなりそうだと思い、初孫ちゃんのお世話を引き受けた。初孫ちゃんは、私の手をぐいぐい引っ張っていき、正面玄関中央の階段を登った。それを登り切った中2階には、ガラス箱に入ったセイコーの大きな時計がある。その文字盤を目ざとく見つけた初孫ちゃんは、あれ、なんでシックスとトゥエルブだけなの?」と聞く。またかと思ってその文字盤を見ると、大きな文字盤なのに、確かに12と6しか書いていなかった! 私は再び絶句した次第である。しかし、それだけではなかった。私の後に初孫ちゃんをここに連れてきた家内が、その時計の脇に日本語と英語で書かれている説明文があり、そのうち英語の説明の題名を初孫ちゃんが実に良い発音で読み始めたというのである。そして「SEIKO Clock Monument」と正しく読んだ後、グランマ、Monumentってなに?」。これまた絶句したそうな。

 この初孫ちゃん、2歳少し前から幼児向けの英語スクールに通っているから、英語歴は1年半ということになる。そのスクールでは、最近はアメリカの小学校2年の教科書を読んでいるそうな。最初は正直言って私もこんな小さな子に効果があるのかどうか若干懐疑的であったのは確かだが、イギリス人の男の先生とは、たとえば「eat」と「ate」の時制を自然に区別してしゃべっているそうだし、最近では算数も楽しんでやっているようだ。また、若干高度な会話は、日本語より英語の方が得意だという。ははぁ、こんな小さい子でも、しっかりした教科内容を教えれば、ちゃんと付いて来られるらしい。これまでは、幼児に英語を教えるといえば、チィーチィーパッパの歌のたぐいしかないだろうと思っていたが、正規の教科をこんな小さな頃から教えてバイリンガルにさせるやり方があったとは、目が覚める思いである。考えてみると、昔の武士の世界でも、3歳程度の小さな子供に祖父が漢文の素読を教え、これが武士階級の教養の基礎を形成したことは間違いない。武士の子供は、その意味がわかろうと、またわからなくとも、繰り返し漢文を読み、そのリズム感を身に着けると、将来、思わぬ時と所でそれが隠れた教養として役に立つというわけだ。そう思うと、これは現代の漢文の素読といってよいだろう。

 しかし、スクールを離れた初孫ちゃんのやっていることは、まだまだ幼児そのものである。中2階の時計の入ったガラス箱のところで、いきなりガラスの陰に隠れた。そして、悪戯っぽい目をしてガラス越しに、こちらを観察している。そこで、「あれ、初孫ちゃん、どこへ行ったかなぁ、どこだろう」と言いつつ反対側に向かう。すると、くくくっと笑って必死に口を押えている。それで私も、その反対側を確かめるふりをして、また、「どこかなぁ、消えちゃった」と言いつつ。隠れているサイドに接近する。すると、両手を目に当てている。見つけてくれるなというわけだ。それでいったん反対側に戻ると、安心してまたこちらを見る。それでまた戻るということを繰り返して、「あっ見つけた」とやると、まあその喜ぶことといったら、この上ない。

 中2階に何があるか見て来ようと、ロビーを見下ろすことができる廊下沿いに二人で歩いていき、たまたま母親たちが座っているベンチが向かいに遠く見える位置に来た。すると目ざとくそれを見つけて、あっ、ママがいる」という。私は若干、近眼気味になっているので、そんな遠くまでは良く見えないが、目を凝らすと、確かにそのようだ。この子の視力はもはや十分である。さて、初孫ちゃんと二人で階段を降りて1階に向かった。その降りるときも、初孫ちゃんは、ワン、ツー、スリー、などとやり、テン、イレブンと楽々数えている。ああ、エレベータのときと同じで、これは本物だ、足を動かしていても忘れないでちゃんと数えられるのだと感じる。それどころか、トゥエルブと言った瞬間、両足を揃えだした。あ、これは・・・と思ったとたん、両手を広げてバァーッと階段を3段分飛んで、大きな声でサーティーン!と誇らしげに叫んだ。なんだ、階段を飛んでしまうのか・・・これは危ない。しかし、その飛んでいる途中でうっかり危ないなどと叫んだりすると、かえって転んでしまったりするから、それは止めたけれど、それにしても自分の体の高さと同じくらいの高さを飛ぶなんて、無茶だと思った。しかし本人は、平気の平左といった顔をしているから、この冒険はおそらく、しょっちゅうやっているようだ。私は2ヶ月間会っていなかったから、これはその間に覚えた得意技らしい。

明治学院大学のチアリーディング部の皆さんによるパフォーマンス


明治学院大学のチアリーディング部の皆さんによるパフォーマンス


明治学院大学のチアリーディング部の皆さんによるパフォーマンス


明治学院大学のチアリーディング部の皆さんによるパフォーマンス


 皆で、ホテルを出て、その向かいにある日比谷公園に行ってみることにした。たまたま、ゴールドリボンウォーキング 2012というイベントをやっていた。その出し物のひとつに、明治学院大学のチアリーディング部の皆さんによるパフォーマンスがあった。組体操の要領で3段重ねを作り、その頂上から一気に落ちるという大技をやっている。空に向けて弾き飛ばされた女の子が、頂点で両足を広げ、そのまま体を倒して一本の棒のようになって落ち、皆で受け止めるというダイナミックな技である。初孫ちゃん、いたく感心したようにそれを見つめて、演技が終わったとたん、皆と一緒になって大きな拍手を送っていた。

 公園内で、ピエロさんが近づいてきた。この前のお正月は、獅子舞に大泣きしたから、また泣くか逃げるかのどちらかだと思っていたら、ピエロさんと平気でハイタッチしていたので、びっくりした。ひょっとして、英語を習い過ぎて、感覚もアメリカンになってしまったのではないかと心配する。でも、ピエロの絵は、あちらの教科書によく出てくるから、どんなものか知っていたのかもしれない。なるほど、これも文化である。なるべく色々な文化と風俗に触れさせるという意味では、うまくいっているようだ。

 さて、娘夫婦と初孫ちゃんとは、そこで分かれて、我々は家に帰った。すると、私は上体、特に両肩が痛くてかなわない。家内も、腰と両腕が痛いという。困るなぁと言いつつ、気が付いたらそのまま二人ともお昼寝をモードに入り、起きたのは、午後6時のニュースの直前である。つまり、3時間ほど、ぐっすり寝てしまったのである。いやもう、孫の世話は、我々の年齢の人間には大変だ。怪我をさせてはいけないと気が張っているのと、こけないように中腰になって両腕を伸ばす体勢が多いのと、それに難問珍問にも直ちにしっかりと答えなければいけないのと・・・つまり体力と気力とそれに知力の勝負ということが、よくわかった。ああ、1日経ってもまだ腰と両腕、それに両肩が痛い。早く治らないものか・・・。



  関 連 記 事
 初孫ちゃんの誕生
 初孫ちゃんは1歳
 初孫ちゃんは1歳4ヶ月
 初孫ちゃんは1歳6ヶ月
 初孫ちゃんもうすぐ2歳
 初孫ちゃんは2歳2ヶ月
 初孫ちゃんは3歳4ヶ月
 初孫ちゃんは3歳6ヶ月
 幼稚園からのお便り(1)
10  初孫ちゃんもうすぐ4歳
11  幼稚園からのお便り(2)
12  初孫ちゃん育爺奮闘記
13  初孫ちゃんは4歳3ヶ月
14  初孫ちゃんは4歳6ヶ月
15  孫と暮らす日々



(2012年 4月21日記)


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東京の桜 2012年(9) 新宿御苑

新宿御苑の八重桜



  新宿御苑の八重桜(上)(写 真)

  新宿御苑の八重桜(中)(写 真)


(9) 新宿御苑の八重桜

 もう、東京の染井吉野は昨日の大雨ですべて散ってしまった。では、そろそろ八重桜の季節が到来ということで、新宿御苑に行くことにした。HPを開いてみると、まさにそのとおりで、今は一葉(いちよう)という種類が満開を迎えているという。そこで朝早く地下鉄に乗って、新宿御苑駅で降りたのである。車両の先頭からすぐに地上へ出て、それから散策路を右手に行くと、新宿門がある。そこで案内図をもらって、園内に入っていった。まず、入り口近くにあった染井吉野の花びらは地上に散って、まるで白いピンクの花じゅうたんのようである。

染井吉野の花びらがピンクの絨毯のようだ。


白い雪柳の木と黄色い山吹の花



 少し進むと、米粒のような小さくて白い花がいっぱい咲いている雪柳の木が並び、その横には、黄色い山吹の花か咲いている。それらが並んでいると、まるで白い垣根と黄色い垣根とが接しているように見える。さて、ああ、大きな八重桜の木があった。これが一葉である。HPの説明によると、「サトザクラの栽培品種。江戸時代後期から関東を中心に全国に広まりました。花の中央から葉化しためしべが1本伸びることが名前の由来です。新宿御苑の桜の代表品種です。」とある。ああ、花のあの中央にあるカブト虫の角のようなものは、葉化しためしべか・・・面白いものだ。

一葉の葉化しためしべ


ハンカチの木



 そこからほど近いところに、葉の真ん中に茶色のボールのようなものがある大きな木を見つけた。これはひょっとしてハンカチの木かと思ったら、やはりそうだ。実が成熟すると、この周りの葉は白っぽくなって、ハンカチのように見えるから、そのように名づけられたのだろう。母と子の森に入っていった。雑木林の向こうから、赤ちゃんをバギーに乗せたお母さんが2組、こちらへ向かってくる。ここだけを見ると、まるで軽井沢にでもいるような気分になる。とても大都会の真ん中にいるとは思えない。

まるで軽井沢にでもいるような気分になる


日本庭園の上の池



 日本庭園の上の池に出た。池の周囲には桜が咲き、池の中には鯉たちが悠々と泳いでいる。池に張り出した松の木、堂々とした石灯篭、池畔の柳の木がとても風雅な感じを受ける。橋を渡ったところで、赤みの強い花が満開の木を見つけた。ははぁ、これが花海棠(はなかいどう)だ。通り過ぎるおばさんたちが「まあ、綺麗な桜ね」などと言っている。「よく見なさい。どこが桜だ。」などと言おうものなら雰囲気を壊しかねないので、黙ってシャッターを切っていた。もっとも、花がまとめて下を向いている点とか、花の形などが桜そっくりだと思ったら、こちらもサクラ属と同様、バラ科に分類されるようだ。しかもそれが、リンゴ属というから、面白い。

花海棠(はなかいどう)


源平(げんぺい)の木瓜の木



 さらに進もう。あれれ、ピンクと赤の花が、それも同一の木から出ている枝についているのを見つけた。これは・・・木瓜(ぼけ)の花だ。とすると・・・これは木瓜の木か・・・それにしても、こんな2種類の花を一度に同じ木が付けるなんて、本当かと思ってよく見ると、ああやはり同じ木である。ははぁ、木瓜の木というのは、案外、融通無碍なんだ。それにしてもこの木瓜の花、これでもかこれでもかとばかりに花をいっぱいに付けている。その脇に、今度はピンクの花があった。さきほどの花海棠だ。この2つを比べると、木瓜には田舎育ちのワイルドさ、花海棠には都会的な品の良さを感じてしまう。私は、その中間かもしれない。

代々木のドコモ・タワーを背景として


山桜の花がまだ咲いていてくれた。



 わあ、大きな枝垂れ桜だと思って見上げたら、その先の方に教会の尖塔のような建物が見える。ああ、代々木のドコモ・タワーだ。近くを通り過ぎるおばさんたちが「東京都庁ね」などと間違ったことを言っているが、こちらはカメラを構えて忙しい。これは、八重紅枝垂れという桜のはずだ。それから次に、山桜の大きな木があった。葉と同時に花が咲くのは大島桜に似ているが、葉の色がもっと茶色なので、あまり自信はないけれど八重左近桜という種類だと思う。そこを過ぎて振り返ると、ドコモ・タワーと桜の木のピンクと、空の青さと周囲の緑との対比が素晴らしい。行き交う人たちも、みな嬉しそうだ。

ドコモ・タワーと桜の木のピンクと、空の青さと周囲の緑との対比


茶室・翔天亭でみた花の絨毯



 茶室・翔天亭の前に出た。キノコ風に刈られた松がいくつもある。昔これを見たときは驚いたが、もう慣れてしまった。翔天亭でお弁当を買って、そこで食べていると、横の道にひらひらと桜の花びらが舞い降りていて、道がピンクに染まっていた。こちらの山桜とおぼしき木はまだ一杯の花を付けていたのである。その優雅な花吹雪を見ながら、お弁当を食べることになった。冷たいお弁当の味の不味さを補って、余りある風景である。

花海棠(はなかいどう)



 わあぁっと声が出そうになるほど、大きな八重紅枝垂れが目の前にあった。みな大喜びで、その下でシートを敷いて食べ出す人、飽きもせずに花を眺めている人、枝垂れの中心に入って花越しに外の景色を楽しんでいる人、それを背景として写真を取り合う人たちなど、さまざまである。私も子供のように、ついついその周りを一周してしまった。

大きな八重紅枝垂れの木






  新宿御苑の八重桜(下)(写 真)

桜と池の水の対比が美しい。


 中の池あたりから対岸を見ると、桜と池の水の対比が美しい。桜の花びらがたくさん散っている。そちらに渡ってみると、なだらかなカーブを描く小さな丘に桜の花びらの絨毯が散り敷かれており、そこに外人の家族や職場らしいグループがのんびり寛いでいる。良い雰囲気で、実に楽しそうだ。ああ、子供がシャボン玉を飛ばした。白やピンクや青色のシャボン玉がふわふわ空に向かって上がって行く。

小さな丘に桜の花びらの絨毯が散り敷かれている。


子供がシャボン玉を飛ばした。



 赤い花がたくさん付いている木がある。ああ、これは確か、花桃(ハナモモ)だ。それにしても、真っ赤な花で、綺麗なものだ。青い空にたくさん出ている枝に花が山盛りになっている。近づくと、一面に真っ赤に燃えているような気がするほどだ。いやはや、これはもの凄い迫力だ。赤と白の花が同一の木に咲いている。別の木かと思ってよく見たが、やはり同じ木なのだ。説明を読むと、これは源平といわれている特別の木らしい。なぜ源平かというと、赤い旗と白い旗が源氏と平家を象徴しているそうな・・・。

花桃(ハナモモ)の花の木の枝


花桃(ハナモモ)の源平の木


ドコモ・タワーが辺りを睥睨するように聳え立つ。



 池を渡って、再び振り返ると、またドコモ・タワーが辺りを睥睨するように聳え立っていて、池の周囲の桜と池面が綺麗だ。 またここで、新宿御苑を代表する桜がいくつか並んでいた。一葉、真っ白な白妙(しろたえ)、そしてやや緑っぽい鬱金(うこん)、ピンクの濃い江戸(えど)、さっぱりとした大島桜である。

一葉


真っ白な白妙(しろたえ)


緑っぽい鬱金(うこん)


ピンクの濃い江戸(えど)


さっぱりとした大島桜


さっぱりとした大島桜



 さて、そろそろ退出しようとして、新宿門の方へと向かうと、ものすごい人の数が、続々と中に入って来る。私はその人の波に逆らって進んで行く形となっている。入って来たその人たちが、これまた思い思いにあちこちで桜の下に座って、食べたり飲んだりしている。今年は、お酒の持ち込みが厳に禁じられているようだから、酔っ払いのたぐいはいないにしても、この人混みそのものに酔いそうになるほどだ。まあしかし、場所を選べば、あまり人のいないところもあり、こういう場所で、家族で花見というのも、なかなか良い考えかもしれない。来ている人、皆さん、とても楽しそうである。

皆さん、桜の下で花見


皆さん、桜の下で花見


皆さん、桜の下で花見


 新宿門を出ようとしたら、右手に売店がある。何か家内にお土産をと思って近づくと、それは追分だんごの出店だった。そこで売っているお団子の種類は、みたらし、黒ゴマ、こしあんなど、どこにでもあるもので、いずれもお値段は160円均一である。ところがその脇に、桜団子250円なるものがあった。値段が高いのに、それにもかわらずよく売れているらしくて、もうあまり数がないではないか・・・。もしこれが美味しければ買って帰ろうと、まず1本、味見をした。桜の香りがプーンと匂ってきて、なかなか美味しいし、甘さも控えめだ。よしよし、合格だ。ではこれに決めようと思い、何本にしようか一瞬迷ったが、ダイエット中ゆえ数は2本として、買って帰った。家に帰ったのが午後3時過ぎで、ちょうどおやつの時間である。家内に、「これ買って来たからどうぞ。私はもう食べた」と言うと、「どうも有難う」という言葉が聞こえたかと思うと、一瞬目を離しているうちに、たちまち、2本とも消え失せてしまっていた。あらら・・・しまった、そういうことなら、せめてもう1本、買って帰るべきだった・・・。




(2012年 4月15日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:00 | - | - | - |
映画「Battleship」



映画「バトルシップ」



 せっかくの土曜日だというのに、朝から雨模様である。カメラ片手に桜の写真でも撮ろうと考えていたが、この雨はなかなか晴れそうもない。これは、大きく当てが外れた。たまたま日中は家内もいないので、地下街の散歩でもして体を動かして来ようかと思い、千代田線に乗って二重橋前駅で降りた。そこから地下をたどれば最も遠くは東銀座まで行けるし、そこまで行かなくても近くをぐるりと回るなら大手町から八重洲へと行って戻ってくる方法もある。八重洲で旅行客の人混みにさらされるのも面倒だから、銀座に行ってみるかと思って日比谷方面へと歩き、途中で左折して有楽町に向かった。

 地下をどんどん歩いていくと、有楽町マリオンの入り口のエスカレーターが目に入った。そういえば、ルミネがここに入って、男性ファッションの店へと業態を変えたと聞いた。気楽な散歩の途中のついでだから、ちょっと見て来ようかという気になって、エレベーターに乗って一番上の階まで上がったのである。するとそこは、映画館だった。数階分もある大きな吹き抜け構造になっていて、その中央には上下するエスカレーターがあり、ほとんど誰も乗っていない。昨今の電力事情を考えれば誠にもったいない。でも、なかなか気持ちの良い空間である。そこにはいくつかの映画館があるようだ。その中のひとつは、本日封切りとある。題名は「Battle Ship」つまり、戦艦だ。「The」が付くと、特定の立派な戦艦だろうが、それがないということは、無名の戦艦が出てくることを意味していそうだけれど、それが何かはわからない。

 ふと興味が湧いて、入り口にいた女性の係の人に、席はありますかと聞いた。映画館に入るなんて、5年前にたまたま「ハウルの動く城」(宮崎駿 監督)を観た以外は、昔々、子供が小さかった頃にドラえもんを一緒によく観に行って以来だから、おおざっぱに言うと、もう30年ぶりのことだ。だから、このときのその係の人との会話のトンチンカンさ加減が、この長い歳月を物語っている。


 「ひとり分、席は空いていますか?」と聞く。

係 「はい、お席はあります。ただ、今日は封切り日でお客様が一杯でして、隣の席には、どなたかがいらっしゃいます。」

私 (心の中で)何、隣に人がいるって・・・昔は、満席といえば、劇場内で立ち見のあるのが普通だったのに・・・隣に人が座っているだけで満席だなんて、世の中、変わったものだ。 「ええと、それは結構ですが・・・あの・・・字幕がよく見えないだろうから、なるべく前の方にしてくれませんか」・・・と言って、前から3分の1くらいの席を指さす。

係 「はあ・・・でも、字幕は結構大きいですから、この辺りですと、首がスクリーンを見上げるようになってしまいますから、もう少し後ろの方がよろしいかと思います。」

私 (心の中で)へえぇ、昔の映画館では、なるべく前に座らないと字幕なんか見えなかったのに・・・と思いつつ、「ああ、そうですか・・・ではこの辺り」・・・と真ん中を指さす。

係 「はい、お待ちください。」・・・と言って、パソコンの画面を2〜3回タッチして・・・「はい、ではN−15のお席をご用意できます。」

私 (心の中で)こんなところにもIT化が進んで、便利になったものだ。昔は座席指定なんかなかったから、早いもの勝ちだったなぁ。「ああ、ではそれで、お願いします。あの・・・開始の何分前に来ればよいですか。」

係 「今でもお入りいただけますが。お席に着いていただけるのは、清掃が終わってからなので、開始の15分前頃です。」

私 
「では、その頃に来ます。」・・・と言って、その場を離れた。





 その時間まで45分間ほどあったので、下の階へと降りて、男性ファッションの階をいくつか見に行ったのだが、まあこれは、30歳から40歳台の人向けのところであることが、良くわかった。私が是非ともこれが欲しいと思うものは、全然見当たらなかった。たとえば、帽子の店があったので、立ち寄った。私は、これから紫外線が強くなるので外出するとき用に日よけを兼ねて、ハット形のつばの長い帽子が欲しかった。一昨年に行ったロンドンのマークス&スペンサーでは、ちゃんとそういう帽子があって、喜んで買ってきたものだ。この店にそういうものがあるかと期待して入ったのに、つばの長さが最大で4センチどまりのものばかりで、要するにこの店で売っているのは、街歩きに際してのちょっとしたアクセントになる程度の帽子なのである。ああこれでは全く役に立たないと思いつつ、その店を出た。よくよく周りを見ると、土曜日だというのにお客の数はさほど多くはないし、これで大丈夫か、ちゃんとやっていけるのかと心配になる。私の娘もそうだが、今どきの若い人は、インターネットで何でも手に入れようとするから、このような一等地で物販という業態そのものが、時代に合わないのかもしれない。

 そういうことで、帽子や靴などのカジュアル・ウェアなどを見てしばし時間をつぶした。その後、映画開始の15分前になったので、再び劇場のある階に上がって行き、切符を示して入った。入口のすぐ左手には、売店がある。しかし驚いたことにその店は、もう完全にマクドナルド化しているではないか。映画館の売店といえば、昔は少し薄暗いところにある鄙びた感じの物寂しい売店が多く、係の年老いた女性が目をしょぼつかせながらお金を細々と数えている風景を、私などは思い浮かべる。しかしこの劇場では、店員の服装、若さ、売り方、そして売っているものすべてが、まるでマックのようなファースト・フード店そのものなのである。これは近代的になっているとびっくりした。考えてみると私には昔の記憶しかないのだから、まるで30年後にタイム・スリップして映画館に来たようなものである。驚くのは当たり前だ。

 扉が開いたので、皆と一緒に館内へと入って行った。自分の席を見つけて、そこに座る。するとすぐに、私の右の席に30歳代の半ばで小太りの男性がひとり、腰を掛けた。私の目は、思わずその持っているものにくぎ付けとなった。なんとまあ・・・大きなバケツのような入れ物に、あふれんばかりのポップコーンが入っているではないか・・・辺り一帯に、プーンと実に良い香りがする。これを、ひとりで食べようというのか・・・。いやはやびっくりした。次に、私の左の席には、カップルがやってきた。男性はトレーを両手で持っていて、やはりバケツのようなポップコーンひとつと、飲み物がふたつ入っている。ああ、こちらはひとつのバケツのポップコーンをふたりで分けようというのだから、まだわかるが、それにしてもこの右手の単身の男の人といったら・・・よく食べるものだ。





 そんなことを思っているうち、映画が始まった。係の人が言ったように、そもそもスクリーンがやたらに大きいから、もちろん字幕も非常に大きくて、この調子では一番後ろの席でも見えそうだ。「Battle Ship」つまり戦艦というからには、戦争物だろうと思ったが、全然違ってSFだった。まだ上映中の作品だからその内容を明かすのはいささか気が引けるが、そこはひとつお許しいただくこととして、映画のストーリーはおよそこんなところである。

 NASAが、ゴルディロックス惑星(Goldilocks Planet つまり生命が生存することのできる環境にある星)を見つけた。異星人とコンタクトできるかもしれないということで、超遠距離通信衛星を打ち上げ、ハワイにその通信用アンテナを数基設置して、強力な電波でその宇宙域に向けて通信を送った。するとそれに呼応したかのようにエイリアンらしき5隻の宇宙船艦隊が地球にやってきて、ハワイ沖に着水したのである。そして、たまたまその辺りで演習中だったRimpac(環太平洋合同演習)諸国海軍の艦隊と戦闘状態に入る。Rimpac艦隊側は、アメリカの空母を中心に、日本、オーストラリア、カナダ、韓国、シンガポール、マレーシアなど何十隻もいる。ところが、その宇宙船艦隊の母船と思われる船が電磁波を出してハワイ一帯を電磁シールドで覆った。その中にアメリカや日本の海上自衛隊のイージス艦が5隻、閉じ込められてしまい、空母は電磁シールドの外にはじき出されてしまった。戦闘機で電磁シールドのバリアを突破しようとするが、操縦が効かないまま電磁シールドに直接ぶつかって木端微塵となる。いやはや、これは手強い。ところでそのエイリアンの宇宙船艦隊は、ここハワイに飛来する直前に世界各地を襲撃して、たとえば香港の高層ビル群を破壊するなど乱暴狼藉の限りを尽くしていた。このハワイの地上でも、ソロバンの玉をとてつもなく大きくしたようなぐるぐる回る金属製兵器を発進させて、高速道路や住宅やビル、空軍基地など至る所を破壊し尽していた。

 ハワイ沖のその電磁シールド内では、アメリカや日本の海上自衛隊のイージス艦が宇宙船艦隊の母船と戦うが、宇宙船側から発射された擲弾筒を束ねたような兵器にやられ、日本のイージス艦みょうこうも含めて5隻中4隻が撃沈された。残るアメリカのイージス艦1隻もかなり破壊されて、艦長や副艦長を含め多数の兵員が亡くなった。生き残った中で最も上級士官である主人公(アレックス・ホッパー大尉)が艦長を務めようとするが、あまりの事態に自信をなくしてトイレにこもったりする。そこへ、日本のイージス艦みょうこうの艦長(浅野忠信が演じているナガタ艦長。)が救助されてアメリカ側と合流し、その知謀と経験によって、なんとそのアメリカのイージス艦の艦長に推戴される。

 日が暮れて辺りは真っ暗な中、イージス艦から宇宙船艦隊に反撃しようとするが、電磁シールドの中ではレーダー電波が使えないので、攻撃ミサイルの照準を合わせられない。そこで、ナガタ艦長は、ハワイの周辺に数多く配置されている津波観測用のブイの利用を思いつく。宇宙船は海面をバッタのように移動する。その際に海面を大きく揺らせるので、ブイの潮位の変動の大きいところに宇宙船がいるはずだというのである。(電磁シールド内では電波が使えないはずなのに、どうやってインターネットにアクセスして、そのハワイ周辺のブイのデータを入手できたのだろうかと聞きたいところだが、まあそれはさておき、日本人艦長が津波のブイの利用を思いつくなんて、まるで悪い冗談のようだ)ともかく、それで照準を合わせてミサイルを発射してみたところ、二回は失敗したが、三度目の正直で成功し、これで3隻を沈め、艦内の士気が大いに上がった。宇宙船なのに、地球のミサイルで案外簡単に撃沈できてしまった!)

 他方、この話と同時並行的に、ラブ・ストーリーが展開していく。この宇宙船来襲事件の5年ほど前、ぐうたらな弟と海軍エリートの兄がいた。兄は弟をたびたび叱るが、弟はまるで馬の耳に念仏で、その素行不良はちっとも治らない。ある日、二人が酒場で飲んでいると、絶世の美女が席に着いた。チキン・ブリトーを注文するが、バーテンは無情にも、もうキッチンは閉めたという。チキン・ブリトーっていったい何だろうと思うが、メキシコ料理のトルティーヤで、野菜や肉などを巻いたものらしい。)その美女に近寄って行った弟が、よし、俺がきっかり5分で持ってきてあげるよ。」と、気楽に請け負う。ところが、その酒場の向かい側にあるマーケットに買いに行ったところ、店員がちょうど店を閉めるときで、無常にもそのまま帰ってしまった。そこでこの弟、屋根を破って忍び込み、そのチキン・ブリトーを握って電子レンジで温めその際、レジにお金を置くという、律儀といえば律儀なところがある)それで店を出ようとするが、途中で警官に撃たれて倒れ、気を失う前に、その美女に手渡す。

 実はこの美女、アメリカ海軍艦隊司令官の娘で、皆はそれを知っているから、近づかなかったようなのである。ともかく、海軍に入ったその素行不良の弟こそ、本日の主人公のアレックス・ホッパー大尉である(考えてみると、かつて建造物侵入・器物損壊罪でおそらく有罪となった人物が、それからわずか5年で海軍の将校になることができるのか、それが不思議でならないけれど、まあうるさくは言わないことにする)。彼の兄は、電磁シールドに閉じ込められたRimpac艦隊のうちのひとつのイージス艦の艦長になっていた。アレックス・ホッパー大尉は、チキン・ブリトー事件以来、アメリカ海軍艦隊司令官の娘と仲良くなって、結婚の許可を司令官からもらおうと鏡の前で練習したりするが、どうもうまくいかない。それどころか艦隊内でもめ事を起こして、帰港したとたんに解任されそうな成行きになった。そんな中で、エイリアン宇宙船艦隊と遭遇してしまった。兄のホッパー艦長は乗船中の艦を沈められて殉職した。

 生き残った艦内に、エイリアンの宇宙人が侵入してきた。金属製のモビル・スーツ懐かしい言葉だ。ただし私は、ガンダム世代ではない。どちらかというと、鉄人28号の世代である・・・いったい、何代前なのか、よくわからない。)を着ている。そのヘルメットを脱がせると、昔よく描かれた火星人のような顔が現れた。さらに詳しく調べようとすると、いきなりその宇宙人が動き出し、仲間の助けで、あっという間に逃げてしまった。その後、残されたヘルメットを乗員がかぶってみたところ、これは一種のサングラスで、宇宙人は太陽の光に弱いということがわかった。そして、組織のサンプルが爬虫類の特徴を示していたのである。かつて爬虫類を飼っていた乗員がいて、やはり爬虫類は光を苦手とするという。

 他方、アレックス・ホッパー大尉のフィアンセとなったその艦隊司令官の娘は、リハビリを行う退役軍人施設に通っていた。彼女はたぶんボランティアである。担当したのは両足を失った退役軍人で、軍こそが生き甲斐だったのに、これですべての希望を失ったような人である。その人と、ハワイ山頂の超遠距離通信用アンテナ近くを散歩していた。するとそこへ、宇宙船の一部が飛来してきて、通信用アンテナについて何やら作業している。その通信用アンテナ保守施設から宇宙人に追い出されたNASAの科学者に聞くと、あれは母星との通信設備に違いない。あと数時間で衛星が上空に来て通信可能となるという。これを自由にさせると、母星からどんどん侵略軍がやってくるのは自明のこと。そこで艦隊司令官の娘は、活躍の場を与えられた退役軍人と、その頼りない科学者の助けを借りて洋上のアレックス・ホッパー大尉と連絡をとり、あと4時間以内にハワイ山頂の超遠距離通信用アンテナを破壊してほしいと伝える。

 一方、ナガタ艦長とアレックス・ホッパー大尉のイージス艦に船を破壊された宇宙からの侵略者側は、生き残りが宇宙船の母船1隻と宇宙船が1隻になってしまった。夜が明けてまずその宇宙船が向かってきた。イージス艦は一計を案じ、島の突き出た半島の陰に隠れた。お互いがその半島の先へと進み、半島の先端で鉢合わせをした。ところが、イージス艦はちょうど太陽が昇る位置を背景としたので、ただでさえ太陽の光に弱い宇宙船側は、一瞬、目が眩む。そこで、ナガタ艦長とホッパー大尉がイージス艦の舳先(へさき)から宇宙船の艦橋に向けてライフルの銃弾を浴びせて破壊し、それと同時にイージス艦から魚雷を打ってこれを撃沈した。考えてみると、宇宙を超高速で飛んでくる性能のある宇宙船の艦橋のガラスが、たかがライフル弾程度でそんなに簡単に穴が開くものかと疑問がわくが、まあ、それはさておき)、宇宙船側から反撃を受け、ハワイ各地を破壊したソロバンの玉をとてつもなく大きくしたようなぐるぐる回る金属製兵器を放たれた。これが艦内を破壊して回り、イージス艦はあえなく沈没してしまった。

 その後、ナガタ艦長とホッパー大尉は救命ボート上に引き上げられた。しかし、今度は宇宙船の母船がハワイ沖から島近くへと移動してきて、攻撃体制をとっている模様である。二人は、「あれは・・・移動もできるのか」と落胆する。こちら側には、使える戦艦はもうない。電磁シールド内の戦艦はすべて沈んでしまった。まさに絶体絶命の状況だ。しかしそこで諦めないのが、アメリカ流である。そうだ、我々には戦艦ミズーリがある」という。戦艦ミズーリといえば、私などは今から67年前の太平洋戦争で、日本の降伏調印の舞台となったあの艦のことを思い出す・・・まさか・・・と思ったら、やはりそうだった。たとえていうと、日本の戦艦大和のような存在なのかもしれない。そういえばベレー帽を被った漫画家で、放射能をまき散らす宇宙人と改造した戦艦ヤマトで戦うというSF漫画を描いた人がいた・・・しかし、この人の漫画に出てくるたとえばメーテルという女性は、竹久夢二の描くなよなよとした女性に似ていて、どうも私の趣味ではない。まあ、それはともかく・・・)。その戦艦ミズーリはその後、1991年の湾岸戦争で巡航ミサイルのトマホークを発射するために改造をされたり、実際に主砲を発射したそうだが、それを最後に退役し、現在は真珠湾に係留されて歴史的記念物になっている。そんな古い骨董のような艦が動くのか、動くどころか主砲を発射できるのかと思ったら、普段は展示で説明に当たっている元乗組員たちが、沈没したイージス艦の乗組員とともに動かしただけでなく主砲を発射して宇宙船の母船を砲撃した。あわやというとき、破れた電磁シールドから突入してきた空母搭載の戦闘機が、宇宙船の母船をやっつけてくれた。その直前、戦艦ミズーリは、残った一発の砲弾をハワイ山頂の超遠距離通信用アンテナに向けて打ち、これを破壊した。

 ということで2万数千人の死者を出したこの宇宙船侵略事件は終わり、その追悼と叙勲の式があった。艦隊司令官、その娘、もちろんアレックス・ホッパー大尉、ナガタ、頑張った退役軍人などが参加し、ホッパー大尉は勲章を受ける。その式が終わった直後、ホッパー大尉は艦隊司令官に、やっと「あなたのお嬢さんとの結婚を認めてください」と申し込む。答えは「No。だけど、これから飲みに行って『チキン・ブリトー』の話をしたい」と言われ、一緒に出かけるというのがラスト・シーン。





 この映画を見て思うのだが、第二次世界大戦・太平洋戦争は遥かに昔のこととなった。日本の高校生に太平洋戦争のことを話すと、中には素っ頓狂な声で「えっ、日本って、アメリカと戦争したの?それホント?」などと言われてがっくりすることも稀ではないと聞くと、さもありなんという気がする。明治は遠くなりにけり・・・どころではない。私の生きているときにもう既に、大正どころか昭和までもがそうなるとは思わなかった。

 ついこの間まで、硫黄島での日米両軍の死闘が映画のテーマとなっていた。それなのにこの映画では、日米のイージス艦が一緒に戦うだけでなく、日本の艦長が一時的とはいえ、アメリカ海軍の艦の艦長となってちゃんと指揮するなんて、ほんの数年前まではおよそ考えられなかった。そればかりか、この映画では、演習の出港前の余興で各国海軍のサッカーの試合があり、そこで海上自衛隊のチームが2対1でアメリカ海軍のチームに勝ってしまうなんて、これまた数年前までは想像外のことだっただろう。アメリカとの戦後の貿易戦争の数々をくぐってきた私個人としても、感無量である。

 まあそれにしても、ここまで日米両国が一体化するとは、とても思わなかった。この調子では、この世紀の終わりごろには、日本はアメリカの52番目の州となっているかもしれない。えっ、何ですって・・・アメリカは50州しかないって・・・いやだから、51番目はイギリスだって・・・もっとも、両国とも残念ながら畏れ多くも皇室と王室がどちらも後継者難に陥るという条件付ではあるが・・・現実にそうならないことを心から願っている。

 iPhoneが役立つという話をしたい。実は私、「ゴルディロックス惑星(Goldilocks Planet つまり生命が生存することのできる環境にある星)」のことを知っていた。この映画を観る数週間前、たまたまiPhoneのアプリで、その名も「NASA」というのがあって、それを見ていたからである。これはもちろんアメリカ航空宇宙局(NASA)の公式アプリで、現在実施中の数々の宇宙探査計画の説明やその写真、ビデオなどを掲載している。このアプリはいつ見ても、非常に興味を引かれることばかりで面白い。そういうものを見ていたとき、Goldilocks Planetというのが出てきた。その意味がわからなかったので英語の辞書のアプリで検索すると、「生物が生息可能な大きさ・環境・位置などの条件を満足する地球のような惑星のこと」とあり、これはイギリスの童話「Goldilocks and the three Bears」から来たという。残念ながらそれがどんな童話であるかは知らないけれど、ちなみにゴルディロックス経済というと、「インフレなき成長を維持する絶好調の経済のこと」をいうらしい(いずれも「i英辞郎」より)。

 ちなみに、最近は生命存在の可能性がある系外惑星(「系外」というのは、太陽系外という意味)を探すのが天文学のブームとなっている。恒星の前を惑星が横切る際のわずかな光の揺らぎを検出して探すのだが、これまで見つかった惑星の大半は、木星や土星のようなガス惑星であった。これらは大きいから探知しやすいのである。しかし、生命が存在できるのは、まず岩石質の惑星で、その恒星からの位置が遠すぎても近すぎてもいけない。遠いと水は氷となり、近いと水は蒸発してしまう。つまりこのゴルディロックス惑星であるには、水が液体として存在できるほどよい距離でなければいけないのである。これをハビタブル・ゾーン(生命生存可能領域)というが、ここにあることが確認された惑星は、地球から約20光年離れた「グリーゼ581d(Gliese 581d)」、約22光年の位置ある「GJ 667Cc」、約36光年離れた「HD 85512 b」、約600光年離れた「ケプラー22b(Kepler-22b)」の4個が現実に確認されている。それどころか今年の3月28日、欧州南天天文台(European Southern Observatory、ESO)は、生命の存在する可能性がある地球に似た惑星が、銀河系(Milky Way)には数百億個存在するという推計を発表した。(以上、いずれもiPhoneのAFPニュースのアプリから)

 そのようなことで、この映画のように、たとえば地球に最も近いゴルディロックス惑星グリーゼ581dへと通信を送ることも考えられるが、電波が届くだけでも片道20年かかるし、ましてや光の速さであちらの星から地球に向けて飛んでくるだけでも同じ歳月がかかる。アインシュタインの相対性原理でいくと、光の速さで飛ぶと我々の体や宇宙船がぺちゃんこになるはずだから、とてもその速さで飛べるわけもない。そうすると、この宇宙で働いている別の原理でも見つけたのか・・・いや、その可能性はほとんどない。そうすると、別次元の宇宙を利用してワープしてきたのかとでも考えないと、この映画のように、電波を送ったらすぐにエイリアンの宇宙艦隊が出現するなどということは、あり得ない。それとも、たまたまエイリアンの宇宙艦隊が地球付近をパトロールあるいは探査をしていてその電波を受信したのか・・・それならば、あり得るし、持っている武器が擲弾筒と電磁シールドのバリア、それに巨大なソロバン玉のような破壊兵器程度で本格的なものではないことを考えると、まあ説明がつく。

 いずれにせよ、この後、またエイリアンの襲来が予想される。だから、アメリカ海軍としては、破壊したエイリアンの宇宙船を海中から引き上げ、それを徹底的に調べて、その技術を習得しようとするだろう。どうやって宇宙を飛ぶのか、大気圏突入時の摩擦熱をいかに逃がすのか、兵器や宇宙船の動力源は何か、あの戦闘機もブロックする電磁シールドはどうやって作り出すのか、乗員が着ていたモビル・スーツの構造と動力源、それに何よりも爬虫類が進化したらしいエイリアンの体の構造と知性など、数世紀分いや数十世紀分の技術と知識が一挙に手に入るというわけだ。いや、これはすごいことだと考えたところで、映画館から出ていた。まあそういうことで、とっても楽しめた一日であった。おっと、これからまた東京の地下街の散歩の続きをしなければいけない。では、さようなら。





(2012年 4月13日記)


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東京の桜 2012年(8) 不忍池

上野不忍池の桜とボート



  上野不忍池の桜(写 真)


(8) 上野不忍池の桜

 さて、わずか2日というごく短い期間のうちにあちこち駆け巡って桜の木を撮るという忙しい日程が終わり、浅草からようやく帰途に着くことにした。最後のひとつと思って向かったのが、上野公園である。入り口から桜のトンネルを公園内に行こうとしたが、浅草寺を遥かに上回るものすごい人混みで、その中に混じって少し歩いただけでくたびれた。そこで公園中心部へ行くという方針をあっさりと転換し、すぐに左へ折れて、不忍池を4分の3周して我が家に歩いて帰ることにした。

上野公園の桜見物客の波


顔を目がけて飛んできたゆりかもめ


 左手へ曲がるところから不忍池の弁天堂を見下ろすと、これまたひどい人混みがこちらの上野公園に向かって来る。その人の波をかき分けるようにして階段を下り、池の中心にある弁天堂には行かずに、そのまま池の周囲を時計周りに歩くことにした。池畔に着いて、池面を見ていると、隣の女の子がかっぱえびせんの類のお菓子を空中に抛り投げた。すると早速、池にいたゆりかもめが飛んで来て、私の目の前にいきなり現れたので、びっくりした。顔を目がけて飛んできたので、これはいけないとカメラで顔を隠しつつ撮ったのが、この1枚である。いやはや、このゆりかもめという鳥は、遠目では可愛く見えるが、近くで見ると誠に獰猛な顔をしていて、ぼんやりしていると、嘴で突っつかれそうだから怖い。

上野不忍池の桜の下で宴会を開く客



 それから、不忍池の周りを見ると家族連れや職場の仲間のような人たちが座って、思い思いのスタイルで何かを食べたり飲んだりしている。そのすぐ脇には、ものすごい人の波がぞろそろと歩いているというのに、少しも動じなくて口をパクパク動かし、ビールをガフガブと飲んでいる。ははぁ、若い人というのは、とても逞しいものだとつくづく思う。私には、とても出来ない。

上野不忍池の桜


上野不忍池の白いゆりかもめ



 そこを過ぎると、池の角を回り込むような形となり、池面に満開の桜の影と青い空が映って、とてもきれいだった。また、逆光から次第に順光となって、青い湖面に飛び交う白いゆりかもめの姿をしっかり撮ることが出来た。また別の種類の桜の木だ。形は、寒緋桜に似ている。これはピンク色が濃いので、もちろん染井吉野とは違うが、近くで見るとなお綺麗に見える桜だった。

上野不忍池のピンク色が濃い桜


上野不忍池の弁天堂と満開の染井吉野の木々


上野不忍池の杭にとまる白いゆりかもめ



 さて、不忍池を半周した。すると、手前に青い池面と、その向こうには枯れた蓮の茎が連綿と続き、さらにその向こうには弁天堂と満開の染井吉野の木々が帯のように見えるところに来た。これは素晴らしいと思ったら、目の前の池中の杭に、一羽のゆりかもめがとまった。そして、毛づくろいを始めた。のんびりしたものだ。しかし、その様子は、なかなかシュールな感じがする。

上野不忍池の白い染井吉野とピンクの濃い八重桜との競演


上野不忍池の白、ピンク、緑そして青の4色



 さらに池に沿って進むと、また桜の木の大群であるが、白い染井吉野とピンクの濃い八重桜との競演である。それを見上げるような形で青空をバックに撮ると、非常に美しい。ああ、その中間に緑色の柳の木があるから、これで白、ピンク、緑そして青の4色が楽しめる。これに感心していたら、今度は染井吉野が池面にずーっと張り出していて、その先にはボートがたくさん出ていた。そしてさらに池の回りをめぐっていくと、手前にボート、正面には弁天堂と桜の木、さらにその上には、東京スカイツリーがぽっかりと空に浮かんでいるように見えるポイントがあつた。(冒頭の写真)




(2012年 4月 8日記)


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東京の桜 2012年(7) 六義園

六義園の枝垂れ桜



  六義園の枝垂れ桜(写 真)


(7) 六義園の枝垂れ桜

 この日は休みだったから、朝一番で六義園に行ってみようという気になった。ネットで調べると、午前9時が開門とのこと。その前に行こうと思って自宅前からバスに乗ると、ちょうど8分前に入り口に着いた。しばらく列に並んでいると、思いのほか早く、中に入れてくれた。潜り戸のような門を超えると、眼前にとてつもなく素晴らしい枝垂れ桜が、桜の花を満載した枝を両方に広げて、満開である。背景の真っ青の快晴の天気と実にマッチして、心が躍動してくるようだ。いや、心臓も高鳴るというものだ。

六義園の枝垂れ桜


六義園の枝垂れ桜


六義園の枝垂れ桜



 さあ枝垂れ桜の木を撮ろうとすると、カメラマンは皆、行儀良いことに気付いた。こういう場合には、もう必ずと言ってよいほど無神経な人が出るものだ。たとえば、桜の木の下に行ってわざわざ見上げたりして、カメラの邪魔をするという具合だ。ところが今日は、そんなことをする不埒な人はまったくいない。それどころか桜の木を中心として同心円上に並んで、そこからパチパチとシャッターを切っている。これはマナーが良い。それでは私も、写真に入り込む邪魔な人が出ないうちにとばかりに、皆さんに混じってどんどん撮っていった。しばらくして、右手に園の係りの人が現れて「はい、9時となりました。一般の方を入れますので、カメラをお持ちの方、撮影は終了です」と言う。ああ、なるほど、開園前の時間に特に写真を撮りたい人だけを入れて、邪魔者なしで撮影させたのかと納得する。これはとても良い配慮である。一昨年だったか、きょうと同じく朝一番にこの六義園に写真を撮ろうとやってきたのに、この枝垂れにカメラを向けると、どういうわけかわざわざ桜の木の根元まで近づいて見上げている無粋で無神経な人が何人かいて、われわれカメラマンをやきもきさせたものである。それに比べると、この日の園側の整理は、なかなか配慮が行き届いていた。

六義園の枝垂れ桜


六義園の枝垂れ桜


六義園の枝垂れ桜



 そういうわけで、枝垂れ桜の全体像を撮るセッションは終わりとなり、いよいよ桜の木に近づいて撮る局面となった。いやまた、これが凄い。桜の花が、何というかまるで花が滝を作るように、あちこちで盛り上がって垂れている。花の塊があちこちにあって、それらがまた、重層的に重なり合っている。背景は、真っ青な空だ・・・いったい、何たる自然の造形美だろう。これに勝る枝垂れ桜はあるだろうか・・・写真でしか見たことがないが、福島県三春町の三春滝桜かなぁ・・・。そのうち、現地に見に行って、比較してみようと思う。

六義園の枝垂れ桜


六義園の池


六義園の池



 例のとおり、説明板を読むと、こうある。この枝垂れ桜は、高さ約15m、幅約20mで、『エドヒガン』という品種が変化したものです。戦後に植栽されてから、50年以上が経過しています。開花は『ソメイヨシノ』よりもやや早く、3月下旬頃です。満開の時期、枝いっぱいに見事な花を咲かせた薄紅色の滝のような姿は、圧巻です。」いやまったく、その通りである。毎年、この枝垂れ桜を見るたびに、こちらも元気になる気がする。また、来年も今年のような素晴らしい晴れ姿を見せてほしいものだ。

六義園の藤代峠から眺める


六義園の吹上茶屋



 ああ、ついつい枝垂れ桜ばかりに注目してしまったが、この時期、新緑が芽吹く直前の六義園の姿も、なかなか良いものである。まだ芝生は茶色だが、松の葉の色も良くなってきた。藤代峠から眺めると、その緑豊かな松とともに。特に今日は池面に青い空の色が反射して、それが実に美しい。そうそう、吹上茶屋には、染井吉野もちゃんとあって、白い花を枝いっぱいに付けている。

六義園の吹上茶屋の染井吉野桜




(2012年 4月 7日記)


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東京の桜 2012年(6) 浅 草

伝法院庭園から五重塔と枝垂れ桜、東京スカイツリーを眺める。



 伝法院庭の桜とツリー(写 真)


(6) 伝法院庭の桜とツリー


 日曜日の朝、今日も良い天気だ。青空を背景に隅田公園の桜を撮って来ようと、自宅からバスで浅草北の停留所まで行った。言問橋の向こうに、すっくと立ち上がっているのは、東京スカイツリーである。この5月22日に開場だそうだ。それまであと一ヶ月と少しだから、外形は完全に出来上がっている。そこでカメラを取り出し、青い空をバックにパチリとシャッターを押したが、こちらからだと、逆光になって綺麗に写らない。時計を見ると午前11時なので、とりあえず浅草でお昼の食事をし、それからまたこの隅田川に戻って来ようと考えた。隅田川は対岸も桜が咲いている。

東京スカイツリーを眺める。


隅田川の桜



 そこで、川岸に出現した染井吉野の桜のトンネルを通り、あちこちで青いビニールシートを敷いて繰り広げられている宴会を横目に見ながら、途中で直角に曲がって、浅草寺の二天門に向かった。こんな宴会をするのは日本人だけかと思ったら、パキスタン人らしき一行もビニールシートを敷いて飲めや歌えの・・・あれれ、ムスリムは禁酒のはずだが・・・大騒ぎをやっていたから、可笑しい。完全に日本化してしまっている。

隅田川の桜とアサヒビール


東京スカイツリーを眺める。



 二天門といえば、8月の浅草カーニバルで出演者が出発するところである。この二天門に通ずる通りは、どうやら観光客を乗せた観光バスが停車して、そこからお客を浅草寺に誘導する場所となっているようで、ひっきりなしに大きな観光バスがやってきて、たくさんのお客をはき出している。そのご一行様たちを旗を持ったガイドが先頭に立って案内している。お寺の境内にまだ至らないというのに、すでにものすごい混みようだ。通りの途中に、浅草履物卸の発祥の地という石碑がある。そんなのをゆっくり見ているゆとりがないほどの混雑だ。二天門の前には、時代屋などの人力車が観光客を乗せてやって来ていて、お客に由来を解説などしているから、ますます混んでいる。

広場には猿回し


本堂の天女の絵



 浅草寺の本堂前の広場には、猿回しもいる。縁日そのものだ。本堂に入り、昨日の池上本願寺に引き続いて、またお参りをする。参拝を済ませて本堂の天井をたまたま見上げたら、天女の絵が描かれていた。それにしても、この絵、うまく自然に隠すべきところは隠してある。ところで私の回りの人混みといったら、まるで満員電車の中にいるみたいだ。しかも、その中から聞こえてくる言葉は、日本語はむしろ少なくて、たいていは中国語、それからもちろん英語に、南西アジアのたぶんパキスタン語、それにインドネシア語まであったから凄い。聞きしに勝る国際化である。しかも、本堂の前に置いてある線香の煙を頭にもってくるような手つきを真似てやっている外国人も大勢いたから、笑ってしまう。

本堂から見下ろす


ブルドック


 その人波に身を任せて動いているとき、ふと何かの気配を感じた。私の真横のちょうど目の高さに、何とブルドックがいたのである。これには、驚いた。男の人が肩に乗せて抱いている。しかもその犬が、私の前に来たとき、口を開けて笑ったような顔つきをしたので、二度びっくりした。すごい顔だが、そういう表情をすると、なかなか愛嬌がある。

本堂を見上げる



 おっと、また人だかりがしている。覗いてみると、生まれたばかりのお釈迦様の像に、甘茶をかけているところだ。なるほど、今日こそは4月8日、まさにお釈迦様の誕生日である。それにしても、良い天気だなと思って空を見上げると、飛行船が飛んでいて、それと東京スカイツリーが見えた。写真を撮ると、その画面に鳥まで写っていた。浅草奥山風景と名打って、浅草寺の秘宝と伝通院庭園の公開をしているというポスターが貼ってあった。ああ、新聞に載っていたのはこれだと思い、さっそく列に並んで入ってみることにした。

甘茶をかけられるお釈迦様



 いただいたパンフレットによれば、「寺伝によりますと、寛永年間(1624〜44年)に幕府の作事奉行を勤め茶人としても有名でありました小堀遠州によって築庭されたといわれています。約1万平方メートルのこの庭園は、回遊式庭園として、園内を逍遙すれば一歩一歩その景観を異にします。池には放生された鯉や亀などが泳ぎ、木々には野鳥が集まり、賑わう浅草にあって閑寂な佇まいをみせてくれます。また、江戸から明治までは法親王ご兼帯寺の庭ということで秘園とされておりました。この都内でも有数の文化財を後世に残していくべく、平成23年9月21日に伝法院庭園が国の名勝に指定されました。」とある。そういえばこれまで公開がされて来なかった庭園である。

伝法院庭園の枝垂れ桜


伝法院庭園の松


伝法院庭園の池



 五重塔をいつもの裏から見ることになるが、風景とマッチしてなかなか良い。庭の苔も、手入れの良さを表している。ああ、これだ・・・庭に面する建物の脇に、枝垂れ桜があって、濃いピンク色の花を付けている。そこを過ぎると、これまた枝ぶりの良い松があり、その前の池は、水が薄緑色でとても綺麗だ。これは素晴らしい。建物の右手にはもうひとつの枝垂れ桜があり、その桜の木越しに東京スカイツリーが見える。池の向こう岸から見ると、左手には五重塔と枝垂れ桜、真ん中に建物、右手に東京スカイツリーと再び枝垂れ桜という、過去と近未来の風景を一度に観望できるのである。素晴らしいとしか、言いようがない。感動的風景である。


伝法院庭園と五重塔


伝法院庭園から見た東京スカイツリーと枝垂れ桜







(2012年 4月8日記)


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東京の桜 2012年(5) 池上本門寺

池上本門寺五重塔特別開帳での若いお坊さんの祈り



 池上本門寺五重塔の桜(写 真)


(5) 池上本門寺五重塔の桜

 洗足池畔の桜に酔って気分でいたが、そこからさらに東急池上線に乗って近くの池上本門寺へ行くことにした。池上本門寺のHPによると、こちらは、「日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。長栄山本門寺という名前の由来は、『法華経の道場として長く栄えるように』という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。」とある。つまり日蓮聖人の入滅の地なのだ。

池上本門寺の桜


池上本門寺の総門



 池上駅から、iPhone片手にその道案内に従って道を渡り、表参道を行く。途中、あの左右に跳ねる力強い字で南無妙法蓮華経と書いてある石碑を見ると、ああこの力強さこそまさに日蓮宗という気がする。総門をくぐると、見上げるような石段坂がある。その数は96段もあるらしい。その左右には薄いピンク色の雲のごとくに染井吉野が咲き誇っている。「ああ、すごいな、きれいだな」と思わず口から感激の言葉が出てくる。ふと右手を見ると、赤味の強いピンク色の枝垂れ桜が咲いていて、その背景の建物の薄緑色のガラスに映えて、これまた綺麗なものである。

池上本門寺の此経難持坂


池上本門寺の赤味の強いピンク色の枝垂れ桜



 その長く続く表参道の石段坂の階段を登る途中で、頭の上に来る染井吉野の桜の花の束を見上げながら撮影し、桜を堪能した。階段の左手には、青銅製の灯篭があり、その真上の染井吉野が満開で、その灯篭を囲むように咲いている。これは、なかなかの景色である。やっと階段を登りきって、ふと振り返ると、あんな急な階段を登ってきたのか・・・いやいや愛宕神社の男坂階段ほどではないな・・・こちらには踊り場があるからかと思ったりする。ちなみにこの坂は、此経難持坂というらしい。何と読むのかわからないのが、ご愛嬌である。書いてあった説明を読むと、この表参道の石段は、慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられており、法華経宝塔品の偈文の96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としているとのこと。なるほど、浅学菲才の身には、とても読めないわけだ。此段難読坂とでもしてほしい。

池上本門寺の此経難持坂途中の灯篭


池上本門寺の此経難持坂を振り返る


池上本門寺の仁王門



 さて、正面には仁王門があり、たくさんの屋台が出ている。きょうはお釈迦様の誕生日で、春まつりということだ。仁王門をくぐり、大堂(祖師堂)に至る。人垣がその右手の方に続いていたので、そちらの方へ行くと、法被を着た人たちが操る纏いがいくつかにぎやかに通り、そしてお坊さんの列が続く。先頭は、その衣装からして、かなりの高僧のようだ。染井吉野の桜に囲まれた五重塔が大きく聳え立つ。一行はそちらに向かい、纏いを操る人たちはそこで止まり、その高僧が五重塔正面の扉を開けて、そこに座る。五重塔特別開帳というものらしい。読経が始まり、よくよく聞いていると、「南無妙法蓮華経・・・その他一切の経は、これを排す・・・」などと私には聞こえたり、また五重塔の四方の角で一斉に読経に加わっていた若いお坊さんたちのカチカチ鳴らす鳴り物入りの読経があったりして、さすが、日蓮宗らしいと思った。

池上本門寺の五重塔と桜


池上本門寺の五重塔特別開帳


池上本門寺の五重塔特別開帳での特別御守の配布



 式の最後に、なんとその五重塔のてっぺんから、五色の紙吹雪が舞い散るではないか・・・ああ、桜とマッチして綺麗だなと思ってボーッとしているのは私だけで、その場に居合わせた皆さんは、それを拾おうと右往左往している。特別御守の配布ということだ。でも、なにも慌てることはない。その紙吹雪のような御守は折からの強風にあおられて、五重塔よりかなり離れた場所に相当数が着地した。そこはお墓のあるところで、植木の多いところだ。ゆっくりとそこへ行き、植木の中に入り込んだ御守を拾い上げた。拾った5枚ほどは、すべて色が違う。それを持って元いたところに戻ると、赤ちゃんを抱いた奥さんが空を見上げて、その御守を待っているようだ。たまたま目があったので、赤ちゃんの手にそのうちの1枚を握らせた。赤ちゃんも、お母さんも、大喜びだ。

池上本門寺の本堂


池上本門寺の白い象



 そして、本堂の方へと行って、参拝しようとした。その正面には、白い象が置いてあって、「お釈迦様の誕生日」とある。そこから建物の階段を上がろうとすると、真ん中に長い列があった。何だろうと思ったら、花御堂がしつらえてある。誕生されたばかりの仏陀の小さな像に、柄杓で甘茶をかけているのだ。ああ、これこそ花祭りだと、小さい頃の懐かしい行事を半世紀ぶりに思い出す。堂内では、手を合わせながら家族ひとりひとりの健康を祈り、何かほのぼのとした平和な気分で帰途についた。


池上本門寺の桜





(2012年 4月 7日記)


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