徒然221.湯島天神 梅まつり

今年の干支の辰が、なんとも頼りない顔とお姿をしている



 梅まつりの季節となった。仕事ばかりをしているとよろしくないので、昨年に引き続き、2月に入ってまた湯島天神へと足を運んだ。今年は気温が低い日が多かったことから、梅の花の咲きが遅くて、2週間近くも遅れているそうだ。だから、一方では受験期で最盛期を迎えている絵馬の山・・・牛の背中を思わせるほどだ・・・がある一方、梅の木には固いつぼみが並んでいるのみだ。なんだ、まだではないかとがっかりしつつ、また来週、出直して来ようと思い直した。

湯島の絵馬



湯島の絵馬


 そこで、梅の花を見る代わりに、その鈴なりの絵馬をちらちら見ていると、かつて書いたことがあるように、やはり今年もまた、誠に面白いのがいくつもある。その前にまず思ったのだが、その絵馬の表面に描かれている今年の干支の辰が、なんとも頼りない顔とお姿をしているのである。目を見ると、私はいったいどうましょうとでも言いたそうな困惑の表情である。こんな絵馬に受験生が願い事を書いて、果たして受験は大丈夫なのかという気がするのだが、どうやら願を掛ける人はそんなことは気にならないらしくて、ほんの数分見ている間にもどんどん絵馬が掛けられていく。その中でも、「長い人生の中でこの1年のがんばりを認めてあげてください。母より」というのは、母が子を思う気持ちがよくわかる絵馬だ。これは、素晴らしい。次に、何と台湾大学の人が、絵馬で願を掛けている・・・湯島神社の力は、台湾にも及ぶらしい。あれあれ、「千葉へ異重できますように! お願いします!!」なんというのもある。受験だけでなく、異動も取り扱っているみたいだ・・・それにしても「異」なんて書いていると、本当に異できるのかと思っていたが、よく見ると「重ヵ」と・・・ああ、「」となんとか読めた。それにしても大丈夫かこの人・・・。

桜井亜木子さんによる薩摩琵琶の演奏



湯島の梅まつりの舞台


 昨年はまだ工事中だった境内の池がもう出来上がり、それを泉鏡花の筆塚碑の背景として眺めると、なかなか風情がある。これで、梅が咲いていたらなぁと思いつつ、歩いていると、ペペペペンという琵琶の音とともに、祇園精舎の鐘の声・・・などと平家物語の一節を語る女性の声が聞こえてくる。そちらの方に向かうと、桜井亜木子さんによる薩摩琵琶の演奏である。那須与一の一節を聞いたが、とても味があり、なかなか良かった。次に、梅まつりの舞台の方へ向かうと、席が空いていたので、しばし座る。最初は、松本源之助社中による江戸里神楽の獅子舞があった。それが一段落すると、福徳の神の大黒様が出てきて打出の小槌を振ったり、顔の表に「おかめさん」、顔の裏に「ひょっとこさん」の仮面を被った女性が、道化のような踊りで楽しませてくれた。

湯島の絵馬


松本源之助社中による江戸里神楽


松本源之助社中による江戸里神楽



松本源之助社中による江戸里神楽


 次に、毎年楽しみにしているベリーダンスがあった。今年は、海老原美代子ベリーダンスグループである。本当に楽しそうに、そしてまたダイナミックに舞台狭しと踊り回るのがよい。それが終わると日本舞踊で、藤寿美社中であった。しかし、その直前にベリーダンスを見てしまうと、やはり迫力負けしてしまう。世界の舞台でこの二つを並べると、ゆるゆる、とろとろと踊る日本舞踊って、いったい何だろうかと思ってしまう。歳をとってもできるという意味では、ちょうど良いと思うが、これでは世界で戦えないのは確かである。産業も同じだ。長い間狭いところに閉じこもり、同じことを繰り返していては、そのうちそんなビジネスモデルは通用しなくなる。今の日本の製造業の苦境を象徴している姿なのかもしれない。



海老原美代子ベリーダンスグループ



海老原美代子ベリーダンスグループ


 最後に、社務所の近くで、チンドン屋を見かけた。何十年ぶりで、懐かしい限りである。私の小さい頃は、こういうチンドン屋さんが商店街を跋扈していて、ハーメルンの笛吹きよろしく、思わずその後を付いて行って親にしかられたことを思い出した。

チンドン屋








 新富座こども歌舞伎(写 真)は、こちらから。




(2012年 2月11日記)


カテゴリ:徒然の記 | 11:46 | - | - | - |
新富座こども歌舞伎

寿式三番叟


 新聞で、中央区八丁堀の鉄砲州稲荷神社の神楽殿にて、こども歌舞伎があるというので、家内と一緒に見物に出かけた。ちなみに、家内は歌舞伎の大ファンでかなりの知識がある。私はといえば、その昔、結婚前の家内と一緒にデートで歌舞伎座へ見に行ったときに、不覚にも座席で寝てしまった。というのも、その演目が小さい頃さんざん見飽きた忠臣蔵だったり、どういうわけか藤原鎌足が江戸時代に出てきて色々と立ち回るという内容だったから、そんな馬鹿なという気になり、加えて連日のヘビー・ワークのツケがたたって、目を閉じた。すると、そのまま舞台が終わっていたのである。それ以来、無理して歌舞伎の知識を覚えようとはして来なかったから、未だに初心者のままである。

 それにしても、どうしてここに、こども歌舞伎なるものがあるのかと思っていたら、いただいたパンフレットによれば、こういうことらしい。中央区には江戸時代から沢山の芝居(歌舞伎)は庶民の暮らしの文化として愛されてきました。現在も伝統文化が息づくこの街で『新富座こども歌舞伎』は明治時代に栄えた東京一の劇場『新富座』の名を冠し、平成19年春、地域の方々と共に大都会の地芝居という旗揚げし、おかげさまで今年6年目を迎えました」、「地元の氏神様である鉄砲州稲荷神社での節分祭、例大祭における奉納公演を中心に中央区などで催される各種イベントでの公演を行っております」

寿式三番叟


寿式三番叟


 なるほど、それは素晴らしいことをされている。今回の演目は、寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)、白浪五人男(しらなみごにんおとこ)である。なお、このほかレパートリーとしては、義経千本桜(よしつねせんぼんさくら)があり、5月5日の例大祭では、これも演じられるという。

口上を滔々と述べたのは、小学校2年の女の子


 最初に、口上を滔々と述べたのは、小学校2年の女の子だ。その節回しといい、内容といい、なかなか立派なものだった。それが終わると、舞踊の寿式三番叟が始まった。二人が組みになって、最初は扇、次に鈴を振って鳴らす舞であるが、能の「式三番(翁)」から歌舞伎用に作られた舞で、天下泰平、五穀豊穣、千秋萬歳をことほぐおめでたいものだそうな。衣装にせよ、化粧にせよ、演じ方にせよ、これは本物でしかもプロの指導を受けていることが、すぐにわかる。

三人吉三巴白浪の夜鷹役


三人吉三巴白浪の三人組


 次いで、お坊吉三、お嬢吉三、和尚吉三の盗賊三人が出てくる三人吉三巴白浪である。説明によれば、節分の夜、夜鷹のおとせは昨晩の客が落として行った百両を持ち、その客を捜すために大川端(大川とは、隅田川)にやってきたところ、その百両を振り袖姿の盗賊お嬢に奪われ、川に落ちてしまう。ところがその一部始終を見ていた盗賊お坊吉三と、百両をめぐって刀を抜いて戦う。それを止めに入ったのが、これも盗賊の和尚吉三。やがて争っていた二人は和尚の男っ気に感じ入り、三人揃って義兄弟になるべく固めの血杯を交わすことになった。」

三人吉三巴白浪のお嬢吉三


三人吉三巴白浪のお嬢吉三


 どの子も頑張っていたが、私が特にうまいなと感心したのは、お嬢吉三を演じた子である。小学校4年の10歳の男の子だが、夜鷹と話すときには女性のような高い声を出し、お坊や和尚とやり合う時には太い男の声を出すなどと使い分けている。また、目の使い方もよく、しかも女性らしい媚態も感じる本格的なものだった。

白浪五人男


白浪五人男の日本駄右衛門


 最後は、白浪五人男という賑やかな出し物だった。親分の日本駄右衛門を始めとして、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸が揃いの小袖に番笠もって演じ、皆とても格好よい。この五人男は、お上の追っ手を逃れて稲瀬川の堤までやってくるが、捕り手が待ち伏せしている。ここで最後のひと働きをしようとばかりに、潔く『成敗受けん』として啖呵をきり、ひとりひとり名乗りを上げ、捕り手に立ち向かう」というものである。ひとりひとりをよく見ると、それぞれ異なる舞台衣装と化粧が素晴らしい。日本駄右衛門は、ぼさぼさ頭でいかにも盗賊一味のリーダー風。江ノ島のお稚児さんが盗賊となった弁天小僧菊之助は、いかにもかわわい美人風。ガキの頃が手癖の悪い忠信利平は、それらしく装っているが、実は可愛い小学2年生の女の子。赤星十三郎は、こちらも可愛い小学2年生の女の子で、番傘が閉じずにちょっとあせって、見物のひとりが「暦ちゃん、頑張って」と励ましていた。最後に南郷力丸は浜育ちの無頼派ということだが、こちらも美人さんの小学3年生の女の子だった。皆さん、本当にご苦労様。とてもお上手でした。また、例大祭にでもやって来ようと思う。


白浪五人男の赤星十三郎


白浪五人男の弁天小僧菊之助




新富座こども歌舞伎( 写 真 )は、こちらから。




(2012年 2月 5日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:00 | - | - | - |
徒然220.上野東照宮の冬牡丹

上野東照宮の冬牡丹




 上野東照宮の冬牡丹(写 真)は、こちらから。


 また季節が巡ってきて、上野東照宮の冬牡丹展の時期となった。今年は、シベリアからの寒気の南下があって、とても寒い日が続く。東北から北陸にかけては、平成18年に匹敵するほどの豪雪となっている模様だ。その分、東京には寒い風が吹き、空気はカラカラに乾燥している。ところが今日は、北風が止んで、ぽかぽかとした日差しが降り注いでいる。そうだ、今日のお昼は上野方面に歩いて行って、伊豆栄の梅川亭でウナギを食し、それから例年通り上野東照宮の冬牡丹でも見て来ようかという気になった。確か、昨年も同じことをした記憶がある。幸い、右脚の肉離れも治り、ちょっと歩きたい気分である。

人立てば日ざし奪はれ寒牡丹


 そういうことで、家内とともにのんびり歩いて20分ほどで梅川亭に到着し、そこで二人とも同じ鰻重を注文した。冬ということでさすがに客の数は少なかったが、いずれも私たちのような中高年の夫婦連ればかりである。しばらく経って出てきたウナギを美味しく賞味し、肝吸いをいただいた。そこで元気になった気がして、さあ冬牡丹展に行こうと勢いよく席を立った。会場は梅川亭の裏である。中に入って、すぐに写真を撮り始めた。今年は、園内のあちこちにある札に書かれた、次のような俳句が目に留まった。最後の「人立てば 日ざし奪はれ 寒牡丹」の句は、昨年もあった。

 逞しく 凜と咲く 冬牡丹
 踏み込みし 足跡ひとつ 冬牡丹
 寒牡丹 開ききつたる 安堵かな
 白雲に 負けじと咲くや 冬牡丹
 被せ藁に かくれんぼしをり 寒牡丹
 唐衣 妍を小出しに 寒牡丹
 風くれば 風を緋色に 牡丹園
 ためらはず ほぐれしは 濃き寒牡丹
 人立てば 日ざし奪はれ 寒牡丹

寒々しい一角に咲く赤い牡丹


 先日、東京で降った雪がまだ残っている寒々しい一角があった。そこでもなんと、寒さに耐えて赤い牡丹が咲いている。そこで私も一句ひねり、

 藁かぶり 雪ニモマケズ 寒牡丹

・・・ううむ・・・宮沢賢治ではあるまいし・・・、うまくないことは重々自覚している。やはり私は写真に注力した方が無難のようだ。



上野東照宮の冬牡丹



上野東照宮の冬牡丹



上野東照宮の冬牡丹



上野東照宮の冬牡丹


 園内には、冬牡丹のほか、ロウバイや水仙、それにみつまたなどがあり、彩りを添えていた。また、五重塔を背景にしている一角は、なかなか趣がある。「かくれんばしをり」とか、「妍を小出しに」なんて、とても真似が出来ない。良いなぁ・・・

 ところで、花の色について、数日前の日経新聞に、国立科学博物館筑波実験植物園の岩科司園長の話として、こういう記事が載っていた。「花は色を持つことで、動物や昆虫との関係を強め、より効率的に子孫を残します。だから、ミツバチのような紫系統の花を好む昆虫が多い温帯では青や紫色の花が多いし、チョウや鳥など赤系統が好きな動物や昆虫が多い熱帯では、赤系統の花が多いんです。」一方、気候に関わらず世界中で多いのが黄色や白色の花で、これらは特定の動物との結びつきはあまりない。「春はまだ活動している昆虫が少ないため、花も黄色い方が多くの昆虫を集めることができ、有利だと考えられています。」ということで、確かに、きょう咲いていたロウバイや水仙は、いずれも黄色だった。


ロウバイ



ロウバイ



水仙



五重塔



我が家の近くのお店のちょっと面白い蛙






(2012年 2月 4日記)


カテゴリ:徒然の記 | 00:25 | - | - | - |
徒然219.思わぬ怪我

不忍池のゆりかもめ



 先々週の日曜日のことだった。いつもの通り、神宮の室内テニス場でテニスをしていたときのことである。テニスが始まってほぼ1時間が経過し、ダブルスの試合が佳境に入っていた。先方のサーブをブレークし続けてラブ・フォーティまで来た。あとこの一本を取れば、勝ち残れるというとき、私が定位置で相手の強いサーブを打ち返したところ、そのリターンがフラフラとした短いボールで返ってきた。私は再びそれを強いボールで打とうとして、右前方へと一気にダッシュをした。すると、右膝の関節の内側下部、ちょうど、ふくらはぎの上の付け根辺りで、プチッという何かが切れた感覚がした。それと同時に右ふくらはぎ上部全体が猛烈に痛くなり、そのダッシュの体勢のまま右脚を引きずりながら何とか歩いて行って、ネット横のベンチに腰を掛けた。

 私は一瞬、アキレス腱を切ったのかと思った。これを切ると、ブチッという鈍い大きな音がすると聞いていた。そうなると、複雑骨折と同じで大がかりな手術が必要となり、ちゃんと直るまで少なくとも3ヶ月はかかる・・・困ったなぁと思っているところへ、プレーしていた仲間とコーチが駆け寄って来てくれた。コーチに聞くと、アキレス腱を切った場合は、非常に痛くて七転八倒する状態になるという。手元のiPhone 4Sで検索したところ、アキレス腱を痛めたときは、ふくらはぎの下部がへこむそうだ。自分の右ふくらはぎを触ってみたところ、別に変化はない。しかし、ちょうど右膝関節の裏の右ふくらはぎの上部が、とても痛い。右足そのものは持ち上げられるのだが、右足を曲げるとなると痛みが走る。ああ、これは肉離れというものかもしれないと思った。

 そこで、コーチに肩を貸してもらい、片足を引きずりながらクラブハウスまで連れて行ってもらった。そこへ、係の人がビニール袋に入れた氷を持ってきてくれた。それを痛む右膝裏に押し当てて、ひと息いれたところで、回りを取り囲んでいるコーチのひとりが「救急車を呼ぶのは簡単なんですが、どうします?」と聞く。私はとっさに、そんなものを呼んでもらっても、希望する病院へ連れて行ってくれるとは限らないし、だいたい今日は日曜日だから探しにくいだろうと思い、「ああ、結構です。自分で探しますから」と断った。右膝はだんだん痛さが増すが、氷のビニール袋を左手で患部に押し当てながら、iPhone 4Sを左手で操ってまず家内にメールをして、保険証を持って来てくれるように頼んだ。家内は外出中だったので、家に取りに帰るのに、少し時間がある。

 その間に、自分で病院探しをした。まず電話したのが、かかりつけのT病院である。今日は、何科の医者が出ているかと聞くと、泌尿器科だという。ああ、これでは話にならない。そこで、休日診療の案内センターの電話番号を聞いた。03-3212-2323だった。片手がふさがっているだけでなく、そもそもペンを持っていなかったから、耳で聞いた電話番号を丸暗記するしかない。そのT病院への電話を切って、忘れないうちにその電話番号にかけた。幸い、一発で掛かった。必死になると、自然に覚えるものだと我ながら感心する。出てきた係の人に、今日、都心で整形外科を診察している病院はどこかと教えてもらう。信濃町のA病院と広尾のB病院だという。A病院なら、すぐ近くだ。その電話番号を教えてもらい、そこに掛けた。ここにも一発で掛かり、出てきた看護師さんに、「整形で診てもらいたい」とお願いした。「では、先生に代わります」と言われて出てきたその先生に、「これこれこういう症状だから、診てください」と語りかける。「いやいや、その程度ならまた月曜日にでも」などと言われる。「いや、月曜日にはこんな会議があって、是非お願いします」などと数分間やりとりし、先方が根負けしたようで、「では来て下さって結構です」ということになった。

 今から振り返ると、あのとき、たとえ救急車を呼んでも、病院の医師とのこんなやりとりはやってくれなくて、救急隊員がしばらく病院探しをした後、とんでもなく遠くのところにある病院に連れて行かれたかもしれない・・・いや、その可能性が大だったのかもしれないと思うのである。私がなぜ痛い脚を抱えて数分間粘ったかというと、ここが最も最寄りの大病院であるし、腕も良いはずだし、通院にも都合がよかったからである。ところが、いざタクシーで駆けつけてみたら、病院の窓口で、少し手間取った。というのは、診察券がなかったからだ。こういう場合、診察券があれば、スムーズである。でないと、救急診療では相手にしてもらえない可能性が高い。だから、軽いつまらない病気でもよいので、普段から信頼できる大病院の何ヶ所かに掛かって置いて、診察券を取得しておくということは、大都市に暮らす者の生活の知恵である。いずれにせよ、この場合、私はあらかじめドクターの了解を得ているということで押し通し、受け付けてもらった。後から家内に話すと、「よくやるわねぇ。仕事と同じ交渉上手ね」などと冷やかされてしまった。人間、窮すると何でも可能となる。

 病院には、テニス場の係の人が付き添ってくれて、肩を貸してくれたので、何とか玄関までたどり着き、そこから車椅子に乗せてもらって動いた。受付を終えてから、救急診察室に入り、そこで待つことにした。そうこうしているうちに、保険証を持って家内が来てくれて、合流することが出来た。そこで待っていると、救急隊員が押すストレッチャーに乗せられた救急患者が、それこそ15分おきくらいに次から次へとやって来る。中には、額がざっくり割れて、血だらけの人がいると思えば、息も絶え絶えの顔が真っ白になったおばあさんや、青い顔をしてぴくりとも動かない若い女性もいる。これは、まさに映画のER(Emergency Room)の世界そのものである。そんな人たちが流れ作業のように私の前を通過する。医師は大変だ。私の娘は、医師としてこういうところに勤務経験があるが、ERは時間と体力と気力の勝負だと言っていたが、その意味がよくわかる。

 そんな中、右膝がひどく痛いくらいの私が混じってよいものかと一瞬思ったが、まあここまで来られたことだし、翌日には大事な仕事もあるからと、そのままじっと待った。右手は患部に氷袋を押しつけているから使えないので、左手でiPhone 4Sを操って、「肉離れ」を検索する。出てきた説明を読むと、やはり冷やすのが良いらしい。「腱断裂」という表現もあったが、区別がよくわからない。前者が俗称で後者が専門用語か?それとも前者は筋肉のことか?まあ、いずれにせよ、治療法は患部をギプスで固定するとあるが、それだと、仕事が出来ないではないか・・・もう少し、軽い処置はないものかと思った。そんなことをやっているうちに、3時間ほど経過して、私の名前がようやく呼ばれて医師の診察を受けることが出来た。まずレントゲン写真を撮らなければということになり、レントゲン室に行く。出来上がった写真を見て、医師は、膝関節の骨は大丈夫だと言った。確かに、大腿骨や膝の半月板などは綺麗に写っている・・・これは良しと・・・。それから医師は、右膝全体を観察し、ふくらはぎに指を当てて痛い箇所を特定した。私が思ったように、幸いアキレス腱は大丈夫で、ふくらはぎの上部の平滑筋の付け根辺りが損傷しているらしいという。私が「それは、いわゆる肉離れというものですか」と聞くと、そうだという。さらに続いて「肉離れと腱断裂とはどう違うのですか」と聞くと、「それは同じもので、筋肉が骨にくっつくところが固くなっていてそれが腱だから、要するに柔らかい筋肉かそれが固くなった腱のどこかに損傷があるという意味だ」という。ははぁ、なるほどと納得した。

 医師の説明によると、ふくらはぎの筋肉は、足首の方よりその両側から来る筋肉の腱が膝の関節の裏側で交差してつながっているのと、真ん中にもうひとつの筋肉があってそれがまたその膝の関節の裏側の正面に繋がっているが、その辺りで損傷しているのではないかということだった。とりあえず、本日のところは湿布を貼って固く関節を縛っておくので、明日また来てもらってMRIを撮れば、正確な診断が出来るという。ただ、右足が上がるようなので、そんな大きな怪我とは思えないという診断をいただいた。これで安心して眠れるというものだ。その日は、タクシーで家に帰り、じんじん痛む右脚を少し上に置いて寝た。

 翌月曜日の朝早く、足を引きずりながらやっとのことで歩いてタクシーに乗り込み、整形外科の大先生の診察を受けた。大先生いわく「MRIは当病院では混雑しているので、別に紹介する病院に行って撮ってきてください。それを見て確定診断をしますが、軽い腱断裂のようですね。この程度で済んでよかったと思います」・・・いや本当に、我ながら運が良かった。一時は、松葉杖姿も頭に浮かんだことを思えば、しばらく脚を引きずりながら歩くことくらい、大したことはない。その指示のとおり、別の病院でMRIを撮った。MRIというのはそれで部屋がいっぱいになるほど大きな機械で、カタカタカタッとしょっちゅう騒音がして、うるさいことこの上ない。耳栓をもらったが、そんなものでは役に立たないくらいの騒音である。たかが膝一つ撮る程度のことで、20分間もかかった。動かないでと言われたが、実は途中、寝てしまっていた。我ながら、あのうるさい音の中で、よく眠れたものだ・・・。自分は繊細なつもりだったが、大胆というか、図太いというか、それとも鈍いというか、本当はそちら系だったのかもしれない。

 その写真を持って、K病院に戻ると、「ああ、やはりふくらはぎの上部に3ヶ所ほど明らかな出血があります」といわれた。「これならギプスを付けるほどではなく、湿布を貼り、できれば3週間ほど、動かさないこと、ただし申し上げておきますが、3週間経って痛くなくなると、直ったと勘違いして再び同じような運動をする人が多いけれど、そうするとまた同じ所を損傷します。これは、直ったといってもまだ筋肉が細いので、切れやすいからです。だから、3ヶ月間ほどは、激しい運動はしないで、損傷したところをマッサージしながら鍛えてください。そうすれば、元に戻ります」とのこと。なるほどと納得し、テニス場には、とりあえず3ヶ月間、休むと連絡した。

 その日から、約1週間ほどは、痛めた右足を引きずるようにして歩き、いささか格好が悪かった。右脚は前に蹴り出せるのだけれど、その脚足を後方に蹴って前に進むことが出来ない。だから、2馬力だったものが1馬力になったようなもので、歩く速度は普通の人の半分に落ちた。膝が曲がらないから階段も歩けないので、なるべくエレベーターに乗ることにした。そうこうしているうちに、徐々に痛みは引いていき、更に1週間経った頃には、ゆっくり歩く分には痛くなくなった。そして3週間目となる本日、やっと普通に戻った。

 これから、3ヶ月間、医師の指示に従って、あまり激しい運動は避け、徐々に右脚を慣らしていこうと思っている。のんびり歩くのが一番かもしれない。思わぬ怪我だったが、軽くて良かった。しかし、つくづく思うに、若いサッカー選手なども肉離れは起こすが、今回の出来事を見ると、私の場合には、寄る年波には勝てず、頭の指令に身体がついて行けなくなったのが原因なのだろう。そうすると、運動種目を変えることが必要なのかもしれない。今日の日経新聞の記事を読んでいると、その中で、新浪ローソン社長が「週2回ジムに通って、へとへとに疲れるまでに運動し・・・徹底的に身体をいじめ・・・」というようなことをやっていたら、「やり過ぎてひざの半月板が割れてしまった」というのがあった。皆さん、年をとると、私と同じような目に遭っているようだ。


不忍池の鴨





(2012年 2月 4日記)


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