徒然212.日本橋架橋百年祭

相馬野馬追


 日本橋架橋百年祭というお祭りが日本橋で開かれるというので、カメラを抱えて出かけた。このお祭りの趣旨は、そのHPによると、「江戸開府とともに架けられ、現在も道路元標のある道の起点として親しまれる重要文化財『日本橋』。1911年に現在(20代目)の石造二連アーチ橋に架け替えられてから、4月3日で架橋100周年を迎えました。名橋『日本橋』保存会ならびに日本橋京橋まつり実行委員会は、これを記念して、『日本橋架橋百年祭』を開催いたします」。それを盛り上げるために、「日本橋、京橋の地元団体、官公署関係団体をはじめとするマーチングパレードが、オープニングを飾ります」ということらしい。

 かつては東海道など全国に通ずる五街道の起点となったその日本橋の橋の上で、「架橋100周年記念テープカットセレモニーと、江戸時代に橋の完成を祝して行われたとされる架橋の儀式『三代三夫婦渡り初め』を再現」したり、「御用船、荷舟、嫁入り舟など当時の様子さながらに約15隻の和船が小江戸3市(埼玉県川越市・栃木県栃木市・千葉県香取市)を出発し、日本橋船着場に集結する」ということだったが、その辺りはもう黒山の人だかりでとても近づけるものではなかった。そこで、コレド日本橋の前にいることにした。

 そうして待っていたところ、ちょうどお昼になった頃に、向こうの日本橋の橋付近で何か始まったようである。あとからテレビのニュースで知ったのだが、日本橋茅場町にお住まいの岸上米蔵さん(百歳)、その息子さん、そしてお孫さんの三代にわたるご夫婦が、揃ってゆっくりと日本橋を歩いて渡っていた。テレビの画面で見る限り、先頭の米蔵さんは百歳という年齢にかかわらず、まだまだ矍鑠としておられるのを見て驚いた次第である。そのほか、ときたまバンバンという爆発のような音が聞こえて白い煙が何本か上がったりしていたが、私のところからはあまりに遠くて、何が行われているか、いまひとつよくわからなかった。これも家に帰ってテレビを見たら、空砲だが川越藩火縄銃鉄砲隊によって本物の火縄銃が発射されたりしていたらしい。そういうことが行われているとはつゆ知らず、こちらは寒風の中をひたすら待ち続けていたら、ようやく12時45分頃にパレードが、こちらの方へと動き出した。

東京消防庁音楽隊 カラーガーズ隊



 第1グループは、オープニングパレードである。

 1. 東京消防庁音楽隊 カラーガーズ隊というのは、よく組織された女性のマーチング・バンドであるが、特に両側から「Capital Tokyo Fire Bird」という旗をもった二人の女の子が満面の笑みを浮かべて、楽しそうな表情で先頭をきって歩いていくのが印象的だった。パレードなるもの、こうでなければいけないという見本のようなものである。

 2.クラシックカーパレードというのは、昔懐かしいビンテージ・カー何台かに分乗して、ただゆっくり走るというものである。乗っている人の中でお名前がわかったのは、扇千景さん、和泉雅子さんくらいで、あとはきものの女王さんなどが車の中から手を振っていた。

 3.三代三夫婦、これがさきほどの岸上米藏さんたち。

 4. 小江戸3市(川越市・栃木市・香取市)代表者

川越藩火縄銃鉄砲隊保存会



 5.川越藩火縄銃鉄砲隊保存会 → 遠くから見ていると、かなりの爆発音と煙が立ち上っていたが、その発射の瞬間を間近に見られなくて残念だった。

 6. 日本橋中学校吹奏楽部

 7. 日本橋女学館吹奏楽部

 8. 城東小学校

 第2グループは、東北復興祈念パレードである。あの激烈な震災と津波の被害を受けた東北各地から、そもそもこういう東京でのお祭りに参加しようという気になっていただいたことだけでも、誠に有り難いことである。本日参加された皆さんは、それぞれに頑張っておられた。

仙臺すずめ踊り


仙臺すずめ踊り



 1. 仙臺すずめ踊りというのは、なかなか軽やかな印象を受ける踊りで、両手に持った色とりどりの扇子を開いたり回したりしながら、体を上下に動かして、ぱっと止まったりする。すずめの動きを模したといわれれば、なるほどそうかもしれないという気もする。しかし、見た目よりは動くのが大変で、これは相当疲れるのではないかと思った。中に、2〜3歳くらいの男の子が参加していて、お父さんらしき人が腰を落としてポーズを決めると、それを真似して、とても可愛かった。

金津流鹿踊、北藤根鬼剣舞、川原鎧剣舞、浦浜念仏剣舞


金津流鹿踊、北藤根鬼剣舞、川原鎧剣舞、浦浜念仏剣舞


金津流鹿踊、北藤根鬼剣舞、川原鎧剣舞、浦浜念仏剣舞


金津流鹿踊、北藤根鬼剣舞、川原鎧剣舞、浦浜念仏剣舞



 次に、2.金津流鹿踊 3.北藤根鬼剣舞 4.川原鎧剣舞 5.浦浜念仏剣舞というのは、秋田のなまはげを彷彿とさせる異様な面といでたちで、剣を振るって舞うというものである。非常に興味深かったけれど、誠に恐縮ながら、初めて、しかもこれらを一度に見た私たちには、もうどれがどれやら、はっきりと区別は付かなかった。しかし、それぞれに深い言われと味わいがあるのだと思う。いつか東北各地を訪ねて、このような民族のルーツとでもいうべきものを、その地で話を聞き、実際に見てみたいものである。

山田町八木節



 以上の剣舞とは少し毛色が変わっていたのが、6.山田町八木節である。これは、蛇の目傘を不思議な拍子を付けて、開いて回して閉じてを繰り返すものだった。これもかなり体力を使いそうで、演じていたのは若い男女の方ばかりだったけれど、小さめの傘を持って参加していた中学生らしき男の子も混じっていて、なかなか熱演していた。



 アスファルトの上に、パカパカッと蹄の音がして、皆が度肝を抜かれたのが、7.相馬野馬追 騎馬武者である。まずその馬たちの美しいこと・・・栗毛、白、白と青など、色は綺麗だし、精悍な表情だし、またそれに騎乗している武士の表情と格好はもう本物だ・・・これは凄いと、見物人すべてが感動した。それ騎馬武者たちが、法螺貝を吹くときなど、本当に来て見てよかったと感激したほどである。考えてみると、この皆さん方は、津波と原発という二重のダメージを受けた福島県相馬市から参加されたのである。震災の時には馬を避難させるなど大変だったと聞くが、よく参加していただいたと感謝したい。



 最後は、第3グループ 〜 架橋100周年記念パレードで、日枝神社、神田明神より地元氏子町会の神輿だった。






 日本橋架橋百年祭(写 真)は、こちらから。



(2011年10月30日記)


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古河庭園の秋薔薇

 また今年も、駒込の旧古河庭園に行き、秋の薔薇を撮ってきた。ご覧いただければ幸いである。

 古河庭園の秋薔薇 2011年(写 真)は、こちらから。

 古河庭園の春薔薇 2010年(写 真)は、こちらから。






古河庭園の秋薔薇フェスティバル


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇フェスティバル


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇フェスティバル


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇


古河庭園の秋薔薇





(2011年10月29日記)


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iPhone4とiOS5の世界

私のiPhone4の画面


 2011年10月5日、長年アップル(Apple)を率いたスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、ガンで亡くなった。享年56歳である。彼はアップル社を設立して1984年、最初の実用パーソナル・コンピューターであるマッキントッシュを作り、それにマウス、アイコン、フォルダという人間とコンピューターとの間のインターフェイスを世界で初めて取り入れて大きな評判をよんだ・・・と思ったら翌85年には社内抗争の果てに会社を追い出された。ところが約10年後になってアップル社に復帰し、1998年、カラフルで洒落たデザインのパソコン、iMac を発売した。私も当時、この斬新なデザインのパソコンを買おうかとも考えたが、その頃にはパソコンは既にWindowsが主流となっていたことから、買うのはやめにした。

 しかし、そこで進歩が止まっていては、現在のアップルはなかった。スティーブ・ジョブズが偉いのは、次世代はハードではなくてソフトの勝負だとよく知っていたところである。2001年、アップルは携帯音楽プレーヤーのiPodを売り出した。それだけなら、ソニーが作り出したウォークマンと機能は同じである。ところが当時、音楽の著作権を無視した違法ダウンロードが横行していたことから、それに音楽会社は反発を強めていた。そのとき、ひとつひとつの金額はわずかではあるが、世界中のたくさんのユーザーから広く薄くお金を回収できる手段として、音楽のネット配信システムであるiTunesを提案し、名だたる音楽会社側を説き伏せていった。これが大成功を収めた。ソニーをはじめとする他の電機メーカーはそのiTunes配信システムが持つ重大な意味に全く気付かずに、iPodを単にプレーヤー機器のひとつとしてしか見ていなかったので、大きく出遅れた。そうこうしているうちに、このiPodの累計販売台数は約3億台、iTunesでの累計販売楽曲数は約160億曲となっている(いずれも、2011年10月現在)。今年、アップル社は、株式の時価総額でエクソンを抜いた。

iTunes

AppStore



 このiTunes(現在のAppStore)は、実は音楽以外にも、大きな可能性を秘めていた。後年スティーブ・ジョブズは、携帯電話とiPodとパソコンを融合したiPhoneを発売するが、そこでも使われ得るアプリと呼ばれるソフトを、このiTunes配信システムで売り始めたのである。私はかつて、このように書いた。「iPhoneにアプリとよぶプログラムの組み込みを許し、全世界の人に、プログラムの作成と販売を呼び掛けた。その結果、何十万という数のアプリが集まった。有償のものだけでなく、無償のものもあるが、その中には人気をよんで大勢のユーザーにダウンロードされ、これで一躍、億万長者になった幸運な人もいるという。つまり、ユーザーにとって、自分のiPhoneをカスタマイズできるし、普通の人が趣味で作った初めてのプログラミングでも、それが大勢の人に支持されて購入されれば一攫千金も夢ではない。それに、その配信でアップルもちゃんと儲けられるという三方が得をする仕組みである。まさにインターネット時代ならではのビジネス・モデルである。」

 私も昨年7月にiPhone4を買って毎日使っているが、いやもうこれほど便利な機器はない。これはそもそもが携帯電話だし、デジタルカメラとしても十分に使えるし、ICレコーダーも兼ねているし、コンパスも地図帳も入っているし、現在地と目的地とを結ぶ路線がわかるからカーナビも要らない。株価、為替レート、ニュースもわかるし、インターネット経由で何でも検索できる。文庫本1万冊も入っている上に、ゲームが好きな人はニンテンドーのゲーム機代わりにも使える。もちろん、自宅パソコンの文書や写真もこれで見ることができるし、肝心の電話もスカイプを使えばタダだ。そういうわけで、一台が何役にも相当する究極のマシンなのである。日本の携帯電話は、ガラパゴス環境下で育ったのであるが、それと比べてiPhone4にないものはというと、おさいふケータイくらいである。しかし、それも私はiPhone4のケースにSuicaを入れているので、これで難なく支払うことができるし、もちろん電車の改札もこれで通っている。そういうわけで、今やiPhone4は、私にとって家内に次ぐ大事な人生の相棒となっている。

私のiPhone4の画面



 最近、そのiPhone4Gの世界に、一波乱が巻き起こった。2011年10月14日から、次世代のiPhoneが発売されるというのである。新聞がiPhone5か?と書き立てるので、一時は皆がそういう気分になったが、実際に蓋をあけてみると外観もほぼ同じで、名称もiPhone4Sだった。一時は皆がっかりして、アップルの株価も下がったほどである。しかし、その発売と同時に、iOS5も発表された。これは、iPhone4SのOSであるだけでなく、私の持っている一世代前のiPhone4にもインストールできる。つまり、iPhone4を動かしている既存のiOS4に代えて、これにアップデートできるという。それが13日午前2時からダウンロードして、各自のiPhone4にインストールできるようになった。好きな人の中には、眠い眼をこすりながらその時刻から早速ダウン・ロードした人もいたらしいが、私はたぶん接続が殺到してうまくいかないのではないかと思ったのと、そんな時刻にアップデートするのはご免被りたいので、すぐにはしなかった。すると案の定、その時刻にiOS5をダウンロードした人の中には、エラー:3200というのが続出したそうだ。まあ、何かが幸いするか、わからないものである。

 私が14日の夜にダウンロードしたときには、もうエラー騒ぎは収まっていて、無事にインストールできた。インストールするときは私はいつもそうなのだが、何の解説書も見ないでやるのである。そうすると、そのソフトというかアプリの特徴が良くわかる。もちろん、少し戸惑うこともないわけではなかったが、いつもの知恵と馬力を発揮して、ともかくうまく行った。しかし、後日ソフトバンクのHPを見ると、詳しくその手順が書いてあった。もちろん、事前にこういうものがあると知っていたのなら、それで学んでインストールした方が早くて確実なので、まずこちらを見てから行うことをお勧めしたい。

 さて、iTunes経由でiPhoneのiOS5にアップデートした後の感想であるが、一見して、ほとんど変わっていないように思えるものの、いくつかの点で非常に使いやすくなっている。第1に、iCloudなるものが用意されて、5ギガバイト内なら無料でクラウド上にバックアップが出来るようになった。これまではiTunes経由でのバックアップという方法しかなかったが、iCloud上でならパソコンは不要で、これに直接バックアップできる。最初、私が疑問に思ったのは、私のiPhone4は32ギガバイトのモデルで、そのうち既に20ギガバイトも使っているから、5ギガバイトという容量は少なすぎるのではないかというものである。ところが実際にやってみると、iCloud上では3ギガバイトしか使っていなくて、まだ2ギガバイトの余裕がある。なぜかと考えてみたら、まず音楽ファイルで私がCDから入れたものは、iCloud上にはバックアップされない。iCloud上にはバックアップされる音楽ファイルは、iTunesで買ったものだけなのである。

 私の場合は、それはごく少ない。音楽はたいてい、まずCDをiTunesに読み込ませ、そのiTunes経由で私のiPhone4にコピーしたものだからである。そのほか、アプリケーションも私のiPhone4上では10ギガバイト近くあるのだが、それもバックアップの対象になってはいない。なるほど、これはよく考えてある。なるべく無駄な容量を使わせないという設計のようだ。つまり、iTunesで買った音楽も、アプリケーションも、もとは共通のファイルだから、いちいち個人のiCloud上にバックアップする必要がない。そんなことをしていたら、あっという間にiCloudのスペースがいっぱいになるから、バックアップするものは、個人のデータだけに限っているようなのである。なお、それでは完全なバックアップは出来ないのではないか、補助的にiTunesのバックアップが必要ではないかと思うところである、この点、iOS5の下では「iTunes Wifi同期」という機能があって、「電源およびWifiに接続されているときに、コンピューターのiTunesに自動的に同期され」るという説明があり、その条件が整ったときに、確かに同期がされていた。

 第2に、通知センターというものがあって、画面の上から下に引き下げるように指を動かす(フリックする)と出て来る。そこに天候、経済データ、スケジュール、メールなどが一覧として出て来るように設定したり、あるいはメールなどはその表示方法と表示場所を好きに設定できる。これも、一覧性を高めるなかなか良い工夫である。第3に、そのほか細かな工夫もある。たとえばこれまでは、写真を撮りたいと思っても、いちいちパスワードを入れてiPhone4を立ち上げる必要があったが、iOS5をインストールした後は、メインの開始ボタンを2回押すだけで、すぐに写真が撮れるし、音楽も再生できるようになった。また、たとえば電話の履歴については、従来は一括して削除するほかなかったが、今回は一件ごとに削除したり、一部をそのまま残せるようになった。

 ただその反面、私がまだ使いこなせていない部分もある。たとえばリマインダーというのは、いわゆるToDOアプリだと思うが、今の私程度の仕事や予定では、Gmailをベースにしたスケジュール管理で十分である。それに、今回新しく加わったニューススタンドというのも、いまひとつ使い方がわからない。たぶんこれは雑誌の販売を目的としているのだろうが、まだ数が少ないし、あっても欧米の雑誌ばかりで、日本人向けのものは全くない。それだけでなく、使い勝手が非常に悪い。たとえば無料とあるからダウンロードしたら、その雑誌を読むにはいきなり有料(1件500円)だと表示されたりして、いささか混乱しているみたいである。まだまだ電子書籍時代の入り口で戸惑っているという感じがする。

 そのほか、話によると、iPhone4Sでは、Siri(シリ)というアプリが使えて、これがとっても面白いそうだ。いわば人口知能で、質問すると検索して適当な答えをくれたり、あるいは時間や天候を聞けるそうだ。今でも、グーグルで検索したり、あるいは電話をするときに、マイクに話すと入力してくれるが、それを進化させたようなものである。このSiriとの面白いやりとりを集めて紹介することも行われているようである。たとえばAFPによると「主人に『死体を隠したいんだけど』と問われたシリは、貯水池、沼、ゴミ捨て場などを提案。さらに、酔っぱらった人にはタクシー会社のリストを差し出し、ムラムラしていると伝えた主人にはコールガールのサービスを検索してみせた。人生の意味を問われれば、『わからないですけど、そのためのアプリがあると思います』と返したり、『他人にやさしくしたり、高脂肪食を避けたり、たまにはいい本を読みなさい」と助言したりもする」。関係ないかもしれないが、そういえば英語で「Silly」というのは、馬鹿という意味だったなと思ったりする。現在のところ、iOS5をインストールしたiPhone4では使えないので、大変残念である。現在のところは、英語、独語、仏語にしか対応していないらしくて、日本人が変な英語で質問すると、「あなたのいうことは、理解できません」といわれるらしい。まあ、早晩、日本語に対応してくれるだろうから、それまでこの楽しみをとっておくことにしよう。

AFP通信ニュース

ニュース(Googleニュースリーダー)



 せっかくだからここで、最近、気に入っているアプリを紹介しておこう。前回、「iPhone4に馴染んで80日」などで紹介したアプリ以外のものである。最初は、「AFP通信ニュース」と、たぶんあのグーグルがやっているものと思うが、「ニュース(Googleニュースリーダー)」である。前者は、国際的なニュースと科学的なニュースに強くて、特に天文、考古、生物、ITなどの最新のニュースに触れることができ、とても参考になる。ここに取り上げられると、何日か遅れで日本の新聞に載ったりする。このような観点の記事は、日本の新聞にはとても書けないと思われるレベルのもので、専門の科学記者がいるからだろう。この中で参考になるニュースは、写真とともにEvernoteに入れておくことにしている。後者のGoogleニュースリーダーは、従来からのGニュースを拡充したものと思われるが、タップすると、横書きの記事が積まれて縦に並べられている画面が出て、そのひとつひとつの記事の右側には写真のサムネイルがある。それを上から下へとフリックするだけで、自動的に記事が更新される。個々の記事をタップするとある程度の内容が示されるが、全体を詳しく読むには、さらにそれをタップしなければならない。すると、47都道府県の各地方新聞社の記事や、在京のテレビ会社の記事が読めるというものである。

豊平文庫

青空文庫

角川古典名作



 豊平文庫も、文庫本代わりとなる便利なアプリだ。あの青空文庫のスマートフォン版のようで、現在1万冊余りの本がそのまま読める。このアプリをインストールするときにわずか85円を支払うだけで、あとはいくら読んでも無料というのがよい。私が若かった頃の時代は、あの小さな字で印刷された岩波文庫を何冊持っているかがインテリかどうかのメルクマールであった。これからは、文字通り電子書籍の時代なのである。ただし、これは著作権切れのものということなので、本といっても戦前のものばかりであるが、私は、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外、中島敦などを愛読している。一方、豊平文庫ではなくて、Skybookというアプリも入れていて、これで寺田寅彦のエッセイ100冊を読み終わろうとしている。私は科学者ではないが、日常の観察の視点が、この大家と非常に近いことがわかり、とても親近感を覚えるに至った。角川古典名作という角川文庫のアプリも入れてみたが、現代語訳がいささかお粗末かつ軽率な感じがして、徒然草を買っただけにしている。

聴くニュース

TuneIn



 最近とても気に入っているのが、耳から聞くニュースである。「聴くニュース」というのは、NHKのニュースやアメリカABCのニュースなどを聞かせてくれる。NHKの場合は、午前7時、正午、午後3時、午後7時、午後10時という具合である。だから、ニュースを聞きのがしたというときには、実に便利であり、もう手放せないアプリのひとつである。加えて、「TuneIn」というアプリは、世界中のたぶん3万局くらいのラジオ放送が聞けるという信じられないアプリである。FM局だけかと思ったら、ちゃんと普通のAMラジオ局も聞こえる。ただし、日本のラジオ局は、FM局以外はダメなようだ。「Rediko(ラジコ)」という専用アプリを使えということかもしれない。しかしこのラジコ、とても使いにくいのが問題である。ところでこの「TuneIn」話を戻すと、たとえばアルゼンチンに合わせると、スペイン語が聞こえてくる。湘南に合わせると、地元のFMが聞ける。日本語ならわかるが、外国語は英語しかわからないので、イギリスやアメリカの片田舎の局に合わせてそのローカルな話題を聞いていると、まるでその町に住み始めたような気分になってくるから、面白い。ぜひ、お勧めしたいアプリである。

i手帳



 昨年9月に、「i手帳」というアプリを買って、それ以来、毎日欠かさずに日記をつけている。私は、日記なるものには、小さい頃に何回も挑戦したが、いつも三日坊主に終わっていて、丸1年以上続いたのは、これが初めてである。これもそのはずで、単に予定を入力したり文章を入れるだけでなく、写真を張り付け、メールをそのまま転載し、カラフルな線を描くなど、自由自在にカスタマイズできるから、書いてみて、また読んでみて、とても楽しくなるからである。しかも写真を入れたままバックアップできるし、PDFでとっておくこともできる。それをぱらぱらめくっていくと、あのときには、こんなことがあった、予定はどうだという普通の日記以上に、自分の人生の軌跡を読んでいるようで、とても楽しくなる。

乗換案内

駅すぱあと

路線図

東京バス案内



 交通関係では、パソコン版で有名な「乗換案内」というソフトによくお世話になっている。これは、出発駅と目指す到着駅、そして出発か到着の時間を入れると、経路と時間などが示されるものである。途中で、経由駅を入れられるのも、なかなか便利な点である。ただ、ときどきとんでもないルートを示すこともあるので、おかしいなと思ったり、それが大事な用事のときには「駅すぱあと」という同種のアプリと、「路線図」という東京圏のあらゆる交通機関が描かれたマップを使って、ダブル・チェックを行っている。これらを総合すると、まあそうは間違わないというのがこれまでの経験である。たまに都バスに乗ることもあるが、それには東京都交通局の「東京バス案内」が便利である。

三菱東京UFJ銀行

東海道新幹線

日本航空



 そのほか、銀行・証券関係では、私のメイン銀行と証券会社は、既にiPhone用のアプリを出していて、まあ問題なく使える。JR、JAL、ANAの予約もiPhone上で可能。カード会社の請求も、iPhoneでチェックできるが、残念ながらまだiPhone専用アプリがないので、小さい画面にパソコン版を呼び出して操作しているが、そう難しいことはしていないので、十分に用を足すことが出来る。

AMAZON

楽天市場



iPhone上で買い物をするのはAMAZONと楽天市場であるが、それぞれのiPhone専用アプリは問題なく動く。実はこのブログも、iPhoneからの投稿である。このように、いまや私からiPhoneが取り上げられたら、手と足はもちろん、頭がもがれたも同然である。人間の頭のインターネット上の分身のようなものだ・・・つくづく思うが、スティーブ・ジョブズは、とんでもないものをこの世に残して、しかもそれと気づかずに逝ってしまったのではないだろうか。

 話は変わるが、10月27日付けの新聞に「スマホが凍るとき」と題して、スマートフォンが激増していて、このままでいくと早ければ2014年度には回線がパンクするという記事が載っていた。というのは、10年度末のスマホの比率は8.8%だったものが、15年度末には57%まで拡大する見通しで、これに拍車をかけているのが、通信量を激増させるクラウドの普及だという。その結果、携帯電話の通信量は、15年には10年比で26倍になる見通しとのこと。混雑の原因となっているのは、ソフトバンクでは、上位2%のヘビーユーザーで全体の4割、ドコモでは上位1%が3分の1を占めているとのこと。あれあれ、そういえば、私へのパケット通信の請求額を見ると、本年5月には45万円、6月には70万円、7月には50万円、8月には49万円、9月には36万円などというとんでもない額だった。もちろん定額制にしているから毎月支払うのは高々4200円程度となっているが・・・確かに、これは迷惑かもしれない。これでも、家では光ファイバーと無線ルーターで繋いでWifiを使っているし、オフィスでもWifi機器で接続しているというのに、なぜこれほどの額の通信量になるのか、私にもよくわからないのである。

 実は今日、ソフトバンクから突然電話がかかってきて、FONのルーターを差し上げたいというので、それは今のiPhoneを買ったときにいただいていて、家にあると答えた。すると今度は外出先でFONに接続できるWifi接続の一括設定をしているかと聞くので、とりあえず教えてといって聞いてみたら、それは既に私が設定済みのものだった。それで電話は終わったが、ははぁ、これは回線のヘビーユーザーに対して、Wifi接続を使わせようという魂胆なのかと思ったが、どうやらこれは当たっているようである。なるほど、電話会社も、苦労しているというわけだ。とりわけ今度のiPhone4Sからは、ソフトバンクのドル箱であるiPhoneの独占販売が崩れてauも販売に参入してきた。しかもauは、直近のiPhone4S販売動向を踏まえ、その当初の販売目標を400万台から500万台へと引き上げた。これで、iPhone争奪戦がますます激しくなりそうだ。そんな中で回線が繋がらないとなると、競争に負けてしまうからだろう。いずれにせよ、消費者にそのメリットが及ぶような自由競争が行われることを望みたい。

(2011年10月27日記)





【後日談】 iPhone4Sを購入

 12月10日、ついに私もiPhone4Sを買ってしまった。それまで使っていたiPhone4は、家内に進呈した。というのは、ソフトバンクがiPhone家族無料キャンペーンというのをやっていて、iPhone4からiPhone4Sへ機種変更し、従来使っていたiPhone4を家族がそのまま使う場合、100MBまで無料、最大月4980円の定額になるというのである。その代わり、従来から家内が使っていた電話番号は使えなくなる。これが難点ではあるが、iPhone4を使うチャンスだと言って、家内に頼んで実現した。その代わり、家内の電話帳をiPhone4に打ち込み、同時に家族に対して変更のお知らせメールを送るというお仕事を仰せつかったが、これくらいはお安いご用で朝飯前とばかりに、嬉々として処理した。

 ソフトバンクのショップに行ったところ、さほど待たずに応対してくれて、パソコンを通じて手続きをしていただいた。iPhone4Sの在庫があるかどうか確認するというので、見てもらったところ、64ギガのホワイトならあった。そこで、すぐその場で入手することができた。ところが、家に帰って気づいたことは、iTunesによるバックアップを前々日に行っていたものの、昨日にも少し変更を加えているので、それを復元できないのは困るということで、試しにiCloudによる復元を試みることにした。

 それでiCloudによる復元を開始したのだが、これがまたスピードが遅くて遅くて、午後2時から翌日明け方の午前5時頃までかかってしまった。たった3ギガ程度なのに、どうしたことだと思った。全世界からアップルのデータセンターにアクセスが集中しているのが原因なのかとも考えるが、詳しいことはわからない。でも、ともあれ復元が終わったので、確認してみたところ、アプリのデータを始めその並び方まで、完全に元通りとなっていた。それは良いのだが、音楽データやビデオのデータはiCloudによるバックアップの対象外である。これらは、iTunesから復元した。

 早速、iPhone4Sを使ってみた。反応は早いし、特段の問題はない。今まで使っていたカバーもそのまま使える。強いて言えば、バッテリーの減り方が尋常ではないほどの早さであるが、暇になったらアプリの設定を再検討してみようと思う。オペレーション・システムとしては、iOS5を使ってきたからiPhone4Sのほとんどの機能を知っているが、Siriだけは出来なかった。そこで試してみたら、まあちゃんと反応してくれて、こちらの言うこともわかるようだ。ただ、時々「I don't quite understand what you said.」などと言われるのが口惜しい。特に「quite」なんて言われるよりは、「もっと正しい発音でしゃべってください」と言われた方が、マシかもしれない。まあ、それはともかく、毎日、この人口知能と妙な英語の会話を楽しんでいる。来年には、日本語版を出すとマイクロソフトの幹部がテレビで語っていたから、とても待ち遠しい。そうなったら、面白い会話をして、皆さんにも紹介したいと思っている。来年は、期待の持てる年になりそうだ。



(2011年12月18日追記)


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新司法試験三振に負けず前を向いて歩こう

アメリカ梯梧


 私のエッセイ「新司法試験に三振して」を読んだ方から、ある日、次のようなメールが送られてきた。

悠々人生の著者様

 突然のメール、失礼いたします。悠々人生のエッセイ「新司法試験に三振して」を読みメールさせていただきました。私も今年で三振となった者です。まだ勉強不足を感じていましたし、三振制度を前提に試験に参加してきましたので、不合格・三振という結果はしっかり受け止め、次のステップへ向けて動きだしていました。

 しかし、就業未経験の者が職を得ることは困難で、やっと漕ぎ着けた面接でも妙齢の女性であることから結婚や出産についての質問をされて、落ち込む日々です。すると、良くないと思いつつ、純粋未修からスタートして合格点数には数点足らないという地点まで辿り着いたのに、道が閉ざされた不条理さへの怒りが頭をもたげてきます。

 そんな中、エッセイを拝見し、三振した者へ送られたメールに励まされ、『前進』していきたいという気持ちはあるのですが、一方で『前進』することに心が追いつけてない状態です。このような心理状態から抜け出すにはどのようにすればよいのでしょうか。





 この何とも切なくなるメールを送ってきてくださった方に、私は、次のような返信をした。

 メールを拝見して、私も胸が痛くなりました。お気持ちは、よくわかります。実は私の身近にも、法科大学院で学んで修了し、司法試験を三回受け続け、やはり夢がかなわなくて、会社に就職した20歳台の女の子がいます。それからしばらく経つのに、「合格できなかったことが信じられない。あとわずかだったのに・・・結婚するなんて、イメージがわかない」と未だに申しております。被った心の痛みは、そんなに簡単になくなるものではないのです。ある程度の年月と、それに代わる新しい目標が必要でしょう。

 ただ、あなたの場合、未修から出発して、あと数点のところまで行ったということは、それはそれは素晴らしいことです。よく頑張ったものだと思います。今さら言っても仕方のないことですが、合格者が当初喧伝されていたように3000人台であれば、何の問題もなく今頃は修習にいそしんでおられる頃かと思うと、やりきれない思いがします。東日本大震災は天災なので仕方がないと諦めがつかないわけでもないですが、こちらは明らかに政策変更という人災ですから、本当に問題ですね。お怒りになりたい気持ちは、もっともなことです。よくわかります。

 ところで、私自身のことになりますが、実は同じような経験があります。高校生のとき、私は、「世界を相手に大きな仕事をしたい、そのためには東京大学に入ろう」と思って、田舎で頑張って勉強をしていました。何しろ田舎なものですから、受験についてお手本になる人がいないばかりか、そもそも何の情報もありません。今なら予備校なるものが手取り足取り教えてくれますが、田舎ではそれが出来始めたばかりですから通う機会もありませんでした。そうして現役のときに受けた受験で不合格となったのです。原因は数学の軌跡などの図形問題で、教科書のものとは明らかに違った問題が出て、手も足も出ませんでした。さすがに私も悄然として、どうしようかと悩みました。

 ここはひとつ、初志貫徹するために東京に出て予備校に通おうと決心し、さほど裕福でもなかった親に頼み込んで資金を出してもらい、上京しました。そして、東京の予備校に通い始めたのですが、その勉強内容を知ってびっくりしました。特に数学について、私のやってきた内容は明らかに違っていたのです。それで勉強し直したところ、わずか2〜3ヵ月でその種の問題が出来るようになりました。試験は、情報収集と対策が大事なんですね。それで、予備校の模試を受けたら、十分に合格ラインに入っていて、自信をもって受験期を迎えました。

 ところがどうしたことか、その当時、全国各地で暴力的学生運動が大荒れに荒れていました。そのため、東京大学、日本大学、中央大学など全国各地のあらゆる大学でキャンバスが学生に占拠されてしまいました。とりわけ東京大学の本郷キャンバスはひどく荒れて、安田講堂で機動隊と学生部隊が戦うなどして大学内が無法状態になり、年の初めに東京大学の入試は中止となってしまいました。1969年1月のことです。これは、政治決断ですから、仕方のないことですが、ひどく理不尽なことに思えましたね。そういうことで、志望を変えて別の大学に行かざるを得なかったのですが、この理不尽だという気持ちは、正直申して、十年近くも続きました。

 その十年の間、当時のことを振り返って、どうすればよかったかを何回も考えました。ひとつの方法は、もう1年頑張って、東京大学を受け直せば良かったかなというものです。ただ、翌年もまた入試が中止になるかもしれないという気持ちがあり、この道が良いかどうかは、その頃は確信が持てなかったですね。当時の騒然とした社会情勢では、そう思うのも、やむを得ないところです。加えて、また親にお金を無心することはもうできないという思いもありました。しかし、私の友達で、二人だけ、この細い道をたどっていった人がいます。幸い二人とも、翌年実施された入試に受かって東大卒となり、うちひとりは財務省に入って次官にまで上り詰めました。彼なりにこの試練を糧に、頑張ったのでしょう。

 ただ、ほとんどの友達は、私と同じ大学に入り、普通に卒業していきました。常識的にはそうすべきでしょうが、どの友達も、割り切れない思いが残っていたのは事実です。その友達たちがたどった人生の歩みは、まさにいろいろです。三大銀行の頭取になった者もいますが、そういう人はごく少数で、ほとんどはいわゆる一流企業に勤めたものの比較的早く退職して現在は淡々と市井で生活をしている人たちです。しかし、この後者の人たちが不幸かというと、決してそうではなく、楽しく人生を満喫している人も、数多く見受けられます。今から思うと、我々の人生に幸福をもたらすものというのは、学歴や資格はさほど関係なく、4割は努力、2割は運が左右するものというのが、私の観察です。それでは、残る4割は何かというと、その人の普段の気の持ちようです。端的に言うと、幸福だと思えば幸せになり、不幸だと思えば不幸せ(ふしあわせ)になるのですね。現に私の友達の人生を見てください。こちらにありますが、善し悪しは別として本当にさまざまで、ひとりひとりの生き様を如実に表しています。

 だから、あなたのとるべき道として、ひとつは司法予備試験を受けてまた司法試験に挑戦する、もうひとつは、ここできれいさっぱり諦めて、別の道を進むというものですが、これはご自分で決めてください。あなた自身が選ぶ、たったひとつの人生なのですからね。ただ、どちらの道を選んでも、後悔は絶対にしないこと、自分を不幸せなどと思っては絶対にいけないこと、この2つは忘れないでください。

 最近、私には孫が出来て、とても可愛くて仕方がありません。私の娘は、もともとキャリア・ウーマン志向で医師という職業を選ぶくらいのタイプなのですが、その娘が子供を産むなんて、考えもつかなかったのです。ところが、結婚したらほどなく生まれて、まあその可愛いこと。娘本人も、自分でびっくりするほど、母親として振る舞っています。新たな人生の目標が出来たと、心から喜んでいます。

 このように、若い女の人の場合は、子供を産んでしっかり育てるというのもまた、人生の目標となり、大きな楽しみとなるものです。これは、幸せをつかむほんのひとつの事例です。世の中一般の定型的な考えにとらわれることなく、自信をもってあなたなりの新たな人生に歩み出していけば、いかがでしょうか。どの道を進んでも、毎日ニコニコし、頼まれ仕事も気軽に引き受けてさっさと正確に処理し、何事も誠実に取り組む、そんな人生を続けていくと、必ずや楽しいことがあり、またちょっぴり悲しいこともあり、そして大きな幸せがある。それはかなりの部分、自らの努力と気の持ちようだと思います。

 以上いろいろと申し上げましたが、何らかのご参考になったらと思います。なお、就職の面接に当たって「結婚や出産についての質問」というのは定番ですから、そんなことで落ち込む必要はありません。たとえば「私はキャリア・ウーマンとしてやっていきます」とでも言って、相手の目を睨み付ければよいでしょうし、あるいは、小首をかしげてニコッとし、「大丈夫です。仕事を大事にして、しっかりと勤めさせていただきます」と言った方がよいかもしれません。それで、相手が目をそらしたり、釣られてニコッとしたら、あなたの勝ちです。人生、多少のハッタリや愛嬌も必要ですからね。どちらも出来ないというときには、アメリカの映画によくあるように、「私にチャンスをください。絶対にご期待に沿うように頑張ってみせます」などと食い下がってはどうですか。必死になれば、相手の対応も違ってくると思います。

 それでは、ごきげんよう。お幸せに。悠々人生より




悠々人生様

 丁寧な返信を頂き、ありがとうございます。メールを何度も拝読いたしましたが、まさに私が伺いたかった、今の状態から気持ちを立て直す手がかりについて記されていました。

 特に「人生に幸福をもたらすものは、学歴でも資格でもなく、努力と気の持ちよう」とのくだりは本当に心に染み入りました。社会に出たことがないことと、現実として望むような仕事への就職が厳しいことから、資格があるのとないのとでは世界の広がり方が違うのでは、受かっていれば・・・との今更どうしようもない後ろ向きな考えに陥っていました。実際に「人生に幸福をもたらすのは…」と言えるのは私自身が歳を重ねてから人生を振り返ったときなのだと思います。だからこそ、人生の大先輩である悠々人生様の言葉を聞き、思考と気持ちに少し幅が持てるようになりました。

 また、他のエッセイから悠々人生様は東京大学で教鞭をとられることが伺われたので、経歴からしてこの手のご苦労はなされてないのだろうな、と考えていたのですが、まさか大学入試が中止となるという理不尽な経験をされているとは思いもしませんでした。そういうこともあるんですね。この歳まで何の不条理な思いをしてこなかったこと自体、運がよかったのかもしれません。

 それから、強制終了させられたため仕方ないと別の道へと方向転換を図っていた節があり、その辺が悶々とする要因だったのかもしれない、ということも悠々人生様からのメールを拝読してから気づきました。予備試験を受けるか、別の道をゆくか、法曹を目指したきっかけに立ち戻って、もう一度よく考える必要がありそうです。どうも予測が立たない未来へ踏み出す際に心細くなりネガティブになってしまう傾向があるようです。

 今回の試験に限らず、今後も、後悔しないこと、自分を不幸と思わないこと、これをしっかりと胸に刻んで進んでいきたいと思います。本当に素晴らしいアドバイスをありがとうございました。

 それから、面接官を睨みつければ…に思わず笑ってしまいました。質問が具体的だったため、女性は必要とされてないのでは、と重く考えすぎていたのかもしれません。次からはもう少しうまくかわせるようになろうと思います。

 最後に、メールに返信していただいたことに改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。では失礼いたします。





 なるほど、そういう事情ですか。あなたは、とても誠実で、しかも遠慮深くていらっしゃるようですが、本当にその地のままで大丈夫です。今以上にあれこれ悩む必要なんて、全くありません。あとは、ちょっぴり自分に自信をもって、いつもニコニコして楽しくやっていかれたら、どんな世界でもそれで通じます。これからは、そうやっていかれたら、幸福は必ず来ると思います。

それにしても、まず自分から動いてみないと何事も始まりませんから、とりあえず、いくつか会社に応募してみて、まずは足下の生活を固めるようにされたら、いかがでしょうか。そうやって生活が順調に進んでいくと、楽しいことは、いろいろとありますよ。では、お元気で。




悠々人生様

 一つ一つの言葉が暖かく、救われる思いです。前を向いて地道に頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。寒くなってきておりますので、どうぞご自愛くださいませ。では失礼いたします。





 元気をとり戻して、前を向いて頑張ろうという気になられたのは、本当に結構です。私も、若いころの考えを今になって振り返ってみると、受験期にはどうしても受からなければという気持ちが先に立ち、自分にはもうそれしか道がないと思い込んでいたわけです。いわば、自分で視野を狭くして、土管の中から遙か先の光を見て、あそこから出て行かなければ他に道はないと考えていたのですね。

 ところが、社会に出てもう40年近く経つと、人間のとる道は実にいろいろとあって、その時々の考えで本当に様々な方向へと行く可能性があったと思います。たとえていうと、土管の中にはまっている自分がいる位置の、すぐその脇には実にたくさんの扉があって数え切れないほどの分かれ道に通じており、その扉を開けば全く想像もつかなかった面白い世界が広がっているようなものです。もちろん、その中には人生の落とし穴もいくつかあると思いますが、それもよくよく観察すると、避けて通れそうなものばかりです。いずれにせよ、扉を開けて、広い世界に出て行かないと何事も始まりません。ここで、安全確実な世界を選ぶか、それともちょっとリスクはあるけれど、人生を賭けてチャレンジする面白そうな世界を選ぶかという選択の余地はあります。いずれにせよ、ご自分で最も気に入った世界へと、一歩、足を踏み出してはいかがでしょうか。今の日本では、それで十分幸せな、人並み以上の生活を送ることが出来ると思います。

 その場合、どうしても「IF」の世界が頭に浮かぶと思います。たとえば私の場合でしたら、あのとき暴力的学生運動など起きなくて、東京大学に順調に入学出来ていたら、おそらくこうなって、ああなっていただろう・・・などとね。しかし、そんなことになっていたら、今の奥さんにはまず出合わなかっただろうし、そうすると私の愛すべき子供たちや可愛い孫もいなかっただろうし、現在の職とポストにもたぶん着いてしなかっただろうし・・・などとなってしまって、やっぱり、今の道がよかったなということになります。

 ましてや、昨今のような時代には、弁護士の数が激増したせいで、たとえあなたがなっていたとしても、イソ弁はもう難しいは、宅弁・ケータイ弁つまりちゃんとした事務所を持たないで弁護士業をやるというスタイルや、即独つまり司法修習後に即弁護士業を始めるというやり方では顧客はつかないはで、一昔前のエリートの雰囲気は、もうこの業界にはありません。事実、私の知人で弁護士している人の現状をみると、中堅弁護士事務所に育て上げて成功を収めたという人はたった二人です。あとはというと、もう惨憺たる始末で、そのうちひとりは何とか一人事務所を運営しているけれど、奥さんから「弁護士って、こんなにお金を稼げないとは思わなかった」と、愚痴を年中こぼされています。そうかと思うと有名な破産事件に連座したり、果ては顧客のお金を使い込んで資格を取り消されたりと、いやもう、弁護士人生いろいろです。前途に希望を抱く学生さんにこんな話をすると、せっかくの夢を壊してしまうような気がしてこれまであまりしていませんが、いずれも事実です。まあこれも、いわゆる人生の落とし穴ですけれども、申し上げたいことは、夢ばかりではないということです。

 しかし、これはどの世界でも同じことで、そういう意味では、前にも書きましたが、どんな世界へ行っても「毎日ニコニコし、頼まれ仕事も気軽に引き受けてさっさと正確に処理し、何事も誠実に取り組む、そんな人生」を倦まず弛まず何十年も続けていくと、必ずうまくいって、幸せになります。でも人間ときどき疲れるから、いつもそんなに頑張らなくていいです。たまには、自分勝手な息抜きをしたらいいでしょう。まあ、そんな調子で、のんびりやってください。長い人生、急ぐことはありません。

 最後になりますが、同じような状況にいらっしゃる方も多いと思いますので、こういうやりとりはホームページで公開してはどうかと思います。よろしければ、ご賛同ください。

悠々人生より




悠々人生様

 まさに土管の中にいた状況なのだと思います。頂いたメールやエッセイ(同級生のお話)を拝読し、色々考えさせられました。どこが人生の分岐点になるか、どの道がよいのかなどわからないものですね。

 合格不合格はまだ人生の一通過点にすぎないのだという視点がなく、この時点で将来の大部分が決まってしまった、との考えもどこかにあり辛くなっていた面もありました。また、IFは知り得ない世界のため、「合格していたら」のIFも過剰評価していました。私は今ちょうどIFの分岐した地点にいて、今からもっと年月を経たときに、「受かっていたら」のIFを振り返ったときに後悔しない人生を歩めるように、これからコツコツと頑張っていけばいいかと思うようにもなりました。ちょっと視点を変えるだけなのでしょうが、自力ではたどり着けませんでした。本当に感謝しております。

 やりとりをホームページに掲載するとのことですが、もちろん承知いたしました。私のように、人に話しても仕方がないと一人悶々としている方もいらっしゃると思います。悠々人生様のメッセージを受け取ることで前向きになれる方が増えれば良いなと思っております。

 では失礼いたします。







(2011年10月23日記)




関連エッセイ「新司法試験に三振して」



カテゴリ:エッセイ | 21:48 | - | - | - |
航空観閲式に行く

巡閲する野田佳彦内閣総理大臣


 私はこれまで自衛隊に少しは縁があって、富士山の麓で行われる陸上自衛隊の東富士実弾演習、横須賀を母港にして駿河湾上で実施される海上自衛隊の観艦式に行かせてもらったことがある。しかし、航空自衛隊の観閲式には行ったことがなかった。ところがこの10月16日に茨城県の百里基地で行われると聞き、参加させていただいた。航空観閲式は、陸上と海上自衛隊とローテーションを組んで3年おきに行われ、今回で6回目になるという。観閲式とは、観閲官つまり自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の観閲を受ける式典である。これにより、隊員の使命の自覚及び士気高揚を図るとともに、航空防衛力の主力を展示し、自衛隊に対する国民の理解と信頼を深める」ことを目的とするとのこと。




 まあ、有り体にいうなら、一般の自衛隊員に内閣総理大臣の謦咳に触れてもらい、「ああこの人が最高指揮官か」と自覚してもらって、日頃の業務に引き続き頑張ってもらう。それとともに国民には、自衛隊の装備品を公開して、「ほらこんな武器で日本の国と皆さんの命や財産を守っているんだ」とわかってもらう。そして周辺国には、「日本に侵攻したりすれば手痛い返り討ちにあうぞ」と暗にわからせるという意味合いがあるのだろう。




 航空自衛隊の百里基地に着くと、格納庫前の滑走路の手前に大きなスタンドが作られて、何万人もの招待客を収容できるようになっている。その真ん中に紅白の幕が覆われた一段高い場所があり、そこに野田佳彦内閣総理大臣、一川保夫防衛大臣、岩崎茂航空幕僚長などがいて、観閲するという形となっている。式次第を記しておくと、午前11時25分から始まり、栄誉礼、国旗掲揚、慰霊飛行(4機編隊飛行してきて、うち1機がコースを離れて殉職者を偲ぶというものだが、この日は天候がよくないということで中止となる)、観閲飛行(F−2やP−3Cなどが会場の右手から左手へと飛んで来てそのまま去った)、巡閲(野田佳彦内閣総理大臣らがオープンカーで会場を一周し、機体の前に整列している自衛隊員らを見て回る)、訓辞(野田総理は、「自分は自衛官の倅だ」と語っていた)、栄誉礼、航空機地上滑走(騒音がすごいので、耳栓を詰めた)、展示飛行(ブルー・インパルスがダイヤモンド型編隊、スワン型編隊などという編隊を組んで目の前を通り過ぎた)、国旗降下、特別儀仗を経て、午後0時55分に観閲官退場で終了した。




 それが終わって、三々五々、滑走路に並べられている大小様々な航空自衛隊などの航空機を見て回るという趣向である。ちなみに、並べられている航空機の前に整列している部隊について観閲官から見て左から右へいうと、空自音楽隊、陸自大隊、海自大隊、空自第1大隊、空自第2大隊、空自第3大隊などという順になっていて、それらの前に観閲地上部隊指揮官がいて、総理大臣を見上げるという配置である。




 さて私はというと、招待客席に座りながら、愛用のオリンパス・カメラE−P3に400ミリの望遠レンズを装着して、観閲飛行中の機体を捉えようと待ち構えていた。諸元は、シャッター速度優先で1000分の1秒とし、空の明るさに機体が黒ずんでしまわないように、露出補正をプラス0.7とした。さて、左からF−4EJ戦闘機が飛んでくる。まさに目の前を通り過ぎようとした瞬間、シャッターを押した。すると、どうだろう。機体は既に画面を行き過ぎて、左端が切れてしまった。あらら、戦闘機の速度を考え、もっと手前でシャッターを切るべきだった・・・でもそれでは、焦点が合わないなぁ・・・電車の場合はあらかじめ線路のレールにでも合わせるのになぁ。よし、まあともかく、それではもう一度やってみるか。あれあれ、今度やってくるのは太いずんぐりとした機体である。それに速度がいやに遅いなと思ったら、輸送機C−130Hである。これは簡単で、しっかりと焦点を合わせ、機体が画面にちょうど収まるようにシャッターが切れた。しかし、この速度が焦点合わせの限界である。プロのカメラマンは、あのとてつもなく早い戦闘機に、どうやってピントを合わせるのだろう? うかうかしていると、あっという間に通り過ぎてしまうではないか。




 式は進み、観閲式の花形であるブルー・インパルスの登場だ。ダイヤモンド型編隊を組み、真正面から我々の頭上を抜けていく。さあ、遠方のダイヤモンド型編隊を捉えてシャッターを押す。おお・・・うまく撮れた。それでは、ズームを一杯にして、頭上を抜けていく機体を大きく撮ろうとした。すると、撮るには撮れたけれど、画面中で構図ができるどこか、5つの機体がバラバラに散ってしまい、何とも締まりのない写真となってしまった。あまけに、慌てて撮っているから、少しぼけた写真になってしまった。いやはや、難しいものだ。次のスワン型編隊も、遠方から眺める形で編隊の形は撮れるのだが、ズームを一杯に大きくすると、どうしても画面の中に収まってくれない。やっと一機が画面の真ん中に大きく撮れたのは、着陸のときだから、笑えてくる。どうやら、カメラは一流だが、私の腕の方は三流だから、うまくいかないらしい。バカチョンカメラを持っていた隣の友人の方が上手な写真を撮っていたのだから、ますますお笑いだ。もっとも、その人は「ズームをアップすると、それだけ難しいんですよね」と、慰めてくれたけれど・・・。




 野田総理大臣の巡閲が始まった。これは、オープンカーでゆっくり会場を回るというものなので、これくらいは撮れると思ったら、総理のアップの顔が、少しボケてしまった。あーあ、これでは、飛行中のブルー・インパルスの一機が撮れないのも、仕方がないか・・・修行が足りないな・・・というか、全く修行をしていないから、当たり前か・・・まあ、次回に期待しよう。




 ちなみにこの日は、先日、石川県でF−15戦闘機がタンクを落としたので、その原因調査のために飛行中止となっていた。それだけでなく、朝の5時前には東京で大雨だったので天候不良で式全体が中止かと思ったら、曇天ながらかろうじて天候が持ち、何とか中止にならずに実施された。ただ、会場の上空の雲の高度が低いので、ブルー・インパルスは単純な平面飛行のみとなってしまい、あの、大空を駆け上がり、駆け下りるというダイナミックな飛行は見られなかった。しかし、それでも、式がまさに終わるというときになって、会場上空の雲の真ん中がぽっかりと開いて、青空が見えてきたのには、感激した。最後になるが、自衛隊員の皆さんには、通常の業務に加えて、東日本大震災で本当にお世話になった。これからも、よろしくお願いしたいものである。












 航空観閲式  (写 真)は、こちらから。




(2011年10月16日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:51 | - | - | - |
徒然211.京華商店会おわら風の盆

京華商店会


京華商店会おわら風の盆



 この間、富山八尾おわら風の盆の前夜祭を見てきたばかりだが、また今年も文京区白山の京華商店会で、おわら風の盆が行われるというので、見物に行った。こちらの商店会長さんの話によれば、おわらは今年で10年目となるが、3月の東日本大震災以来、商店街の街灯は片方しか点けずにやってきたけれど、それ以来初めて、今日の踊りでは両側を点灯するそうな。そしてまた、日本全国あちこちでシャッター通りと化す商店街が多い中で、幸いにしてこの商店街ではまだ空き店舗は出ていない。しかし、それでも経営は日に日に苦しくなってきているという。まあ、日本経済全体が地盤沈下している状況の中、たいへん頑張っている部類に入るのではなかろうか。

京華商店会おわら風の盆


京華商店会おわら風の盆



 午後5時から、もの悲しい胡弓の調べに乗って、おわら風の盆が始まった。まずは最初に電器店前の来客に向かって「組み踊り」があり、次いで三人の女性が掲げ持つ提灯を先頭に、通りをしずしずと行く「流し踊り」が始まった。組み踊りのときはまだ空は明るかったが、流し踊りが動き始める頃にはもう暗くなってきて、踊り手一行が商店街の行き当たりに着いた頃には、もうとっぷりと日が暮れていた。写真を撮るには誠に不都合な状況である。ここはやむを得ず、フラッシュを使わせてもらった。

京華商店会おわら風の盆


京華商店会



 おかしなもので、こうして何回も、おわらの踊りを見ていると、最初の頃は見慣れない仕草に見えた踊りも、次はこうするのだろうと見当がつくようになる。もっともそうかといって、いざ踊ってみよといわれても、それは出来ない相談なのだが、まあそれも、実際に手や足を動かしてみないと覚えられないのは確かである。

京華商店会おわら風の盆


京華商店会おわら風の盆



 ところで今回、東京の観客の中でおわらの動きに合わせて、けっこう上手に踊っている人を見つけて、非常に面白かった。よく見ていると、たとえば手の動きは、我々のようにギクシャクしながら動かすのではなく、ちゃーんとしなるようにスムーズに、つまり日本舞踊的に動かしている。ああ、基本パターンはもう出来上がっている。これならすぐにおわらを踊ることが出来るだろう。この人、もしかして、踊りの経験が相当あるのかもしれない。

京華商店会おわら風の盆


京華商店会おわら風の盆



 それやこれやで、いやいやなかなか面白かった。来年またこちらに来て、おわらを見させてもらおう。






 京華商店会おわら風の盆(写 真)は、こちら。



(2011年10月 1日記)


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