本場おわら風の盆
2011.08.27 Saturday | by 悠々人生
富山県の八尾では、毎年9月1日から3日まで、おわら風の盆が行われる。もの悲しい胡弓の音色の調べに乗って、時に優雅に、時に力強く踊る独特の盆踊りである。東京の白山にある京華商店街では、八尾出身の方が商店街会長をしておられるという関係があって、毎年10月になると八尾のグループの皆さんを招いてこのが踊りが通りを練り歩く。そこで、この踊りに魅せられた私は、一度は是非とも本場の踊りを見てみたいものだと思っていた。ところが9月早々の本番の時期にはいつも用事が出来て、なかなか見物に行くことがかなわないまま今日に至った。このままでは今年も仕事の関係で、9月1日から3日の本番の踊りは見られない。しかし、富山県東京事務所からいただいたパンフレットで、8月20日から行われる前夜祭なるものがあると知った。そこで、せめてこれに行ってみようと考えてスケジュールをやり繰りし、とうとう8月27日の夕刻、富山駅に降り立つことが出来た。そこから高山本線で越中八尾駅に着き、駅舎の待合室の中を見上げると、おわら風の盆のポスターが貼ってある。ああ、これだこれだと思ってそれらを子細に見ていくと、どうも町内によって、特に女性の衣装が違うようだ。なるほど、なかなか風情があるなと感心しながら、改めてポスターを眺め回しているうちに、ようやくここまでやって来たという実感が湧いてきた。
駅前から出ている町内循環バスに乗って、当日の会場である西新町・東新町へと向う。午後7時頃に着いたのだが、もう道の両側にはたくさんの人々が、敷物を敷いたり小さな腰掛けに座ったりしている。東京なら、押すな押すなの大騒ぎとなるところだが、一列目の人がそうやって座っていてくれるので、見やすいし撮りやすい。これは自然に出来たものなのかどうかはわからないが、なかなかマナーが良い。なんでも、前夜祭ステージというものがあって、そこからほど近い八尾曳山展示館というところでステージで、おわら踊りの観賞が出来るという。それが午後7時半頃に終わるので、それを過ぎるとそこからどーっと沢山の見物客がはき出されてこちらへと来るという話を聞いた。
さて、30分が経過した。通りの人の数が若干、増えただけで、何も変化はない。辺りは、すっかり暗くなった。この暗さで、果たして写真が撮れるものだろうかと思い、道行く人にレンズを向けて、申し訳ないが被写体になってもらった。そしてわかったことは、じっと座っている観客を撮るのには、このカメラE−P3は、なかなか良い写真が撮れる。ところが、さっさと歩く人にカメラを向けると、いずれもとんでもないゴーストになる。つまり、道の両側に座っている見物人ならばはっきりと撮れるものの、肝心のおわら節の踊り手さんたちは動いて行くので、まるでおばけのように写るということだ。いくらなんでも・・・お盆の季節とはいえ・・・これでは写真にならない。いったい、どうしようか・・・フラッシュを使うとわけなく撮ることができるが、だいたいこういう場の、このような雰囲気のところで強い光源を使うのは、マナーに欠ける。何とか、フラッシュなしで撮ることができないだろうかと思い、シャッター優先でいろいろと試してみたが、シャッター速度を10分の1秒にしても、全面的に真っ暗となって写真にならない。ISO感度を最大の12800に上げて、シャッタースピードを早くしても、画面の粒子が粗くなって、よろしくない。試行錯誤を繰り返し、結局、踊りのビデオは撮れるが、写真は撮れないということがよくわかった。
でも、それではせっかく写真を撮るぞと思って、わざわざ東京くんだりから富山県までやって来た甲斐がないというものだ。あれこれ考えた末、こうすることにした。まずは、ビデオを撮ってこれで記録を残す。それから写真を連写で撮り、そのうち使えそうなものだけを選ぶ・・・というのは、おわら節は、踊りのテンポがとても遅いし、ポーズを作って一瞬、止まる時がある。そういう瞬間に連写で撮れることが出来れば、それで良しとしなければならない。だから、もう私は、シャッター優先だISO感度だなどという面倒な設定を止めて、オートかPモードでいくことにした。この方針は、意外と悪くなかった。というのは、おわら風の盆の最も雰囲気のあるところは、踊りだけでなく、あの胡弓の音色と歌声である。ビデオは、そのいずれをも記録してくれたので、あとから家に帰って楽しむことが出来た。
それから、技術的にどうしようかと迷ったことは、ホワイト・バランスである。道の両脇にある街路灯は、いずれも電球色なのに、私がいる場所は自動販売機のせいで蛍光色で、色が混ざっている。だからというわけでもないが、カメラを向ける先が15度ほど違うだけで、撮れる写真の色合いが全然違うのである。踊り手は、もちろんそんなことにかまわずに、どんどん進んでくるからホワイト・バランスをいちいち調整しているヒマはない。結局、これもオートにした。もっとも、向かいの建物に集まる地元の人たちを撮る際には電球色を選択したら、確かに色合いがとても良くなった。
そうこうしているうちに、午後8時を回った。道の向こうの方から、囃子が聞こえてきた。ああ、始まったようだ。じっと待っていると、近くの人が「あの踊りはゆっくりしているから、なかなか来ないんだよ」と言ったので、皆で大笑いをする。さらに15分ほど待っただろうか、ああ、やって来た。先頭の向かって左には、男衆、右には女衆がいて、その間には、まだ学齢期に達していないような男の子たちがたくさんいて、踊ってくるではないか。なかなか、可愛い。あわてて、カメラを向けて、ビデオを撮る。このE−P3のビデオは、焦点を追いかけて連続して合わせてくれるのが特徴で、これは先々代のE−P1よりも進歩した点だ。それはいいのだが、この場合は、周囲は暗いし、被写体は遅いとはいえ移動を続けるし、加えてあちこちでフラッシュが焚かれるから、カメラの内蔵コンピュータが迷ってしまったようで、焦点がウロウロしていかにも困った様子を見せるときもあって、可笑しかった。まあしかし、おおむね及第点のビデオが撮れたと思う。
さて次に、写真の方である。Pモードにして、ともかく連写を試みた。さてその結果はというと、実は、ほとんど使い物にならなかった。ああ、残念無念だ。当初から想定していたこととはいえ、これほど撮りにくいものとは思わなかった。一番よくあったケースは、ひとりの踊り手さんは、非常によく写っているが、その前後の踊り手さんは、もうボケにぼけているというもので、これは、要するに踊りが各人てんでバラバラなのである。プロだとこういうことはないし、あっても少ないだろうが、これは素人の皆さんの年1回の盆踊りなのだから、まあ当然のことかもしれない。これでは、せっかくはるばる東京からやってきた甲斐がないと思い、申し訳ないが、何回か内蔵フラッシュを使わせてもらった。こちらの方は、フラッシュの光が届く範囲は、まあまあの写真が撮れた。ただ、踊り手さんたちには、迷惑だったかもしれないと反省している。
そうやって通りを通り過ぎる「流し」の踊りは、私が撮影に手間取っているうちに、あっという間に行ってしまった。これでは、愛想がないなと思っていたら、地元の人がやってきて、「あんたたち、運が良いね。ここで『輪踊り』をやるからね。ちょっと下がってね」と言われた。それでなぜここなのだろうと思って、向かいの格子柄の建物をよく見ると、「西新町公民館」とある。ああ、なるほどなるほど・・・いやいや、確かに運が良かった。見ていると、目の前に長細い輪を作るように椅子が並べられ。その内側に胡弓を持った囃子方が何人か入り、あのもの悲しいメロディをかき鳴らし、それに合わせて風の盆の歌が朗々と歌われる。そして、地元の皆さんが編み笠を外し、背にしょって、そこで輪になって踊り出した。小さい男の子たちもいれば、頭に飾りを載せた中学生のような女の子たちも混じっている。わあ、すごい、目の前でやってくれていると、感激した。やがてアナウンスがあり、「皆さんも、どうか入って一緒に踊りましょう」という。その声に釣られて、何人か見物人がその輪の中に入り、和気藹々と踊り出したのである。これで、都会の盆踊りと変わりがなくなった。でも、どの人は楽しく踊っている。いいなあ、と思っていて、ついつい写真を撮るのを忘れてしまった。
(2011年 8月27日記)