上野東照宮の冬ぼたん (2011年)

上野東照宮の冬ぼたん


楊貴妃は 知らねどかくや 寒牡丹


 この寒空に艶やかな衣装を身にまとい、一所懸命立っている牡丹の花たちに対して、この俳句はまあ最大限の賛辞ではないか・・・ぼたん展会場の中程にあった句のひとつである。

 また今年も、上野東照宮の冬ぼたん展に行って、雪囲いの中に入れられた寒そうな冬牡丹の花々を見てきた。自宅から歩き出して不忍池の周りを半周し、少し階段を登ると上野東照宮である。悠々人生の履歴によると、昨年ここを訪ねたのは1月16日の頃で、確か曇りでとても寒かったのを覚えている。それに対して今年は、1月29日と、ほぼ2週間遅れであったが、ぽかぽかと暖かい日差しがさしていて、絶好の観賞日よりとなった。

上野東照宮の冬ぼたん


 その中を、牡丹の花を見て回った。いずれも、中心の雄しべが見えないほど花びらがふさふさしている。赤色の花は、赤といってもやや紫がかった牡丹独特の色をしている。それが全体の6〜7割を占めているが、白い花、ピンクの花、赤と白が混じった花、そして稀には黄色の花もある。それらがいずれも、雪国で使われる蓑のような雪囲いの中に入れられて、文字通り箱入り娘のように並んでいる。いずれ劣らず美しいし、艶やかであり、かつ可愛い。それを近づいて撮ったり、雪囲いとともに撮ったりと、至福の時間を過ごす。

上野東照宮の冬ぼたん


 ふと見ると、家内はそんな私を置いてさっさと進み、中程の茶屋で火鉢にあたりながら、甘酒を飲んでいる。ああ、うらやましい・・・これこそ、花より団子ではないか・・・しかしよく見ると、花は花でも、別の種目・・・その茶屋でたまたま一緒になった、あるご婦人と、世間話に花を咲かせている。その方は、孫の世話の帰りなのだそうだ。何でも、「なかなか子宝に恵まれなかった娘が、やっと30歳になって出産した。その孫が順調に育って1歳と3ヶ月になると、もう歩き出した。ところがそれが危なっかしくて、いつも見守っていないといけない。それで娘が疲れ果ててしまっているのを、見るに見かねて助けに行っている」のだそうだ。どうも、孫の世話を自ら買って出ているというのは、我が家と似たような状況である。どの家も、子育ては親子二代でする一大プロジェクトのようだ。昨年見たNHKのテレビ番組で、北海道の狐の母と祖母が共同して子育てをやっていたが、ついついそれを思い出してしまった。

上野東照宮の冬ぼたん


上野東照宮の早咲きの紅梅


 途中、早咲きの紅梅あり、蝋梅あり、そして水仙が可憐な花を咲かせていたのも、例年通りである。そうそう、木賊(とくさ)も生い茂っていた。江戸時代の町人は、これをポキポキ折って、歯磨きの代わりにしたというが、痛かったのではないかと余計な心配をする。あるいは昔の人の歯は、固いものばかりを食べていたので、頑丈だったのかもしれない。

上野東照宮の冬ぼたん


上野東照宮の冬ぼたん


 牡丹の花は、花弁がたくさんあり、ふさふさとしている。それがまるで無秩序であるのが牡丹の特徴かと思っていたら、それが法則性をもって外側の花弁が六つの方向に綺麗に倒れて咲いている花を見つけた。これは珍しい。他の牡丹の花には見られない几帳面さである。本当に牡丹なのかと、しげしげと見てしまったが、間違いない。人間の世界同様、生真面目な花があるものだと感心する。

上野東照宮の絵馬


 ぼたん苑の帰り道、上野東照宮に立ち寄ったら、本殿が現在修理中で、その建物を覆う大きな枠組みに、実物大の本殿の絵が描かれていたのには、笑えてきた。参拝客や観光客向けの、なかなか親切な工夫である。話によると、これは最近の文化財の修理に使われているようで、平成の大修理に入った姫路城でも外の覆いに大きなお城が描かれているそうだ。ところで、その本殿の脇に絵馬がかかっていて、たくさんの字が書かれていた。湯島天神の場合は受験シーズンだったから受験生の名前の羅列だったから、こちらは何だろうと近づいてみて、びっくりした。中国語、韓国語、英語、フランス語、スペイン語まであった・・・各国からの観光客が残していったものらしい。さすが、東京の下町の観光地、上野である。

 いつもの通り、伊豆栄の梅川亭で食事しようとして歩いていると、五重塔を見上げる道ばたに、ひとつの石碑があった。

上野東照宮の石碑


富貴には 遠し 年々 牡丹見る


 なるほど、私の場合は、「牡丹見る」を「牡丹撮る」にすれば、そっくりそのまま当てはまると感心した。そして気分が高揚したまま、梅川亭に行ってしまったために、ウナギに天ぷらと、去年より奮発したものを注文してしまった。出てきた料理に美味しい、美味しいと舌鼓を打ったのは、庶民の楽しみである。その帰りには、やはり上野公園内にある「医薬祖神 五條天神社」に立ち寄った。そして、節分前に奉納の舞の練習を行っていたその脇で、青空の下の白梅と紅梅を楽しんだのである。ああ、この方が、富貴よりはるかに気が楽ということだ。それから自宅に帰ったが、じっくり牡丹の写真を見ている自分の姿に気がついた。

上野東照宮の冬ぼたん









 冬ぼたん展(2011年)( 写 真 )は、こちら。

 冬ぼたん展(2010年)( 写 真 )は、こちら。

 冬ぼたん展(2010年)(エッセイ)は、こちら。



(2011年 1月30日記)


カテゴリ:エッセイ | 10:00 | - | - | - |
受験シーズンの湯島天神

湯島天神の本殿


 湯島天神といえば、今どき泉鏡花の『婦系図』とその歌を思い浮かべる人はおらず、ほとんどの人が受験の神様と思っている。もちろん、湯島天神には、それだけではなく、梅の名所としての顔、東京の下町の神様としての顔もあるのだが、それはさておき、年が明けた受験シーズンの土日にもなると、境内が受験生とその親たちの人並みであふれかえる。私も、この神社へは自宅から歩いて15分程度と近いのだが、なにもそんな大混雑する受験シーズンの真っただ中のような時に行く必要もないのだけれど、ちょっとした散歩の行き帰りに、たまたま立ち寄ったりする。それはいわば「怖いものみたさ」のような感覚で行くのではあるが、行くたびに、そうした決死の様相の受験生とその親から発されるオーラに圧倒される。

湯島天神の屋台


 なかでも、奉納される絵馬には、もう直裁的に受験に関する願望が、その本人や身内によって書かれる。だから、一種の社会見学のような気持ちでそうした絵馬の数々を見物することにしている。そのようにして最初に絵馬の見物をしたのは2003年であるが、そのあまりに赤裸々な合格願望には、厳粛さを通り越して、思わず苦笑してしまうようなものも多かった。その次に受験シーズンの湯島天神に行って絵馬を眺めたのは2008年のことで、実はこのときには、境内の写真を撮ることに忙しく、絵馬をじっくり見て回る時間はなかった。そこで、最初に絵馬を見てから8年が経ち、最近はどういう絵馬になっているかをこの季節に行って観察したところ、意外なことに気づいたのである。

湯島天神の絵馬


 それは何かといえば、8年前に比べて、絵馬の内容がさっぱり面白くなくなっているのだ。ほとんどが「合格祈願」か「絶対合格!」という文句に名前ばかり。たまにごちゃごちゃと書いてあって、さあ読もうとすると、書かれていたのはすべて同級生の名前だったりする。そして、何か書かれていると思えば、「全員志望校に合格しようね」だと・・・。

 こういうみんなで何とかしようねという発想は、村落共同体を円滑に運営する上では確かに大事なスローガンである。しかし、近代の競争社会を取り仕切る発想としては、全くふさわしくない。誰かが合格すれば、その裏では他の人が必ず不合格になる。これが競争の現実なのだから、それならばそういう現実を直視して自分はどう生きようかと考え始める。そこに近代社会の発展の礎があると思うのである。

 ところがとりわけバブル以降の日本社会では、そうした競争を回避し、まるでぬるま湯のような世界に浸ってしまった。みんなで仲良く無競争を好み、仕事でも留学でも、外国なんて行きたくない。自分に対する人の評判を極端に気になる。まあ要するに、日本人そのものの活力の低下が起こっているのだ。昨今の日本社会にはびこる無気力と覇気のなさは、さもありなんという気がする。だから、絵馬に書かれている内容も面白くないわけだ・・・それではなぜ、こういうことが起こったのか?

 私に言わせれば、その大きな原因は、この30年ほどの学校教育が、意図的に競争を回避し、無競争で悪平等の社会を作り上げてしまったからである。「どんどんお互いに競争して、できるだけ難しいところを狙おう」というならともかく、能力も努力の程度も人によって全く異なるのに、皆が揃って合格しようなんて、うまくいくはずがない。競争原理が働き、その過程で必ず挫折した人間が出てくる。しかし社会を引っ張っているのは、単に競争社会の先頭を走っているトップの人間だけではない。そういう人間に加えて、一度は挫折した多くの人こそが、その挫折を糧にして努力し、生活力を磨く。そしてブレーク・スルーを生み出して、社会が発展していくものだと思う。

 だから、みんな一緒にお手々をつないでなどという発想では、リーダーはもちろん生まれないし、他方では社会での挫折経験をバネにして独特の生活力が身についている人間をも生み出さない。幼稚園や狭い農村社会ならそれで良いのかもしれないけれど、現代は世界的な大競争社会である。元々極端なほどの競争社会であるアメリカに次いで、10億人もの人口を擁する中国が台頭してきた。こちらも、国内で激烈な競争が繰り広げられている。そんな時代に、お手々つないで一緒にねなどということを続けていっては、画一化されて生活力の希薄な面白くない人間しか生み出せず、ひいては世界的な国家間競争に取り残されてしまう結果となるのは、火を見るより明らかである。ところが、憂うべきことに最近の日本では、まさにそうしたことが現実に起こっていて、日本の経済社会の停滞の元凶となっていると思うのである。

 そういえば、相当昔のことになるが、私の息子が区立小学校の高学年になったとき、運動会と学芸会の劇を見に行って、びっくりしたことがある。まず運動会では、私自身の小学生の時代なら、駆けっこをするときに、クラスの出席番号順に適当なグループを作って走らせ、足の速い子は当然一等になって鉛筆やらノートやらを貰って得意顔だった。そういうとき、運動神経が並以下のレベルだった私なぞは、いくらやってもそんな足の速い連中には、とうてい追いつくことは出来ない。だから、運動会の季節が巡ってくるたびに、いつも悔しい思いがした。そこで私は方針を変え、運動会での活躍はさっさと諦めて、代わりに勉強にいそしんで、溜飲を下げたものである。ところが、私の子供の時代になると、同じような足の速さの子ばかりを集めて走らせるから、ほとんど差が付かない。これでは、足の早い子には特技を発揮して優越感にひたる場が与えられないこととなるし、足の遅い子も劣等感をバネに何か工夫をしようという意欲が湧かないだろう。こういうことこそ、撲滅すべき悪平等社会なのである。これでは、社会に活気がなくなるわけだ。

 学芸会の劇でも、似たようなことになっている。私自身の小学生の時代なら、クラスで一番の美男美女が主役の座を射止めて、ほかの子供は照明係とか大道具係、小道具係などに役割に全力で取り組んだ。これは、各人の持ち場でそれなりに、社会的な役割を果たす重要さを学ばせる意味が大いにあったと思う。ところがどうだ、私の子供の時代になると、主役はおらず、ただ全員が舞台に出てきて、台詞を一言ずつ言わせる。たとえば、「ぼくはあそこに」「行くつもりなんだ」「何がいるのかなぁ」なんてことを、三人で別々の台詞として言うのである。バカバカしい限りで、まったく芸のないものだ。おそらく、「なぜウチの子を主役にしないのか」などという両親が出てきては困るからということなのだろう。しかし、こういう事なかれ主義に陥っている学校の方針こそ、悪平等を世の中にまき散らし、ひいては自分では何も出来ない生活力のない弱々しい日本人をたくさん生み出している原因だと思っている。

 とまあ、社会についてのそんな愚痴を言い始めると、時代遅れの老人になった証左かもしれないので、もうこの辺で止めよう・・・そんなことを思いながら、合格祈願と氏名ばかり書いてある絵馬を見て歩いていると、ほんの少しだが、やっといくつか、面白い絵馬を発見した。それらを少しばかり、紹介することとしよう。

小さなお子さんがママを応援


 「通信会計学の試験に合格できますように」と書いてあるそのすぐ下に、仮名釘流の平仮名で「ままが ごうかく しますように」とあった。小さなお子さんが、ママを応援して一所懸命に書いたもののようだ。心を打たれる。

 「自分が誇れる企業に内定をいただけますように」とある。最近は大学新卒者の内定がなかなか取れない就職氷河期だ。たとえば昨年12月1日現在の大学生の就職内定率は68.8%と、前年比4.3ポイントものマイナスとなっている。この人も「自分が誇れる企業」などとこだわらずに、自分の力が発揮できてそれが評価され、ひいてはやり甲斐のあるという、そういう仕事を探した方がよいのではないだろうか。

 そうかと思うと、この絵馬は面白い。「自分のことは、こっちで何とかするので、神様・仏様 いらっしゃるなら『こいつら』を何とかお願いします」だとさ・・・そして、『こいつら』として20人ほどの名前が書いてある。いいね、こういう親分肌は・・・と思ってよく見ると、どうもこれは塾の先生が書いたようだ。紛らわしい。

 その次には、「トップ合格!! 早稲田、中央、同志社、立命館、北海道大学 法科大学院 必ず合格!! そして司法試験も合格!!」とあった。ははあ、これは勢いがある。元気でなかなかよろしいと思ったら、その脇に女文字でこう書いてあった。「□□のことがだあいすき。また合格したら一緒に来ます」・・・なるほど、このせいかもしれない。恋人の手前、誰しもが格好良いところを見せたいのは人情だから、いわゆるカラ元気というヤツなのかも・・・。しかし、人生何が起こるかわからない。たとえみんな落ちたとしても、引き続き一緒にいてほしいものだ。

漫画入りの絵馬


 漫画入りの絵馬もある。「受ける所すべてに受かりますように」とあり、その横に必勝の鉢巻きをしたおかっぱ頭の女の子が机に座って何やら書いている。それには吹き出しか付いていて、これが英語なのである。「There is no wall which can not be penetrated by the sense of seriousness」意訳すれば、「真剣にやれば越えられない壁はない」とでもいおうか。うむ、これは個性的で、なかなかよい。

絵馬の表に


 そうかと思うと、絵馬の表に「合格祈願」という文字とともに、受ける大学の名前を羅列してある。試しにそれを裏返しにしてみると、やはり何も書いていない。いままで何千枚も絵馬を見てきたけれど、表に願事を書いてあるというものは、初めてみた。こういう調子では、この人、本番の試験は大丈夫かしらという気がしないでもない。

 ああ、これは祖母からの絵馬である。「孫娘が志望校に合格しますように、□□が美容国家試験に合格しますように、お願い申し上げます。ばあば」と書かれているが、この「ばあば」というのが良い。もっとも、ウチの家内は、孫に「おばあちゃん」と呼ばせないで、代わりに「グランマ」と言わせるようにしている。ところが物知りのシッターさんによれば、外国人の家庭では、この「グランマ」というのも日本の「おばあちゃん」と同じ感覚で嫌がられるそうだ。代わりに、孫に名前で呼ばせるらしい。

   しかし、中にはこんなものもある。「東京外国語大学に絶対合格する! 相方のつばさも、ちゃんと東大に受かる! 大学生になっても二人で仲良くする!」というものだが、この「相方」というのは、名前からは男女どちらかわからないが、たぶん、男の子どうしの友情をはぐくむものかもしれない。でも一瞬、妙な気がした。

 「夢に向かって完全燃焼、悔いは残さず、みんなそろって笑顔で卒業!」と右側にあり、左側には同じようなことだが「夢は必ず諦めるな最後まで、三年生全員が悔いを残さず笑顔で卒業できますように」とある、静岡県の中学校三年の二人の男の子の連名で書かれていた絵馬があった。こういうのは、まあ、実際にはそうならないのが世の常ではあるが、青春編としては、なかなか良いと思う。とても中学生らしい。

湯島の白梅


 最後に、まだ1月の下旬だというのに、早咲きの梅が何本かあって、梅の花の良い香りが馥郁として漂ってきたので、幸せな良い気持ちになった。もうつまらぬことは考えないようにしよう。日本社会がこうなってしまった以上、この先、長期低迷は避けられまい。せめて私たちの初孫ちゃんの時代に挽回してもらうしかない。そのためには、4年後に初孫ちゃんを入学させる学校に気をつけるしかないが、文字通り神頼みにならないよう、祈るばかりである。そのときは私も、受験シーズンにこの湯島天神にやってきて、孫のため、ひとつ面白い絵馬でも書いて、奉納でもしようか・・・やはり、神頼みになってしまった。


湯島の紅梅







(2011年 1月23日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:05 | - | - | - |
夢の島熱帯植物館(再訪)

黄色い筒に白い羽を付けたようなパキスタキス・ルテア


 東京都立夢の島熱帯植物館には、昨年3月という冬の終わりに初めて行った。そこで今年も、やはり冬の季節に再び訪れてみた。今回は1月で、前回とはわずか2ヶ月の差なのに、館内の様相は相当違っていた。入り口近くのブッソウゲや、ウナズキヒメフヨウという赤い花は変わらなかったものの、反対に前回あったが今回はなかった花として、熱帯性スイレン、ヒスイカズラ、トーチジンジャー、エンゼルズ・トランペットなどがある。それらに代わり、次のような植物があった。

パピルス


 まずはパピルスである。花が咲いていないことから、前回は気がつかなかったものかもしれないが、例の、古代エジプトで紙として使われた植物である。見たことがなかったが、ぼろぼろの箒を上に向けたような形をしている。この茎を薄く剥いで、それを編んで平らな紙にしたようだ。今度は、どこかでその本物を見てみよう。

沙羅双樹の葉


 沙羅双樹の木があった。平家物語の出だしに出てくる木だが、「釈迦がこの木の下で入滅されたことから、印度菩提樹(クワ科)、無憂樹(マメ科)とともに仏教三大聖樹の一つとされる。日本の寺院では、ナツツバキの木をサラノキとして植えていることが多い。花は淡い黄白色」という解説である。もちろん、インド原産とのこと。

ゾウタケ


 ゾウタケというのは、中国では巨竹、英語ではGiant Bambooというそうで、「高さ30メートル、直径30センチに達する世界最大の竹で、熱帯地域に広く分布しており、タケノコが地上に顔を出してからおよそ4ヶ月で大きくなります。水を送るパイプ、バケツ、舟のマスト、建築用の材料などに使われている。タケノコは食用になるが、ベトナム以外ではあまり食べられていない」とのこと。

 サガリバナの実というものがあった。解説によれば「甘い芳香を放つ白花を夜の間だけ咲かせる。一日花のため、開いた花は翌朝に落下してしまう・・・夜に咲く花の多くが濃厚な香りや白く目立つ花によって生き物を誘い出す。サガリハナも、夜行性のコウモリや蛾などによって花粉が運ばれる」という。それで、この解説板の隣に、白い猫のふわりとした尻尾に、まるでそっくりの花の写真があったが、もちろんその花は落ちてしまっていて、その成果がこの実ということらしい。

アマゾンリリー


 アマゾンリリーという白い花があった。ヒガンバナ科で、一本の太い茎のてっぺんに団体で咲いていて、つぼみのときには上向きで咲くけれども、花が開くと下向きになる奥ゆかしい花である。解説によれば「コロンビアのアンデス山脈が原産で、寒さに弱く、日本では温室の中でないと冬を越せない。白い香りのよい花が下向きに5〜6輪咲く。ギボウシに似た葉を持つため、ギボウシズイセンとも呼ばれるが、ユー茶リスの名前で流通していることが多い」という。下を向いてるという意味では、クリスマス・ローズを思いださせるカメラマン泣かせの花である。

、黄色く色づいたカカオ


 カカオは、黄色く色づいて、なかなかよろしい感じとなった。その説明はわかりやすく「種子を発酵させ果肉を取り去ったものをカカオ豆と呼ぶ。これを炒ってすりつぶし、砂糖や香料を混ぜて練り固めてチョコレートを、絞って脂肪を取り除きココアを作る。熱帯アメリカ原産で、古代メキシコでは苦い飲み物にして飲んでいた」とのこと。この古代メキシコの話は、さしずめストレート・コーヒーというわけだ。

シマシャリンバイという小笠原諸島の小さな白い花


 シマシャリンバイという小笠原諸島の小さな白い花がある。説明では「冬の代表的な樹木。この名前は枝が車のような形状で、梅に似た香りの良い花を付けることに由来。材は固くしなやかで、ナタの柄にも使われた。『アレクサンドル』という島での名前は、ax handle(斧の柄)に由来すると考えられる。英語を起源とする方言が多いのも小笠原の特長」とある。なるほど、入植初期の小笠原には、確か欧米人の入植者もいたと聞く。その人たちは、日本の統治下に入ったときに日本国籍を選んだというが、そういう歴史の名残があるのだろう。

ドンベヤ・ウォリッキー


 本日で最も美しい花は、ドンベヤ・ウォリッキーという白とピンクの花束のような花だった。その他、サトイモ科のアンスリウムの真っ赤な花が印象的だったし、まるで魚の卵を思い出させるエパクリス・ロンギフロラという一連の細長い花も、上が赤なのに、下の先端が少し白くなっていて、小さいながらなかなか美しいものだった。

サトイモ科のアンスリウム


まるで魚の卵を思い出させるエパクリス・ロンギフロラ


 植物園の外にあるバンクシアというオーストラリアの沙漠に生える植物には、驚いた。山火事でも子孫を残すように仕組まれているのだそうな。針葉樹のようなとがった細い葉の間に、まるで蔓で編んだような長細い篭を持っていて、その中に種子が入っている。山火事により、熱の刺激を受けたときだけこれが裂け、種を放出する。その種子というのはくさび形の翼を有しており、落下するときに回転するから山火事の風に吹かれて遠くへ飛んでいくようになっている。なるほど、うまく出来ているものだ。まあそういうことで、今回も楽しませていただいた。

バンクシアというオーストラリアの沙漠に生える植物


 ところで、前回の写真は、デジカメ一眼カメラを買ってからまだ10ヶ月ほどだったが、そのせいで写真の出来はいまひとつだった。それから更に10ヶ月経ち、少しは私の写真の腕がよくなったようだ。たとえば、冒頭に掲げたような黄色い筒に白い羽を付けたようなパキスタキス・ルテアには、しっかり焦点が合っている。実はこれが、もっともうれしかったことである。






 夢の島熱帯植物館(写 真)は、こちらから。

 夢の島熱帯植物館(前回エッセイ)は、こちらから。



(2011年 1月23日記)


カテゴリ:エッセイ | 11:46 | - | - | - |
葛西臨海水族館

真っ青で美しいサドルラス(スズキ科ベラ目)


 冬も本番の季節に入り、東北と北陸が1メートルになろうとする大雪になり、また西日本とりわけ九州までもが10センチほどの積雪に見舞われている。そうした中で、どういうわけか関東と東海地方だけが、寒風が吹きさらしてはいるものの、雪は降らずにおおむね曇りというお天気になっている。曇りなので、外で素晴らしい写真を撮れるということは期待できないから、久しぶりに水族館でお魚を撮ることにした。場所はというと、ここしばらく行っていないところが良いと思い、葛西臨海水族館にした。例のとおりiPhoneでチェックすると、自宅から40分以内で行けそうだ。千代田線に乗ってまず日比谷駅で日比谷線に乗り換え、八丁堀駅でまたJR京葉線に乗り換えるとよいらしい。

葛西臨海水族館の入口ドーム


 そういうことで土曜日の午前中、そのルートで出かけた。八丁堀駅での乗換えも、そう遠くはなくてスムーズに葛西臨海駅に着いた。駅を降りると、正面口の左手には観覧車があり、その近くにはホテルがある。水族館へは、そちらの方に行かずにまっすぐに進む。すると、写真でよく見るガラスのドームが見えてきた。中に入ると、さっそく出てきたのが、サメの水槽で、撞木鮫(Hammerhead shark)がたくさん泳いでいる。どう猛なサメだから、ダイビングでこの魚に出会ったりすると、覚悟しなければいけないらしい。もっとも、ダイバーの間ではウォッチングの対象として人気があるが、見ているうちに獲物にされてはかなわないので、私はご免被りたい。そういうことを思い出してぞっとし、早々にそこを退散する。

水槽の中にクロマグロ、キハダ、カツオなどが猛スピードでぐるぐると回る


 進んでいくと「大洋の航海者」というコーナーがあり、巨大な水槽の中にクロマグロ、キハダ、カツオなどが猛スピードでぐるぐると回っている。全体的に照明が暗いし、魚の泳ぐスピードが速いから、個々の魚に近づいて撮るのは不可能に近い。少し離れたところから、全体像を撮るのがせいぜいである。マグロだから、見学の人の中には「おいしそう!」などという嬌声を上げる若い女の子もいたが、とんでもない。こういうところのマグロは、抗生物質漬けになっているから、食べられたものではないと思う。しばらくカメラで魚を追ったが、うまく撮れないことから、やがて諦めることにした。

熱帯魚の水槽のイソギンチャク


 「世界の海」というコーナーになる。太平洋、インド洋、大西洋、カリブ海、深海、北極海・南極海に分けて展示してあるが、太平洋やインド洋、そしてカリブ海は、私の好きな熱帯魚ばかりである。近づいて撮りだしたが、こちらも、魚の動きが速くて、追いかけるのが大変である。むかし、簡単なデジカメで熱帯魚を撮って悦に入っていたが、そちらのときの方が、はるかに簡単だった。だいたい、魚にピントが合わないではないか・・・。適当に当たりを付けて底の砂地にピントを合わせても、実際に撮るとやはりぼけてしまうので、いささか悔しい。もちろん、魚を群れとして捉えて少し遠目で撮ると、まあまあの写真が撮れるのだが、それでは個々の魚が小さくなって、面白くもなんともならない。

熱帯魚の定番のフエフキヤッコ


 プロのカメラマンというのは、こういう場合にはどうしているのだろうという気がする。私も一応は写真誌などを読んで、シャッター速度がどうこうという数字を覚えていってはいるのだが、ともかく魚の泳ぐスピードが早すぎていけない。そうかといって、シャッター速度を極端に早くすると、画面が暗くなったり、荒くなったりして、ういう場合にチェックするとISO感度が6,400という高いレベルにまで上がっている。やっとくっきりした写真が撮れたと思ったら、それは泳ぎの遅い魚ばかりである。空しく時間が過ぎていったが、そうこうしているうちに、まぐれ当たりのようにして、たまたまピントと撮影の諸元がぴったり合う写真が撮れ始めた。うむ・・・魚の良い写真を撮るには、やはり経験と粘りが必要なのかもしれない。もちろん、プロ用のカメラを買う方がはるかに早道のような気もするが・・・。

角のあるテングハギ


リーフィ・シードラゴン


 気に入った魚の名を上げると、熱帯の海にいる、おでこの前に突き出す角のあるテングハギ、真っ青で美しいサドルラス(スズキ科ベラ目)、白と黄色の熱帯魚の定番であるチョウチョウウオ、葉を身にまとったようなリーフィ・シードラゴンなど、やはり熱帯魚が素晴らしい。特にリーフィ・シードラゴンは、どう見ても黄色の海草がふわふわ泳いでいるように見えるから、こうなるともう偽装の極限まで来ている。そうこうしていると、再び最初の頃に見たマグロが猛スピードで回遊する大水槽に出た。再び魚の写真を撮ると、最初のときよりは少しはマシな写真となった。熱帯魚の写真で練習した成果なのかもしれない。

少しはマシなマグロの写真


カリフォルニア海岸のジャイアントケルプ


 屋外に出て、「渚の生物」というコーナーの次は「ペンギンの生態」というコーナーで、フンボルトペンギンなどが泳いでいた。それらをざっと見た後、「海藻の林」に行くと、カリフォルニア海岸のジャイアントケルプがあって、感激した。これは、最大40メートルにもなる黄色い昆布のような海藻で、それが林立して海中で森のようになっている。だから、多様な生き物をはぐくむ母体になる。ラッコなども、こういうところに棲んで、貝を捕ってはお腹の上で打ち割って食べている映像を見たことがある。

ウミウシの仲間ヤマトメリベ(マキガイ綱メリベウミウシ科)


 「東京の海」というコーナーがあって、小笠原、伊豆七島、東京湾に分けて展示されていた。なかでも、ヤマトメリベ(マキガイ綱メリベウミウシ科)というのは、初めて見る動物である。これはウミウシの仲間らしいが、白いふにゃふにゃした体ながら、大きな口を広げていたのには、びっくりした。海には我々の知らない奇妙な生き物がまだまだいる。その隣の水槽では、三匹のイカがいて、まるでラインダンサーのようにそろって華麗な泳ぎっぷりを見せてくれた。

レストランの金魚


 それで水族館を見終わって、併設のレストランに行ったのだけれど、そこで金魚の水槽を見つけて、流金などの写真を撮った。うれしいことに、こちらは泳ぎ方がのんびりしているので、くっきりとした良い写真が撮れた。野生の魚と観賞用の魚の差である。さて、食事の後、帰る途中の公園の片隅に早咲きの梅と、ロウバイがあった。なかでもロウバイは、馥郁たるよい香りを発していて、その芳香に包まれながら、しばし、春の気分にひたった。

とてもよい香りを発していたロウバイ








 葛西臨海水族館(写 真)は、こちらから。



(2011年 1月15日記)


カテゴリ:エッセイ | 17:49 | - | - | - |
ふるさと祭り 〜 秋田竿燈、盛岡さんさ、高知よさこい、飯田燈籠山

秋田の竿燈


 たくさんの提灯を並べてまるで巨大な扇のような形にしたものがある。骨組みは竹竿らしい。提灯はいくつあるのだろうと試しに数えてみたら、46個もあった。それだけの提灯を付けた大きな竹竿が、まるで生き物のように、ゆらゆらと前後左右に揺れ動いている。しかもそういう巨大な扇がいくつもあるので、あの大きな東京ドームの中が、その奇妙な扇の生き物で占領されてしまったかのようだ。やがてその提灯扇の生き物は、ゆらゆらフワフワと頼りなく揺れていって、互いにぶつかりそうになったり、その一部はひどく傾いてきて、まるで一昔はやったフィギュアスケート選手のイナバウアーのような苦しい格好になるものまである。

秋田の竿燈


 ところでこれらの巨大な提灯のお化けの根元を見ると、そろいの法被を着て鉢巻きを締めた、いなせなお兄さんがひとりで操っている。目を凝らしてよく見ると、たったひとりで、提灯を支える一本の竹を、肩に乗せたり、額に乗せたり、果ては腰に乗せたりしているから、びっくりしてしまう。まあ、これこそ秋田の竿燈祭りの担い手である「差し手」の晴れ姿というわけだ。

秋田の竿燈


 東北の三大祭りと巷間いわれているものは、仙台の七夕祭り、青森のねぶた祭り、そしてこの秋田の竿燈祭りである。実は昨年の夏、この三つの祭りを一気にかけめぐるツアーに申し込もうとしたが、あいにく用事ができて、断念せざるを得なかった。このうち、仙台の七夕祭りに類したものとして杉並の阿佐ヶ谷の七夕祭りがある。私たちはかつてその辺りに住んでいたので、七夕の季節になると何気なしにこのお祭りをよく見ていた。それから青森のねぶた祭りは、新幹線開通を記念し二年続けてたった一台ながら表参道に来てくれた。また、残念ながらお祭りの時期ではなかったが、一昨年には青森のねぶた会館に行って実際に曳いてみたことがある。だからこれら二つの祭りは、一応は見たつもりになっている。しかし、秋田の竿燈祭りだけは全く未経験で見当もつかないことから、一度は本場の雰囲気を味わってみたいなと思っていたところである。

秋田の竿燈


 今年最初の三連休から、自宅近くの東京ドームで、「ふるさと祭り」なるものが開催されており、そこで演じられる全国各地のお祭りのひとつとして、秋田の竿燈祭りがあると聞いた。これを逃してはなるものかと思い、三連休最後の成人の日に、家内と出かけたのである。自宅からバスで10分もかからないうちに、春日に着く。そこにある文京区役所で成人の日の式典が行われるらしく、振り袖姿のお嬢さんがたくさん集まってくる。我々はその間を通り抜けて、東京ドームへと歩いていった。

秋田の竿燈


 東京ドームの入り口では、ボディ・チェックで15分ほど手間取ったが、体が冷え込まないうちに入場できた。そして観覧席に陣取ったのである。お祭り広場と名付けられた赤い床の区画の周囲には、竿燈祭りに使われる竿燈が飾ってあった。最初それらを見たときに、意外と背の高さが低いものだなぁと感じた。竿燈の絵によれば、大若と呼ばれる最大サイズで高さ12メートル、重さ50キロ、提灯の数46個という。提灯の数を数えてみると確かに46個はあるから、もしかするとこれは中若といわれる9メートル、30キロのものかもしれないが、それにしても写真で見るのとは大きく違い、とても低いと思った。

 ところが、秋田の皆さんが法被を着、凛々しい鉢巻きをしてぱらぱらと出てきて、実際に演舞が始まると、その案外低いと思った竿燈が、これはどうしたことか・・・するすると背伸びして、あっという間に高くなった。どうかすると、あの高い東京ドームの天井にも届かんばかりである。これはどんな仕組みなのかと思っていると、わかった。その竿燈に「継ぎ竹」をして、どんどん高くしていっているのだ。まず、会長さんの始まりの合図がある。すると、提灯が整然と並べられた親竹に、日本の継ぎ竹を足す。差し手といわれる若い衆が、それを片手であげ、額の上に移し、肩へ乗せ、さらには腰に結んだ帯で支える。顔と目は竿燈を見上げ、バランスをとるために両手を広げ、両足をふんばる・・・これが基本姿勢である。その差し手が疲れてきた頃に、次の差し手がひょいと現れて、その竿燈を受け取り、また演技をするという繰り返しである。いやはや、これは相当な修練が必要な名人芸だ・・・。中には、その腰の帯で竿燈の竹を支えながら、を金色に日の丸が描かれた扇子を出して、それを打ち振るう猛者もいる。余裕だ・・・。演技が終わったときには、大きく拍手をした。

盛岡さんさ踊り


 この東京ドームの「ふるさと祭り」は、もちろん秋田の竿燈祭りだけではなく、その日によって、色々なお祭りが披露される。それはまず、盛岡さんさ踊りである。以前、東京の丸ビル前でも披露されていた踊りで、その踊り手さんのエネルギッシュな演技には驚いたものである。この日は、ミスさんさ踊りのお二人を先頭に、太鼓を操る皆さんとともに、やはり優雅な中でも力強い踊りが披露された。左右への動きはもちろん、手の動きがとても早いので、シャッター・スピードを250分の1に設定して撮った。しかし、それでも手の動きには付いていけなかったようだ。室内なのでそれ以上に早くすると、写真が暗くなりそうである。ビデオも撮ったが、写真は、もっぱら「ミスさんさ踊り嬢」を撮るようにした。彼女はさすがに優秀な踊り手さんで、踊り全体の動きが速いだけに、手が遅れて動くように見え、それが手の動きを実に優雅なように見えるのである。これは、日本舞踊と同じだ・・・。

盛岡さんさ踊り


 さて次は、本場高知のよさこい踊りである。昨年の秋、東京の各地でよさこい踊りが演じられていた。そのとき私が聞いたところによると「昭和29年に高知市の商工会議所が徳島の阿波踊りの向こうを張って始めた踊りで、それが平成4年、北海道札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以来、『よさこい祭り』として全国各地で開催されるようになった」とのことだった。

高知のよさこい踊り


 私はこれまで、表参道、能登、日本橋、丸の内など、かなりの「よさこい踊り」を見させてもらったが、実は本場高知のよさこい踊りは見たことがなかった。ところがこの日は、「よさこいの本家、高知より、よさこい大賞受賞の『ほにや』が鳴子を手に手に参上します!」とのこと。だから、演技が始まるのを楽しみにして待っていた。

高知のよさこい踊り


高知のよさこい踊り


 すると、巫女さんのような緋色の衣装、空のような水色の衣装を着た踊り手さんたちが交互に並び、位置についた。意外と大人しいが、反面しっかりとビートの効いた音楽に合わせ、両手を広げ、跳んだりはねたり・・・これは凄い。もう、あらゆるポーズが組み合わさっている。やがて一段落すると、皆さん一斉に後ろを向いて、衣装を整える。そしてこちらを向いたら、上半身が白くなっていて、変身している。それでまた、ひと踊り・・・。ともかく、動きが速い中を200ミリ超望遠レンズで写そうとするのだから、なかなか難しい。それでも、長い望遠レンズを支えるために左手の肘を胸につけ、連写で撮ったものが、これらの写真である。

キリコ太鼓


 さて、激しい踊りを二つ見た後は、能登半島珠洲市の「飯田燈籠山祭り」である。まずは、なかなか派手な衣装を着た4人組のお兄さんによる「キリコ太鼓」である。「キリコ」というのは、能登半島特有の山車で、ほかの地方のものと違って長方形の独特なものである。おそらく、その巡行のときに叩かれるのがこの太鼓であろう。それを、色々な節や拍子をつけて二人で叩きにたたく。叩き終わったら、他の人に交代して、本人は、太鼓の周辺をふらふらクタクタと回るというものである。これが東京なら、観客から「ちゃんと叩け」など野次が飛んできても仕方のないところだが、その点、能登半島の人々はおおらかと見えて、「ああ、なんか調子に乗っとる」とでも思われるのだろう。確かに、皆うれしそうに楽しく叩いている。

能登のキリコ


  高知よさこい

燈籠山最上部の恵比寿さんと大黒さんの人形








 ふるさと祭り(写真索引)は、こちらから。



(2011年1月10日記)


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富士山と菜の花

吾妻山公園から見る富士山と菜の花


 一面に咲いている菜の花を前景に、雪を被った富士山を撮ってみようということで、昨年の3月21日、神奈川県二宮町の吾妻山公園に行った。ところが、その日はあいにく曇り模様の天気だったことから、富士山をまったく見ることが出来ずに、すごすごと引き上げてきたという事件があった。東京は晴れているので、そう遠くないところだからたぶん見えるだろうといういい加減な考えだったことから、まあ、当然の結末だったのかもしれない。

 ところが、今年の私には、去年と違ってiPhone 4Gという強い味方が付いている。画面をわずか数回タップするだけで、全国各地の天候とその予報を1時間ごとに知らせてくれるし、ライブカメラまで見られるから、現在の富士山の様子がどうなのかをリアルタイムでチェックすることができる。それだけでなく、いわばカーナビの携帯版のような機能も付いている。つまり知らない土地に電車で向かっても、いまどこの線路上をどちら向きでどれだけのスピードで走っているかがすぐわかるというわけだ。これで外出がとてもしやすくなった。

 そういうことで、昨日iPhone 4Gを使って富士山の状況をチェックしていたら、快晴で富士山がよく見えた。そして、明日も同様だろうという予報である。しかし、雪を被った富士山と青い空を写真に収めても、何か寒々しいだろうなと思っていたところ、いやいやそうではなかった。二宮町観光協会のHPによれば、早咲きの菜の花が満開だというではないか。ああ、これは昨年の心残りを取り払う良いチャンスだと思い、早朝にiPhone 4Gでチェックをして、もし富士山が見えていれば行こうと思った。

 それで、当日の朝7時に天気予報とライブカメラを見たところ、快晴で富士山もよく見えていたので、東海道本線午前9時4分発・小田原行きの快速電車に乗ることにした。そして、8時20分頃に二人で家を出たのである。東京駅に着いたときには発車まで20分ほど余裕があった。コンコースをぶらぶらと歩いていたところ、東京ばな奈の出店が目に入った。そういえば、先日、実家へ帰るときに親類向けに3箱ほどここで買って帰ったことを思い出した。家内に、これを食べたことはあるかい聞くと、ないという。それではちょうど良い機会だから、吾妻山の頂上で食べるつもりで、一箱買った。ついでに暖かいお茶を買って、東海道本線に飛び乗ったというわけである。

 電車は順調に走って横浜を過ぎ、大船を通り、何気なく車外の景色を見ていると、建物の隙間からわずかに富士山が見えた。ああ、これで今日は写真が撮れるとうれしくなった。それまでに雲がかからないことを祈るばかりである。それにしても早く着いてくれないかなと、いささか気がせく。焦るときにはまず腹ごしらえと、東京ばな奈を口へと運ぶ。うむ、なかなかやわらかくて、バナナのカスタード・クリームが口にとろけてくるのがわかる。これはうまい。しかし、この程度なら本物のバナナを食べる方がもっとおいしいし安くてよいと思えてきたりもする。だから私には、なぜこんなものが東京みやげとして売れるのかがよくわからない。家内にそう言うと、そうねえ・・・などと曖昧に答えつつも、その実、こちらの方が良いと、その目は語っているようである。

 そうこうしているうちに、やがて所定の1時間10分ほどが経過したらしく、ほどなく二宮駅に到着した。前回来ているので、迷うことなく駅の北口から町役場の前を通って、吾妻山公園に向かう。そして、そびえ立つように見える300段の階段を登り始める。そのたくさんの階段をひとつひとつ上がっていった。途中、一休みできるようにと、ポイントごとに椅子代わりの木の切り株がちゃんと置かれているから、笑ってしまう。はじめはそんなものをと無視していたのだが、胸突き八丁というべきところを過ぎて、ついついそこに座っている自分の姿があった。これでは昨年来たときと変わらない。

 それやこれやで、ようやく136メートルを登り切った。すると、そこは芝生の丘が連なる頂上で、周囲360度を見渡すことが出来る誠に素晴らしいところである。真っ先に視界に入ったのは、もちろん富士山だ。ほどよく冠雪をしていて、その白さと左右に広がるなだらかな稜線が実に美しい。山部赤人の「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」という歌が頭に浮かぶ。万葉の昔から、日本人は、この景色に魅せられてきたというわけだ。もっとも、途中でその歌が、「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も・・・」に変わりそうになったので、あわてて頭の中でそれを打ち消した。

吾妻山公園の菜の花


 ところで、驚いたのは一面に黄色く咲いている菜の花である。早咲きの菜の花が満開というのは、本当だった。別に疑っていたわけではないが、それにしてもまだ1月8日だというのに、これほど一斉に咲いているとは思いもしなかった。それで、その菜の花と富士山とが重なって撮れるポイントを探し、そこで何枚かの写真を撮ったのである。できれば、富士山と菜の花の両方に焦点が合えばいいのだが、カメラとレンズの性能上そのようなことはできないので、菜の花がボケるのを承知の上で、まずは富士山に焦点を合わせて撮ってみた。うむ、これは今期を代表する写真になりそうである。素直にうれしい。とりわけ、富士山を400ミリ望遠レンズで眺めると、画面一杯になり、迫力のある写真となった。なお、富士山の手前の円錐形のコブのように見える山は、いただいたパンフレットによると矢倉岳というらしい。標高は、870メートルとのこと。

吾妻山公園から見る富士山と菜の花


 なお、場所によっては富士山と菜の花との間に葉の落ちた木々が入ることがあるが、これらはソメイヨシノの桜の木だそうだ。すると、桜の季節まで待てば、うまくすると富士山、満開の桜、そして菜の花の三つを1枚の写真に収めることも、できなくはないということだ。もっとも、それまで菜の花が咲いていてくれればということだが、そのためには、早咲きではなくて遅咲きを植えなければいけないのだろうなという気がする。敢えてそうしなかったのは、年中、観光客に来てほしいからということなのだろうか。

吾妻山公園の水仙


 帰り道には、あちらこちらに水仙の群落があった。白と黄色の可憐な花がそこここに寄り集まって咲いている。水仙は菜の花とともに早春の季節を代表する花であるが、下向きに咲くからただでさえ目立たないのに、ますます遠慮深げに見える。美人だけれども、目立たなくてやや損をしている花といえようか・・・。ただ、水仙の放つ香りはなかなか強烈で、群落の中にいると、頭がくらくらするほどである。これほど香りが強いとは知らなかった。

 ともあれ、今日は美しいものを見て良い写真が撮れた一日であった。新年最初の三連休としては、上出来である。社会にとっても、私たち家族にとっても、今年も良い年になるように心から祈りたい。



(2011年 1月 8日記)


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