東京のあちこちで大演舞

琉球エイサー踊り


 昨日の土曜日は台風が来て、日本の南方を日本列島の弧に沿って進み、北太平洋上で熱帯低気圧となって消えた。一時は関東上陸かなどと騒がれたが、幸い雨風もひどいものではなくて、台風にしては誠におとなしいものだった。普通なら台風一過の澄んだ秋の空が期待できるというものだが、どういうわけか今日は朝からしとしと霧のような雨が降っている。すっきりしない天気だなぁと思っていたところ、ようやく昼過ぎになって雨が止んだ。そこで家内と二人で、日本橋の三越に出かけたのである。

朝鮮通信使一行を演じた釜山の高校生たち


 なぜ日本橋に行こうという気になったかというと、この日の午後には着物のパレードがあるということを新聞で見たからだ。インターネットで調べると、1時45分より始まるという。大手町で半蔵門線に乗り換え、20分もかからないで三越前に着いた。1時頃だったので、早く来すぎたかと思いながら階段を上がって中央通りに出ようとしたところ、ガッチャン・ガッチヤンとなにやら外が騒がしい。地上に出てやっと理由がわかった。パレードが行われていたのである。それも、よさこいの一団がエネルギッシュな踊りを披露して通り過ぎたかと思うと、本場阿波踊りの大勢の皆さんが賑やかな鉦や太鼓の音とともに、エライやっちゃ、えらいヤッチャ、ホイホイホイホイなどと個々に歌いながら過ぎていく。そうすると今度は、沖縄のエイサーの皆さんが赤と黒の衣装で片足を上げながら器用にくるくる回って太鼓をドンドン叩いて舞う。いやまあ、元気だ。体全体からエネルギーがほとばしり出ている。はぁぁーこれは凄いと思っていると、東京音頭をしずしずと踊る大勢の男女のご一行が通り過ぎた。あれあれ、見慣れない格好だと思ったら朝鮮通信使の一行が通った。釜山の高校生たちが主に演じてくれているみたいだ。最後にやっと、人力車に乗った着物の女王さんたちと、その後に続く大勢の着物姿のご婦人たちの行進があった。

着物の女王


 通るグループを記録していくと、(1) スーパーよさこい、(2) 前橋だんべえ踊り、(3) 琉球エイサー、(4) 梅后流江戸芸かっぽれ、(5)仙臺すずめ踊り、(6) 阿波おどり、(7) 中央区民踊連盟、(8)朝鮮通信使というものである。これは何だと思って手元のiPhoneで調べてみると、「第38回 日本橋・京橋まつり 大江戸活枠パレード」というものだった。三井不動産やら三越・高島屋などが地元の商店街とともに実施しているらしい。その趣意書には「江戸時代から、日本全国へ続く五街道の起点として、大いに栄えた日本橋。そのメインストリートである中央通りを使用した、大パレードを開催します。江戸時代の活気ある日本橋・京橋を表現した『大江戸活枠』や、活気ある世界を描いた『熙代勝覧(きだいしょうらん)』などのテーマを本年度も継続。スタートとゴールエリアには演舞スペースを設け、出演弾代の立ち止まっての演舞もご覧いただけます。日本橋・京橋に日本全国の祭りが集まり賑わう様を、ぜひとも体験してください」とのこと。その「熙代勝覧」とやらは見逃したが、いずれにせよ、せっかく良い催しをしているのに、PRがいまひとつといったところである。

 それどころか、このパレードの前段階として、警視庁の鼓笛隊などが行進していたはずなのに、現場に来てそういうものがあったのかとようやく知ったという有様である。中央通りを京橋から日本橋まで通行止めにして実施するという大きな催しなのに、妙なことに着物パレード以外は、いずれの新聞でも記事に取り上げられなかった様子なのである。官製の印象を嫌ったのか、それとも単なる地域の祭り程度だからと軽視されたからなのか、真相はわからない。まあ、それはともかく、いずれの参加チームも、本場の本物そのものであるから、迫力満点の本当に素晴らしい演技だった。

着物の女王


 見物をした後、「いやはや、すごかったね」などと話をしながら、家内と三越の二階でウィンナー・コーヒーをすすりながらケーキを食べたが、お勘定をするときになって、そういえばこの日はまた「ドリームよさこい」という催しも行われていることを思い出した。確か、お台場、有楽町そして丸の内を会場として、全国各地から集まった約100チーム7,000人が、よさこい踊りを繰り広げるという記事があった。ちなみに、「よさこい」とは「夜さ来い」という意味で、「今夜いらっしゃい」ということだそうだ。私はてっきりこれは、高知の地元の踊りだろうと思っていた。事実その通りで、昭和29年に高知市の商工会議所が徳島の阿波踊りの向こうを張って始めた踊りなのだそうだ。それが平成4年、北海道札幌市でYOSAKOIソーラン祭りが開催されて以来、「よさこい祭り」として全国各地で開催されるようになったらしい。人数さえそろえば特段の施設はいらないから、都市型のイベントとしては安上がりであるし、見物人だけでなく踊り手も楽しい。そういえば、私が2004年に能登に観光に行ったときに、能登ソーラン祭りというものをやっていた。確かにあの頃から全国に普及していったのだ。

 ところで同じ「よさこい」といっても、そのチームによって区々バラバラで、同じ踊りとはとても思えないし、それどころかまるで前衛劇団の公演のように思えてしまうのだが、これはどうなっているのだろうと疑問に感ずるところである。その答えは、インターネットにあった。そもそもこの祭りには、武政英策さんという人が踊りの楽曲を担当したときに、鳴子(田んぼから鳥を追い払う小道具である。田舎でも育った私は当然知っていたが、都会育ちの家内は知らなかった)を手に持って打ち鳴らすことを思いついたというのである。当初のよさこい踊りは、いわゆる盆踊りスタイルであったが、この武政さんがいわば楽曲を自由化したために、各チームが自由自在にアレンジし、踊りも含めて趣向を凝らすようになり、現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌など、何でもありとなったらしい。

丸の内仲通り「ドリーム夜さ来い」


 丸の内仲通りに着いてみると、「ドリーム夜さ来い」はこれから始めようかという時だった。スポンサーの三菱地所の挨拶によると、お台場に参加した100チームのうちの特にうまい上位10チームを呼んで踊ってもらうのだという。さあ、踊りが始まった。「土佐のぉー高知のぉー播磨屋橋でぇー、坊さん、かんざし買うを見た」から始まるテンポの良い曲に乗って、踊り手が道を演舞する。いずれも、良く練習してきたと思わせる演技ぶりで、観客を魅了している。このよさこいの良いところは、老若男女、年齢を問わずに踊ることができることで、参加して踊っている中には5〜6歳くらいの子もいて、盛んに拍手を受けていた。また高校生主体のチームは、組体操のような要素も取り入れて、男性が女性を一斉に持ち上げたのは、壮観だった。さらには、踊り手が一斉に着物の裾を変えたら、それだけで印象がガラリと変わったチームもあった。なかでも特に印象に残ったのは、会津からのチームで、白虎隊の踊りを取り入れ、顔を赤く塗った奴たちが乱舞するという、日本人ならドキリとする踊りだった。いやまあ、これは凄いの一言である。十分に楽しませてもらった。

丸の内仲通り「ドリーム夜さ来い」


 わずか一時間余りの間だったけれど、ものすごい迫力で、日本の庶民パワーの凄さに感じ入ってしまった反面、違和感とでも言うか、何か割り切れないものを感じた次第である。それから千代田線の二重橋駅から帰途についたのだが、その車内でそれはいったい何なのかとよくよく考えてみると、つまりはこういうことなのである。それぞれのチームは全国各地から来ているし、そういう意味で全国の皆さんたちが創意工夫を凝らした演出の下に一生懸命に練習し、その成果がここで爆発しているのは誠に素晴らしいことである。

 でも、そういうことをしている場合なのだろうか・・・今の日本は歴史的転換点・・・いやいや崖っぷちに立っている。人口は減少し、国際競争力をなくした産業はつぶれるか外国に出ていき、経済は衰退の一途をたどっている。国家と地方の財政は信じられないほどの赤字なのに、壮大なばらまき政策が続けられている。国民の方はというと、外国とりわけアメリカで学ぼうとする日本人留学生の数は最近では激減し、日本人は総じて内向き志向を強めている。普天間や尖閣問題という大事な外交はまるで素人外交との誹りを免れないでいるし、その一方でひたひたとTPP(Trans Pacific Partnership)の波が押し寄せて来ている。早晩これに参加しなければ、ますます日本の産業は国際競争力をなくして追い詰められていくことは明々白々である。その結果、地方では雇用が大きく減少し、賃金は低下の一途をたどり、とりわけ農業はまず立ち行かなくなる。そういう国家のみならず自分自身の危急存亡の時なのに、こんな風に暢気に踊り狂っていて良いものか・・・。生き残りをかけ、新しい産業でも観光でもいいから、国民ひとりひとりがこれからの食い扶持探しを必死になって努力すべき時ではないか。少なくとも、私たち団塊の世代の人間ならそう考えるところである。

 いやいや、それだからこそ、現実を逃避して「踊る馬鹿」になっているのかもしれない。とすると、私たちは「見る阿呆」なのか・・・。まるで、江戸時代末期に流行病のように全国各地に伝染していったお蔭参り「ええじゃないか」の乱舞を思い出す。踊りの形式と時代背景は大きく違うが、歴史的大変革の気配を事前に感じ取った民衆パワーの炸裂という意味では、同じものなのかもしれない。いずれにせよ、これが時代の変わり目の徒花でなければ良いが・・・と願うばかりである。



(2010年10月31日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:29 | - | - | - |
下町まつりと大道芸

「バナナの叩き売り」今井重美さん



1.下町まつり

 先週の土日に、「根津千駄木 下町まつり」というイベントがあった。東京の下町をもって自認する根津と千駄木のあちらこちらで、下町の庶民パワーが文字通り「炸裂した」といっても過言ではない。私が見たのは根津神社と藍染銀座通りの二つの会場だけなのであるが、いやまあ、その派手というか、弾けているというか、ともかくあちらこちらで大騒ぎの絵巻が繰り広げられた。たとえば先週の日曜日、根津神社に行くと、入り口付近でどういうわけか、山形の人が芋煮や丸いコンニャクを売っていると思うと、近所の人が開いた屋台でスイトンだの焼き芋だの焼きそばなども売っている。ふと見ると、郵便局の着ぐるみなども出て子供たちに愛嬌を振りまいていたし、消防関係者が何から相談事に乗っているようだ。そうかと思うと、近所の大学の学生グループが鯛焼きを売っている。もうこれは、要するに「何が何だかわからない」状態である。どうも、地域の人や行政関係が、玄人を入れないで手作りでお祭りをやっている雰囲気を感ずる。これはこれで、さほど目立つような屋台は出ていないけれども、それなりに派手派手しく、ご近所の人の熱意で圧倒される勢いなのである。現に、私のマンションの人が参加していた。普段はのんびりしているのが好きなご性格なのに、この日に限っては一心不乱に屋台を手伝っていて、挨拶してもそれどころではないといった風情だった。

若い女性グループ和太鼓


 そうして人並みでごった返している雑踏の区域を通り抜けると、根津権現の池に掛かっている橋のある広場に出る。その先の仁王門前では、勇ましい半纏姿の若い女性グループがぴょんぴょん飛び跳ねながら和太鼓をドンドン叩きに叩いていて、あたかも踊り狂っているがごとくである。その勢いと大きな太鼓の音を聞いて、私などは感心する余り、ただ「はああーっ・・・」とため息のような声しか出ないほどである。そういえば私の友人がノースカロライナの自宅で、近所の人を集めて和太鼓の練習をしていると語っていたが、こういうものなのかと納得した。地下室でやっていると言っていたが、なるほどなるほど、これはうるさい。その音の大きさに閉口していま来た道を引き返したので、本殿でお参りをするのを忘れてしまったではないか・・・。

 それからしばらくして太鼓の雷のような音が収まったので、再び根津神社の仁王門前に行ってみた。すると今から江戸大道芸を演じるという。そういえばもう6年ほど昔のことになるが、この同じ場所でやはり大道芸を見物させていただいたことを思い出した。そこで、やや暑い日差しの下ではあったけれど、それではひとつ、今年も最後まで見物させていただこうと、家内と二人、ちょうど空いていた長椅子に腰掛けたのである。前回見たときは、蝦蟇の油売りの髭のお爺さんと、それから高円寺のシゲちゃんというバナナの叩き売りのおじさん特に面白かったなぁと思い出した。ところがこの日は、「蝦蟇の油売り」はいないようであるが、「バナナの叩き売り」はやっていただけるようだ。そのほか主な出し物として、神霊護符売りとマジックがあるらしい。

「一筆龍(いっぴつりゅう)」佐藤文幸さん


 さて、大道芸が始まった。まずは、司会者自らが、竹に大きな石を無造作に括り付けたものを出してきた。地面にお皿を置き、その上にこの竹の棒を立ててみよという。たまたま私が一番前にいたので、やってみないかと指名された。おっとり刀で出て行って、竹を皿の上に立てようとしたのだが、何しろ石は竹の一方に偏っていて、ひどくやりにくい。やむなく降参する羽目になった。そうすると、このおじさん、その竹をひょいと受け取って、ぐるぐる回してバランスを確かめ、数秒のうちに立ててしまったから、びっくりした。

 次の出し物に移り、そのおじさんとは別の人が、「一筆龍(いっぴつりゅう)」というのを演じた。要するに一筆で大きく「龍」という字を書くのだけれど、それだけではなくて、よく見ると筆跡で龍の体に鱗のような模様がついているという技である。これは、なかなかのものである。拍手喝采! 次は、「南京玉すだれ」で、「あっこれ!、あっこれ!」という掛け声の下に鳥居、魚などの形を造っていくものだ。もう相当昔の私の子供時代のことになるが、この種の芸をテレビで見たことがある。そのときは素直に感動したが、今のようにCGでどんな形も造り出してしまう時代になってみると、こういう手慰みの造形の妙という芸は、あまりピンと来なくなってきたのが悲しい。

「神霊護符売り」角福請さん


 「神霊護符売り」という行者姿の人が出てきて、法螺貝を吹き鳴らす。要は、何かの奇跡を起こしてみせるというものだ。この日は、見物人の中からどこかの奥さんに出てきてもらい、石を紙で吊り上げさせる。もちろん、石は重いから吊り上がらずに紙は切れてしまう。そうしておいて、色々と祈祷した上で再び紙で持ち上げさせると、今度は切れないで吊り上げられるというもの。昔はその上で、皆に護符を買ってもらったという商売なのだそうだ。それはともかく、こうやるとご利益があるということを聴衆に納得させる必要があるから、生半可の話術の演者では、見物人に受けなかっただろうと思う。

 さてそれからが、マジックである。もう70歳は超えておられると思われる妙齢ならぬ高齢の女性が出てきて、懐かしい伝統的な技を披露してくれた。基本的には、何もないところから色々なスカーフを出して来るもの、バネで上下に大きく伸びる棒を使ってリズム良く演じている。これは、昔ながらの懐かしいマジックそのものだ。次は、大きなトランプのカードを取り出して、誰か手伝ってくれという。一番前に座っていた私がまた指名されて出て行くと、そこから4枚を適当に選んで、選び終えたらそれらを溝に挟み込んで立てかけてくれとのこと。そうして今度はお仲間のひとりに目隠しをして立っていてもらい、その状態でいるときに私がその4枚の中から1枚を選んで見物人に見せる。そして席に戻った。すると目かしくされたおじさんが出てきて、その1枚を当てるというものである。誰かがサインを送っているのかどうか知らないが、これがまた、ちゃんと当たるのである。最後にご褒美として、ルービック・キューブをもらってしまった。今度、孫が来たらこれで遊ばせてみようかと思っている。

阿波踊り「草加いなせ連」さん


 この根津神社の仁王門前での大道芸の最後が、「バナナの叩き売り」である。演者は6年前と同じ、高円寺のシゲちゃんこと、今井重美さんだ。冒頭の写真であるが、小気味の良いタンカ、名調子の語り口、近頃の世相を交えながらの冗談と続いて延々としゃべる一方で、バナナを小刻みに売っていくというのは、とても貴重な技である。ただまあ、いささか品の良くない表現がないわけではないが、それもまたご愛嬌。いずれにせよこれは口上の技なので、文章に書けるようなものではない。別にビデオでも見ていただければと思う。いずれにせよ、見物人との掛け合いの面白さがこの芸の真骨頂である。「高いよ」とか「もっと安くしろ」などと叫ばれて初めて調子が出るというもの。ところが最近の日本人は、そもそも値切るという習慣がないし、こういう場合にどうやって叫んだり冷やかしたりすればよいのかわからないと来ている。また、「はいこれ、300円でどうだ!」と叫んだとき、客から「買った!」と言ってもらいたいらしい。しかし、そういう客の方からの掛け合いがちっともないから、張り合いがないというのである。柴又の寅さんのような下町の気風が満ち満ちた世界は、とうの昔に消えてしまったようだ。

阿波踊り、上手で可愛かった子供たち


 根津神社の近くに、不忍通りを隔てて藍染銀座通りという道がある。昔は通りの両脇の商店がそれなりに繁盛していたようだが、その時代もおそらく何十年前に終わり、今や普段のときは何の変哲もない道である。ところが、この日は違った。そこに目がけて、阿波踊りの三組と、それに何百人もの江戸かっぽれの一行がなだれ込んできたのである。阿波踊りは、「草加いなせ連」、「堀切あやめ連」、「浅草写楽連」であるが、あのチンコンチンコンという囃子とともに、いやもうその踊りの激しさといったらない。しかし、女性はあくまで優雅でしなやか、男性は横っ飛びに飛んだりして派手に動き回る。子供さんたちの踊り手もあって、なかなかかわいい。それを眺めながら、皆でこのささやかな祭りを楽しんだのである。ふむふむ、これはこれで、なかなか良いものである。それにしても、「梅后流江戸芸かっぽれ」の皆さんには驚いた。道路に縦三列に並んで、大音響の調子のよい音楽に合わせて、何百人も皆で一緒に踊るのである。それも40〜70代の人ばかり。これほどの人数が一同に会してこんな踊りを一斉に踊るなんて、今の日本にあるのだろうかと思ったほどである。いやまあ、びっくりしたの何のって・・・。

「梅后流江戸芸かっぽれ」の皆さん



2.江戸・東京の大道芸

 その根津神社で見物していたとき、翌週に深川江戸資料館の小劇場にて、江戸・東京の大道芸が演じられるというチラシをもらった。主催は日本大道芸・大道芸の会である。その前口上なるものを引用させていたただくと、「いま大道芸といえば、南蛮お手玉(ジャグリング)や形態模写(パントマイム)などの洋物を指すようになってしまった。これに対し、私たちが行っているのは、啖呵口上を中心とする日本古来から伝わる大道芸である。前者が芸を見せて投げ銭を得るのに対し、後者は芸では銭をとらず、終わった後で何らかの商品(薬、お札、バナナなど)を売って生業としていた。ところが近年になって、薬事法や道路交通法などができ、芸(商売)を禁じられ姿を消してしまった。このような大道芸を発掘し、記録(『大道芸通信』の発行)、伝承(大道芸講習会の開催)、復活再現(村おこし・町おこしイベントなどへの出演)しているのが私たち「日本大道芸・大道芸の会」である。皆さんのご理解と積極的な参加・情報提供をお願いいたします。」とのこと。

「ぼてふり商人」の皆さん


 なるほど、洋物に対する和物、芸では銭をとらなかった、法律による規制で衰退、庶民文化の継承か・・・いささか感傷と哀愁が伴う歴史である。それにしても、この大道芸の会、とても意義のあることをされていると感心してしまった。それでは、この深川江戸資料館に行って見物してこなければと思い、昨日、出かけたのである。小劇場に着いてみると、年配の人ばかり、50人ほどが思い思いの場所に腰掛けている。いよいよ幕が開いた。女性の声でナレーションが入る。「江戸時代はもちろん、昭和30年代頃までは一般家庭に冷蔵庫はありませんでした。その代わり新鮮な食材を天秤棒で売り歩く『ぼてふり商人』たちが一日中、歩いていました。中でも夜明け前から朝食用の納豆やあさりを売りに来ました」という。それが終わると、今度は日常生活用の物売り商人が次々と現れた。その言葉とともに、納豆売り、あさり売り、七色唐辛子売り、はったい粉売り、煮豆売り、飴売り、かりんと売り、大原女、金魚売りと、次々に出てくる。この中で私は子供の頃、「きな粉にはったい粉」という物売りを見たことがある。

 次いで、「物や道具を大切に扱い、ゴム靴や鍋釜なども修理して大切に使いました」というナレーションとともに、ゴム靴修繕、鋳掛け屋というものが現れた。ああ、そういえば私が小さい頃、鍋釜の修理屋というのが確かにいた。鍋に空いた穴にナットのようなものを突っ込んで叩き、器用にそれを塞いでいたことを思い出した。それに、包丁の研ぎ屋という人もいた。昔はこういう日用品の修理を繰り返して徹底的に使ったものだが、今はすぐに捨ててしまって買い換える時代である。GNPが伸びるわけだが、資源の浪費には違いない。最近のテレビ番組で、割れた茶碗を道具を使って直してしまう中国の内陸部の修理屋さんを描いたものがあった。そのとき、ああ、昔の日本のようだと懐かしく思ったことがある。しかし、かつての日本の高度経済成長のように、近年の経済が大発展を続ける中国なので、こういう人たちも近々消え去る運命なのかもしれない。

 急に、妙な人物(佐藤文幸さん)が現れた。上半身は裸に近く、額に金色の扇子を挟み、荒縄で体を縛っている。それがなにやら騒ぎながら、白いお札を放り投げている。それを拾うと「牛頭天王」とある。これは「すたすた坊主」と呼ばれているらしくて、このお札を拾った子供の親から喜捨をせしめていたそうな。この種の坊さんは、もともと京都鞍馬の僧侶が別院建立のために家々を托鉢して歩いた「願人坊主」から始まったようだが、それが終いにはこのような乞食坊主に堕落したとのこと。

「南京玉すだれ」


 「南京玉すだれ」には、松浦和歌子さん、磯田明さん、近藤保子さん、飛澤麻里子さんなど数人が出てきて、調子のよい掛け声にあわせて鳥居、魚、円などとすだれの形を見せる。中にはまだ5〜6歳の女の子もいて、その子が時々詰まってしまい、周囲の大人が気を遣うなどして、なかなかほほえましいものだった。ところで、あの平板に見えるすだれで、大きな円を描いたり、それを縦にして東京タワーとやるのは、一種のレトロな雰囲気を感じされてくれた。

「蝦蟇の油売り」


 「蝦蟇の油売り」が出てきた。6年前に根津神社で見かけたときは立派な髭のお爺さんだったが、この日はまだ若い人(北島健治さん)で、なかなか立派な口上だった。「鏡の前に置かれた蝦蟇がタラーリタラーリと油汗を流し、それを煮詰めた・・・」といういつもの話だが、ウィキペディアから引用さていただくと「筑波山ガマ口上保存会によれば、筑波山名物・ガマの油売り口上は、200余年前、常陸国筑波郡筑波山麓出身の永井兵助が、故郷の薬ガマの油で一旗揚げようと売り口上を考案し、江戸・浅草の縁日の大道で披露したのが始まりとされる」そういえば昔、私の子供の頃に、縁日でやはりこれをやっていて、子供心に刀で自分の腕を傷つけるシーンが何とも嫌だったことを思い出した。半世紀ぶりにそんなことが頭の中に蘇るのだから、人間の頭脳というものは不思議なものである。佐藤文幸さんの演ずる「一筆龍(いっぴつりゅう)」は、根津神社でやっていたから省略するとして、光田憲雄さんの「六魔」というのは、占いを意味するものだという。その次は、これまた根津神社でおなじみの「神霊護符売り」(角 福請さん)で、これは元々、目の前で奇跡を見せ、それでお札を売っていたものとのこと。

「虚無僧」の藤由越山さん


 虚無僧が出てきて、尺八の良い音色を聞かせてくれる。それもそのはずで、この方は普化宗尺八の第一人者である藤由越山さんとのこと。それから、バイオリン片手に明治の書生の姿をした楽四季一生さんが現れた。何でも、明治末期から昭和初期にかけて、ヴァイオリン演歌というものが流行って、当時の政治や世相の批判、街の演歌のようなものを演奏しながら歌ったらしい。この方は、老人ホームなどにも慰問に行かれるらしくて、ご老人たちも聞いたことがある歌には反応するという。バイオリンの哀愁ある響きと、その演者のバリトンの歌声が調和して、何とも面白い舞台だった。

「ヴァイオリン演歌」の楽四季一生さん


 もう最後から二番目となったが、根津神社でも演じていたシャンヌ亜紀さんによる「南京手品」である。ナレーションによると「明治時代になって西洋手品が入る以前にも長崎を経由して外国の手品も伝えられました。それらは何番手品とか南京手品とか呼ばれました。ともに外国から来た珍しい手品という意味」とのこと。最後は、やはり根津神社でおなじみのバナナの叩き売り(しげちゃんこと、今井重美さん)である。これもナレーションによれば、「バナナの叩き売りは明治末期にバナナの陸揚げ地であった下関で始まりました。以来、大道芸になくてはならないものとして、隆盛を極めました」という。そういえばもこれも私の小さい頃、縁日でやっていたが、啖呵と口上が激しくて、とても子供には近づけるものではなかったという記憶がある。まあしかし、この日は、いずれも年配者ばかりで、適当に「高いヨ!」という掛け声もかかるし、和気藹々という感じであった。そのバナナも売り切って、最後に出演者全員が出て、うさぎ追いしかの山・・・と「故郷(ふるさと)」を歌って、お終いとなった。

「シャンヌ亜紀」さんの「南京手品」


 ちなみにこの大道芸の会、主演者がまさに手弁当で行っているし、会場の借料なども割り勘で負担しているという。つまりは伝統芸を守りたいという参加者個々人の熱心さから来ているのである。今時よくそんなことでやっているものだと、私は心を打たれた次第である。ところで、こういう活動を支援するために、インターネットで募金を呼び掛けて、ひとりひとりは薄くてよいから、広くお金を集めるシステムができないものかと思っている。

出演者全員が出て、うさぎ追いしかの山・・・と「故郷(ふるさと)」を歌う


 しかし、そうした募金活動をするには、いくつか乗り越えなければならない課題があると思う。まず第一に、信頼性がなくてはならない。拠出に応じる人としては、自分が出したお金が果たしてその目的に使われたどうかが不審なままでは、納得できないのは当然である。年末の赤い羽根募金ですら、その団体の維持にかなりのお金が使われているというから、そういうことはないようにしないといけない。次に、インターネット上でそのような小口のお金を集めるシステムを構築しなければならない。そういうシステムは意外とあるようで、現実にはほとんど見当たらないのである。資金決済法などの法規制がかかるからなのだろうか、一度、確かめてみたい。最後に、拠出した人に、その出してもらったお金がどのようになったのか、十分なフィードバックがされなければならない。これは、メールででもお知らせすれば十分だろう。そんなことで、この大道芸のおかげで、いろいろとアイデアが浮かんでくる。モノになるかどうかはわからないが・・・。






 下町まつりと大道芸の妙(写 真)は、こちらから。



(2010年10月24日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:27 | - | - | - |
古河庭園の秋の薔薇

古河庭園の洋館


 また今年も、旧古川庭園の秋の薔薇を見に行った。我が家から地下鉄南北線の東大前駅まで歩いて、そこから3つ目の西ヶ原駅で降り、歩くこと7〜8分ほどで到着する。この庭園は、洋館と薔薇園との対比が実に絶妙で、しかもそれぞれの薔薇の種類が豊富である。一時、時間の経つのを忘れて一眼レフの接写で写真を撮りまくり、それから我に返ったかのように改めて、ひとつひとつの薔薇の美しさをやや離れた位置で鑑賞した。何回見ても、美しいものは美しく、気高いものは気高い。香りの良いものも数多くあって、これまた優雅そのもの。薔薇に心を奪われた先人の育種者の気持ちがわかるというものである。


  レオニダス

古河庭園の秋の薔薇



  きらり

古河庭園の秋の薔薇



  スーパースター

古河庭園の秋の薔薇



  クリスチャン・ディオール

古河庭園の秋の薔薇



  クリスチャン・ディオール

古河庭園の秋の薔薇



  クリスチャン・ディオール

古河庭園の秋の薔薇



  初 恋

古河庭園の秋の薔薇



  芳 純

古河庭園の秋の薔薇



  ハーモニー

古河庭園の秋の薔薇



  ソニア

古河庭園の秋の薔薇



  ソニア

古河庭園の秋の薔薇



  コンラッド・ヘンケル

古河庭園の秋の薔薇



 ヘルムート・シュミット

古河庭園の秋の薔薇








 古河庭園の秋の薔薇(写 真)は、こちらから。


(2010年10月21日記)


カテゴリ:写 真 集 | 12:30 | - | - | - |
忍び寄る年波と危険

旧古川庭園の秋薔薇と蜂


 私と家内のそれぞれの両親のうち、1人は80歳そこそこ、残る3人はすでに80歳台の半ばを過ぎたのであるが、幸いにしていずれも元気にしてくれている。もちろん、寄る年波には勝てなくて、1人は耳が遠くなってしまったが、どういうわけか配偶者が甲高い声で話すと通じる。しかし私のように声が低い人が話し掛けても全く聞こえないから、そういうときにはホワイト・ボードで筆談するようにしている。そのほかの3人は、耳は大丈夫だし頭脳も明晰で、こちらが話すことも喜んで聞いてくれるし、コメントや質問もなかなか鋭い。それどころか、86歳にもなってまだ愛車を運転している人もいる。最近の運転免許試験は、認知症のテストも行っているようだが、それも楽々パスしてきてしまう。

 ただ、いずれも相当な歳なので、万が一何かあっては大変と、私も家内もいつもそれを気に掛けている。ちなみにわれわれの実家へは、片や新幹線で1時間半ほど、もう一方は新幹線と特急を組み合わせて4時間半ほどで行けるから、そう遠い距離ではない。しかし、私たち自身も既にかなりの歳であるし、日ごろ多忙にしていることもあって、いざ新幹線に乗って帰省するとなる、正直言っていささか面倒な気がする。

 しかし、そうも言っておられないので、年に数回は実家に帰ることにしているが、それ以外は週に2〜3回の電話をすることで勘弁してもらっている。もっとも、私たちにはどちらも妹がいて、それぞれ実家の近くで所帯を持っているから、何かあると飛んでいって面倒をみてくれる手はずになっている。だから、たとえば同窓会などで「年老いた両親の介護でホントに大変だ」という話を聞くにつれ、家内と「ウチは恵まれているね」などと話しているところだ。

 そういう恵まれた状況にある私たちなのだが、先日、そうした楽観的な生き方を真剣に反省しなければならない事態に直面したのである。まずは家内の方の両親なのであるが、普段の通り家内が実家に電話してみると、父が出てきて、いつものようにたわいもない話をする。次の日もまた父が電話をとったので、家内が「お母さん、元気?」と聞くと、「ああ、元気だよ」と答える。その場はそのまま安心して電話を切ったのであるが、翌日、念のためと思ってまた電話をすると、電話口に出てくるのは相変わらず父で、母は出てこない。それで「お母さんは?」と聞いたところ「ああ、休んでいるよ」という答えであった。そこで、家内は何か胸騒ぎがしたという。すぐさま新幹線に飛び乗って、実家に向かった。

 家内が実家に着いてみると、父は普段通りで、母はベッドで休んでいる。電話のとおりの状況だ。ベッド上の母は、話しかけるとちゃんと受け答えが出来るので、まあ普通といえば普通なのだが、でも足が痛くて立てないというのである。素人ながら、その足をさすってみると、痛がる。そこで、これはひょっとしてと思い、その場で救急車を呼んだ。それで担ぎ込まれた病院の医師の診察の結果は、誰にも予想できないものだった。つまり「足が折れていますね。すぐに手術しなければ」と言われたのである。本人の話によれば、しばらく前に体調が良かったので、5〜6時間、近所を歩き回ったという。それを聞いた医師は、「ああ、それが原因ですね。高齢になると、たったそれだけのことでも骨折したりするんです」とのたまった。

 それでどうなったかとというと、その病院で足の手術をしてもらい、数ヶ月にわたるリハビリを経て、再び問題なく歩けるようになった。めでたし、めでたしというところであるが、私たちは、これで学んだことがある。それは、老人になると、なかなか新しい事態に意識が付いていけなくて対応が遅れがちであるということである。どういうことかというと、今日は昨日の続き、明日は今日と同じという日常に慣れてしまい、そういう中で何か危険の兆候を見せるような事態が生じたとき、すぐに対応しなければいけないのに、それに遅れたり、あるいは気が付かなかったりしがちであるのである。今回の場合も、いちおうベッドの中にいて一見、普通のようで、自分たちも普通と思っていたが、実は骨折していて、そのまま放置すると寝たきりになってしまうという危機一髪の状況にあった。しかし、本人たちは、別に昨日と変わらないと思っていたのである。まあ、そんなものである。こういう場合は、いつも顔を見ているメンバーよりも、かえってたまに行って顔を見る人の方がわかるというものである。

 そういうことを経験していたのであるが、今回の私の父の一件には、驚いた。9月に入ってまだ熱帯夜が続いていた頃のことである。実家に電話すると、母が出てきていつもの世間話の後、「お父さん、暑いからシャーベットばかり、食べてるのよねぇ」という。「暑いといっても、ご飯とおかず、食べないとね」と答えると、「いやそれが、出しても食べないのよ。頑固なんだから」と笑って言う。そんなものかと思い、受話器を置いた。そうして、数日後、また電話すると、母が「お父さん、立てなくなって、一日中、寝ているの」というから、「シャーベットばかりじゃ、そうなるから、お粥なんかを食べさせなきゃ、力が出ないよ」というと、「そうねぇ。そうする」と母がいった。

 その翌日、また実家に電話したところ、母が「お父さんね。尿が赤くなって、それに、変なことを口走るのよ。何十年前のことをね」という。「それじゃ、病院に行って、診てもらわないと」といっても、「お父さん、嫌がるのよね」と、困った様子。そこではじめて、「ああ、これは家内の実家の場合と同じだ」と気が付いた。それで、すぐに妹に電話して、「何かおかしいから、救急車で病院に連れて行ってほしい」と頼んだ。妹も、この一週間、顔を見ていなかったと言って快諾してくれ、直ぐに実家に駆けつけて本人を無理矢理、救急車に乗せた。

 病院に担ぎ込まれて診察を受けた結果、重度の貧血状態だとわかった。何でも、ヘモグロビンの量が、本来は13以上であるべきところ、5.8しかなかったそうだ。それで、立てなくなったり、譫妄のような症状が現れたそうだ。その次の日、私が新幹線で駆けつけたところ、ちょうど午前中に輸血をしてもらったばかりの時で、ヘモグロビンの量は7.8まで改善していた。意識もちゃんと戻っていて、いろいろなことを的確に答えてくれたので、ひと安心したのである。もう一度、輸血をしてから退院したのだが、そのときには12〜13まで回復していた。後から妹に聞くと、まさにあのとき入院しなかったら、それこそ危なかったらしい。

 やはり、老人の家庭の場合は、誰かちゃんとした人が側にいて、いつもそれなりの目をもって見守っていた方がよいと思う。本人たちは、昨日も今日も明日も同じと思って、たとえ何か悪い予兆があったとしても、その変化を認めたくない、あるいは見たくもない、面倒だという潜在意識が働いて、気付くのが遅くなる傾向にある。我々は、これでひとつ大事なことを学んだのである。



(2010年10月20日記)


カテゴリ:エッセイ | 20:29 | - | - | - |
ソニーのバイオに四苦八苦

ソニーのバイオ



1.最高性能のパソコンを購入したのに

 つい先月、富士通のFMVパソコンのハードディスクの換装が首尾よく終わり、引き続きこのFMVパソコンをこれから末長く使って行こうと思っていたところである。しかし、それから数日も経たないうちに、有楽町のビックカメラの店頭で最近のWindows 7のパソコンを見た。いったんこういう最新のものを見てしまうと、もういけない。生来の新しもの好きの血が騒いで、よせばいいのに手に入れたくなってしまうのである。だから、そんなところに行かないことが一番の対策で、事実そうしていたのだが、この日は別件でたまたま行ったということもあり、もう遅かった。あれこれ見て回っているうちに、中でもSONYのパソコンVAIO(製品型名:VPCJ11AFJ)がたいそう気に入った。デスクトップとノートパソコンの中間のような形をしていて、液晶画面の大きさも21インチと手頃だし、いくらでもカスタマイズしてスペックを上げられるという。そういえば、撮りためたビデオ編集がしたいと常々思っていたし、1年前から売り出されたWindows 7の性能もそろそろ安定してきた頃であるから、この際思い切って、最高スペックのパソコンを使うのも悪くはないなと考えた。

 それでVAIOについて詳しそうな店員さんと相談し、あれこれ検討して、おおよその見積書を作ってもらった。CPUはIntelのCoreで、i7-2.67GHz、メモリーは8GB、ハードディスクは1テラバイトと、これがこの型の最高レベルとなる。これにグラフィック・ボードも付けておけば、どんなビデオの編集でも、ハードの力不足にはならないはずだ。OSは、もちろんWindows 7 のHome Premium(64ビット)である。これに、アドビを入れて、Microsoft Office2010とATOKを入れてと・・・更に加えて3年間使えるNorton Internet Securityも付け、無線のキーボードとマウスを添えると、・・・〆て23万円近くになる。ううむ・・・少し高いなとは思いつつ、そういえば自分は、3年おきにこれくらいの値段のパソコンを買ってきたのだったなと過去を振り返り、こういう馬鹿な癖は死ななければ直らないと自覚しながら・・・ではまた今回もそうするかと思って、買い替えることにした。買い替えといっても、今の富士通のFMVパソコンは、家内がそのまま使ってくれることになったので、決して無駄にはならないのというのが、ひとつの言い訳である。

 さて、注文してからしばらくして、商品は、2010年9月17日に配送された。梱包を解いて机の上に置き、まず電源ケーブルと光ケーブルを接続した。新しい電気製品を買ったときには、まさにこの瞬間が一番楽しいものである。梱包中に単3電池が2つあったので、無線接続のマウスとキーボード用だと思って、それぞれに、ひとつずつ入れた。最近は、電池をふたつ使わないのか・・・ここでも省エネを実践していると見える・・・などと、くだらないことにも感心したりする。ワイヤレス・キーボードに至っては、こんなに軽いのかとびっくりするほどである。それ専用の黒いカバーを併せて注文しておいたが、それをかぶせると、手触りも良くなって、なかなか感触がよろしい。ますます気分は高揚する。そうして準備を整えた上で、いよいよパソコン本体のスイッチを入れた。すると、VAIOくんは静かに順調に動いてくれて、ウィンドウズの設定をし終わった。昔と違って、ウィンドウズやオフィスの開始時に、長々とした英数字のキーコードを入れる必要がなくなったので、とても楽になっている。

 それから、昔から使ってきたファイル操作ソフトの「卓駆」をインストールし、それを使って、別途バックアップしておいた400GB近い写真や各種のファイルを、VAIOのハードディスクにコピーし始めた。ところが、USBの接続がまだ2.0形式になっていないのかどうか知らないが、コピーの速度がとても遅い。中止して原因を探ろうかとすら思ったほどだったが、しばらく我慢しながら画面の様子を見ていた。そうしていると、その「遅い」という問題以外は比較的順調に動作してくれていたのであるが、困ったことに、4ギガバイト近い大きなサイズのファイルのコピーに移ってしばらくすると、卓駆が急に動かなくなってしまった。ソフトの上部のバーに「応答なし」と出て、ビクリともしない。まあ考えてみると、それもそのはずで、何しろこれはWindows XPの前のWindows Meなどという4世代も昔の古いOSの時代から使い続けてきたソフトなので、いたしかたないことである。こんな時に備えて、64ビット版のファイル操作ソフトの「豆ファイル」というものを別途ダウンロードしておいたので、それを展開してインストールした。その「豆ファイル」を使い始めたのだが、何しろ使い慣れていないことから、少し手間取ったけれども、ようやくコピーを継続することが出来た。その結果、約1時間ほどかかったものの、日常使っているソフトや写真をVAIOの中に何とか移植することが出来た。

 そうそう、インターネットを開始するのだから、何はともあれ、アンチ・ウィルス・ソフトの代表格であるNortonをインストールしないと安心して接続できないと思い、店で購入したNortonのCDディスクを入れようとした。ところが、VAIOの製造者SONYはマカフィーが好みと見えて、VAIOにはその試用版が最初からインストールしてあった。これをこのまま放っておいて、もしアンチ・ウィルス・ソフトが二重に働いたりすると、OSが混乱するかもしれないと考え、先にこちらをアンインストールした上で、Nortonをインストールした。すると、また登録をさせられたりしたが、ともかくそれは終了した。これでよしと・・・インターネットは始められる。

 その次に、iTuneをインストールしなければ、iPhoneの毎日のバックアップが作れないと思って、かねて用意してあったiTuneの実行ファイルを展開しようとした。すると、「これは32ビット版用です。あなたのOSは64ビット版なので、別途、ダウンロードしてください」という表示が出てきた。仕方がないので、インターネットのiTuneのサイトを開いて、64ビット版を入手し、それを実行した。それから、iPhoneをUSB経由で接続したのだけれど、旧パソコンならここで同期が始まるのに、少しも動かない。ヘルプを見ると「デバイスの登録をせよ」とあるので登録したが、いつものようには動いてくれない。「あれあれ、これはおかしいな」と思った。試しに、「iPhoneのバックアップ」を手動で行ったら、何とか出来たものの、たとえば「アプリ」の項目は、各アプリのアイコンの色が、薄いままである。これは、そのパソコンがメインではなくてサブの印かもしれない。だからその薄い色のアイコンをクリックしても、もちろんビクともしないのである。

 ヘルプには解決策は見当たらないし、色々と試してみたが、どうにもならない。色々な情報を総合して考えると、要するにiPhoneと一体となって同期できるのは、一台のコンピューターに限られているらしい。ならば、ここで新パソコンを妙にいじくっても、どうにもならないのかもしれない。これは結局、旧パソコンからiTuneをアンインストールするか、あるいは登録のようなものを取り消さないと解決できないのかなと思った瞬間、代替案をふと思いついた。「それなら、旧パソコンの中のiTuneのデータを、そのまま新パソコンの相当するフォルダに上書きコピーをしたらどうだろう。少し強引だが、まだ何も入れていない新パソコンだから、成功する確率は五分五分かもしれない。」・・・というわけで、それを試してみたところ、自分で言うのも何だが、問題は見事に解決できた。振り返るとこれが、今回の買い換えの最大の山場であったといえる。いずれにしても、パソコンを扱っていると、こういうことが一度ならず生じ、それを解決するときに知的な快感を味わえるというのが、この趣味の良いところである。要するに、頭を柔軟に使わないと、パソコンは使えないのである。

 最近、iPhoneを持つようになったことに伴い、このiTuneのほか、いくつかのソフトを使い始めたので、それらもインストールする必要がある。それは、色々な情報を管理できる「Evernote」、クラウドを利用してファイルをどこでも参照できる「Dropbox」、それとパスワード・暗証番号を記録しておける「Callpod」である。しかし、液晶画面上にこれらのソフトのアイコンがいくつも並ぶのは私の趣味ではないので、「CLaunch」というランチャー、つまり各種ソフトのアイコンを一括登録してそこから動かせるソフトを入れることにした。これは、普段は隠れていて、画面の端をクリックすると出てくるというものだ。幸い、これには新パソコンと同じ64ビット版があったので、これも好都合である。インストールしてみて、そこに出てくるたくさんの箱のひとつに、デスクトップにあるアイコンをドラッグ&ドロップしたところ、その箱におとなしく入ってくれた。これを試す前は、ひとつひとつソフトのある場所を参照して登録しなければならないのかと気が重かったが、いざやってみるとそうではなかったから、これはうれしい機能である。これを利用して、デスク・トップ上に散らかっていた多くのアイコンをすべて、このランチャーの中に取り込んだので、画面はきれいになった。こうでなくては・・・。まるで本当の机の上のように、すっきりした。

 これで、インターネットに接続し、バックアップしておいたデータを復元し、そして基本的なソフトを全てインストールしたので、パソコンを使う準備はすべて整った。でも、これから本格的に使っていったら、何が起こるかわからない。念のため、Windowsのバックアップをしておこう。そうすると、システムが全滅しても、ここから復元することが出来る。それでまず、Windowsの復元ディスクの作成を行った。これは、DVDのディスクを一枚用意して、それにシステムを入れるだけである。次に、パックアップを行った。バックアップ先は、500ギガバイトのハードディスクだ。最初は、意外と早く動いてくれて、この調子では2時間と少しで終わるはずだったのに、1時間を過ぎたあたりで動きが遅くなり、けっきょく4時間もかかった。これは、後半はファイルが圧縮されている写真のデータが多かったからだろう。しかし、この出来事を除けば、新パソコンVAIOは、期待通りにとても早い。加えて、Windows 7自体がVistaに比較すればとても早く動くので、大いに満足している。買い換えて良かったと思った瞬間である。

 ところが、仕事も忙しくなったので、あまり自分のパソコンにさわる時間もなかったことから、購入日からここに至るまでに、ほぼ2週間近くもかかってしまった。せっかちな私にしては、あり得ないほどのスローペースとなったというわけである。しかし、実はもうひとつの要因があるのではないかと思っている。それは、使い始めて3ヶ月近いiPhone 4Gの存在である。こちらもまた、新しいアプリをインストールするたびに、その使い方に習熟しなければならないし、またそうしていると何かしら問題が起こる。それにひとつひとつ対応していくから、その過程でけっこう理系の頭を使う。各アプリにはそれぞれの特徴と限界があるものだから、それこそ頭を「痺れる」ほど使う。そういうことで、新パソコンVAIOにまで気が回らなかったのである。加えて、このiPhone 4G自体がパソコンそのものといっても過言ではないので、これですべてのメール、カレンダー、メモなどを扱うことが出来る。だからその分、自宅でパソコンの出番が少なくなったことは、否めない。しかしながらその反面、大容量ビデオの編集、大量にある写真の検索と調整など、パソコンにしか出来ない作業もある。だから、これからは、パソコンの性能面の制約で従来はなかなか出来なかった映像面の表現に力を入れて、せいぜい活用していこうと思っている。


2.早速壊れてしまった!

 上記1.の文章を書き終わったその直後まで、VAIOは順調に動いてくれていて、何の問題もなかった。ところが、災難はいつ何時降ってくるものかわからないものである。その文章を書き終わってからわずか1時間後の午後11時過ぎ頃に、「VAIO UPDATE」からの表示が出て、「PBM(VAIOの附属の写真ソフト)について、アップデートがあります」という。そこで、そのインストラクションに従って、所定通りアップデートを行った。そのPBM関連のアップデートは続けて4本もあり、そのうち後の2本は、インストールするたびに再起動せよという面倒なものであった。仕方がないので、そのたびに再起動を行った。ちなみに、自宅では通信環境に公称最大100メガバイトの速度が出せるという光ファイバーを使っていて、実測でも55メガバイトという高速が出ている。そのようなこともあって、普通のアップデートは、極めて短時間であっという間に終わる。ところがこのPBM関連のアップデートに限っては、意外と時間がかかったので、何か妙な胸騒ぎがしたのである。

 そして案の定というか、やはりというか、その最後の再起動の直後に、Windows 7が立ち上がったものの、動作がとても遅くなっていた。たとえば日本語入力すら、なかなか変換してくれないという有り様である。どうなっているのだろうと思ってCPUメーターのソフトを使って動作状況を見ると、CPU稼働率はわずかに1〜3%程度で、ほとんど使われていない(メモリは20%程度を使用)。それにもかかわらず、どのソフトの動きも非常に遅いか、あるいは「応答なし」の状態のものばかりであった。それをいちいち消しながら、試験的にいくつかのソフトを立ち上げてみたところ、ほとんどすべてに「システム・ビジー」の状態という表示が出ていたので、何か大きな異変が進行していると感じた。

 たまたま、この問題が出る直前の午後10時頃に、(前日に無線LANに接続できる設定を始めて行ったのであるが、その日はそれを)元の有線光ファイバーLAN接続に戻そうとしたところ、「有効な接続がない」という表示が出たので、新たに有線の光ファイバー接続を設定して再起動をした。ところがいったんシャットダウンをして新たに立ち上がるとき、「Ctrl+Alt+Delを押してください」という妙な表示が出てきて、その通りにすると、普通に立ち上がった。しかし、毎回こんなことを表示されるのでは面倒だと思った。そういう問題もあったので、この際、PBMのアップデートに伴うこの動作不良の問題とともに、それも併せて一挙に解決しようと考えた。そこで、復元時点を直近の10月4日にして、コントロール・パネルから正式なシステムの復元を行った。そうすると、Windows 7はちゃんと立ち上がった。しかし、まだ各種ソフトの動きが遅くてぎこちなかった。どうも先のPBMのアップデートに伴って起きた問題が解決されていないように思えた。写真の整理には、私はPicasa3を使っているので、ソニーのPBMなどというソフトは使う予定もない。だから、この際アンインストールしようかとも思ったが、念のためもう一度、再起動した。そうしたところ、「ブート・セクタが見あたらない」という表示が出た。あらら、事態はどんどん悪い方向に向かっている。

 色々と対策を考えたのであるが、これは初期状態に戻すしかないと思い、(1)電源が切れている状態で、VAIO CAREレスキューを起動した。当初は順調に動いていたのだけれど、最後の場面で「エラー13」というのが出て、失敗した。(2)そこで、リカバリ領域からリカバリしようとして、開始したところ、ブート・マネージャーというものが出てきて、変な日本語、すなわち「コンピュータにされているデバイスとのにがしました。けUSBドライブのようなリムーバブルがデバイスがにりされた・・・このメッセージがききされるは、ハードウェアのにいわせてください。0xc00000e9::しないx/oエラーがしました」というまるで出鱈目なものが表示されて、これも敢えなく失敗した。そこで最後に(3)あらかじめ用意しておいたリカバリ・ディスクを使って起動することにした。そして、外付けハードディスクをUSBポートに繋いだ。すると、「Windowsの起動に伴う問題の修復用の回復ツールを使用します。修復するオペレーティング システムを選択してください」と表示され、DディレクトリにWindows 7と出た。このハードディスクが認識されたことがわかる。それから「システム回復オプション」が動いていたが、ほとんど終わる頃になって結局、「この問題を自動的に修復できません」という表示が出て、また失敗した。もう一度、同じことを試みたが、やはり同じところで失敗したのである。

 こうなった原因をつらつらと考えてみたところ、(1)まず最初に疑うべきはウィルスの侵入であるが、そもそも立ち上げた当初からアンチ・ウィルスソフトとして定評のあるノートンのフル・バージョンを使っているので、ウィルスが侵入することは、まずないと信じてよいと思う。(2)もちろん、別に怪しいサイトを見たわけでも決してないし、変なメールを受けたこともなかったと断言できる。(3)やはり、直接の原因は、VAIO UPDATEから配布されたPBMのアップデートであることは、まず間違いがない。そういうことならと、ソニーのサポート・センターに電話することにした。自分としては、20年以上となるパソコン歴で、初めての挫折経験である。いやいや、ひょっとしてVAIOの機械的な初期不良かもしれないし、PBMのアップデートプログラムに欠陥があったのかもしれないと思いつつも、あまり気分のよいものではなかった。

 そう思って、サポート・センターに電話したところ、5分ほど待ったところで担当者が出てきた。意外と早く繋がった。そこで、今回の症状を説明した。すると誰かと相談したようで、しばらくして「では、こちらで預からしてください」ということになった。翌朝、運送業者の方が取りに来てくれたが、家内の話によれば、パソコン、キーボード、マウス、電源コネクターそれに保証書とVAIOカルテなるものをそのまま差し出すと、持ってきた梱包材料を使って上手に荷造りしてくれたので、手間が省けたそうだ。それから数日経ってVAIOが戻ってきた。

 報告書には、「ハードディスクの初期不良」とあった。「何だ、機械的不良なら、自分の腕のせいではなかったのか・・・それにしても人騒がせな・・・」と思ったのであるが、問題はハードディスクが出荷状態に戻されていたことである。もちろん、自分も最後は初期状態に戻してもやむを得ないと思っていたけれど、それにしてもこんなに早くハードディスクが壊れるとは思わなかったので、先月末から今月初旬にかけて撮った写真やビデオがこれで全滅したのは痛かった。特に、白山京華通りでの越中八尾おわら節のビデオを編集しようとしていたので、誠に残念である。


3.バックアップと再設定に四苦八苦

 やはり、何はともあれ、バックアップの大切さは身にしみた。まさか、買ったばかりですぐに壊れるとは思わなかった。そこで、今までのように週末に一回というペースではなく常時バックアップができないかと思って、ネットを調べてみた。すると、BUFFALOネットワーク対応HDD LinkStation CH2.0TLというハードディスク( LS-CHL7DB )があることがわかった。この特徴は、ネットワーク経由で繋げられることである。だから、「ネットワーク対応ハードディスク」と名付けているいうわけだ。そういえば、自宅の無線LANルーターのポートが二つばかり空いているので、そのひとつを使えばよい。私の使い方ではパソコンを室内で移動させることがよくあるので、USBコードで大きなハードディスクをいちいち繋ぐよりはこちらの方が使いよい。しかも容量が2テラバイトもあるから、将来、写真やビデオが増えても、十分に余裕がある。また、このハードディスクはパソコンの電源と連動していて、パソコンの電源が落ちればこちらも電源が切れるというから、手間がかからない。しかもアマゾンでは22,000円という合理的な値段である。これなら良いと思い、すぐに注文した。

 これまた配送の効率が素晴らしく良くて、夜中に注文したのに翌々日の早朝にはもう受け取ることが出来た。ちなみにお急ぎサービスを選択すれば、翌朝にでも受け取れたそうだが、そこまでするまでもないと思って普通の配送を頼んだのだけれど、それでもこんなに早かった。日本の配送システムは本当に効率的である。ともあれ、着いた荷物の梱包を解いて本体を確認した。その上で無線LANルーターのポートとの間を光ファイバーで結び、Navigator2.0という付属ソフトを動かすと、設定はあっけなく完了した。パソコンからは、これをディレクトリとして認識できた。驚くほど簡単なものである。

 それから、パソコン本体にまずコピーしておいた主に写真やビデオの約500メガバイト弱ものデータをこのハードディスクに転送し始めたのであるが、その表示を見てびっくりした。すべてコピーし終わるのに丸1日もかかるというのである。本当かなと思ってしばらく走らせてから計算したところ、確かにそれくらいはかかりそうな結果となった。つまり、転送速度がひどく遅いのである。どうかすると、一枚の写真を転送するのに1秒もかかる。丸1日というのは、計算間違いなどではなかった。それで仕方なく、画面の電源を落としてそのまま丸1日近く動かして、無事に全てのコピーをし終えた。いやはや、困ったものである。でも、これからはバックアップするにしてもその差分だけだから、さほど時間はかからないだろう。

 ただ、このネットワーク対応ハードディスクのせいで、大きな問題が生じた。自宅の無線LANルーターには、iPhone 4Gも繋がっているのであるが、そちらの設定と競合を起こしてしまっていることに気が付いた。つまり、IPアドレスが全く同じになってしまっているのである。2ヶ月前にiPhone 4Gをこの無線LANルーターに繋げたときに、IPアドレスの最後を2としたのであるが、これを4とか5とかにすればよかった・・・。あるいは、今回の設定のときに、iPhone 4Gを繋いでおけばよかった。たまたまiPhoneの電源を切っておいたときだった。

 試しに、パソコンの電源を落とし、そしてこのネットワーク対応ハードディスクの電源が自動的に落ちる状態としてiPhone 4Gを立ち上げると、Wi-Fiに繋がった。やはりこれは、まさしく典型的な競合状態である。まあ、もう一度Navigator2.0をアンインストールしてから再インストールしてもよいが、面倒なので、ほかの設定を全部終えてからやってみようと思っている。まあ、普通はパソコンを使いながらiPhoneのWi-Fi接続を使うという局面は考えられないから、すぐにどうこうという問題ではない。ひとつだけ問題が出ると思うのは、「i手帳」のバックアップである。これは、iPhone 4GをWi-Fiに繋げた状態でなければ出来ないので、Web経由など何か別の手段を検討しなければいけないことになった。

 その次に、システムのイメージ復元のために、このハードディスクにそのイメージをバックアップしようとしたのであるが、今度はパソコン側が認識してくれないという問題が生じた。やはり、USBコードで繋がった外付けハードディスクでなければいけないようだ。考えてみるとそれもそうで、緊急用のバックアップだから、ネット経由でなければ繋がらないようでは、いざというときの役には立たないというわけだ。それで、手持ちの500メガバイトの外付けハードディスクを繋いでみたのであるが、保存する復元用イメージを収納するには、容量があとわずか10メガバイト分だけ足らないのである。わずか10メガのことだが、何ともならない。これには困った。この2テラバイトのハードディスクを外してUSBで繋げようかとも考えたが、まあこちらはパソコンが動いている間はともに動くということなので、年月が経つと同時期にダウンする可能性がないわけではないと思い、イメージのバックアップ用にUSBコードで繋げる専用の外付けハードディスクを別途買おうと考えた。

 それでネットで調べたものが、BUFFALO HD-CL1.5TUターボUSB2.0用である。こちらは容量が1.5テラバイトと大きいし、ターボUSB2.0というから、転送速度も早そうだ。楽天市場では11,500円という値段である。これも安いと思ったので、すぐに注文した。ちなみに、楽天に注文して嫌なことは、その注文の後にショップからジャンクメールがどんどん来ることである。これが非常に煩わしい。そのメールをいちいち消すのが面倒な上に、少し前まではどうすれば配信停止ができるか非常にわかりづらかったのであるが、最近はようやく改善された。そこで注文したというわけである。こちらも配送が早くて翌々日の夜に届いた。さっそく復元用のイメージを作成したところ、それに約5時間かかった。1日よりはマシだったが、もう少し、早くならないものかと思っている。

 以上でバックアップの問題はとりあえず解決できたので、このVAIOを買ったばかりのときのように、必要なソフトをインストールしたり設定したりする作業に入った。まず最初はセキュリティ・ソフトの「Norton」である。ところが困ったことに、私が故障前のVAIOにインストールしたのは、1台限り3年間有効のNortonで、そのままでは使えない。さりとて、また買うのは無駄そのものである。パッケージを見たら60日以内なら返金してくれるというので、そのサポート(03-5642-2682)に電話した。すると、数年前に電話したときには何十分かけ続けても全然出てこなかったのに、今度はすぐに担当者が出て来たからまずそれにびっくりした。事情を話すと、それではプロダクトキーをいってくれというので「ブリティッシュのB、カナダのC、数字の2・・・」などと説明したらそれをコンピューターに打ち込んだようだ。幸い、前回これをアクティブな状態にしたときに、私がユーザー登録していたので、その記録が画面上に出てきたらしくて、それを見ながらその1回限りの制限を解除してくれた。こんなことは、ほんの数年前には全くの門前払いだっただけに、この対応には、大いに満足した。

 次に、「iTune」をインストールした。すると妙なことに、つい先日は首尾良くいった「iTune」の設定が、今度はうまくいかないのである。あの、旧iTuneの設定とデータをそのまま新パソコン中の該当するフォルダに上書きしてしまうという強引なやり方である。これが使えないと、iPhone 4Gのバックアップが出来ないし、音楽も入れられないので、大きな問題となる。「あれあれこれはおかしいな、つい1週間前には成功したのに・・・と思いながらと色々と考えた結果、「これはもしかすると、このわずか1週間あまりの間に、iTuneのバージョンが変わったのではなかろうか」と思いついた。調べてみるとやはりその推測は当たっていて、旧パソコンのiTuneと新パソコンのiTuneとではバージョンが違っていた。「ああ、これだ、これだ」と思い、旧パソコンのiTuneのバージョンアップを行った上でそのデータ一切を新パソコンに上書きコピーをしたら、正常に動いてくれた。これで、日曜日の2時間ほどを費やしたのだが、まあ、頭の体操となったとでも思っておこう。

 「Callpod」というソフトも、「activationの数の限度を超えています」と表示されたので、アメリカにメールを送って、リセットをお願いする羽目になった。同様に、法科大学院の講義のために、TKCというシステムを利用しているが、こちらも入れなくなって、リセットが必要となった。やはり、担当にその旨をお願いするメールを送ってリセットを求めた。「Outlook」は最近あまり使わなくなったが、過去のメールを見るためにその設定を行った。しかし、あまり気が乗らずに行ったために、ホットメールと自分のプロバイダーのメールとが一緒のフォルダーに入ってしまった。ああ、これは失敗かと思ったが、各フォルダ名が共通しているために、同種のメールが同じフォルダに振り分けられて、かえって見やすくなったのは、怪我の功名というものである。後は、「CLaunch」を設定すれば、作業は終了である。やれやれ、買ったばかりのパソコンのハードディスクの初期不良がからんでいたとはいえ、新パソコンを順調に動かすまでに、約1ヶ月もかかってしまった。この間、私のホームページ「悠々人生」の更新どころではなかったので、読者には申し訳なかった。

 ところで、やや技術的なことながら後々のためにここに記録しておきたいことがある。それは、休止状態のことである。つまりこのVAIOには、終了オプションに[休止状態]の項目がなかったので、私は非常に不便を感じていた。つまり、一日の終わりにパソコンを消そうとするたびにシャットダウンして、翌日はまた一から立ち上げるということをしなければならなくなったからである。スリープにすればよいではないかと言われるかもしれないが、私の場合は毎回、電源を完全に落としたいので、それは出来ない。その対策は、要は、「ハイブリッドスリープ」の設定を無効(オフ)にすればよいというのである。その手順は、 [コントロールパネル] ハードウェアとサウンド → 電源オプション → [プラン設定の変更] → [詳細な電源設定の変更] → [スリープ]をダブルクリック → [ハイブリッド スリープを許可する]をダブルクリック → 7.[オフ]を選択し、[OK]ボタンをクリックすればよい。これで再起動することなく、シャットダウンのメニューに「休止状態」の選択肢が現れた。

 やれやれ、これでフラストレーションを感ずることなく、ようやくVAIOを心ゆくまで使えそうである。とりわけ、写真やビデオの編集が楽しみだ。ああそれから、ひとつだけ気が付いたことがある。前のノートパソコンと比べて、画面が圧倒的に大きくなったこともあるのかもしれないが、画面から受ける光量が増したと感ずるのである。私は寝る直前まで、パソコンを使う習慣なのであるが、気のせいかこのVAIOにしてから、あまり寝付きが良くなくなったと思うのである。確か、夜中にあまりに強い光を浴び続けると、睡眠によくないと聞いたことがある。そこで、コントロール・パネルを開いて画面の明るさをそれまでの90%程度から55%へと落とした。その直後は明らかに画面が暗くなった気がしたが、すぐに慣れて、今では別に暗いとは思わなくなった。それ以来、以前のように寝付きが良くなった気がしている。単なる気のせいかもしれないが、このまましばらく、様子を見ようと思っている。


【備 考】 新パソコンの仕様

カテゴリー : VAIO
製品型名 : VPCJ11AFJ
購入年月日 : 2010年9月17日
システム情報 : Intel(R) Core(TM) i7 CPU. M 629 @ 2.67GHz
クロック周波数 : 2.67GHz
システムメモリー: 8GBytes
製 造 者 : Sony Corporation
モデル名 : VPCJ11AFJ
サービスタグ : J004BK3Y
シリアル番号 : 27510716-1103800
BIOS version : R0220W7
OS version : Microsoft Windows 7 Home Premium
ME version : 6.0.31.1208


(1.は2010年7月10日記、2.と3.は10月19日追記)


カテゴリ:エッセイ | 19:08 | - | - | - |
徒然186.とある秋の休日

自宅屋上から見えた東京スカイ・ツリー


 10月に入って最初の土曜日である。連日摂氏30度を超す猛暑の夏が終わり、ようやく秋らしくなってきたことから、家内と二人で、家の近くを散歩した。最初に目にとまったのは、家の前の公園に咲いている黄花コスモスである。どこからか蜂が飛んできて、これはおいしいとばかりに一心不乱に花弁の蜜を吸っていた。邪魔をしないようにそっと近づいて、その姿を連写して何枚かの写真に収めた。本日の出だしとしては、幸先がよい。

黄花コスモスの蜜を吸う蜂


 その次は、近くの会社の建物の前に植えられていた曼珠沙華である。赤と白の花が揃っている。この二つの色の花を並べて一枚の写真に収めるというのは、よほど運が良くないとほとんどあり得ない。これはチャンスである。ただ残念なことに、背景に何の変哲もない白い金属の柵がある。花の写真を撮るとそれが写ってしまうのが難点である。せめてこの柵が黒かったら目立たないのでそれなりの写真になるのにと残念に思った。接写をすれば背景を目立たなくすることも出来るが、赤と白の花を同時に撮るには接写が出来ない。まあ仕方がないということで、背景をそのままにして、写真に収めた。

曼珠沙華の赤と白の花


 そうこうしているうちに、東京大学の安田講堂前に至った。秋の青空をバックにその雄姿を一枚の写真にする。美しい。これが東大の象徴となっているのは、宜なるかなというところである。それに今日は、真っ青な空に白い雲、そして画面からはわからないが、学生さんたちのコーラス付きである。つまり、講堂の入り口で数人がコーラスを組んで歌っていたので、カメラを構えていると、その歌声が聞こえてきた。

東京大学の安田講堂


 ちなみに、つい先頃まで私もここで先生をしていたが、学生さんたちは総じてどの人も素直で、よく勉強をしていたことは認める。そういう意味ではまさに優等生ばかりであったと思う。それは良いことなのだけれども、その反面、昔の我々の時代がそうであったように、エネルギーだけは有り余っていて、放っておくと、何をしでかすかわからないという猛烈な人間がひとりもいなくなってしまった。それに代わり、まるで飼い慣らされた子犬のような、どこか個性の乏しい大人しい学生さんばかりになってしまったのには、いささか物足りなさを感じるのである。私は、これはもしかすると小学校の低学年から塾に通って営々と勉強するような人しか、東大に入れなくなってしまったことと大いに関係があるのではないかと思っている。

東京大学の毎年春に合格発表が行われる場所


 正門の方向には、こんもりとした葉を付けた美しい銀杏並木が続いている。そちらの方に歩いて行き、道の中途あたりで法学部のところを左に折れて、毎年春に合格発表が行われる場所を通る。そして医学部を左手に見るところで右に折れると、赤門の方に道が続いている。その赤門を出たところには、いろいろなレストランがある。そのほとんどが学生さん向けだが、中には我々が入っても違和感のないところもある。お昼時をとうに過ぎていたので、小腹が空いた。そこで、そのひとつに入ってお刺身を食べたのである。おいしかった。

東京大学赤門


 それから、本郷三丁目の交差点に出た。交差点の角にあるお店で、「かねやす」という小間物屋さんがある。ここは、江戸時代から続いている由緒あるお店である。ただ、土日に開いていたためしがない。ああ今日もやはり休みかと思いながら交差点を左へ曲がった。途中、勝海舟ゆかりの「壺屋」というお菓子屋で最中を買った。それから5〜6分ほど歩いて、湯島神社に着いた。神殿では、ちょうど神前結婚式が行われていた。お参りをするお賽銭箱のすぐ向こうで、新郎新婦が並んで座り、神主さんが祝詞をあげている。だから、我々一般の参拝客は、まるでお嫁さんとお婿さんに向かってお参りするような具合となる。まあ、それはどちらでもいいけれども、お二人には幸せになっていただきたい。参拝しながら、そう思った。

湯島神社の神前結婚式


 それから男坂を下って湯島に出て、不忍池のほとりを歩いた。池で目立つのは、夏の間あれほど茂っていた蓮の葉の大群であるが、もうすでにその勢いはかなり衰えていて、蓮の実を付けているのが多かった。さらに行くと、途中で家内が何かに気づいた。「あれ、あそこの弁天堂を横を見て!あれは、東京スカイ・ツリーではないかしら!」 どれどれと思ってその指さす方を見ると、なるほど、あれは確かにただいま建設中のスカイ・ツリーである。設計では634メートルの高さだが、確か最近ではすでに400メートルくらいまでになっていると聞いた。それにしても我が家の近くで、これほど大きく見えるとは知らなかった。

不忍池のほとりで東京スカイ・ツリーを見かける


 さて、それから再び散歩を続けて、根津の「はん亭」という天麩羅屋の前を通りかかると、なにやら小さくてかわいい黄色の車が停まっていた。まるで黄色いテントウ虫のごとくである。電気自動車のような気もするが、しげしげと運転席を覗き込むのも不作法なので、ちらりと見たまま、通り過ぎた。

小さくてかわいい黄色の車


 しばらくして、自宅に帰り着き、そしてふと思った。不忍池でスカイ・ツリーが見えたのだから、ウチの屋上で見えないはずがないと・・・それで屋上に出てみたら、なんと・・・上野公園の緑の海の向こうに、スカイ・ツリーが聳え立っていた。どうしていままで、気がつかなかったのだろう。あれは、墨田川の向こうだから、ハナからそんなものが見えるはずがないとの先入観念があったからなのだろうか。これからは、わざわざ押上に行って見上げる必要はない。こうやって自宅から、毎日どんどん上へ上へと伸びていくのが観察できる。これはささやかな楽しみになりそうである。

越中八尾おわら節


 きょうは本当にいろいろなものを見たと思ったら、ぜひ見たいものがまだあった。近くの白山の京華商店街で、越中八尾おわら節の踊りが演じられるのである。実は昨年も見物してビデオや写真に撮ったのであるが、また今年もおわら節が見られるというわけだ。商店街の会長さんのお話によると、今年で9年目だとのこと。午後5時から始まる予定である。最初は、本場から来ていただいた皆さんによる「組み踊り」で、それから地元商店街の奥さん方が主体の「流し踊り」である。今年は、特に組み踊りをビデオに収めようと思っていた。

越中八尾おわら節


 時間になり、用意が調った。最初は組み踊りである。胡弓の幽玄な調べとともに、朗々とした「おわら」が歌われる。男踊りは、手がさっと動き非常にダイナミック、女踊りはもちろん優雅そのものである。午後5時頃はまだ明るいので、デジタル一眼カメラでも、けっこう良いビデオを撮ることが出来た。そのうち、辺りが暗くなってきたのでカメラにしたが、やはりフラッシュを使わないと満足な写真を撮ることはなかなか難しかった。しかし、ビデオだけは記念に残るものが撮れたので、大いに満足している。踊り手の皆さん、特に富山から来られた本場の皆さんに、感謝申し上げたい。是非また来年も、見たいものである。いやまあ、盛りだくさんの一日だった。

越中八尾おわら節の囃子方





(2010年10月2日記)


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iPhone 4G とともに80日

80日目のiPhone 4G


 早いもので、「iPhone 4G」を買ってから、もう80日が経過しようとしている。掌に載るこの小さな情報機器は、もうすっかり私の手の一部となっている。たとえば、買ったばかりの頃は、私の太い指ではなかなか押せなかったあの小さい小さいキーボードが、いまや何の問題もなく押すことが出来ているのを見ると、慣れとはおそろしいものである。こんなことすら自分は出来るのだから、もう世の中の人に出来て自分に出来ないことはないとまで思わない・・・わけでもないのはご愛嬌だとして・・・それでは、このスマート・フォン「iPhone 4G」との付き合い方を、特に有用でいつも使っているアプリを中心に、この段階でまとめてみることにした。

メール


 一番よく使うのが、メールとSMSである。私は4つのアドレスを使い分けているが、それらに来るメールはすべて、このiPhone 4G上で一度に見ることが出来る。しかも、わざわざ自分でメールの来着を確認しなくとも、プッシュ式といって常に自動で受信メールを15分ごとに更新し続けてくれているから、手間はかからない。ただし、外国で同じようにすると、データ通信料が天文学的な数字になるから、その場合は手動で確認するように設定している。なお、先般の外国旅行先のイギリス・ロンドンで使った結果としては、わずか1週間の滞在だったというのに、メール、SMS、それにインターネットのマップなどの通信料がすべてを合わせて77,062円も課金され、そこから1日当たりの上限額1,480円を設定できた提携通信事業者のデータ通信分の割引きを差し引くと、それでも定額制以外で27,406円もかかってしまった
(注1)。これというのも、海外で提携外の通信事業者に勝手に繋がってしまい、手動でキャリアを選択できなかったというiPhone 4Gの仕組みのせいではないかと疑っている(注2)

(参 考)パケットし放題の怪

(注1) 「iPhone 4G」を使い始めてから二回目となる8月分の料金請求がどうなったかというと、イギリスに行ったせいもあって、国内の「パケットし放題フラット専用パケット定額分」が151,862円(a)、「海外パケットし放題日額定額対象分」が77,062円の中の49,656円(b)である。したがって(a)と(b)の計が差し引かれて最終的には、4万円台半ばの請求となっている。もし、定額制の上限がなかったとしたら、両者の定額分だけで併せて201,518円である。まあ、これだけ、電波資源を使っているということだから、とりわけ国内でソフトバンクの携帯電話が繋がりにくいといわれるのも、宜なるかなという気がする。

(注2)  ソフトバンクと提携しているイギリスの通信事業者は、Vodafone UKである。最初、イギリスに着いたときには3G回線の提供事業者として同社がiPhone 4Gに現れた。ああ、これでよいと思っていたら、ホテルに着いたときには、いつの間にか、ほかの事業者に変わっていた。これはいけないと思って、「設定」ボタンをタップして手動でキャリアをVodafone UKに戻そうとしたが、どういうわけか「自動」の表示があるのだけれど、それを手動に変えて事業者(キャリア)を選択する画面が出ない。いつまでもキャリアを検索し続けている。仕方がないので、そのままにしておいたのであるが、たとえば地下鉄を利用してまた地上に上がって来たら、Vodafone UKになり、また別の駅に潜ってピカデリー駅から地上に出たらもう別のところに変わっている。しかし、ホテルに戻ると、Vodafone UKになっているというという有り様で、一定していない。だから、Vodafone UKが現れているときは通信容量が大きくなってもよい「マップ」などを使い、そうでないときは控えるという使い方にならざるを得ず、誠に不便であった。
 これは、iPhone 4Gの欠陥か、それともソフトバンクの陰謀か、あるいはイギリスのキャリアの問題か、そのうちのどれかだろうと思っていたら、アップルの銀座に行って係員に聞くと、「このiPhone 4Gは外国で使われているものと同じだから、キャリアを手動で選べないはずはない」という回答だった。では、SIMロック論争の延長線上で、ソフトバンクがOSを日本語に移植したときに意図的にを改変したのかとも疑った。しかし、そういうことはアップルしかできないのではないかと考え直した。その後、日本に帰ってきてしばらくして「設定」ボタンをタップしたところ、自動だけでなく、手動で選択できる画面が現れ、ソフトバンク以外でドコモが選べるようになっていた。これはどうしたことか、なぜイギリスではできなかったのだろうと思ったが、そういえば日本でも、ドコモの回線を借りて、直輸入したiPhone 4Gを使わせるサービスのことが話題になっていたので、それではないかと考えた。ところが最近、それが再び消えてしまい、従来通り日本ではキャリアを選択する余地なく、ソフトバンクだけになってしまった。どうなっているのだろう・・・紙面に書けないような奇々怪々なやりとりが行われているのかも?


 ちなみに、4つのメール・アドレスを持っていると色々と面倒なので、なるべくGmailに統一しようと考えている。それがかなわないまでも、せめて2つにはしたいと努めているものの、過去のおつきあいや会員登録の都合などもあって一気にはできない。そこで、移行期間として半年くらいを見込んで、のんびりとやろうとしている。その場合、なぜGmailに集めようとしているのかというと、まず7ギガものフリー・スペースを与えられているし、検索機能と迷惑メール遮断機能が文句なしに一番である。しかも、メールのみならず写真などもiPhoneと完全に同期しているから、パソコンでもiPhoneでも、そっくり同じメールや写真が見られる。したがって、バックアップについて気にする必要もないからである。

SMS


 メールのほか、SMSとMMSという携帯電話時代からの通信手段があるが、私の場合、これらはもっぱら家族間のコミニュケーションで使っている。というのは、通信内容の表示が、会話のようになっているのが気に入っているからである。つまり、日本語で「吹き出し」、英語で「バルーン」という、漫画によく出てくるような、登場人物の発言内容を表わすかのごとき形式で表示されるのが良い。こちらのメール内容が緑色で、あちらからのものが白色でそれぞれ表示される。まるでお互いに会話をしているようで、面白い。また、同じ人物とのやりとりは自動的にまとめてくれるので、これも使いやすく、見やすい点である。

連絡先


 連絡先つまりiPhone 4Gの住所録は、筆まめの住所録を、ひと月半ほどかけてようやく移行した。「グループ」と書かれている最初の画面には、「iPhone上のすべての連絡先」と、Exchangeによる「Contacts」とを置いている。前者は、このiPhone上だけにある連絡先で、すぐに参照できるようにと、家族と日常の仕事先の電話番号とメールアドレスだけを入れてある。これらの人に対して連絡するには、こちらを使う。それに対して後者は、筆まめの住所録そのもので、自宅と勤務先の電話番号、メールアドレスそして住所という本格的な住所録になるようにしている。空いた時間を使ってコツコツと入力したところ、500人分を超える数となった。入力に結構な時間がかかったけれど、すべて完了したときには、それこそ達成感があった。いちいち、「いま、あの人はどうしているかな」などと思いながら、相手先の現況を調べていったせいでもある。ちなみに、これはGmailの連絡先と完全に同期している。したがってこれからはGmailの連絡先をメンテナンスしていけば、このiPhone上の連絡先も自動的にメンテナンスされるから、それはすなわち、バックアップになるという仕組みである。

 そして、iPhone 4Gの良いところは、たとえばメールアドレスをタップすると、そのアドレスが入ったメールソフトが立ち上がるから、そのままメール内容を書いて再びタップするだけで送信できる。それだけでなく、相手の自宅でも勤務先でもかまわないが、住所録に入れてある相手先の住所をタップすると、画面がくるりと反転して地図が出てきて、目指す場所に赤いピンが立つ。それを二本の指でピンチ・アウトして拡大すると、その人の自宅や勤務しているビルの形や航空写真まで表示されるという具合である。併せて、もよりの駅まで経路と時間も簡単に検索できるから、これは便利だとしか言いようがない。もっとも、友達のところを訪ねようとして、勤務先の住所をこうやってiPhoneで見て出かけるという使い方もできるのは良いが、ついでにその自宅の住所をタップするとすぐに地図が出てきて、「ああ、これは私が昔、住んでいたところの近くだ。だけど、あそこはあまり便利がよくないのだけれどなぁ」とか、「あらら、駅まで30分近くあるとは、これは大変な所だな」などと思ったりすることもあって、やや立ち入り過ぎという気がしたから、今ではあまり見ないことにしている。

カレンダー


 iPhone 4Gのカレンダーも、Gmailのカレンダーと完全に同期している。だから、パソコンのないときにはiPhone上の予定を変更すれば、パソコン中のGmailの予定表が直ちに変わるし、その逆もまた可能である。しかも、iPhoneに15分前、30分前などと登録しておくと、その時刻になったらチャイムが鳴って事前に通知してくれるから、何かに気をとられて予定時刻に遅れるという心配もなくなった。これが一番、重宝している。また、連絡先に入れておいた誕生日なども同期できるから、これも便利である。ちなみに、現在の私にはこのアプリでちょうど良いのだが、若い頃の私がそうだったように、一日の予定が分単位でぎっしりと詰まっているような人には、これだけの機能では不満かもしれない。そういう方は、「To DO」のアプリを買うとよいだろう。  

 なお、昨日、「i手帳」というアプリを買った。iPhone 4Gのカレンダーだと、ねずみ色の一色で味気ないし、週単位でも予定を見たいし、できればメモ帳代わりに使えるアプリがあれば良いなと思っていたところ、たまたまそのようなものがあったというわけである。まだ使い始めたばかりで、ご紹介するほど習熟していないが、ともかくメモ、写真、音声を日記のように貼り付けられるし、パソコン中のGmailにも同期してくれるというから、使い勝手がよいのではと期待している。

電 話


 私の場合、私有の携帯電話番号宛に掛けて来るのは家族くらいのものだから、話は簡単で、iPhone 4Gに架かってきたときには緑のバーをタップするだけで話せる。こちらから架けるときは前述の「連絡先」の電話番号をタップするだけでよい。そのほか、一般の携帯電話と同じく、留守番電話など色々と仕組みはあるが、外から掛けて来られた場合を除き、私はあまり使っていない。

スカイプ


 インターネット電話のスカイプだが、iPhone 4Gにインストールできるアプリは、Wi-Fi経由だけでなく3G回線も使って一般電話宛にも電話できるというのが売り物である。これを利用して遠くの実家に電話したところ、いつも通り母が出てきて普通にしゃべることが出来たし、お互いにちゃんと聞こえたという高性能な電話である。その実用性には、疑問の余地はない。ただ、母が言うには、「番号が非通知扱いとなるので、最初は知らない人からの電話かもしれないと身構えたわよ」というので、これはいけないと思って、それからは実家への電話に使わないようにしている。ただ、要するに無料で電話できるので、外国に気軽に電話するようなときには、重宝している。たとえば、ロンドンのホテルに電話したが、よく向こうの言っている話が良く聞こえたし、こちらがしゃべった内容も伝わった。ただ、以上は自宅のWi-Fi接続を使ったときのことで、最大で54メガバイトも出ているからかもしれない。一度だけだが、これを回線速度が極端に遅い3G回線で、外国向けに試してみたことがあるが、最初の数分は問題がなかったものの、しばらくしてこちらの言っていることが伝わるのにタイム・ラグを生ずるようになって使えなくなり、切らざるを得なくなった。だから、外国にある固定電話や携帯電話とほんの数分程度、話す分には3G回線を使ってもよいかもしれないが、基本的にはWi-Fiを使うべきものではないかと思われる。

カメラのアプリのGenius、Genius Scan、Turbo Scan


 iPhone 4Gに搭載しているカメラは高性能なので、これについては色々なアプリがあって、私もよく使っている。標準で搭載されているカメラは、タップするとそこに焦点を併せてくれるという優れた機能で、これはたいそう気に入っている。しかし、画面にグリッドが欲しいときとか、全画面のどこでもシャッターにしたい場合、手ぶれ補正が必要というときには、この標準のカメラアプリにはその機能はない。そいうときに使うのが、「Genius」つまり天才という名のアプリで、そのような機能をすべて備えており、これは素晴らしいアプリだと思っている。しかしその兄弟ソフトの「Genius Scan」というアプリは、もっと凄い。これは、カメラで撮った写真から必要な部分を切り取り、それを強調表示してカメラロールに保存するアプリである。つまり、スキャナーに相当する役割を果たしている。ちなみに、これとは異なる「Turbo Scan」というアプリもその種のスキャン・アプリなのであるが、「SureScan 3X」というのを動かすと、同じ被写体を3回撮れば、それをソフト上で統合して、はっきりした画像を作り出すのである。だから、ぼやけた被写体でも、細部まで明確に映る。どういう仕組みなのか想像がつかないが、これは読みにくい被写体を写すのによく使っている。

写真のアプリのWeb Album


 この2ヶ月あまりの間、私はカメラを日常の記録メモ代わりに使ってきた。最もよく写す被写体は、新聞や雑誌の記事である。つまりは、デジタルの切り抜きを作っているようなものである。さきほどの「Genius Scan」を使い、1日当たり平均で5〜6枚ほど撮ることが多い。こうすることによって、あとから見られるようになる。時間の空いた時の暇つぶしにそれらを見返していると良く頭に入るので、これから起こりそうなことを考える材料になるし、自分の日常生活を振り返るよすがにもなる。記事のほかにどんな写真があるのかといえば、たとえばお昼に行ったおいしかったレストランの店構えやメニュー、それに出された料理の写真もあれば、ソニー・プラザの前の熱帯魚の水槽のビデオなどもあるし、ロンドンに行けばテムズ河の風景なども撮って入れてある。それだけでなく、仕事上で珍しく思った文書を記録代わりに撮ることもある。要するに、何のためか、後からどうするのかなどということはまったく気にしないで、何でも雑多なものを撮りまくっている。強いていえば、ああ面白いとか、これは珍しいとか、とても美味しかったというのが、こうした写真を撮る動機である。

 こうやってiPhoneのカメラで撮ると、当然たくさんの写真やビデオがiPhoneの中にたまっていく。そうした写真があまりに多くなると、整理がつかなくなってしまいかねない。しかし、いちいち記録したり整理したりするのは、とても面倒だし、長続きしない。そこで、どうしようかと考えて試行錯誤をした結果、こういうことにした。まずは、月初めに、前月に撮ったすべての写真やビデオをすべて、パソコンのハードディスクに移動する。そして、そのうち写真だけを取り出してその大きさを読める範囲内で縮小し、それをグーグルが提供するPicasaにアップロードする。それをiPhone上の「Web Album」というアプリを使えば、いつでもすべて見ることができる。ただし、Picasaはフリーだけれども最大2ギガまでの容量しかないから、この方法でいくと、半年で容量が一杯になる計算となる。しかしそれくらいは、まあ仕方があるまい。他方、後々まで見たい写真は、次に説明する「Evernote」に入れて、管理するようにしている。なお、最初の頃は「写真フォルダ」というソフトも重宝したが、これはiPhone内で相当な容量を占めるようになるので、結局のところ家族写真だけを入れるようにしているから、あまり使っていない。以上のように説明したことでおわかりと思うが、私の行っていることは、要するにグーグルのPicasaサービスで外部のクラウド上に写真を保存するという結果になっている。


(参 考) Picasaへの写真のアップロード方法

 (1) iPhoneをパソコンにUSB経由で接続する。
 (2) iPhone内の写真をパソコンにコピーし、適当なフォルダに入れる。
 (3) フォルダに入れた写真を画質90%、倍率70%に加工する。
 (4) Picasaを起動し、そのフォルダから、D:¥iPhone¥2010_09へ「インポート」する。
 (5) それらをPicasaで「アップロード」する。その際、非公開かどうか、2GBの容量の何%使用中かを確認しておく。


Evernote


 「Evernote」というのは、本当によく出来たアプリである。こういうものが無料で利用できるなんて、信じがたい世の中になったものだ。なぜかといえば、思いついたこと、撮った写真、見つけたホームページ、それに音声に至るまで、Web上で保存してくれる。そしてそれを、パソコンとiPhoneの双方からアプローチして、書き込んだり、追加したり、変更を保存してくれて、しかも同期してくれるのである。だから、気になった情報、思いついた文章、考えをまとめる際のヒントなど、何でもかんでもここに入れ込んでおくと、そのうちこれさえ見れば、思考の材料となって役立つというわけである。いままでは、何か思いついても、手元にメモを置いておかなければ、そのまま雲散霧消してしまうし、「あれ、何だっけ」と思うこともあったが、それが載っていた新聞雑誌は当然、手元にないし、そもそも切抜きはしないという方針だから、どうもうろ覚えで探そうにも探せない、だから自信がなくて引用も出来ないという事態で停止していた。ところが、Evernoteがあれば、必ずどこかに入れてあるし、検索も簡単というわけだ。もっとも、無料版は、容量に制限があって、月40MBしかアップロードできない。iPhoneの写真を20枚ほど入れると、もう容量の心配をしなければならないので、これからの使い方如何では、有料サービスに移行するつもりでいる。

Dropbox


 「Dropbox」というアプリも、「Evernote」とともに本当によく出来ていると、ほとほと感心している。これは、パソコンからでもiPhoneからでも、まったく同じファイルをその場で参照できるからである。もっとも、そのファイルを操作したり書き込んだりするには、iPhoneではだめで、パソコンでなければ行い得ない。すなわち、iPhoneから見ると、ファイルを参照することしか出来ないという制約はある。それでも、自宅のパソコンで作ったファイルをいつでもiPhoneで見ることが出来るという安心感は、私のように文章で生きている人間には誠に心地よい。しかし私は、このソフトはiPhone上というより、自宅とオフィスのパソコン相互間で、よく使っている。

 これまでは、通勤の際にUSBメモリーを持ち歩いていた。もちろん、通勤といっても専用の車で自宅とオフィスの間を行ったり来たりするだけだから落とす心配はまずないし、暗号化もしてあって、他人には容易に読み取ることが出来ないように配慮はしていたし、その上、いわゆる機微なデータは持ち歩かないようにしていたのではあるが、それでも仮にUSBメモリーを紛失するようなことがあったとしたら、気になって眠れないだろう。  

 しかし、「Dropbox」にしてからは、そういう心配はなくなった。家のパソコンの「Dropbox」フォルダーに入れておくと、オフィスのパソコンでそのデータをそっくりそのまま見られて、しかも自在に操作できるからである。これで、USBメモリーを持ち歩く必要はなくなって、誠にすっきりとした。これまでのように、ワイシャツのポケットにUSBメモリーを入れ忘れたために、洗濯物と一緒に洗ってしまったという失敗もなくなったのは、有り難い。考えてみたら、別にiPhoneがなくとも、そもそも「Dropbox」をパソコンにインストールしておけばよかったのではないかと思うが、しかしiPhoneがあったからこそ「Dropbox」というソフトのことを知ったのだから、これもiPhoneのおかげであろう。

支出管理


 「支出管理」というアプリは、単に何にいついくら支払ったかを記録しておくためだけのものである。いわば、電子家計簿支出編のような役割を果たしている。それがどういう費目で使い、それらの計が予算との対比でどうかなどを表やグラフで示してくれる。私はこれまでこの種の家計簿なるものを付けたことはない。また、別にこのアプリでもって現在の消費態度を変えたり、はたまた節約したりしようなどという気は、もとよりさらさら起きないのだけれども、試しにiPhoneを買って以来、これに日々の支出内容を記録するようにした。

 そうすると、私が毎月使っている定額支出はいくらかとか、やはり支出の内容は交際費と通信費が際だって多いとか、食費は毎月ほとんど同じだなどと、自分の生活ぶりが数字で示されるから、この歳になって言うのも妙なことだが、何か新鮮な気がする。ついでにこのアプリでは、何にいくら使っただけでなく、その写真まで添えることが出来るから、とても面白い。つまりは写真日記にもなるのである。たとえば、実家に帰ったときなどは、両親と一緒に食べたレストランでのスナップ写真も入れておける。計数の几帳面さと、写真のアバウトさとがちょうどよくミックスされている。

 なかでも、この几帳面な感覚は、月々、家計簿をきっちり付けているような奥様方には当然なのだろうけれど、私はそういうことをして来なかったので、そうした感想を持つのである。なるほど、自分の消費生活に改めて反省を迫る契機にはなるだろう。もっとも、今年の8月から9月にかけては、海外旅行をするは、エアコンを買うは、そして極めつけは新しいパソコンVAIOを買うはで、それこそ数十万単位ではるかに予算を突き抜けてしまった。もうこうなると、こういう家計簿を見ていても、「ええい、どうにでもなれ」と捨て鉢にならざるを得ないから、まるでブラック・ジョークそのものである。そういえば、昔、家内が私にこう言っていた。「あなたは、10円20円の違いは案外気にするけれど、何十万円単位や何百万円単位、それどころか何千万円の単位のことになると、どうでもよくなるのだから・・・もう。」・・・いや、そういわれればそうなのだけれど、男って、そんなものである。ちなみにパスカルはその著書「パンセ」で、このように言っている。「人は小さなことには敏感だが、大きなことにはひどく鈍感なものなのだ」(パンセ198)

iPod


 「iPod」もなかなか単純な構造ながらiTuneと組み合わせれば非常に使いやすい。まあ、もともとパソコン以外のアップルによる一連の製品は、そもそもこれから始まったので、使いやすいのも当然といえば、当然である。一曲当たり150円程度で簡単にダウンロードできる。前回の説明で、手持ちのCDだけでなく、図書館からもCDを借りてきて、それをiTuneに写し、このiPhoneに同期するという使い方について書いたが、引き続きこれらの作業を行っていったら、数にして1000曲、容量にして8ギガバイトを超えてしまった。全体が30ギガバイトもないというのに、これは多すぎる。しかもその大半が、クラシックと昔の日本のどうでもいい曲である。だから、もうそろそろこれで打ち止めにしようかと思っている。

 我ながら、こんな曲ばかりを入れて何の役に立つのかと思っていた。ところが、つい先日、このiPhoneを実家に持って帰ったところ、私に似て新しい物が生来好きな私の母が、さっそくiPhoneをさわってその液晶画面を適当にタップしていた。そうすると、たまたま「iPod」を立ち上げたらしくて、突然、昔の歌謡曲が聞こえてきて、大いにびっくりしたというか、懐かしいと言って喜んだというか・・・。もっと聞きたそうだったが、帰りの電車の時間が迫っていたので、申し訳ないが、そのまま置いておかずに持ち帰ってきた。今度、そうした曲ばかりを入れて、本物の「iPod」を贈ろうかとも思っている。

お遊びのアプリStar WalkとNASA公式アプリ


 お遊びのアプリであるが、「Star Walk」というのは、誠に素晴らしいと思う。iPhoneでこのアプリを起動すると、その場で見える天空の写真と、数々の星座、そして惑星の軌跡などが一覧できるのである。こうなると、東京のように明るくて空の星が見えないとか、今晩は雨だから空を眺めることができないなどということもない。つまりこれは、地上で使う「マップ」の地図+航空写真の天空版といってよい。iPhoneを掲げてあちこちの方向を見ると、それだけでその方向に見える星座や惑星が見えるのである。これと、「NASA」の公式アプリと併せて使うと、それだけで1時間ほどは優に暇がつぶせる。天文学が好きな私にとっては、宝物のアプリである。そうやっていると、この季節、その時間、そちらの方向に見える星座などの名前を自然に覚えてしまう。ただ、ひとつだけ問題は、このアプリを立ち上げて聞こえてくる音楽が・・・まあ何というか、趣味がよくないというか・・・ちょっと妙なのである。

Wi-Fi接続をする設定のアイコン


 ところで、「iPhone 4G」を使っていて、これだけはどうにかしてほしいと思うのは、Wi-Fi接続である。自宅の無線LANに接続しているのだが、ときどき不安定となって、うまく接続できないことがある。そういう場合に、どうかすると妙なところに繋がることがある。たとえば、「Free public wifi」というのが現れて、いつの間にかそちらに繋がってしまう。表示される電波強度も強い。ところがその内容を見ると、からっぽなのである。これはトロイの木馬の一種かと思い、なるべく繋がないようにしていたところ、いつの間にか消えていった。これって、いったい何なのだろうと思っている。それからしばらくして、今度は電波強度は弱いのだけれど、パスワードのない数字の羅列のアドレスに繋がってしまうのである。誰か近所の人でITに弱い方がパスワードを施さないで設置した無線LANではないかと思うが、これまた、それが現れたらすぐに消すようにしていたら、やはりしばらくして消えた。まだこの2件だけだが、これらが実際にトロイの木馬だったとしたら、大いに問題である。話は変わるが、脅威といえば、最近、秋葉原でWEP暗号を解読できる機器が3000円程度で売られているという報道があった。それは我々iPhoneユーザーにとってはパソコンのガンブラー・ウィルス並みの大きな問題である。近く、暗号強度を上げるなどの対策を何とか打たなければと思っているが、アップル側でもっと強度の高い暗号に自動接続できるようなアプリを開発してユーザーに提供すべきである。


 以上のように、「iPhone 4G」がないと、1分でも暮らせないほどになってしまった。これはもう、携帯電話というより、むしろ小型パソコンに電話機能が付いたものといってよい。いやはや、情報機器もここまで進歩するとはと、感心している今日この頃である。しかし、ごく近い将来、もっと発達するだろう。たとえば、ボイス・コントロールですべての操作ができるとか・・・これは大変な世の中になったものだ。せいぜい、時代に遅れないように、世の中の進歩にぴったりと付いて行きたいものだ。








  関 連 記 事
  iPhone 4Gの衝撃
  iPhone 4Gの10日
  iPhone 4Gの20日
  iPhone 4Gの30日
  iPhone 4Gの80日
  iPhone 4SとiOS5
  iPad を使用する
  iOS5からiOS6へ
  iPhone5へ機種変更
10   iPhoneの行く末
11   iPadのアクセサリー
12   iPhone6plusを購入
13   iPhone7plusを購入
14   iPhoneXへ機種変更
15   iPhoneバッテリー交換
14   iPhoneXのバックアップ
15   iPhone11 ProMaxへ機種変更
16   iPad Pro 12.9へ機種変更





(2010年9月30日記)


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