仁和寺を退出した後、どうしようかと思っていたところ、家内が急に、平安神宮へ行ってみようと言い出した。私は、あそこは、大きな朱塗りの鳥居と本殿しかないと思っていたものだから、どうかと思ったものの、家内のいうとおり、タクシーを拾って行き先を告げた。途中、川の両脇で染井吉野が満開を迎えていた。もし、平安神宮がさほどのものではなかったら、あの辺りを散策してもいいなと思ったほどである。そうこうしているうちに、平安神宮の大鳥居の近くまで来た。
平安神宮については、恥ずかしながら私は、時代祭りを挙行するところという程度の知識しかなかった。今回、改めてその
HPを見させていただくと、ご祭神は、桓武天皇と孝明天皇ということだった。京都を都に決めた桓武天皇はともかく、幕末に強硬な攘夷論を唱えられて明治維新の確か2年前に崩御された孝明天皇もご祭神だったとは、ついぞ知らなかった。時代の節目を作られた天皇ということか・・・それにしても、それは明治天皇ではないか・・・いやいや明治天皇は京都を出ていったので、京都最後の天皇ということで、孝明天皇になったいるのかもしれない。つまり、京都が都であったときの最初と最後の天皇ということか・・・。
さて、應天門と書かれた巨大な丹色の門をくぐり、左近の桜が美しい大極殿の前を通って東西南北の四つに分かれているという神苑に入った。これは、神域を囲っている庭に当たるところである。最初は平安の苑であり、ピンクの枝垂れ桜が満開を迎えていて、実に美しい。ははぁ、平安神宮とは、こういう所だったのかと、己の不明を恥じるばかりである。着物姿で歩く観光客らしき女性もちらほらといて、桜に良く似合っている。おっと、ウチのカミさんの写真も撮らなければ・・・しかし、どんな美人でも、この桜の美しさには負けてしまうだろう。
南神苑にある平安の苑の細い流れは、北神苑の白虎池という、やや大きな池につながっている。その辺りに垂れ下がる枝垂れ桜の枝といったら、たとえようもないくらいに美しい。この枝垂れ桜を背景として、家内と写真の撮り合いをしたのだが、これがなかなか難しい。まずは、人物を主体にするか、それとも枝垂れ桜を主体にするかが大きな分かれ道である。人を主体にするなら、顔と上半身を画面の真ん中にドーンと入れて、その背景に桜をちょっとだけ配せばよい。そうすると、写真としては収まりがよい。逆に、枝垂れ桜を主体にするなら、人物にその木の近くに立ってもらって、それで木の全体を写すとよい。よく、観光地で観光客がお互いを撮り合っているのがこの構図である。
ところが、家内も私も、欲張りなことに、人物も枝垂れ桜もどちらも撮りたいと思って撮るものだから、人物の半身が切れてしまったり、構図の中心が定まらなかったりで、どうにも中途半端な写真となってしまった。これから、人物の写真の撮り方も、覚えなければと反省する結果となった。
中神苑の蒼龍池にさしかかると、傾く日差しを一身に浴びている染井吉野の桜の木が素晴らしい。こちらには、池の中に飛び石のような遺構があり、臥龍橋というらしい。その丸い石材は、豊臣秀吉が三条と五条の大橋を作ったときに使われた橋脚だとされる。東神苑の栖鳳池に入った。池の向こうの建物、尚美舘(貴賓館)が池の水に写り、その姿を枝垂れ桜がいっそう引き立てている・・・綺麗だ。少し行くと、泰平閣という橋の役割をする建物が池に架けられていて、橋殿といわれるらしい。これも、実に優美な姿をした建物である。それを通って、池全体をもう一度振り返ってみると、はっと息を呑むほどの美しさである。
そこで私が家内の、逆に家内が私の写真を撮ったところ、二人とも非常に満足した顔で写っていたのである。先ほど、お互いの写真を撮ろうとして四苦八苦したときとは大違いである。 そこで思いついたことは、写真というのは、テクニックというものも無論大事だけれど、その場の感動をそのまま写し撮ろうという気持ちの問題がもっと大事なことなのかもしれないということである。
というわけで、一泊二日のあわただしい奈良と京都の桜を見る旅は、終わったのである。最後は、京都駅の新幹線乗り場にある、いつもの京都名物「鰊そば」を食べたのだが、この日はとてもそれでは足りず、帰りの車中でいろいろと食べてしまった。体重計に乗るのが、少しこわい気がする。
奈良京都の桜の旅 〜 目次
1.吉野山の桜と歴史
2.中華百楽と奈良ホテル
3.長谷寺の大観音様
4.仁和寺の御室桜は
5.平安神宮の枝垂れ桜
奈良京都の桜 〜 平安神宮( 写 真 )は、こちらから。
(2010年4月4日記)