徒然093.家族の写真が完成



 今年の初め以来、私が学生時代から撮りためた写真のネガフィルムのデジタル化作業を進めていて、データベースはやっと3月末に完成した。6,000枚近い写真のネガフィルムを6枚ずつスキャナーに読み取らせるという根気がいる作業だったが、何とか終わらせた。これは、頭を使うというよりは、単純さに耐えるという作業である。続いて、1996年からカメラをデジカメに切り替えたので、それに続くデジタル写真の整理を行った。結局、整理した後の写真数が、14,000枚なので、先のデジタル化したものと合わせれば、総計20,000枚に及ぶ、我が家の写真のデジタル・データベースを構築したのである。

 その上で、これらの写真を年代別・テーマ別に選別して、パソコン上においてスライド・ショーを自動的に行うようなソフトを作る作業を行った。これは、その20,000枚の写真をいちいち見ながら分類し、ソフトのプログラム中に書き込むという面倒な仕事だったけれども、自分しかこんなことをする人間はいないと思って頑張り、6月半ばまでに何とかやり遂げることができた。データ量は、偶然にも4.3ギガバイトで収まった。一枚のDVDディスクに収まる分量である。これなら、両親と子供たちにコピーして差し上げることができる。

 自分で言うのも何だが、このソフトはなかなか良く出来ている。1970年前後の大学在学時代から、2008年の5月まで、年代別とテーマ毎に並べてあって、たとえば、私たちの結婚式の写真、子供が大学に合格したときの写真など、選択したらそれがクリック一発で出てきて、スライド・ショーが始まる仕組みである。基礎となるスライド・ショーの部分は、QPONさんという先達が作られたものを使わせていただいたが、それ以外は、私が自分の家族の歴史と重ねあわせるようにして、作ったソフトである。両親や子供たちにもわかるように、各写真の説明を、可能な限り書き込んである。

 もう少し、その構成を詳しく述べると、DVDディスクを入れて最初に出てくるページには、各年の代表的な写真を小さいアイコンにして、それを年代別に40近く、ずらりと並べてある。これをクリックすれば、その年の主な写真が一覧できる。もっと詳しく見たければ、ツリー状の選択肢を用意してあって、テーマ毎に選択できるようになっており、クリック一発でそのテーマのものが出てくる。

 このような年代順に加えて、特別編というのもある。たとえば「お父さんの顔」、「お母さんの顔」というアイコンがあって、これをクリックすると、結婚式以来、今日に至るまでの、われわれの代表的な写真がスライド・ショーで見られる。まあ、われわれ夫婦の場合は、若かった顔がモーフィングして今日に至るという、ややシュール・・・というか、恐ろしいスライド・ショーではあるが、子供たちの場合は、もっとすごい。赤ちゃん顔、幼児顔、生徒顔、学生顔、そして今の社会人顔というわけだから、他人から見たら、これがいったい全体、同一人物とは思えないのではないかというほどの変わりよう・・・というより、要するに成長した経緯が見られるスライド・ショーとなっている。まさに、私の一家の歴史を写真で追うことができる。「こんなもの、他に、あまり作った人はいないだろうなぁ。子供たちの分も含めて個人情報の典型なので、他人に見せられないのは少し残念」と思いつつ、早い話が、「我が家の秘宝」を作り上げてしまったような妙な気分である。

 これを夫婦で見て、特に育児に奮闘していた時代や子連れで世界一周した頃の写真、子供たちが大学や資格試験に合格した時の写真などを数多く目の前にし、「あのときは、ああだった。いや、こんなこともあったわよ・・・。でも、よくあんなことをしたなぁ。そうね、若気の至りというか・・・」など、それぞれが覚えているエピソードやら当時の気持ちを話し合っていると、話が弾み、文字通り夜がふけるのも忘れるほどである。今回のものを初版として、そのうち第2版、第3版と作り、たとえば「第2版では、われわれの声を録音して、それも聞けるようにしようか」とか、「第3版では、孫の顔を入れられるといいね・・・」などと、夢は膨らむばかりである。もっとも、それまで、お互いに生きているといいけれど・・・。




(2008年6月28日記)



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徒然092.勉強法「鶴の恩返し」

 昨晩、いや正確にいえば本日の午前0時頃にテレビをつけて、NHKを漫然と見ていた。そうしたところ、脳学者の茂木健一郎さんの勉強法「鶴の恩返し」には、笑ってしまった。これは、私が中学校3年生のときに独自に開発した勉強方法と、そっくり同じだったからである。世の中、同じことを考え付くことがあるものだと、可笑しかった。茂木さんも、学生時代にはこの方式を実践していたらしい。ただ、年齢は私の方がはるかに上だから、特許でいうと、私には先願の地位があるはずだ。ただ、いかに勉強の秘策といっても、こんなことをテレビで大きく説明するのは、とても恥ずかしい限りであるが、これぞタレントというものか。

 私は、中学2年生の秋頃、そろそろ高校受験のことを考えるかという心境になった。教科書を何回か読んでみたのだけれど、もちろんすぐに覚えられるものではない。そこで自分なりにたどりついた工夫は、読み、書き、つぶやき、そしていったん本を閉じて目をつぶり、その内容をぶつぶつ口の中で繰り返すというものである。加えて手や足、時には全身まで動かしてリズムをとりながら頭に叩き込むというものである。これをやると、不思議とよく覚えられて、しかも嬉しいことに、なかなか忘れないのである。

 その代わり、妹からは「お兄ちゃん、うるさい」と怒られるし、母親からは「もう、そんなみっともないこと、やめて」と言われるしで、身内からは非難轟々という有様となる。しかし、背に腹は代えられずとばかりに、このみっともない勉強法に精を出した記憶がある。特に、英単語や古文単語の記憶には、抜群の威力を発揮した。話を聞くと、この茂木さんも私と全く同じことをやっていて、それをまた、「身内にも他人にも、絶対に見せたくない姿」という意味で、「鶴の恩返し」と名付けたというから、面白かった。中学3年生の頃の自分の記憶が、半世紀近い時空を超えて、ふと目の前に現れたかのようである。

 その後、私はすっかりこの勉強法のことを忘れてしまっていたが、脳学者となった茂木さんは、理論と実験でその説明をしていたので、思わず傾聴してしまった。まず理論的には、脳の中で単語の記憶は、最初に短期的記憶を掌る「海馬」という部分に収納される。しかし、そのままでは記憶は長続きしない。しかし、それを音声やら手足の動きなどを伴うと、それらを総合的に処理する側頭葉の記憶となって移り込み、それによって長期の記憶となるのだというのである。

 それを立証するために、最近開発された、脳内の血流を測定する装置を使った。これをつけると、被験者が特定の動作をすれば、脳の中のどの部分が活発に動いているかを赤外線を使って測定して図示することができる。それで、英単語を覚えようとしている大学生の脳の動きを見てみると、実に興味深いことがわかったのである。単に目で単語帳を追っているだけでは、脳内は緑色のままで、その血流にはほとんど変化がない。ところが、「鶴の恩返し」法を始めて、ぶつぶつつぶやいたり、手足を使って覚えようとすると、何とまあ、脳内の血流が真赤になって躍動し、とりわけ、語彙力を掌る左側頭葉が常時真赤となっていたのである。これは、その単語が、短期記憶にとどまらずに、長期記憶となって脳の記憶に刻みつけられていることを示している。

 なるほどと、納得した次第である。私も、こうして覚えて、半世紀近く時間が経つのであるが、未だにレストランの前に立つと、「アール・イー・エス・ティー・エー・ユー・アール・エヌ・ティー」と頭の中に出てきてしまうときがある。「あーぁ、あの頃、綴りをしっかり覚えようとし過ぎたせいだ。高校受験のせいだ」などと思うのだが、どうにも止まらない。事故の後遺症のようなものである。

 ただ、この「鶴の恩返し」法は、単語や決まりきった表現のように、とっさに自然に出てくる必要がある語学の勉強には向いているが、論理や理解や創造といった分野には、まったく向かない勉強法ではないかと思う。そちらの方は、側頭葉というよりは、むしろ前頭前野の領域ではないかと推察するのである。つまり、論理の流れを一見して作り出すという知的作業は、脳内のどこで行われているのだろうか、そしてまた、それを強化するには、どのような勉強法が有効なのか。このようなことを第二・第三の茂木さんが出てきて研究してくれればありがたい。




(2008年6月15日記)





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