ケータイ SoftBank 922SH


 この5月1日に、私は携帯電話を買い換えた。というのは、最近ますます複雑さを増しているプランについて聞きに行ったついでに、発売されたばかりの最新モデルを目にしたからである。まず、表面には小さな窓があるだけで、ボタン類が見当たらない。良く見ると、四方に広がる4本の筋と丸印があるので、これで操作できそうだとわかる。次に横二つ折りの画面を開くと、キーボードを備えた本格的なパソコン風で、しかもシャープ製であるだけに、液晶画面が広くてとても美しい。定価は約10万円というから、お値段の方も一流であるが、それだけにほぼ理想的な性能とデザインを兼ね備えている。一般に、私は機械についてはかなり辛口の方ではあるが、この携帯電話は、非常に良く出来ていてこれという欠点が見つからないので、すぐにこれを買うことに決めた。





 この携帯電話は、型式名を、SoftBank 922SH という。色については、黒やシルバーもあったが、遠くからでも見つけやすいように、ゴールドにした。それから、このケータイの特徴は、何といっても大きな画面を備えたキーボードである。私の大きな指では、ちょっと小さすぎる感もないではないが、キーボードで文字が打てるのは有難い。これまでは、長いメールを打つために親指でピコピコピッとやっていて、それこそ腱鞘炎になりかねなかったのに比べれば、はるかに楽である。

 それから、PIMツールも充実していて、カレンダーを見つつ、スケジュールを直接入力できる。私の場合、スケジュールは仕事でもプライベートでも単純なので、これまでは折り畳み式携帯電話の小さな画面を覗き込みながら、ピコピコッと入力していたものである。しかし、この新しい携帯電話は、大きな画面で、見やすく入力しやすいし、入力した項目も、アイコン表示で非常にわかりやすい。

 加えて、これまでの携帯電話では出来なかったテレビを見ることができる。それもワンセグ形式のデジタルなので、見やすい。予約して録画できるので、特に見たい映画や自然環境番組、定時のNHKニュースを録画しておいて、それを外出先で見ることができる。これは暇つぶしに便利であるし、私の仕事の性格上、ニュースを見逃すことができないときに、あらかじめ予約しておいて、他の仕事を片付けたあとにその内容を把握できるのは助かる。もっとも、あえていえば、今の地上波テレビはこれら以外にロクな番組がないので、それが問題だが、これはこの携帯自体の問題ではない。ただ、テレビ視聴時には電池が早くなくなってしまうので、1時間を超す場合は電源に気をつける必要がある。

 音楽は、私はあのようなイヤホーンを常時、耳に着けていたりすると、耳を傷めるのではないかと気になるので、いままでウォークマン・スタイルで電車に乗ったりしたことはない。だから、携帯電話の音楽にはあまり期待していなかった。ところが、この携帯電話では、スピーカーの性能がとても良いので、イヤホーンを使わなくとも、そのまま音を流すと、立派なステレオから聞いているような感じである。

 あと、メールは、インターネットとSMSがあるのは良しとして、それ以外に自分のパソコンのメール・アドレスをPOP方式で引っ張ってきて、この携帯電話で読める。これは便利である。

 最後に、インターネットの速度が速い。これは3Gだからであるが、従来の携帯でイライラさせられたことを思えば、もう各段の進歩である。ここまで来ると、これは携帯電話というよりは立派なパソコンである。これから数年後、思いもしなかったすばらしい携帯電話が発売されるかもしれないが、それまでのしばらくの間、私はこの携帯を友として、仕事と家族とのやりとりを楽しみたいと思っている。




(2008年5月11日記)







 今年の5月に、その型式名を SoftBank 922SH という携帯電話を買った。それから3ヶ月経ち、どういう使い心地かを報告したい。

 まず、両手で文字が打てるキーボードだが、これは非常に便利だ。最初は、私のような大きな指の者が使えるのかと思っていたが、実際やってみたら1週間ほどで慣れて、二つのボタンを同時に打つようなことはなくなった。何でも、まず慣れよということかもしれない。いったん、自由自在に打てるということになると、普通のパソコンのキーボードを打つような速さで文章が書けるようになった。だから、外出中で何かを思い浮かべたら、忘れないうちにその場でメモしておくことができる。この文章の一部も、そうやって打ち込んだメモを元に、寄せ集めて書いている。PIMツールの中のカレンダーも、スケジュールを入力しやすいし、その日になると画面の上にアイコンが出てくるので、わかりやすい。私の場合、スケジュール管理はこの程度で十分である。

 テレビはどうか。これはとっても重宝している。たとえば車で移動の途中でも、午後7時のNHKニュースの時間になると、見ることができるし、音声の良さも期待どおりで、非常に満足している。ただし、都内で、首都高速のブリッジの下のようなところをくぐったりすると、画面が乱れてしまう。その場合でも、音声は聞こえてくることが多いので、それほど問題はない。しかし、その画面の乱れ方が、これまたデジタル的なのである。一例をあげると、アナウンサーの顔の上に四角いものが現れ、それがたちまちその顔一面に広がる。ニュース番組では、背景は変わらないので、動いているのはアナウンサーの顔の部分だけだから、それを送ってくるからなのだろう。まあ、それはともかく、録画予約で録画しておけば、番組を見逃すこともないし、本当に便利だ。家のDVDでわざわざ録画して取っておくまでもないような、簡単な番組の録画にはちょうど良い。デジタル時代の恩恵を被っていると思う。ああ、それから、最初は録画データの量が多いのではと心配したが、かなり小さなものであることがわかった。1ギガで、7時間くらいは録画できるのではないか。もっとも、その前に電池が切れてしまいそうなので、クレイドルに乗せておく必要はあるけれど・・・。

 メールはどうか。キーボードの恩恵を受けて書きやすくなったのは、たいへん結構で、おかげで家族向けに、長文をしばしば書くようになった。「もう、お父さんは、何を送っても、返事は『了解』だけなんだから」とは、もはや言わせないというわけだ。これが、一番の効用かもしれない。そのほか、驚いたのは、デジ文字表示というもので、はじめは、娘から送られてきたメールが、えらく「凝って」いるなと思ったものである。たとえば、文章中で、「電車」という文字が現れると電車の絵が出てきて動く。「踊り子号」という文字では、スペイン舞踊のような踊り子が踊る。「メール」では、おなじみのメールの絵が出現する。「元気ですか」というのには、腕の力瘤が出てくる・・・。そういった調子で、秘書の女の子に見せたら、びっくりしつつ、面白がっていた。最近は、そういうメールがはやっているかと思いきや、どうやらそうではなくて、受け取ったメールを、私のケータイが勝手にそのように表示してくれているようなのである。仕組みがわかると、なーんだそうか、ということになるのだが、しかし、面白いから、思わずニヤリとしてしまう。もっとも、他人から見たら、おそろしいかもしれないが・・・。

 3Gなので、インターネットの速度は早く、あまりイライラ感はない。ホット・メールやGメールなどフリー・メールのサイトも使えるし、なんと私の「悠々人生」のサイトも見られるのはうれしい。ただし、Javaが動かないので、プル・ダウン・メニューなどは使えないが、それ以外は、これで楽しむには、十分である。

 最後に、私が非常に気に入っているのは、名刺を撮影すると、その文字を認識してくれることである。しかもそれが驚くほどに正確なので、そのまま保存してもほとんど問題はないくらいだから、びっくりする。もちろん、それでも時には「大手町」が「大津町」になっているくらいの間違いがあるので、ご愛敬だが、あんなに細かい名刺の字が読めるということさえ、すごいことなのに、ここまで認識できるというのは、素晴らしいことではないか。大きな字の氏名については、まず間違えない。ほんの10年くらい前に同様のことを試したときには、正しい認識率は、90%を下回る程度で、使い物にならなかったことを覚えている。そういうことを思えば、この間の認識技術の進歩には、目を見張る思いである。

 私の友達でも、アップルのiPhoneを買った人がいて、嬉々として使っている。今のところ世界仕様なので、もちろん地デジはないし、名刺読み取りもない。でも、ソースをオープンにしているので、地デジはともかく、名刺読み取り程度については、そのうち好きな人が開発して対応してくるかもしれない。しかし、当分は、私にとっては、この SoftBank 922SH の方が、まだまだ使いでがある。当分、これを大切に使っていきたい。




(2008年8月2日記)





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徒然091.神童の行く末

 この4月、イギリスの新聞に大きく取り上げられた話題がある。それには、まず前置きとなるべき前座の講釈をしなければならない。いまから約10年前のこと、パキスタン人の夫とマレー人の妻の間に玉のような娘が生まれた。その娘は、幼いころから特に数学に天才的な能力を発揮して、ついに13歳という若さで、イギリスのオックスフォード大学に入学してしまったのである。

 それだけなら美談というか、われわれ凡人には何ともコメントのしようのないところであるが、それで終わらないのが人生の奥深いところである。数年前にこの親子の消息が明らかになった。実はこのパキスタン人のお父さん、教え子へのレイプ容疑で捕まったのである。自宅に勉強を習いに来ていた女の子に対する容疑で、裁判の結果、有罪となり、現在は服役中とのこと。

 しかし、話はそれにとどまらなかった。この4月にイギリスの新聞が報じたのは、その天才少女が、何と高級売春婦をしていたというのである。23歳となったこの子、インターネットに自分を売春婦として売り込んで、それなりの活動をしていたらしい。記事によると、小さい頃は勉強しろと父に強いられて、あまり楽しくなかった。それに比べて今は、みなが王女様のように扱ってくれると言っているらしい。

 これを読んで、「十で神童、十五で才子、二十(はたち)過ぎれば只の人」という諺を思い出した。いつの時代にも、こういう早熟な人間はいたらしい。もっとも、この娘は、只の人どころか、それ以下の単なる犯罪者になってしまった。

 それにしても、この話は、子育てがいかに難しいかを示している。この親子の場合、「知育」に偏りすぎ、「徳育」が欠けていた。それは、その余地のないままオックスフォード大学に行ってしまったからであるが、この父親は、たとえ時間的余裕があっても、そもそもそういう教育ができなかったものと見える。

 子供には、やはり、ちゃんとした家庭で、オールラウンドの、しっかりとした躾けと勉学のクセを身に付けさせるという王道を歩ませるしかないようだ。




(2008年5月5日記)



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