シンガポール航空A380就航



 昨年、ディスカバリー・チャネルで、エアバス社の新型機である総二階建てのA380の開発話を放送していた。さすがに、ものすごく大きいだけあって、部品の翼や胴体を運ぶのにいろいろと苦労したらしい。たとえば、翼を運ぶ特殊車両が工場に通ずる真夜中の道路をしずしずと動いていくと、両脇の家との間隔が数センチしかなかったりしていた。また、EUの規制で、非常事態に全乗客と乗務員が2分以内に避難できるように設備を作っていなければならない。それを実証するために、設備を作っては実際に500人ほどの人々に座席に座ってもらい、合図で一斉に避難してそのタイムを図るなど、いやまあ、こんなことまでという数々の開発苦労話が紹介されていた。

 それで、出来上がった旅客機A380は、なるほどとっても大きい。何しろ総二階建てなのであるから当然ではあるが、それにしても、その大きいこと、大きいこと。かつて、ジャンボジェット機という言葉があったが、これは何といえばよいか、マンモスジェット機・・・、いやいや、あまりかわいくない・・・まあ、誰かそのうち適当なキャッチ・コピー家から、うまい愛称が出てくることを期待しよう。

 そういうことを思っていたところ、何とこの5月20日から、成田とシンガポール間において、そのエアバス380が就航するようである。赤坂サカスに行ったところ、シンガポール航空がそのキャンペーンをやっていた。そこで面白いと思ったことは、完全な個室(スイート)を作るようである。これはファースト・クラスのさらに上のクラスとして作られるもので、その場のエアホステスさんによると、ファースト・クラスの料金の15%増しだという。それで、成田とシンガポール間はいくらかと聞くと、80万円とのこと。6〜7時間のフライトにこの料金は、ビジネス用途としてもちょっと高いとは思うが、たとえば金婚式など何かの記念日のプレゼントに使うものとしては、よいかもしれない。





 しかしながら、昨今のような時期に、471席を備える超大型機を導入するというこのシンガポール航空の戦略が、果たして吉と出るか凶と出るかは、誰にもわからない。とりわけ、原油価格が三年間で倍になるという燃料費が極端に高騰する中で、燃料をガブ飲みするような、こんな超大型機が飛べるのか、かつての超音速旅客機コンコルドのようなことにならないか、気になるところである。むしろ、三菱重工が製造を決めた100席弱程度のリージョナル・ジェット機を数多く備えて、これで単価は安いが数多くの旅客をこなすという戦略の方がよいように、素人目には映るのだが・・・、はてさて、神のみぞ知るというところだろうか。

 私は実はシンガポール航空には良い印象をもっていて、たとえば約20数年前に一家4人で世界一周旅行をしたときには、この航空会社を使った。というのは、当初、日本航空を使おうとしたのであるが、何かつまらない条件をいろいろと付けてきて使いづらかったので、他の航空会社を探した。そうしたところ、このシンガポール航空が私の要望に柔軟に答えてくれて、それでこちらにしたというわけである。

 実際に乗ってみると、サービスはいい、愛想もいい、設備は最新というわけで、とても気に入った。その後かなり経って、南米ブエノスアイレスからシンガポールまでの長距離フライトにも乗ったが、やはり同じ印象であり、新しいものを積極的に取り入れていた。今回のA380の導入も、そうした良い伝統の流れであろう。また、以前アムステルダムで、ホテルの金庫にしまっておいた航空券が盗まれたときも、再発行を迅速に行ってくれた。あのような不安な心理状態のときに、適切な応対をしてもらったその経験が、その後ずーっと続くこの会社に対する好印象に繋がったのかもしれない。それとも、例の民族衣装サロン・ケバヤの制服を着て、ニコニコと応対してくれた、あのオランダ美人の地上職員さんが良かったからだろう。







(2008年4月17日記)



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桜を見る会 2008



 内閣主催の桜を見る会が、4月12日の朝、新宿御苑で開催された。今年は、とても温かい日だったせいか、非常に人出が多く、ざっと見て、1万を超える人々があの広い苑内に参集していた。自衛隊の音楽隊がバックグランド・ミュージックを演奏する中、さまざまな桜の木を観賞することができた。ソメイヨシノ、カンザン、フゲンソウ、ヤエザクラなどで、今年はちょうど良い咲き頃に開かれたと思う。そこで、ドコモ・タワーをバックに撮った写真が、これである。

 これらの桜の花を見上げたあとで地上に目を写すと、こんな人だかりである。ときどき、懐かしい顔に会って、お互いに長いご無沙汰の挨拶と、近況を伝えあった。これがこのパーティのまず良いところだと思う。それと、去年は、ちょっと名前を忘れたが、韓国の民族衣装を着た女優さんが印象的だった。今年は、日本の着物を着た金髪の二人の女性で、和服と金髪が実によく似合っていて、寿司だけでなく女性の和服も国際化したのかと驚いた。

 それはともかく、本日の主催者である福田康夫内閣総理大臣のスピーチは、ねじれ国会の下でのやりにくさについての嘆きのようなものがあったあとで、「きょうはもう、そういうことは忘れて、大いに楽しんでください」ということであった。そのスピーチが終わってから、総理が苑内を一周しはじめたとき、あちこちから「ソーリ! ソーリー! オザワなんかに負けるなよーっ」という声が飛んでいた。







(2008年4月12日記)



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徒然090.大学院教師の抱負



 私は、仕事のかたわら、本郷にある東大の大学院で客員教授として講義を受け持っていたが、この3月でその期間が終了し、引き続き、都内の早稲田大学の大学院で講義をすることとなった。前の大学院はさすがに学生の質が高かった。講義にも熱心に出てきてくれて、授業中のやりとりも活発で、とてもやり甲斐があった。しかも、講義終了後の授業アンケートには、こんなことを書いてくれた。

 「今年度が始まったときからこの授業をとても楽しみにしていたのですが、その期待をはるかに上回る、学ぶところの多い授業でした。お忙しい中、学生のために数々のご配慮を頂き、誠にありがとうございました。」

 「一見淡白そうでいて、実はものすごく情熱的な話に、とても刺激を受けました。」

 「お話は、新鮮で面白かったです。創造性があって、この時間が楽しみでした。本当にありがとうございました。」

 「課題をやり、先生から指摘をいただき、質疑もできたので、たいへん勉強になりました。」


……… というわけで、学生の皆さんに感謝いただいて、私も忙しい思いをしただけのことはあったと、心から満足している。




 ところで、この4月から始まった新しい大学院での講義は、つい先日、第1回の授業を行ったばかりである。実は、あまり多く押しかけて来られると困ると思って、シラバスで牽制をしていた。そのせいか、蓋を開けてみると人数は20名を少し切った程度で、授業中のやりとりをするにはちょうど良い。この辺は、我ながら老獪(?)である。

 幸い、授業中の学生の皆さんの反応は、前の大学院と同様に、とても早い。もちろん、当ててみると、まだもじもじして「わかりません」などという女子学生さんもいらしたが、まあ徐々に慣れていってもらおう。講義が終わったときに、「良かった」と、心から言ってもらえるようなものにしたい。

 ところで、時はちょうど春、桜の季節である。講義のあと、近くの公園を通りかかると、ご覧の通りの花見の宴が繰り広げられていた。







(2008年4月9日記)



カテゴリ:徒然の記 | 21:24 | - | - | - |
醍醐寺のしだれ桜
醍醐寺のしだれ桜パノラマ



 桜を見るために夫婦でぶらりと京都に行き、まず、しだれ桜で有名な醍醐寺へ行った。案内は、インターネットで見つけた地元のハイヤーの運転手さんに頼んだ。この人は、60歳ぐらいのベテランで、そのいわば我流の説明が何とも面白くて面白くて、その一端をちょっと書き残しておきたい。

 醍醐寺に着き、霊宝館、三宝院などを回った。まず霊宝館の横のしだれ桜、大きくて美しくて、すごいなぁと眺めていると、運転手さんは、「お客さん、これなぁ、樹齢400年でっせ。」という。ははぁ、そんなものかと、ただ、ただ感心した。

 それから、三宝院の中で、純浄観の廊下からその立派なお庭を拝観し、「京都の中でも、これほどの庭はなかなかないなぁ」と感激していたところ、運転者さんがささやく。「お客さん。庭の向こう側の真ん中に、長方形の石がありまっしゃろ。あれ、天下石といいますねん。あれなぁ、織田信長、豊臣の太閤さんとなぁ、天下取ったお人が自分のものにしはらっしゃいますねん。で、太閤さんも、あそこに置いたんどす。あれを、覚えておいておくれやす。」

 そこで、醍醐寺三宝院の地図を見ると、この石には、「藤戸石」という名前が付けられていて、その奥には、祠(豊国大明神)というものがある。

 さて、純浄観をぐるっと回って、奥辰殿という座敷の前に来た。すると運転者さんが再びささやく。「お客さん。ここが、太閤さんがいつもいてはった部屋なんどす。ここに、ちょっとし工夫があるんどす。太閤はん、いつもあの天下石を見たかったんで、それを見やすいよう、建物を工夫しはったんどすわ。」

 「へへぇ、そうどすかぁ。」と、こちらもつい京都弁になる。でも、あれを見るとなると、純浄観につながる廊下が邪魔になるのではないかなぁ・・・と、怪訝な顔をしていると、また運転者さん、今度は勝ち誇ったように、「ほれ、ここから、つまり座敷の真中から庭の方を見たら、石がちゃぁーんと見えまっしゃろ。」 あーあ、確かに、何とその廊下の下に木材の枠がぽっかりと長方形に空いている部分があり、その中心に、庭の向こう側にある天下石がはっきりと見えたのである。なるほど、面白い、面白い・・・。

 ところが、東京に帰ってきてしばらく経ち、新聞に「バイオ技術で増殖した『土牛の桜』のクローン桜を京都・醍醐寺に移植 〜 今春、境内で初めて開花の見込み」とあった。それを引用させてもらうと、次のようなことだった。

 住友林業株式会社及び住友林業緑化株式会社は、筑波研究所内にて昨年3月、京都市伏見区・真言宗醍醐派総本山醍醐寺のシダレザクラ、通称「土牛(とぎゅう)の桜」をバイオ技術で増殖したクローン桜の開花を確認いたしましたが、同苗を昨年11月に醍醐寺境内へと移植いたしました。そして今春、移植後初めての開花が見込まれます。醍醐寺では本日、移植の成功及び今後の桜の順調な成長を祈願し生育祈願の法要を行う運びとなりました。

 醍醐寺のクローン桜は、現在樹高4.5メートル、幹回り33センチメートルとなり、クローン桜の親木である三宝院の大玄関前にある推定樹齢150年の「土牛の桜」(シダレザクラ)と並んで花をつけております。親木のシダレザクラは、豊臣秀吉が“醍醐の花見”として盛大な花見をした桜の子孫と言われており、日本画家の奥村土牛(とぎゅう)が作品「醍醐」に描いたことから「土牛の桜」と呼ばれています。


 なあんだ。そうするとこの桜も、樹齢400年どころか、せいぜい150年程度ではないか。そうだとすれば、あの天下石の話の信憑性も怪しくなってきた。しかしそれにしても、面白い話だった。醍醐寺の坊さんが、修学旅行生に話をする、そのたぐいの冗談かなぁ。あながち、嘘と決めつけるには惜しいので、どなたかその真偽のほどを、ご教示いただけないだろうか。










(2008年4月6日記)



カテゴリ:エッセイ | 20:52 | - | - | - |
赤坂サカス〜テレビ局の未来



 私のオフィスにほど近い赤坂地区で、旧TBSビル跡地の大開発が行われていて、3月5日に「赤坂サカス」が開業した。それから約1ヶ月が経ち、そろそろ空いてきた頃かと思って、出かけた。ところが行ってみてびっくり。お昼時とはいえ、どの店もこの店も、人、人、また人で一杯という状態である。長い列を作っているので、とても並んで食べる気にならなかった。

 そこで、どれどれと、お店をざっと見て回ることにした。片方にはTBSの高い高層ビルがあり、丸い帽子のようなヘリポートらしきものが特徴となっている。そして広場をはさんで他方には高層ビルの赤坂Bizタワー(39階)があって、これはオフィス棟である。そのオフィス棟に隣接したところに、アトリウムというレストラン棟があり、そこをぶらぶらと歩いていると、おやおや、まあ・・・。知り合いのレストラン支配人にばったりと会った。相手も私を見て、やあやあ、しばらくと、お互いにご無沙汰した挨拶をして、

「それにしても、混んでますなぁ。」と私。

「はいはい、申し訳ありません。でも、ちょっと待ってください。いま、内緒でテーブルを空けさせますから・・・。」と支配人。

「ああっ、結構です。ご配慮ありがとうございます。また近く、空いたときを見計らってやってきますから」と私。

「そうですかぁ、それではまた今度、お待ちしています。」と支配人。

 まったく、有り難いことだが、待っている人たちを押しのけて食べるほどではない。またそのうち、やって来ればいいだけである。しかし、彼のご親切には、感謝しよう。

 話は飛ぶが、それにしても、この「赤坂サカス」って、口に出してみると同音の繰り返しで、言いにくいことはなはだしい。たとえばサガスとか、サーカスの方が言いやすい。このような名前を付けた理由としてウィキベディアを信ずるとすれば、桜を咲かすとか、赤坂に多い坂に英語の複数のsをつけたとのことである。また、ローマ字表記にして右から読むと、坂・坂・坂だという。

 いかにも、テレビ局的な「軽いノリの世界」ではないか。そういえば、広場の周囲にたくさん設けられているブースというか、屋台では、番組の宣伝とかグッズの販売など、その何というべきか、ふわふわとしたものに人々が群がっている。しかし、あと20年もすれば、インターネットによる大画面放送が可能となり、個人やミニ放送局がそれぞれの特色を生かした番組の発信がごく一般化するものと思う。そうなれば、既存のテレビ局による今のような画一的、白痴的、軽薄の限りを尽くした番組など、あっという間に淘汰されて、今のラジオ放送局のような立場になるのではないだろうか。

 テレビ局は、最後の規制業種といわれていて、中央でも地方でも他業種の参入を許さずに、独占的地位を謳歌している。社員の平均年収も、製造業の社員の年収と比較すれば少なくとも2倍あるといわれる。その反面、番組の制作に携わるプロダクションの皆さんは、下請けの立場で、年収はとても低い。それがインターネットによるミニ個人放送局が乱立する時代となれば、どうなるだろうか。いわば、現在のユーチューブがフルハイビジョンの大画面となり、それがいつでも誰でも見られることを想像してみればわかる。ミニ個人放送局がその収入を確保するビジネス・モデルさえ確立すれば、これらの「つい20年前までの」下請けプロダクションによる下克上が一般的となるかもしれない。やや刺激的な言い方となるが、テレビ局が「桜咲く春を謳歌できる」のは、案外、今のうちかもしれない。







(2008年4月3日記)



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