鯖寿司「いづう」in 京都
京寿司盛合せ



 ぶらりと夫婦で京都に行き、桜を見に行った。染井吉野が東京はもう満開になったが、京都はまだと聞いていたので、やや早めに咲くはずの、しだれ桜の醍醐寺を目指していった。そうしたところ、樹齢400年のしだれ桜がちょうど満開で、その美しいこと美しいこと・・・、残念ながら東京の六義園や後楽園のしだれ桜は、とうてい及ぶべくもない。その後、伏見稲荷や東福寺を回って、再び京都市中の祇園に戻ってきた。

 その途中で、ハイヤーの運転手と鯖寿司の話で盛り上がった。京都でおいしい店を聞いたところ、運転手がたちどころに挙げたのが、この鯖寿司「いづう」であった。さっそく行ってみたら、もう、こんなおいしい鯖寿司はない。花より団子で、この鯖寿司を食べに行っただけでも、今回の旅の意義があった。

 ちなみに、写真の一枚は「京寿司盛合せ」、もう一枚は「鯖・鯛寿司盛合せ」である。ちなみに、鯖や鯛の姿寿司は、地方発送していただけるようである。


鯖・鯛寿司盛合せ



(参 考) 「いづう」
 京都市東山区八坂新地清本町367番地
  電話:075−561−0750〜2




(2008年3月30日記)




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不思議な国のアリス 〜 法科大学院評価

 2008年3月27日の新聞各紙によると、法科大学院の認証機関となっている日弁連法務研究財団は、26日、愛知大学法科大学院の評価結果を公表した。それによると、同校のカリキュラムが、「科目設定・バランス、科目の体系性・適切性及び履修登録の上限の基準を満たしていないため、適合していないと認定する」と判定したとのことである。

 このうち、たとえば「科目の体系性・適切性」についての財団の評価をみてみると、次のようになっている。『カリキュラム上の重大な問題がある。すなわち、3年次に必修科目として開設されている「公法総合演習」「民事法総合演習」「刑事法総合演習」「法務総合演習」は、時間を決めて出題範囲の予告のない試験形式で答案の即日起案と講評を繰り返す方式であることから、司法試験の論文式の受験対策を主眼とする科目とみることができ、その授業の内容も答案作成の技法指導に著しく偏っている。加えて、2年次に配置した科目のうち「行政法演習」「刑法演習」「刑事訴訟法演習」等のいくつかの演習科目も、答案構成の起案と講評という構成の授業を繰り返しており、3年次の総合演習科目への準備として位置付けられている。

 このような教育が1年間ないし2年間繰り返されることによって、創造的・批判的な検討能力や法的分析能力等を真に養うことができるのかどうかには疑問がある。しかも、以上のカリキュラム編成は、個々の教員の判断を超えて当該法科大学院全体で計画されたものであって、学生の負担が極めて重いこととあいまって、法律基本科目以外の科目をも主体的かつバランスよく履修することを阻害する要素となっている。このため、プロセスとしての法曹養成を目標として創設された法科大学院制度の目的に違背し、科目としての適切性を認められない。
』・・・とまあ、要するに、どうやら受験対策に偏っているという理由で、法科大学院の基準に不適合だといっているらしい。

 次に「履修登録の上限の基準」という点については、『履修登録単位の上限は適正に設定されている。しかし,修了単位に算入されない科目を設定してこれを履修登録の例外とする取扱いは,学生の自学自修を促す履修登録制限の趣旨を潜脱するものと評価でき,1 年次の履修登録の上限を逸脱している。なお,この問題に関しては,一部科目を廃止する方針が確認されており,次年度以降に改善される見通しである。また,2006 年度までの「自主研究」は,開講科目数の多さ,開講頻度,授業時間表への組入れやそのための授業時間の確保措置から見ると,実質は付加的なカリキュラムとして位置付けられ運用されてきたとみなさざるを得ない。このような授業を正規の授業時間表等に組み入れて正課に準ずる扱いをすることは,学生の予習・復習,自学自修等の時間の確保を困難とするものであり,カリキュラム編成上望ましくなく履修登録の上限制の趣旨を逸脱していたものといえる。2007 年度からはその数は減少され,その開講・受講の任意性は拡大されているものの履修登録制限の趣旨を没却しないか懸念される。さらに2006 年度までの「チュータ補講」は,その内容や編成からみて学生参加の任意性が損なわれていた可能性があり,履修登録の上限制を実質的に逸脱していた可能性が高い。』というわけである。実際に見たわけではないので本当のところは良くわからないものの、どうやら正規の授業以外に試験勉強用の授業をたくさん設けて、それを実質的に強制受講させていたようである。

 これらを評価してこの日弁連の財団は、「授業の実施の点では、その内容が答案作成能力の涵養等の司法試験対策に偏っているものが散見され、法科大学院制度の理念に照らし問題がある。」としているのである。ちなみに、この法科大学院では、これらの司法試験対策に「偏った」教育の結果、2006年に実施された最初の新司法試験では、合格率が72%、全法科大学院中第3位と、東京大学法科大学院の合格率(71%)を上回る好成績をあげた。もっとも、翌2007年の試験では、26%と、まあ平均(40%)以下の合格率になってしまった。この財団の指摘によってカリキュラムを変更した成果というか、弊害というか、それが如実に出てきたものと考えられる。

 これをどう考えるかであるが、私は、この愛知大学法科大学院は、学生のニーズに非常に素直かつ正直に応えてきた結果であり、決して非難されるべき筋合いのものではないと考える。法科大学院に入ってくる学生は、もちろん法曹になろうとする者が大半であり、この法科大学院はそれを後押しして最適な勉強をさせ、しかも目標通りの成果が上がったわけである。これが「本音」とすると、この日弁連の財団というか、その背後にある法科大学院評価の基準が、あまりにも「建前」主義に陥っているのではあるまいか。理想に燃えるのはよいが、その結果、前途有為な若者を、法曹にもなれない、さりとて一般の就職もできないという中途半端な状態に置いて、それで法科大学院の理想の実現かと問いたいところである。この理想は、法科大学院の学生の7〜8割が合格するという状況を作ってはじめて機能するのではないか。そうでなければ、法科大学院の学生と卒業生があまりにもかわいそうである。しかし、現実は逆に、当初目標の年間3,000人合格という公約の実現すら、危ぶまれている。私には、そんな法科大学院の姿が「不思議な国のアリス」に思えてならない。




(2008年3月27日記)



カテゴリ:エッセイ | 18:23 | - | - | - |
卒業の餞(はなむけ)



 3月も押し迫ると、私のような大学の教師にとっては卒業式のシーズンとなる。今週、私の東京大学でも卒業式と謝恩パーティがあった。私は所用で卒業式そのものには出られなかったが、卒業式に向かう学生をぼんやりと見ていると、今年は面白い姿があった。それは女子学生で、上体はピンク色の和服、下は紺色の袴という定番の卒業スタイルなのであるが、それが自転車に跨ってギーコギコと音をたてながら本郷通りを走ってきたのである。それが銀杏並木と大学の塀の赤煉瓦とマッチして、一瞬、これは明治時代かと錯覚したほどである。それほど、非日常的な時間と空間とが現出していた。そして今日、ご覧のように、安田講堂横のしだれ桜が満開である。誠に良い卒業式となった。

 さて、夜は赤坂のホテルの40階で、卒業謝恩パーティが開かれた。我々教師も、わずかばかりのお祝いのお金を包んで参加した。夜のとばりが降り、あちこちに輝くネオンの波が眼下に広がる会場に入ってびっくり。日頃はよれよれのセーターにジーンズといった姿の「元学生」さんたちが、この日ばかりは、黒のスーツやイブニングドレス姿で、なかなか様になっている。レストランを借り切って転用したことから、会場が暗いこともあって、「いったい、君はだれだっけ」という状態であるが、そんな中で私が教えた皆さんたちが自然と集まってきて、しばし楽しく歓談した。他の先生が卒業生に対して、「君たちが学んだことは、自分のためだけでなく、ひいては、日本のため、世界のためだ」などとなかなか大風呂敷を広げた戦略的な物の言い方をされたので、私が言ったのは、逆に戦術的なことで、こんなことだった。

 「私が皆さんにこれだけは申し上げておこうと思うのは、組織の中での個人の生き方です。よく世間では、ゼネラリストとスペシャリストが対比して論じられるのですが、私は人の一生という観点からすると、それはあまりに極端な言い方であり、要するに間違いだと考えます。皆さん方はすべて、これから40年ほどの職業生活を送ることになるわけですが、どの会社・官庁・組織のいかなる部署に行っても、その分野のスペシャリストになるように心がけてほしいと思います。そしてそれを20年も続けると、あなた達は皆、ゼネラリストになる・・・。と、まあこういうわけです。これは本当の話で、いったんそうなってしまえば、どんな組織のどのようなポストでも勤まるものです。もっとも、そうなってしまえば、あなたにふさわしいポストは、その組織のトップしか残されていないかもしれないけれどね・・・。(笑い) 皆さんのこれからのご健闘を心からお祈りしています。






(2008年3月26日記)



カテゴリ:表紙の写真 | 21:56 | - | - | - |
小田急の青いロマンスカー
メトロ千代田線直通の青い新型ロマンスカー


 3月15日から、小田急電鉄がメトロ千代田線直通の青い新型ロマンスカーの運転を始めた。実は、まさにその日、国会議事堂前駅で家内と一緒にいるときに、それが通過するのを見かけたものだから、さっそく来週にでも乗ってみようと考えた。車体のブルーが、私たちが昔乗っていたステーションワゴンの色にそっくりで、なつかしい気にさせられたということもある。

 そこで、きょう、自宅から大手町駅に出て、そこの特急券売機で指定券を買ったというわけである。運転が始まったばかりだし、土曜日でもあるしで、指定券が取れなかったら、鎌倉でも行こうと思っていたのに、意外なことに、二つの座席とも確保できた。しかもそのうちのひとつに、展望のよい1号車が取れてしまった。かなり幸運だったといえる。

 この車両が進む沿線には、その姿を写そうと、たくさんの鉄ちゃん、鉄子(つまり、鉄道ファン)があちこちのポイントでカメラを構えていた。私は別に写鉄(鉄道ファンのうち、車両の写真を専門に撮る人たち)ではないが、あれほどひたむきに、何の役にも立たないことに熱中する人たちの、その気持ちが大好きである。

 でも、車内にいては、車両は撮れないので諦めるしかないが、逆に車外では撮れないものとして、下の写真を撮ってみた。これは、小田原を過ぎて、もう箱根湯本にほど近い、風祭の付近である。


(参考)私の独断でいろいろな鉄道ファンを区別すれば、次のとおり。

 写 鉄(写真を撮る鉄道ファン)
 乗 鉄(車両に乗る鉄道ファン)
 模 鉄(模型を作る鉄道ファン)
 表 鉄(時刻表を読む鉄道ファン)
 運 鉄(車両を運転する鉄道ファン)

箱根湯本に近い風祭の付近を運転席から見る。


 せっかく箱根湯本に到着したので、箱根登山鉄道にロープウェイを経由し、芦ノ湖の海賊船に乗り継ぎ、ちょっとした箱根の旅を満喫した。昔と比べて、箱根ロープウェイは18人乗りと大型でしかも綺麗になったし、海賊船も特別船室は、なかなか快適であった。大涌谷は昔とちっとも変らず、それに、元箱根港近くには箱根関所が復元されていて、びっくりした。おっと、忘れてならないのは、いつも変わらない美しい富士山と、傍らにいるこれまた・・・糟糠のウチの奥様である。


芦ノ湖の海賊船ロワイヤル


箱根関所


いつも変わらない大きな美しい富士山


昔とちっとも変らない大涌谷





(2008年3月22日記)



カテゴリ:エッセイ | 00:16 | - | - | - |
つばめグリル 〜 銀座の老舗食堂
つばめ風ハンブルグステーキ


 銀座の中央通りの端っこ、もう京橋というところに、「つばめグリル」銀座本店がある。ここは、たとえていえば「銀座の老舗食堂」といったところで、昭和初期のおもかげを残しながら、ちょっと近代化して銀座のはずれで営業しているといった感じなのである。家族、といっても小さな子供連れが、ワイワイ言いあいながら、楽しく食べるといった雰囲気で、とてもデートの場所にはならない。東京住まいの方なら子供の頃に親が連れて行ってくれるのを楽しみにしていたので、年月が経ち自分が親となったときにそれを思い出して子供を連れて行ってやろうとする。しかし、ちょっと大きくなって生意気盛りの子供にしてみれば、「何だ、こんな古臭いところ」という感じなのである。だから、反抗期前の小さな子供連れに向いていると思う。現に、ハンバーグやカレーライスなどが定番となっている。それやこれやで、要するに昔ながらの「食堂」というわけだ。


焼きリンゴ


 ところでその銀座の老舗食堂さんのホームページによると「つばめグリルでたくさんのお客様がご注文されるアルミホイルで包まれふっくらと盛り上がったつばめ風ハンブルグステーキ。30数年前アルミホイルで包まれたままお客様に提供するという演出が受けて発売後3ヶ月で一番の人気商品となりました。ハンバーグソースに代わるビーフシチューがハンバーグと絶妙に絡み合い、新しい形のハンバーグを生み出したのです。」となっている。これは30数年前の話らしいが、それ以来このお店の看板メニューとなったようだ。現に今日も、家内と私はこのつばめ風ハンブルグステーキを注文したが、肉の絶妙な味わいと焼いたジャガイモの香ばしさに、二人とも大いに満足をした。次いで、「焼きリンゴ」Baked Apple を注文したが、中にシナモンのシロップが入っていて、これまためっぽうおいしかった。これも、お勧めの一品である。


ちょっとレトロな「つばめグリル」銀座本店。1960年代の写真と、あまれ変わっていない。





(2008年3月20日記)



カテゴリ:表紙の写真 | 17:50 | - | - | - |
日本科学未来館を再訪
宇宙食レトルト・カレー


 数年ぶりに、お台場の日本科学未来館に行ってみた。網羅的に回ったわけではないので、細切れの印象を述べる程度しかできないが、やたらにマイクロ・マシン関連が多くなったなぁという感じである。その中で、ホンダのアシモはまだ頑張っていて、時速6キロで走ることができるようになっていたのには驚いた。何しろ、一瞬の間にせよ、両足が空中に浮くのだから、これは凄いの一言である。そのほか、上体のコントロールも改善されていて、両手がなめらかに動く。たとえば両手でウェーブのような仕草も可能である。思えばこの間のICの集積の度合いも幾何級数的に増えたのだろうから、当然といえば当然なのかもしれない。しかし、技術者の皆さんが、仕事とはいえ、こうした新しい動作が出来るようにと、来る日も来る日も回路やプログラムを改善する努力を続けることは、並大抵のことではない。関係者に心から敬意を表したい。

 ところで、ソニーもアイボというロボット犬や、キュリオというヒューマノイド型のロボットを作っていたのだが、映画界出身のアメリカ人が経営トップに就いてしばらくすると、案の定、その開発を止めてしまった。2006年1月26日のことである。なかなか夢のあるロボットだけに、誠に残念なことだ。強いていえば、力持ちのようなアシモの場合は将来は介護分野などに使えそうだが、歌って踊る程度のキュリオはエンターテインメント分野しか思いつかないのは事実ではある。しかし、それにしても、夢がひとつなくなったという消失感の方が企業イメージとしては問題だと思うが、どうだろうか。

 さて、科学未来館の一階では、「美・技・感性 ものづくり展」という展示が行われていた。こういう産業技術分野は、基礎研究を狙った未来館にはそぐわないのではという気もしたが、実際に見てみると、なかなか興味深かった。まず、簡単な映画を二つ見た。ひとつは、富山県高岡市の日本ゼオンという会社が、液晶用のフィルムを開発した話である。このフィルムがないと液晶画面が美しく見えないというものである。従来、大量生産しようとすると、ローラーを通るときに筋が出来てしまうことと、冷えて固まるときに厚さが均等にならないという問題があった。そこでこの会社は、「原因がわかっているのだから、その解決を考えればよいので、むしろ簡単だ」という前向きの発想で取り組んだ。最初のローラーの件は、デコボコがないように数ミクロンの単位で磨き込んで解決した。次の冷却の不均等の件は難問であったが、冷やし固まるいろいろと工夫して、何とか均等になるように持って行ったということであった。

 次の新日鐵の話は、アメリカ向けの重量鉄道用のレールである。日本の新幹線の場合は、ひとつの車輪当たりにかかる重量は5トン程度であるが、この注文の鉄道は貨物用なので、それが20トンにもなるという。それぐらいのレベルでは、新幹線向けのレールでは、すぐにすり減ってしまう。そこで、鉄に含まれる炭素量を多くして特殊な構造を作り、6年も摩耗試験を繰り返して開発をしたというのである。

 それから、富士ゼロックスの開発者が現場で説明を行ってくれた。コピー機では、精細な文字を写すために光源の精度が問題となる。従来は半導体レーザーの光を使うが、それはPとNの半導体を挟み込んでその間から光が出るため、どうしても40ミクロンの間隔が出てしまっていた。それを縦に並べて面発光ができる半導体レーザーを開発することにより、発光体の間隔を詰めて解決したとのこと。これによって、カラーコピーの解像度は、従来の600dpiから、四倍の2,400dpiになったという。

 いずれも、単に聞いているだけだと、何だそんなことかというところであるが、発明というのはそういうもの。一瞬のひらめきと、長い間の試行錯誤というか努力がセットになって、最後に女神が微笑んでくれるということか。

 ああ、そうだ、思い出したことがある。冒頭の写真は、宇宙用のカレーのレトルトパックである。先週、日本の宇宙実験棟「きぼう」が、アメリカのスペースシャトルで打ち上げられた。それに乗り組んだ土井孝雄さんが持って行ったもので、それを科学未来館で売っていたので、試しに買い、家で食してみた。感想? うーん、やたらに味が濃くて、とても私の趣味ではなかった。無重力の宇宙で飛び散らないようにという配慮らしいが、どうやら宇宙は、私には縁がないものとみえる。


宇宙食レトルト・カレー





(2008年3月16日記)



カテゴリ:エッセイ | 23:01 | - | - | - |
東大法の就職先(続き)

 ちょうど一年ほど前に、私は「東大法の就職先」と題して最近の学生から聞きかじった話を載せたことがあるが、2008年3月4日付けの日本経済新聞朝刊において、それを裏付る記事が掲載された。これによれば、この30年間の東京大学法学部卒業生の進路の推移をみると、次の表のとおりであり、明らかに中央官庁や日本の銀行の低迷と、外資系の躍進がみてとれ、私の話を裏付けている。しかし、意外なことに外資系証券や外資系コンサルに行けたのは、合わせてたった15人と、想像したほどには多くない。やはり、大変な競争だったのだろうなぁと思う。

 ちなみに、私の学生の中でただひとり、外資系証券会社に行った男子がいたけれど、もう常にガツガツとしていて、良くいえば勉学意欲に燃えていたが、その反面、なにもそこまでも・・・と言いたいほどでもあった。要は、外資系は総じてこんなタイプ向きであって、日本型の常人つまり調和や謙譲の美徳を有するようなタイプには、あまり向いていない職場ではなかろうか。

 ところで、特に2007年に中央官庁組や銀行組が激減しているのは、法科大学院へ行って法曹になる卒業生の数が大幅に増えているからであろう。というのは、法科大学院は平成16年4月に創設されたが、東京大学法学部卒業生のうち大学院進学者は平成14年度の52名に対して、平成15年度は144名、平成16年度は170名、平成18年度は168名と、ちょうどその頃を境として、激増しているからである。






(2008年3月13日記)



カテゴリ:徒然の記 | 00:01 | - | - | - |
徒然089.ワインラベル・コレクター


 親しい友人がオーストラリアへ赴任することとなり、仲間内数人で、ワイン歓送会を開いた。その幹事となった人のオフィスで簡単に済ませたのだが、そこはお互い遠慮なしの間柄なものだから、それぞれの得意や近況の紹介となった。中でも一番おもしろかったのは、「自分は、とうとうワインラベル・コレクターと呼ばれるようになった」というものである。かねてから、「アイツはワインのラベルを集めているらしい」と評判になっていたのだが、これほどとは思わなかった。

 まず、彼が密かに集めてきたワインのラベルの数の多さに、一同が度肝を抜かれた。フランス駐在以来の15年間で、8,000枚だという。聞いたとたん、一同わぁーっと叫んで、驚いた。そのラベルを見せてもらったところ、ひとつひとつ透明のフィルムでカバーされており、しかも、その裏にタイプで、銘柄名、産地ワイナリー名、飲んだ日、飲んだ仲間、味の感想、A(極上)、AB(上)、B(並)、C(下)、D(最悪)というレーティングまでされていたからである。これは、すごいとしか言いようがない。

 しかし、話はそれだけではなくて、彼は50何歳にして、1年間それこそ必死に勉強して、国際ソムリエ資格をとったらしい。そのテキストをみれば、厚さが3センチくらいで、相当なボリュームである。中をパラパラとめくると、もちろん産地名やワイン名のカタカナばかり。一同、「俺達の歳で、こんなものを丸暗記したのかぁ」と、口をあんぐり。

 ところでと、私が質問をした。「ワインのラベルを取るのは、どうするの? 以前は、お風呂に入るときにワイン・ボトルを抱いてバスタブに入るといっていたけれど・・・」すると、彼の答に驚いた。「最初は、そうしていたけれど、こんなに多くなっては、お風呂がボトルだらけとなってしまう。そこで、何か良い方法はないかと探していたところ、何とまあ、『ワインラベル・コレクター』なるものが発売されていてね、(実際に、やってみせる)透明なフィルムのこれをこうやってラベルに巻きつけて、こんな風にこすれば、こうして採れるんだ。」(なるほど、ラベル全体を採るのではなくて、上の印刷部分だけを採っている。)しかもこのラベルを発明したのは、てっきりフランス人なのではないかと思いきや、実は日本人だとのこと。全くもう、何ということか。これこそ、「好き」としか、言いようがない。

(参考) ワインラベル・コレクター・・・(株)グローバル


 ホーム → ワイングッズ → ワイン用 ラベルコレクター
                  (12枚入)¥1,000
 JANコード: 4520529024050
 ブランド: ファンヴィーノ ワイングッズ





(2008年3月12日記)



カテゴリ:徒然の記 | 22:41 | - | - | - |
河津桜と菜の花


 3月の上旬も終わり、そろそろ中旬に入ろうとしている。毎年2月の半ば頃には、「河津桜が満開」という記事や写真を目にするのが常である。去年は、私の同い年の友人が奥様と一緒に「河津桜、見に行ってきた。きれいだったよー。」と語っていたので、私も「よし、来年には行ってみよう。」と思ったというわけだ。

 ところが、それから1年が経ち、さあそれでは行こうかと思ったそのとき、あちこちの親類で病人やケガ人が続出し、そのお世話で私も家内も東奔西走という仕儀となった。そういうわけで、肝心の2月下旬から3月上旬までの2週間がつぶれてしまい、とうとう今年も、河津桜とは縁がなかったと思うほかなかった(後日談を参照)

 そんなある日、朝日新聞を読んでいて、満開の桜と黄色い花の写真が目に入った。それは、神奈川県松田町の西平畑公園の様子で、なんと河津桜と菜の花が同時に見られるというわけである(注)。それでは、代わりにこれを見に行こうかということになった。駅前探検倶楽部で調べると、家から千代田線で代々木上原駅まで行き、そこで小田急の箱根湯本行きに乗り換えて新松田駅で降りるとよいらしい。ただし、小田急の急行には1時間20分も乗っていなければならない。この点は、面倒なところではあるが、その倍の時間をかけて伊豆半島の先端の方に行くことに比べれば、まだマシというものである。

 駅に行くと、3月15日から、千代田線北千住駅から箱根湯元駅まで新型ロマンスカーの運転を始めるというポスターがあった。これにも乗ってみたいねと話をし、それを見て代々木上原駅まで行ったところ、目の前を現行つまり旧型のロマンスカーがゴトゴトと通り過ぎていったので、思わず顔を見合せてしまった。このタイプも、子供が小さい頃、箱根に行くためによく乗ったものである。先頭車両の展望カーのガラス席にも乗った。その先頭のガラス窓の優雅な曲り具合を、特に気に入っていた。もうこれも世代交代かと思うと、何かしんみりとした気がする。

 そんなことを思いながら急行に乗り、下北沢、成城学園前、新百合ヶ丘などの駅が通り過ぎて行った。実は私たち、上京してから、かれこれ40年近くになるのだが、住んできた地域が営団地下鉄(今風にいえば、東京メトロ)で通勤できるところだったことから、小田急を始めとして私鉄沿線にはあまり詳しくない。だから、耳に入る駅名が新鮮に聞こえてならず、ちょっとした小旅行の気分であった。

 ただ、あまり乗り慣れない電車に乗っていると、ときどきとんでもないことが起こるので、油断がならない。新百合ヶ丘駅で多摩方面へ、相模大野駅で江の島方面に枝分かれするようで、しかもどこかの駅で後ろ3両がどこかへ行ってしまうとか何とか放送している。やっぱり・・・。とか何とか思っているうちに、新松田駅に着いた。秦野の先で、あと10分ばかりこのまま乗って行けば、もう小田原というところである。

 新松田に住んでおられる方には申し訳ないが、文字通りの田舎町である。東名高速道路越しにふと山肌を見れば、円筒形のガラスの建物が目に入った。その下の山肌は桜色に染まっている。どうやらここが目的地らしい。JR松田駅に行くつもりだが、シャトルバスには長蛇の列ができている。そこで、ぶらぶらと歩いていくことにした。そういうそぞろ歩きをする人は結構いたが、気づいてみれば周りの人はお年寄りと小さな子供連ればかり。お年寄りはわかるが、なぜ小さい子たちも桜を見に行くのかと思っていたところ、その疑問は山の中腹あたりで氷塊した。長いすべり台があって、子供たちはそれをすべってキャアキャアとはしゃいでいる。そればかりか、そのさらに上には蒸気機関車と小田急ロマンスカーの動く模型があって、それが子供たちの人気の的らしい。

 それはさておき、われわれは黙々と登っていくと、山の中腹に確かに満開の桜と、その下に菜の花が咲いている一角があった。それの写真を撮りつつ足をさらに上に運んでいくと、視界が一挙に開けた。右手前から酒匂川が蛇行して流れ、市街地を通り、その先にある相模湾にそそいでいる。久しぶりに、すっきりとした気分になった。





(注)こちらの河津桜は、本場の河津から260本を移植したものという。そしてこの西平畑公園は、松田山ハーブガーデン(0465-85-1177)ともいうらしい。
(2008年3月9日記)




【後日談】友人が昨年、河津桜を見に行ったのが2月の半ば頃だったので、今年も同じ時期に咲くだろうから3月も9日になったら、もうみんな散ってしまっているだろうと考えたのは、私の早合点だったようだ。インターネットで調べたところ、まず河津桜の咲く時期は毎年違う、それから花については咲いたらすぐ散ってしまう染井吉野などとは異なり、1ヵ月くらいは優に咲いているらしい。今年の満開は2月下旬だったそうだから、3月9日ならまだ十分に楽しめたようだ。

 私も、これだけインターネットを利用しているのに、たまたまこの件については、事前に検索をしなかった。どうやら、意外なところに盲点があったという気持ちである。まあ良いか・・・。また来年、本物の河津桜を見に行く楽しみが残ったと考えよう。




(2008年3月10日記)





カテゴリ:表紙の写真 | 22:47 | - | - | - |
徒然088.今どきのテレビ

 もう、はるか昔のことになるが、3年に及ぶ外国暮らしをして、再び日本に戻ってきたときのこと、テレビをつけて非常に驚いた。それは、午後8時頃はどのチャンネルでも、タンタカターンタンという応援歌が聞こえる野球中継ばかりだったからである。下らないなぁと思って、ニュース番組のほかは、テレビをあまり見なくなった(注)。

 それから年月が経ち、文京区に引っ越してきて、ケーブル・テレビに加入した。すると、アメリカの連続テレビ・ドラマや映画を放送するチャンネルがあり、これは面白いと気づいた。最近は、それらとNHKのニュース番組や教養・旅番組ばかりを見るようになった。アメリカの連続テレビ・ドラマは、世相を表しているし、なかなか参考になる。近頃では、ヒーローズを必ず見ている。これを見ると、9.11を経験したアメリカ人が、次は核テロを心配しているのではないかと思うし、マンガを通じて日本というものがアメリカに浸透していることがよくわかる。それに、哲学的には、量子力学の多世界観にも通ずるものがある。

 つい最近、テレビをつけて民放の地上波放送を見たところ、本当にお馬鹿な番組ばかりやっていると思った。たとえば、バラエティと称して風船割りをやっていたり、水着姿の男女が出てきて下らないことをやっていたり、トレビアか何か知らないが、何の役にも立たないクイズをやっていたりする。歌番組といえば、これは歌ではなくて、単なる文章の朗読に近いものとか、ただうるさいだけで何を言っている(歌っている)のか理解できないものばかりである。これが公共の電波を使ってやることかと嘆きたくなるのは、私だけではあるまい。

 カナダに行っていた友達が、カナダでは、番組内容の種類別規制があって、たとえば自然番組は全体の30%以上にせよ、などということになっているらしい。日本も、このような馬鹿な番組ばかりをやっていると、国民の教養水準を維持することも難しくなりはしないかと心配である。そんなもの、元々低いのだと言ってしまえば、それまでであるが、少なくとも20〜30年前は、もっと努力して教養を身につけ、豊かになろうという社会的風潮があったと思う。つまり「努力すれば報われるはずだ」という信仰に近い考えであるが、今の中国の人たちは、かなりそういう信念をもっているのではないだろうか。

 それに対し、長く低成長時代を続けてきた今の日本には、高度成長期のようなあちこちで煮えたぎるような熱気というか、そんなものは全く消えてしまって、その代わり、現状維持と諦めの気分が社会全体を覆っているように見える。ワーキング・プアーなどと聞き慣れない階層(?)も出てきて、貧富の差が拡大しつつあるといわれる。だから、その場しのぎの、こんな馬鹿番組を見て、とりあえずの暇つぶしに逃避しているように思えてならない。「Boys」に替えて、「Japanese be ambitious!」とでも言いたい気分である。




(注)子供に見せるテレビ番組など

 家内は、日本に戻ってきたとき、子供に見せるべき良質のテレビ番組がないと困ったという。そこで、ひとつは「どらえもん」、「太陽の子エステバン」のような子供の正義感や冒険心、好奇心を育てるアニメ番組とともに、古今東西の名画を100本あまりをビデオに録画し、子供たちが小学校高学年から中学校にかけて見せた。これは今のようなDVDビデオレコーダーや便利な番組録画機能のない時代のことだから、ビデオに録るだけでも大変な苦労だったと思うのだが、それを敢えてやってくれたおかげで、子供たちが文化に触れ、人情の機微に通じ、その結果として書物に親しんだ。これらは、彼らが長ずるに及んで知的職業に付くことができた重要な要因だったと考える次第である。皆さんにも、ぜひお勧めしたい。

 世の中に氾濫する情報にはいろいろあるので、それらの中から取捨選択して悪いものや碌でもないものを遮断し、子供には良い物、できれば本物を与えなければいけないのである。本来であれば、社会全体でそうする方が良いが、それが望めないのなら少なくとも自分の子供には、そのように努めたらどうだろうか。

 ちなみに、テレビ番組ではないが、私たちの頃は、テレビゲーム機を持たせるべきかどうかが問題となっていた。私の方針は、もちろん持たせるべきではないというもので、あんなものは、目も頭も悪くなるし社会性も育たないから駄目だというのが理屈である。結果的にこれは正解で、それでよかったと思っている。

 加えて最近では、子供に携帯電話を持たせるかどうかが社会的問題となっている。携帯のインターネット接続機能を利用して、あやしげなサイト経由で、子供を騙す犯罪が多発しているからだそうだが、これも当然のことながら、持たせるべきではないと思う。たとえ持たせても、インターネット接続機能は付加するべきではない。まあ、それより前に、日常から子供とよく対話をしておくべきであろう。




(2008年3月6日記)



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