クリスマス・イブ
表参道ヒルズのスワロフスキーのクリスマス・ツリー



 きょうは、クリスマス・イブである。ネットを見ると、東京の各地でいろいろなクリスマスの催しがあるようだ。家内と一緒にそれらの中から面白そうなものを選んで、見物に出かけた。まず向かったのは、表参道ヒルズのスワロフスキー(Swarovski)のクリスマス・ツリーである。この写真のとおり、キラキラ光って品があり、いや、誠に見事であった。最近は、どこへ行っても電飾、それも青色の発光ダイオードのものが多くて幻滅するが、これは自然な輝きであるから、美しい。

 我々が外国に住んでいたとき、実はスワロフスキーのちょっとした飾りものを送り合うのが流行っていて、我々も、この会社のクリスタル製品をいくつか持っている。それだけに、こうやって表参道ヒルズの中央の大きな空間に、その親分のようなツリーや飾りが吊るされていると、まるで親類に会ったような気分になるから、面白い。

 それから向かったのは、帝国ホテルで、クラシックモダンと称していろいろな催しをやっていた。中でも聞き入ってしまったのは、早稲田と慶応のグリー・クラブによる合唱と、東京芸大のチェロのカルテットの演奏である。また、タワーの方に回ると、世界的に有名なフラワーアーティスト「ダニエル・オスト」がデザインしたりんごをモチーフにした妙な飾りが吊ってあって、しげしげと見入ってしまった。

 そして、お茶をしながら日が暮れるのを待って、日比谷公園に行くと、そこではTOKYO FANTASIA 2007「東京に光の妖精が舞い降りる」と称して、高くて大きなテント(そこに点灯して巨大なツリーとなる)が様々な色にともり、芝生上の電飾とともに、光の芸術劇場を構成するというものである。しかし、戸外にいると、ともかく寒くなったので、次の丸の内通りの光の催しを見に行くことは中止して、家路に着くことにした。あちこちで食べたケーキやコーヒー・紅茶で二人ともお腹がもたれて、ディナーどころではなかったからである。次回・・・・といっても来年だが、今度は気をつけることにしよう。


「ダニエル・オスト」がデザインしたりんごのモチーフの飾り





(2007年12月24日記)



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低成長社会の実相
Swarovskiのクリスマス・ツリー(表参道ヒルズ)


 クリスマスの季節を迎え、今年もあと1週間となった。この1年を振り返ってみれば、日本は、政治も経済も、そして国力も、いよいよ衰退期に入ったのかと真剣に心配をしている。政治は、7月の参議院の結果生じた衆議院と参議院のねじれ現象で、にっちもさっちもいかなくなった。このままだと、明くる2008年の春には、与野党が予算関連法案で激突し、その結果、政治のみならず経済に深刻な打撃を被るおそれが強い。与野党の大連立かその一部の組み替えでも起こらない限り、こうした状況があと最低3年、少なくとも6年は続きそうである。その意味で、政治はもはやデッドロックに乗り上げてしまっている。政権を取る取らないどころか、現下の深刻な経済情勢なども考え合わせれば、その際の騒ぎによって破滅的なカタストロフィに至らなければよいがと願うばかりである。

 日本経済を取り巻く環境に目をやると、国際原油価格がわずか1年間で倍の100ドルに近づくなど未曽有の高騰で、これがガソリン、灯油、日用品、食糧、原材料などの価格に幅広く波及しつつある。アメリカ経済は、過去10年以上にわたって絶好調だったがサブプライム・ローン問題により、金融秩序を揺るがす大問題に直面している。これを契機にドルが暴落するようなことになれば、日本の政府と民間が大量に抱えているアメリカ財務省証券の資産価値はどうなるのか。一方、中国とインドとロシアがかつての日本の高度経済成長期を上回る速度で発展を続けており、世界のエネルギーや原材料の需給の逼迫を招いている。仮にこの動きがインフレを促進し、実体経済に影響するとなると、やがて金融引締めをせざるを得ない。ところが日本は、約10年にもの長きわたって史上初めての超低金利時代を続けてきた。これに慣れきった日本の経済社会が、急激な金利上昇に耐えられるかどうか、大いに疑問である。とりわけ気になるのが増え続ける国債である。2008年度の国債発行計画によると、同年度末の発行残高は07年度末比6・6兆円増の553兆円程度と、過去最悪の水準を更新しつつある。これがいったん金利上昇局面に見舞われれば、ひとたまりもない。

 それに加えて社会を不安定化する要因が顕在化してきた。とりわけ、都会と地方、そして持てる者と持たざる者との格差の拡大である。いわゆるワーキング・プアの問題として、NHKなどのテレビで放映され、人々が意識し始めた。これは何も日本だけでなく、アメリカや韓国でも同じようなことが進行しているとのことであるが、私はこれが日本でも現実に起こりつつあるという点で、いささか衝撃を受けた。というのは、第二次世界大戦で焼け野原となった日本は、国民誰もが、いわばゼロの状態から再出発して、世界でも冠たる経済大国を築きあげ、それによって一億総中流と意識をするほどの平等な国を作り上げたと信じて疑わなかったからである。戦後60年余が経過し、勝ち組と負け組に分かれて来つつあるのだろうか。

 東京でいえば、開業している医者、会社法務の弁護士、外資系企業のサラリーマン、一部上場企業の役員、テレビ会社の社員、インターネット関連企業の経営者などが勝ち組なのだろう。これに対して、派遣労働者、アルバイト、離婚した片親家庭、病人を抱えた家庭などが、残念ながら、その対極に置かれている。かつてのような向こう三軒両隣などといった地域の相互扶助精神が未だ残っている時代ならともかく、現代の日本の特に都会では、そんなものはとうの昔に消滅してしまっている。加えて日本には、欧米のような宗教精神に根ざした奉仕活動といったものも誠に希薄である。そういったことから、生活に困っている人々に対する社会の側からの安全網(セーフティ・ネット)のようなものは、市町村レベルの行政しかないが、それだけで万全な対応を期待するのは、それは最初から無理な注文というものである。

 地方に目を転じてみると、旧来の地場産業は中国などの新興国に敗れ、また少子高齢化が進んで地域社会から若者がいなくなった。商店街はシャッター通りと化し、米作にのみ頼ってきた農村は米価の大幅な下落に採算がとれなくなってきた。いずれも、人口政策、産業の育成、農業からの転換に失敗した結果である。そうなると、この平成年間は、昭和年間のように数多くの人口が爆発的に増えたという時代とはそれこそ一変し、人々の考え方や行動様式が、ますます内に籠るようになって来たのではないか。その結果、やむを得ないこととはいえ、協調というよりは個人主義的傾向が一層進み、他人の粗(アラ)が見えればつい攻撃的になり、うまくいっている人々をいたずらに妬むようになる。そうすると、「出るクギ」はなくなって人々は防衛的で受け身となり、新しいものにチャレンジすることを躊躇するようになる。かくして、負のサイクルに入り、それが一層ひどくなる。

 もちろん、こうした社会的現象は、いつかは反転して正のサイクルへと戻ってくるものであるが、それまでに我が国の特質であった良い面が一掃されてしまうことを懸念している。既に終身雇用と年功序列ははるか昔に消滅して、今や派遣と実力主義が全盛の時代である。かつては我が国のお家芸といわれた官民一体の協調型の社会発展モデルも、とっくの昔になくなってしまった。それどころか最近では、公務員へのバッシングも度が過ぎると感じる。確かに一部では悪徳公務員や無能な公務員もいるのは事実であるが、大多数の公務員は真面目に仕事に取り組んでいるのであるから、それをひとくくりに全部を否定していては、行政が停滞するだけである。このままでは、安月給で国のために身を粉にして働く若い人材が集まらなく恐れがある。

 もちろん、批判されるべきは、一部の公務員だけではない。この1年で明らかになったように、日本企業の経営者のモラルや誇りはどこに行ったのかと思う。食品を偽装した、ミートホープ、白い恋人、比内地鶏、赤福、船場吉祥、どれもこれも、信じていたものに裏切られたという思いで残念でならない。これに加えて年金の問題も、団塊の世代の大量退職を控えて、世相をさらに混迷させている原因である。一生懸命に働いて、さあこれから年金を頼りに余生を暮らそうと思っていた矢先に、その年金があてにならないというのでは、これは年金制度のみならず、公的制度への信頼感の崩壊である。

 こういう残念な状態が、低成長で人口減の社会の実相なのかと、改めて感ずる今日この頃である。そのしわ寄せは、結局のところ、弱い立場の人々にますます行くのだろうなぁと思って、いささか寂しくなるのは私だけではあるまい。日本の社会は、これだけの短期間で世界でも稀な豊かな国を築き上げてきたが、皮肉なことにそれを実現したとたん、今度は先の展望がないままに坂道を転げ落ちるような状態に置かれている。そういえば、かつてのイギリスにも、そうした長期低迷の時期があり、なかなか抜け出せなかった。ところがよくしたもので、ある日突然、サッチャー首相が出てきて、鉄の女といわれながら10年間の任期を全うしてようやく立て直した。そのリーダーシップと先見の明たるや称賛に値する。かくなる上は、日本の政治家で、そうした実力のある人物が出てくるのを期待するしかないが、それはいつになることかと思う。もともと、日本はリーダーシップの国というよりは、農耕民族らしく、みんなで対処しようというお国柄であるし。そもそも日本の首相の在任期間が5年半を超えた例はないのだから、そのような救世主の出現は、もとより期待し得ないのかもしれない。

 これまで、あまりにも悲観的すぎることばかりを述べてきたかもしれないが、かくいう私も、平成13年に21世紀を迎えたときには未来を信じてもっと楽観的だった。はてさて、これは一体どうしたことだろうか。過去の1年間で起こってきたこと、これから起こりそうなことを総合してみると、そのように考えざるを得ないからではなかろうか。もっとも、何でも番狂わせというものが、全くないわけではない。

 思い起こしてみると、昭和48年秋に世界各国は石油ショックに直面し、原油価格の4倍上昇と、中東諸国からの原油禁輸という非常事態を経験した。この非常事態そのものは、数ヶ月しか続かず、終わってみれば日本は例年以上に原油を確保したことが統計上わかって、日本の経済力の強さを感じたものである。しかしその私でも、翌昭和49年の輸入統計を見てがく然とした。なんとまあ、輸入金額ベースで、輸入品の半分が原油だったからである。これでは、日本経済は早晩やっていけなくなるのではと暗澹たる気持ちとなり、今と同じような悲観的な気分となったことをよく覚えている。

 ところが今は、輸入金額に占める原油の割合は、10数%にすぎない。その要因の分析をすると、為替要因が4割、省エネの進展がやはり4割、原子力等への転換が2割である。その過程においては、安定多数の与党、企業と通産省・大蔵省とが歩調を一にし、政官民がひとつになって頑張った。まさに、日本株式会社といわれた所以であり、日本の経済力と技術力と原子力政策の進展が問題解決に役立ったというわけである。その主体となったのは、若く、数も多い団塊の世代を中心とする先人の、たゆみない努力であった。みんなで一生懸命やれば、どんな困難でも乗り越えられるという見本のようなものだった。このときは、幸いにして私の悲観的見方は間違っていたことが、歴史的に証明されたというわけである。

 それでは、今回の日本の政治経済の危機は、誰がどうやって乗り切るのだろうか。人口が徐々に減って高齢化していく中で、政治家にせよ、企業にせよ、官庁にせよ、それが容易には思いつかないからこそ、悩みは深いのである。一時のホリエモンや村上ファンドなどは、こうした沈滞感を打ち破って、あたかも若い人に夢を与える救世主がごとくに、世間で持てはやされたものである。しかし、やはり法の網を破る違法行為に手を染めていて、どちらもあえなく逮捕されたのは承知のごとくである。かくなる上は、名も無き民が寄り集まって、地道にコツコツと努力をせよということか。

 それにしても、好調なときほど、将来に備えよとは、よくいったものだ。もう少し前の日本経済が好調なときに、赤字国債の大幅な削減、少子化対策としての子育ての支援、知的労働者に限って外国人を受け入れるなどの対策を抜本的に講じておくべきだった。加えて行政側も、経済や財政主体の体制から、社会福祉中心の体制へと優秀な人材を移しておくべきだったのではないか。ひとつが変われば、それが呼び水となって、どんどんと良い方向に展開していく可能性もないわけではない。かくして、いろいろと反省すべき点は多いが、ともあれ2008年まで、あとわずかである。これからの1年間は、かつてなかったほどの、厳しい年になりそうな気がしてならない。もちろん、こうした悲観的な見方が、再び杞憂に終わることを願っている。




(2007年12月24日記)




カテゴリ:エッセイ | 23:00 | - | - | - |
徒然076.茶芸職人の技
四川豆花飯荘の茶芸職人


 大学時代の同窓会を「四川豆花飯荘(シセントゥホア)」というところで開いた。行く前は、要するに辛いだけの四川料理だろうという感じだったが、さすがに良質のレストランを集めた新丸ビルの店舗だけあって、いろいろと工夫がされていた。

 まず料理は、我々のような年配者に合わせて、ひとつひとつの料理を、量は少ないものの、次々と持ってくる懐石料理風である。最初のオードブルは、あたかも京懐石のごとく、ちょこちょことしたものが六品も添えられている。ふかひれスープも量は手頃でしつこくなく、すっぽんのカップスープも味は良し、豆腐花もちょっとだけだが雰囲気はあり、季節の野菜と蟹肉の和え物に至っては、野菜ばかりが目立ってどこに蟹があるんだと宝探しをやっていたが、まあそれもご愛嬌。どれも四川料理にしては全くといってよいほど辛くはなかった。

 韓国駐在だった友人が、「なーんだ。どれも味がない」と文句を言うほどだったのに、さすがに最後の麻婆豆腐だけは、かなり辛かったことから、ご機嫌が戻った。しかしそれも、ご飯の上に掛けられていたので、われわれ典型的日本人でも、なんとか食べられたというわけである。

 一番、面白かったのは、「茶芸職人(Tea Master)」である。黄色いチャイナ服を着て、じょうろのお化けみたいなものをあやつり、1メートルはあろうかと思われるその細長い注ぎ口の先を客の茶碗に向けて注ぐという趣向である。最初は、右手を引いて下向きの斜めに注ぐだけであるが、だんだんエスカレートしてきて、頭の上から注いだり、両腕を背中にVの字のようにして注いだり、いやまあ、さまざまなパフォーマンスをみせてくれる。それでまあ、不思議なことは、あの細い注ぎ口から流れ出るお湯は、周囲に少しもこぼれたりせずに、ちゃんとお茶碗の中に全部入るのである。演じているお兄ちゃんに聞こうと思ったら、日本語はダメらしい。そばのウェイトレスは、この人は、8年間の修行をしたという。

 幸いなことにこの店は今のところ東京ミシュランには載っていないので、予約もとれるし騒がしくないのがよい。ともあれ一見の価値があるので、お勧めしたい。そうそう、その茶芸職人が入れてくれたお茶も珍しかった。ジャスミン茶をベースとして、乾燥した菊の花、百合根、クコの実、紅棗、龍眼、胡桃、氷砂糖みたいなものが入っていて、茶芸職人がお湯を注ぐごとに味が変化する。最初はジャスミン茶そのもの、三杯目くらいから氷砂糖が効いてきてやや甘く、それが過ぎて五杯目くらいからは菊の苦味を感じ、そしてだんだんと味が抜けていく。八宝茶というらしいが、まあ、百聞は一見にしかずである。店を出るときにはゆったりとした満足感に包まれた。こんなことを体験できるのは、東京に住む大きなメリットである。




再び四川豆花飯荘へ


【案 内】
 ・店 名:四川豆花飯荘
 ・住 所:東京都千代田区丸の内1−5−1新丸の内ビルディング6F
 ・電 話:03−3211−4000
 ・行き方:JR東京駅前(丸の内側地下道を歩いて3分)
 ・参加費:12,000円(コース料理+飲み物代)




(2007年12月20日記)


カテゴリ:徒然の記 | 00:11 | - | - | - |
新司法修習生の質
神戸地方裁判所


 法科大学院第一期生で、昨年5月に行われた第一回新司法試験に合格し、司法修習をこの一年間こなしてきた修習生の考試、つまり最終試験結果が発表された。これは、民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護に五科目にわたる試験であり、一科目でも合格水準に達していなければ不合格となる。それによると、第一回新司法試験合格者で今回の考試(いわゆる二回試験)を受験した者は986人で合格者が927人、不合格者は59人、不合格率は6%となった。これに、9月の旧司法試験の考試に不合格だった69人も受験し、うち17人が再び不合格だった。これらを合わせると、受験者数が1055人、うち不合格者数は76人(7.2%)である。

 直近の不合格者比率はせいぜい5%、それより以前の不合格者比率ははるかに低いから、法科大学院第一期生の不合格者の数がこれほど多いとは、関係者にとっては意外なことであった。というのは、そもそも法科大学院の設置理念が受験に偏った知識詰め込み教育を改め、法律実務を教えるといったものであったからである。しかし、私も今年から、世間で超一流とみなされている国立の法科大学院での教育に携わっているところであるが、正直いって、学生の文章を書く能力に大きなばらつきがあることに驚いた。できる学生は、もうそのまま実務で使える文章を書いてくる一方、会社の企画書程度のものしか書けなかったり、あるいはジュリストでよく見かけるような、実務には何の役にも立ちそうにない学者の文章のようなものをまるで紡ぐがごとくに延々と書いてきたりする。

 もうお分かりであろうが、最初のグループはそのほとんどが2年の既修者コースの人で、後二者は3年の未修者コースの人が多い。この後二者の方には元社会人の方が多くて、以前の職業を聞くと、エンジニア、新聞記者、会社員、公務員、医者などという方である。入学当初ならともかく、こういう方が3年生にもなって、未だ会社の企画書程度も文章しか書けないというその実態を知ったときには、申し訳ないが、唖然としてしまった。それで、文章とはこう書くものだなどと解説をすると、学生たちはそんな授業は他になかったなどと口々に言う。

 これは、法科大学院のカリキュラムと、それを教える教授の側に大きな問題があるのではないだろうか。私が思うにその主な原因は、実務系大学院なのに、実務を全く知らない典型的な、いわゆる「学者」ばかりが教えているからではないかと思う。もちろん、そういう授業もあってよいが、そんな教授ばかりでは、訴状や答弁書など、書けるようになるわけがない。アカデミックなものと実務的なものとのベスト・ミックスが行われていないのは明らかであり、その被害者は、看板につられて入った学生たちである。

 思い出してみると、法科大学院が発足した当初は、在来の法学部の教授たちは、「給料は同じなのに、仕事は倍になった」と嘆いていた。そこで、実務の先生たちを連れてきたが、こうした先生たちは逆に、実務はわかるが教え方と理論はわからないというハンディがある。うまくいかないものだなぁと仲間内で評していたものだが、それに加えてご存じの慶應義塾大学の植村事件で、ますます妙なこととなった。

 つまり、「受験指導につながるから、学生に文章を書かせてそれを評するようなことは、まかりならぬ」という風潮である。そんなはずはないと思うし、事実、下記の文部科学省の委員会では、「一定の事案をもとに法的に意味のある事実関係を分析し、その法的分析・検討を行い、一定の法律文書を作成する能力を育成する教育は法科大学院本来の教育であり、法曹として実務に必要な文章能力の育成は当然に求められるものである」と言ってくれている。ところが、法科大学院内では、これにかこつけて、そういう前向きな指導をすることについて、これ幸いと足を引っ張る向きも、なきにしもあらずと聞く。

 そんなことをしていると、ますます何の役にも立たない法科大学院卒業生ばかりが生み出され、その結果、司法試験に合格しても、考試を通らない司法試験修習生がもっと出そうである。それでは路頭に迷う学生や修習生がかわいそうだし、ひいては司法研修制度という国家的リソースの無駄遣いである。これは、新司法修習生の質の問題というより、たとえ一流といわれている法科大学院であっても、その法科大学院自体の質の問題である。いたずらに従来の大学経営の学者的センスにとらわれすぎて、この法科大学院は運営すべきでないと思うが、どうであろうか。そういえば、一部の私立大学では、優秀な先生の引き抜きを精力的に行っているようだ。あと数年後には、その結果が如実に現れるであろう。




(2007年12月19日記)







>法科大学院特別委員会(第18回)議事録・配付資料(平成19年11月29日)より

 司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について(報告)案−法科大学院設立の理念の再確認のために−(抜粋)

 当報告は、先般の慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)における司法試験考査委員による不適切な課外指導に端を発する問題状況をふまえて文部科学省が実施した調査「法科大学院における新司法試験に関連した指導の状況について」に関連して、文部科学省から「司法制度改革の趣旨に則った法科大学院教育の在り方について」の検討の要請を受け、法科大学院特別委員会で4回にわたって議論した結果をとりまとめたものである。

 本来、司法試験考査委員としての行為の適・不適の問題や司法試験問題の漏洩防止方策は、司法試験の公正性の確保等の観点から、司法試験制度や司法試験考査委員制度及びその行動準則等の在り方として議論されるべきものであるが、司法制度改革により新たに整備された法曹養成制度の下においては,司法試験は法科大学院における教育を前提とし,原則としてその教育課程を修了した者のみに受験資格が認められているという一体的な関係にある以上,司法試験考査委員を務める個々の教員だけでなく,各法科大学院およびそこに所属する教員すべてが,その教育の過程や学生・修了生に対する指導などにおいて司法試験の公正性・公平性を妨げることのないよう万全の配慮をすべき責務を負うことは言うまでもない。のみならず、今回不適切として問題とされた行為の背景として、司法制度改革の一環として法曹養成のための中核的な役割を担うべき教育機関として創設された法科大学院において、司法試験の受験指導に主眼を置いた教育や司法試験の合格のための指導に過度に偏った教育が行われているのではないかとの指摘があることは、法科大学院制度創設の趣旨に照らして看過できないところである。

 新たな法曹養成制度は、旧来の司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院における理論と実務を架橋した法学専門教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備したものである。このプロセスの中にあって、法科大学院は、単なる「点」としての司法試験への対策としての教育に陥ることなく、将来の法曹としての実務に必要な学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を涵養するための理論的かつ実践的な教育を体系的に実施することにより、多様かつ広範な国民の要請に応えることのできる高度の専門知識、幅広い教養、国際的な素養、豊かな人間性及び職業倫理を備えた法曹を養成するという理念を実現する教育を実践しなければならない。

 そのような法曹養成のための中核的な教育機関として、法科大学院制度が平成15年度に創設され、もっぱら法学既修者を対象とした昨年度の第1の新司法試験に引き続き、初めて法学未修者も対象として実施された今年度の司法試験により、社会人や法学部以外の出身者から広く人材を受け入れ、多様な分野において活躍することの出来る法曹を養成するという制度が本格的にスタートしたこととなる。

 このような時期にあって、今回問題とされている不適切な行為の背景に、法科大学院制度の依って立つ基本理念を忘れて、司法試験合格者数という目先の数値を追う状況が仮に存在し、それが特定の法科大学院に限られるものとはいえない現象であるとすれば、法科大学院制度の根幹を揺るがしかねないものであり、法科大学院制度が創設された原点に立ち返り、法科大学院教育の在り方を考え直す必要がある。

 今回の検討を行なうにあたり、文部科学省においても、法科大学院教育の在り方の検討の参考に資すること等を目的として、法科大学院教員が実施する新司法試験に対応した指導について、実態調査を行なった。

 この中では、答案練習等を実施した教員は調査済教員4,227人のうち467人(54大学)、件数にして延べ711件とされている。もとよりこの件数の中には、単に司法試験受験指導を直接に念頭に置いた指導というよりは、法曹に必要な論述能力の向上を図るための指導として法科大学院における適切かつ必要な指導と評価されるべき教育・指導が多数含まれており、この数値をもって法科大学院において広く受験指導に偏した教育が行われていると即断することは適当ではない。しかしながら、その概括的な調査内容からも、プロセスとしての法曹養成の中核的教育機関である法科大学院として、将来の法曹として必要な豊かな学識及び能力を培いつつ、同時に、その確認をする中間点としての司法試験について、旧司法試験対策としてみられた受験技術偏重の教育を避けながら、他方、法科大学院の教育課程において十分な成果を収めた学生が司法試験にも確実に合格することができるという結果を実現するために、各法科大学院が苦悩し、試行錯誤している姿が窺われる。また同時に、一部においては、司法試験受験指導を過度に意識した教育となっているのではないかとの指摘を受けかねない事例も見られた。

 法科大学院において、理論と実務を架橋する教育が求められることや、新司法試験と法科大学院における教育内容との有機的連携の必要性に鑑みれば、例えば新司法試験の問題やそれに類する形式の事案が法科大学院教育において教材の一つとして使われることをもって直ちに、現在の法科大学院教育が本来あるべき法科大学院教育とはかけ離れた、受験指導に偏った指導であるということは適当ではない。

 しかしながら、法科大学院の教育は、将来の法曹としての必要な学識とその応用能力、法律実務の基礎的素養を涵養するための理論的・実践的な教育により、豊かな人間性や創造的な思考力、法的討論の能力等を広く養うため体系的に行うことが求められているものであり、仮にその教材として司法試験問題等が扱われる場合であっても、それはあくまでこうした目的達成のための手段の1つとして活用されるに留まるべきである。すなわち、本来涵養されるべきこうした幅広い能力の育成よりも、司法試験合格を過度に意識した、事例の解答の作成方法に傾斜した技術的教育が、法科大学院教育の理念に適うものとはいえないことは明らかである。

 法科大学院においては、従来、大学教育と司法修習とで分離していた、実定法に関する理論的指導と実務における法適用の在り方に関する指導の融合とともに、法理論教育と実務教育の導入部分(要件事実や事実認定)など理論と実務の架橋を意識した教育を行うこととされている。このため、一定の事案をもとに法的に意味のある事実関係を分析し、その法的分析・検討を行い、一定の法律文書を作成する能力を育成する教育は法科大学院本来の教育であり、法曹として実務に必要な文章能力の育成は当然に求められるものである。この能力の涵養のために、一定の課題等に基づき論述の機会を与え、効果的な添削指導等を行なうことは、通常の授業の中においても十分有り得るものである。(なお、このような論述訓練のうち、過去の新司法試験問題又は同形式の作成問題を素材に、一定時間内において答案を作成させ、添削・解説等を行なう訓練・指導がいわゆる「答案練習」と呼ばれているものであるが、この中には、上記のような目的のもと法科大学院教育に相応しい内容として実施されている場合も多いが、試験対策に傾斜した指導になっていると見られる可能性がある場合等も含まれていると考えられる。)

 このような論述指導を行なうに際して、その課題として、各教員が独自に作成した一定の事例問題のほか、過去の新司法試験問題を取り上げる場合がある。新司法試験の出題内容自体が長文の事案を読ませ、その事実関係を分析した上で、法的な分析・検討を行なわせるものであり、またこのような出題内容が法科大学院において行なわれるべき教育との有機的連携を図るものであることから、新司法試験の問題やこれに類似する事例問題を活用することをもって、直ちに、本来の法科大学院教育とかけ離れたものということは出来ない。しかし、論述訓練による添削・指導が、司法試験にどのように対応すればよいかという、受験技術に焦点を当てたものである場合、本来あるべき教育理念から離反しているものといわざるを得ない。

 また、授業において行われる論述訓練が当該授業内容との連続性・体系性を欠いた指導であったり、授業そのものの時間配分が過度に論述訓練に偏し、双方向・多方向型の授業を通じて創造的に考えさせる能力を育成することをおろそかにしている場合、本来の法科大学院教育としては不適当と考えざるを得ない。

 なお、論述能力を涵養する指導に関して、一定の法律文書を作成する能力の前提として、一般的な文章能力の育成が必要な場合があるが、このような指導に当たって教材として過去の司法試験問題等が適当であるか、また受験技術に焦点を当てた指導とならないような指導方法の在り方等について、各法科大学院において適切に検討することが必要である。

 また、法曹に必要な論述指導に関して、クリニック等において行なわれる実務指導等は、法曹が行なう法文書作成に必要な論述指導という観点から積極的に位置づけられるべきである。クリニック等においては、法律相談、事件内容の予備的聴き取り、事案整理、関係法律の調査、解決案の検討等とともに、準備書面等の法律文書起案も行なわれるものであり、このプロセスは単なる論述能力の育成に留まらず、内容分析とそれに対応した実践的な文章展開能力の育成という観点からも、より積極的に評価されるべきものである。





カテゴリ:エッセイ | 15:32 | - | - | - |
ディオニソス同窓会


 私の大学時代の友人たちで、毎年何回か集まっている仲間がいる。もともと、教養学部時代に同じクラスにいた法学部の同級生たちが中心的メンバーなのであるが、どういうわけか、工学部の人や農学部の人もおり、またたったひとりではあるけれども、びっくりすることに、違う大学の人まで交じっている。というのは、我々は大学紛争で荒廃した大学に入学した世代なので、ようやく復活した大学祭のときに、政治向きのことは一切抜きでこれに参加しようとしたことに始まる。そうすると、せっかく参加するなら誰もやっていないことをやろうというわけで、同じクラスの仲間の何人かが、当時全国的に有名だった某アイドル女性歌手を連れてきて、コンサートを開催しようとした。

 今でこそ、珍しくないことだが、30数年前のその頃には、そんなことを考える人は皆無だった。問題は、その歌手が来てくれるかどうかであったが、事務所との交渉で、その言いだしっぺの人ががんばり、学生価格でとうとう来てくれることとなった。そこで、大学当局と交渉して講堂を借り受け、そこでダンスパーティのようなコンサートのようなイベントを開催できることとと相成ったというわけである。私は、勉強が忙しかったこともあったし、それに楽器を弾けたり歌を歌える能力があるわけでもないので、当初はそんなに積極的でもなかった。まあしかし、同じクラスの仲間がせっかくやるというなら、その会場に設置する喫茶店でもやってみようかと軽い気持ちで、友人数人とともにカップアンドソーサーを買いに行ったりして準備し、おっとり刀で参加したというわけである。

 当日は、あの広い講堂が満員で、大学当局が床が抜けるかもしれないと心配したほどであったが、とても盛況で、すごい熱狂ぶりであった。そのアイドル歌手も、下手な我々の学生バンドに合わせてちゃんと歌ってくれて、コンサートそのものはうまくいった。惜しむらくは、当時の素人のカメラでは、あの暗いステージ上がちゃんと撮れないことで、ぼやけた写真しか残っていない。しかし、我々の耳には、その歌手の歌声や熱狂的ファンの声援がまだ残っていて、これが我々の青春だったのかと、今にして思う。

 とまあ、そういう次第なので、このイベントには、我々の法学部のクラスのメンバーだけでなく、そのバンドのメンバーや周囲の屋台をやってくれた仲間、受付や警備を引き受けてくれた友人たちが参加をしてくれている。そこで、そのイベントの名をとって、「ディオニソス」という会の名称の下に、卒業以来もう30年近くの永きにわたる交流を続けてきたというわけである。

 こういう会が続くのは、しっかりとした幹事がいるからであり、我々の場合は、そのアイドル女性歌手をひっぱり出す交渉を行った人がその任に当たってくれている。たとえば、毎年末になると、メンバーの最新の名簿を送ってくれるし、誰かが「ディオニソスはまだかなー」と声をあげれば、さっそくしゃれた店を手配してくれる。そういうわけで、彼を抜きにしては、とても成り立たない。しかし、こういう会の世話も、以前は電話やはがきで連絡をとっていたことから、面倒が多かったようである。たまたま私がパソコンに詳しいものだから、今から7年前に、当時はまだ珍しかったメーリングリスト・システムを導入したところ、たいそう喜ばれた。少しでも、長い間の恩返しができたのではないかと思っている。

 実は今晩もまた、東京ディオニソスの会がある。わざわざ「東京」と名付けているのは、関西ディオニソスというのもあるからで、東京から関西方面に赴任していくと、そっちに移るというわけである。両方合わせてざっと40人ほどがメンバーであるが、これまで、肝がんと肺がんでひとりずつ亡くなった以外は、みな元気である。もうかなりの人が、いわゆる第二の人生を歩み始めているが、たとえ頭が薄くなろうと、あるいは孫が出来ようと、集まればたちまち30数年前に戻るのだから、これが不思議である。ちなみに、このメンバーの中で偉くなった人はほんの数えるほどしかいないから、お互い誠に気楽である。もっとも、たとえいたとしても、昔の悪行蛮行愚行をみんな知られているから、あまり大きな顔もできないというわけである。




(2007年12月19日記)



ディオニソス同窓会記念






カテゴリ:エッセイ | 00:04 | - | - | - |
六義園の紅葉


 我が家からバスで10分のところにある六義園は、もともとは柳沢吉保の大名屋敷であったそうな。柳沢吉保といえば、五代将軍徳川綱吉の寵愛を受けた側用人で、元禄時代に大老格まで上り詰めたやり手である。しかし、頼みの綱吉が薨去して将軍職が徳川家宣に移り、その儒学者である新井白石が権力の座についたことから、職を辞して隠せいした。この屋敷には、将軍もしばしば訪れたというが、非常に繊細であちらこちらに粋な仕掛けがある。同じ文京区には、水戸藩の下屋敷の庭園であった後楽園があるが、ドームや高いビルが見えて、趣を損なっている。その点この六義園は、周りにそういう建物がないし、また植木職人もしっかりしているようで、ぜひお勧めしたい庭園のひとつである。私は、春のしだれ桜を必ず見に行くことにしているが、それとともに、この秋の紅葉も誠にすばらしいと思っている。


六義園パノラマ写真








(2007年12月15日記)





カテゴリ:写 真 集 | 21:15 | - | - | - |
徒然075.常識はずれ

 今年も余すところ三週間となり、そろそろこの一年の総決算が話題となる時期になった。今年の流行語のひとつに、KYというものがあり、何かと思えば、(K)空気が(Y)読めない、すなわちその場の雰囲気がさっぱりわからない人のことをいうらしいので、笑ってしまう。たとえば、突然辞任を表明して周囲を唖然とさせた安部前首相がそうだというようであるが、具体的に何を指していっているのかは、いまひとつ判然としないので批評のしようがない。

 それはともかく、今朝の新聞を読んでびっくりしてしまった。最近のガソリン価格の高騰は異常で、あっという間に数円単位でどんどん上がる。そこでガソリンスタンドに来る消費者が、1円でも安いガソリンを買おうとして、普通乗用車にガソリンではなく軽油を入れてしまう。ひどい人は、軽自動車だから軽油だと勘違いするらしい。そしてどうなるかというと、当然のことながらガソリンエンジンに軽油は合わないので、エンストを起こし、最終的にはエンジンの中を清掃しないといけなくなって、かえって高くつくとのこと。これなどは、ガソリンと軽油の沸点の差、あるいはそれ以前に、ガソリン→ガソリンエンジン、軽油→ディーゼルエンジンという図式が頭に入っていない、つまり科学的知識に裏付けられた常識が皆無なのではないかと思う。

 そういえば、医者をやっている人から「最近は、常識のない変な人が増えましたね。指を切断してその手当てで病院に来た人が、手当てを終えた後に『先生、この指、いつ生えて来るんですか?』と無邪気に聞いてきて、びっくりしますよね。トカゲじゃないんだから、人間の指なんて生えてくるはずがないといっても、わからないようなんです。困りますよね。しかもそういう人が、年に2〜3人もいるから、最近の学校では生物を教えないんですかねぇ。」

 進歩というものは、既存の常識を打ち破ることだと私は信じていたけれども、これでは、退歩ではないかとすら思う。元に、最近のOECDによるPISA(国際学力到達度)調査では、日本人の学力はどんどん退化しており、2000年から06年の比較で、数学は6位から10位へ、科学は2位から6位へ、読解力は14位から15位へと低下した。これは15歳であるが、日本人全体のレベルの低下も深刻ではないかと思う。そして、こうした知識や思考力の格差が、ひいては深刻化する格差社会の背景となっていることは、明らかだと考える。




(2007年12月12日記)



カテゴリ:徒然の記 | 23:23 | - | - | - |
帰省の醍醐味



 今年は、真夏のお盆の時期に久しぶりに帰省し、実家で両親としみじみ語り合った。父も80歳をとうに超え、やや耳が遠くなったものの、頭の中はまだまだ矍鑠としていて、心強い。母も、最近の趣味はというと、なんとまあ数独らしくて、解けると頭がすっきりするという。私もこの二人に将来の自分の姿を重ね合わせ、大いに自信が湧いてきた。

 地球温暖化のせいかどうかは知らないが、外気温が37度近くに達し、この夏は近来記憶にないほどの暑さである。居間はクーラーをつけてもどこか生暖かいので、父と母の普段の居所は玄関脇の庭を望む北向きの一室である。そこは自然の良い風が通る場所で、スイカを食べながらのんびりと、父とよもやま話をした。話題は、私の仕事、家族や親戚のこと、健康のことなど、いろいろである。ところが、父も最近はあまり出歩かないので、近くに住んでいても親戚の近況は、あまり詳しくない。私が「あの伯母さん、どうしているかねぇ」というと、父は「まあ、便りのないのは、元気な証拠だろう」という調子である。

 ところが、良くしたもので、ちょうどそういうときに、私の従兄弟がひょっこり現れた。「おお、帰っていたの、ちょうどいいや」などと、昼間から上機嫌である。実はこの人、親類の話題にかけてはピカイチの消息通で、それを独特の節回しを付けて各戸で披露してくれる。それが、自分なりの人生観を重ね合わせて解説するのである。まあ、現代の吟遊詩人というか、私設放送局というか……。おかげで親戚の消息が手に取るようにわかるのはよいのだが、逆にこちらの最新情報も遅くとも明日中には親類一同に知れ渡ることとなる。ありがたいような、迷惑のような、しかしながら、なかなか憎めないキャラクターというわけである。どの一族にも、こういう役割を果たす人は、少なくともひとりぐらいは、必ずいると思う。

 早速、私が「あの伯母さんは最近どうなの」と聞くと、間髪いれずに説明してくれた。「この間、ウチの母のところに電話をしてきてさぁ、『入院しているのに、なんで見舞いに来てくれないの』というものだから、あわてて病院に行ったんだけど、ピンピンしていたんだよねぇ、それが……。後から話を聞くと、もう94歳になるのに、あまりにうるさいものだから家族が閉口して、ちょっとした風邪にかかったことを理由にさっさと病院に入ってもらったそうな。すると、それが4人部屋だったから、いやもう、周りがうるさいの何のって。それで個室に移ったら、今度は寂しくなって、それで親戚中に電話を掛けているというわけ。」 (ははぁ、そういうことか。むべなるかな。)

「そうそう、A子叔母さんとこの○○ちゃんは?」
「ああ、○○ちゃんねぇ。今度、再婚しようというところまで漕ぎ付けていたのに、お相手がお父さんと一緒に破産してしまってねぇ。それで、ダメになったという話だよ」 (いやいや、そんなことまで良く知っているな。)

「それよりも、□□さんとこのおばさん、腰が曲がってしまってねぇ。可哀想なくらいだよ。加えて、嫁さんとの関係がうまくいってなくてねぇ。同じ家なのに、まるで自炊をさせられているらしいよ。私が行っても、かの嫁さんは挨拶にも降りてこないしねぇ。もっと△△ちゃんが、目を配ってやるべきなのに。」 (おやおや、人の家のそんなことまで)

「ところで、あんた。年収はいくらになったかね。この間の新聞によれば、これくらいかね」などといって、指を突き出す。私も、「まあ、そんなもんだ」と答えたが、もう明日には、親類中に知れ渡っているだろう。そうか、本日の貴重な情報の対価は、これだったか。やはり、タダで情報は得られないという見本のようなものだ。それにしてもこの人、おそるべき情報能力である。こういう人が、外国で情報収集に当たったら、相当役に立つだろうな・・・プロとアマの差はあるにしても、まあ、やっていることは、同じである。

 その人が帰った後、しばらくして、両親とともに妹夫婦の家に行った。普段は妹夫婦が両親の家にやってくるのだが、今回は私が行く用事があるので、両親も一緒に行って久しぶりにあの家の様子を見ることとした。5分ほど車に乗って妹の家に着くと、車が三台もある。そういえばここの家の子も先日、成人式を迎えていたなと思っていたところ、妹が満面の笑みをたたえて出迎えてくれた。その誘導で、その三台があるところに、さらに父の車を乗り入れて、家に入った。

 家の中には、あちらこちらに日曜大工の器材が置いてある。ははぁ、またやっているなと微笑ましく思う。何しろ妹の婿さんは、日曜大工好きで、このあたりでは有名なのだから。その代わり、来るたびに家の様子が異なっているので、戸惑うことが多い。たとえば今回は、入り口のホールに鎮座していたピアノがどこかへ消えてしまい、その跡が廊下のようになっていて、こげ茶色の家具が並んでいる。あれれ、という顔をしたら、妹が「えへへ、ここを区切ってもらって私専用の小部屋にしたのよ」という。裏に回りこんでみると、確かに、ひと部屋できている。そういえば、この子は小さい頃から、秘密の部屋めかしたこんな所が好きで、いつも隠れてひとり遊びをしていたものだが、こんな大人になってもその癖が抜けないのかと思い、無性に可笑しかった。

 それから、勝手知ったる妹の家というわけで、私と両親が台所に行ってテーブルに座り、妹が入れてくれたお茶を飲み、お茶菓子をとろうと手を伸ばした瞬間のことである。バキバキバキッという音がして、あららっという間に、私の体が壁伝いにゆるゆると沈んでいくではないか。一瞬、何が起きたのかわからなかったが、床近くになって、体の両脇に折れた木の棒が目に入って理解した。私の座っていた椅子がゆるやかに壊れたのである。私の顔が机の上から消えていくのを見た妹が、あっと口を開けて両手で頬を抱えたのが見えた瞬間、もう私の視界は机を見上げていた。コンコンコーンと良い音がして、壊れた机の部品が床に転がった。

 皆、私を覗き込んで「だ、だ、大丈夫?」と言ってくれたが、私は体の無事を確かめつつゆっくりと立ち上がった。そして「ああ、椅子が壊れちゃったよ。ごめん、ごめん。」と言って、右手に握っていた椅子の肘掛けを放すと、それが床に転がった。そのとき再びコンコーンとまるで鈴のような音色を立てたことから、一同、爆笑に包まれた。妹は、「あら、たいへん、その椅子は一週間前にお父さんが直したばかりなのに・・・お兄ちゃん、すみません。」と言ったので、「とても、商売にならない腕だねぇ。まだ修業が足りないな。」と答えたら、また皆が大笑いをし、私もつられて笑いに笑ったので、顎とお腹が痛くなった。椅子が壊れたときより、こちらの方が痛かったほどである。こういうのも、故郷においてしか味わえない、帰省の醍醐味というべきか。

 そろそろ、お正月の帰省の時期が近づいている。しかしそれにしても、次に妹の家に行って座るときには、その椅子があの婿さんの作品かどうか確かめるなどして、よくよく気をつけなければ……。




(2007年12月11日記)




カテゴリ:エッセイ | 00:28 | - | - | - |
徒然074.神宮外苑の銀杏祭り
神宮外苑の銀杏で遊ぶ親子連れ



      晩秋の 銀杏吹雪に 戯れて
        落ち葉掴みて 投げ合ふ親子



 晩秋の清々しい日曜日、神宮外苑で銀杏祭りが続いている。先週テニスに来たときは、まだ銀杏の葉は散るまでには至らなかったが、きょうは、ひと風吹くと、サザーッとばかりに音を立てて、どんどん銀杏の葉が落ちてきている。桜吹雪というのは聞いたことがあるが、銀杏吹雪というのは、生まれて初めて見た。黄色いので、あちこちが黄金色に染まり、雑踏を行き交う人々の顔も、笑みがこぼれている。幼い子供たちも、尋常でない雰囲気に触れて興奮している。中には落ち葉をいっぱい集めて、お父さんと投げ合って遊んでいる。何とまあ、平和な日であることよ。


神宮外苑の銀杏ふぶき


      一陣の 秋風吹きて パラパラと
        音を立てつつ 銀杏散りゆく



神宮外苑の銀杏祭りの雑踏と絵画館



      秋深し 人をかき分け 神宮の苑
        宙に舞ふ葉は 黄金色の花



神宮外苑のテニスクラブの銀杏の大木





(2007年12月9日記)


カテゴリ:徒然の記 | 00:03 | - | - | - |
秋が本番
赤坂の木々



 東京は、いまが秋の本番である。東京都のシンボルである銀杏の木は真っ黄色に色づき、桜の大木は真赤な色となっている。もみじの木も、いまはここぞとばかりに赤く色づいている。それらにときどき常緑樹も混ざっていて、あちらこちらが実にカラフルである。


国会前の秋景色



 昨今は気温も次第に下がってきて、朝は4〜5度、日中で12〜3度で、歩くと空気がひんやりしている。ああ、好いものだなあと思いながら、お昼は近所を散歩し、青山では焼き芋屋を見つけて、買おうか買うまいか悩むという体たらくである。今年のはやり言葉である「メタボな体」になるものかと思って買わなかったが、いささか心残りであった。







(2007年12月7日記)



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