皇居の千鳥ヶ淵の桜

千鳥ヶ淵のボート


 昨日の皇居の大手門に引き続いて、今日は千鳥ヶ淵に行って満開の桜を愛でてきた。まず半蔵門から北へと、お濠の淵を歩き出した。空の青色とお濠の緑色の水面に、満開の白い染井吉野がよく映えて、美しいことこの上ない。英国大使館を過ぎて、道を渡って千鳥ヶ淵区域に入ったところ、ボート小屋があった。降りていくと、長蛇の列で乗ることは諦めたが、お濠に浮かぶ色とりどりのボートと、対岸の皇居の土手に咲いた桜が絶妙のコントラストで、気分が清々とした。

 きょうは、八分咲きという感じで、明日の土曜日あたりが、満開である。そのときも良いが、それからしばらくして桜の花吹雪が飛ぶ頃も、なかなかのものである。パリのマロニエの木や、アメリカのドッグウッドも美しいが、桜にかなうものはない。日本に生まれて良かったと思う瞬間である。


半蔵門濠に沿って





(2007年3月30日記)



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皇居の大手門とお濠と桜




 皇居の大手門とその周辺のお濠の写真である。ちょうどパレスホテルの前に当たる。この写真の右手にある枝垂れ桜は、八重紅枝垂れという種類で毎年可憐な桜色に染まる。実は私は毎日、このお濠と枝垂れ桜に面した内堀通りを車で通って通勤しているから、ここはいつもお馴染みのところで、私のお気に入りのスポットである。たまに白鳥も浮かび、また緋鯉も水面に上がってきて、なかなか風情がある。





 それから、皇居のお濠をぐるっと回って国立劇場の前にあるのが、駿河桜という。その花弁の中を覗き込むと少しピンクがかった色をしているが、外から見れば真っ白な花を咲かせる。この花は、咲いてしばらくすると、葉が出てくるので、咲き始めの真っ白な時が一番美しい。





 最後の花は、国会前の憲政記念館の中にある、枝垂れ山桜という種類で、全体として釣鐘のような均整のとれた美しい姿をしている。また、花も、ばらばらについているのではなく、まるで小さなブーケのようにまとまっているのが、これまた美しい。









(2007年3月29日記)




カテゴリ:表紙の写真 | 23:02 | - | - | - |
ハッブル望遠鏡から見た宇宙




 誰しも、小さい時分に夜空を見上げて、星や天の川を見上げたことがあるに違いない。もっとも、ネオンや街の灯がきらめく最近の都会では月しか見えないという向きもあるかもしれないが、そういう場合は東京なら高尾山のゴンドラにでも乗って夜空を見上げればよい。なになに、ビアガーデンでしこたま酔っぱらった帰りだから、何も見えないって? それなら、ビールなぞ飲まずに、二人でゴンドラに乗ればいいのである。

 それはともかく、私の小さいころは、まだ田圃や畑が広がっていて、街の灯といっても、つつましやかなものだったから、夜にはたくさんの星を見上げていたものである。冬の季節なら、オリオン座、夏の季節ならはくちょう座とサソリ座を探し、そして北斗七星の見分け方などを教わって、夜空に目を凝らしたものである。後年、東南アジアに行って、その頃のことを思い出し、南十字星を見つけたときは、心から感動した。

 しかし、もっと驚いたのは、このハッブル望遠鏡から見た宇宙である。これは地球の周りを回る衛星に積まれた望遠鏡とはいえ、千変万化の姿を見せる宇宙のあらゆる景色を、実に美しく、そして詳細に見せてくれる。人間の技術がここまで進歩したとは、昔のことを思えば隔世の感がある。

 このハッブル望遠鏡からの眺めは、銀河、星雲、星々、そして太陽系に分かれている。銀河では、われわれの天の川銀河のような渦巻き状銀河はわかるが、それが縦横に衝突している姿があり、まるでメキシコの帽子ソンブレロとそっくりなものがありということで、すごいの一言である。星雲は、もっと変化に富んでいて、星間ガスが立ち上ってらくだのようになっているもの、青と黄土色のものでよく見ると天使が羽を広げているように見えるもの、真っ赤なガスの真ん中にぽっかりと黒い宇宙が見えるものなど、いかなる芸術家といえども、まずこれに類するものを思い描くことは不可能に思える。星々としては、星団を作っているもの、爆発した超新星の跡に広がるガス、今まさに爆発して星としての生命を終えようとしているものなど、神秘的というほかない。

 宇宙開闢の謎やその行く末を解き明かすことに成功するかもしれないM理論によると、われわれの宇宙は11次元の超空間に浮かぶ数ある宇宙のひとつにすぎない。また加速しているその膨張のスピードからすれば、あと数百億年後にはとてつもなく広がって、ついにはビッグ・フリーズといわれる終末を迎え、すべての存在が死に絶える。その死の世界がやがて他の宇宙と衝突してビッグバンを生み、そして運がよければ再びこのわれわれの世界のような4次元の宇宙が生まれるはずである。何百億年、いや何兆年先かもしれないが、そのときには、この多種多様な宇宙の姿も、またわれわれ人間という存在も、同じように再現されるものと信じたい。














(2007年3月29日記)





カテゴリ:写 真 集 | 23:44 | - | - | - |
日本観賞魚フェア

日本観賞魚フェア


 これは、奈良の大和郡山と並んで、東京の金魚に産地である江戸川区の船堀で行われた日本観賞魚フェアに出展されたお魚である。このランチュウが本年の優勝魚である。単に色つや形の美しさだけでなく、何というか、態度が堂々としていた。これは、人間にも通ずることかもしれない。顔かたちがよくとも、話をし出すと、ついつい教養の中身が現れたりする人がいる。自戒しなくては。





 それはともかくとして、第2の頭でっかちの妙な形の魚は、この頃、東南アジアの華僑の間で人気の魚で、フラワー・ホーンというらしい。何でも、一匹が日本円で百万円というものも出たという。人気の秘密は、そういう投機の対象であるだけでなく、たとえば、魚の側面の黒い模様が、宝くじや賭け事の数字に通ずるという、あやしい話が現地のインターネット版の新聞に載っていた。やっぱり華僑らしい、という感じである。この魚には悪いが、どう見ても美しくないから………。





 それにしても、この魚、しばらく眺めていると、何かと似ていることに気が付くのではないか。そうそう、背びれは、あのエンゼル・フィッシュそっくりである。それもそのはずで、これはエンゼルフィッシュの属しているシクリッドの魚を改良したとのこと。




(2007年3月29日記)



カテゴリ:写 真 集 | 21:54 | - | - | - |
リヤドロの天使

リヤドロの人形展


 私がはじめて、リヤドロの人形に見入ったのは、マドリード市内にあった三越でのことである。たまたま、スペインを長旅の途中で、もう疲れたという感じになり、繁華街で見つけた三越に飛び込んだのである。そして、ショー・ケースの中にあった、「花飾り」という題名のついた陶器人形に見とれてしまった。

 それは、冒頭の写真の右手にある、つばの広い帽子を被って、花束を持った女の子である。その顔もファニー・フェイスでかわいいだけでなく、花束も実に繊細で美しい。加えて、花束の下の手の形も、日本舞踊かタイ・ダンスを思わせるような微妙な向きをしている。「よしっ、これを買おう」と思って、5万円ほど払って手に入れた。何しろ、30年近く前の5万円だから、レートや物価水準を考えると、現在では少なくともその三倍の価値はあったと思う。まったく、旅先でお金が乏しいにもかかわらず、なぜそんな気になったのかはわからない。もうこの旅もこの都市でおしまいだという気楽な気分であったことも確かである。おかげでそれから帰国までの二日間というもの、節約に努める羽目と相成った。

 まあ、それはともかく、その人形は箱に包んでもらってあったが、何せ大きな包みなので、トランクには入らないし、もちろん手荷物の中に入るわけがない。帰国の当日は、仕方がないので、そのままそれを持って飛行場に行った。しかし、こんな壊れ物をトランクに押し込めるわけにもいかない。えい、ままよと思って、空港の待合室でその箱の包装を解いて人形を取り出し、それをそのまま手荷物のバックの中に押し込んでしまった。そして搭乗したのである。成田に着き、家に帰ってドキドキしながら手荷物を開けると、何ともなかったので、ほっとした。それ以来、この花飾りの人形は、我が家のマスコットとなっている。

 去る2001年の3月、日本橋の三越で、そのリヤドロ展が開催された。家内ともども、喜んで見に行ったのである。期待にたがわず、繊細で可憐なリヤドロ人形が、会場いっぱいに広がっていた。次の写真は、思わず息をのむほどの愛らしいエンジェルである。特別にガラス・ケースに入っていて、箱入り息子のようである。お値段は、言わぬが花というところか。外国旅行中でなくて、本当によかった。










(2001年7月10日記、2007年3月28日追記)






カテゴリ:写 真 集 | 22:49 | - | - | - |
徒然041.東大法の就職先
 2007年春の時点で、東京大学法学部生の就職人気先を聞くと、私たちの団塊の世代の時代とは大違いであることに驚くばかりである。今から30数年前には、(1) 一番出来る学生が、数クラスに一人か二人という割合で大学に助手として残った。(2) 次に出来る学生が、国家公務員1種試験を受けて、中央官庁に行った。その場合の人気官庁は、大蔵省と通産省、それから自治省である。その次に(3) 官庁勤めよりは司法試験を受けたいという学生が続いたが、裁判所や検察庁に行く者と弁護士になる者がほぼ半々で、それはおおむね司法研修所の成績で分かれていた。もちろん優秀な修習生でも弁護士になった人は多いのだが、おおむねこういう結果となったのは、裁判所等が成績上位の修習生にしぼって声をかけた成果なのかもしれない。それから(4) 銀行、それも11行もあった都市銀行中の上位の銀行で、たとえば三菱、東京、第一勧銀、住友、富士などというところである。最後に(5) 一部上場企業、たとえば東京海上、ソニー、日立、IBM、三菱商事、三井物産、JAL、新日鐵、日本鋼管などであった。

 それが、2007年にはどうなっているかというと、これがまたびっくりすることに、大きく様変わりをしている。まず(1) 第1位が外資、とりわけ証券投資会社で、ゴールドマン・サックスを筆頭とし、モルガン・スタンレー、メリル・リンチなどが続く。その理由は誠に単純明白で、筆頭のゴールドマン・サックスでは、20歳代半ばで1500万円の年収といわれている。要するに、高給に釣られているのである。同様の理由で、このほかの外資として、アクセンチュアなどのコンサルタントも大人気である。他方では、年収200万円にも満たないフリーターなどが現下の社会的問題となっている中でのこの高収入なので、まさに格差社会を象徴しているような現象である。

 これら外資に続くのが(2) 司法試験組で、合格すれば裁判所等には目をくれずに、渉外・企業法務を担当する東京の大手弁護士事務所に属する弁護士となる。この場合は初任給でおそらく1200万円程度以上、勝ち残れば数年以内に2000万円以上の年収は確実といわれる。その次に日本企業では比較的収入の高い(3) 邦銀で、もちろん三菱東京、みずほ、三井住友の上位三行である。それからようやく(4) 国家公務員1種であるが、ここでも志望官庁に大きな変化が見られる。外務省、経済産業省のような花形組はともかくとして、従来は決して目立つことがなかった厚生労働省を希望している人が多いようである。これは、高齢化社会を迎えて、社会福祉を担当する省の行政需要の高まりを反映しているのであろうか。最後にやっと来るのが(5) その他一部上場企業であるという。もちろん、別に正式な統計などがあるわけではないが、いろいろな学生から話を聞いたところでは、以上のような傾向であった。

 このうち、トップの(1) に、外資系証券会社やコンサルタントが並ぶ理由は、非常に単純明快である。つまり、20歳そこそこの年齢で直ちに高収入が約束され、しかもすぐにそれなりの仕事が任されるからであろう。したがって、一生する仕事をとるというよりは、言葉は悪いかもしれないが、すぐ目の前にある果実をまず食したいということではないだろうか。年功序列や永年勤続などという、われわれ団塊の世代の世界とは、まさに無縁の考え方である。ただし、私に言わせると、確かに当面は高収入であったとしても、証券業や投資業はそもそも浮き沈みの激しい業種であるし、業績が悪くなったらただちにリストラに遭うという厳しい側面も、また別の顔としてある。私の知り合いは、外人の上司にクビだと宣言されたら、すぐさま段ボールに入った私物が手渡され、そのまま建物から出て行かざるを得なかったという。

 加えて、いったんクビになると、弁護士のような社会的資格も別にないわけであるから、たとえゴールドマン・サックスに在籍していたということが肩書き代わりで当面は使えるとしても、そうやって下向きのスパイラルに入ったら、再び浮き上がることはなかなか難しいのではないかと思う。まあそれはともかくとして、経営の勉強をするという意味では、将来有用な経歴かもしれないので、それは否定しない。いずれにせよ、これらの業種に身を投じる人たちは、長く勤めるという発想は全くなく、むしろあちらこちらのいろいろな職種で働くことが。自らのキャリア・アップと心得ているのに違いない。

 さて、私も華麗なる転職を、といいたいところであるが、いつになることか……。もう歳だから、一生ないかもしれない。実は、私はこれでも、外資系人材派遣会社から、転職しないかと声をかけられたことがある。アメリカ人のヘッドハンターだった。今から十数年前のことであるが、年収3000万円で3年保障+成約額の5%という破格の条件である。正直言って、心が動かされたのは事実であるが、お金に釣られるより今の道をやり遂げようなどと思って断ってしまった。ちょっと、惜しかったのかもしれないが、お金より名誉を選んだこれこそ天職だと、やせ我慢をしているところである。

 ちなみに、私の知り合いで、大手鉄鋼メーカーから、外資系証券会社に転じた人がいる。4〜5年ほどその会社で活躍していたが、その後、ふっと消えてしまった。同業に転職したか、それとも野垂れ死の状態か、あるいは十分に儲けて悠々自適か、それらのいずれかであろう。外資系を選んだら、こうしたジェット・コースター的人生を歩むことになると思うが、それもその人の人生である。


(2007年3月28日記)




【後日談】

 2008年3月4日付けの日本経済新聞朝刊によれば、この30年間の東京大学法学部卒業生の進路をみると、次の表のとおりであり、明らかに中央官庁や日本の銀行の低迷と、外資系の躍進がみてとれ、上述したところを裏付けている。しかし、意外なことに外資系証券や外資系コンサルに行けたのは、合わせてたった15人と、想像したほどには多くない。やはり、大変な競争だったのだろうなぁと思う。

 ちなみに、私の学生の中でただひとり、外資系証券会社に行った男子学生がいたけれど、もう常にガツガツとしていて、良くいえば勉学意欲に燃えていたが、その反面、なにもそこまでも・・・と言いたいほどでもあった。要は、外資系は総じてこんなタイプ向きであって、日本型の常人つまり調和や謙譲の美徳を有するようなタイプには、あまり向いていない職場ではなかろうか。

 ところで、特に2007年に中央官庁組や銀行組が激減しているのは、法科大学院へ行って法曹になる卒業生の数が大幅に増えているからであろう。というのは、法科大学院は平成16年4月に創設されたが、東京大学法学部卒業生のうち大学院進学者は平成14年度の52名に対して、平成15年度は144名、平成16年度は170名、平成18年度は168名と、ちょうどその頃を境として、激増しているからである。



(2008年3月13日記)



【後日談2】

 2008年秋になり、アメリカのサブプライム・ショックに端を発した金融経済危機で、外資系金融機関をめぐる状況は一変した。わずか数か月の間で、首切り旋風が吹き荒れて、2000人もが一斉に辞めさせられたのである。まさに、栄枯盛衰は、世の習いである。


 徒然115.外資系の首切りは、こちらから。


(2008年12月23日記)


カテゴリ:徒然の記 | 20:54 | - | - | - |
徒然040.おいもやさん




 根津神社の近くに、「おいもやさん興伸」という小さなお店が出来て、大学芋やら芋羊羹、芋かりんとうなどを売り始めた。(有)興伸というのは、明治9年創業の「さつまいも問屋」川小商店の小売部門として、1984年に浅草で創業したお店とのことで、ここはその支店である。試しに大学芋を買ってみたのだが、これがまた美味しくて美味しくて、病み付きになりそうなのである。

 これまでは、我が家の近辺には、根津の鯛焼(これは、ちょっとした有名店)の鯛焼きと、芋甚の小倉アイス最中というのがあって、お昼をとりに家内と外出をした後で、どちらかに立ち寄るというのが土日の過ごし方であった。ところがこの新しく出来たお店も、これら二つの店に引けをとらないと思われる。

 お芋の専門店らしく、なかなか凝っている。たとえば、そのパンフレットによれば、こういうわけである。

 『大学芋』……… その時季で一番おいしいさつまいもに興伸家伝のミツをからめた下町の味。
 「小 町」…… さつまいもの女王といわれ外皮は鮮紅色、中は黄色、繊細で上品な味です。病害虫に弱く反収も少なく栽培が難しいため、熱心で優れた栽培者しか作れない貴重な品種です。主産地は千葉県香取郡栗源町を中心とした地域。
 「紅さつま」… 高系14号の枝変わりで、皮色、肉色とも濃く、食味も一段と良い。ナルト金時、土佐紅、コトブキと兄弟分。産地は鹿児島県南薩摩(知覧、指宿方面)。
 「黄金いも」… 鹿児島のシラス台地を代表するサツマイモ。皮は白く肉色は淡黄色。でん粉の粒子が小さいため、ノドゴシが良い。調理後、粒子が小さいため固く感じる。
 「あづま」…… 日本で流通しているサツマイモの中で色、味も良く、栽培しやすい品種「ベニアヅマ」を選別し、サツマイモの栽培に適したインドネシアで無農薬栽培により安全な契約栽培をしております。
 「カモテ」…… サツマイモの栽培に適した気候風土のインドネシア。数あるサツマイモの種類の中で、色、味に優れた品種を厳選し、無農薬により安全な契約栽培をしております。(冷やして食べてもおいしいです)





 なんとまあ、千葉県、鹿児島県、それにインドネシアで作られた芋を食べているとは、驚きである。それでその、大学芋であるが、われわれが行ったその日は、「小 町」と「あづま」の二種類が出ていて、前者は100グラム230円、後者はこれより少し安かった。そこで、「小 町」の方を200グラム買ってみた。袋の中には、大学芋が6個入っていて、そこに絡めてあるミツが程よく、実においしかった。夏になれば、アイスクリーム「さつま小町」というのを売るとのことで、家内と今から楽しみにしている。小さな、たわいもない庶民の楽しみであるが、そんなものがごく身近な下町は、やはり住みやすいと思う。

(興伸) 東京都台東区駒形2-1-26 電話 03-3842-8522





【後日談】

 その後、新型コロナウイルス禍で痛めつけられている令和3年の春、気が付いてみたら「興伸の根津店」は、ひっそりと閉店していた。




(2007年3月26日記)



カテゴリ:徒然の記 | 00:38 | - | - | - |
目覚まし時計




 今日の日経新聞の「プラス1」で、「フライングアラームクロック」の記事が載っていたが、これは面白かった。半円球の目覚ましの上に、かつての竹とんぼのような、丸い輪の中に三枚の羽がついた飛翔体(ローター)が付いている。そして、アラームをセットした時間が来ると、緊急サイレンが鳴るとともに、その竹とんぼの飛翔体が飛んでいってしまう。ところが、その飛んで行った竹とんぼを探してその時計の元の位置に戻さないと、アラームが止まらないというわけである。アラームを止めるスイッチはないし、電池を外して止めようにも、電池蓋がネジ留めされているという。だからどうしても、竹とんぼを探さなければいけない。寝ぼけ眼もすっ飛んで、部屋中を探し回る羽目となるらしい。これでは、眠気が覚めるわけである。

 ヤフーの通販サイトをみると、「どうしても遅刻できない大切な用事がある時には鬼に金棒の目覚まし時計です!」というのが究極の売り文句である。その通販サイトから、この目覚まし時計の写真を借用させていただくが、お値段は特価4,280円(税込)とのこと。ところがねえ、朝の忙しい時に、いくらなんでも竹とんぼを探し回っていたりすると、それだけで遅刻しそうである。まあしかし、いずれにせよこれは、アイデア賞ものではないだろうか。それに、われわれにとっては、昔なつかしき「竹とんぼ」のようなものを使ってくれているのも良い。もっともわれわれは「竹とんぼ」といってしまうが、今どきの人は、「ドラエモンのタケコプター風の」といわないと、わからないようだ。

 私がなぜこんなに目覚まし時計にこだわるかといえば、勤め始めた頃の失敗があるからである。そもそも私は、枕元で時計がカチカチ音を立てていると、なかなか寝付けない性質なのである。特に昔の時計はうるさかった。今の時計の比ではない。そこで私は、デパートで電気仕掛けの目覚まし時計を見つけて、もっぱらこれを使っていた。当時は枕元に置ける目覚まし時計で、そんなものはデジタル表示の時計だけであった。ところが、デジタル表示の時計は静かでよいが、電気をたくさん使うとみえて、電池ではなく普通の家庭電源つまりプラグをコンセントに繋いで使う時計しかなかった。そこで私はそれを買い、枕元で愛用していたというわけである。

 連日、午前様まで働いてくたくたになっていたある日、翌日どうしても関西方面に出張しなければならない用事ができた。眠たくてぼろぼろになった体で下宿へ午前2時頃に帰って、そのまま目覚まし時計をセットし、ふとんの中に倒れこんだ。翌朝、目覚まし時計のアラームが鳴ったので起きた。いつものように顔を洗い、歯をみがいてテレビのスイッチを付けた。画面の端の時刻表示をふと見ると、あれあれ、私が乗るはずの新幹線もう出る時刻ではないか。びっくりして腕時計を見たら確かにそうだ。慌てて身支度をして飛び出していき、何本か遅れて新幹線に乗ったという事件があった。

 その出張を終えて自宅に帰り、目覚まし時計をチェックしたら、案の定1時間半ほど遅れていた。なぜだろうとつらつら考えてみて、思い当たったのは、停電である。東京電力の支店に問い合わせてみたら、私が寝ているときの明け方に、その地域でそれくらいの時間、停電していたというではないか。やっぱり・・・。私の目覚まし時計の電源はコンセントから引いてきているので、ちょうどその間、止まっていたというわけだ。そして、改めて通電してからは何事もなかったように再び動き出して、その分遅れてアラームが鳴ったということがわかったのである。

 この事件があってから、枕元にこの時計、少し離れたところに電池の時計を置くようにした。しかし、それも少しの間で、結婚してからは、家内が起こしてくれるようになった。これが一番良い目覚ましである。

 ちなみに、一人暮らしをはじめた娘に、「目覚まし時計はどうしているの?」と聞くと、「前日にパン焼き器をセットしておいて、朝はそのおいしいパンの香りで起きるのよ」と言っていた。これはまた、私には思いつかなかった、優雅で実用的な起床方法である。




(注)「フライングアラームクロック」マリン商事(058−247−6977)、希望小売価格5,229円、単三電池4本使用。

 ちなみに、ヤフーの通販では、次のような紹介がされていた。

 今まで大音量の目覚まし時計で確実に起きれるって目覚ましがありましたが、どれだけ大音量で鳴っても消してまた二度寝!

 しかししかし、このフライングアラームクロックはそんな心配は一切無用! 二度寝なんかもしたくても出来ないんです!!

 設定時間になるとアラーム音とともにローターが回転し部屋の中を飛んで行きます。そして飛んで行ったローターを差し込まなければアラームは鳴り止みません。だから、簡単にアラームを消せない!

 起き上がって逃げ惑うローターを捕まえて差し込まなくてはアラームは鳴り止まないので、絶対に起きれるというか起きるしかないんです!

 なんてウザく、傍迷惑な目覚ましなのか…。でもこれくらいじゃなきゃ起きれない人には必見です。どうしても遅刻できない大切な用事がある時には鬼に金棒の目覚まし時計です!!




(2007年3月25日記)


カテゴリ:エッセイ | 12:46 | - | - | - |
横浜港散歩




 3月も春分の日となり、桜もそろそろ咲きはじめるようになった。横浜港に、クルージング途中の「オーロラ号」と「飛鳥二世」が立て続けに接岸すると聞いて、久しぶりに横浜港に行ってみた。ところが残念なことに予定を早めて出航したとのことで、空振りに終わった。それでも、みなとみらい線の元町中華駅を出発して、山下公園、氷川丸、大桟橋、赤レンガ倉庫、内航客船ターミナル、クイーンズ横浜と歩くと、なかなか良い運動になった。山下公園を過ぎると、海上保安庁の最大の船「しきしま」が鎮座しており、その横の地上には、例の北朝鮮の工作船が陳列されていた。

 歩く途中、クイーンズ横浜で食事でもと思ったが、どの店もまあ大した食事でもないのに、若い人たちが押すな押すなの盛況で、コンビニですら、レジを待つ客が店の外にまで並ぶという有様だった。これは参ったと思い、そのままインターコンチネンタル・ホテルを通ってぷかり桟橋へと歩いていったところ、桟橋の建物の二階のレストランはとても空いている。入り口にタキシードを着た男の人が出てきて、うやうやしく案内してくれた。シーバスの発着を眼下に見える席について、ほっと一息入れたのである。





 コースの食事をしながら、出入りするシーバスや、行きかうプレジャーボート、それに練習中のカッター船を眺めて、なかなか面白い風景だった。ウェイトレスにも教育が行き届いていると思ったら、インターコンチネンタル・ホテルが運営していたレストランだった。お値段も、街のそれと比べれば高くて倍近いが、それなりの内容とサービスに満足した。周囲を見回すと、われわれのような余裕のある中年ばかりである。

 そこからシーバスで横浜駅に向かったのだが、到着した桟橋からデパートのそごうの地下を通って駅に歩いて行った。かつてのテパ地下といえば、あらゆる高級食材が並んでいたものだが、このそごうでは、そうした食材を販売しているお店が、同時に簡単な弁当のようなものを売っている。その値段は数百円程度で、これがよく売れているのである。中には屋台のように、簡素で安い食事を提供している店もあって大盛況となっている。どうやら、こういうことから見ても、格差社会がじわじわと拡がっているように思えるのである。





 余談になるが、3月18日から首都圏で、JRのスイカと東京メトロなどの私鉄各社のパスモというICカード乗車券の相互運用が始まった。これはなかなか便利で、駅で運賃表を見上げて切符を買うという手間が省ける。私の今回の横浜行きも、自宅から東京メトロに乗ってまず渋谷に出、東急の特急を使ってみなとみらい線元町中華街駅まで、ひとつのスイカ・カードが通して使えたので、その威力を肌で感じた。

 しかし、問題もある。そもそも、いくら残っているのか、改札を通ったその一瞬だけ表示板に出てくるが、うかうかしていると見逃しそうだ。そうかと思うと、クレジットでチャージする機能も、私のようにいつもは自動車を使ってたまに電車に乗るというタイプの人には、「これだけ使ったから、まだどれだけ残っていそうだ」という感覚が生じることがないので、何となく心配となる。

 また、私のように子育てを終えた人間には関係のない話であるが、現在子育て中の親の中には、頭の痛くなる人も出てくるに違いない。というのは、未成年の子にこのスイカやパスモというICカードを与えておくと、電車に乗るだけでなく、学校の通学途中でいろいろな買い物もできるので、思わぬ高額な出費となるかもしれないからである。これまでは、たとえば「月千円のお小遣いの範囲で、使いなさいよ」といって子供に千円の現金を渡しておいたら、その範囲でその子が自主的に使うということで済んでいた。ところが、このICカードは、子供に沢山のお金を無限定に与えているのと同じである。お菓子を食べたいと思えばピッ、コーラを飲みたいときもピッ、何でもピッという音で手にはいると勘違いする子も出てくるのではないか。もちろん、月末に親のところにクレジット会社から沢山の請求が来て、叱られるとは思うが、社会的な大騒ぎにならないことを祈りたい。




(2007年3月21日記)




カテゴリ:表紙の写真 | 22:26 | - | - | - |
徒然039.子育ての教訓

 私は団塊の世代の端くれであるが、そろそろリタイヤの時期を迎えて暇になりつつある友達も多く、何かと集まって話をするようになった。そうすると、最初は皆あまりはっきりとは言わないのであるが、何かの拍子に子育てを失敗したなどという話になることがある。そして、話題は、引きこもりや家庭内暴力ということに発展する。

 私は普段、あまり教育図書などは読まないので、そうした事情には極めて疎かったのであるが、週間東洋経済(2007年3月24日号)の記事「普通の家の普通の子が親に暴力を振るう理由」と題するNPO法人「ニュースタート事務局代表」二神能基氏へのインタビューを読んで、本当にそんな世界があると知り、びっくりした。

 それによると、たとえば、母親の頭を2度、バリカンで丸坊主にした息子、父親の腕にタバコを押し付ける息子、父親を殴り、家の中のものをことごとく破壊する息子・・・もう想像もつかない世界だった。しかも、普通の家の普通の子供が、急に暴力を振るい始めるというのである。そういえば、2月に渋谷の歯科医の家で、歯学部に挑んで三浪していた息子が自分の妹を殺したという凄惨な事件があったが、これもそうした現象のひとつとして見ることができる。

 二神氏によると、格差社会になって、勝ち組になるべく、家庭へのプレッシャーが非常に増しているという。ところが勝ち組として勝ち続けられるのは、わずか数%にすぎないので、大半はどこかで挫折する。たとえ開成中学に入っても、そのうち東大までたどり着けるのは、半数であるから、残りの半数はどこかで挫折し、敗者意識をもってしまう。そうしたときに、敗者になった子供に父親と母親がどういうことをしてやれるか、それを想定してやらないといけないのに、東大一本に懸けて、勝ち組から外れることを恐れていると、子供にはものすごいプレッシャーになるというのである。さもありなん。

 そういえば、私の息子が中高一貫校の武蔵中学に入ったとき、校長先生が「本学の生徒の成績分布は、ちょうど『H』字の上半分で、極端に出来る子と全く勉強しない子とが二分してしまっていて、そのできない子たちに勉強への意欲を持たせることがむずかしい。」と嘆いておられた。また、そうした勉強ができない生徒の中には、中学に入ったその日から鞄の中に一杯の参考書を詰め込んで登校し、毎日塾に通っている子がいたが、そうでもしないと不安にかられるというのである。

 これに対してウチの子なぞは、勉強道具を持っていることは稀で、もっぱらテニスラケットと着替えを担いで登校していた。高校2年の秋までそういう調子だったが、私は、体作りにもなるし、運動していれば余計なことを考えなくてすむから、男の子はそれで良いという方針で、塾などには行かせなかったし、もちろん勉強しろなど言ったことはなかった。それどころか本人には、「頭をカラにしておけ。そうしないと大学受験で頭に詰め込めないから」と常々言っておいたのである。もっとも、何という僥倖か、たまたま東大に現役で受かったので結果オーライであったものの、今から思うと少し言いすぎだったかもしれないと反省している。本人も真に受けていたから・・・。そんな父親は、他にいなかったのてはないかと思う。冷や汗百斗とは、まさにこのことか。

 さて、再び二神氏の経験談に戻るとしよう。家庭内暴力のもうひとつの原因として、「友達親子」というのがあり、家族が友達のようになると、父母と本人が何となく合意をするのだが、その場合でも両親の遠隔操作が相当入っているという。そしてあたかも本人の意思のように上の学校を目指すが、本人がついていけなくて勝ち組教育に反旗を翻すと、誰も反論できずに冷戦構造が生まれ、本人の自覚を待つということになってしまう。そうすると本人はいらいらして「勝ち組は脱落したから他の道を探したい」と思っても、それを言い出せないという状況が続き、そうした心のマグマが積もり積もって、ついにある日爆発をするという経過をたどるらしい。

 この点、私の家は、家内が「お父さんは偉い、偉い。」と子供の前でほめてくれたから、私としては、権威を落とさなくて済んだ。これは、子供がそこそこ私を尊敬してくれる原動力となったと思っていて、この点は、家内に深く感謝している。よく、子供の前で父親の悪口を言って普段の憂さや恨みつらみを晴らそうとする母親がいるが、そんなことをすれば、子供は誰を目標とすればわからなくなるし、大人不信にもつながるので、絶対にすべきではないと思うが、いかがだろうか。 

 ところで二神氏は、家庭内暴力の被害者に母親が多いのは、決してその母親の愛情が不足しているというのではなくて、逆に母親の愛情が深すぎるのに、能力が不足しているからだという。真面目なお母さんほど、私が悪かったといって子供に愛情を注ごうとする。そうすると、子供は母に飲み込まれるように感じ、それを払いのけようとするのが暴力になるというのである。

 この面でも、私は家内には頭が上がらない。家内は「小さい頃は、手をかけて、大きくなったら、目をかける」といって、子供の成長に合わせて子育ての方針を変えていた。つまり、小さい時は、それこそ徹底的に世話をしていたが、小学校の高学年になり少し大きくなったら、今度は相談に来たときだけそれに乗ってやって、それ以外はうるさく言わないことにしていた。いわば、アウト・レンジからそっと見守ってあげていたのである。

 二神氏によると、父親も頼りないという。昔の親父だったら、「いい学校へ行って立身出世をしろ」と押しつけ、それに子供が反発して反抗期が生まれて、本人が成長するきっかけになるはずなのに、現代の父親は狡猾で、「お前の好きにしろ」といいつつ、実は心の底では勝ち組になることを願っている、そうすると、子供は反抗しようにも、反抗できないという状況になり、きっかけがつかめないというのである。二神氏のところに相談に来る子は、反抗期がなかった子が圧倒的に多かったとのことだった。

 ううーむ、私の家の場合は、上の娘のあのときの態度は、ひょっとして反抗期だったのかと、今になって思う。高校受験時、私は先に受かった学習院女子高校に行って、お嬢さんをやるものだと信じていた。ところが、娘は突然、「ごきげんよう」なんて私には向かないといって、さっさと都立高校に進んでしまった。私も家内も口をあんぐりと開けたままという調子だったが、この選択がなければ、娘は医者になっていなかったと思うと、確かに歯ごたえのある反抗期だったと考えている。

 3月18日の日経新聞に、鶴見俊輔さん(84歳)の記事が載っていた。それによると、俊輔さんの父は鳩山内閣の厚生相になった政治家の鶴見祐輔、母愛子は初代満鉄総裁で外相、東京市長を歴任した後藤新平の娘で、この両親から大きな影響を受けたという。父は『東京帝国大学を出ていないとだめなんだ』と繰り返し言い、母からは『あなたは悪い子だ』と言われたそうである。

 その父のエリート主義に反抗し、特にその政治家としての立場をくるくる変えるのに反発し、さらには母に抵抗した。そして、小学校を出ただけで中学は入退学を繰り返し、12〜3歳でカフェに出入りし、睡眠薬を飲んで自殺未遂を繰り返し、度重なる折檻に抵抗した末、アメリカに留学に出された。そうするとわずか2年半でハーバード大学哲学科を卒業し、秀才ぶりを発揮したそうだ。そして今や、その著書数が百冊を超える大哲学者である。

 さきほどの二神氏の話でいくと、この鶴見俊輔氏のケースは、聳え立つ父と母に文字通り反抗し、それをバネに人生を切り開いていったといえる。エリートの家に生まれたら生まれたで、それなりに大変だったようであるが、この人は反抗心を一生のバネとし、しかも本人に能力があったから、大輪の花が開いたものと思われる。

 ところが、そううまくはいかない例も世にごまんとある。たとえば私の知っているケースでは、父、叔父、本人、兄弟姉妹がすべて東大という家庭に生まれ、その子も東大に入ろうとして、三浪まで頑張ったのだが、とうとう夢かなわず、桜は結局、咲かなかったということがあった。その子は母親から「あの子はダメだ」と家族から劣等生として扱われて、今は塾の講師として食いつないでいるとのことである。このケースなどは、前述の鶴見俊輔氏とは違ってバネが効かず、どうやら圧力に押しつぶされてしまったようである。

 しかし、家族であれば、そういう学歴だけで人を評価するのではなく、要するに幸せになってくれればよいと考え、そのために本人がどう頑張っているかということを評価すべきだろう。それぞれの子には能力と適性というものがあるのだから、お勉強が必ずしも得意ではないというのであれば、また別の道もある。運動が抜群であれば野球やサッカーやゴルフで名を上げるという道もある。有名選手になると、普通のサラリーマンには及びもつかない年収がもらえる。それも結構である。あるいはコックを目指して研鑽を積んで、五つ星レストランを育て上げるというのも、実にうらやましい人生ではないだろうか。

 いや、そういうのは面倒、単なる普通のサラリーマンでいい、平凡でも良い家庭、幸せな家庭を作りたいというのなら、それも素晴らしい選択であり、それでよいと思うのである。なんら恥ずべきことではない。もっとも、その場合は勉強という修行を放棄したのだから、それに代わる徳性という修行をすべきだと思う。昔から言われるように、真面目に過ごせ、人や社会に迷惑をかけるな等々である。加えて、できることならば、それぞれが置かれた環境において、一生懸命努力をして能力や技術を身に付けるということは、いかなる場合でも怠ってはいけないと思う。格差社会の拡大が昨今の大きな社会的課題となっていることから、各個人が自衛をするという意味もある。いずれにせよ、生きているということは、社会的競争でもあるのだから。




(2007年3月20日記)




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