丹沢もみじ号



 秋のこの季節の土日になると、丹沢もみじ号という地下鉄から小田急に乗り入れて走る臨時の特急電車が出る。綾瀬を午前7時10分に発車し、北千住、西日暮里、大手町と飛ばしていく。つまり、珍しく地下鉄の中では特急扱いの電車である。代々木上原から小田急線の駅となって、最終目的地は秦野であるが、その途中の伊勢原駅から大山阿夫利神社に向かうようだ。「紅葉のきれいな時に快晴が重なったら行こうよ」と、家内と心積もりをしていたところ、早速この週末にその条件が適い、電車の人となった。

 乗っている人は、そのほとんどが山行の格好をしたベテランばかりで、男女を問わないが、いずれも60代がらみの年齢である。そんな中で、その辺りの東京の街中を散歩するスタイルの我々が席の一隅を占めていたので、やや場違いな感じがしたのではないかと思う。しかし、われわれは山の紅葉を見る程度だからということで自ら納得し、8時49分に伊勢原駅に到着した。それからバスとケーブル・カーを乗り継いで大山阿夫利神社下社まで行き、その辺を散歩し、遠く海がキラキラと光る下界と今が盛りの紅葉を眺め、ついでに湯豆腐を食べたり、山菜そばを食べたりしたのである。




(2006年11月25日記)


 
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徒然034.ポール・モーリア


 ポピュラー・ミュージックの代表者として、指揮と作曲で活躍したポール・モーリアの訃報に接した。2006年11月5日、享年81歳とのこと。てっきりアメリカ人かと思っていたが、マルセイユに生まれ、パリ国立音楽院に10歳で入学したフランス人だったとは、知らなかった。どうも、この人には、私は最初からびっくりさせられることばかりである。

 いまを去ること30有余年も前の私事で恐縮であるが、私と家内が出会って、そしてめでたく婚儀が整い、もうすぐ結婚式というときのことである。とある土曜日に、われわれ2人と、私が司会を頼んだ君が揃って、結婚式の打ち合わせを行っていた。なぜ君に依頼したかというと、この人は慶応ボーイで、物怖じせずに、てきぱきと物事をこなす姿に、私は普段から畏敬の念を抱いていたからである。

 順に話しを進めていって、打ち合わせがもう終わりに近づいた頃に、君は、こう切り出した。
「さて、バック・グラウンド・ミュージックは、何にしましょうかねぇ」

 ところが、高校時代とそれに引き続く大学時代の受験勉強付けがたたって、私はこういう分野には。まるで疎かった。それで、答えに詰まっていると、君は、「そうだ。ポール・モーリアのセレクションは、どうですか。チャラララーラ、ララララーン・・・なんて、いいですね。」という。

 私は、「なんのことか、それ・・・」とびっくりしているうちに、家内がすぐに反応して、「ああ、あれはとっても良いですね。」と答えて、決まってしまった。

 それでレコード屋に買いにいったのが、「ポール・モーリア・グランド・オーケストラ」のレコードである。「恋はみずいろ」、「蒼いノクターン」、「エーゲ海の真珠」、「オリーブの首飾り」などを続けて聞くと、あたかも南国の海を眺めて、うっとりしているような幸福な気分になる。この手の曲のことをイージーリスニングというらしいが、確かにこれは、結婚式のBGMには良い選曲だと認めざるを得なかった。ハワンアンのような耳に残る強いメロディーではなく、聞いたか聞かなかったかわからないくらいの曲で、耳たぶや顔をそっと、ひとなでして通り過ぎていくという感じである。結婚式当日も、その調子で、場がますます和み、とどこおりなく終わった。

 それだけのことなのであるが、この事件は、私にひとつの教訓を残した。これは要するに、東京の山の手出身の慶応ボーイたる君と、都内のある(花の)有名女子大出の家内とが、ひとりのミュージシャンの曲をめぐって、以心伝心でわかりあえたということにすぎない。しかし、私は、受験勉強にかまけて、こういう文化には全く疎かった。受験勉強は、それなりに後世大いに役立ったが、しかしこういう都会的な文化というものも、心や生活を豊かにするものなので、あだや疎かにしてはいけないなぁと、思い知らされたのである。

 これもひとつの契機となり、また家内のお陰でいろいろな方面に興味を持つようになって、今や何が専門かわからないほどの今日の私ができあがったというわけなのである。それはともかく、こうしてそのきっかけを作ってくれた、ポール・モーリアおじさんのご冥福を心からお祈りする次第である。




(2006年11月17日記)



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宝厳院の庭


秋深し 苔むす庭に 散る紅葉


 しばらく前の紅葉の季節に、京都へと小さな旅をしたが、特に嵐山の宝厳院の庭は素晴らしいものであった。とりわけ、苔むす庭の真ん中にどっしりと陣取ったこの大岩は、その形といい色といい、実に見事の一言に尽きる。それに更に華を添えているのは、大岩の上にさしかかる枝から落ちた紅葉と黄葉が、緑の絨毯の上に散っている風景であった。これぞ、日本の原風景ではないだろうか。 京都への旅は、いつもいつも、心が洗われる思いがする。



(2006年11月8日記)




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