徒然028.春 爛 漫

 せっかくの桜が今まさに満開だというのに、しとしとと雨が降り出した。都心が靄の中に浸っているようである。もっとも、春の雨なので、あくまでもやさしく、柔らかく包み込むような降り方である。その中で、つい気にしてしまうのが、満開時期をやや過ぎた桜の花である。ソメイヨシノは、昨日の強風とこの雨で、散ってしまうだろう。晴れた日に、桜吹雪の中を歩いてみたかったなと、いささか心残りである。



 そんなことを考えながら、通勤途中の皇居お濠端で、おなじみのしだれ桜を眺めると、雨でぼんやりとけむっている中で、ピンク色をした木全体がぼんぼりのように浮かんでいるのが見えた。



 春がすみ、夢か桜か 幻か



という感じなのである。ソメイヨシノと比べて、しだれ桜の木は開花期間がいささか長いようだ。しかし、両脇の柳の木が次第に新緑に包まれ始めたので、そろそろ主役の座を譲る頃かもしれない。




(2005年4月11日記)




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桜の季節2005

 東京では、今年の冬はやはり寒かった。その冬が過ぎ、寒い日、暖かい日が交互に来るようになり、3月の半ばにもなると、暖かい日が続くなってきた。すると急に、なぜかはわからないが、桜の咲くのがとても待ち通しく思えてきたのである。まだかまだかと思うのに、街中の桜の木は咲いてくれない。ただ、蕾はふくらんできている。たまに満開の桜かと思う木があったが、豊後梅という桜そっくりの梅であった・・・。ということを繰り返していたが、やっと3月30日になって予想より3日遅れの開花宣言となった。桜の季節が来た。

桜の季節2005 (2)


 そこで早速、東京駒込の六義園では「しだれ桜」が五分咲きと聞いて出かけた。ここは、柳沢吉保が作った大名庭園である。その正門を入ってすぐのところに、樹齢50年あまりのしだれ桜がある。この世界ではまたまだ青年期の桜であろうが、しかしそれでも、いささか妙な表現ではあるが、元気よく垂れ下がった数多くの枝に、美しい桜が数限りなく咲き誇っている。白だけでなくそのピンク色も十分で、実に美しい。遠くから眺めてよし、近づいてもよし。まったくもって、言うことなしの美景であった。

 その次に、是非とも記録しておきたいのは、私の通勤のコースである皇居・大手壕の「しだれ桜」で、車窓から毎日見ているおなじみの桜である。お濠のそばに植わっている小振りな桜の木なのだが、これがいったん咲くと、壕の水面や背景の城の白壁と程良くマッチしていて、とても情緒がある。これらは、皇居にかかる橋の左手と右手にあり、左の桜はやや白く、右の桜は見事なピンク色をしている。私は、毎年これらのしだれ桜が咲くのを楽しみにしていて、見るたびに幸福感にひたっている。今年も、お互い元気でよかったという気すらしてしまうくらいだから、不思議である。

 私の都心の桜巡礼行の第3弾目は、日比谷公園のソメイヨシノである。今年の東京の桜はなかなか咲かなかったのに、いったん咲き出したと思ったら、わずか3日で満開になってしまった。日比谷公園の本体にもいくつか桜の大木があるが、いずれも他の木に囲まれていたり、大きすぎて見上げるようになってしまったり、あまり周囲がよくなかったりで、見てもさほど感激はしない。ああ、あったかな、という程度である。やはり桜も人間と同じで、その育つ環境や現在の周囲の状況というか風景に大きく左右されるものと思う。そういうわけで、日比谷公園の中の桜で私のお勧めは、その南西の角にある小公園である。噴水がアクセントとなっていて、その周囲がずらりと桜で覆われている。背景に見えるのは野外音楽堂である。そこを青空の下、満開の桜を愛でつつゆっくりと散歩をするのは、至福の時というほかない。

 都心の桜巡礼行の第4弾目は、標高26メートルの江戸唯一の小山、ご存じ愛宕神社である。オフィスに近いので、お昼にちょいと散歩に出るのに便利である。満開の桜にたどりつくまでに、目のくらむような出世の階段を登る必要がある。寛永11年に徳川家光公の眼前で、四国丸亀藩の家臣の曲垣平九郎が馬で往復したという逸話がある。この階段を登るたびに、そんなこと物理的に可能なのかと思っていたら、どうやら本当にできるらしい。愛宕神社のホームページによれば、次の人たちが実際にやってみせたらしい。いやはや、何というか、すごいこととしか言いようがない。

 明治15年・石川清馬(宮城県出身)
 大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道とした)
 昭和57年・渡辺隆馬(スタントマン)

 それはともかく、やっとのことでその出世の階段を登って社殿に到着し、左右の桜を眺める。これが良いのである。左手は、NHKの放送会館前で、サラリーマンの皆さんが桜の木の下でまとまってお弁当を食べている。右手にはちょっとした池があり、水面にはもう既に散りだした桜の花びらがびっしりと浮かんでいる。その中ではご覧のような錦鯉がたくさん泳いでいて、人が近づくと餌をねだって集まって来て大騒動となる。ちゃんと食べさせてもらっているのか、心配になるほどである。池の端には、赤く塗られた小舟もあり、本当にこれが地上26メートルのところにあるとは思えないほどの不思議な空間である。

桜の季節2005 (1)


 さて、桜巡礼行の第5弾目は、新宿御苑で開かれた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」である。昔は、観桜会といっていたものである。私はここ数年、招待されるようになったが、今年の開催日は4月8日であった。例年はもっと遅くて4月の中旬くらいが多い。しかし、その頃になるとソメイヨシノはとっくの昔に咲き散ってしまい、もっぱら八重桜を観賞することになる。これはこれで、ピンク色が強くてそれなりに綺麗なのであるが、やはりソメイヨシノと比べれば、いまひとつという中での開催が多かった。ところが、今年の開催日は、ソメイヨシノの満開の時と重なり、白くて淡いピンクの色で園内は染め上がり、楚々として実に美しい日本の風景となっていた。桜は、八重もしだれも良いが、やはりソメイヨシノに限るというのが私の実感である。

桜の季節2005 (3)


 小泉首相は、会場での挨拶で、昨年は本居宣長の「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」を引用された。これこそ、ソメイヨシノが咲いていたらぴったりする和歌だと思っていたが、残念ながら去年はそういうことで既に八重桜になっていた。そして今年はどうかと思っていたところ、芭蕉の「さまざまのこと思ひ出す桜かな」の句を引用された。確かこの句は、芭蕉が以前ある人の屋敷に出入りしていた頃、春の季節に爛漫と咲いていていた桜の花に感じ入っていたところ、その後、屋敷も他人の手に渡り、また時代も移り代わったが、この桜だけは相も変らずにこの季節になると盛んに咲いているという意味である。とすると、首相はその一枚看板の郵政民営化のことでも思い出しているのだろうかなどと、ついつい思ってしまった。それはともかく招待された8、700人にも及ぶ人たちの数はすごいものである。あの広い園内が一杯になってしまった。小泉首相が挨拶のために園内を一周すると、いい歳をしたおじさん、おばさんたちが鈴なりになって、われ先に握手をしようとする。しかも、「純ちゃん、頑張って」という大きな声援付きである。支持率41%というのは、本当なのだろうなと思う。

 さて、毎年この行事に行く私の楽しみは、帰りに熱帯植物園に立ち寄ることである。今年は、エンジェルズ・トランペット、黄色のオニバス、クンシランがよかったし、カカオやアボガドの実が成っていた。

 ところで、桜の話に戻るが、東京中心部の桜のスポットとしては、上野公園や千鳥が淵が有名である。私も、若い頃は特に千鳥が淵にはよく行ったものである。しかし、あまりにも著名になりすぎて、桜というより人の頭を見に行っているようであるから、今では行かなくなってしまった。そのほか外務省前の桜もトンネルのようになっていて、私のお気に入りのスポットだった。しかし、数年前に、隣に背の高い総務省ビルができて、景観が変わってしまった。よってこれらは、私の頭の中では番外ということになる。





(2005年4月10日記)



カテゴリ:エッセイ | 22:47 | - | - | - |
愛宕神社の桜と鯉


 標高26メートルの江戸唯一の小山というと、ご存じ愛宕神社である。オフィスに近いので、お昼にちょいと散歩に出る。この季節のお目当ては、もちろん満開の桜である。寛永11年に四国丸亀藩の家臣の曲垣平九郎が馬で往復したという、目のくらむような出世の階段をのぼり、社殿に到着した。

 そこで引いたおみくじは大吉だ。すっかり気をよくしての左右の桜を眺める。左手は、NHKの放送会館で、サラリーマンの皆さんが桜の木の下にかたまってお弁当を食べている。右手にはちょっとした池があり、水面にはもう既に散りだした桜の花びらがびっしりと浮かんでいる。その中ではご覧のような錦鯉がたくさん泳いでいて近づくと餌をねだって大騒動となった。
 




(2005年4月8日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:33 | - | - | - |
日比谷公園の噴水と桜


 桜シリーズの第3弾として、今度は日比谷公園のソメイヨシノを撮ってみた。今年の東京の桜は、なかなか咲かないと思っていたところ、いったん咲き出したと思ったら、わずか3日で満開になってしまった。これは日比谷公園の南西の角にある小公園で、噴水がアクセントとなっている。

 背景に見えるのは野外音楽堂である。季節の良い時節の土曜日にもなると、これがまあびっくりするような大音響を出して、うるさくてたまらない。こんな音楽を聞いた観衆は、それこそ全員その耳がどうにかなってしまうのではないかと心配するくらいである。それはともかく、きょうは青空の下、満開の桜を愛でつつゆっくりと散歩をした。








(2005年4月7日記)


 
カテゴリ:表紙の写真 | 22:37 | - | - | - |
皇居・大手壕しだれ桜


 前回は、駒込の六義園の「しだれ桜」を取り上げた。今度は私の通勤のコースである皇居・大手壕の「しだれ桜」で、車窓から毎日見ているおなじみの桜である。お濠のそばにある小振りな桜の木だが、壕の水面と背景の城の白壁と程良くマッチしていて、とても情緒がある。これらは、皇居にかかる橋の左手と右手にあり、左の桜はやや白く、右の桜は見事なピンク色をしている。

 私は、毎年これらのしだれ桜が咲くのを楽しみにしていて、見るたびに幸福感にひたっている。今年も、お互い元気でよかった。








(2005年4月5日記)


 
カテゴリ:表紙の写真 | 22:40 | - | - | - |
六義園のしだれ桜


 寒い冬が過ぎ、やや暖かくなってきた3月の半ばから、桜の咲くのがとても待ち通しいようになってきた。まだかまだかと思うのに、街中の桜の木は咲いてくれない。ただ、蕾はふくらんできている。たまに満開の桜かと思う木があったが、豊後梅という桜そっくりの梅であった・・・。ということを繰り返していたが、やっと3月30日になって予想より3日遅れの開花宣言となった。

 六義園の「しだれ桜」が五分咲きと聞いて出かけたところ、この美しさである。遠くから眺めてよし、近づいてもよし。まったくもって、言うことなしの美景であった。








(2005年4月1日記)



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