男の生き方

 つい最近、ある友人から約20年ぶりに電話がかかってきて、東京に戻ってきたから久しぶりに会いたいという。20年ぶりなので久しぶりどころではないが、二つ返事で、さっそくこちらから会いに行くよと答えた。それで、どこに行こうかということになって場所を打ち合わせると、自分の店に来てほしいという。確か鉄鋼メーカーの社員だったはずなのにと思っていたら、系列会社のレストラン付きホテルの支配人になったとのこと。それは便利なことだが、どうしてまたと・・・思いつつ、日時を打ち合わせた。

 もともと、この友人とは海外で一緒に働いたときに知り合ったわけであるが、その後帰国してからは年賀状のお付き合い程度であった。それでも、単に儀礼的なものではなくて、いま何をやっているか、何に関心があるのかが書かれているので、それとなく近況がわかっていた。10数年前に東京の本社から地方の支店に配置換えになり、そこで営業を担当しながら熱心にゴルフをやっていたらしい。年賀状には、ゴルフのスコアから前年につかんだコツのようなもの、新年に取り組むゴルフの課題等を一生懸命に書いてある。微笑ましいというか、天真爛漫というか、まさかこの内容を会社の上司にまで送っていないだろうなという一抹の懸念がないではなかった。

 さてその日、車を出迎えてくれたその友人、まずびっくりしたのは、その若々しさである。やや少なくなったとはいえ髪も黒々としており、少しも老けてないし、ゴルフ焼けもしていない。さぞかし、肉体的にも精神的にも、健康なのだろうなと思わせる偉丈夫ぶりである。まずは、よかったというのが、私の第一の感想である。それにひきかえ、こちらは髪の毛の一部が自然とやや銀色になりつつあり、年相応になっているのであるから、神様は何と不公平なことか。

 それから一杯やりながら、仕事のこと、子供のこと、肝心のゴルフのことその他いろいろと積もる話題を思いつくままに話すこと話すこと、午後6時頃半に行ったのに10時頃まで話し込んでしまった。長話は女性の特技と言われているが、いやいや、男もけっこう長話ができるのである。話の途中であっても、何かまずい場面になると、舌をペロッと出して下向き加減で笑うという、この人の若い頃の子供っぽい癖は相変わらずである。また、話の途中でわかって内心びっくりしたことは、この友人、その若々しさと話の内容からてっきり私より4〜5歳も若いと思っていたのに、4歳も年上だったことだ。もう定年間近ではないか。

 それだけではなく、この人と話をしていて、同世代の会社人の生き方というものを考えさせられた。この人は、いわば「地方」に十数年放っておかれて営業と称して公私にゴルフにいそしみ、それなりに楽しくやってきたわけである。今回、東京に戻って名簿を繰って気がついてみると、同期入社の人はごく一部が役員になって、あとはほとんどすべて子会社に出されていたとのこと。通常、会社人間なら50歳あたりで会社に残って上をめざす者、外に出される者、定年まで残る者それどれにふるい分けられる。その過程では、それこそ悲喜こもごもの人間模様が繰り広げられることとなる。特に、人間、年齢を重ねるとともに、権力欲と出世欲というものが当然生まれてきて、中には認められんがために、見苦しいほどバタバタする人もいないわけではない。

 しかし、この人は天下の早稲田大学を出ていながら、その種の出世欲やら何とやらとは全然関心がないと見え、そういう次元の問題からは完全に埒外にあって、地方でゴルフをしながら楽しく暮らしていた。逆にいえば、年齢相応の注意深さや配慮、深慮遠謀など一切持ち合わせていないといえば、それまでなのであるが・・・。特に少年時代から青年時代にかけて、周囲にいわゆる「大人」がいて、成人としての立ち居振る舞いの参考になる人がいなかったのであろうか・・・。いずれにせよ、これまでこんな調子では社内でいじめられただろうに、そんな暗そうな面はいっさい見せず、ひたすら若い時代の頃そのまま、天真爛漫に過ごしている。

 私の周りの世界は、この人とはまったく逆に、ただでさえ権力と出世欲の塊のような人々ばかりいる正にその中で、さらに出世と手柄を猛烈に競っているようなところである。それだから、この人のような生き方は、とても真似できないと思うとともに、ある種の新鮮さと爽快さと、そして羨ましさすら感じてしまったのである。




【後日談】

 それから数年後、年賀状を出したのに、彼からは来ない。そういうしているうちに、女性の字で葉書が来た。それを読むと、「主人は、ガンのため、年末に突然、他界いたしました。」とあった。これには驚いた。あれほど健康そうな生活を送っているように見えたのに、一体、何があったのだろう。






(2004年8月20日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:42 | - | - | - |
オリンピック金メダリスト


 アテネ・オリンピック(2004年8月)の水泳で2つの金メダルを獲得した北島康介選手の実家は、地下鉄千代田線の西日暮里駅にほど近い道灌山通りで、精肉店を営んでいる。新聞によれば、一族郎党や近所の人たち36人がアテネに乗り込んで応援をしたとか。また、その留守の家を、わざわざ見に来る物見高い老若男女がこれまた、引きも切らないのであるろ。

 恥ずかしながら、かくいう我が家もその一人ではあるものの、ここは自宅近くの近くの散歩コースであるというのが、皆様への唯一の言い訳である。





(2004年8月20日記)




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富山県入善のスイカ


 これはまた、大きな西瓜である。富山県入善の産で、上と下にかぶせてある藁の帽子と座布団が、これまた何ともかわいい。これで大きさは、18キロである。オフィスへ直接、送ってもらったが、私の部屋の女性がとても喜んでくれて、持ちまわって皆に見てもらったほどである。

 そのせいで、翌日は、肩の筋肉が痛かったらしい。まあ、それはともかく、味も甘くて、本当においしかった。





(2004年8月13日記)




カテゴリ:表紙の写真 | 22:28 | - | - | - |
これは何の花?


 東大の近くを歩いていたら、とある民家の庭先で見かけたのが、オレンジ色のノウセンカズラである。ツタの一種なので、木などに巻き付いて咲いている。

 花言葉は、女性と名声だというが、はてさて、確かに美しい女性のように見える。もっとも、この女性はかなり生命力があって、花は意外と早く落ちたかと思うと、すぐに新しい花が生えてくる。





(2004年8月12日記)




カテゴリ:表紙の写真 | 22:28 | - | - | - |
隅田川花火大会 


 隅田川花火大会に行ってみた。東京メトロ浅草駅を降りたとたん、ものすごい人の波で、地上に上がるまで歩いては立ち止まり、また歩いては止まるといった国会の牛歩のような調子である。上から階段を下ってくる人々のなかからオジサンが「みんな! こんなに人が多くちゃ、何にも見えないよ」と叫んでいる始末。これは大変だと思って地上に上ったと ころ、そのオジサンの言うとおり、人また人の大行列で、しかも隅田川に向かう列全体が少しも動かない。

 そこで、川を渡ることを断念し、東武浅草駅から言問通り の方向へとゆるりと歩き出した。その途中、川近くの公園横で花火が見える地点を見つけて、そこで眺めていた。打ちあがるたびにぱーっと光って色とりどりに飛び散る花火本体も美しいが、ドーン、ドーンというたびごとに体全体に響く音と振動が、花火の醍醐味である。これで、夏も本番だ。それにしても今年の夏は、何と暑いことだろうか。






【後日談】

 花火を撮るのは、本当に難しい。それを知らないで撮ると、この写真のように、単に大空で何か燃えているという図柄になってしまい、とても花火とは思えない代物になる。その後、私はまず、カメラを買い替え、三脚にレリース(カメラのシャッターの開閉を遠隔で操作する器具)を準備して、少しはまともな花火の写真を撮ることができるようになった。




 立川花火大会(写 真)


 金沢八景大会(写 真)








(2004年8月8日記)




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