皇居のしだれ桜


 私はいつも自動車での通勤途中に、皇居大手濠から桔梗濠にかけての内堀通りを通るが、四季折々にその車窓から眺めるこれらのお濠の諸々の美しさが気に入っている。いまの季節は、もう何といっても満開の桜である。しかもそれは、染井吉野ではない。普段はお堀端にひっそりとたたずんでいる何の変哲もないもので、全く目立たない風を装っている木だが、実は桜の木であることが、面白いのである。 

 ご承知のように皇居のお濠端には、美しい柳の並木が、たくさん植えられている。この桜の木は、普段はそれらの柳と区別がつかないほどの「しだれ桜」である。つまり、まるで柳の擬態をしているようにも思えてしまう木なのだ。





 ところがこの季節になると、「よし、やっと私の出番よ」とでもいうように、驚くほどの変身をみせる。いつもは柳のようにだらりと垂れ下がっている幾本もの小枝だが、そこから、これでもかと言わんばかりに、見事な桜の花を満開に咲かせる。本当に見事な、すばらしい景色である。

 あまりの美しさに、ちょっと車を停めてもらって、あわてて撮影したのが、この写真である。本物の美しさの何分の一かでも、そのうつろい行く桜の美を残せたらと思う。





(2004年3月31日記)




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隕石と金と柘榴石


 お昼休みに近くのビルを散歩していると、鉱物標本を販売しているお店があった。若いOL風の人から中年のおじさん、おばさんまで、実にいろんな人が、何千点もありそうな小さな鉱物をじぃーっと脇目も振らずに覗き込んでいた。面白そうだと思って、そのお店に入ってみたところ、いやはや、あるは、あるはで、本当に目移りがしてしまうほどであった。金色、銀色、金属色、青、ピンク、緑、紫、肌色、茶色など様々な色があり、またその形も、立方体から日本刀のような形の結晶まで、これこそ自然の神秘とでも評したいくらいであった。

 そういえば、私も小学校高学年から中学校にかけて、鉱物採集とやらに、熱中していた時期があった。その当時、私の家は福井市にあり、近くに手取川地層があって、化石や鉱物の採集が盛んだった。今も昔も私はすぐに時流に乗ってしまう性癖があり、ご多分に漏れず、休みにトンカチを握りしめて山麓に出かけたものである。そうしたところ、ある日、全くのまぐれで、金色の輝く美しい石を掘り出してしまった。大きさは直径8センチほど、ずっしりと重たかった。下部こそ普通の石なのだが、上部は金色の金属がキラキラと光を放って、材木のように美しく並んでいるのである。

 このあいだの小泉首相ではないが、幼かった私は、心から「感動した」。そして、これはひょっとして、話に聞く『金』ではないかと思い、ドキドキする胸の鼓動を聞きながら、それをひしと大事に抱えて、家まで一目散に駆け戻ったのである。そして、翌朝となるのも待ち遠しく、それを学校に抱えていって、理科の先生に見て貰った。そのときには、前日の「ひょっとして『金』か」という思いがさらに嵩じて、「いやいやこれは、『金』に間違いない」という確信に変わっていた。小さいながらも、人間の「欲」というものは、おそろしいものである。

 すると、理科の先生は、その石をチラリと見て、こう言った。「ああ、オウテッコウね。良い形だ」。私は、「オウテッコウ? 何だ、金じゃないんですか」。すると先生は笑いながら、「こんな大きな金が見つかったら、大騒ぎだよ」。私は、がっかりしてその石を改めて見ると、そういえば、金色がいやに白くて安っぽいという気がした。漢字で書くと、『黄鉄鉱』つまり、鉄鉱石の一種らしかったのである。かしくて私のゴールド・ラッシュは、たった一日で終わってしまったが、いまでも思い出す、笑い話の失敗談である。

 話は変わるが、最近NHKで、アメリカの隕石ブームが放送されていた。あるアメリカ人の青年が趣味で隕石を集め始めてついに隕石販売業者として成功したが、それに続く若者たちの挑戦の日々のお話である。金属ならぬ隕石探知機を持って、モロッコの灼熱の砂漠を丸一日探し回ったり、あるいは現地の業者と虚虚実実の駆け引きをするというものだった。考えてみると、何億キロかの宇宙の旅の果てに地球に落ちてきた隕石が、その旅の最後に、こんな人間くさいドロドロとした商売に巻き込まれるというのも、誠に皮肉なものである。しかし、こんな商売があるなんて、世界は広く、奥深い。私も、ひょっとしてあれが本当に金だったら、この人たちの仲間入りをしていたかもしれないと思うと、よせばいいのに、山師たちに親近感すら感じられてしまうのである。

 ところで隕石といえば、実は私はひとつ、手元に持っているのである。それは、高さ10センチ、周囲の直径が6センチほどの円筒形の隕石である。南極に落ちてきた鉄鉱石系統のものということで、持ってみると、ずっしりと重たい。何で私がこんなものを持っているかというと、話はいささか長くなるが、ひょんなことで友達から戴いたからである。

 その友達というのは、ある大手出版社の部長さんで、大きなイベントやら企画を手掛けて生きてきた、根っからのイベント屋とでも呼んでいいほどの気宇壮大な人物であった。私とは年が離れていたにもかかわらず、二人ともホラ吹きなせいか妙にウマが合って、会うと話が弾んだ。その部長さんが、ある日持ってきたものがこれで、「自分が若い頃、南極に行ってきたときの記念の品だから、ぜひ持っていてくれ」という。私が「そんな貴重なものは受け取れない」というと、「いやいやいくつかある中のひとつだし、自分が持っているよりは後世に残る」などといって、そのまま置いて帰ってしまった。もう、20年くらい前のことである。

 次に、部長さんがやってきたら返そうと思っていたところ、なかなか現れない。電話があって様子を聞いたら、いま新しい映画の企画をやっていて、それが忙しいので、顔を出せないという。ではまた、その映画の仕事が終わったらということにして、その映画を観に行くことを約束した。そしてその年の夏になり、部長さんが言っていた映画を観に出かけた。

 ちょうどその年は暑い夏で、全身に汗をかきながら映画館に着いたら、夏休みにもかかわらず、ガラガラだった。もっとも、その向かいのドラえもんをやっていた映画館の方は満員の盛況である。どうしたのだろうと思って、その部長さんがプロデュースした映画を観ると、不人気のわけがわかった。真夏の封切りというのに、本当に暑苦しい映画なのである。何でも、ある日太陽が突然大きく膨れ上がり、その影響で地球が灼熱地獄になり、それをわれらがヒーローが頑張って食い止めるとか何とかいうストーリーであった。寒い冬ならいざ知らず、こんなものを真夏の炎天下で封切っても、誰も観に来たいとは思わないだろう。

 というわけで、興行は散々な目に遭ったようである。そしてある日、部長さんから電話がかかってきて、「脚本が悪すぎた。会社に損害を与えてしまったので、責任をとって辞めることにした」といい、慰める間もなく、電話は切れてしまった。その後、人伝てに聞いたところでは、暖かい伊豆半島に居を移して住みはじめたとのこと。今頃、どうされているのだろうか。しかし、あのご性格では、また何か大きな企画を温めて、取り組まれているのかもしれない。・・・というわけで、私の手元に南極の隕石(たぶん、本物だと思うが)だけが取り残されることとなった。民法の規定に従い、そろそろ長期の20年でも時効取得するので、ご異議のある方は申し出ていただきたい。

 もっとも、こんなものは、そうそう粗雑には扱えないものである。部長さんの思い出が詰まっている貴重なものであるだけではない。たとえば、これを不燃物として捨てたりすると、おそらく東京湾のごみ処分場に運ばれて埋め立てられるであろう。そうすると遠い将来、それを未来の科学者が掘り出して、南極由来の隕石だとわかったとする。そして、たとえば日本列島は南極大陸と陸続きだったとか何か馬鹿な説を言い出すかもしれない・・・なーんて考えるのは荒唐無稽か。

 この部長さんが南極に行ったのは、正確ではないかもしれないけれども、本人のお話を総合すると、おそらく昭和40年代ではないかと思われる。ちなみに、現在こんなものを勝手に採取すると、南極地域の環境の保護に関する法律第13条の「何人も、南極地域においては、鉱物資源活動をしてはならない。」(平成10年施行)という禁止規定に触れるのではないかと思われるので、お控えになる方がよろしかろう。

 最後に、最初の話題に戻るが、私が入ったそのお店で、一番感心したものが、冒頭の写真にある緑色の鉱物である。キラキラしたこの緑色は、「灰クロムざくろ石(Uvarovite Sarany, Perm Ural Mts., Ca3Cr2(SiO4)3)」とある。思わず買ってしまったが、ここしばらくはこの濃い緑色の中にキラキラ光るものを楽しんでみたい。何の何の、ダイヤモンドに比べれば、はるかに安い趣味ではないか。





(2004年3月21日記)



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徒然020.薫る梅の香
020.薫る梅の香


 今年の冬は、とても暖かかった。1月に入り、東京では氷点下となった日はなく、最低気温は0.2度の日が一日あっただけで、最高気温は15〜16度という日も多かった。都市のヒートアイランド現象か、それとも地球温暖化現象の表れなのであろうか。南極では氷が解けて、氷床がどんどん後退しているらしい。

 それはともかく、暖かい気温のおかげで、春の花は満開となっている。房総の方では菜の花がもう盛りを過ぎたという。東京の真ん中の私の家の近くでも、湯島天神の豊後梅をはじめとして、どこもかしこも梅の花が真っ盛りである。夜でも暖かいので、換気のために窓を開け放つことがある。そうすると、梅の花の、まったりしたふくよかな香りが、鼻の奥をくすぐる。桜の花吹雪もいいが、この甘い梅の香りも捨てがたい。





(2004年3月1日記)



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