徒然012.道を聞かれて
 このゴールデン・ウィーク中に、珍しい出来事があった。私は、たまたま神田小川町からお茶の水に向けて、あの長い坂をトコトコと上がっていった。そして三井海上のビル当たりにさしかかったところ、坂の上から、若い女性が息せき切って駆け下りてくるのが見えた。グレーのスーツ、タイトなスカートで、いわゆるリクルート・ルックである。その子が、どういうわけか、私の目の前で急に止まり、「あの、ちょっと」と何か尋ね始めた。何しろ赤ん坊などは、私の顔を見ると泣き出すこともあるから、小さい子や若い女性が向こうから話しかけてくることなど、誠にもって珍しいことである。

 その若い子は、面長のなかなか可愛らしい人で、言葉遣いもしっかりしている。「この辺に、日大経済学部はありませんか。」というのである。私が「ここには日大の病院ならあるけれど、その他の学部がありましたかね。地図や住所は持っていますか。」と聞くと、彼女は一枚のはがきを出してきた。それには、「就職面接会場」と書いてある。しかも、そこに印刷された地図のJRの駅をつくづく見ると、「水道橋」とあるではないか。

 そこで「あぁ、ここはお茶の水で、水道橋は隣の駅ですよ。一度この坂を上がっていってからJRの黄色い電車で次の駅に行き、そこから行けばいいですね。」というと、「はい、わかりました。ありがとうございます。」と答えて、さっと振り向いて、坂を上っていった。ポニー・テイルの髪を左右に振り振り、案外早いスピードで、視界から消えていったのである。

 いやはや、まだ5月にもなっていないというのに、もう就職の面接が始まっている。就職氷河期だから、この子も何社も回らざるを得ないのだろうな。それにしても大変なことだけれども、言葉遣いは合格、しかも容姿端麗なので、ご健闘を祈りたい。





(2001年4月30日記)



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徒然011.根津のつつじ

 近くの根津神社では、毎年4月中旬から5月初旬にかけて、つつじ祭りというものが行われる。境内の斜面一面に色とりどりのつつじが咲き誇るのを鑑賞するという、ただそれだけの催しである。ところが、これがまた見事なもので、初めて見る人は思わず「ほほぅ」という声をあげてしまう。いつもはただ緑一色の何の変哲もないところに、急に一面が白、赤、ピンク、紫などの原色の花に覆われた数多くのこんもりとした木々が出現するのであるから、私ならずとも、歓声を上げたくなるというものである。しかし、このようにいくら言葉を使って説明しても、この風景を十分に説明しつくせない嫌いがある。

 まあ、百聞は一見に如かずというところで、一度はお出かけいただくとよい。ただし、この季節になると、地下鉄の千代田線根津駅を降りたとたん、ぞろぞろと神社に向かう老若男女の群れに出くわして、前へ急いで進むのも、後ろへ向かうのも、いずれも非常に困難なものとなる。いま「老若」と申し上げたが、実は「老老」といったところで、実年熟年の世代が多い。それというのも、この根津神社のつつじを皮切りに、上野東照宮のぼたんと、亀戸天神の藤の花が見事であり、これらをぐるりと回ってくれば、夫婦そろってごく手軽に下町の花を楽しめるからである。

 この東京の下町の花の歳時記を取り上げてみよう。

 2月 湯島天満宮の梅祭り
 4月 根津神社のつつじ祭り、播磨坂さくら祭り
 5月 上野東照宮のぼたん、亀戸天神の藤祭り
 6月 白山神社のあじさい祭り
 7月 伝通院・源覚寺の朝顔・ほおずき市、
    下谷鬼子母神の朝顔祭り
    浅草寺のほおずき市
10月 谷中菊祭り
11月 湯島天満宮の菊祭り


 このほか、花とは関係がないが、おもしろい行事として、次のお祭りなどは、一見の価値がある。日枝神社、神田明神の祭りとともに江戸三大祭の一つである浅草神社の三社祭では、専門の御神輿かつぎチームが活躍し、本当にびっくりするような下町の力を感じる。また浅草サンバカ−ニバルは、これとは全く別の意味での若いエネルギーに驚かされる。地球の裏側の激しい踊りが、日本の、しかもお江戸以来の歴史のある町にこれほどまでに定着したというのは、誠に不思議な感じがする。もちろん踊り手は若い人だが、どういうわけか、その見物人は実年以上が多い。

 5月 浅草神社の三社祭
 7月 隅田川花火大会
 8月 浅草サンバカ−ニバル
12月 浅草寺の羽子板市







(2001年4月24日記)


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徒然010. 図太い神経
 きょう、のどかな春の土曜日、ふとテレビの討論番組を見ていると、ある私立大学の学長さんが出ていた。今やロマンス・グレーになったが、なかなかの恰幅である。昔々のことになるけれども、実は私の親しい先輩が、今や学長さんとなったこの人のあまりの仕打ちに辟易して、ひどく腹を立てていたことを思い出し、思わず含み笑いをしてしまったから、家内が不思議そうな顔をした。

 そこで、およそ20年前に、この人を巡ってどういう経緯があったのかを、説明してあげたのである。その時分、私の先輩は、エネルギー問題の専門家として売り出していて、テレビの座談会に招かれた。当日指定された会場に行ってみると、その座談会に出る人たちが待合室に三々五々に集まってきて、雑談をしていた。その中で、若き日のこの学者も、その出席者の一人となっていた。

 そこで私の先輩は、これらの出席者の前で現下のエネルギー問題をとうとうとまくし立て、ご丁寧にいろいろと事例まで挙げて説明したのである。さて、それから本番の収録となり、出席者はテレビ・カメラの前に集結した。司会に促されて最初に口火を切ったのが、この学者だった。ところが、それを聞いて私の先輩はビックリした。その学者が話す内容は、何とまあ、自分がたった今、その控室で話した内容そのものであったからである。しかも、事例も全く同じであった。

 そうこうしているうちに、先輩がしゃべる番が回ってきたが、何しろ自分の大切な持ちネタがすべて使われてしまった後なので、そのショックから立ち直れず、さりとてそう急には新しいことを思いつけるわけでもなく、非常にあせった。何とか説明を始めたけれども、結局のところメロメロの無茶苦茶になって終わってしまったのである。

 それ以来この先輩は、「あの、エセ学者め。とんでもないヤツだ」と、あちこちでさんざんに罵倒していた。ところが、その学者の方はどんどん出世して、政府の枢要な審議会の会長として君臨するは、日本で有数の私立大学の学長を勤めるはで、その先輩は足下にも及ばなくなってしまった。いまや二回目の学長ポストをお勤めになっている。

 こういう他人の智恵を横取りしてそれをすぐに使って平然としているその神経の太さと、出世の階段を駆け上がる早さから推察されるその政治力の確かさとが、この学長さんの持ち味らしいが、それにしても、まあその生臭いこと、町の政治家も顔負けである。それ以来、この私立大学には、何か胡散臭い気がしてなならないのである。しかし、何というか、これが世渡り上手というものであろうか。 





(2001年4月7日記)




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