お雛様の季節


 3月3日の雛祭りの季節がまた巡ってきた。うちには女の子(といっても近々社会人)がいるものだから、その小さい頃にデパートに出かけて大枚をはたき、お雛様のセットを買ってきたことを思い出す。

 少し大きなガラスケースの中に、雄雛と雌雛のほか、三人官女に五人囃子、牛車と箪笥の類、それに左近の桜と右近の橘があって、小さいながらも一応すべてそろっていた。それだけでなく、右上のかわいいネジを回すと、雛祭りのオルゴールの音が聞こえてくる。これを家内はことのほか気に入り、外国に行くときも持っていって、この季節になるたびに、広い居間中にのどかなオルゴールの音を響かせていたものである。


二点雛


 ところが、東京のデパートで最近売られているお雛様セットには、三人官女のほかに五人囃子をそろえているものは、それを見つけることすらむずかしくなってきた。オルゴール付きのものなど全く見かけない。それどころか、雄雛と雌雛しかいないものが相当多いのである。

 もっとも、そういう二点雛は結構なかなかに凝っている。着物は帯地であるし、一枚一枚ちゃんと着せてある。いわば一点 いや二点豪華主義なのである。都会の狭い住宅事情を反映して いるのは間違いないが、それ以上にさしもの伝統も、実質主義によって次第に蚕食されつつある証左である。今世紀の末頃になって、良き日本の伝統であるこの季節の行事が、なお残っていることを切に望むものである。





(2001年2月28日記)




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徒然007.御神酒徳利
 私のマンションにはいろいろな人がいるが、その中にはこの地元に長く根付いている人たちもいる。江戸筆の伝統工芸士というおじさん、絵描きのおじいさん、和菓子の元職人など、いろいろである。こういう人たちに混じって、もう80歳を超すというおばあさんが住んでいて、これがまた有名人なのである。

 旦那さんははるか前にお亡くなりになっているので、一人住まいである。背筋はしゃきっとしていて、江戸っ子らしく気っぷがいい。常に和服を着こなしている。開放的な人柄で、誰とも区別せずに部屋に上げておしゃべりをするのが楽しみである。それに悠々自適という身の上なので、やることなすことが変わっている。年金の中から毎月5千円を社会のために使うということで、野良猫に餌を買ってあげたり、時には上野公園まで出かけ、ホームレスにお金を恵んであげているらしいのである。

 この人の部屋に一日二回は必ず訪ねてくるという友達のおばあさんがいる。こちらも、80歳を超した人で、昔からの無二の親友と言っていた。こちらは近くの小さな一軒家に住んでいて、料理が好きなようで、よく自分の作ったおかずを持ってきて、その気っぷのよいおばあさんと食事をしているのである。気っぷのいい方が背が高い。それに対して、料理の好きな方は背が低いので、その二人が出ていくと、われわれ口さがないマンション住民は「ああ、また御神酒徳利が歩いている」と言うのである。この二人の行動半径はとても広くて、近くの谷中だんだん坂の商店街はへっちゃらで、時には浅草までそろって出かけていくのである。それも「歩いて」である。いやもう、お元気なことで、われわれも常々感心していた。

 ところが、最近このおばあさんはちょっと弱気になってきたのか、「もう、いつでもお迎えがきてもいいわ」などと言っていた。こちらは「そんなこと、言うものじゃない」と話をしていたところ、年初めのある日、家の中で躓いて転んで、足を骨折してしまった。それがケチのつきはじめで、それで入院中に今度は肺炎になってしまったり、何だかんだとあって、可哀想なことに、まだ入院中である。これが「徳利」さんの方であるが、きょう、たまたまマンションの前を歩いていたら、「御神酒」さんに会った。「Mさん、まだ入院中ですか」と聞くと、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、悲しそうに「そうなの」と言っていた。「それじゃ、また」と言って去っていくその背中は、とても寂しそうだった。





(2001年2月25日記)



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徒然006.小さい子の話
 すでに、うちの子供達は社会人の一歩手前であり、もはや仕上がってしまったので、小さな子供を観察する機会はあまりなくなってしまった。それでも、家内が近くのスーパーに行くと、小さな子供連れのお母さんの会話を耳にして、たまに面白い話をしてくれる。

 今日の昼は、2歳くらいの女の子と、そのお母さんとの会話である。

 女の子  ねえ、これ、家にあったかしら

 お母さん ええ、お父さんが買ってきてくれたのがまだあったと思うわ。

 女の子  そうかなあ・・・

 お母さん ああ、あれ買わなきゃ、さあ行きましょ

 なかなか、駆け引きのある会話である。女の子は、買ってくれとは正面切って言っていない。何度か痛い目にあったらしい。自己防衛本能が働いている。またこのお母さんも子供のあしらいがうまくて、正面からダメとはいわずに、その場にいないお父さんのせいにしている。そして、子供の目先をそらせて、どこかへ消えていってしまった。

 しかし、この女の子は、まだ2歳くらいだったという。それでいて、ちゃんと社交的駆け引きをしているところが、すごいところである。





(2001年2月25日記)



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徒然005.ぞんざいな店

 きょうはお昼に近くの日本料理屋に入った。ここは、下町の食堂とでも言うのがふさわしいところで、店には何の体裁も加えていないし、店主もその息子のウェィターの兄ちゃんもまるで地のままのぞんざいさである。店内はざわざわしているし、普通ならこんな店に来たくなるはずがないのに、月に2〜3回は顔を出してしまう。

 なぜかというとその答えは簡単で、くやしいが、料理の味がよろしいのである。そのうえ、安くて、しかも早いときている。まるで昔の吉野屋であるが、ああいうファースト・フードではなくて、家庭料理そのままに作っていて、それでいて味だけは格別によいのである。

 きょう、その店で私はカウンターに座り、焼魚定食を頼んだ。出てきたのは、ぶりの照り焼きに、しじみのみそ汁、それに蓮根だのニンジンだのが入った煮物である。なかなか、うまいと思って、昼時の喧噪の中でそれを黙々と食べていると、隣に私と同年代の紳士が座った。彼は、カウンターの向こうの店主に注文しようとして、こう叫んだ。


お 客 「ミンチカツをください。そっ、それに野菜をたっぷり目にお願いします。」

店 主 「それじゃ、50円増しだよっ!」

お 客 「ぇへへへっー」

店 主 「んー、もうっ。『ぇへへっ』じゃないよ! ほんとだよっ!」

お 客 「そっ、そうかぁー。大雪で最近の野菜は高いからねぇ。」


 さて、あなたならどうしますか。このお客のように従順に納得してしまうか、じろりと店主をにらみ返すか、それとも席を蹴って出てくるか。まあ、たかが50円という、誠にもってみみっちい話ではあるが、その人の人生観が垣間見えるというものである。

 ちなみにこの紳士は、皿一杯に広がったキャベツのみじん切りの上に、小ぶりのミンチカツがぽつんと置かれたものがくると、それを黙々と食べ始めた。その後どうなったかは、見ていないからよくわからないが、まあおそらくは、言われた額を黙って支払い、そのまま出て行ったのだろうと思う。





(2001年2月14日記)


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徒然004.計算の季節

 父からのメール「今週の動き」によると、

 「確定申告の書類を作成し、2月1日に所轄税務署へ。控えに受付印を押印して貰った。」とある。受付日の2月15日のはるか前にもう行っている。企業財務の専門家だった几帳面な父らしい。

 それはともかくとして、また確定申告の季節が巡ってきてしまった。とりわけ面倒極まりないのは、医療費の控除である。歯医者に行ってハイ10万円などというのは滅多になく、その多くは細々とした領収書である。中には120円などという目を疑いたくなるものすらある。家内が真面目でしかも几帳面なせいか、病院関係の領収書と名が付くと何でもかんでもとってある。それでも家族4人分になると、日替わりならぬ年替わりとでも言おうか、その年々によって代わる代わるに何か起こる。そうして領収書の計算を積み重ねると、不思議なことに、控除額の10万円を超えるのである。去年などは、病院へ行ったタクシー代と地下鉄のメトロカードを合計した分だけ超えたと言って笑い転げた。

 しかし、このようなものを計算させられる税務署の若い人は、はなはだもって気の毒である。もっとも、ベストセラーの「金持ち父さん、貧乏父さん」によると、私などは年間5ヶ月は国つまり税金のために働いているのだから、それくらいは我慢してもらいたい。それにしても、残りの7ヶ月って、いったい何だろう。2ヶ月は銀行つまり住宅ローン、3ヶ月は大学生の子供だから、そうすると、私は家内と自分のために1年の内わずか2ヶ月しか働いていないのか。やっぱり貧乏父さんの状態になっているのは、仕方がないことかもしれない。





(2001年2月10日記)



カテゴリ:徒然の記 | 21:29 | - | - | - |
熱帯魚


 私は、水槽に魚を飼っていたことは、延べにすると20年近くになるが、金魚、鯉など、どれも淡水魚である。いずれの魚も比較的長命だったと思うが、それというのも、私がせっせとマメにお世話をしたからである。私とて、色とりどりの海水魚を飼いたいと思ったことは、たびたびある。それにしても塩分とか温度の調整が難しいようなので、これ以上の面倒はご免とばかりに、ついぞ飼おうとはしなかった。

 しかし私の友人の一人は、そういう熱帯魚を大きな90センチ水槽一杯に 何匹も飼っていたのである。私は、そのお宅にお邪魔して、じっくりと鑑賞させてもらっていた。ところがある日、その友人は2ヶ月もの長期の休暇をとり、その水槽のお世話をお手伝いさんに頼んで出ていった。休暇が終わり、その人は自宅に帰って、その水槽を見てびっくり仰天した。何と、その水槽には、丸々と太った大きなエンゼルフィッシュがただ一匹、悠々と泳いでいたからである。





(2001年2月8日記)




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徒然003.貧乏父さん

 ロバート・キヨサキという日系アメリカ人の書いた「金持ち父さん、貧乏父さん」という本が評判である。私もそのうち書評でも書いてみるかという気がしているが、私自身はこの本のいう貧乏父さんの典型だと思って、思わず苦笑してしまった。知性もあり社会的地位もあるが、残念ながらお金に関する知恵と知識が全くなくて、ラットレースといわれるがごとくに、人生をあたふたと駆けめぐっている。住宅ローンという名の負債を抱えて、その借金を返すのに汲々としている。うーん、全くその通りである。

 アメリカ人の中では、知性も地位に何もなくてよいから、ともかく50歳を目標に大金を稼いで悠々と引退しようとする人ほど尊敬されるということは知っていたが、これは金持ち父さんのことであったのか。目から鱗の心境である。しかしまあ、そういう手合いは、日本では成金といって、決して尊敬される存在ではないのだけれど、現代資本主義社会では、やはり勝者なのだろう。

 それにしても、貧乏父さんのままでは、私だって面白くない。といっても、いまから急に金持父さんになれるほどお金儲けの知恵があるわけではない。まあ、私として唯一自慢できるものといえば、常々、自分で考えたりあるいは家内と話しをしていることが、それなりに面白くて大切な知的財産であると思いこんでいることである。だからそういうことでもこの欄に書き付けておき、せめてもの鬱憤晴らしとしよう。






(2001年2月8日記)


カテゴリ:徒然の記 | 20:46 | - | - | - |
徒然002.気に掛かること

 ずっと昔のことで、しかもそれが大したことではないものの、何かどうも腑に落ちなくて、心の片隅に引っかかっていたことがある。それが何十年も経ってからふとした出来事がきっかけで、「ああそういうことだったのか」と初めて気がついて、我が身の不明をいたく恥じたり、後悔したりすることがあったりする。

 つい先頃もそういうことがあった。きっかけは、大学時代の同窓会が夫婦同伴で開かれて、私の家内がある友人の隣にすわったことである。家内が聞き上手だったのか、それとも今や社会的に成功しているその友人がなつかしい昔話として語る気になったのか、まあどちらでもよいが、私はその話をあとから家内から聞いて、たいへんに驚いたのである。

 というのは、その友人は、親の事業がうまくいかなかったので、大学時代にはとてもお金に苦労し、生活のためにアルバイトを何でもやって大変だったと語ったらしい。この友人は、大学時代にはそんな様子を全く見せていなかった。それどころか、いささか大言壮語の癖があるのではないかと思うくらいに、元気に何でも積極的な人で、私はこの人のことを「そんな性格なのだろう、それにしても変わっているな」などと、単純に思っていたのである。ところが、そういう目で改めて昔の彼との交遊を振り返ってみると、彼にはその生活の苦労をしのばせるような、いろいろと納得することがあった。当時の私は、そんな事情とはつゆ知らなかったとはいえ、彼に対してもう少し気を働かせて接してあげればよかったのではないかと、やや忸怩たる気持ちになったものである。





(2001年2月3日記)


カテゴリ:徒然の記 | 20:44 | - | - | - |
節分の思い出
節分の思い出


 2月3日の節分は、昔から豆まきをしたものである。母が豆を炒ってくれて、それを父や小さな妹たちと、縁側から暗い闇に向かって投げるのである。「鬼わぁぁぁ外、福わぁぁー内」というかけ声を掛ける。最初は手にいっぱい持って投げるが、そのうち、自分で食べる分がなくなるという貧乏根性が出て、2〜3粒しか投げなくなるというのも、例年のことであった。わが家らしい。ところで、現代っ子の家庭では、こういう行事をやっているのだろうか。





(2001年2月3日記)





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徒然001.「悠々人生」の徒然の記をブログへ移植

徒然の記の索引



 私のホームページ「悠々人生」上で、2001年2月1日から「徒然の記」として記述していたものを、新たに悠々人生ブログとして移植することにした。

 これからも、人生の様々な形の場面を、鋭く、しかし暖かく切り出していくことにしたい。





(2001年 2月 1日記)



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