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高山祭り総曳き揃え

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 高山祭り( 写 真 )





1.高山到着まで

 午前11時前にツアーのバスで新宿を出発した。中央自動車道の諏訪湖インターを過ぎたところで、サーっと雨が降ってきた。この雨が高山まで続くと困るなと思っていたが、すぐに雨は止んだ。何とか天候は持ちそうだ。中央道から高山方面に向かう一般道に入ると、いかにも高地に向かう道路らしく、まるで螺旋階段を上がるような感じで走るところがある。もう4月末だというのに、道の両脇にはまだ雪が残っている。

 午後5時過ぎに、高山市にバスが到着した。ガイドさんによれば、混雑を予測して6時頃の到着の予定だったが、スムーズに走って1時間も早く着いたという。この日は、昼に屋台曳き揃えが予定されていたが、あの雨で中止になったそうだ。幸い我々がこれから見物する夜の総屋台曳き廻しは、予定通り午後6時から始まるという。だから、まずは食事をしてはどうかというので、駅前近くの飲み屋のチェーン店に入り、飲まないけれどと言って、海鮮サラダなどの食べられそうなものを注文して、平らげた。

 前回、1月だったが白川郷を見物した帰り、 やはりこの高山を訪れて、高山陣屋などを見物したばかりなので、高山市の街の構造は知っているつもりだ。あの時に陣屋から歩いた歴史地区の向こうの大きな安川通りに、北から南の方向に春の屋台(山車)と秋の屋台とが交互に曳かれて通るらしい。


2.高山祭りとは

 そもそも、高山祭りとはどういうものかというと、高山市の観光情報によれば「16世紀後半から17世紀が起源とされる高山祭。高山祭とは春の『山王祭』と秋の『八幡祭』、2つの祭をさす総称で、高山の人々に大切に守り継がれてきました。このうち、高山に春の訪れを告げる『山王祭』は、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社(山王様)の例祭です。毎年4月14日・15日、祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、『山王祭』の屋台組の宝である屋台12台が登場。うち3台がからくり奉納を行うほか、祭行事では賑やかな伝統芸能も繰り広げられます。」という。加えて今回の催しについて「岐阜県高山市の高山祭の保存会などは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された際の祝賀行事として、春と秋の高山祭の祭り屋台計23台の『総曳き揃え』を2017年4月29、30の両日に開くことを決めた。市教育委員会文化財課は『高山祭の約400年の歴史で、総曳き揃えは非常に珍しい』と説明している。」という。

 それで、今回いただいたパンフレットによれば、次のようなことである。「平成28年12月に、高山祭の屋台行事を含む全国の『山・鉾・屋台行事』33件がユネスコの無形文化遺産に登録されました・・・今回、登録を記念し、春の祭屋台12台と秋の祭屋台11台の計23台が55年ぶりに同じ場所に曳き揃えられます。」という。見物している私の近くで、小さな男の子を肩車をして見物していた男の人が、その男の子を地面に降ろすときに「さあ、次にお前がこれを見られるのは、もうおじいさんになってからだぞ」と言うのを聞いて、思わず笑ってしまった。確かに、その通りだ。


3.高山祭り(夜の屋台曳き廻しと獅子舞)

 高山駅から広小路通りをまっすぐ歩いて北上し、宮川に掛かる筏橋を渡り、そこから左手に折れて上三之町を通って安川通りに出た。するともうお祭り開始時間の午後6時近くだったので、安川通りの歩道は人でいっぱいで、写真を撮るのに適当な場所を探すどころではなかった。獅子舞の演舞が始まる。雅びた笛の音に合わせて、2人一組の獅子が舞う。前の人が扱う獅子の顔の位置が低く、腰から下で動かしている。後の人は、獅子の風呂敷を、両手でまるで凧のように持ち上げている。時々、ガコッガコッと、獅子の顔が口を開けてまた閉じる音がする。それが、たくさんの獅子がほぼ同時に行うから、かなり練習しているみたいだ。小学校の低学年のような小さな獅子から、中学生、大人まで、一生懸命にやっている。演舞を終えたので、大きな拍手を送った。


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 安川通りの北から南へと23基の屋台が次々に通っていく。先頭は神楽台(春)で、屋台囃子を奏でる。太鼓を打ち鳴らすが、その姿勢がこれまた独特で、身体ごと大きく反り返って打つので、観ていて、落ちないかハラハラする。その神楽台に引き続いて曳かれてくる一つ一つの屋台は、例えて言えば、3階建くらいになっていて、最上部に御幣などの飾りや人形、真ん中に豪華な彫刻や絵画や絨毯が飾られ、そこに笛の吹き手が乗り、最下部には飾りを施した車がある。それを前後の数人ずつが曳き、そして押す。

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 やがて、日が暮れて屋台の提灯に灯りがともる。屋台が進むにつれて、提灯の列が妖しく揺れる。そこに緩やかなテンポの笛の囃子の音が加わり、実に優雅な雰囲気を醸し出す。屋台がやって来るときには太鼓の打ち手と笛の吹き手とに気を取られ、屋台が目の前を通るときには豪華な彫刻やら刺繍に目を奪われ、最後に屋台が通り過ぎたら後部の絵画が目に入る。つまりは、三重に楽しめるという仕掛けである。

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 後から反省して思うのは、やはり観覧する場所の選択である。安川通りから南へ行って鍛冶橋を渡ったところ辺りが、屋台が方向転換するので、良かったかもしれない。ただ、そうすると、安川通りの北から春祭り屋台と秋祭り屋台とが交互にやって来て、秋祭り屋台の方は鍛冶橋まで行かずに途中の下三之町で右手に折れて行ってしまうので、秋祭り屋台が見られない。となれば「春と秋を一緒にやる」という今回の売り物の意味がなくなるので、私がたまたま立っていたあそこの位置が結果的に良かったのかもしれない。

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4.高山祭り(昼の曳き揃えとからくり実演)

 前の晩は金沢に泊まって、朝に兼六園と白川郷に回ったものだから、高山祭りを見に行くのは、お昼を回ってしまった。そこでまず食事をしようと、駅近くの定食屋さんに立ち寄り、早く出て来るものはないかと思って、親子丼を注文した。それを手早くいただいて、お祭りの会場に向かう。高山陣屋の前の広場で、からくり実演があるのは、午後1時から30分刻みであるが、最初の回には間に合いそうもない。そこで、止まっている屋台を全て、見て回ることにした。全部で23基の中で、高山陣屋前に集結している神楽台2基とからくり屋台4基を除くと、17基だ。これは大変だと思ったが、すぐ近くの道路に、相互にあまり間隔を置かないで整然と並んで置いてあったので、1時間もしないで全てを観て、撮ることができた。

 まずは、さんまち通りを南から北へと観て行った。これが春祭りの屋台である。高山陣屋前に集結しているものも含めて、屋台名をパンフレットにあった順に並べると次の通りで、その写真を順不同で並べていくこととしよう。

 神楽台(春)行列の先頭で屋台囃子を奏でる。
 三番叟(春)能や謡曲の三番叟のからくり台
 龍神台(春)謡曲の龍神のからくり台
 石橋台(春)長唄の石橋(しゃっきょう)のからくり台
 鳳凰台(春)オランダ渡来の三色堅幕と屋根の鉾
 五体山(春)円山応挙が下絵を描いた刺繍幕
 恵比寿台(春)飛騨の名工である谷口与鹿による手長、足長の彫刻
 麒麟台(春)飛騨の名工である谷口与鹿による唐子遊びの彫刻
 崑崗台(春)屋根の金幣、金塊を表したかぶら形の宝珠
 琴高台(春)中段に鯉の彫刻、鯉の刺繍幕
 大國台(春)屋根が揺れやすい構造。正面に出入り口
 青龍台(春)入母屋造りの屋根、金森家家紋の梅鉢紋金具


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 この高山の祭り屋台は、まるで「動く陽明門」と言われているそうだが、一つ一つを見て、なるほど、まさにその通りで、これは世界文化遺産にふさわしいと思う。春祭りの屋台を見終わったので、上一之町の交差点を左手に折れる。歩いていくと、まちの博物館で賑やかなお囃子の音がする。入ってみると、中庭で中学生の男女が白地にカラフルな模様の付いた浴衣らしき着物を着て、元気よく木鐸様のものを鳴らしている。これが、闘鶏楽らしい。初めて目にする。素朴な掛け声とお囃子だ。リーダーの女の子が全体を引っ張っていて、若々しく清々しい。その博物館を出て、はるか向こうに見えている秋祭りの屋台に向かう。同じように屋台名と写真を並べていこう。

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 神楽台(秋)行列の先頭で屋台囃子を奏でる
 布袋台(秋)布袋と唐子のからくり人形
 金鳳台(秋)初期の屋台の風格を持つ形態美
 大八台(秋)大八車三輪、屋根の上に大金幣束
 鳩峯台(秋)四方の上を飾る綴錦織の胴幕、見送幕
 神馬台(秋)神馬の人形、胴幕に般若の大きい刺繍
 仙人台(秋)唯一の唐破風、仙人の人形
 行神台(秋)正面に出入り口、行神の人形。
 宝珠台(秋)屋根に一対の大亀、水煙つき宝珠3個を飾る
 豊明台(秋)外側に御所車がつく。多彩な装飾
 鳳凰台(秋)飛騨の名工である谷口与鹿が彫った獅子の彫刻、金具を多く使用

 どれも、とても豪華で実に素晴らしい屋台である。長い間、相当なお金を掛けないと、これほどのものはできない。しかもそれが、普通の店舗や住宅が並んでいるようなところにある収蔵庫から、ごく自然に引き出されるのが良い。また、その屋台に、子供たちが自分の家のようにごく自然に入って行って、遊んでいるのが、また良い。小さな頃から、人々の生活の一部となっているようだ。

 秋祭りの屋台を全部観終わったので、いったん南へ下って宮川まで歩いていき、そこから宮川に沿って高山陣屋方面に向かう。宮川の辺りにはまだ桜が咲いていて、白い鳥が優雅に飛んでいると思ったら、あれは鷺だ。この川べりでは、朝市が開かれるらしい。


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 ようやく高山陣屋前の中橋公園に着いたが、すごい人出だ。神楽台のほか、確かに4台のからくり屋台がある。春祭りの三番叟、石橋台、龍神台、そして秋祭りの布袋台だ。最後の布袋台には梯子を横にしたような仕掛けがあって、そこを人形が伝っていくのを以前テレビで見たことがある。今回、是非観てみたかったが、ちょうど終わってしまった後だった。人形の仕組みや操り手の巧みな技量が素晴らしいというので期待していただけに、残念だった。私が今回観られたのは、その後の三番叟である。凛々しい少年の姿の人形が、能の音楽や唄いに合わせて手を左右に振ったり扇子を広げたりしている。音楽が途絶えたかと思ったら、人形があっという間に老人の姿になり、唄いも何やら深刻なものに変わって終わる。ビデオを撮ったら、9分半の寸劇だった。残念なことに、完全な逆光となっていて、写真は非常に撮りづらかった。それから、本町一丁目を歩くときに春祭りの最後の3台の屋台を見物し、これで全部の屋台の昼の姿を観終わったことになる。

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 ところで、日本三大曳山祭とは、京都祇園祭の山鉾行事秩父祭の屋台行事と神楽高山祭の屋台行事をいい、これに日立風流物、高岡御車山祭を加えて日本五大曳山祭という。私も今回の高山祭りで、これらの全てを観たことになる。ただ、高岡御車山祭を観たのはもう半世紀近くも前のことなので、今のようなデジカメがあるはずもなく、ちゃんとした写真が残っていないのが残念である。

 ところで、こうした伝統行事を見るたびに思うのだけれど、私もこういう伝統を受け継ぐ町に生まれて、小さい頃からこのような屋台を引いたり御神輿を担いだりして、お祭りに参加してみたかった。私の父はいわゆる転勤族で、全国各地を転々としたし、たまたま行く先々では伝統行事なるものはなかったから、この高山祭りのような地域に根付いた行事には参加のしようがなかった。そういう意味では、高山の皆さんのことをとても羨ましく思うのである。とはいえ、こうした文化や伝統を守っていくのは、資金の面でも労力の面でも非常に大変なことだし、それなりのご苦労があると思う。でも、これだけの屋台と江戸時代から続く伝統の灯は、まさに宝物であるから、今後とも頑張って続けていっていただきたいと考える次第である。でも、こうして小さな頃から屋台の上に乗って、お祭りに参加していく子たちを見ると、お祭りが生活の一部となっていることを実感する。だから、未来は明るいと思っている。


5.金沢の兼六園

 ほんの30分程度だが、金沢のホテル近くの兼六園に立ち寄った。実は私は、兼六園そのものには10回以上も来ているが、夏休みや冬休みのことが多くて、この季節はあまり来た記憶がない。今回のように5月の新緑の季節の直前は、なかなか良いものである。青葉の中に躑躅が鮮やかに咲いていて、その対比が美しい。そればかりか、八重桜までが、まだ咲いている。花弁が多くて、まるで造花のようだ。また、小川の中の両側に植えられている花菖蒲は、まだほとんど花を付けていないが、あと1週間もすれば美しく咲くものと思われる。


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6.白川郷の桜

 今年の1月に、雪の白川郷を撮ってこようと勇んで行って、雪がなくてガッカリして帰って来たばかりである。今回はもちろん、雪はないが、その代わり、今年は桜が咲くのが遅くて、桜が満開から散り始めだった。でも、桜とともに写す合掌造りは、なかなかの味わいがあった。

 前回は、和田家を見学させていただいたので、今回は、長瀬家を見学した。一階は住居、二階で養蚕、三階は使用人の部屋ということで、基本は和田家と同じである。こちらは、平成13年に、500人が参加をする大規模な屋根の葺き替えをしたそうだ。

 高速道路ができるほんの少し前までは、陸の孤島だったので、長い年月を掛けて大家族が一緒に住むようになり、それでこの形になったそうだ。ところが交通が便利となった今は、観光地化してしまい、いつまでこの村の原型が保てるかというのが現下の課題のようである。


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(2017年4月30日記)


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