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徒然273.初孫ちゃんと高尾山へ

高尾登山電鉄駅舎



 高尾山薬王院(写 真)


 2013年は10月になってもその中旬から下旬にかけて、台風26号やペア台風の27・28号が来襲し、とりわけ26号は伊豆大島に大規模な土砂災害が発生させ、死者・行方不明者が40名を超す大惨事となった。これから地球温暖化が進んでいくと、こうした災害の件数と規模がますます増えるのではないかと心配である。まあしかし、先のことをくよくよ悩んでも仕方がない。それにしてもこの10日間ほどは、連続した台風の影響で雨模様が続き、どこか沈鬱な気分を感じていた。そのような中で、やっと27日になって久しぶりの青空が見えた。ちょうど日曜日だし、初孫ちゃんを一度、山のピクニックに連れて行こうと思い付いた。

 あまり遠くに行くと大変なので、高尾山に行ってみることにした。ここなら、都心の我が家から1時間15分で着くから、近くて手頃だ。最近はミシュランの旅行書の評価で三ッ星に輝いたというから、立派な国際観光地化してしまっている。初孫ちゃんは、「」たとえば葛西臨海公園の西なぎさや横浜港には行き慣れているが、「」などというものには、行ったことがない。二人で手を繋いで地下鉄に乗り、新宿駅で京王線の八王子行き特急電車に乗換えて北野駅、そこから各駅停車で高尾山口駅に着いた。前回、ここを訪れたのは2009年の9月だから、もう4年も経っている。そのときは高尾登山電鉄の高尾山ロープウェイに乗った。今回もそれでと思ったが、初孫ちゃんが「ロープウェイなんか、絶対、嫌だ!」と頑張るので、ケーブル・カーに乗ることにした。階段状のプラットホームで待っていると、運よく最後尾の運転手席脇の座席に、2人とも座ることが出来た。ここなら、中間地点で2台のケーブル・カーがすれ違うのを見ることが出来る。


高尾登山電鉄ケーブル・カーがすれ違う


 黄色とグリーンに塗り分けられたケーブル・カーが到着し、さっそく2人で真っ先に乗り込んだ。仲良く並んで座り、いわば出発駅を見下ろす形となる。チンチンと鳴って、さあ出発だ。初孫ちゃんは熱心に見下ろしている。ガガガガッという音とともに車体が軋みながら上がっていく。トンネルをくぐり、さらにまたトンネルをくぐると両側が林で、地上を歩く登山中の人たちが見える。そこを過ぎると一気に視界が広がり、遠くに東京の街が見えるという具合だ。やがて中間地点に差し掛かって降りて行く車両とすれ違い、更に上へと進み、急こう配地点を一瞬過ぎたと思ったら、そこはもう駅である。

高尾登山電鉄ケーブル・カーを下りて薬王院に向かう途中



 駅で降りてから、林の中の道を進んで行く。木立ちを通ってくる木漏れ日が美しい。足元の道は舗装された道だから、もうすぐ5歳になる初孫ちゃんでも、安全に歩くことが出来る。山門をくぐって行こうとすると、その脇に祠があり、石でできた真新しいマニ車のようなものもある。こんなマニ車は前回来たときにはなかったなと思いつつ、初孫ちゃんに「これを回すと良いことがあるといわれているのだよ」というと、両手でぐるぐると回していた。我々の後ろで並んでいる女性に場所を譲って見ていると、その年配のご婦人は、別にそのマニ車を回す気配もなく、ただ単に両手を合わせて拝んでいるだけだった。まあ、マニ車も日本に伝来すると、こうなってしまうという一例である。


苔むした杉の大木、通称タコ杉


展望台から東京方面を一望の下に見渡す


 更にどんどん歩いていくと、苔むした杉の大木、通称タコ杉が現れた、前回見たのと同じ形をしているから、保存がうまくいっているようだ。初孫ちゃんに、「この木のてっぺんが見えるかな?」と問いかけると、倒れるくらいに必死になって上を見上げていた。再び歩き出し、急階段の男坂と、なだらかな傾斜の女坂にたどり着いた。もちろん右手の女坂を選んで歩いていって、見晴しの良いところに出た。そこには展望台があって、東京方面を一望の下に見渡すことが出来る。初孫ちゃんと東京スカイ・ツリーを見つけて感激した。その手前に見える高層ビル群は、東京都庁など新宿副都心にある一連の高層ビルだ。まあその、はるか遠くにあること・・・そして手前の山々の緑の濃いこと・・・。しばし眺めていたら、初孫ちゃんが真っ白なアイスクリームに興味を示した。そこで、帰りに食べようと約束して、さらに昇っていく。

薬王院の山門


 茶屋を抜けて、ようやく薬王院に着いた。四隅に四天王を配置した門をくぐり、境内に入ると、見慣れた天狗と烏天狗の二体の石像がある。初孫ちゃんがへっぴり腰で近づいておそるおそる見に行く姿がかわいい。そして私に聞く。おじいさん、あの天狗さんは、動かないの?」やっぱり、石像というものを見たことがないらしい。そこで説明をすると、安心した。まあ、長い年月の間にこういう経験を積み重ねていって、ようやく物知りになるのだなぁという気がする。だから、なるべくあちこちに連れて行って何でも本物を見せてあげることにしよう。そういえば、この子の親つまり我々の子供たちがまだ小学校4〜5年生の時のことを思い出した。その頃は、社会科で東大寺や奈良やらと言われてピンと来ていなかったから、家内が二人を伴って京都、奈良、飛鳥に連れて行って直接本物を見せてあげたところ、一発で理解したということがあった。そういうことが大切なのだろう。

天狗


烏天狗


 本堂に入った。現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立されたというので歴史はなかなか古いと思ったら、それどころか、ウィキペディアによれば「天平16年(744年)に聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として、行基菩薩により開山されたと伝えられている。その際、本尊として薬師如来が安置されたことから薬王院と称する。永和年間(1375〜79年)に京都の醍醐寺から俊源大徳が入り、飯縄権現を守護神として奉ったことから、飯縄信仰の霊山であるとともに修験道の道場として繁栄することとなる」という。その奈良時代まで遡る歴史を反映してか、山上の諸堂の本尊がいろいろとありすぎる。たとえば、修験道といえば必ず出てくる役小角をはじめとして、愛染明王、不動明王、弁財天、弘法大師、お稲荷さん、金毘羅さん、それに大天狗・小天狗・・・やっとこのあたりで高尾山らしくなる。タイから贈られた仏舎利まであった。日本人というのは、本当に昔から色々な神様仏様を敬ってきて、よくその相互に悶着を起こさなかったものだと感心するが、その歴史がこんなところにも現われているのは感慨深い。

本堂


本堂の赤い天狗の面


 本堂正面の向かって右には赤い天狗の面が、左には緑の烏天狗の面が大きく飾られている。なかなかの迫力だ。初孫ちゃんは、あまりにもリアルなので、嫌がって逃げて行った。ふと見ると、お線香に火を灯しそれを灰の中に突き刺して、そこから立ち上る煙を体に浴びようとする仕草をしている人たちがいた。あれは何かと聞くので、ああすると健康になって頭もよくなると昔の人は言っていたというと、初孫ちゃんは「ふうぅーん」と言い、次いで「ボクもやるーっ」とやりたがったので、お線香に火を灯すところからやってもらった。その次は、お御籤を引きたがったので、これも自分で選んでもらったら、「大吉」を引き当てた。人生最初のお御籤にしては、なかなか上出来ではないか。そういえば、亡くなった私の父も、お御籤を引くと必ず「大吉」という人だった。この子も、その伝統を受け継いでいるのかもしれない。

本堂の天狗


本堂の天狗


 さて、そこから薬王院の奥の院に繋がる階段を登って富士山が見える展望台へと向かうのが普通のルートであるが、その上方に向けて折れ曲がる階段を見上げてびっくりした。延々と人波が続いて途切れることがない。しかも階段そのものがとても急だ。こんなところを5歳の子を連れて登るというのは、かなり無茶なことだと思って、そこで昇り続けるのを断念して、下り始めることにした。下の茶屋で、紫色のアイスクリームが売られている。初孫ちゃんはそれを食べたがったので、一息入れることにして2つ注文し、その合間にパンを食べることにした。ところがこのアイスクリームは、何とファンタ・グレープを冷やしたようなもので、初孫ちゃんは「これじゃない方が良かったな」などと不満そうだったが、何だかんだと言いながら、アイスクリームまるまる1つと、パンを2つ食べてしまった。食欲があるなぁと思ったら、次は睡魔に襲われたようで、「抱っこ!」とせがんでくる。しかしそうすると、こちらもまだ下りを控えていてダメージが大きい。そこで、なだめすかしながら何とかケーブル・カーの駅まで到達し、それでやっとのことで麓まで降りることが出来た。京王線に乗ってから、初孫ちゃんはぐっすり寝入ってくれたのである。しかし、そのまま起きてくれないものだから、電車を降りてから、自宅へ運ぶのには往生した。この子は最近ぐーんと成長して、ただでさえ重くなったのに、それが寝てしまったからますます重く感ずるようになった。今日は、山登りというよりはウェイトリフティングに行ったようなものだった。

本堂脇のお堂





(2013年10月27日記)


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