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徒然271.地方都市の表玄関の衰退

高岡大仏


 用事があって、富山県高岡市に行ってきた。羽田空港からANAで富山空港まで飛び、それからリムジン・バスで高岡駅前まで行くという行程である。駅前に到着したというので、バスから降りようとしたところ、駐車場や古ぼけたビル、空き地のような荒寥とした風景しか目に入らなかったので驚いた。私の記憶にある高岡駅前とは全く似ても似つかない風景が眼前に広がっていたからである。いったいここはどこだろうかと、自分の立つ場所がさっぱりわからなくなった。そこで思わず、そのバスの運転手さんに「ここは、高岡駅前ですか?」と聞いてしまった。運転手さんは、「はい、電車に乗られんなら、そこを右に行って、また左に行けば駅ですがや・・・」と富山弁で教えてくれた。その教示された通りに行って駅の階段を上がろうとして気付いた。ここは、昔の高岡駅でいえば裏口に当たる南口へとつながる道だった。いやいや、自分は昔の高岡駅前に行きたいのだがなぁと思ってiPhoneを取り出してGoogle Mapを見たところ、何だ、いま降りた場所から反対側に行くと、目指すホテルがあったのだとわかった。こんなことなら、最初からGoogle Mapを見ればよかった。

高岡駅前の寂れよう


 まあ、それにしてもこの駅前の寂れようといったら、目を疑うほどだ。地元の方々には失礼な物言いで恐縮だが、街の中心部が、あたかも爆撃を受けてそのまま放置されているかのようだ。私の記憶にある数年前の高岡駅前は、かなり衰退していたとはいえ、富山県第二の都市として路面電車が出発し、地下街もあり、それなりの駅前という体裁をしていた。20年ほど前は、忙しく往き行く通行人、荷物を抱えた旅行者と送迎の人、通学途中の学生さんなどで殷賑を極めていた。それなのに今では全く様相が異なっている。たとえば駅の向かって左手にある「高岡駅前ビル」というのは、かつては飲み屋さんが軒を連ねて繁盛していたものだが、今ではまあ、何と言うか、ぼろぼろで荒れたお化け屋敷のようだ。この一帯をよく見ると、駅舎そのものは改築工事をしているようであるが、その駅舎の周辺には、建物が取り壊されたままの空き地や駐車場が広がり、その谷間に打ち捨てられたようにポツンと立つ古びたビルが寂しげにあちらこちらに立っている。地元の人に聞くと、新駅舎は来年春あたりに完成するという。それならこの時期には新しい建物が次々に建築されていてしかるべきなのに、このままではたとえ新駅舎が完成しても、その周辺はこのようにどうしようもなく荒れ果てた状態のままで、変わらないのではなかろうか。

 悄然として言葉もないまま、宿のホテル・ニューオータニ高岡に着いた。なぜこんな地方にニューオータニがあるのかと聞くと、創業者で力士だった大谷米太郎が、この地の出身だったからだという。Wikipediaによると、正確には高岡市ではなくて隣の小矢部市の出身らしいが、その地の貧農の子に生まれて、大谷重工業を作り、加えて満州にまで進出し、当時の「鉄鋼王」とまで呼ばれたそうな。戦後は東京オリンピックにためにホテル・ニューオータニを創設して今日に至っているという。ニューオータニ高岡は、まあ東京の基準からすると星二つにもならないありきたりのホテルで、宿泊料金もそれなりだ。私は禁煙の部屋を頼んでいて、フロントもその旨を復唱していたのに、いざ部屋に入ってみると煙草の臭いがただよっている。これは一体どうしたことだと思った。ただ、それほどきつい匂いではない。ふと見ると、部屋の片隅で空気清浄機が動いていた。こういうのは、禁煙の部屋とは言わないのだが、このホテルはそうではないらしい。


高岡大仏


 まだ日が落ちていないので、外に出てみることにした。ホテルの前から、すぐ近くにある高岡大仏に向かう。奈良・鎌倉と並んで日本三大仏のひとつということだ。鎌倉大仏と同じくこの大仏様は、殿舎のようなものはなく、やはり露天に晒されている。正面から見上げると、両頬がふっくらとしている割には引き締まった印象を受けるお顔をしているから、仏様としては一流の顔をお持ちであると思った。入口の両脇に立つ四天王の分身たちも、それぞれ力強く躍動しているようで、なかなか立派だ。それもそのはずで、この高岡の地元の産業のひとつは鋳物や銅器なのだから、当たり前ということになる。

高岡大仏


 さて、高岡大仏を出て御旅屋通り商店街に向かう。ここは、かつては街を代表するアーケード商店街だったと記憶しているが、土曜日の夕方という稼ぎ時のはずなのに、シャッターが下りている店が多い。これはまた、寂しい・・・なんということだ・・・。出口に近い御旅屋セリオ(高岡大和)という小さなデパートのような建物に入り、その上のレストラン階に行ってみたが、ほとんどのレストランは営業していないようだ。これは、ひどい、旅行者が食事するところがないではないか。仕方がないので、そこを出て、末広町という駅前商店街の方へと行ってみた。20年ほど前は、ここが高岡市の中心市街地だったのだが、今はほとんどがシャッター通り化している。わずかに九谷焼、証券会社、本屋、居酒屋、薬局、パチンコ屋などが店を開いているのみ。客はほとんどいない。侘しい限りだ。道を歩いている人といえば、歩道にたむろしている若者が数人、パチンコ屋から出てきた年配のおじさん、携帯電話で声高にしゃべる中年女性・・・おっとこれは中国語だ。それから、自転車に乗っている黒人女性、あるいは男性数人のグループ・・・これはタイ語で話しているではないか。つまり、寂れた中心街には、外国人ばかりが目につくのである。もっとも、私が行ったときにたまたまそうだったのかもしれないが、いや、それにしてもかつての高岡市のイメージとの落差に驚いた。国勢調査の人口をみると、1975年の181,151人から徐々に増えて、1985年が最高となって188,006人、それから徐々に減ったものの1995年の段階ではあまり変わらずに186,827人。ところがその辺りから次第に減少していき、2005年は181,229人、2010年は176,109人であるが、現在ではさらにここから減っているものと思われる。若者が都会に出て行って、代わりに外国人が生活費の安さを求めて入って来たのではないかと考えている。

 東京の真ん中に住んでいると、街の中や電車の中に人が溢れているのは当たり前の風景である。ところが、こうして地方都市の姿を目の当たりにすると、これが人口減少の社会の縮図で現実のことなのだという思いがする。それにしても、ここまでとは想像しなかった。一家に一台どころか、大人一人に一台というモータリゼーションの進展と、道路網の整備、それに郊外立地型のスーパーやモールの出現が、街の中心部の衰退をもたらしたのである。狭くて駐車場の確保も出来ない駅前や中心部などは、モータリゼーションの社会からは疎外されていくしかない。

 地元の皆さんによればあと2年もすれば北陸新幹線が金沢まで伸びるので、その途中の高岡にも新駅が出来る。そうなると東京まで2時間半で行けるという。現在、東京・富山間をJRで行こうとすると、上越新幹線経由で、ほくほく線へと乗り継ぐから4時間かかっている。それが半分近くになるというから朗報ではあるものの、それで若者の人口流出が止まるかどうか疑問である。ただ、そうなると新幹線の駅の方に商業施設が集まり、在来線の駅の方はますます寂れるので、それもあって商人の皆さんは従来の高岡駅周辺に投資することはしないのだろう。

 そんなことを思いながら、帰京の途に就いた。富山空港で乗ったANAの機体がいやに新しい。ひょっとしてと思って機内の案内をみると「ボーイング787−8」とあった。ああ、あれだ・・・バッテリーからの出火が2件も相次いだことからアメリカ連邦運輸局から1月に運行停止命令が出され、原因不明のまま対策を講じて4月下旬にやっとその命令が解除されたばかりの機体である。つい先日は、バッテリーとは関係ないとはいえ、駐機中のエチオピア航空機でまた出火騒ぎを起こしている。進んで乗りたいとは思えない機体だ。しかも私の席は、問題のバッテリーが装備されている場所(翼の下)の真上ときている。こういうときは、危ないかもしれないと思いつつ乗っていたが、幸い、特に何事もなく順調に飛行して着地することが出来た。




(2013年 7月15日記)


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