<< 初孫ちゃんと遠足 (2)葛西臨海公園 | main | 徒然270.まち並みウォッチング >>
法曹養成制度検討会議

舎人公園の菖蒲


 法科大学院について、しばらく大きな動きがなかったことから、私もこれをフォローすることは控えていた。ところが、2013(平成25)年4月9日、政府の「法曹養成制度検討会議」(座長:佐々木 毅 学習院大学教授・元東京大学総長)が、中間的とりまとめを公表した。これは、法曹有資格者の活動領域の在り方から始まって、今後の法曹人口の在り方、法曹養成制度の在り方に及ぶもので、法科大学院を巡る様々な問題点を指摘している興味深い報告書である。これに即して、私なりに考えるところを披露すると、次のとおりである。

 第1に、司法制度改革当時の見込みと異なり、「法曹有資格者の活動領域は広がりつつあるものの、その広がりは未だ限定的といわざるをえない」。考えてみればそれは当然のことで、この20年以上にわたって経済は低迷が続いてきたし、それ以前に日本は、アメリカのような訴訟社会ではないから、そもそも法律の専門家に対する社会のニーズはそれほど高くはない。その一方で司法試験合格者の数を毎年1200人程度から2000人を上回るほどに急増させたものだから、需給バランスが大きく崩れてしまった。法曹人口の数は法科大学院制度が開始された2004年と比べて5割も増加した。その結果、昨年12月に司法修習を終えた人のうち就職先となる法律事務所が見つからずに弁護士登録を見送った人は26%にものぼった。ちなみに2007年はこれは7%にすぎなかったので、就職難がそれだけ進んだということである。これに伴い、弁護士間の収入格差が開き、下位に属する階層が増えた。

 第2に、今後の法曹人口の在り方につき、「現在の法曹養成制度を取り巻く状況に鑑みれば、現時点において、司法試験の年間合格者数を3、000人程度とすることを目指すべきとの数値目標を掲げることは、現実性を欠く。現状においては、司法試験の年間合格者数の数値目標は設けないものとすることが相当である」とする。現実に、ここ数年の合格者数は2000人〜2100人程度(合格率25%)にとどまっていることから、当分はこの程度の数字で推移するものと思われる。

 第3に、法曹養成制度の在り方についてであるが、まあこれは「そもそも法科大学院制度なるものは止めてしまえ、現実にその導入前と同様の受験を可能とする司法予備試験の出願が2013年に1万1255人に達し、しかもその合格者の司法試験合格率が68%と、法科大学院修了生の25%を大きく上回ることからも、法科大学院は不要であることが明らかだ」などとする主張に反論するためか、「法科大学院を中核とする『プロセス』としての法曹養成の考え方を放棄し、法科大学院修了を司法試験の受験資格とする制度を撤廃すれば、法科大学院教育の成果が活かされず、法曹志願者全体の質の低下を招くおそれがある」としている。しかし、法科大学院に行くとなると、私立の未修者の授業料だけで400万円近く、これに生活費を加えると1000万円ほどの費用がかかる。優秀な受験者にとっては、果たして合格率が単年25%程度の『プロセス』にそれだけ支払う価値があるものかどうか疑問であろう。

 ここはやはり、法科大学院修了者の合格率を当初想定の7〜8割とし、それに見合うように法科大学院の定員を大幅にカットすべきであろう。半減させてもよいくらいである。ところが現実には、制度発足当初の法科大学院の数は74校、定員は5825人にのぼり、もうそれだけで単年合格者数の3倍である。もっとも、その後、定員をカットして2013年度は4261人となり、また姫路独協大や明治学院大など6校が既に学生募集を停止し、東北学院大も2014年度から募集をせず、また桐蔭横浜大と大宮法科大学院は2016年度から統合の予定であるが、それでも定員はまだまだ大幅に過剰である。とりわけ問題なのは、法科大学院間の合格率の格差が激しく、2012年では一橋大57.0%、京都大54.3%、慶応義塾大53.6%、東京大52.2%のようなトップクラス校とは対照的に、合格率が10%未満の法科大学院が20校もあるという見るも無残な状況である。こういう法科大学院は、学生や社会に対して責任を感じてしかるべきだと思う。

 この点、今回の報告書は、「現在の教育力に比して定員が過大な法科大学院が相当数あり、また、全体としても定員が過大になっていることから、入学定員については、現在の入学定員と実入学者数との差を縮小していくようにするなどの削減方策を検討・実施し、法科大学院として行う教育上適正な規模となるようにすべきである。その上で、その後は、法曹有資格者の活動領域の拡大状況、法曹に対する需要、司法試験合格者数の推移等を見つつ、定員の見直しを行うべきである。司法試験受験資格を原則として法科大学院修了者に限定している以上、法科大学院が法曹養成の中核としての使命を果たし、それにふさわしい教育の質を確保する観点から、課題を抱える法科大学院の自主的な組織見直しを促進するためにも、公的支援の見直しの方策を更に強化すべきである。その際、財政的支援の見直しのみならず、人的支援の見直しについても実施すべきである」とする。全く、その通りである。

 以上が今回の法曹養成制度検討会議報告書について、私の思うところである。しかし、問題はこれだけではない。私は、都内の国立と私立の法科大学院で数年間教えていたことがある。そのときの経験によれば、法科大学院の理念に基づくカリキュラムと教師陣の構成が、そもそも学生のニーズに合っていないのではないかと思うのである。つまり、学生は、要するに司法試験に合格したいし、合格したらすぐに「実務の専門家」として働きたい。しかし、法科大学院の理念は、私なりに解釈すれば「かつてのような司法試験受験塾ではなく、もっと高度な学問の香り豊かなことと様々な専門分野を教えるもの」というものである。その結果、法科大学院の先生方の構成は、大半が法学部の先生方で、これを中心に裁判官や検察官や弁護士などの実務家を若干入れるということになっている。ところが、誤解を恐れずに敢えて一般論を言えば、法学部の先生方は学問の香り高いことを教えるのは得意であるが、判決文や起訴状の起案や具体的事例に即して各種の証拠を積み上げていくという訓練などはほとんど経験がないであろう。その反面、実務家は学問の香り高いことは苦手ときている。

 このような教師陣の構成は、そもそも法科大学院の理念とは相容れるものではないのである。だから、法科大学院は既修者の2年コースであれば、1年目は学問的なことを教えてよいが、2年目はすべて実務家が教員となって、判決文や起訴状の起案をどんどんさせていって、またそういう問題を司法試験として出せばよいのである。ところがどの法科大学院でも、法学部の先生方を中心に教師陣を組み、学問的なことばかりを教えようとするから、最終学年になっても法律的な文章も書けないという目を覆いたくなるような学生さんを輩出してしまうのである。私は、そういう学生さんを見ていて悲しくなり、自分でも工夫してなるべく実務的な文章を書かせるようにしてきたつもりである。それはそれなりに学生さんからは評価されたが、本来であれば、どの教師もそのようにしなければ、実務家の養成など、出来るものではない。それに加えて、もうひとつ大きな問題がある。このようにすると、今度は「法科大学院は、受験塾ではない」などという不思議な反論に遭いそうなのである。もうこのあたりは、法科大学院信者のドグマとしか言いようがない。しかも、こんな受験教育はしないなどということが法科大学院評価の重要な基準となっているから、ますます始末が悪いのである。私は、法科大学院の教師陣を法学部の先生主体ではなく実務家主体とし、かつての司法修習所の1年目でやっていた座学と同じことをすればよいと思うのであるが、そうすると、教育者を任ずる皆さんからの強い異論が予想されるところである。





(2013年 5月23日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:53 | - | - | - |