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人生のTips (6) 競争社会を生き抜く

根津神社のつつじ



 10数年前から、毎年オフィスに入ってくる新人の様子が、どうも変になったと感じていた。そもそも新人だから、仕事の上で、必ずといってよいほどミスをする。もとより業務内容や人間関係など何にも知らないわけだから、多少のミスは仕方のないことで、ミスをしない方がむしろおかしいのである。そういうときに、私だけでなく誰しもが、上司や先輩から指導され、時にはきつく怒られながら仕事を覚えて一人前になっていったものである。この間、失敗をすればそれを糧にして努力し、同じミスは2度としないと強く心に誓って精進し、分からないことはなりふり構わずに聞き回り、それでようやく一人前になってきたわけである。まあ、誰しもが経験する社会人としての成長の過程というわけだ。

 それが私や私の世代の人間の常識だったのであるが、どうも最近の若者は違うのである。何が違うかというと、叱られると青菜に塩をふりかけたようにシュンとなり、気力が文字通り「へたって」もう2度と回復してこないのだ・・・。あれあれ、叱られたらナニクソと思ってやり直すはずなのに・・・いったい何なんだ、この若者たちは?・・・揃いもそろって温室育ちのボンボンなのか?・・・と言いたくなる。私の同僚に聞いても、いわゆる「打たれ強い」の真反対の「打たれ弱い」部下がとみに増えていて、うっかり叱ると長期間休んだりするのがいるから、やりにくいと言っていた。しかも、東京の中高一貫校を経て東京大学を卒業したような、絵に描いたようなエリートの中にも、結構いるというのである。

 私の同僚がそういう新人と膝を突き合わせて話し合い、やっと原因のひとつではないかと思い当たることがあった。つまり、この連中は「生まれてこの方、親はもちろん周囲の大人から、一回も叱られたことがない」というのである。常日頃「良い子、良い子」と褒められることしか知らない。だから、職場で上司に「そんなことでは駄目だろう」と小言ひとつ言われただけで、精神的にパニックになり、どうしてよいかわからないという状態に陥るらしい。私はこれを聞いて、いや情けない、こんなことでは世界を相手に戦うなんて、とても無理だろうと思った。事実、最近の日本は、世界で通ずるような製品や人材を生み出せていない。それどころか、外国へ行く日本人留学生の数はどんどん減っていくし、液晶などの家電製品や半導体のような先端製品では、韓国や台湾にしてやられている。超一流企業となったサムソン、国連事務総長や世界銀行総裁を輩出するお隣の韓国とは、大きな違いである。競争の激しい韓国では皆が川の激流下りのようなことをやって、いかに早く上手に下ることが出来るかという競争している。これに比べれば、さしずめ日本は、皆で、のほほんと足湯に浸かってぼやーっとしているようなものだ。

 なぜこんな、無競争状態というバカなことになってしまったのか、私には心当たりがある。私の子供たちが小学校の頃、学芸会があるというので、それを見に行った。すると、驚いたことに、ひとりひとりが台詞をブツ切りにして演じている。たとえばひとりが「ぼくはあの」というと、その次の子供が「赤い風船が」と続け、その隣の子が「やっぱり欲しい」などと言っている。いったい、何だこれはと思った。我々の時代は、学芸会といえば、皆が主役になろうと手を上げ、目立とうとし、その結果の勝者が主役を勝ち取るという実社会と同じような過程を経てきた。しかし、このように誰でも必ず何らかの役と台詞にありつけるなんて、そんな無競争ぬるま湯社会など学校を出たらあり得ないではないか・・・本当に役に立たない教育である。また、運動会を見に行って、これまた驚きを通り越して悲しくなった。というのは、一緒に走るグループをいずれも早さが同じような子供ばかりにして、差がつかないようにゴールインさせていた。これだって我々の時は、何次も予選をやって選抜し、最後に決勝をやって勝ち残るという強い者勝ちの世界だった。だからこそ、普段は勉強のできない劣等生の子でも、足が速ければ全校で一番になることが出来、そういう面で優越感を味わうことが出来る唯一のチャンスなのである。しかし、最近の運動会のようになると、これこそが悪平等そのものである。こんなことでは、競争の激しい国際ビジネスの世界で、大きく遅れをとるはずだと思うのである。

 では、そうした厳しい競争社会を生き抜くには、どうしたらよいか。私が思うに、自分の特技を最大限に生かすことだ。人には、いろいろな能力や特技がある。それをまず自分で必死に探して自覚し、さらにそれを磨き大きくして生きる術とすることしかない。たとえば私の場合、小学校低学年のとき、都会の神戸から、とある北陸の田舎町へと転校した。標準語の世界から突然、ど田舎の言葉の中に放り込まれたものだから、「おまえの言葉はラジオの言葉だから、けしからん」と、さんざんいじめられた。いじめっ子の中には、4月生まれの体格の良いガキ大将がいて、そもそも体格が違うから取っ組み合いの喧嘩をしても、なかなか勝てない。小さいながらも、こういう連中とどうやって張り合っていこうかと必死に考えをめぐらした。

 学校への行き帰りに取り囲まれてやられることが多いので、時間をずらして顔を合わせないようにしたり、それでも万が一、取り囲まれたら、一番弱い相手のところから突破したり、そのためにあらかじめ懐柔したりと、いろいろと対策に頭をめぐらせた。あるいは、少し勉強して先生に目を掛けてもらったりと、本当に苦労した。考えてみると、こういう戦術・戦略の策定こそが、私が今日ある礎となったのかもしれないと、そのガキ大将たちに感謝しなければならない。世の中、何が幸いするかわからないものである。

 ところで、私と同様の事情にあった転校生がもうひとりいた。こちらは東京からだが、やはり最初は執拗ないじめの対象となっていたものの、彼は私とは違うやり方でうまく切り抜けていた。彼は抜群の運動神経の持ち主で、小学校の低学年だというのに、体育館の高い鉄棒を使って軽々と大車輪などをやってみせ、一躍、小学校の人気者となっていた。こちらも、あれは別格ということで、いじめは止まったことは、いうまでもない。そういうことで、社会で生き抜くということは、必ず誰かとぶつかるものである。自分の知恵と特技を総集めして、難局をいかに切り抜けるかと工夫することが、その人のその後の人生の糧あるいは知恵というものを作り出すものなのだ。ところが、今の学校教育は現実にはあり得ない悪平等の世界をわざわざ作り出し、そういう生きる力や知恵を作り出せない構造になってしまっているのではないだろうか。そう思えてならない。

 ところで、先般、NHKのテレビ番組を見ていると、最近、新型うつ病というものが見受けられるようになったというのである。普通、うつ病なるものは、仕事をはじめとして何についてもやる気がなくなるというものだが、この新型うつ病の場合は、仕事は出来ないけれど、旅行やダンスや趣味など仕事以外のものは出来るというもので、従来のうつ病の常識を超えるものらしい。典型的なケースでは、たとえば、会社の新人が仕事でミスをして、課長にこっぴどく怒られたとする。そこでどうなるかというと、先に書いたように私の時代には新人はそこで発奮して学び、先輩に追いつこうとした。しかし先に書いたように今から10数年ほど前からは、その新人は「へたって」しまって「出てこなくなる」。ところが驚くべきことに、最近流行っているこの新型うつ病の場合には、「出てこなくなる」のはその10数年ほど前からのものと同じだけれど、そこで会社や課長を「逆恨み」して、ネットにさんざん悪口を書き込んだり、仕事以外のことに情熱を注ぎ、旅行や料理やダンスは楽しめるという現象になるのだという。

 なぜこんな不思議なことになってしまうのかというと、要するに「叱られることなく」育ち、そういう意味での挫折を味わったことがないから、うまくいかないと「自分」ではなく「他人」を責めるという思考回路になるのだという。加えて、自分の絶対的能力を客観的に評価できない。つまり、こんなに頑張っているのに、なぜ叱られるのだという思いが出てくる。実はこれは学校教育の評価が絶対的ではなく、相対的になってしまったことが原因ではないかという。つまり、5段階評価で5の成績をいとも簡単にあげることができる子と、4の成績しか上げられないけれど、それに至るまで一生懸命に頑張ったという子とでは、相対的評価では後者の4の成績の子の方が高くなるというのである。しかし、いったん社会に出たらもちろん絶対的評価だから、4の成績よりも5の成績の方が高く評価されるのは当たり前の世界なのである。何百人、何千人、いや何十万人の凡人より、たったひとりの天才がいれば、絶対的に優れているその天才が勝つのは当然のことである。

 自分が天才でないと思う私のような人は、自らの特技を生かしてどう生きていくかを必死になって考え、自分が天才だと思える幸運な人は、更にその能力を磨いて社会の中で確固たる地位を占めていくかということに心を砕くことである。それが人生であり、それがあるから社会は発展するし、他の国にも伍していけるものだと思っている。それが出来ないという人は、ライオンの世界では藪の中へ消えるという運命にある。幸い、ここは人間の世界でしかも憲法25条の規定がある現代の日本であるから、必要な最小限度の社会保障は受けられる。しかし昨今の財政事情を考えれば、もはやバラマキ的な社会保障政策は限界に来ていることから、結局は、自助努力しかあるまいと思っている。自分の才能と知恵と工夫を総動員して、この大競争社会をしっかりと生き抜くしかないのである。




(2012年 5月10日記)


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