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人生のTips (1) 眼をしっかり守ろう


新宿御苑のハナミズキ



 私はもう還暦を過ぎてしまって、60歳代前半となった。仕事も充実して人生の集大成を迎えていると思うが、その一方、長い人生の過程で自分のこだわってきたポリシーがいくつかあるし、振り返ってみてああすれば良かった、こうすべきだったという反省すべきところも数多くある。また、人のふり見て我がふり直すというものもないわけではない。そうした諸々の点を、「人生のTips」としてとりまとめてみた。そのひとつひとつを順次、ご紹介していきたい。

(1) 眼をしっかり守ろう

 生まれつき視力にいささか問題があるという不幸な人はともかくとして、大多数の人は、小学校の頃までは、視力にあまり差がないはずである。ところが、中学校、高校と進むにつれて眼鏡をかける人が増えてきて、大学になると相当数の人が眼鏡をしている。しかし、出来ればなるべく、眼鏡はしない方がよい、つまり裸眼主義を貫くべしというのが、私の生来の持論である。もともと人の眼というのは、柔軟性に富んでいるから、遠くも見れば近くも見るというバランスの良い生活を普段からしていれば、眼鏡に頼る必要はなくなると思う。これまでの経験で間違いなく言えることを2〜3挙げてみよう。まず、読書のときに姿勢が悪い人、特に前かがみになりやすい人は、もう間違いなく近眼になる。私は、子供たちに対して、読書のときは必ず背筋を伸ばし、本から少なくとも30センチ以上は目を離して読むこと、そして絶対に寝床などの不自然な姿勢で読んではいけないこと、それから、読書のときには丈夫な明るさの照明を使うことで、できれば机の上だけでなく部屋全体も明るくしておくことを常に言っておいた。それに加えて、外出時には、なるべく遠くの物を見ること、それも窓辺に緑の木でもあれば、それを見ることをも付け加えた。これで近くの物を見ることによる眼の筋肉の緊張を和らげて、眼の柔軟性を保つことができる。

 私はこれでもって、小学校から大学までの学生時代には、1.5から1.2程度の視力を維持できて、一度も眼鏡の世話にならずに済んだ。またこれを繰り返し教えた私の子供たちは30歳代になったが、いずれも視力は十分で、眼鏡の世話にはなっていない。そういうことで、このポリシーの正しさには自信がある。ところが私は、東京で勤め始めてから、しばらくはよかったのだけれど、30歳代になった頃、ある日突然、視力が落ち始めたのを実感するようになった。何が原因だろうかとつくづく考えてみたところ、通勤電車内で新聞を毎朝読んでいることではないかと思いついた。知り合いの医者に聞いたり本で調べてみたりしたら、どうもその可能性が高い。しかも、医者によれば電車内の読書は、眼に負担がかかって、しばしば乱視になりやすいとのこと。そこで私は、電車内での読書はきっぱりと止めた。すると、視力の低下が治まったのである。

 その一方、私はほとんどの週末に、ゴルフに出かけるようになった。実はゴルフというのは、ティーグランドは緑、もちろんフェアウェィも緑、そしてグリーンも文字通り緑だし、遠くへ飛んでいくボールをしょっちゅう見なければいけないから、これは疲れのたまった眼の視力を癒すには格好のスポーツである。そこでしばらくは視力の一層の低下するようなこともなく、仕事もゴルフも、どちらも視力の心配なしで楽しむことが出来たのである。ところが10年ほど経って、たまたま職場が変わり、大量の文章を常時読むような仕事についた。すると、私の眼は30センチ先にいつも焦点が合うような状態、すなわち近眼状態に陥ってしまった。これは視力を計測しなくとも、自分で分かった。つまりは置かれた環境に適応してしまったのである。案の定、運転免許の書換えに行くと、「あなたの視力はもうぎりぎりのところに来ているので、次回は眼鏡を作ってきてくださいね」と言われてしまった。

 それから3年間、私なりに遠くの方をなるべく見るという努力はしたものの、あまり効果が上がらなかった。それどころか、ゴルフをしていて、こんなことがあったのである。池の真ん中に浮島のようにグリーンがあるショート・ホールにやってきた。175ヤードの距離だ。私がオナーで、先に打つ番である。風は少しアゲインスト気味だから、5番アイアンで安全にいくか、それとも6番アイアンで思い切り打とうかと迷った末、結局6番アイアンを手に取ってスパーンと打った。ところがやはり力が入り、体が先に回転し過ぎて少しフェース面が開いた気がした。ああ、これは少々スライスがかかってしまったが、うまく届いてくれればグリーン上に止まってくれるだろうと思った。ボールは、ピン方向に向かって真っすぐ飛んでいく・・・もう少し左の方へ出ればと思うが・・・何とかなるだろうと期待する。私のボールを見ていた仲間もキャディも、口ぐちに「あ・・・あぁーっ」とカン高い声で叫ぶ。ところが私は、ボールを見失ってしまった・・・いや、ボールが突然見えなくなってしまったのである。そしてすぐに、回りの人は今度は「ああーっ」と悲鳴に近い声を上げたかと思うと、私はボンと地面に当たる音に続いてポチャンという水に落ちる音を聞いた。どうやら、島には届いたものの、手前の池に入れてしまったらしい。

 その日は、曇り空でボールが見にくかったとはいえ、私には、ボールが池に入ったことより、肝心のときに自分のボールが見えなかったことが悔しくてならなかった。私は相当の近眼になっているようだ。仕方がないので、その頃あった運転免許の書換えで眼鏡を作り、それで免許を更新した。次に、その眼鏡をかけてゴルフをしようと練習場に行ってみたものの、眼鏡をしていると頭は痛くなるし、距離感が滅茶苦茶になってしまうしで、どうも私には眼鏡は向いていないと思うようになった。そこで、運転もゴルフもやめ、その代りの運動として、神宮でテニスをやることにした。テニスボールなら、色は黄色いし大きいし、近くで打ち合うから、眼鏡をかける必要は感じないからである。それに、眼鏡なしで日常生活が不便かというと、案外そうでもない。交差点の信号は見えるし、暗いところ以外は人の顔も見分けはつく。何よりも仕事の上で書類や本もちゃんと見えるのである。

 だから私は、今でも眼鏡はしていない。私が50歳代に突入したとき、年をとるので老眼になるだろうから、それと近視とが釣り合ってちょうど良くなるのではと期待していた。ところが、そうは都合よくならなかった。私の同年代の友達にそう言うと、「ああ、老眼になることは確かだが、相変わらず近眼だから遠くも見えない上に、近くもだんだんと見えなくなって目が霞むようになる。つまり遠くも近くもダメになる」と言っていた。幸い、私はまだ近くはしっかりと見えるので、裸眼でも書類や本を読むことには今のところ何の問題もないし、パソコンはもちろんあの画面の小さなiPhoneでも使える。しかし、だんだんと動体視力が落ちてきて、テニスボールを追いかけるのが辛くなった。60数年続けてきた裸眼主義も、そろそろ限界なのかもしれないが、せっかくここまで来たのだから、眼鏡なしのままで可能な限りもう少しやってみることにしよう。



(2012年 5月 3日記)


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