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徒然213.表参道を散歩

石津謙介さんの写真


 表参道を散歩した。といっても、カメラ片手に歩き回っただけなのだけれど、一番の目的は、表参道交差点の山陽堂書店の壁に大きく、石津謙介さんの写真が描かれていて、それを撮りたかったためである。石津謙介さんと聞いても、今の人で知っている方はほとんどないと思う。ましてや、直接、言葉を交わした人は、もうあまり残っていないと思うが、実は私は、石津謙介さんとご一緒して、話をしたことがある。

 その前に、石津謙介さんがどういう方かといえば、以前書いたものと重なるが、ここで敢えてご紹介しておこう。石津謙介さんは、1911年10月20日に岡山県の老舗の紙問屋の家に生まれた。明治大学商科専門部卒業後、中国天津で衣料会社に入り、帰国後、大阪レナウン研究室に勤めたが、1951年に同地でヴァンヂャケットを創業した。商標のVANを付けて最新のファッション商品を創出し、55年には東京の青山に進出して本社を置いた。ブレザーとボタンダウンシャツに白い靴下というアメリカ東部のアイビー・リーグの大学生のファッションから、アイビー・ルックを生み出し、若者の間に大流行させた。また、石津さんは、東京オリンピックの日本選手団のブレザーをデザインしたり、TPOという言葉を作り出したことでも知られている。残念ながら、1978年に同社は倒産したが、その後も食べ物などに活躍の場を広げて、常にファッションの最先端に位置しようと努めていたが、2005年5月25日午前2時2分に肺炎で死去された。享年93歳ということである。

 私はある日、仕事でたまたまその石津謙介さんと、シンポジウムのパネラーとして同席する機会があった。会場に到着するまでに時間がなかったので、あわててタンスからひっぱり出したのが、かつて無理した買ったジーパン生地風のシャツである。あまり考えずにそれを着て、それからシンポジウムの場に飛んでいった。討論が終わった後、石津さんが私に向かっていった。「あなた、そのシャツとジャケットの組み合わせは、なかなかいいですよ」 ああー、VANの創始者、男性ファッションの天才教祖から、誉められてしまったのである。  ところで今回、2010年10月から11月3日にかけて、表参道の交差点角にあるその山陽堂書店で、石津謙介さんの生誕百年展が開かれた。これは、石津さんの会社VANが青山に来てからここが「VAN」タウンとよばれるようになり、それ以来、青山がファッションの街として大きく発展したという。そういう石津さんに対して地元の人からの感謝の思いの現れであるそうな。


アニバーサリー


ハロー・キティのはとバス


 いつも日曜日には、表参道の隣の外苑前駅の室内テニス場で、童心に還ってテニスボールを追いかけている私なのだが、表参道の周辺は、表参道ヒルズとその近くの骨董品店しか行ったことがない。そういうわけで、今日もまた、表参道の交差点から表参道ヒルズに向けて歩いて行った。途中、アニバーサリーがあり、いつもの通り結婚式が行われていた。ハロー・キティのはとバスが通って、道行く女の子たちが歓声を上げるという場面があったりした。表参道ヒルズに着くと、表にディスプレイの馬車の模型があり、家族連れが代わる代わる写真を撮っていた。

表参道ヒルズの馬車の模型


表参道ヒルズのクリスマス・ツリー


表参道ヒルズのクリスマス・ツリー


 表参道ヒルズの中に入った。まだ11月の初めというのに、もうクリスマス・ツリーが飾られていた。それが青、ピンク、黄色などに染まり、とても綺麗だった。私は今年は新兵器を持っている。それは、カメラE−P3のスターライトという機能で、普通なら専用のレンズを付けるところだが、このカメラは、ボタンひとつでそれが可能となる。光が四方八方に十字形に流れて、とても美しい。

表参道ヒルズのクリスマス・ツリーのスターライト撮影


表参道ヒルズのクリスマス・ツリーのスターライト撮影


 表参道ヒルズを出て、帰る途中、新潟県のアンテナ・ショップの前で、不思議な着ぐるみ人形がいた。思わず、まじまじと見てしまった。これはひょっとして、雪国湯沢のゲレンデを開いた伝説の外国人を模したものらしい。

雪国湯沢のゲレンデを開いた伝説の外国人




(2011年11月5日記)


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