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徒然208.節電の被害と顛末

ご近所のさるすべり


 3月11日に発生した東日本大震災と大津波によって、東北地方では約2万人余りの方々が命を落としたか、あるいは未だに行方不明という多くの犠牲者が出ている。加えて何十万人という人々が、住む家が津波で流されて一時的に避難所での生活を余儀なくされた。そのほか、東京電力の福島第1原子力発電所の原子力事故によって、10万人近い方々が、その汚染された故郷を離れざるを得なくなっている。そういう人の命や生活にかかわる問題に比べれば、東京に在住する我々の生活は、まだまだ普段通りでのんびりとしたものであるから、いささか申し訳ない気がする。

 しかし、その首都圏でも、震災直後には地震による大きな影響を受けた。震災発生日は金曜日であったが、JRが一日中止まり、地下鉄も午後10時頃まで止まったことから大勢の帰宅困難者が発生し、何十万人という人が都内の公共施設に仮の宿を求めたか、あるいは頑張って歩いて遠方の自宅に帰った。中には、翌朝早くまでかかってようやく家に帰りついたという人もいたから驚く。ところが,影響はそれだけでは済まなかった。週明けの月曜日から、計画停電という頭の痛い問題が持ち上がった。大震災の影響で、原子力発電所だけでなく各地の火力発電所まで停止してしまったことから、大幅な電力不足が生じた。そのため、東京電力管内では、各地を区切って順番に計画的に停電させることとなった。これは住民の生活に大きな暗い影を落とした。台所の冷蔵庫の中の物が使えなくなったりするのはまだ良い方で、交通機関が動かなくなって出勤が出来なかったり、交差点の信号まで止まってしまったために交通事故まで起こったりした。ALSのような難病の方の家では、命綱の呼吸装置の電源に車のバッテリーまで動員したそうである。こうなると、もう命にかかわる深刻な問題となる。

 それと同時に、政府によって強力な節電の呼びかけが行われた。たとえば、地下鉄の構内は照明が落とされ、とても暗かったし、電車の本数が大きく間引かれてなかなか電車が来なかったり、ようやく来ても満員でぎゅうぎゅう詰めの状態という有り様だった。暑い季節が近づくと、電車内はもちろん駅構内の冷房が止められて汗だくで通勤したものである。私のオフィスのある建物も、もうこれ以上は出来ないというぎりぎりの限界まで節電をしていた。昼間の照明は、そのほとんどが消された。非常灯しか点いていないものだから、廊下を行き交う人と危うくぶつかりそうになることもしばしばだった。エレベーターは12台もあるのに、通勤のピーク時でもそのうちわずか3台、普通の時間帯にはたった2台しか動いていないという悲惨な状況である。だから、階段を歩いて上り下りする人も多かったが、私のオフィスのある階はずっーと上なので、私は階段を歩いて上がる気はとてもせず、忍耐強く列に並んでエレベーターを使った。

 そのままでいくと、この夏には電力需給は大きな危機を迎え、停電するのはまず間違いないということで、7月から大口需要家には電気事業法に基づいて15%の節電を求める電力使用制限令まで発動された。もちろん、公共施設や公共機関の節電が、従来にも増して強力に行われたことはいうまでもない。私がハプニングに遭遇したのは、そういうときだった。ある日私は、東京フォーラムの地下を歩き、階段を下りて有楽町に繋がる地下道に行こうとしていた。節電で辺りはとても暗い。そういう中で、具合の悪いことに、階段のステップの色が黒っぽかった。私は普段通りのつもりで、階段を下っていたのだが、暗くて最後のステップがよく見えなかった。そして、床に着くつもりで右足を繰り出したのだが、着くはずの床がなくて、足が宙に浮いてしまった。体はそのままの状態で前へ進んでしまい、つんのめって危うく倒れそうになった。ところが、よせばいいのに、その危ない姿勢を立て直そうと体が自然に動いて、その結果、右足一本で自分の体を支えてしまった。おかげで、倒れはしなかったものの、自分の体の全体重を右足の膝ひとつで支えることになってしまったのである。ああ、しまったと思ったが、もう遅い。それはそれは、痛かったが、骨が折れたわけではなさそうだし、別にプチッという音もしなかったから、腱を痛めたわけでもないことはわかった。しかし、どうやら膝の関節を痛めたらしい。ここには膝軟骨と半月板があるから痛めたら厄介である上、今のところ抜本的治療法もない部位である。

 なぜそんなことを知っているかというと、私と同じ年の友人が、スポーツ性の膝関節症にかかって、良い医者を紹介してくれと言われたからである。それで、娘が医者をしている病院に頼み、そこの専門医のところに行ってもらった。紹介する前、その人に、だいたい、なぜそんな病気になったのかと聞いたところ、トライアスロンへの出場を目指して毎日、10キロメートルのマラソンをノルマにしているという。思わず、「そんなバカなこと、すぐに止めたらどう? だいたい膝軟骨と半月板は消耗品なのだから、その年齢でそんなに酷使してはいけないでしょ。年寄りの冷や水だ」というと、「トライアスロンとマラソンは唯一の趣味なのだから、余計なこと言わないでくれ」などと、少々ご立腹だった。まあこの「年寄りの冷や水」にカチンと来たのかもしれない。ところがその人、私の紹介した病院の専門医の診察を受けたところ、まったく同じことを言われたらしい。つまり、「この部分は、体の再生機能が及ばないので、酷使して擦り減ったらそのままとなる。そして、やがては大腿骨と脛骨とがクッションなしに直接接触するようになって、痛くてたまらなくなる。今はそういう状態だが、最終的には歩けなくなるぞ」と脅かされたというのである。その人、診察を受けた後、メールを寄越してやっぱり、私の言う通りだったと謝ってきた。

 そういうわけなのだが、治療法もなかったこの病気に、最近ようやく曙光がさしてきた。それは、近頃はやりの再生医療の一環として行われている研究である。広島大学あたりでやっているもので、患者の膝に注射器を入れて、軟骨へ未分化の細胞を採る。それを体の外で培養し、詳しくは忘れたが、その数を何千倍・何万倍にも増やして再び患部の膝関節へ注入する。そうすると、体の中でそれらが膝軟骨へと分化して、再生するというものである。もともと自分の体の細胞だから、拒絶反応はない。すでに何人かに試してみたところ、いずれも効果があった。今は、どれくらいに増やして培養すれば最も適当かということを研究しているみたいだ。まあ、この治療法が広がれば、年をとっても、膝軟骨と半月板がすり減って歩けなくなるという、そういう症状が現れたご老人や先ほどのの私の友人のような人が救われるわけだ。

 ということで、話が戻るが、その節電のせいで膝の関節付近に軽い怪我をしたとき、私は一瞬、どうしようかと考えた。その後、おそるおそる歩いてみると、それほど痛くないし、ちゃんと歩ける。ところが、階段にさしかかると、とても痛くなる。これは、やはり膝軟骨あたりが損傷したのだろうと思った。まあ、病院に行くほどではなさそうだが、痛くなるような歩き方はせずに、自然治癒を待とうと考えたのである。つまり、水平方向にゆっくりと歩くだけにして、階段の上り下りは、なるべく避けようということにした。その怪我をした週末には、いつも通りテニスに行ったが、膝に負担のかかるスマッシュやサーブ・アンド・ボレーなどはやめて、ベース・ライン付近で打ち合う展開に持ち込むようにした。その一方、道を行くときには水平にゆっくり歩き、階段にさしかかるとエスカレーターがあれば乗り、なければエレベーターを探して乗った。

 ところが、折悪しく強力な節電の季節である。ほとんどのエスカレーターは止まってしまっている。エレベーターはかろうじて動いてるが、駅に設置してあるエレベーターの中には、プラットホームのずっと端のところにあるものが多い。そんなときは、駅の端から端まで歩かされる仕儀となる。なるほど、これは高齢者や身障者の方はとても大変だと、身をもってわかった。それでも怪我をした私の右膝は、階段を上がるよりはホームの端まで歩いて行って、エレベーターを使った方がはるかに楽なので、なるべくそうした。やむなく階段を使うときには、必ず手すりを使って右膝に負担がかからないように登り下りをした。普段は膝の痛みなど全然なかったから、そういうことは全く気にしないでスタスタと歩いていた。わずか一瞬のことで怪我をし、その結果これほどまでに影響を受けるなんて、思いつきもしなかった。怪我をするというのは、本当に恐ろしいことだとつくづく感じた次第である。身障者の方は、常々こんなしんどい思いをされているのかと、身をもってようやくわかった。

 右膝をいたわりつつ、そんな生活を約一月半ほど続けて、幸いなことに痛みを全く感じないくらいに回復した。私の体には、まだ修復力が残っていたようで、嬉しい限りである。ところがそれはよかったものの、副作用があった。この間、いつもなら毎日やっていた散歩をさぼった一方で、食べるものは何の加減も工夫もせずに普通に食べていたせいだと思うが、体重が2キロも増えてしまったのである・・・これは困った。これからすぐに、食欲の秋が到来するではないか・・・しかし、どうやっても食事の量は減らせそうもない。だから、大幅ダイエットを試みるなどという無理なことはせず、いつもより少しだけ多いくらいのペースで、大股で歩く散歩を毎日しようと思っている。


ご近所のさるすべり




(2011年 9月 4日記)


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