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徒然207.徒然なるままに

半蔵門駅で見かけた水槽


 iPhoneのアプリとして、角川書店が徒然草を出していたので、それをダウンロードし、暇なときに読み始めた。半世紀ぶりに兼好法師と向き合うことになる。幸いなことにまだ半分くらいはうっすらと覚えている懐かしい文章ばかりだ。若い頃に覚えるというのは、それこそ一生の財産になるようだ。およその意味もすんなり頭の片隅に浮かんでくるから、何が書かれているか、かなりわかる。どんどんと読み進んでいった。私もそれなりに人生経験を積んできているから、兼好法師の心境が良くわかるようになってきたのかもしれない。たとえば、その始まりの序段には、次のように書かれている

 つれづれなるままに日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ。

 いやこれは私がパソコンに向かうときの心境と同じだと悟った。学生のときには、硯に向かって文章を書いただけで、どうして心が千々に乱れて気が狂いそうなほどになるのかさっぱり理解できなかった。しかし、確かに今は、パソコンのキーボードに思いついた文章を打ち込んでいくと、ああでもない、こうでもない、そういえばこんなことがあったなと、まさに心がキーボードの上を千々に彷徨っている感じがする。これは、要するに歳をとるにつれて色んなエピソードが次々に頭の中に積み重なってきて、それをどう処理しようかと私の頭がオーバーヒートしているときの、その様子なのである。まあ長く生きてきて、良くも悪くも種々雑多な知識が溜まってきているから、その蓄積がなせる業なのだろう。

 最近は、やはり亡くなった父のことがよく思い出される。父も意外とマメな人だったので、たとえば20冊近い沢山のアルバムに、昔からの写真が整理してある。ただ、昔風のアルバムなので、一冊がとても重い。写真だと色が褪せるし、後々まで残るかどうかもわからない。今度帰ったときに、これらをすべてデジタル化してみようと思っている。仏壇でチーンとするより、故人を偲ぶという意味では、はるかに良いと思うが、どうであろうか。

 ついでに言えば、もし私が亡くなったとき、あんな田舎の墓に葬られたりすると、私の世代の人はともかくとして、それを過ぎると誰も墓参りなどに来てくれるはずもないことは目に見えている。それくらいなら、東京の真ん中のロッカー式のお墓で、ボタンを押せば黒い御影石の自前のお墓がガガガーッと出てくるという方がよほどいいではないかと家内に言うと「そうですかねぇ」と、あまり賛成の様子ではなかった。まあ、先の話だから、いずれ息子に決めてもらおう。

 それより、私もせっかく、パソコンとインターネットに習熟しているのだから、私のホームページ「悠々人生」のお墓版というのは、どうだろうか。ただまあ、死んでしまえば、ホームページの更新などはできないのだから、同じ画面だとすぐに飽きられる。だから、開くたびに、出てくる文章や画面をランダムに変えるように作っておくのである。数百パターンを用意しておくと、まるで私が生きていて更新しているように見えるところがミソである。しかし考えてみると、死んだ人のホームページなど、身内以外は誰も訪れないかもしれない・・・まあそれでも良いか・・・少なくとも孫がそれなりの年になって見てくれるのであれば・・・。

 ついつい道草を食ったが、再び徒然草に戻ろう。第三十段に、「人の亡き跡ばかり、悲しきはなし」と題して、こんな文章があった。

 中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく、狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我賢げに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞなど言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

 ああ、これこれ、これはまさに、私が葬儀で親類から言われたことと全く同じだ。「中陰」というのは、今の四十九日のことであるから、兼好法師の頃から既に今のような風習があったのかということにまず驚く。それだけではない。心無い無神経な親類の言動もそっくり同じなのである。兼好法師は、人が亡くなって四十九日の間、山の中の狭苦しい所に親類縁者などが集まって冥福を祈る法事を行っているとき、まあ物知りぶって「あれはいけない、これも忌み嫌われることだ」などと悲しい気持ちでいる遺族の心中も全く忖度せずに、その気持ちを逆なでするようなことを平気で口にする無神経な輩がいるというようなことを言っている。昔からそんな連中がいたのだ・・・人間社会というのは、全く変わらないものである。

 兼好法師は、どうも山奥のその小さな庵で静かにあれこれ思いを馳せるというのを好むらしいが、私はまだそんな心境ではなく、今日も散歩を兼ねて、ちょっと出かけてきた。何しろ外は真夏の摂氏35度という暑さなので、すべて地下から行くことにして、千代田線から半蔵門線に乗り換えて、日本橋まで行ってみた。すると、三越前駅の改札口付近で、冒頭の写真にあるような水槽を見つけた。その中には、朝顔という意表を突いた水中デコレーションに、オレンジ色のグッピーが涼しげに泳いでいる。思わずしばらく見とれてしまった。


三越の入り口の暖簾


 それから、三越の前を通りかかったら、「越」の字を丸く囲んだ三越のマークがついた暖簾がかかっっているではないか。そこを家族連れがしずしずと入っていく。ああ、なるほど、300年ほど時を飛び越えて、どことなく江戸の情緒が感じられる。それを左手に見ながら、コレド室町に向かった。ここは、オープンしてまだ10ヵ月の新しい建物で、三井不動産が力を入れている室町地区開発の中心となるところである。まず入ると、金沢の金箔専門店『箔座』というお店があって、金箔入りのお酒、金箔をまぶしたお菓子の金つばや銀つばなど、伝統の金箔を今に活かした製品ばかりで面白い。お店の中央に、金箔を1万数千枚使ったという大きな筒のようなオブジェがあり、茶室に入るような小さな入り口をくぐってその中の椅子に座らせてもらうと、何だか妙な気がする。店の中に、加賀藩以来の伝統的な金箔作りの金槌と、何枚もの紙に挟んだ金の薄板が置かれていて、なかなか興味深い。そういえば昔、金沢を訪ねたときに安江金箔工芸という会社を訪れて、こういうものを見学させてもらったことを思い出した。

金箔専門店の箔座の金箔の筒


 さて、その金箔尽くしのお店を出て、建物の2階へと上がっていった。ここにたくさんのレストランがあったはずだ。すると、四川飯店というのが目に入った。「中華の鉄人・陳建一氏の店であり、日本の四川料理発祥の地でもある『四川飯店』の新店舗。陳建民から受け継いだ伝統的な四川料理に加え、陳建一・建太郎親子が・・・」とある。そしてテレビでおなじみのあの顔がドーンと出ている。総じて、テレビで取り上げられたような店は味が崩れていたり、客あしらいがひどく悪かったりして、そのうちつぶれるものだ。しかしちょうどそのときは、暑さのためにたまたま辛い物が食べたくなっていたときだから、あまりよく考えずにそこに入った。

飲茶ランチの飲茶。ボリュームが全く足りないが、一応それなりの味がする。


 飲茶ランチ1800円というものを注文した。最初に出てきた飲茶は、本場物に比べればボリュームが3分の1ほどのかわいいものだったが、デリケートな味がし、まあまあ美味しくて、これは及第点だった。ところがその次のメインで、評価が分かれた。私が頼んだ担担麺は、こってりとして味が良く、私はこれも美味しいと思った。まあ、ここの得意料理なのだろう。ところがどうしたことか、家内の頼んだ炒飯は、ひどかった。外見や具材は一応のものだったけれど、味が淡泊すぎて、胡椒を入れ忘れているのではないかと思うほど不味くて、これは明らかに落第点だった。こんなものより、ウチの近くの中華料理店の650円の炒飯の方が、はるかにマシというものである。やはり、名前に惹かれてはいけないという見本のようなものだと反省した。

飲茶ランチの担々麺。これは美味しい。


飲茶ランチの炒飯。美味しくない


 そこを出て、コレド室町の中をあちらこちらと歩き回った。面白かったのは、ロシア料理店があって、その前にマトリューシカ人形が飾ってあったことである。この人形、その昔、モスクワの赤の広場を訪れたときに、その脇の土産物店でこれがたくさん売られていた。ロシア女性はやがてはあのドーンとした偉大な体躯となるが、これはそうなるの前の可愛いロシア娘の顔と体が描かれている。それだけでなく、開けてみるとたくさんの人形が入れ子となって入っていて、思わず買い求めてしまった。しかし、ここコレド室町のロシア料理店の人形は、とても大きくて立派である。これに比べれば、私が買ったものなどはよほど小さくて、いささか恥ずかしいとすら感ずる。しかし、旅の土産物というものは、そんなものだ。だいたい、大きな人形を買っても、トランクに入れて持ち歩くのは一苦労である。かくして、我が家には世界各地のマメ人形ばかりが溜まっていくという寸法だ・・・。しかし、いずれも小さいながら、旅の思い出がぎっしりと詰まっているのである。少し暇になったら、ひとつひとつの思い出を書き出しておくのも良いかもしれない。でも、それこそ「あやしうこそものぐるほしけれ」になったりして・・・。

マトリューシカ人形




(2011年 8月14日記)


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