桜の季節 2018年

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   目 次

  1.皇居濠周辺
  2.六義園(昼)
  3.六義園(夜)
  4.国立劇場前
  5.横浜三渓園
  6.小田原城址
  7.千鳥ヶ淵で
  8.飛鳥山公園
  9.愛宕神社で
  10.新宿御苑で



1.皇居濠周辺


皇居濠周辺


皇居濠周辺


 また今年も、春の訪れとともに、桜の季節が巡ってきた。長く寒い冬を抜けて、心も浮き立つ季節である。私の車通勤の途中でまず桜の開花に気がつくのは、皇居の大手門の大手濠沿いにある枝垂れ桜である。染井吉野の桜より、約1週間ほど早く咲き始める。大手門の左右にはそれぞれ4本ずつの枝垂れ桜がある。中でも向かって左手には花が白っぽい大振りの枝垂れ桜の木があって、実に見応えがある。その反対の右手には花に紅をさしたような紅(べに)枝垂れ桜が並んでいて、いずれも小ぶりではあるものの、この数年の間に大きくなって、これも見映えがするようになった。そうすると東京駅も近いので、外国人観光客も多く集まってきて大混雑な上に、そこに皇居周辺を走るランナーがどんどん走ってきて、いささか危ない状況になっている。いつか事故が起きないかと心配であるが、警官やガードマンが配置される気配もない。

皇居濠周辺


皇居濠周辺


 私と家内は、先ずは早めの時間に桜見物をしようと、この大手門の枝垂れ桜を目指した。ところが、もう既に大勢の人が桜見物に集まっていた。その人たちとランナーが交錯しそうになっていたので、早々にその場を離れて、消防庁前の交差点に向かった。皇居のお濠を「小回り」で歩こうという算段である。これは、気象庁前を通り、竹橋で左手に曲がり、東京国立近代美術館を過ぎて千鳥ヶ淵南端の交差点までショートカットで行くルートだ。途中、早咲きなのでおそらく山桜であろうが、白っぽい花を付けて既に満開の桜の木が続く。 道に並行する土手の上に行けば全体を見渡せるが、先を急ぐし、靴も汚れるからとやめにする。

皇居濠周辺


皇居濠周辺


 千鳥ヶ淵交差点に着いて、対角線上にある小さな公園に向けて歩いていった。確かこの公園の一角には綺麗な紫木蓮があったはずだと記憶していたからだ。例年は、染井吉野の桜が満開の時にこの紫木蓮をついでに見るから、もはやその時には盛りを過ぎて花が萎れ始めて見る影もない。さて、今年は早めに来たのでどうだろうかと期待する。あった、あった・・・紫木蓮は、真っ盛りである。暫し惚れ惚れと眺めて、写真を撮る。とても良い写真になった。その後、英国大使館前を通ったが、染井吉野の桜はまだ一分咲きといったところである。その次の週に、気温がぐんぐんと上がり、最高気温が23度から25度となったので、撮り直しに行った。大使館前の染井吉野は満開で、またとない綺麗な構図である。夢中になって写真を撮っていたら、立札があり、そこには「この桜の原形は、維新の頃に活躍したアーネスト・サトウ公使が東京市に寄贈したもの」と書かれていた。


(平成30年3月21日)


2.六義園(昼)


六義園(昼)


六義園(昼)


 17世紀末、時の5代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が、綱吉から駒込に土地を賜り、その地に下屋敷を造った。そこに庭園を造営し、詩経の六義にちなんで「六義園」と名付けて、それが、今日に至っているわけである。幸いなことに私の自宅近くなので、特に春と秋にはよく通っている。秋はもちろん、紅葉を見に行くのであるが、春は一点豪華な「六義園枝垂れ桜」を鑑賞に行くのを常とする。この枝垂れ桜は樹齢がおそらく60年くらいで、十分に「老木」の域に達している。実は私より少し若いので、老木などど言われるのはどうかと思うところだけれども、しかし桜としては、年々大きくなり、しかもますます美しさを増していくのが小憎らしいところである。

六義園(昼)


六義園(昼)


 この日も、朝8時45分頃に正門前に行くと、開園時間前ではあるが、この季節に限って早く入れてくれた。そこで枝垂れ桜前に行くと、正規の開園時間の9時になるまでその周囲に誰も近付けさせないで、専ら撮影タイムとなる。折からの晴天で真っ青な空の下、昇ったばかりの太陽の光を浴びて燦々と輝くピンク色の花弁が、四方八方に伸びやかに広がっている。大袈裟かもしれないが、正に神々しいばかりの桜の木である。それを正面から撮ったり、左右から撮ったりと、散々好きな方向から撮影していたら9時となって、花に近付いてよい時間となった。すると、あっという間に人の輪が縮まって、花の接写が始まった。私もその一人となり、近付いて枝垂れ桜を下から上に見上げると、青空一面にピンク色の花が広がって、まあその見事なことと言ったらない。今年も、来て良かった、いや元気で見られて幸せだと思った瞬間である。

六義園(昼)


六義園(昼)


六義園(昼)





(平成30年3月24日)


3.六義園(夜)


六義園(夜)


六義園(夜)


 六義園の枝垂れ桜のライトアップがあることは知っていたが、これまで行ったことはなかったので、今回初めて行ってみることにした。夜だが三脚は使えないので、あの細かい桜の花びらについて、手ブレが少ない写真をどれだけ撮れるかが問題である。私のカメラ、キヤノンEOS70Dには「手持ち夜景モード」というのがあって、1回の撮影で4枚の写真を連射で撮ってそれを自動的に合成してくれるので、それに賭けるしかない。

六義園(夜)


六義園(夜)


 ということで、六義園には午後6時過ぎに着いた。年間パスポートを示して足早に入って行くと、おおこれは凄い。暗い夜空に白い枝垂れ桜が大きく広がっている。夜だから、桜の前に人が立っていても気にならない。カメラの手持ち夜景モードでバシャバシャ撮る。何とか撮れているようだ。左手に回ると、正面からのような左右対象ではなくて、左側の花の壁の傾斜が急で、右側の傾斜が緩やかという、また趣きを異にする形となる。右手から撮ると、私の背中の方にある別の桜の木の花びらが上から垂れ下がっている不思議な構図となる。再び正面に戻って枝垂れ桜の花びらを見上げていると、ちょうど月が桜越しに見える。ただ、これを両方とも写すのは至難の技だが、ともあれトライしてみたのが、下の写真である。

六義園(夜)


六義園(夜)


 それから、せっかく来たので、更に園内に入ってみた。池の正面の対岸がライトアップされている。更に進むと、池の奥の小島の方から水蒸気のようなものが流れて来て、対岸にある吹上茶屋の方面へと動いている。人工的なもののような気がしないでもないが、何だろうと、訝しく思う。その吹上茶屋まで行って、引き返してきた。

六義園(夜)





(平成30年3月22日)


4.国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 皇居半蔵門の近くにある 国立劇場には、様々な種類の美しい桜の木々が植えられている。向かって左側に「小松乙女」、真ん中左手に「駿河桜」、同じく真ん中右手に「仙台屋」、一番右側に「神代曙」という具合である。中でも小松乙女の花は、やや小ぶりではあるが、花が集まってクラスターを形成するので、実に華やかだ。神代曙は、染井吉野よりもピンク色が濃くて、本当に美しい。花々を見れば見るほど、まるで花の精に引き込まれるような気がする。いずれも染井吉野とは別種で、小松乙女と神代曙は1週間ほど早く咲く。私がこれらの桜に注目しているのは、これらが次世代の桜の標準木となるからである。

国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 日本の桜で種から生える「実生(みしょう)」は、山桜、彼岸桜、大島桜だけで、他の桜はいずれも接ぎ木で育つ。一番普及している染井吉野は、元々は江戸の染井村で人工的に作り出された接ぎ木の桜で、戦前は国威発揚のためもあって、全国各地の神社、連隊本部などに植えられて日本中に広まった。いま残っている桜の古木は、その頃のものである。ところが、実生の場合は神代桜や三春の滝桜のように大切に管理されていれば何百年でも持つが、雑種第1代の接ぎ木の桜は、植えられてから百年も経つと、樹勢が衰えてくる。私が小さい頃に見た染井吉野は、ピンク色がもっと濃くて、花に勢いがあったと記憶しているが、いまの染井吉野は、そうでもない。しかも古木になると、幹の中は空洞化していたり、てんぐ巣病という病気に罹りやすい。だから、倒木のおそれありということで、早晩伐採される運命にある。

国立劇場前


国立劇場前


国立劇場前


 問題はその後で、再び染井吉野を植えると、一見すれば若木なのだけれども、実は100歳近くの年をとっている状態である。そこで、染井吉野の代わりに植えられつつあるのが、神代曙と小松乙女なのである。いずれも、桜の病気には強いとされている。中でも神代曙は、アメリカにポトマック川沿いに贈られた染井吉野が、現地の桜と交雑して里帰りした曙という桜が起源で、それが神代植物園で大切に育てられて、新品種の神代曙になったという。その経緯からも、正に今風である。これから、日本全国に広がっていくのを期待したい。


(写真一覧表中の画像1から37までが平成30年3月24日、38以下が同月26日)


5.横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 横浜の本牧にある三溪園は、「生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(同HPより)」とされる。原三渓は、大変な文人であり絵画骨董の目利きであった。しかもそれだけでなく、古今の建築物にも造詣が深かったようで、重要文化財10棟をはじめとして各地から貴重な社寺、茶室などの建物を収集して、それらを実に見事に配置している。例えば、園内に入った瞬間に目に入る大池と、その向こうの丘の上に立つ旧燈明寺五重塔の取り合わせは、誠に素晴らしい。私は昔、奈良の山中で室生寺の五重塔を初めて観たときに感激したものだが、こちらの場合もそれと同じような感激を味わった。それから、内苑の臨春閣からその前の池越しに再びこの五重塔を眺めることができるが、これも絶景と言ってよい。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 臨春閣は桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構だとか、いやいや紀州徳川家の別荘であった巌出御殿だとか言われるし、その近くの聴秋閣は徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物だし、月華殿は徳川家康が京都伏見城内に建てたものだし、天授院は建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂であるというし、鎌倉の東慶寺にあった仏殿もあった。ともかくそんな重要文化財ばかりなのである。そういえば、飛弾三長者の1人の合掌造りの建物、旧矢箆原家住宅もあった。貴重な歴史的建物を保存するという意味では、まるで愛知県の「明治村」のようなものである。明治村はその名の通り明治時代の遺構を収集保存しているが、この三渓園は、平安、鎌倉、室町、織豊、江戸と、様々な時代にわたっていて、それを一個人が成し遂げたという意味では、素晴らしい。もっとも、原三渓は関東大震災が起こってからというもの、その復興のためにこの事業を中断してというから、これまた偉いものだと思う。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


 せっかく来たのだからと、汗をかきつつ丘の上の旧燈明寺五重塔を目指して登り、そこからは遠く横浜市内を眺めることが出来た。降りてきたところに旧燈明寺本堂があったが、実はその前の何の変哲もない桜の木が、岐阜県根尾村の淡墨桜の種子から育てた苗木を植えたものだそうだ。更に行くと、その辺りからようやく染井吉野の桜が大きく枝を伸ばしていて、桜の季節らしくなっていた。

横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園


横浜三渓園





(平成30年3月25日)


6.小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 小田原城に、家内とお花見に行ってきた。私は東京に住んで45年になるが、東京にほど近い小田原は、箱根に行く途中の玄関口という程度の認識だった。それでも、一度だけだが、乗り換えのついでに余った時間を利用して、小田原城を見に行ったことがある。お城そのものの記憶よりも、やたらと蒲鉾屋が多い街だなという印象と、この地が発祥の「ういろう」薬局を見に行ったことを覚えている。

小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 ご存知の通り小田原城は、戦国時代には北条早雲を始祖とする北条家5代が統治した際の拠点であったが、天正18年の秀吉の小田原攻めによって北条家は滅亡した。その後のことは、案外知られていない。私も今回、小田原城の公式HPを読んで初めて学んだのだけれども、要はこういうことらしい。徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となったものの直ぐに改易され、その跡を継いだのが、あの春日局の一族である稲葉氏だそうだ。ところが、貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となって、幕末に至った。それからは小田原城に苦難の時代が続く。明治3年に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物が解体されたそうな。後に、城内は県庁やその県支庁の所在地となり、明治34年には、御用邸が建てられた。しかし、大正12年の関東大震災で、御用邸はもちろん石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。その後、隅櫓、天守閣、常盤木門、銅門(はがねもん)、馬出門と、順に再建されて、今日に至っている。

小田原城址


小田原城址


小田原城址


小田原城址


 小田原駅を降りて、小田原城に向かう。近道をしようかと思ったが、こういう場合は正面から行って写真を撮るのが王道だろうと、南口の正門の方に回りこんだ。お堀端通りの歩道は、もう満開の桜に覆われている。手前に桜、お堀の水の向こうには赤く塗られた「学橋」が見えて、素晴らしい眺めだ。そこでまずは何枚かの写真を撮る。その向こうの「隅櫓」と桜の組み合わせも良い。お堀に沿って更に歩いて正門から入り、「馬出門」→「住吉橋」→「銅門」→「常盤木門」→「天守閣」の順に移動して、桜の木を写していった。桜と天守閣の組み合わせは、正に絵になる。天守閣に登って周囲を眺めると伊豆半島が目の前に横たわるなど絶景そのものである。その他の遠景は、花曇りのためによく見えなかったものの、大山、大島などの方向を確認することができた。


(平成30年3月31日)


7.千鳥ヶ淵で


小田原城址


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 また今年も、千鳥ヶ淵緑道の桜を観に行った。3月の平日の早朝だから、どこかの大学が武道館で卒業式を開催している。女学生が明治時代のような紺色の袴をはいて、歩いている。なかなか似合っている。ところで、私がお花見の名所10箇所を挙げよと言われれば、真っ先に挙げたいのが、この千鳥ヶ淵の染井吉野である。 ちなみに第2位は秋田の角館の武家屋敷地区にある枝垂れ桜、 第3位は井の頭公園の染井吉野、 第4位は三春の滝桜、 第5位は池上本門寺の染井吉野、 第6位は京都平安神宮の庭園にある枝垂れ桜、 第7位は奈良の長谷寺の染井吉野、 第8位は六義園の枝垂れ桜、 第9位は新宿御苑の八重桜、 第10位が弘前城公園の染井吉野と枝垂れ桜である。それぞれに、思い出がある。東京では、目黒川沿いの染井吉野の並木が近年かなりの人気となっている。確かに都会の真ん中であれほどの桜のトンネルを味わう所はそうそうないというのは事実ではある。でも、川の両岸が垂直のコンクリートの壁で固められているので、風情というものがないのが、画竜点睛に欠けるところである。

千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 ところで、この千鳥ヶ淵の桜の何が良いかというと、まずはお濠沿いの道の頭上に染井吉野の並木が立ち並ぶ。ここまではありきたりの風景であるが、それに並行してお濠ギリギリのところにも染井吉野の並木があって、それらの桜がお濠に対してグーンと張り出している。それだけでなく、対岸の皇居側の方にも桜の木があるから、お濠を両岸から桜で覆うようになっていることだ。その桜の雲の下を、のんびりとボートが行き交う。しかもこれらの風景を十分に堪能したところに展望台がある。その真下が貸しボート乗り場というわけだ。そこからたった今歩いて来た方向を振り返ると、まるで四角いキャンバスを2本の対角線で4つに分割したような情景で、上の逆三角形は青い空、下の三角形はグリーン色のお濠の水面、両脇の2つの相対する三角形は桜の雲である。もう、絶景としか言いようがない。これを観て感激しない人はいないだろう。

千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


千鳥ヶ淵で


 なお、午前中は、対岸の皇居側の桜に対して逆光になるので、写真を撮るのであれば、午後早くの方が順光になって具合が良いと思う。夜にはライトアップされるが、その頃には押し合いへし合いの満員電車状態になるので、ゆっくり写真を撮るというわけにはいかないから、私はまだ夜には訪れたことがない。もっとも、昔のカメラだと手ブレがひどくて夜の桜を撮るなど論外であったが、今のカメラで今年、六義園の夜桜を撮ってみたら、まあまあの写真が撮れたから、案外それなりの写真が撮れるかもしれないと思っている。


(平成30年3月26日)


8.飛鳥山公園


飛鳥山公園


飛鳥山公園


 北区の飛鳥山公園に行って、染井吉野の桜を見てきた。王子駅を降りてすぐ目の前に飛鳥山がある。この地の桜は、享保年間に8代将軍の徳川吉宗が、江戸庶民の行楽の場として整備したのが始まりという。享保の改革で日常生活を厳しく取り締まる一方で、憩いの場を設けようといった飴と鞭の政策だったのだろう。

飛鳥山公園


 さて、私が行った時はまだ午前中だったが、桜という桜の木の下にはブルーシートが敷かれて、若者がその番をしている。中にはそういう人同士で一杯やっている微笑ましい風景もあって、完全なるお花見モードだ。江戸の昔から変わらないらしい。地元の北区が付けたぼんぼりが、桜の花の間を通って風に揺れている。なるほど、これは小上野公園といったところだ。それにしても、肝心の桜はまだ三分咲きといったところだから、桜の下で宴会を開いても、気分が盛り上がらないかもしれない。


(平成30年3月25日)


9.愛宕神社で


飛鳥山公園


飛鳥山公園


飛鳥山公園


 標高26メートルの愛宕山の頂上にある愛宕神社は、出世の階段などのエピソードに事欠かないし、何よりも桜の季節には池の鯉と周囲の桜が素晴らしく調和していて、私の好きな花見の場所である。以前の私のオフィスから近かったが、その後、職場が変わって少し遠くなった。でも、今年こそは是非とも再訪したいと思っていたので、早朝に立ち寄ってみることにした。記録をたどれば、直近は2010年4月2012年4月に訪れたことがあるので、今回は6年ぶりということになる。

愛宕神社で


愛宕神社で


 愛宕神社の正面の出世の階段からではなく、地下鉄日比谷線の神谷町駅で降りて裏手から登ることにした。愛宕山に近づくと、満開の桜の花に囲まれた「愛宕隧道」つまりトンネルがある。その向こうの出口にも、桜の花が見える。今日はそのトンネルをくぐらずに、左手前の階段をひたすら登って行く。途中、降りてくる2人とすれ違った。そして登り切って出たところがNHK放送博物館前の広場である。白い染井吉野と、赤っぽい別種の桜とが並んで咲いており、まるで紅梅と白梅のようである。その反対側には染井吉野がびっしりと咲いているのだが、今年は登り道の補修工事が行われていて、工事車両が駐車していたり、工事機材が置かれているので、どうも落ち着かない。何もこんなお花見シーズン真っ盛りにわざわざ工事をしなくともと思うのであるが、そういえば年度末だからであろうか。

愛宕神社で


愛宕神社で


愛宕神社で


 さて、その博物館前の広場から愛宕神社の方を見たところ、これは驚いた。染井吉野の満開の桜越しに、大きな高層ビルが見えたからだ。その特徴がある形からして、虎ノ門ヒルズである。6年前は影も形もなかった。そういえば、虎ノ門地区は国際金融地区を目指しているらしいから、今後ともますます発展して行くだろう。

愛宕神社で


愛宕神社で


愛宕神社で


 愛宕神社の境内に入り、本殿にお参りし、池の方に行って緋鯉を眺めて周囲にある桜の木を観賞するのがいつものパターンだったが、鯉も桜も、昔と比べて相当、数が減ってしまっている。いささか寂しい限りだ。昔は池に近付くと、餌を貰えると思った沢山の緋鯉たちが折り重なるようにやって来て、それぞれが大きな口を開けて「ジョボジョボ、パクパク」という音を立ててうるさいほどだった。あの頃は人間だけでなく、鯉も活気があったなぁと思う。しかも、以前は池の中にボートが浮かんでいて、それがややシュールな雰囲気をもたらしていたが、そういうものが一切なくなっていた。全体に愛想がなくなったというか、何というか、最近の世相そのものだ。

 さて、出世の階段を上から覗いて、改めて勾配が急だなと思ったら、降りる気がなくなった。そこで、放送博物館の方にあるエレベーターで地上に降り立った。そこから出世の階段まで歩いて行ったところ、おや、昔は焦げ茶だった鳥居が、赤く綺麗に塗られている。それに、「出世の階段」の看板が、より小ざっぱりしたものになっている。しかもその裏には、「出世の階段のいわれ」と題して、こういう記述があった。講談調だから、面白い。

愛宕神社正面の石段『男坂』(となりの緩やかな石段は『女坂』)は別名『出世の階段』と呼ばれ、その由来は講談で有名な『寛永三馬術』の一人、曲垣平九郎の故事にちなみます。

 時は寛永十一年

 三代将軍 徳川家光公が 芝 増上寺ご参詣の帰り道 神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて『誰か騎馬にてあの梅を取って参れ』と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても・・・と家臣たちは下を向くばかり。

 誰一人 名乗り出る者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時、一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を登り始めました。

 『あの者は誰じゃ?』と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き、愛宕様に『国家安泰』『 武運長久』を祈り、海の枝を手折って降りてきました。

 早速 家光公にその梅を献上すると『そちの名は?』『四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます』『この太平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ、日本一の馬術の名人である』と褒め讃えられました。

 一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世した故事にちなみ、『出世の階段』と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰をいただいております。
」なるほど、実に、良い話である。


(平成30年3月27日)


10.新宿御苑で

関山(カンザン)>



 桜のシーズンの最後を締めくくるのが、新宿御苑の八重桜である。毎年、千鳥ヶ淵の染井吉野とともに、この八重桜を必ず観に行くことにしている。特に、「関山(カンザン)」は桜の花が八重であるばかりか、それがこんもりとした花束のようなクラスターを作っていて、その下に入るとすごい。とりわけ桜のピンク色は、青い空の下で見上げながら観ると、ますます引き立つ。だから行くのは、晴天の日に限るというわけだ。加えて、新宿御苑らしいと思うのは、代々木のドコモタワーが見えることだ。どの場所にあっても見え、建築された当初は公園の雰囲気を損ねていると思っていたが、歳月を経て次第に景色に馴染んでくると、方向が直ぐに分かるし、写真のアクセントになってなかなか便利である。

新宿御苑



 地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅は、新宿門と大木戸門につながっているが、どちらに行くにも5分程度と、ほぼ同じ時間がかかる。新宿門に行くには、いったん道を渡って新宿御苑の中を外周に沿って歩いて行くとよい。そうでなくて道路を渡らずに歩いて行って新宿門に行こうとすると、新宿門を通り過ぎてずーっと向こうの信号まで行って道を渡り、また戻って来なければならない。だから私は、ついつい大木戸門の方に行って、そこから入ることが多い。

新宿御苑「関山」


新宿御苑


新宿御苑



 この日も大木戸門から入り、温室の脇を抜けて行くと、白い八重桜がある。「一葉(イチヨウ)」だ。その横のピンク色の「陽光(ヨウコウ)」とともに、紅白の形を成しているが、他の大きな桜の木と比べれば、まだまだ小さい。でも、その広がった枝の中に入って外を見れば、なかなか面白い。風景が一風変わって見える。

新宿御苑「関山」


新宿御苑「関山」


新宿御苑「御衣黄」



 イギリス庭園、といっても広大な芝生が広がっているだけだが、その芝生の向こう側に大きなピンク色の八重桜の木がある。あれこそ「関山」だ。それにしても、実に大きいし、その形もなだらかな富士山のようで非常に美しい。それが重たそうに満開の八重桜の花を付けている。惚れ惚れとしてしばし眺めていた。これを観ただけでも、本日わざわざ来た甲斐があったというものだ。その近くに「普賢象(フゲンゾウ)」という白い八重桜があり、また「御衣黄(ギョイコウ)」という緑がかった八重桜がある。この「御衣黄」は、まさに変わり種で、花の中心は赤っぽい色をしているが、どういうわけか花びらになると、薄緑色になる。桜といえばピンク色というのが日本人の常識であるだけに、不思議な魅力ある花である。

新宿御苑


新宿御苑


新宿御苑



 日本庭園の「中の池」と「下の池」の間の橋を渡る。下の池には、ピンク色が濃い八重紅枝垂れ桜が咲いていて、水面に映ってこれまた実に美しい。中の池の向こう岸には「修善寺寒桜」だと思うが、やはり濃いピンク色の桜があって、同じように湖面に映る姿は神々しいばかりである。その付近にある染井吉野はもう葉桜となっていて、日光越しに見える若葉が綺麗だ。「躑躅山」というところには、その名の通り丸く刈り込まれた躑躅の木が赤や紫色の花を一面に付けている。今が見頃らしい。

新宿御苑


新宿御苑



 八重桜の花を充分に堪能したので、三角花壇を経由して新宿門の方へ向かう。実は、この近くの「母と子の森」に向かう道の入り口手前に、「ハンカチの木」がある。ミズキ科の落葉高木で、中国の四川省・雲南省付近が原産地だそうで、その紹介者の名前をとって「ダビディア」と呼ばれる。花に上下の白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がっている様は、まさにハンカチそのものだ。咲き始めの花は緑色っぽいが、この日はかなり日が経っていると見えて、花の色は茶色になっていた。それにしても、これは相当に変わった花だ。風に吹かれてぶらぶら揺れる様子をずーっと見ていても、飽きない。

新宿御苑「ハンカチの木」







新宿御苑の園内マップ



(平成30年4月14日)
















 桜の季節 2018(写 真)




(2018年3月21〜4月14日記)


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塩山へ桃と桜の旅

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1.満開の桃の花と桜の古木

 桜の染井吉野の季節が終わってしまった。例年に比べて今年は3月下旬に入って急に暖かくなったことから、開花がかなり促進されたようだ。この間、私は今年も「桜の季節」が到来したとばかりに、都内をはじめ、横浜や鎌倉や小田原にまで桜の撮影に出かけた。昔は、単に満開の染井吉野がずらりと咲き誇る桜並木を撮って、大いに感激していたものだ。それも立派な桜の鑑賞だが、昔と違って今の私は、枝垂れ桜や八重桜、それに各地で大切にされてきたような桜の古木に、より関心が向いてきた。例えば、三春の滝桜身延山久遠寺の枝垂れ桜などである。

 ところで、山梨県の甲府盆地では、今が桃の花の見頃を迎えているという。「そういえば、桃の花は、見たことがないな。」と思いつつ、インターネットで調べたところ、塩山に行けば、今まさに満開のようだし、周林禅寺と慈恵寺という古刹に、桜の古木があるらしい。中央本線の特急「かいじ」を使えば、我が家から2時間もかからないで、行けそうだ。距離にして片道107kmだから、往復を買えば大人の休日カードが使えるので、3割引となる。行く気になった。

 ただ、もしかすると塩山駅からの交通の便が良くないかもしれない。タクシーがいないと困ると思って、グーグルで駅前の画像を見ると、南口にタクシーが並んでいるのが見えた。これなら大丈夫かと思ったが、念のためにバスがないかと調べたところ、大菩薩峠行きというバスが1日5本あり、もよりのバス停は粟生野原というようだ。帰りは、盆地を小1時間ほど下って行けばよいし、途中で桃の花の風景を撮ればよいので、特にタクシーやバスに乗ることもないだろうと考えた。

2.周林禅寺


周林禅寺


 塩山駅に到着して南口に出てみると、タクシーが3台も待っていた。最初の車に乗り込み、「周林寺へ」と告げる。するとタクシーは盆地の坂を上がっていき、涸れ川を越えて両側に桃畑が広がる細い道をどんどん進み、寺に着いた。残念ながら、大きな枝垂れ桜は盛りを数日過ぎたようで、目指していたほどのボリュームはなく、いささか物足りないものではあった。しかし、樹齢120年と言われている通りの堂々とした古木で、これに比べると六義園の枝垂れ桜(約60年)は、まだまだ若いという気がする。

周林禅寺


周林禅寺


 天真山 周林禅寺は、本尊が南無延命地蔵菩薩、開山は関秀西堂和尚禅師、勧請開山が大覚道隆大禅師、開創が大亀2年(1502)の室町時代だと書かれていた。せっかく来たので、お参りさせてもらった寸志として賽銭箱に何がしかのお金を入れて、再び、古木と向き合った。手前に「ぼんぼり桜と名付けました。」という趣旨のことが書いてあるのに気がついた。素朴な表現でそれほど悪くはないが、せっかくのお寺さんの命名であれば、古今東西の仏典を渉猟して、もう少し学のあるところを見せてはどうかと思った次第である。枝垂れ桜の枝が門の半ば近くまで覆っていることから、例えば「雲門桜」というのはどうだろう。100年後には、門全体を覆うかもしれない。ちなみに、雲門というのは、五代の末より北宋にかけて隆盛を極めた禅宗の一派である。

周林禅寺から見た桃の花と菜の花


桃の花


 お寺の周囲を見渡せば、まさに桃の花が満開だ。あちこちで農家の方が総出で、桃の木の摘花を行っている。良い実を作るには欠かせない作業だが、摘花後は花の数が極端に少なくなるので、写真を撮るにはいささか寂しくなる。それでも、カメラのファインダーを覗くと、遠くの蒼い山並み、近くのピンク色の桃の花、手前の黄色い菜の花が一望の下に見えて、なかなか美しい。また、あちらこちらのお宅の庭に、花桃が美しく咲いている。白色、ピンク色、それらが混ざったもの、赤色、それに真紅色の花まである。また、瑠璃色のネモフィラ、赤色、青色、白色の芝桜、藤色のルピナス、薄紫色の花大根、黄色い水仙、それにカラフルなチューリップと、大いに花盛りだ。

ネモフィラ


花桃


花桃


花桃


芝桜


芝桜


3.慈雲寺

	小学校の桜


 さて、周りの写真を撮り終えて、慈雲寺に向かった。グーグル・マップの道案内を使うから、道を間違えることはない。便利になったものだ。ただし、この地図では高低差が表現されないので、現場に行ってみてすごい坂であることに気付くことがよくある。この日も、慈雲寺への道がそうだった。途中、左手に桃畑があり、右手に小学校があった。その敷地に沿って、大きな染井吉野の桜が満開である。それを撮っていると、小学校から子供たちが出てきて、大きな声で「こんにちは!」と、挨拶してくれた。最近の都会では、知らない人には挨拶しないようにという妙な教育が徹底されているせいか、たとえ同じマンションに住んでいても、挨拶もせずにブスっとしている子供がほとんどだ。それからすると、こちらの子供たちの挨拶は、誠に気持ちが良い。人間、こうでなくては・・・私も、大きな声と笑顔を返した。

紫ルピナスと桃の花


花大根


 あと数分で慈雲寺というところで、年配のおじさんと一緒になった。年配といっても、私と同年代だ。その人が「どちらから来ましたか」と聞くので、東京ですと私が答えると、「ああ、同じだ。青春18切符を使って鈍行で来ました。」などという。なるほど、そういうやり方もあったのかと思った。ただ、私には無理だ。第一に暇がない。第二にあんな鈍行電車の固い直角の座席に長時間座っているのにまさる苦痛はないからだ。

天龍山 慈雲寺


樋口一葉の像


 そうこうしているうちに、慈雲寺に着いた。天龍山 慈雲寺は、臨済宗妙心寺末、暦応年中(1337〜42年)に夢窓疎石が開創、境内の糸桜は山梨県指定天然記念物という。こちら塩山は、樋口一葉の両親の里らしい。寺の入り口近くに一葉の上半身の像があったが、顔がまるで西洋人形のような小顔で、一葉の写真(五千円札)と似ても似つかないので閉口した。入り口の門の左手には、立派な枝垂れ桜があった。進んで行くと、奥の本堂の前に「糸桜」と呼ばれる実に大きな枝垂れ桜があった。こちらも周林禅寺のぼんぼり桜と同様に、盛りを数日ほで過ぎていて、いささか残念であった。まあしかし、その桜の古木としての威容を十分に感じさせるものだった。本堂では、住職さんが参拝に訪れた人々の御朱印帳にせっせと書いておられる。

カワヅサクラ


素朴な焼き菓子


慈雲寺入り口の門の左手にある立派な枝垂れ桜


花桃


奥の本堂の前の「糸桜」


 私はそういう趣味はない。さりとて少しはお布施をしようと思って、抹茶をいただくことにした。寺の名称が押された素朴な焼き菓子が付いてきた。それで一服して周りの人々を見渡せば、近在の農家のような方々が多かった。それから立ち上がって薄くて品のあるピンク色の花のところまで行くと、「ハナモモ」という札が掛かっていた。その隣には桜の花だが中心に行くに連れてピンク色が濃くなるのがあって、何だろうと思ったら、「カワヅサクラ」とあった。本拠地の河津では、もうとうの昔に散ってしまったと思うが、こんな離れた場所で、まだ健気に咲いていたとは驚きだ。

4.法正寺


カワヅサクラ


滝見山法正寺


滝見山法正寺の立派な枝垂れ桜


 そのお寺を出た後、塩山駅に向けて歩き始めた。狭い農道のようなところをビュンビュンと軽自動車やトラックが走り過ぎるから、注意して歩く。しばらく行くと、法正寺というお寺さんがあった。インターネットでは検索に出て来なかったところだ。一瞬、通り過ぎようとも思ったが、「せっかくここまで来たのだから、これも何かのご縁だ。」と思い直して、お参りすることにした。実はこれが大正解で、満開の枝垂れ桜が重たそうに桜の花を一杯に付けて、待っていてくれた。これは素晴らしいと、思わず心の中で呟いた。

滝見山法正寺


滝見山法正寺


 滝見山法正寺は浄土真宗本願寺派ということだが、こういう伽藍配置なのだろうか。門をくぐると奥の本堂に至るまでの間に2階建の鐘楼のような建物があって、その半分を覆うように満開の枝垂れ桜の枝が被さっている。いやもう、その見事なことといったらない。遠目から眺めたり、近づいて見上げたりして、飽きることがない。花の色のピンクが濃くて、とても華やかだ。私の好きな六義園の枝垂れ桜も、あと50年もすればこうなるのかもしれない。そう思うと、「よく生きてきたな。これからもずっと頑張って。」と労いの言葉をかけてやりたいほどだ。

桃の花と菜の花


 しばらくして、お参りさせていただいた印に、またお賽銭箱に幾ばくかのコインを入れた後、塩山駅まで歩いて行った。下りなので非常に楽だ。途中、ほとんど水のない重川(おもがわ)という川があり、その辺りで道が曲がりくねっていると思ったら、橋の架け替えを行っていて、それが出来れば道がもっと直線的になる。そこを過ぎて駅の前には甘草屋敷なるものがあったが、写真をたくさん撮って疲れたので、立ち寄らずにそのまま帰京することにした。

鈴蘭水仙


紫躑躅


レンギョウ






(2018年4月7日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:57 | - | - | - |
鎌倉へ桜の旅

高徳院・鎌倉大仏


1.鎌倉の桜の名所

 もう、関東地区の桜は終盤に差し掛かり、あちらこちらで花吹雪が舞い始めているという。そこで、ふと鎌倉に久しぶりに行って、今年最後の桜を観てこようという気になった。インターネットで桜の名所を調べた結果、次のようなコースをとることにし、朝8時半頃に家を出た。

 北鎌倉駅 → 建長寺 → 鶴岡八幡宮 → 本覚寺 → 妙本寺 → 鎌倉駅 →高徳院・鎌倉大仏 → 長谷寺 → 鎌倉駅


2.建長寺


建長寺


建長寺


建長寺


 東海道線を使ったところ、もう9時半過ぎには北鎌倉駅に着いた。駅のすぐ前は円覚寺で、私にはこちらの方に馴染みが深いが、この日は時間が限られているので、先を急いで建長寺に向かった。鎌倉特有の狭い道を明月院を過ぎて、駅から15分ほど歩いて、やっと到着した。「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」である。拝観受付の先には、もう参道の両脇に桜の木が満開で、桜のトンネルを作っている。これは、本当に見事なものである。左右と上空を桜で覆われたトンネルの中を行くと、その先には扁額「建長興国禅寺 」が掛っている大きな山門があり、それを近くの桜が取り巻いている撮影ポイントに至る。これは素晴らしいと思って、写真を撮り始めた。ところが、手前の桜による明るい「額縁」と、その奥にある暗い山門との明暗の差が大きくて、オートにしておくとなかなか良い写真が撮れない。明るい額縁に合わせると暗い山門が黒くつぶれてしまう。さりとて暗い山門に合わせれば、今度は桜の額縁が真っ白になってしまって桜かどうかもわからなくなって、どうにも具合が悪い。逆光モードで撮って、何とか見られる写真にした。こういう時は、市販の普及帯価格のカメラの方が、それなりの写真が撮れるかもしれない。

建長寺


建長寺


 その山門を過ぎて、仏殿、法堂をお参りし、唐門にたどり着く。唐門はとても美しいと思ったら、関東大震災以来の大規模修繕が2011年に終わったばかりだという。その左手には見事な紅枝垂れ桜があって、これも満開であった。


3.鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


 その建長寺から、狭い道を10分ほど歩き、鶴岡八幡宮に到着した。いわば、裏口から入るような形になるのは、本日の道順からして仕方がない。大勢の参拝者で混雑する中、まずは鶴岡八幡宮にお参りし、それから階段を下りていく。途中、右手には先年の台風で倒壊した大銀杏の根っこが無残な姿を晒している。その隣には、それから採った若木が植えられているが、本当に根付くのか心配になる。さて、階段を下りきったところに舞殿があるが、それまでは桜の姿がない。ようやく、左手の源氏池の方に桜が見えた。その池まで行くと、池の周囲には染井吉野の桜の木が立ち並んでいて、しかも風が吹いてくる度に花吹雪が舞い、花びらが池に浮かんで花筏となっている。これは良い写真を撮ることができると思って撮り始めた。でも、やや桜の花の具合が「粗」になっているのは否めない。あと2日ほど早く来られれば、びっしりと花びらが付いていて、さぞかし美しかっただろうにと、ほぞを噛む思いである。

鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


 その源氏池を一周し始めたとき、池の中に水鳥がいることに気がついた。その体形からして、「青鷺(アオサギ)」ではないかと思われる。池の浅いところに立って、身体から下を少しも動かさず、首から上だけを伸び縮みさせて、魚が来ないかと、待ち受けているようだ。時々、首を縮めて魚を狙う姿勢をとるが、上手くいかないのか直ぐに元の姿勢に戻る。なかなかの根性だ。上野動物園にいる「ハシビロコウ」という鳥も日がな一日、同じ姿勢で水辺に立ち続けて飽きないが、それに次ぐ忍耐力のある鳥だ。しかし、私が見ている間、とうとう魚を捕ることはできなかった。源氏池の中に旗上弁財天がある。そこまで行って、また戻り、三の鳥居の前にきた。牡丹展を開催中らしいが、本日のテーマは桜なので、残念ながらまたの機会に譲り、先へ進むことにした。若宮大路も、染井吉野ばかりだが桜の木々が両側に真っ直ぐに植えられて、そのシンメトリーな感じが美しい。近くののレストランに入って、食事をした。


4.本覚寺


本覚寺


本覚寺


 若宮大路の鎌倉駅にほど近い鎌倉郵便局の脇を東に入ると、直ぐに本覚寺(ほんがくじ)の裏口となる。こちらは日蓮宗の本山で、山号は妙厳山。身延山の久遠寺にあった日蓮上人の遺骨を分骨したことから、「東身延」とも呼ばれるようになったそうだが、見たところ知る人ぞ知る存在で、参拝者の数は少ない。「紅梅、染井吉野の名所」とあったが、あらかた散ってしまっていた。ただ、紅枝垂れ桜は、満開で残っていた。そのほか、「しあわせ地蔵」と名づけられたお地蔵さんが、とても可愛いかったのが印象に残っている。


5.妙本寺


妙本寺


妙本寺


 本覚寺からほど近く、まるで山の中に入っていくような深山幽谷の趣のある道を行き、階段を上がって二天門を過ぎたところに染井吉野が大きな枝を広げて満開となっている。これだけでも、わざわざ来た甲斐があると思ったが、その奥にある祖師堂の脇には、大きな紅枝垂れ桜の木が、美しいピンク色の花をさも重たそうに付けている。境内には日蓮上人の等身大の銅像があって、その周りには染井吉野が今が盛りとばかりにびっしりと桜の花で満開だ。

妙本寺


妙本寺


 しかもこの日は、結婚するカップルが、和服の婚礼衣装でプロの写真家に写真を撮ってもらっていた。それが2組もいたのである。ここがいかに、観光客に知られていない穴場であるかが分かる。そのうちのひと組の花嫁さんが二天門をくぐるとき、背景となっている染井吉野に一陣の風が吹き、桜吹雪が舞った。これぞ日本の伝統の世界の美しさという雰囲気である。


6.鎌倉大仏(高徳院)

 さて、鎌倉駅に戻り、バスに乗って「大仏前」で降りる。そこから高徳院に入って行った。境内は、人、人、人で満員電車のようにごった返している。その中を抜けて、露天の鎌倉大仏様のところへ行く。「ああ、これは素晴らしい」と感嘆するばかりだ。しかも右手にある大きな桜の木が満開で、その枝と桜の花越しに大仏様の写真を撮ることができた。桜を画面の右手に置いたり、あるいは画面の上に持って行ったりして、思う存分に写真をとりまくる。幸い今日は快晴で、大仏様の緑青色、桜の花の白色、背景の山の緑色、そして空の紺碧の色と、まるで絵葉書のような色彩が豊かな写真を撮ることができた。


鎌倉大仏


鎌倉大仏


鎌倉大仏


 それにしても、大仏様は、誠に端正なお顔立ちだ。与謝野晶子の「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」を思い出してしまった。


7.長谷寺


長谷寺


長谷寺


長谷寺


長谷寺


 長谷寺は、高徳院から歩いてほど近い。誤解を恐れずにいえば、それにしてもこの寺さんは、観光客相手に勘所をよく掴んでいる。商売に例えれば、抜群の商売上手なのである。季節を問わずに絶えず花が咲くように配慮しているし、それほど広くはない境内の傾斜を利用して観音堂をはじめとする変化に富んだ諸堂宇が建ち並んでいるし、鎌倉の海と街並みが一望できて気持ちの良い「見晴台」、傾斜地を利用した眺めに変化のある「眺望散策路」を揃えているなど、心憎いほどの気配りがされている。更に、今回は「なごみ地蔵」というお地蔵さん目についた。

長谷寺


長谷寺


長谷寺


 さて、長谷寺の桜は、山門を入ったところの下境内にある桜の木(銅色の葉の特徴からして、おそらく山桜)、地蔵堂近くの紅枝垂れ桜と染井吉野、上境内の観音堂と観音ミュージアムとの間にある紅白の枝垂れ桜がなかなか良かった。また、石楠花が咲いており、誠に豪華な感じだった。






 鎌倉へ桜の旅(写 真)




(2018年4月1日記)


カテゴリ:エッセイ | 20:12 | - | - | - |
浜離宮の梅と菜の花

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 日曜日の朝早く、天気が良くて晴れ渡っている。そこで、浜離宮恩賜公園で梅と菜の花の競演を撮ろうと思って出掛けた。千代田線で霞ヶ関駅にて下車し、そこからゆりかもめ新橋駅に歩いて行った。途中、とても暑くて、もう大汗をかいている。まだ、身体が寒い冬の気候からこの暑い気温に慣れていないようだ。ゆりかもめは、空いていて、皆、座席に座っている。隣の汐留駅が最寄りなので、そこで降りた。地上に降り立つと、高いビルや高速の高架が天を覆っている。方向を確かめようとしてiPhoneのグーグルマップで道順案内を開くと、徒歩4分と出たが、ビルや高架のせいでGPSが出鱈目になっていて、定まらない。仕方がないので適当に歩いて行ったら、ものの5分もしないうちに到着した。お正月に六義園で買っておいた都立公園共通パスで入場した。お花畑は左手にあるのは知っていたが、今日はひと回りして来ようと思って、右手に行った。松の御茶屋が復元されつつある。茅葺きの屋根も含めて、全ての材料が新しい。潮入の池をお伝い橋を使って渡る。途中、中島の御茶屋があり、更に進んで振り返ると、和式庭園の池とその御茶屋という純日本風の風景の背景に、屏風のように近代的な高層ビルが立ち並んでいるから、誠に不思議な感がしてくる。

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 お伝い橋を渡り終わってぐるりと左手に回る形となる。その潮入の池とほぼ同じ大きさの池があるが、それ全体が庚申堂鴨場の池(元溜)だったとは、ついぞ知らなかった。そこには、鴨場の遺構があって、説明も書かれていて面白かった。コンコンと音を立てて囮のアヒルに対し、引堀(クリーク)に餌があるよと知らせる。それにつられて野鴨が引堀に入ってくる。その様子を覗き穴から鷹匠が観ていて、それっという合図で捕獲者が出ていって野鴨を捕まえるというのは、宮内庁の鴨場と全く同じである。ただ、なぜ鷹匠があの役をしていたのか不思議だったが、実は昔は網で獲るのではなくて、鷹匠が引堀の両側に並び、一斉に鷹を放って野鴨を捕まえていたからだということが判明した。

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 最後にお花畑の方に回って、梅の花と菜の花の競演を撮ったが、まだ白梅だけで、紅梅はあまり咲いていなかった。その白梅の花もまだ満開とは言いがたくて、専ら菜の花ばかりが目立っていた。その黄色く一面に咲き誇る姿と、高層ビルと、更には空の青さのコントラストが美しい風景を織り成していた。

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 浜離宮の梅と菜の花(写 真)



(2018年3月4日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:16 | - | - | - |
横浜中華街の春節

獅子舞


 今年は2月18日(金曜日)が中国のお正月つまり「春節」である。私は、若い頃に東南アジアに駐在したことがあるので、現地の華僑の皆さんの春節の迎え方を見たことがある。その頃になると、民族大移動が起こって、皆、自分の故郷に帰ってしまうから、街中は空っぽになる。さすがに一流ホテルは通常通りの営業をしているが、それ以外の街中の商店、レストランやショッピングセンターなどはほとんどが閉店である。それで、故郷に帰った華僑の人たちはというと、両親、兄弟、親類縁者が集まって、大宴会をして、絆を確かめ合うというのである。大晦日(今年の場合は17日)の夜には、あちらこちらで爆竹を鳴らすものだから、うるさくて寝られないほどだ。

 そしてお正月の三が日には、獅子舞が其処此処を駆け巡る。獅子舞といっても、日本のような赤い獅子頭に唐草模様のような無骨なものではない。全体にカラフルで、誠にチャーミングなものである(冒頭の写真)。これが各家や商店を回って、口に咥えたオレンジを、家や店内に放り込む。何をやっているのかと聞くと、「オレンジはお金の象徴で、それを投げ入れている。」のだそうだ。いかにも華僑らしくて、思わず笑ってしまった。

 ところで、横浜中華街で春節を祝う行事を行うというので、昔を思い出して懐かしくなり、行ってみることにした。我が家から千代田線に乗り、明治神宮前駅で副都心線に乗り換えたところ、直通運転の特急で、終点の元町・中華街駅まで1時間強で着いてしまった。残念ながら、春節当日は平日だったので、その日に行われた大々的な獅子舞は見られなかった。でもその代わり、18日に「娯楽表演」として獅子舞、舞踊、中国雑技を見物し、更に祝舞遊行として皇帝衣装隊、龍舞、獅子舞を見物した。


1.春節娯楽表演

 横濱中華街のHPによると「娯楽表演(ごらくひょうえん)」と銘打ち、中華街内の山下町公園では獅子舞・龍舞・舞踊・中国雑技などの中国伝統芸能を披露します。 名実共に春節の顔となっている勇壮な龍舞や躍動的な獅子舞に加え、優雅で華やかな中国舞踊、息を呑む演技が続く中国雑技など、まさに横浜中華街の『春節』ならではの華やかな雰囲気を味わうことができます。」というわけで、次の演目が掲げられていた。 (1) 横濱中華學院校友會(獅子舞) 、 (2) 神技/張海輪(中国雑技) 、 (3) 東京中国歌舞団(京劇) 、 (4) 横浜中華学校校友会国術団(舞踊・獅子舞)


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 当日、中華街の関帝廟脇にある山下町公園は狭い。そこに立錐の余地がないほど人がぎっしりといる。これは写真を撮るのは難しいかなと思いつつ、舞台の正面に行くと、何とか撮れそうな位置がある。そこで待つことにした。いよいよ獅子舞が始まった。ダンダンダダダンという威勢の良い太鼓の音とともに、愛嬌のある獅子が動き出した。目は、ギョロ目もあれば、瞼で隠れることもある。それに、舌をベロリと出すことがある。獅子には、2人が入っているようだ。愛らしく頭を左右に振ったり、胴がグーンと長くなったり、金の巻物のようなものを伸び上がって咥えたりして、なかなかの役者である。そうそう、この太鼓のリズムだった、とても懐かしい。

獅子舞


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 それが終わると、中国雑技の番である。雑技とは、要するにアクロバットのことで、中国には専門の学校があるほどである。この日は、張さんという女性と、同じく張さんという男性が出演する。まずは女性が背の高さ以上の一輪車に乗る。ユラユラと揺れながら、手にチューリップハットのようなものを持って、それを4つも足先に乗せて足を跳ね上げ、頭の上に器用に載せるということをやっていた。次の男性は、中国雑技伝統の椅子の技である。これには、ビックリした。まず背より高い台の上に4本の瓶を置き、その上に4脚の椅子を次々に重ねて載せる。その上に更に椅子を斜めに置き、その高さから、身体を真横に倒立するのである。しかも、片手で・・・よほど腕の力がないと出来ない技だし、一歩間違えれば3階の高さから真っ逆様に落ちる。皆で、大きな拍手を送った。

中国雑技


中国雑技


 3番目の出し物は、京劇の触りである。最初のテーマは、確か孫悟空の一場面のようなことを言っていた。男性が1本の剣を持って舞い、途中から童子と闘うというもので、後半は女性が2本の剣を持って舞うという趣向である。物語の筋も知らないし、知っていてもどの場面かもわからないから、ただ、京劇の衣裳と音楽と立ち居振る舞いを見ただけに終わった。そういえば、25年ほど前に、北京で京劇を観に行ったことを思い出した。

京劇


京劇


 最後は、孔雀の舞らしく、スッキリした薄緑の衣裳に身を包んだ若い女性たちが出て来て、中国らしい赤い旗を背景として、優雅に踊る。よく見ると、薄緑の衣裳には孔雀の羽根の模様が描かれている。私がこれを観ると、どうしてもインドの孔雀ダンスを思い出してしまう。インド人は、孔雀をモチーフにした踊りが大好きだからだ。ただ、ここではそれを中国人が演じていて、音楽も典型的な中国の調べである。だから、違和感を感じてしまうのだが、この場でそんなことを思っていたのは、私だけかもしれない。ともあれ、中国かインドかというのは別にして、異国情緒を思い切り味わった1時間だった。

孔雀の舞





2.祝舞遊行

 同じく横濱中華街のHPによると「春節の一大イベントである祝賀パレード『祝舞遊行(しゅくまいゆうこう)』を実施致します。祝舞遊行では華やかな皇帝衣装隊に加え、人気者の獅子や龍が登場します。ダイナミックな演技が続く龍舞や、勇壮な中にも愛らしい表情の獅子舞は来街者のすぐ目の前で行われ、それは中華街の春節でなくては体験できない光景です。華やかな衣装や、目前で繰り広げられる様々な演技、横浜中華街の祝舞遊行を存分にお楽しみ下さい。」というので、行ってみることにした。

 祝舞遊行は、24日午後4時から始まるので、その15分前に中華街の山下町公園に行ってみた。ところが、そこがスタート地点ということで、警備があって入れない。どうやら、そこから時計周りに出て行くようだ。そこでコースを逆時計周りに行けるだけ歩いていった。すると、山下町公園とほぼ対角線上にある地点まで行けた。そこから先は、道の両側に見物人がビッシリといて、カメラを構えるどころではなかったから、その辺りが限界だ。ここだとコースの中ほどだから、演技する人たちも疲れていなくてまだ元気だろう。しばらく待っていると、「バババッバン、バババッ」と大きな爆竹の音がして、パレードが近づいて来た。


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 最初に、「日本横濱中華街将軍會」の横断幕に引き続いて現れたのは、「将軍組」というまるで関帝廟から出てきた閻魔様のような出で立ちの一団である。これは、「ユッケッ」ではないだろうか。明朝末期に広東省で生まれた伝統的な劇で、広東オペラともいわれるものだ。そのおどろおどろしい顔のメイクがすごい。背中に何本かの幟のようなものを指し、足はというと、まるで竹馬に乗っているかの如くである。その姿で見物人に愛嬌を振りまこうというのだから、観ている方も、笑顔がこわばる。子供などは、明らかに怖がっている。あたかも秋田のナマハゲ並みだ。続いて、三保の松原に現れた天女のようなスタイルの、若い女性たちの踊りである。とても、愛らしい。見惚れていると、次にグリーン色の獅子舞がやって来た。それも、肩車をしているから、大きい。瞼が開いたり閉じたりしている。そこに、ババンと爆竹の音と煙が上がる。見物人と獅子が触れ合う。おやおや、その獅子の口に赤い袋の「アンパオ」つまりお年玉を入れる人もいる。

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 いよいよ「皇帝衣装隊」なるものが来た。「ハマの人力車」なるものに乗って、まあものすごい髭を生やした京劇俳優のような人物が登場した。輿ではなくて人力車というのがミスマッチだが、細かなことは言うまい。和中折衷で、何でも良いのだ。ところでこの皇帝、特に子供に向けて愛想がいい。でも子供の方は、やや敬遠気味である。その出で立ちといい、お供のいない点といい、皇帝というよりは、その辺の館の主人といったところだが、これも白髪三千丈の類いであろう。

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 「広東獅子園」ということで、また獅子舞が来た。LEDライトで眼が光っているから、怖くもあるが面白い。現代的でもある。目の前で、爆竹がコンロに入れられた。「バババッバン、バババッバン、バババッ、バババッ」と、ひときわ大きな音がして、真っ白な煙が立ち込め、見物人が耳を押さえる。煙が晴れた頃、そのうちの一人(?)の獅子が私の目の前に来て、私の頭をガブリとやってくれた。まるで、日本のお獅子ではないか。後からネットで調べると、中国の獅子舞はそんなことをせずに専らオレンジらしいから、この点も横浜中華街らしい和洋折衷の風景である。

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 「世界旗袍連合会」ということで、鮮やかなチャイナドレスを着た中年女性たちが、色とりどりの扇子をなびかせながら、目の前を通り過ぎる。どうやら、この辺りの中華街のレストランのマダム達であろう。若い子たちとは違う、落ち着いた雰囲気が心地よい。きっと経済的にも、皆さんはとても裕福なのだろう。それぞれの顔に現れている。 。

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 「楊貴妃壹四参加 中国舞踊スタジオ」とある一団が来た。お揃いの真っ赤な中国服に身を包み、一糸乱れずキビキビと踊っている。踊り手さんが、皆とても美しく見えた。中国情緒を満喫した瞬間である。それから、雲南の小数民族のような衣裳を着たグループが来て、踊りを披露している。中に、若い頃のアグネスチャンさんにそっくりな人がいて、何だかおかしかった。

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 横濱中華学校の小学生らしき子供達が、龍の踊りを披露してくれた。なかなか上手だ。これを動かしている中華学校の子供達を見ていると、中国人のようなアジア系だけでなく、アフリカ系やインド系もいることがよくわかった。あちらの方から、今度は横濱中華学校の高学年らしき人達の操る獅子舞と龍舞(ドラゴンダンス)がやって来た。龍は、結構大きなものである。先頭の金の玉を龍が追いかけて行くという趣向らしい。もっと言うと、東南アジアで観たドラゴンダンスのオレンジの原点がここにあるのかもしれない。ドンタン、ドンタンという中国風のお囃子が心地よい。それを聞いているうちに、一行は去って行った。所要約1時間の、横浜中華街の皆さんによる、手作り感満載のパレードだった。





 横浜中華街の春節(写 真)




(2018年2月18日・24日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:13 | - | - | - |
確定申告の季節

国税庁の確定申告作成コーナー


 2月に入り、北陸地方は何十年ぶりの大雪で、国道8号線には1,400台もの車が立ち往生して、60時間も掛けてようやく解消したそうだ。そのような中で、今年も確定申告の季節が到来した。私の場合、去年は歯医者に行ったから医療控除を受けられるし、家内の国民年金基金への一括払い掛金もあるので、そちらの控除もある。また、昨年の投資信託の解約で若干の損失が出たから、それを繰り延べしないといけない。そういうわけで、帳票原本が集まるのを待って確定申告書類を作ろうとした。

 何しろ私は新しもの好きなものだから、電子申告が始まったばかりのときに、早速やってみた。それ自体は便利なものだけど、一方で控除を受ける証明書などを5年間も保管しておかなければならない。スキャナーで写したり写真を撮ったりした電子形式のものではなくて帳票原本だと、嵩張る上にいざという時なかなか見つからないこともあり得る。だからそれが面倒になって、3年ほど前からパソコンで確定申告を作成した後、それをPDF形式の紙にして印刷し、書類で提出することにしている。いわば先祖返りしたというわけだ。

 今年も、自宅のパソコンから国税庁の確定申告作成コーナーに入って、コツコツとデータを打ち込んでいった。途中、源泉徴収票の内容を入れていき、(1) 給与の支払金額、(2)源泉徴収税額、(3)社会保険料等の金額を入れたところで、動かなくなった。(まさか源泉徴収票に問題があるなどとは疑いもせず)、数回繰り返しやってはみたものの、前に進めない。困ってしまったが、一計を案じて、(3)社会保険料等の金額を源泉徴収票とは切り離して入力するという荒業で、この問題を回避することができた。これで30分間も時間を浪費してしまった。でも、ともあれ作成できたから良しとしよう。結果をみると、医療費控除よりも、家内の国民年金基金への一括払いの効果が大きくて、何十万円かの単位で還付金がある。

 これは良い、それにしても申告書類をこのまま手元に置いておいても仕方がないので早めに提出することにした。善は急げというわけだ。確定申告の期間は2月16日から始まるが、還付金がある申告なので、それまででも受け付けてもらえる。そこで、書類一式をとりまとめ、2月6日に税務署に持って行った。税務署は、自宅から片道15分もかからない近いところにある。行ってみると待っている人は誰もいなくて、直ぐに受け付けてもらえ、「控」に受け付け印を押してもらって帰ってきた。

 その次の日のことである。勤め先の人事から、「実は源泉徴収票の中に間違いがあり、源泉徴収税額が5万円ほど少なかったので、訂正後の源泉徴収票を渡します。」という連絡を受けた。単純なミスなら仕方がないが、「できればもう一日早く言ってくれれば、誤った確定申告をせずに済んだのに」と内心思ったものである。私は、給与所得をもらうようになってから優に40年を超えるが、源泉徴収票が間違っていたというのは、初めての経験である。文字通り、「まさか」の世界だ。なるほど、国税庁の確定申告作成コーナーでつっかえた理由がわかった。というのは、この訂正後の源泉徴収票でやってみると、何の問題もなく作成できたからである。

 ところがこの時、人事担当者から受けた示唆がまた間違っていた。いったん提出した確定申告については、「更生の請求」なるものをすべきというのである。国税庁のホームページで探すと、なるほど「更生の請求」なる書式が出てきた。そこで、それ以上調べないままに、その書式に書き込んでいった。狭い欄なのに、結構書かなければならないことがある。しかも今時珍しい手書きだ。真ん中辺りまで書いたところで、数字を書き間違えた。あららと思ったがもう遅い。書き直しである。そういうことで、四苦八苦して書き上げ、それに訂正後の源泉徴収票と家内の国民年金控除証明書を貼ってようやくお仕舞い、出来上がりである。ふと時間を見たら、2時間も経過していた。楽しかるべき夕方のひと時が台無しだ。いやはや、税理士にならなくて良かったと思った。こんな書式、パソコンで書けるようにしてほしい。そうすれば、途中で間違えてもその部分を直すのは簡単だ。


更生の請求


 というわけで、翌日の早朝、その成果物を持ってまた税務署に行ったのだが、何とまあ、係員の人から「まだ確定申告の期限が来ていないので、更生の請求ではなくて、訂正申告です。」と言われてしまった。「では、どうするの」と聞くと、「最初の確定申告と同じものを作って、また出してくれれば良いです。最初のページに『訂正』と書いてあれば、わかります。」とのこと。「何だ、そんなことならもう作ってある。」と思ったものの、手元にない。やむを得ず、出直す羽目となった。

 これは、ひょっとして最初から電子申告でしたのなら、送信するだけで済み、また出向くという必要はなかったのではないかとも思った。しかしながら、それにしても大事な原本を5年間も自宅に保管するというのは、職業柄もあってか私の趣味には合わない。どこか銀行の貸金庫を借りて、この季節になると5年前の書類を取り出して廃棄し、新しくその年の書類を入れるというやり方にするのも一案だ。しかし、今回のようにかなりの金額が還付される年ならばともかく、貸金庫を開けてみれば病院の領収書ばかりという一方でその貸金庫代自体が馬鹿にならないという年もあるだろうから、コストパフォーマンスが悪すぎる。それまでは、税務署まで往復30分の道のりを、運動を兼ねて歩いて行くことにしよう。

 ところで、この問題、個人の電子申告についても、帳票原本の電子化(PDF化)と、その送信を認めれば解決できる。確か法人の申告では何年か前にそうなったはずだから、それと同じことである。だいたい、本体の電子申告を認めておきながら、それを裏付ける帳票原本の保管を個人に5年間義務付けるという現行の制度は、割り切り過ぎの反面、納税者からすると中途半端なのである。

 例えば、家内の国民年金基金の一括支払いで、100万円を超えたという場合の控除証明書は、他に紛れたりすると、何十万円かの還付金に影響する。こういう帳票原本たる紙は、税務署に保管しておいてもらいたい。ところが、一件当たりせいぜい数千円の病院の領収書の束は、嵩張る割には確定申告の金額にあまり影響がないことから、そのほとんどは要らない。ところが稀には歯のインプラントの領収書のように100万円を超えたりするものがあるから、こういうものは自宅でより税務署の方で大事にとっておいてもらいたい。それが困るなら、PDFでの保管を認めるべきである。病院の領収書の束を見るたびに、そう思っている。

 もっと大きな視点でみれば、今やマイナンバーの時代なのだから、そもそもサラリーマンの給与の源泉徴収票などは、税務署と給与の支払事業所とを回線で結んでそちらから申告させるようにするべきだ。税務署と社会保険事務所との間も同様である。ついでに言うと、税務署と病院の間もそうしてほしいが、その前提としてレセプト請求が電子化されないといけないから、これはなかなか難しい課題だろう。もっとも、そういう時代が来るまでには、私はすっかり仕事からリタイアして、ご隠居さんをやっているかもしれないので、以上述べたことは、私についてはまるで必要がなくなり、あたかも犬の遠吠えのようなものかもしれない。




(2018年2月16日記)


カテゴリ:エッセイ | 09:22 | - | - | - |
ドラム式洗濯乾燥機が壊れた

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 確かまだ7年しか経っていないと思うのだけど、サンヨー製のドラム式洗濯乾燥機が壊れてしまった。型式は、「AQUA のAWD-AQ4000」である。写真は、次の通りである。そもそもサンヨーという会社はもうなくなってしまって、今は吸収合併先のパナソニックが修理交換の問合せ先となっている。2年前に、その乾燥フィルターが壊れたので、パナソニックのサイトから、このドラム式洗濯乾燥機の交換部品を取り寄せたことがある。これからもわかるように、ちゃんと製品と修理の引き継ぎがされているのは、結構なことだと思っていた。

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 ところで、今回壊れたというのはどういう状況かというと、冒頭の写真にあるように、回転ドラムの真ん中にあるプラスチック製の丸い部品が、あたかも「もう疲れた」とばかりにポロリと落ちてきたのである。よく見ると、プラスチックが破断している。ここはまさにドラム式の中核部分なので、そんなところが落ちてくるとはどういうことだと言いたいところだが、会社が潰れてしまっていては、致し方ない。このままだと、乾燥時など高速回転をするときに危ないと思い、買い替えることにした。加えて、前回購入できた乾燥フィルターも、もはやパナソニックのサイトにも売っていないので、がっかりしたという事情もある。だから、もう買換えの潮時なのだろうと自ら納得することにした。

 こういう時、私は勤め先に近い家電量販店に行くことにしている。昔々、上京して勤め始め、しばらくして結婚したときには、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電製品一式を買うために秋葉原の家電量販店に行ったものだ。ところが、秋葉原はいつのまにかパソコンとゲームとオタクのメッカとなり、家電を探すどころではなくなった。その代わりに、ビックカメラやヨドバシカメラなどの全国チェーン店で家電を買うようになった。それが今やアマゾンなどの通販が急速に台頭してきたことから、ネットでかなりの用を足せることになった。「かなり」というのは、照明器具やせいぜいテレビなどは通販でよいのだけれど、洗濯乾燥機の場合は、果たしてあの狭いスペースに入るだろうかとか、洗濯物の仕上がりとか、その他家電リサイクルの手続などがあるため、店員さんのいる対面販売の方がいいと思って、店舗に行ったというわけである。

 すると、洗濯機のコーナーは、かつてとは様変わりしていた。昔は、洗濯乾燥機といえば東芝、松下、サンヨー、日立などのメーカーが乱立気味だったが、私の買いたい価格帯のものは、今やパナソニック(松下)か日立かという二択しかない。まあいいかと思って一つ一つ見ていく。予算は、20万円である。実は、壊れた洗濯乾燥機で一番気に入っていたのは、乾燥した後の衣類の肌触りの良さである。これで乾燥しないで部屋干したりすると、肌着もタオルもゴワゴワとなる。特に今は冬なので乾燥しやすく、肌着がまるで板のようになる。だから乾燥機能の良いものを選びたい。ただし壊れた洗濯乾燥機で妙だったのは、普通の「乾燥」モードにすると、仕上がった直後に焦げ臭いにおいがしたことだ。温度が高過ぎて繊維が焦げているのは明らかである。だから、「低温乾燥」というモードで使っていた。これだと、ちょうどいい。ただし終わるのに5時間近くもかかるのが難点である。もっとも、動く音がとても静かなものだから、夜の寝ている間に動かしていた。

 次に気に入っていたのは「洗剤ゼロ」 モードである。驚くことに、洗剤がなくても汚れがとれるし、洗剤がある場合とほとんど遜色がない。オゾンを発生させて汚れを取っているらしいが、洗剤を使わないから環境に良いかと思って、洗濯物があまり汚れていないときに、ときおり使っていた。今から思うと、オゾンが人体に悪影響を与える可能性もあったのだろうが、扉を開ける時には、その度にオゾンが排出されていたので、さほど神経質になることもないと思っていた。

 そういうわけで、売り場の洗濯乾燥機を見て回ったのだが、いずれも帯に短し襷に長しで、希望通りのものがない。まず、サイズは、どれも我が家の置き場所に入りそうだし、我が家の水栓の位置もこれでよい。しかし残念ながら、オゾンを使って洗剤ゼロという商品はもうなくなっていた。乾燥機能は、色々とお題目は並んでいるものの、使ってみないことには分からない。どれにするか大いに迷うが、意外なことに、ドアを左右どちらの開きにするかということと、納期の短さで、一つの機種に絞られてしまった。日立の「BD-NX120BL」である。つまり、この他にこれが良いなと思ったら、希望する左開きのものがない。直ぐに欲しいと思っても、人気機種だから納期は1か月後だとか、そういう調子である。その欲しかった機種は、いわば前々年のモデルで、それなら20万円で予算にちょうど合うのだけれど、持って来てもらうのに1か月もかかるというのでは、今回のような急場の役に立たない。そこでやむを得ずに納期が3日後という4か月前に発売されたばかりの最新モデルにした。何と、お値段は28万円強で、かなりの予算オーバーだが、仕方がない。ただし、家電リサイクル料金のサービスや5年保証と、3万円のポイント付きだから、実質24万円くらいである、ネットでみると、25万円から26万円だから、まあそんなところだ。


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 さて、約束の日曜日に持って来てくれた。その前に壊れた洗濯乾燥機を持ち出さないといけない。洗面台の向かいの狭い洗濯機用スペースに収まっていて重たそうなのだけど、係の人は何の苦もなくグッと持ち上げて、運び出して行った。新しい洗濯乾燥機は、前のものより縦に短く横に3センチほど長い。この長さが邪魔して入らないのではないかと心配したが、浴室に通じるドアを開け、そこに器用に身体を入れて持ち込み、防水パンの上にすっぽりと乗せてくれた。ホースを水栓に繋ぎ、試運転をしてみると、ちゃんと動いた。その時、「水栓から少し水が漏れています。この部分の中部が錆びついているので、水道屋さんを呼んで早めに取り換えた方がよろしいです。」との御宣託があった。

 お礼を言って帰ってもらった後、家内に聞くと、「この部分はTOTOの製品で、以前来てもらってパッキンを取り換えたことがある。」というので、またお願いすることにした。その作業が終わって、家内が言うには、意外なことが分かったという。TOTOの修理担当者は、「この水栓そのものは、書いてあるようにTOTO製ですが、この錆びた部分だけは、TOTO製ではない。」と言ったという。下の写真の「L」字様の金属部分である。「ええっ。これ全体がTOTO製ではないのですか?」と聞くと、「工務店かマンションの販売会社かはわかりませんが、少しでも安い材料を使って安く上げようとしたのでしょう。よくあることですよ。」という。そんなことは、初めて知った。ちなみに、このマンションの水回りを担当した会社の仕業だろうが、ケチくさいことをしたものだ。案の定、この会社はもう潰れているそうだ。いずれにせよ、TOTO製の部品に替えてもらうことにした。次の写真の上がサードパーティ製で、下がTOTO製の部品である。


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 洗濯乾燥機の買い替えから始まって、意外な手抜きの事実まで判明したものである。ともあれ、新しい洗濯乾燥機の使い勝手はどうかというと、まあ順調に動いてくれている。洗濯の時間は以前の機種とほぼ同じで約30分だが、乾燥に要する時間は以前の5時間近くから大きく改善して2時間からせいぜい3時間となり、乾燥終了後の乾き具合と肌触りは共に満足するレベルである。ただし、乾燥機能を使うたびに、エア・フィルターの掃除が必要であるし、その構造は以前のものと比べて、はるかに複雑なものとなっている。

 昔々、私が小学生の頃の洗濯機は、一つの槽しかなくて、それで洗ったら上下2つのローラーの間を通して水を切ったものだ。それからしばらくして出た二槽式洗濯機は、一方の槽でぐるぐると水で洗い、他方の槽で洗濯物を脱水したものだ。ちなみに私の母は、まだそのタイプを使っている。それが今の最新の機種は、同じ洗濯槽で洗い、脱水し、乾燥までしてくれる。その乾燥も、機械が複雑になった反面、確実に性能は上がっている。一般に機械器具というものは、文明そのものと全く同じで、時間が経つにつれて、ますます複雑でややこしくなるもののようだ。進歩して止まないというのは、良いことではあるけれども、どこかで飽和点に達してご破算となるのではないかという気もしないではない。その結果、まるきり新しいものにとって代わられるか、あるいはまたゼロから始めるかのどちらかだろう。




(2018年2月14日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:02 | - | - | - |
若草山焼きと京都四社巡り

若草山焼き






 若草山焼きと京都四社巡り( 写 真 )


1.若草山焼き

 奈良の若草山焼きを見物に行ってきた。一度は見てみたかったのだが、何しろ寒い季節に行われるし、加えて例年その頃は仕事が忙しい時期に当たり、なかなか行く機会がなかった。ところが今年は体調はよろしいし、幸いにして十分に時間があったので、それでは見物して来ようと思ったのである。現地の状況がある程度事前に見当のつく行事なら、往復の交通機関の切符と宿、そして有料観覧席があるならその切符を手配してから行くようにしている。ところが、今回は寒い季節に行われる夜のイベントでもあり、風邪をひいたり転んで怪我でもしてはかなわないので、安直にツアーに乗ることにした。そのパンフレットの写真によると、漆黒の空の下、若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮かんでいる。こんな写真が撮れたらいいなというわけだ。それだけでなく、山焼きの翌日には、京都で4つの社寺を訪れるそうだ。青龍、朱雀、白虎、玄武の、都を守るいわゆる四神である。このうち、八坂神社と上賀茂神社はよく知っているが、松尾大社と城南宮には行ったことがない。だから、面白そうだという気がしたのも事実である。ところが問題は、新幹線なら楽なのに、バスで行くツアーだったことだ。まあ、この冬の寒い季節だから、道路はそれほど混まないだろうと期待して、申し込んだ。

 当日朝、新宿に集合して8時半にバスに乗り込んで出発した。私は、中部・関西方面に行くにはもっぱら新幹線を使っているので、新東名高速道路は通ったことがない。だから、バスの旅を楽しみにしていた。東名高速道路を順調に走る途中で仰ぎ見る真冬の富士山には、真っ白な冠雪がある。それが折からの快晴の青い空を背景に輝いて見え、文字通り感動するほどに美しい。期待通りだ。御殿場を過ぎたところで、いよいよ新東名高速道路に入る。道路は新しいし、ドライブイン内はまるでスーパーのように商品で溢れている。30年ほど前のこと、私は小さい車に家内と子供たちを乗せて高速道路を走り、当時はまだ粗末な設備のドライブインでよく休んだものだが、その時代とはまるで大違いだ。バスは更に進み、名古屋市中心部を通らずに、伊勢湾岸自動車道に抜ける。巨大な吊り橋をどんどん走って、左手に昔は長島スパーランドと呼んだ娯楽施設が、まだあるではないか。でも、ジェットコースター中心のようで、昔とは様変わりだ。新名神高速道路に入り、甲賀の山を越える。その辺りで雪になる。これが奈良まで続いて山焼きが中止になったりすると、目もあてられないなという考えも一瞬、頭の中をよぎるが、「いやいや、私は晴れ男だから」と思ってそういう考えを振り払う。


東大寺の大仏さま


 さて、バスは奈良市内に入り、東大寺南大門脇の駐車場に停車する。雪がちらついているが、大したことはなくて、安心する。時刻は午後4時である。5時から若草山麓の「古都屋」で早目の夕食をいただいた後、その前で繰り広げられる山焼きを見物し、バスには7時20分に戻ってきてほしいとのことである。私は、せっかくだから、この際、東大寺の大仏さまを拝んで来ようと大仏殿に入った。そして大仏さまを正面から拝んで裏に回り、更に例の四角い穴が空いている柱をくぐる人を「あっ、やっている」とばかりに眺めて、直ぐに出てきた。それから手向山神社の方へと階段を上がっていき、そこから右手に曲がって若草山の裾野に出た。夕食会場の「古都屋」は、すぐその前だ。天候は曇りで、花火直前には雲一つない青空が見えてきた。これは良い。

雲一つない青空の若草山焼きの直前


 現地でいただいた若草山焼き行事実行委員会作成のガイドブックによると、「若草山三重目の頂上には巨大な前方後円の鶯塚古墳があります。その昔、ここから出る幽霊が人々をこわがらせるという迷信が長く続いていたらしく、しかもこの山を翌年1月までに焼かなければなにか望ましくないことが起こるといったことで、通行する人が放火し、東大寺境内に火が迫る事件が再三起こりました。1738年12月に奈良奉行所は若草山に放火停止の立て札を立てましたが、その後も誰ともわからないまま放火が続きました。近隣社寺への延焼の危険が絶えず、江戸時代末期には若草山に隣接する東大寺・興福寺、奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養の為でもあったと言えます。」とあった。

 その他、ネットでは、「若草山一帯の春日大社・興福寺と、東大寺との領地争いから始まった」とか、「早春にしばしば行われる原始的な野焼きに由来する」などという話もあった。上の実行委員会パンフレットの説では、春日大社が出てこない。ところが、当日の式次第では「春日の大どんど」より御神火が発したり、神事一切を春日大社が行っているし、そもそも春日大社の宮司さんがこのパンフレットに一文を寄せているので、むしろ興福寺や東大寺の影は薄い。わずかに「三社寺にゆかりの深い温食」として、名前が挙がっているのみである。真実のところはどうなのか、聞こうにも適当な人はいなかった。それでもパンフレットをよくよく見ると、「春日大社、興福寺、東大寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、さらには奈良全体の防火、世界の人々の平安を祈ります」とある。長い間に色々と変遷があったのだろうが、今では、春日大社が前面に出て、それを奈良県と消防団が支える観光行事となっているようだ。当日の式次第は、次のようになっている。

 午後4時45分 御神火奉戴祭「春日の大どんど」より御神火をもらい受けます。」

 午後5時05分 聖火行列出発「御神火が金峯山寺の法螺貝に先導され、山焼きに関係の深い三社寺と奈良奉行所の役人など総勢40名の厳粛な時代行列により、山麓にある野上神社まで運ばれます。」

 午後5時15分 松明点火「春日大社の御神火を松明に点火します。」

 午後5時40分 山麓中央の大かがり火に点火 「御神火は野上神社到着後かがり火に点火され、山焼き行事の無事を祈願する祭礼が行われます。続いて法要として、東大寺・興福寺・金峯山寺の読経の中、山麓中央の大かがり火に点火します。

 午後6時15分 大花火打ち上げ

 午後6時30分 山焼き一斉点火「奈良市消防団員が山麓中央の大かがり火から松明に火を移し、法螺貝、ラッパの合図で一斉点火します。

 夕食会場の古都屋から出てきたのは、午後5時50分頃である。そのまま古都屋の前で見物する人も多かったが、私の場合はカメラを載せる三脚を広げるので、そんなことをすると通行の邪魔となる。それではどこか適当な場所はないかと見渡して、若草山の麓にもっと近づいて、その柵を越えたところで三脚を構えることにした。幸い、この日は柵の中に入ってよいし、適当な場所も見つかった。その間、風に乗って法螺貝の音や読経の声が聞こえてくる。気温は零度を下回っているようなので手先が寒い。手袋をした。午後6時15分になり、花火が打ち上げられた。打ち上げ場所が近いので、花火がシューッと上がり大輪の花を咲かせた瞬間、ドーンという音と身体に響く振動を感じる。


大花火打ち上げ


 さて、愛用のキヤノンのカメラを構えて、「B」(バルブ)、つまりシャッターを常時開放にし、それにケーブル・レリーズを接続する。これのボタンを押している間だけ、シャッターが開くという仕掛けである。我々人間が花火を見ると、一瞬の残像が繋がって美しい像となる。ところが、カメラで数十分の1秒間だけシャッターを開けても、ほんの一瞬の点にしか見えない。そこで、バルブ状態でレリーズを使うのだが、手でやるものだからあまり短いと点になり、長すぎると火の玉のようになる。そこで、適当に手動ですることになる。その他、バルブを使わずに2分の1秒などの長いシャッターにすれば良いのだが、本日の花火は僅か15分間なので、試行錯誤している暇はない。私が以前持っていたオリンパスのカメラの場合は素人向けの製品だったから「花火モード」というものがあって、単にシャッターを押すだけで綺麗な花火が撮れた。ところがこのカメラは少し高度なものだから、そういう素人向けの便利なモードはない。私も、花火は年に1回、撮るかどうかというところだから、全く慣れていない。でも、この際、適当にやるしかない。

大花火打ち上げ


 花火が始まり、そんな心許ない状態で、撮り始めた。暗い中だし、次の花火が大空の中でどのくらい広がるのかを想定してレリーズを押さないといけない。でも、やってみると何とか写っている。順調である。そう思ったその瞬間、とんでもないことが起こった。押し込んだレリーズのボタンが元に戻らないのである。やっとのことで元に戻した。その間、シャッターが開きっぱなしになるから、写った写真はまるで太陽のような火の玉となってしまった。こんなことがあるのかと思ったが、翌日、試してみたところ、1回も起こらなかった。原因は、零度を下回る低い気温のせいだったのかもしれない。とにかく、そうこうしているうちに、15分間の打ち上げは終わった。皆が盛り上がったのは、奈良公園の鹿を模したスターマインだったが、残念ながら写真はうまく撮れなかった。

若草山焼き


 それから、若草山に左右から火が放たれて、山頂に向けて燃え広がった。漆黒の空に、炎が揺らめく。幻想的な風景である。顔が少し暖かくなる。壮大な焚き火である。写真を撮るが、今度は幸いなことに、レリーズがフレーズしない。撮っているうちに30分ほどであっけなく終わってしまった。でも、山に近すぎて全体像が上手く撮れない。少し離れた春日野園地や、もっと遠くの若草山の南側に位置する高円山から撮るべきだったと思った。その他、奈良県庁の屋上という手もあった。ただし、県庁は予約が必要だそうだ。あるいは、平城京跡で行われる「奈良大立山祭り」の闇夜に浮かぶ巨像とともに写すという方法があったようだ。

 なお、この若草山焼きは、一昨年は乾燥していて、普通なら30分は燃えるはずのところ、たった3分しかもたなかったそうだ。昨年は牡丹雪が降って湿っていて、ちっとも燃えなかったという。こうなると、もう笑い話の類いだ。では今年はどうかというと、前日から晴れて適度に乾燥し、雪もちらついて気温が低く、点火から30分、普通に燃えてくれたそうだ。

 それは良かったのだが、そもそもこのツアーのパンフレットにあった「若草山の上空に花火が上がり、ライトアップされた寺社の建物の背景に、山焼きの紅蓮の炎が浮ぶ」というのは、実は合成写真だったのだ。現実には花火を打ち終わってからの山焼きだし、その炎のごく近くにあんな大きなライトアップされた寺社の建物があるはずがない。もしあったら、今頃は燃えてしまっているだろう。騙されたようなものだが、翌日の日経新聞を見ると、(1)山焼き、(2)花火、(3)ライトアップされた寺社の建物の3点セットの写真が載っている(下に掲げた2枚の上の写真)。全く見事に合成したものだが、読者を騙しているようなものだ。その点、朝日新聞大阪版を見ると、「燃え上がる若草山。手前は興福寺五重塔」という題名で「午後6時13分から7時31分までの17枚を合成」と、ちゃんと書いてある(下に掲げた2枚の下の写真)。こちらの方が正直だし、花火は合成の対象にはしていない。


日経"


朝日"





2.京の四社巡り

(1)八坂神社(青龍)

八坂神社


 八坂神社は、東大路通と四条通との交差点に向けて建っている京都のシンボルのような社で、祇園祭の本拠である。私は、桜の季節になると、その裏手にある円山公園にはよく行って枝垂れ桜を愛でたものだが、1月に行ったのは初めてで、「いとすさまじきものかな」という感じである。

美御前社


 しかし、今回発見したのは、八坂神社には実に色々な「祇園さんの神さまたち」がおられるということである。素盞嗚尊を祀る厄除けの本殿のほか、例えば、 美御前社(お参りすると身も心も美しくなる)、疫神社(無病息災)、大国主神社(縁結び)、太田社(諸芸上達)、北向蛭子社(商売繁盛)、刃物社(刃物を扱う人の守り神であり、開運)などである。時代背景によって、庶民の色々な需要に応えようとしたものだろう。

八坂神社本殿にお参りするプロサッカーチーム


 今回、プロサッカーチームが、外国人監督以下揃って八坂神社本殿にお参りに来ていたのには驚いた。日本の神様の懐が深いのか、それとも外国人サッカー選手たちの唯一神信仰がいい加減なのか、私にはよくわからない。

知恩院の駐車場





(2)上賀茂神社(玄武)


上賀茂神社の神馬舎


 別名「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちのかみじんじゃ)で、9年前に家内と訪れた思い出の神社である。神社の一ノ鳥居の緋色が映えて美しい。広い境内を進んで行くと、右手に手作り製品のマーケットをやっている。そこを過ぎると、神様の使いである白馬がいる「神馬舎」があり、子供が人参を食べさせていて、それが誠に可愛い。外国人観光客を含めて、参拝客皆がニコニコしながら見守っている。

神前結婚式の御一行


 二ノ鳥居の前まで来たら、神主さんと巫女さんに先導された神前結婚式の御一行のお通りだ。新郎新婦さんの幸せそうな顔が通り過ぎて鳥居をくぐり、神域に入る。そして直行したのが「細殿」である。これは、400年の歴史ある建物だそうだ。もちろんその前には、上賀茂神社を特徴づける立砂(円錐形をした二つの砂の山)が置かれている。その裏手に回ると、本殿に通じる緋色が美しい楼門がある。それをくぐると、権殿と本殿だ、家内と来た9年前はあと7年で式年遷宮を迎えるというので桧皮葺用の桧皮を寄進したが、もうそれが使われているのだろう。何しろ時間が限られているバス旅行だから、のんびり感慨にふける間もなく、次の社に向かう。

上賀茂神社を特徴づける立砂





(3)松尾大社(白虎)


松尾大社の絵馬


 次は松尾大社で、私はこれまで来たことがなく、これが初めての参拝となる。一言で松尾大社を評すると、「いかにも昔ながらの神社らしい渋い神社」である。上賀茂神社のような派手な緋色の楼門や鳥居などは一切なく、檜皮葺の地味な社がひたすら並んでいる。この日はまだ1月だったので、正面に色鮮やかな戌年の大きな犬の絵馬が飾ってあったものの、それ以外は誠に平凡な印象である。

松尾大社本殿


 ところが、その中でひとつだけカラフルなお酒の樽が並んでいる一画があった。何かと思ったら、この社は、お酒の神様なのだそうだ。というのは、5世紀頃に朝鮮から「秦氏(はたし)」の一団がこの地に入植した。その秦氏が得意としていた技術の一つが、酒の醸造だったからだという。ちなみに、飛鳥から奈良、平安時代にかけて上賀茂神社一帯にいた豪族は賀茂氏といい、桓武天皇が平安遷都に踏み切った後は、松尾社の秦氏とともに、皇室を支えたとされる。よって、「当社(松尾大社)と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。」(同社HP)とのこと。

松尾大社の酒樽


 ちなみこの日は、赤ちゃんの初宮参り(産土参り)を、3組も見かけた。この零度近い中、生まれて僅か1月ほどの赤ちゃんと連れ回して大丈夫かと思ったが、両親と双方の祖父母が笑顔で写真を撮り合っている。微笑ましい風景だ。なお、重森美玲作の庭園「松風苑」があったようだが、残念ながら観る時間がなかった。また次回にしよう。


(4)城南宮(朱雀)


城南宮の神苑


 京都の伏見にある城南宮については、私は全く知らなかったが、鳥羽伏見の戦いの舞台だったようだ。そのHPには、「明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったのであり、錦の御旗が翻って旧幕府軍に勝利すると薩摩の軍勢は城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れました。」とある。

城南宮の神苑


 「都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。家庭円満や厄除や安全祈願、また車のお祓いに全国からお見えです。また古くより、住まいを清める御砂や方角の災いを除く方除御札を城南宮で授かる習慣があります。そして曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ安らぎの庭になっています。巫女神楽の鈴の音が毎日響く城南宮をお訪ねください。」とある。

城南宮の神苑


城南宮の神苑


 その神苑に入ってみた。なるほど、梅や桜、曲水の宴の時期にはさぞかし美しかろうという風情であるが、残念ながらこの日は真冬の気温が低い時期だったので、まさに「すさまじき」景色であった。ただ、鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物のある建物は、とても良かった。外の景色を見るより長い時間をかけて、絵巻物を覗き込んだ。

城南宮の神苑の鳥羽伏見の戦いを描いた絵巻物





(5)京都五社巡りのいわれなど

 城南宮の「京都五社めぐり ー 四神相応の京(みやこ)」の説明によると

「千年にわたって続いた京の都は、「四神相応」と讃えられています。方角を司る「四神」、すなわち玄武(北)、蒼龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)が守護する土地として、ここに都が造営されたのです。
 うらうらと朝日が昇る東山の麓に八坂神社、広々とした桂川を渡った西に松尾大社、水清き鴨川が流れ出る北に賀茂別雷神社(上賀茂神社)、鴨川と桂川が出会う南に城南宮、そして、平安神宮の建物は、平安京の大極殿さながらに建てられ、東に「蒼龍楼」、西に「白虎楼」がそびえます。  古来より人々は都の要所要所に鎮まるお宮に祈りを捧げ、それに応えて神々は人々の暮らしを守り、願いを聞き届けて来られました。四季の祭礼行事と美しい自然に彩られた京都のお社を巡れば、神々の息吹きに触れ、清々しい気持ちになります。元気をもらいに平安京にゆかりの深い神社にお出かけください。そして神様のご加護の印の御朱印を集めてみてはいかがですか。」
とあって、「五社めぐり四神色紙」なるものを勧めている。

 ああ、なるほど、そういう仕組みだったのかと、やっと納得した。そういえば、各社で僅か40分間しかない参拝時間で、どうやって御朱印をもらおうかと腐心している人がおられた。ちなみに私の場合は、もう物には一切こだわらないので、そういう一種の「物欲」には無縁である。残すとしたらデジタルの形式にしている。そうすると、誠に清々しい気分になる。例えば、昨年はアルバムにして20数冊分の写真をデジタル化してすっきりした。今年は、書類と本のデジタル化に手を付けようかと思っている。そして最終的には、ハードディスク1個になるのが理想である。




(2018年1月28日記)


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iPhoneのバッテリー交換

アップルによるiPhoneのバッテリー交換プログラム


 昨年来、ネット上で、「動作が遅くなった古いiPhoneのバッテリーを交換したところ、駆動時間が伸びただけでなく、アプリがサクサクと動いて、購入した直後のような快適な状態に戻った。」ということが話題になった。これは、iOSのせいではないかと疑いの目で見られ、それに答える形でアップルが、「バッテリーが経年劣化した古いiPhoneの速度を状況により意図的に落としていたことは事実であるが、その目的は不意にシャットダウンすることを防ぐためだった」と回答したことから、騒ぎが広がった。これは、古いiPhoneを買い換えさせるためではないかという邪推(?)まで生み、各国で訴訟騒ぎまで起きたほどである。

 iPhone7plusを使っていた私も、昨年秋頃から、どういうわけかアプリの動きが鈍くなった上に、電池容量が18%と、まだ少しあるはずなのに突然シャットダウンしてしまって、困ったことがしばしば起きるようになった。だから以上のような経緯により、要はアップルがiOSを勝手にいじくって、こういうことになったのかと、ようやく納得した。一方、アップルは、こうした状況に対応して、2018年1月20日、「iPhoneのバッテリーとパフォーマンス」という文書を発表した。その一部を引用すると、

 「バッテリーの充電残量が少ない、化学的経年劣化が進んでいる、周囲温度が低いといった状況下では、突然のシャットダウンが起きる可能性が高くなります。極端な場合は、シャットダウンが頻繁に起こり、その結果、デバイスが不安定になって使えなくなることもあり得ます。iOS 10.2.1 (2017 年 1 月リリース) には、旧モデルの iPhone でこういった突然のシャットダウンが起きるのを防ぐための機能改善が盛り込まれました。これには、iPhone 6、iPhone 6 Plus、iPhone 6s、iPhone 6s Plus、iPhone SE で、パフォーマンスの瞬間的なピークをダイナミックに管理し (ただし必要な場合のみ)、デバイスが突然シャットダウンするのを防ぐ機能が含まれています。この機能は、その後、iOS 11.2 を搭載した iPhone 7 や iPhone 7 Plus にも拡大されました。(ところがその結果、次のような問題が発生した。)

 ・ App の起動に時間がかかるようになった。
 ・ スクロール中のフレームレートが低くなった。
 ・ バックライトが暗くなった (コントロールセンターで設定の変更が可能)。
 ・ スピーカーの音量が小さくなった (最大でマイナス 3dB)。
 ・ 一部の App でフレームレートが徐々に低下する。
 ・ さらに極端な場合は、カメラのフラッシュがカメラの UI に表示されているにもかかわらず使用できなくなった。
 ・ バックグラウンドで更新されるはずの App が起動中に再読み込みされる場合がある。」


 要するに、純粋に技術的なバッテリー対策であって、悪気はなかったというのである。ところでアップルは、この文書中で、「バッテリーの化学的経年劣化が相当進んでいる場合は、電源管理がもたらす変化が長期間続くことがあります。これは、充電式バッテリーはすべて消耗品であり、その耐用年数に限りがあり、最終的にはサービスかリサイクルが必要になる性格のものであるからです。お使いの iPhone に上記のような変化が見られ、そのパフォーマンスをもっとよくしたいとお考えの方は、バッテリーの交換をご検討ください。(中略)バッテリー交換をご希望の方は、こちらからサービスオプション (配送修理または持ち込み修理) をお選びになってお手続きをしてください。」として、「バッテリー交換プログラム」を公表した。Web上でそれを開いてみると、希望があればバッテリー交換をする、保証期間内なら無料、それ以外なら3,200円というのである。同じWebサイト中で近くのアップル・ショップ(アップル製品修理センター)の位置まで検索できて、空いている日と朝10時から夕方7時頃までの予約時間が示されて、その場で予約もできた。

 その予約日時となり、アップル製品修理センターに行ってみた。ビックカメラの中にある。受付番号を引いて待つと、直ぐに案内された。私は、自分の名前で2台契約しており、そのうち1台を家内に使ってもらっている。だから、2台のバッテリー交換するつもりで行ったが、「iPhone7plusのバッテリーがそもそもあまりないし、1回に1個しか交換しない。」と言われた。そんなことは、どこにも書いていなかったが、そう言われればやむを得ないので、とりあえず使わないもう1台については出直すことにして、家内に使ってもらう256GBを先に交換してもらった。まず、診断ソフトでチェックしてもらうと、バッテリーの健全度97%(だから、劣化度3%)、これまでの充電400回と出た。使った期間は約1年半だから、そんなものだ。係員は、「普通なら、交換する必要はないですね。交換基準は、健全度80%なのですからね」と言う。私が「これはもう1年半くらい使っているけど、そうすると何回充電すれば交換しなければいけないことになりますか」と聞くと、「500回か600回ですね」と言うので、「ではあと少しということだから、この際、替えて下さい」と頼むと、何か、色々と言う。まるで、断念させるための説明のようだ。

 一番妙だった説明は、「可能性は1%もないと思いますが、万が一、バッテリーの取替えで何か事故があったら、(この端末はアップルケアの保証が切れているので)38,000円の修理代金がかかります。」と言ったことだ。私が「しかし、取り替える過程で事故があったのなら、それは修理した人の瑕疵担保責任の範囲内で、そういう修理上の危険を持ち主に負わせるのは、筋が通らない。」と理屈を言うと、(これはかなわないと思われたせいか)「アップルの正規ショップなら、多少は融通性が利きますが、ウチは代理店なもので」などと訳の分からないことを言う。私が「代理店だろうがなんだろうが、例えばバッテリー交換の途中で画面が割れてしまったら、そういう危険まで依頼主に負わせるのは、おかしいでしょう。」などと言うと、「そうですね。」と言いながら、(断念させることを諦めたのではないかと思ったが)それ以上の話はしないで、交換のためにiPhone本体を持って奥に引っ込んだ。

 10分もしないうちに戻ってきて、交換が終わったようだ。それで私の目の前でパソコン本体と繋いで、チェックを始めた。画面のチェック、音のチェックなどと、時間がかかる。途中で、色々な話をしたが、中でも面白かったのは、「交換したのが新しい電池にもかかわらず、充電率が17%と、なぜ低いのかというと、かつてサムスンのスマホのリチウムイオン充電池が発火して以来、航空会社は充電率が30%以下のものしか受け付けてくれないから、そうなっているのです。」とのこと。また、最近のiPhone修理依頼の8割が、このプログラムによるバッテリー交換だそうだ。先ほどの「ウチは代理店なもので」という言葉の裏を読むと、まるでアップルの正規ショップに直接、行ってくれとでも言わんばかりである。

 それやこれやで、単なる交換だから10分もかかわらず終わると思っていたが、実際には終わった時点で時計を見たところ1時間も掛かっていた。支払いは、3,456円。まるで語呂合わせのようだが、3,200円に消費税を足すと、確かにそうなる。最後には、修理完了のペーパーをくれた。加えて、もう1台のiPhone7plusのバッテリー交換のための注文書もくれたが、それから1週間経つというのに、何の連絡もない。こんな調子では心配なので、しばらく待って連絡がなければ、銀座のアップルショップに直接行こうかと思っている。なお、iPhoneXのバッテリー交換も気になるが、こちらの方は今月購入したばかりだから劣化とは無縁だし、今年12月まで交換してくれるようなので、当面このまま使うことにして11月頃までに交換すればよいと考えている。なお、こちらの方は、アップルケアに入っているので、無料のはずである。




【後日談】もう1台のiPhone7plusもバッテリー交換終了

 上記のように、「しばらく待って連絡がなければ、銀座のアップルショップに直接行こうか」などと考えていたところ、そういう日に限ってタイミングよく連絡が入るものだ。「では、直ぐに行きます。」と返事してその日のうちに予約をとって、交換に行った。すると、2台目ということもあって、無駄な説明は全くなしに淡々と取り替えてくれて、45分ほどで完了した。バッテリーの交換そのものは10分もかからないが、交換前後の動作確認にそれ以上の時間がかかる。御礼を言って帰ろうとすると、同じようにバッテリー交換を求めるお客が2組も待っていた。





(2018年1月25日記)


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iPhoneXへ機種変更

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1.私は、iPhoneを7年半も使い続けて、もはやこれが仕事や趣味に不可欠というほどになっているのだけれど、その心臓部を動かすソフトウェアであるOS(オペレーション・システム)が、iOS11に切り替わることで、問題が発生した。これは、64ビットで動くという。そうすると、従来の32ビットで動くアプリケーション(ソフトウェア)を、64ビット環境に合わせなければならない。しかし、私が最もよく使っている最重要アプリである「i手帳」が、64ビットに対応してくれていないのである。その他、対応していないアプリとして、年齢・年号計算アプリ、英語辞書アプリなどいくつかあるが、それらは代わりのアプリがあるからまだよい。ところがi手帳の場合は、これに代わるアプリがなかなか見つからないのである。調べてみると、どうやらその作者が交通事故で亡くなったという噂があった。それが本当であれば誠にご愁傷さまなことであるが、後継者がいなければ、いつまで経ってもiOS11に対応してくれないことになる。道理で、iTunesストアからデータが消されているわけだ。仕方がないので、iOS11に転換せずに当面はiOS10のまま、使うことにした。昨年10月のことである。ただ、そうすると「iOS11に転換せよ」という表示がいつも出てきて、なかなかうるさい。いつかは替えることになるからと、「i手帳」に代わるものがないかとネットで調べたところ、「スケジュールストリート」というアプリがあった。スケジュール管理と日記が合わさっていて、写真、メモ、録音も保存できる。一覧性は、「i手帳」ほどではないが、まあ使える。毎日の日記の保存は、画像にして「Evernote」に入れればよい。ELECOMという会社がやっていて250万ダウンロードだそうだから、長続きしそうだ。そういうわけで、これに決めた。ただ、毎日の日記にかかわることだから、スケジュールストリートの使い勝手をみなければと思って、昨年10月以来、i手帳と同時に使い続けてきた。それで、ほぼ同等のことができると確認し、本年1月1日をもって、iOS11に転換した。

スケジュールストリート


 ところがそうなると、今度はiOS11の性能を生かせる機種がほしくなった。私は1年3ヶ月前に買ったiPhone 7plus 256GBを使っている。ところが、iPhoneX(テン) なるものが2ヶ月前に発売されたというので、いつもの新しもの好きの性向もあり、その256GBのモデルに機種変更することにした。1月4日に御茶ノ水のauショップに行き、iPhone 7plus をiPhoneXに機種変更し、今まで私が持っていたiPhone 7plus 256GBを持ち帰って家内(同じiPhone 7plus の32GBモデル)に使ってもらおうという算段である。家内の従来機種は、32GBのため、いつもデータ容量不足に見舞われているからだ。


2.auショップでは、こういう内容の契約だった。

  仝酋眸稜箍然複隠苅,400円のところ、分割支払金は135,600円(頭金10,800円。分割の方が安い。)、分割支払金は月2,825円(なぜこんなに安いのかと思ったら、何と支払回数48回で支払い期間が50ヶ月となっていた。)まあ、2年ほどしたら再び新しい端末が出て、それへと乗り換えさせられる形で割引がありそうだから、それで良いと納得した。

 ◆。腺陦le Care+とau端末サポートが月1,285円で、故障や損傷の修理代金が少し安くなるほか、紛失盗難保証が4年で2回まで利用可能だそうだ。(Apple電話番号:0120-925-050、受付時間:09:00から20:00まで、年中無休)

  ビデオパスというものに自動的に入会させられた。月562円だそうだが、「そういう趣味はないから要らない」と言うと、「では自分で退会せよ」と言うので、帰ってから忘れないうちに、auのアプリを通じて退会した。簡単に終えられた。

 ぁ…命プランについては、現在、私は月5GBの電話かけ放題というプランである。今はこれで十分なのであるが、それが、「auフラットプラン20・かけ放題」となる。つまり、データ使用量が20GBもある。「私はビデオを見ないから、要らない」というと、「プランはこれしかないし、次のイ韮蕋丕瓧笋閥ν僂任る」というので、納得した。その月額利用料は、7,500円(内訳:月額基本使用料が2,400円+データ定額料が4,720円+LTE NETが300円)。 ちなみに、面白いのは、アップグレート・プログラムで、月390円を払っていると、私の場合は48回返済なので、端末購入から25ヶ月目に機種変更すると、残債はすべてauが負担するという。つまり、本体代金が半分になるということを意味する。更に、乗換え時の今回の負担を軽くしようとするのか、ビッグニュース・キャンペーンとして、最大12ヶ月、毎月1,000円を割り引くという。

 ァ,修譴如∨莊遒了拱Гい蓮■蕋丕茖錚遑紕悗世韻如確か月12,000円強になる。「そこで」と言って係員が出してきたのは、「加えて、iPadに新しく3年契約すると、iPhoneXの方も割り引かれて、合わせて月13,000円ほどですが、いかが?」という。しかも、その分のデータ使用量は、iPhoneX本体で契約する20GBの中に含まれる、つまりiPhoneとiPad間で共用できるということだ。私は、数年前に買ったiPadを実に便利よく使っている。これはもう、iPhoneXとペアで必要不可欠なものと言って良い。特に新聞や雑誌を読むのに使っている。1年ほど前に2年の契約期間が切れたので、その際にSIMカードを抜いてWiFi専用とし、外ではiPhoneXのテザリングを利用していた。だから、iPadに再びSIMカードを入れるなら、テザリングは不要となるから、その費用は節約になる。ということで、またiPadを買うことにした。ややこしいことに、これは3年契約である。


新しいiPad


3.これで契約が終わり、家にiPhoneXと新しいiPadを持ち帰った。

  〜案に、私と家内のiPhone 7plusを私のパソコンのiTunesに暗号付きでバックアップした。ちなみに暗号付きでないと、全てのパスワードや設定をやり直す必要があるからである。次に

 ◆_汎發忙箸辰討發蕕Δ燭瓠∋笋使っていた iPhone 7plus 256GBをまずリセットした。それは、端末の「設定」から簡単に出来る。その上で電源を入れると、「こんにちは」から始まって、使う言語の設定、自宅WiFiの設定(2Gと5Gの二つ)に次いで「新しいiPhoneXとして設定するか、iCloud又はiTunesにある既存のバックアップから復元するか」という選択肢があり、

  最後者の復元を選ぶと「iTunesに繋いで」という指示がある。それに従ってライトニングコードをパソコンに繋ぐと、どのバックアップかという選択肢が示されるので「iTunes中の家内のバックアップ」を選ぶと動き出したが、途中で「残り6時間」などと、とんでもない時間が示された。32GBでこの調子では、私のiPhoneXで256GBをバックアップする場合は何時間かかるのだろうという気になる。

 ぁ,箸海蹐、家内のiPhone 7plus 32GBのバックアップを私の256GBへと復元する試みは、失敗した。3回やっても同じ。指示通りパソコンを再起動しても同じ。しかも「容量がない」という表示がパソコン画面中に出たので、てっきりiPhoneXの容量のことかと思ったら違った。容量不足は、パソコンなのである。500GBあるはずのCデレクトリーの余りが、驚いたことにあと6GBとなっていた。そこで慌てて容量の大きいデータをDデレクトリーに動かして48GBを空けた。それからまた復元を試みたが、やはり失敗した。よくよく調べてみると、家内のバックアップの複製がCデレクトリー中に4個も作られている。これでは容量が足りなくなるはずだ。理由はよく分からない。そこで、当初の計画は一時的に棚上げとして、家内にはとりあえず、引き続き32GBを使ってもらうことにした。パソコン中のバックアップは削除してしまった(注1・2)

 ァ〇笋裡蕋丕茖錚遑紕悗法■沓陦譯s256GBのデータのバックアップを試みたら、一発で成功した。支障なく使えている。

 Α,箸海蹐如古いiPad(これまではWiFiかテザリングで使用)をiTunesにバックアップし、それを新しいiPadに復元しようと思ったら、「古すぎて復元できません。」と出た。「OS11にしてあるのに」と思ったが、仕方がない。こちらは、諦めることにした。幸い、主なデータはiPhoneやiCloud上にあるので、手による復元には、さほどの手間はかからない。むしろ、既存のアイコンが整理できて、かえって都合がよい。


4.それから、iPhoneXと新iPad(第五世代)を10日ほど使ってみた感想であるが、まずiPhoneXの大きさは、7plusシリーズと比べれば再び元に戻ってひと回り小さくなったが、字の大きさが自由に調整できるので、さほど気にならない。むしろ、シャツのポケットに楽に入るから、持ち歩きやすい。それに加えて、顔認証は非常に便利であり、これほどのものかと、つくづく感心した。最初の認証画面だけでなく、パスワード付きの個々のアプリでも、開いたとたん、自動的に顔を見てIDとパスワードを入れてくれる。これだけでも、価値があると思う。また、速度が速くなった気がする。実感としては、2割ほど早いかなという感じだ。しかし、ディスプレー画面は液晶ではなく有機で美しいという触れ込みだったので期待していたのだが、確かに美しいものの、以前ラティーナ・ディスプレイが出てきたときに驚いた時のような感激はなく、iPhoneファンには申し訳ないが、あまり差がわからない。なお、写真の圧縮方式を変えたそうだが、私は「互換性重視」として、引き続きJPEG又はPNGで使うつもりである。美しい写真が撮れるということだが、確かにそうかもしれない。ワイヤレス充電ができるというが、そのための専用充電機器は、まだ発売されていない。新iPadの方は、画面は美しいし、前のものより動きが断然に早い。やっと、設定を終えた。アプリの並べ方は、なるべくiPhoneXに似せるようにした。また、本や書類に紛れることが多いので、目立つようにと、派手な色目(ローズゴールド)のカバーにした(注3)。


派手な色目(ローズゴールド)のiPadカバー


 この際ということで、色々なアプリでパスワードを変更した。困ったのは、JR東日本関係で、「えきねっと」、「Suica」、「Suicaポイント」、「びゅー」、「大人の休日」など、たくさんあり、中にはあまりに古くて、もうパスワードの記録も見つからないというのがあった。それまでは、「My JR−East」の連携IDで入っていたから実用上は問題がなく、従って個々の古いパスワードは忘れてしまっていた。ところが今回の機種変更で、その連携を再びやり直す必要があり、そのためには10年以上も前の昔のパスワードを思い出さないといけない。これには困ったが、何回か失敗して、やっとパスワードが通ったときの嬉しさは、格別だった。でも、考えてみたら、誠にばかばかしい話で、JRが最初から一括してウェブサイトを作ってくれていれば、こんなことはなかったのにと思った次第である。その他、特に銀行関係は、一部独自な認証方式のところを除いて、すべて顔認証でやってくれる。「Keeper」も、顔認証だし、今回、パスワード付きのバックアップから復元したので、いちいち連絡しなくとも、そのまま新iPhoneXと新iPadで使えた。また、この両者で月20GBの容量を使えるし、使い勝手も良くなったので、新iPadをかなり使うようになった。

 その他、家内のiPhone 7plus 32GBと、古いiPadは、まだ十分に使えるので、こんな中古品でよければ誰か若い人にあげようと思ってSIMロックを解除しようとした。そうすると家内のものはネット経由で簡単に解除できたが、残念ながら古いiPadは解除できない機種であることが判明した。WiFiで使うなら別だが、電話回線で使うならauの回線を持っている人にしか、差し上げられない。また、iPhoneXのカバーは、auショップで売っているブック型の単純なものにした。画面保護フィルムは、前回同様に、係員に貼っていただいた。とても、上手である。




(注1) iTunesバックアップの削除方法

 検索バーに「%appdata%」と入力。「return」キーを押す。「Apple Computer」>「MobileSync」>「Backup」の順に各フォルダをダブルクリックすると、バックアップファイルが見つかる。そこで、全て削除してしまった。結局、全部で280GBほどもあった。


(注2) バックアップに再度挑戦

 数日経って、前回バックアップが失敗した理由が分からないので、再びやってみることにした。まず、_汎發裡蕋丕茖錚遑 7plus 32GBについて、パソコンのiTunesでバックアップを取り(もちろん、パスワード付き)、その間、私のiPhone 7plus256GBをリセットする。⊆,い如⊂紊裡貝↓と同じ要領でやると、小1時間ほどで復元ができた。32GBから256GBになったので、これ以降、家内は容量を気にせずに使うことができる。


(注3) 新iPadのカバー(ローズゴールド)

 ESR 新型 iPad 9.7 2017 ケース 超軽量 極薄レザー 三つ折スタンド オートスリープ機能 スマートカバー 2017年春発売のiPad 9.7インチ(第五世代)のみ対応(モデル番号A1822、A1823) 全10色(ローズゴールド) 販売: ESR Case JP Store





(2018年1月14日記)


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