長崎ランタンフェスティバル


 長崎ランタンフェスティバル2024に行ってきた・・・と言っても、ほんのさわりだけで、しかも小雨の中という天候には恵まれなかった。しかしそれでも、長崎燈會の極彩色の煌めく光のページェントと、変面などの演舞を堪能することができた。

 いただいたパンフレットによると、「このお祭りは、長崎新地中華街の人たちが、街の振興のために、中国の旧正月(春節)を祝う行事として始めたもので・・・平成6年から『長崎ランタンフェスティバル』として規模を拡大し、長崎の冬を彩る一大風物詩となりました・・・今年は2月9日から17日間にわたり開催され・・・期間中は中国の『元宵節』にあわせてランタン(中国提灯)を飾る風習に習い・・・市内中心部が1万5千個にも及ぶ続彩色のランタンなどで飾られます」とのこと。ここで元宵節とは、「旧暦の1月15日で、天の精霊が空を飛ぶのを見ることができると信じられてきました。この夜、雲や霧が出ていても精霊を見つけやすいようにランタンを灯して街を練り歩くお祭りが始まったと言われています」という。ちなみに今年は、2月17日に皇帝パレードに皇帝役として地元長崎出身の福山雅治、皇后役として同じく仲里依紗を招いて行ったものだから、大賑わいだったという。私が行ったのはその喧騒の後である。



 先ずは、新地中華街に飾られた中国ランタン装飾である。あっあー・・・無情にも雨が降ってきた。正面にあるのは、鯉の滝のぼりのモニュメントで、てっぺんにあるのが、牛に乗った人間だ、、、中に入ると、中国の武人、貴族、動物、火の鳥、日本の竜宮城まである。和中ごちゃ混ぜになっている。青森のねぶた像は骨組みが太くて力強いが、この中国ランタンはどの像も骨組みは華奢である。会場とその周辺の派手な像を観たり、天井にたくさん輝くランタンを見たりしていると、派手派手しくて目が回ってくる。

 次いで雨が降る暗い中を歩いて、孔子廟に向かう。そこでは、二胡の演奏と変面ショー、それに龍踊り(じゃおどり)が予定されていた。ところが、この日は、雨の影響を受けて、龍踊りは中止となった。残る二つの出し物はどうなるのかと思ったが、奇跡的に演技の時間だけは雨が止んだ。



 二胡の演奏をするのは、李文馨(Sissi-Ji)という若い胡弓奏者で、声も良く、演奏も良かった。最後の草原の歌は、馬のいななきのような音も出て、二胡の特徴を良く表していた。




 同じくパンフレットによれば、「中国変面ショーの『変面』とは、中国四川省の川劇に属し、お面が瞬時に十数枚変わる伝統芸能です。その仕掛けは中国の国家機密となります。長崎孔子廟に所属する変面師が皆様を魅了します」とある。その説明の通り、一瞬にして顔が変わる。手で変えているのかと思ったが、手は一切使っていない。一体どうなっているのか・・・どうやら、顔を左右に振る時に一瞬にして面が入れ替わるようだ。あまりに速いので、ビデオを撮っても写っていない。ともかく、これは、見応えがあった。なお、顔には表情があるし、人だけでなくお猿さんなどの動物の顔もあり、その時は演者の動作も猿らしくなっていた。






 長崎ランタンフェスティバル(写 真)


 二胡の演奏(ビデオ)


 変面ショー(ビデオ)


 ハウステンボス白銀の世界(ビデオ)




(2024年2月23日記)


カテゴリ:エッセイ | 21:30 | - | - | - |
イポーの中国正月 2024

GAC


 久しぶりにマレーシアの中国正月を訪れた。昨年末に開かれた友人の華僑の「古希の宴」の際に、招待されたものである。この一家はクアラルンプールより北に位置するイポー市の出身だが、兄弟姉妹など全部で8人にも及ぶその半数は、クアラルンプールと1人だけシンガポールに居を定めている。それが、中国正月や4月の先祖の供養日、そして8月のお盆には、一家で集まるのである。この兄妹姉妹の最高齢は78歳で、半数はもう70歳つまり古希の年齢を超えている。だから、各家庭平均2人の子供たちと、更にその子つまり孫世代が全員集まる。よって、もう「うるさい」というレベルではなく、家中がバタバタ、ドタドタ、ワーワーガーガーと、まるで休み時間の小学校のようだ。

 今年の中国正月は2月10日からなので、その前の日の明るい内にイポーに到着する。翌日つまり新年になって、指定のレストランに向かう。新春の宴で、中はもう大混雑。2階に案内され、4つのテーブルに分かれる。世代ごとだ。まずは、テーブルの真ん中に運ばれた「魚生(イーサン)」料理に対して、全員が嬉々としてそれぞれ箸を持って立ち上がり、「ヘーロイ(良いことが来ますように)」と叫びながら混ぜる。これは、当地の中国正月独特の慣習で、一体感が高まるそうだ。


 座ってそれをお皿に盛って食べてみると、甘酸っぱくて、胡麻が効いていて、不思議な味だ。肝心の中身は、野菜、鮑、クラゲ、イカを刻んだものが、バラバラになっているので個々の味はよくわからない。それに加えて白身の生魚がある、、、だから「魚生」というのかと納得。でも、こんな国で生魚とは参った。周りに聞くと、日本の刺身や寿司以外で、自分たちもこの料理以外は生魚は食べないそうだ。まあ、それなら良いかと思って少し安心して食べた。それを皮切りに、いつもの中華コース料理が次々に出てきて、皆たくさんよく食べること、食べること。その健啖ぶりに驚く。

 その割には、お腹が出ている人はいないと思って男性陣に聞くと、申し合わせたように「週に5日、毎朝45分の散歩をしている」などと語る。すごいの一言だ。この兄弟は仲が良くて日頃から連絡をとっているから、誰か一人、そういう運動を始めると、皆その真似をするようだ。思わず笑ってしまう。

 それやこれやで、親類一同の「絆(Reunion)」を深めるこの会食が終わり、皆で会食をセッティングしてくれたFさんの家に向かう。中流家庭が集まる地域にあるセミデタッチトの家なのだが、入って驚いた。トヨタのアルファードに並んで、ポルシェがあるではないか、、、こんな高い車は、クアラルンプールでもあまりお目にかからないのに、それが当たり前のように駐車している。

 私が、「これはすごい車だね」というと、Fさんは頭をかいて「息子が勤めている不動産会社は5人の部長がいるのだけど、他の4人が全員がポルシェなので、『お前も買え』ということになったらしいんだ」などと言う。それは、景気の良い話だ。でも、「今どき日本でそんなに儲けている会社があるだろうか。そもそも国の勢いが違うな」と、成熟した老大国日本から来た私は思う。

 ところで、Fさんと会うのはそれこそ5年ぶりくらいなのだが、その「老け」ぶりにビックリした。身体がひと回り細くなっただけでなく、上顎の前歯がなくなっている。60歳で定年後もう10年の歳月が過ぎたが、この間にさぞかし大変なことになっているのかと心配して聞いてみると、こういうことだった。

 Fさんには息子が1人、娘が2人いる。それぞれに、3人、2人、また2人の計7人の孫がいる。上は10歳、下は3歳だ。全部で7人の孫を全て引き受けて、日常の世話、保育園や幼稚園、小学校そして習い事への送り迎えを全部やっているそうだ。こちらでは、ほとんどの家庭が両親の共働きだから、そういう場合は外国人のメイドを雇って対応するのが普通だ。それなのに、Fさんは「外国人には大事な孫を預けられない」と言って、自分が育てることにしたようだ。へぇーっと、思わず感嘆する。当然のことながらそれは重労働で、上の前歯が全てなくなるはずだ。

 その奥さんによると、「ある時、洗濯物がとても多くて洗濯機が一杯なので、夫はタライで手洗いをし始めた。ところが、あまりに疲れていたようで、しばらくして仰向けに倒れてしばらく起き上がれなかった。そこで、皆が心配して、しばらく孫のことを忘れさせようと、近場に旅行に行ってもらった」ほど献身的に孫の世話をしていたとのこと。

 それほど祖父が苦労して育てたから、子供たちは実にしっかりしている。特にポルシェくんの息子の三人の子は、小4、小3、小2なのだが、そのうち小2の男の子と一緒の車となった。私が「お父さんのポルシェは良いね」と聞くと、「でも、2座席しかないから、ファミリー向けではないね。やはりアルファードが良い」と、ちゃんと英語で自分の意見を言う。しかも、北京語、広東語、マレー語もわかる。この歳でこんな子が日本にいるだろうか。そのお姉さんたちは、もっとインテリジェントだそうだ。

 元旦の日の夜になった。Fさんが、家の前の道路に何やら引き出した。こきりこ節に使われる「びんさざら」を長くして一周5メートルにもしたものだ。ひょっとしてと思うと、やはり火をつけた。バババッババンと、激しい音を立てて炸裂した。耳を覆わないと気絶しそうだ。何でも、悪霊を退散させる意味があるそうだ。確かに、、あちこちの家で、派手に花火を打ち上げている。


 ところで、Fさんの家の直ぐ近くの民泊に数家族で泊まるというので、私も付いて行った。立派な家で、車が何台も駐車できる。しかも、庭には何やら黄色とオレンジ色のフルーツが成った大きな棚がある。ちょうど、葡萄の棚のようなものである。何だろうと思って近づくと、見たことのないフルーツだ。名前は、「GAC」と言うらしい。見るからに美味しそうなのだが、そうでもなくて、味はなく、砂糖を混ぜたジュースにするのが、関の山らしい。



 翌朝、近くの「極楽洞」という鍾乳洞に行ってみた。あちこちに仏像が置いてあるから、お寺なのだろうか。鍾乳石の山の一角が開いていて、中には、つらら石、石筍、フローストーンがちゃんとある。だから鍾乳洞そのものである。面白いのは、それらを抜けたところに、池が広がっているのである。ちなみに、こういう構造は、風水の観点から理想的なのだそうだ。また、妙なものを見物してしまった。







 なお、5年前にも、私はこのマレーシアの地方都市イポーの中国正月を訪れたが、その時は獅子舞(ライオンダンス)を見て感激した。それは、この地の著名なホテルでの獅子舞だったが、一般市民の商店や家庭にも、ごく普通に獅子舞があった。ところが新型コロナ禍の悪夢の3年間を経験した今年は、市中の獅子舞をほとんど見かけなくなった。加えて、バババッババンの激しい音を立てる花火も、その時と比べて半減したそうだ。誰かが、「今年は不景気だな」とつぶやいた。





(2024年2月12日記)


カテゴリ:エッセイ | 23:16 | - | - | - |
自伝的回想録の出版

元内閣法制局長官・元最高裁判所判事 回想録


 このたび「元内閣法制局長官・元最高裁判所判事 回想録」という題名で、私の人生を振り返った次の書物を、弘文堂から出版する運びとなった。読者の皆さま方が、その人生を歩む上で、何らかのご参考になればと願っている。 
(注) このうち「第5章 内閣法制局長官を辞する」以外は、このブログ上で公開していたものとほぼ同一である。



目 次
 はしがき
 第1章 波瀾万丈の幼少青年時代
 第2章 通商産業省で激務の日々
 第3章 家内と二人三脚で子育て
 第4章 内閣法制局で知恵を絞る
 第5章 内閣法制局長官を辞する
 第6章 最高裁判所判事を務める
 第7章 正に七転び八起きの人生





   はしがき

 国には、興亡盛衰というものがあるのは免れない。わが国も、あの悲惨な太平洋戦争で国全体が焦土と化したにもかかわらず、短期間に急速に立ち直り、私が大学を卒業した半世紀前には、アメリカに次ぐ世界第二位の経済力を誇るに至った。その頃は、高度経済成長期の余韻で「行け行けどんどん」という風潮がまだ色濃く残っていた。

 しかし何事も、頂点に達したかと思えば下り坂に差し掛かる。急速な経済成長の歪みで産業公害や貿易摩擦が起こり、度重なる石油危機で成長の腰が折られた。それとともに、社会のあちこちで既得権益が顕在化し、固定化して行った。政治の世襲化、一票の格差の放置、農業の参入障壁、通信や放送等の産業規制の残存などである。もちろん、国鉄や電電公社の民営化、郵政改革などは成し遂げられたものの、まだまだ不十分であることは否めない。 そうこうしているうちに、1990年代初頭のバブル崩壊後、わが国は長期低迷期に入った。

 今やその経済力はすでに中国に抜かれているが、やがてドイツに抜かれて第四位になる日が来るものと思われる。私が通産省と内閣法制局に在籍したのは、こうした日本の栄枯盛衰の時代である。

 私は、小さい頃、田舎で「ラジオの言葉を話す」と言われて散々いじめられたことから、将来は東京で大きな仕事をするつもりで勉強に励んだ。そして通産省に入省したときは、本当に嬉しくて天にも昇るような心地がしたものである。しかし、私を待ち受けていたのは、やり甲斐は大きいが、今で言えばブラック企業さながらの過酷な職場だった。でもそれに必死に耐え抜いたおかげで、企画力、交渉力、文章力、管理能力が身についた。

 そのうち、1994年に本省の課長となった時、業界人の皆さんから「あんな政治では、日本が潰れます。官僚の皆さんが日本を支えてください」と言われたことがある。思えば、この頃が官僚に対する国民の信頼が頂点だった時なのだろう。

 ところがその後、バブル経済が崩壊した影響で大銀行が次々に破綻し、大蔵省による接待問題が表面化し、日本経済は長期低迷期に入った。これら残念な一連の出来事で官僚に対する信頼は地に落ちた。この間、私は、通産省(後に経済産業省)で産業行政に携わり、日本経済を少しでも下支えしようと知恵をしぼった。その後、内閣法制局に出向して数々の法律の立案に従事した。内閣法制局という持ち場で、私は、せめて自分が作る法律案だけは、国民に分かりやすく、かつ役に立つものにしたいと努力していた。現代の行政は、法律による行政の原理を背景に制度がますます精緻なものとなり、それにつれて法律が複雑な規定ぶりになってしまうので、意識していないと、読みにくくなるからである。

 そういう生活も、内閣法制次長や内閣法制局長官になると、むき出しの政治の世界に踏み込まざるを得なくなる。とりわけ私の時代は、時の政権が民主党(当時)から自由民主党にまた戻り、安倍晋三首相(当時)が集団的自衛権の実現に執念を燃やされる時期にあった。その結果、私は天職だと思っていた長官を辞さざるを得なかった。第5章で紹介するように、内心、相当な葛藤があったのは事実であるが、それから最高裁判所判事となり、思い通りの判決をして、6年余りの任期を全うした。

 私は、結果的に、行政(通産省等)、立法(立案だけであるが内閣法制局)、司法(最高裁判所)の三権に関わったことになる。本書は、官僚(国家公務員)としてのこうした仕事の内容を紹介するとともに、私の小さい頃の思い出、自らの大学受験、子育てで経験した中学・高校受験などについても振り返ってみた。これから官僚を志す若い人だけでなく、幅広い読者の皆さま方が、その人生を歩む上で、何らかのご参考になればと願っている。

                     令和6年2月吉日

  元内閣法制局長官・元最高裁判所判事  山本庸幸







目 次

はしがき




第1章 波瀾万丈の幼少青年時代

 1 父と母は銀行の職場結婚

    生まれて早々の試練
    母方の系譜
    父方の系譜

 2 幼年時代は神戸で過ごす

    住んでいた神戸市須磨区の家
    小児結核に罹る
    母の愛情深い看護
    粘り強く打たれ強く楽天的
    病気療養中でも子どもらしい楽しみが

 3 福井県敦賀市へ転居していじめに遭う

    田圃や境内が自然のサナトリウム
    ラジオの言葉でいじめに
    図鑑や本に親しみ東京へ羽ばたく夢
    助けてくれた同級生に再会し同僚に
    妹が二人生まれ、父と釣り
    両親から受け継いだもの

 4 健康を回復した少年時代は模型に熱中

    福井市へ転居
    科学雑誌『子供の科学』
    鉱石ラジオの自作で大失敗
    模型の工夫と喜びが今も活きる
    息子の趣味には合わず
    福井で中学一年生になる
    三八豪雪に遭遇

 5 知性に目覚めた名古屋の中学校時代

    方言にがっかりしたが標準語は通じる
    世界の名著を通じて世の中が広がる
    ケネディ大統領の暗殺事件
    蒙古先生と熱血女教師
    高校入試は旭丘高校をめざす

 6 夢と希望の旭丘高等学校時代

    中学時代の勉強法が通じない
    数学に根源的な悩みを抱き、苦手意識が生まれた
    数学の授業なのに楽譜を書く
    寡黙な美人がソプラノで
    ドイツの片田舎で思い出す
    和歌の筆をカメラに持ち替えて
    文化祭に情熱、健康に自信、夢と希望
    責任者とは責任をとる者のこと

 7 波瀾万丈の大学受験時代

    現役時代の東大法学部受験
    合格発表の日、桜が散った
    予備校に通って苦手の数学が得意科目に
    好事魔多しで東大入試中止
    京都大学法学部を受験
    寒い京都の受験の日は殊更に寒く
    京都大学に合格し桜が咲いた
    東京大学に「お返し」は済んだ

 8 よく学びよく遊んだ京都大学時代

    最初の授業が過激派に粉砕される
    衝突の最初の頃にはまだ常識あり
    まるで古代ローマの戦争さながら
    本部時計塔が落城して京大紛争は終結
    宇宙船アポロ一一号の月着陸に感激
    同級生との結束は堅い
    大阪万国博
    中務ゼミに入る
    法律の発想が性に合う
    友人どうし互いの実家を訪ね合う
    全国を転勤する時代が終わり高岡の地が実家に
    立山で豪雨と落雷に遭う
    まさに命は紙一重

 9 日本経済の司令塔、通産省に憧れる

    大蔵省か通産省か自治省の三択
    明け方まで勉強のスタイルで失敗
    三菱銀行に内定し国家公務員試験は合格を確信
    通産省の面接準備
    通産省に合格しその格好の良さに感激




第2章 通商産業省で激務の日々

 1 昼は魚河岸、夜は居酒屋通産亭 


    ナポレオン史家の両角良彦次官から採用辞令
    公害防止企画課の係員に
    帰るどころか居酒屋になる
    夜中は来客が消えて国会答弁作り
    楽しかった人事院の研修は嵐の前の静けさ

 2 立地公害局公害防止企画課

    深刻な公害問題が全国的に広がる
    猫の手も借りたいほどの戦場
    中枢神経系の末端で見様見真似
    毎日が生き残りに必死
    仕事をする上でのスキルが身につく
    過酷の極致のような職場環境
    電気目覚まし時計
    ジャパン・アズ・ナンバーワン
    志の高い官僚は国家運営に不可欠
    一騎当千の強者が育つ
    三菱重工爆破事件を目撃

 3 一生の伴侶を得る

    西武園へ合同ハイキング
    家内の良いところ
    義理のお母さんとの出会い
    結婚式は学士会館でこぢんまりと
    小さな部屋で新婚生活を開始

 4 経済企画庁調整局財政金融課

    まるで梁山泊のような財政金融課
    四半期経済予測モデルはまだまだ未熟
    最新型のコンピュータも使いよう

 5 通商政策局総務課総括係長

    アメリカとの貿易摩擦の真っ最中
    青竹事件で統制経済の何かを知る

 6 省エネルギー対策課総括班長

    法律案の国会通過と円滑な施行が任務
    まるで漫才のネタ
    イラン革命で第二次石油危機
    猛烈に仕事をした省エネルギー対策課の仲間たち
    省エネルギー法の大きな成果
    「夏は28度、冬は20度」の経緯

 7 貿易局輸出課総括班長

    アメリカ大使館人質事件の余波
    ブーメラン論と比較衡量論の合わせ技
    ワシントン条約の批准
    対共産圏輸出統制委員会で先端技術を学ぶ
    自動車と半導体の日米貿易摩擦
    国務省の米国交流訪問
    日本人の通訳を真似て英会話を習得
    ニューヨークではCPと証券化の話が役に立つ
    シカゴ科学産業博物館で山本五十六長官の話
    航空母艦コンステレーションを見学
    航空機の修理方法と食堂の豊かさに驚く

 8 在マレーシア日本国大使館一等書記官

    赤道直下の暑い国だが料理は天国
    独特の訛りがある英語に苦労
    英語とゴルフに挑戦
    朝もやの中にゆらゆらと木の精が
    なかなかワイルドな世界
    あまりに暇過ぎてワーカホリックには辛い
    なぜ日本人商工会議所がないのだろう
    マハティール首相からお墨付きをもらう
    設立目標を半年以内にして皆で全力投球
    インド人弁護士のサービス
    英文の名称は瓢箪から駒
    マレーシア日本人商工会議所の設立と発展

 9 工業所有権制度改正審議室長

    ちょっと顔を出すつもりが午前二時
    特許制度の国際調和に取り組み始める
    米欧の交渉スタイル
    皆で古都アウグスブルクを訪ねる
    お洒落な街ミュンヘン
    ホーフブロイハウスの鳥打ち帽
    単項制から多項制へ
    黒い猫を白い猫と思う
    秘密特許問題は長年の懸案
    産業界からの圧力でアメリカ特許庁の担当者が来日
    全員のセキュリティ・クリアランスなど到底無理
    真夜中に奇跡的に解決策が閃く
    公表して大きな反響

 10 取引信用室長

    相互に何の脈絡もない所管業務
    クレジット業界
    冠婚葬祭互助会
    大蔵省銀行局の研究会で互助会の救済合併を説明
    銀行局担当の参事官から小馬鹿にされる
    経営者を見ずに表面的な検査だけでは
    ファイナンス・リースの課題
    義憤を覚えた銀行局の「あいまい」戦術
    出資法を逆手にとる投資家保護の規制法
    資産流動化法制の嚆矢となる特定債権法

 11 繊維製品課長

    一度なりたかった原課の課長
    日米繊維交渉の後遺症
    中国からの輸入急増問題
    産地を巡る旅
    丹後産地の苦衷
    生糸農家と絹織物業界の政治力
    中国との交渉は最後まで粘ること
    新繊維ビジョン
    ファッション開発と情報化
    QR(クイック・レスポンス)調査団
    情報技術の進歩と取引関係の改革
    岩島嗣吉さんとの出会い
    共著『コンシューマー・レスポンス革命』
    阪神淡路大震災の発生当日
    冬物衣類の供出依頼と運搬手段の模索
    見ず知らずの国税庁法人税課長の好意
    少しは役に立てたと思うが大きな被害に心が痛む
    着物の女王コンテスト
    地下鉄サリン事件に遭遇
    谷根千のマンションを衝動買い

 12 日本貿易振興会企画部長

    日本貿易振興会とアジア経済研究所との統合
    対等合併で平等主義が原則だが例外も
    東回りで世界一周
    南アフリカの歯医者
    ゴルフからテニスに転向
    ハーフのベスト・スコアが出て達成感
    ボールが飛んで行った先の落ち際が見えなくなった


 13 立法学研究会

    学者と実務家が一同に会して研究
    各界のトップを輩出




第3章 家内と二人三脚で子育て

 1 幼児の頃は運動と栄養と睡眠が大事


    幼い娘と息子の可愛い寝顔
    幼児の水泳教室
    家内は体力、私は背丈が子育て方針
    オランダ人のように背を高くするには
    十分な睡眠とストレスフリー

 2 家族4人で世界一周旅行

    まずヨーロッパ一周のバスツアー
    アムステルダムで盗難に遭う
    支配人の半額補償提案を断固拒否
    パスポートと航空券が再発行されて残るは現金の取戻し
    スイスでバスツアーの一行に合流
    サン・マルコ寺院はまるで浅草寺
    モナコのカジノでオーストラリア人夫妻が大変身
    リヨン駅でフランス映画のような場面
    フランスを代表する芸術
    娘が「私は日本人だーっ」
    湖水地方でチェスを始めた子どもたち
    ボストンでゆっくりと過ごす
    坂の町サンフランシスコ

 3 小学生時代は存分に遊ばせる

    小学校の屋上から母の姿が見える
    息子は少年野球チーム、娘は習字
    赤いマイカーで関東近郊の行楽地へ
    冬になるとスキーに
    子どもの付き合いは表面的で心の交流がない
    ガキ大将がいなくなった
    想像を超える塾通い

 4 公立中学と私立中学

    娘が公立中学に入学
    公立中学3年のクラスは学級崩壊
    中野富士見中学のいじめ事件が生々しく
    小学校6年生から塾に通うのでは間に合わない
    遊ばせながら一日に合計一時間半くらい勉強
    御三家と新御三家の入試問題を検討
    新御三家の一つを「押さえ校」に
    ユニークな問題を出す御三家の一つ武蔵中学を「本命校」に
    クラスのうち半数が東大に行くなんて
    受験前日はあたかもはやる馬を抑えるように
    受験の日は大雪に見舞われた
    いかにも中学入試らしい風景
    「本命校」の合格者の番号がよく見えない
    「押さえ校」の受験中に「本命校」の結果
    とても良い私立中学なのだが、塾を敵に回したのかも
    世界の名画を数多く見せる
    公立中学の父親たち
    公立中学の生徒の学力の低下の悩み
    私立中学の担任と父母とのやりとりは、まるで漫才
    「自ら調べ自ら考える」を貫く

 5 都立高校と私立中高一貫校

    女生徒の大学受験向きの私立高校がない
    お嬢様学校に合格
    都立高校かお嬢様学校かの二者択一
    都立高校の内申書選抜は大学受験とミスマッチ
    都立高校の雰囲気は私の県立高校と全く同じ
    子どもたちと議論がかみ合う
    親の仕事をしている姿
    息子は硬式テニスクラブで運動
    中学校というよりレジャーランド
    一介のサラリーマンには高い授業料
    学費値上げに対する誠実な姿勢

 6 大学受験は医学部と法学部

    娘の予備校の帰りは駅に迎えに
    人助けになるし、手に職をつけておきたい
    人生、何でも挑戦だ
    前期は難関大学、後期の倍率は十数倍
    物理なんかまだ全然やっていない
    面接で試験官ともども大笑い
    なぜあんな難しい国立大学医学部に受かったのか?
    患者の方を見てパソコン画面は見ない
    数学は飛び抜けて優秀、国語と英語は並み
    飛鳥時代の農民一揆
    高校2年生で海外旅行に出す
    数学は新宿の塾、英語は渋谷の塾
    東京大学のどの学部を受けるのか
    無事に東大生となる
    企業法務専門の弁護士の道を歩む

 7 二人三脚で子育てした家内

    愛情豊かで合理的思考の持ち主
    子育てをバトンタッチされて
    奥様グループからテニスに誘われた旦那様たち
    奥様方の華麗なテニスにきりきり舞い
    奥様方のレベルに追いつき追い越せ
    人生に陥穽あり 

 8 初孫とともに暮らす日々   

    同じマンションに孫がやって来た
    生活習慣と想像力の豊かな遊び
    インターナショナル・スクールと日本の小学校
    子育て経験の欠落期を補う




第4章 内閣法制局で知恵を絞る

 1 内閣法制局第四部参事官


    将来に飛躍する大きな足掛かり
    参事官どうし肝胆相照らす間柄
    参事官は頭と体力の勝負
    基本法の中でも憲法の判例が豊富に
    法体系と整合し法規範として適切かどうか
    逐条ごとの審査の要点
    工業所有権特例法案では電子出願手続を導入
    再生資源利用法案はリサイクル法の先鞭
    独禁法の改正案では法人処罰を強化
    バーゼル条約実施法案は共同審査
    不正競争防止法は全面改正案
    製造物責任法案では審査テーブルで三省庁が大議論

 2 中央省庁等改革法制室長

   夏はとても暑く冬はどうしようもなく寒い
   橋本行革の青写真を具体化
   気が遠くなるような作業量
   知恵の場という文学的表現
   選りすぐりの精鋭たち
   各省設置法案のマニュアル
   中立公平の観点から調整案
   1週間の睡眠時間はわずか3時間
   執務室のドアはいつでも開放

  3 第四部長

   ようやく正式な役員クラスに
   電子署名認証法案は民事訴訟法規定のデジタル版
   特定放射性廃棄物最終処分法案の法律構成
   電子消費者契約法案は高度情報化時代の民法の特例
   鳥獣保護法案は自然保護官と作成
   援護審査会委員

 4 第二部長

    民事訴訟法の大家の隣
    質と量ともに大変な日々
    構造改革特区法案は地方公共団体の自主性の尊重が奏功
    窃盗の認知件数の激増と検挙率の激減で危機的状況
    特殊開錠用具所持禁止法案は一種の窃盗予備罪
    イラク特別措置法案では武力の行使に当たらないよう慎重審査
    武力行使の一体化、駆け付け警護、非戦闘地域
    公益通報者保護法案はコンプライアンスを徹底するもの
    武力攻撃事態法制は内容のある重たい法律案ばかり
    勤続30周年の永年勤続者表彰

 5 第三部長

    郵政民営化法案に取り組む
    郵政改革は与党に亀裂
    衆議院を解散し異論を封じる
    郵政民営化6法案がついに成立
    所得税法案・地方税法案は複雑かつ専門的
    金融商品取引法案は極めて広範囲で分かりにくい
    条約の審査は特有の日本語表現に難渋
    東京大学公共政策大学院の客員教授を兼務
    課題をやってきてもらってそれを講評
    東京大学法科大学院でも授業

 6 第一部長

    法解釈と国会答弁
    他国に向かう弾道ミサイルの撃墜
    早稲田大学法科大学院客員教授を兼務
    司法試験に三振した教え子に

 7 内閣法制次長

    長官代行・次長・第一部長事務取扱の一人三役
    八ッ場ダムの建設中止
    世が世なら辞表提出もの
    事務方の用意した答弁案が活用されず
    民主党政権が短命に終わった理由
    東日本大震災
    福島第一原子力発電所事故
    改め文から新旧対照表へは頓挫
    韓国の会議で基調講演

 8 内閣法制局長官

    父の秘かな願い
    政府特別補佐人として委員会等に出席
    国会内で時間を過ごす
    予算委員会で不条理な質問
    制定文は作ったときの歴史的事実を示すもの
    内閣法制局の幹部
    A法案とC法案の仕分け
    国会が閉会中には部内固め
    スマートフォン・クラブ
    テニスは下手の横好き
    テニスで肉離れを起こす




第5章 内閣法制局長官を辞する

 1 閣議のあと呼び止められて


    来るものが来た
    内閣法制局の歴史の転換点

 2 右翼のはずがいつの間にか左翼へ 

    自衛隊違憲論に対抗する憲法解釈
    戦争世代の引退と国際安全保障環境の変化
    一貫して同じ説明をしているのに昔の右翼が今では左翼

 3 集団的自衛権は憲法九条違反

    集団的自衛権の本質は憲法が禁ずる武力の行使
    「憲法の番人」の言葉が誇り
    立憲主義に基づく法治国家の理念

 4 忠と孝の狭間で悩むが憲法に従う

    一度は辞任の覚悟
    幻の辞任声明文
    サリー・イェイツ米司法長官代理
    廃止されても構わない

 5 第二次安倍内閣で小松一郎さんが長官に

    第二次安倍内閣で再任
    第二次安保法制懇の開催
    法学の常識は憲法が国際法より優先
    内閣法制局は蚊帳の外
    法的安定性や立憲主義を説いても無駄
    『安倍晋三回顧録』
    筋を通し、論理的な発想をする人
    官邸にとってのワンポイント・リリーフ

 6 内閣法制局長官の職を辞する日

    テレビに小松大使の活躍する姿
    誠実なお人柄

 7 最高裁判所判事は晴天の霹靂

    勤続四〇年で退職の文字が頭に浮かぶ
    まさか最高裁判所判事とは

 8 最高裁判所判事に就任

    任命直後の記者会見での質問
    正直に思うところを答える
    どん底から空高く舞い上がる
    秋山收元内閣法制局長官からの手紙

 9 小松一郎内閣法制局長官の悲報

    天皇誕生日の式典で小松さんご夫妻と
    体調を崩す中、国会で追求の矢面
    長官を退任直後に急逝される
    小松一郎を偲ぶ会
    素晴らしい人生だったとの最期の言葉




第6章 最高裁判所判事を務める

 1 就任時の自己紹介


    裁判官としての心構え
    好きな言葉
    印象に残った本
    趣味

 2 最高裁判所と行政機関の違い

    時間の流れがゆったりしている
    書類(記録)に無駄が多い
    書面審理より生身の人間
    刊行物中心に調査官が徹底的に調査

 3 最高裁判所判事の日常と仕事

    日常と審議の様子
    弁論と判決の当日
    健康がまず第一
    減量に取り組む

 4 歴史の審判に耐えられる裁判か

    記録は居住まいを正して読む
    判決は判例集の形で歴史に残る
    参議院議員選挙一票の格差事件(大法廷)
    元厚生事務次官夫妻等殺人事件
    暴力団員ゴルフ場利用詐欺事件
    特許PBPクレーム事件
    夫婦同氏制・再婚禁止期間事件(大法廷)
    遺族補償給付等不支給処分取消請求事件
    銀行支店記帳台上の現金盗難事件
    JR福知山線脱線事故業務上過失致死傷事件
    労働契約法20条の解釈を巡る二つの事件
    アンダーソン・毛利・友常法律事務所




第7章 正に七転び八起きの人生

 1 自分の歩んできた道のり


    定年退官を迎えて
    人生は阿弥陀くじのようなもの

 2 七転び八起きの人生そのもの

    人生の試練は乗り越えるためにある
    仕事と家庭に恵まれた

 3 ネットで拡がっている私の人物評

    日刊ゲンダイの記事
    私からのコメント

 4 平成から令和への御代替わりの儀式に参列

    天皇退位と即位関連の儀式
    剣璽等承継の儀での序列は8番目

 5 人生の黄金時代は70歳代から

    私の前には全く新しい世界が広がる
    残された貴重な人生を有意義に楽しく

 6 旭日大綬章を受章

 7 心から感謝

    まず両親と家内に感謝
    仕事先や友人、お世話になった皆様に感謝





(備考)この第5章以外は、2021年4月1日から19日にかけてこのブログで公開したものと、ほぼ同一である。これに第5章を書き加えて、このたび弘文堂から「元内閣法制局長官・元最高裁判所判事回想録」として、2024年2月29日に出版するに至ったものである。弘文堂編集部の中村壮亮さんには、大変お世話になった。この場を借りて、改めて感謝の意を表したい。









(2024年2月11日記)


カテゴリ:エッセイ | 19:05 | - | - | - |
シルク・ドゥ・ラ・シンフォニー



 近くの文京シビックホールで、シルク・ドゥ・ラ・シンフォニー(Cirque de la symphonie)という公演があるというので、観に行った。

 プログラムは、下記にある通り、知っている音楽ばかりで、これをウクライナ交響楽団が演奏するという。最近のウクライナの対ロシア戦争でのウクライナ支援のつもりで出掛けたのである。ところが、観てびっくり、、、これは音楽会というよりは、サーカスそのものだったからだ。

 およそ50名から成る交響楽団が舞台のやや奥に引っ込んでいると思ったら、その前のスペースで、素晴らしい演技が次々に繰り広げられる。

 まずはクラウン(道化役)のツアルコフが、コミカルな演技で客を沸かす。しかもこの人、輪や棍棒のジャグリングも上手い。超一流だ。その奥さんのエレーナも、新体操のようなリボン演技の名手だ。


 舞台に長い紐が下がってきて、それを使って男女二人が空中で演技を行う。エアリアルだ。ブランドンはラスベガスのヴェネツィアホテルで演技しているようだし、オーブリーはロサンゼルスがベースのようだ。それにしても、空中でぐるぐる回りながら、相方と手を離し、どうやって身体を支えているのだろうとわれわれ観客をはらはらさせる。。

 クラウンがまた出てきて、早変わりを演ずる。輪とそれに繋がる布で、美人の奥さんを数秒間隠してそれをさーっと下げたかと思うと、現れた奥さんが全く別の衣装で出てくる。あらかじめ中に着ているのかと思ったら、そうでもなくて更に大きな衣装を着て現れる。どうなっているのだろう。

 フラフープをまとった美人のソフィアが出てきて、フラフープをトンネルのようにしたかと思えば、両手、胴そして両脚で十数本も回していた。目を見張る。

 1本のワイヤの上で演技するのはエフゲニー。その上で逆立ちし、頭ひとつで両手両足を広げて離したり、もう自由自在で、驚いた。


 最後にびっくりしたのが、ストロングマン(セルゲイとアレクサンダー)。片方の身体がやや大きい。それで、その人が天灯鬼のようにドーンと立つ。もう一方の人がその天灯鬼の頭の上に片手で立ったり、頭ひとつで立ったりと、もはやアクロバットと言ってもよく、すごかった。

 ということで、これは只者ではないと思い、インターネットで検索したら、こういうことだった。


「『コンサートホールにサーカスを』をコンセプトに、フルオーケストラとの共演だけを行う世界唯一のパフォーマンスグループとして2006年にアメリカで発足。メンバーはエアリアル、フラフープ、ジャグリング、怪力男やピエロなど8名から成り、いずれもシルクドソレイユ等の有名団体でキャリアを有す他、オリンピック選手や国際選手権のゴールドメダリストも含まれている。

 これまでアメリカを中心にカナダ、メキシコ、ベネズエラ等北中米にて年間50〜100回の公演を行ってきた他、2015年には初のアジアツアーを開催。名門フィラデルフィア管弦楽団とニューヨークでのデビュー公演を果たして以来、ボストン・ポップス、シカゴ交響楽団、アトランタ交響楽団、ミネソタ管弦楽団、シドニー交響楽団、ロシア国立交響楽団等の超一流の楽団をはじめ世界中の100以上のオーケストラと共演。特に全米のツアーに際しては各地完売が続出する人気公演となっている。今回が3回目の来日」


 令和4年3月に、シルク・ドゥ・ソレイユ(CIRQUE DU SOLEIL)の代表作「アレグリア(ALEGRIA)」を観に行ったが、その時と同じような感動を味わった。






(別添)シルク・ドゥ・ラ・シンフォニーのプログラム

  1.エルガー:行進曲「威風堂々」
  2.JシュトラウスI I:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」
  3.サン・サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」よりパッカナール
  4.ビゼー:歌劇「カルメン」よりジプシーの踊り
  5.グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」より「復讐の女神の踊り」
  6.ブラームス:ハンガリー舞曲第一番
  7.ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」
  8.グノー:歌劇「ファウスト」より「鏡の踊り」
  9.スメタナ:歌劇「売られた花嫁」より「喜劇役者の踊り」
  10.ファリァ:歌劇「はかなき人生」間奏曲とスペイン舞曲
  11.Aポンキェッリ:歌劇「ジョコンダ」より「時の踊り」
  12.ファリァ:バレエ「恋は魔術師」
  13.JシュトラウスI I:美しく青きドナウ
  14.オッフェンバック:歌劇「天国と地獄」より「カンカン」第四番
  15.マルケス:ダンソン
  16.シベリウス:交響曲「フィンランディア」






(2024年1月5日記)


カテゴリ:エッセイ | 22:43 | - | - | - |
華僑の古希の宴


 私には、もう30年来の友達の華僑がいるが、彼の古希のお祝いに招かれたので、タイ北部からの帰国の途中に東南アジアの現地に来ている。会場に入ると、10人ずつかけるテーブルが20も続いている。ということは、今日は参加者が200人もいるということか、、、すごいなぁ。

 この日の主役は、さぞかし着飾っていると思ったら、主役の友達は黒っぽい地味なジャケットにノーネクタイ、その奥さんは黒のワンピースにブカブカの白のパンツという普段着で入り口にいて、お客さんを迎えている。とてもよそ行きというスタイルではない。まあ、これが華僑の良いところだ。アンパオというお祝い金をその息子さんに渡した。


 各テーブルには、真ん中に派手な造花があり、百合と薔薇だ。椅子は、もとより赤く飾られている。しかも、各人の前には、いかにも持ち帰ってくれとばかりに、お土産の赤い袋が置いてある。後から見ると、「福」と書かれたお茶碗と、箸だ。お茶碗は、これから食いっぱぐれがないようにという意味だそうだし、お箸は子孫繁栄を現しているとのこと。

 主役の息子(次男)が舞台に出てきて、「これから開会しまーす」という宣言をしてからは、特に手順もないままに、直ちに始まったようだ。

 壇上は、お爺さんたちが日頃の練習の成果か、カラオケに興じている。主役ご夫妻も普段から入れてもらっているグループだという。私と同じ世代なので懐メロばかりだ。そうかと思うと、幼稚園から小学校の子どもたちが自然にわらわらと出てきて、振付けありで童謡を歌う。


 各テーブルで、「ヤムセーーーン」という大きな掛け声で、乾杯を繰り返している。それがもう、うるさいのなんのって、、、でも、これが当地の華僑パーティの定番なのである。私のアイウォッチから警告が出る「騒音が95dBを超しています。30分以上いると、耳を痛めます」、、、しかし、そんなこと言われても、、、。




 そのうち、バースディケーキが出てきて、孫たちが集合した。「ハッピーバースディ」と、「結婚42周年おめでとう」の声が聞こえる。そして、花束贈呈のあと、蝋燭を皆で消した。それから、バックの画面に、子どもや孫たちからのビデオメッセージが出る。それを見ている主役の友達夫妻が、もう涙目だった。

 それからが、全くの無礼講で、お爺さんグループ、子どもたちのグループ、おばあさんコーラスなど、いやまあ、壇上の独占が続くは続くは、、、あれれ、子どもたちの小学生グループが、アナと雪の女王をやっている、、、それが実に上手い。感心してしまった、しかも、物怖じなんて無縁だ。舞台が開くのを待っている。そうそう、華僑は子供の頃からこれくらい厚かましくないと、生きていけない。

 お爺さんグループと一緒に、飲み歌い踊っていた主役は、遂に酔い潰れてしまった(笑)


 彼が復活した頃、長男一家が全員で歌い出して本日のお礼を喋った。それからは、三々五々に解散していく。これで終わりか、、、始まりも終わりも、形式なしだから、あっけないものだ。でも、世代を通して親類や取引先など皆が親密で、羨ましい限りである。





(2023年12月24日記)


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