iPhoneXへ機種変更

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1.私は、iPhoneを7年半も使い続けて、もはやこれが仕事や趣味に不可欠というほどになっているのだけれど、その心臓部を動かすソフトウェアであるOS(オペレーション・システム)が、iOS11に切り替わることで、問題が発生した。これは、64ビットで動くという。そうすると、従来の32ビットで動くアプリケーション(ソフトウェア)を、64ビット環境に合わせなければならない。しかし、私が最もよく使っている最重要アプリである「i手帳」が、64ビットに対応してくれていないのである。その他、対応していないアプリとして、年齢・年号計算アプリ、英語辞書アプリなどいくつかあるが、それらは代わりのアプリがあるからまだよい。ところがi手帳の場合は、これに代わるアプリがなかなか見つからないのである。調べてみると、どうやらその作者が交通事故で亡くなったという噂があった。それが本当であれば誠にご愁傷さまなことであるが、後継者がいなければ、いつまで経ってもiOS11に対応してくれないことになる。道理で、iTunesストアからデータが消されているわけだ。仕方がないので、iOS11に転換せずに当面はiOS10のまま、使うことにした。昨年10月のことである。ただ、そうすると「iOS11に転換せよ」という表示がいつも出てきて、なかなかうるさい。いつかは替えることになるからと、「i手帳」に代わるものがないかとネットで調べたところ、「スケジュールストリート」というアプリがあった。スケジュール管理と日記が合わさっていて、写真、メモ、録音も保存できる。一覧性は、「i手帳」ほどではないが、まあ使える。毎日の日記の保存は、画像にして「Evernote」に入れればよい。ELECOMという会社がやっていて250万ダウンロードだそうだから、長続きしそうだ。そういうわけで、これに決めた。ただ、毎日の日記にかかわることだから、スケジュールストリートの使い勝手をみなければと思って、昨年10月以来、i手帳と同時に使い続けてきた。それで、ほぼ同等のことができると確認し、本年1月1日をもって、iOS11に転換した。

スケジュールストリート


 ところがそうなると、今度はiOS11の性能を生かせる機種がほしくなった。私は1年3ヶ月前に買ったiPhone 7plus 256GBを使っている。ところが、iPhoneX(テン) なるものが2ヶ月前に発売されたというので、いつもの新しもの好きの性向もあり、その256GBのモデルに機種変更することにした。1月4日に御茶ノ水のauショップに行き、iPhone 7plus をiPhoneXに機種変更し、今まで私が持っていたiPhone 7plus 256GBを持ち帰って家内(同じiPhone 7plus の32GBモデル)に使ってもらおうという算段である。家内の従来機種は、32GBのため、いつもデータ容量不足に見舞われているからだ。


2.auショップでは、こういう内容の契約だった。

  仝酋眸稜箍然複隠苅,400円のところ、分割支払金は135,600円(頭金10,800円。分割の方が安い。)、分割支払金は月2,825円(なぜこんなに安いのかと思ったら、何と支払回数48回で支払い期間が50ヶ月となっていた。)まあ、2年ほどしたら再び新しい端末が出て、それへと乗り換えさせられる形で割引がありそうだから、それで良いと納得した。

 ◆。腺陦le Care+とau端末サポートが月1,285円で、故障や損傷の修理代金が少し安くなるほか、紛失盗難保証が4年で2回まで利用可能だそうだ。(Apple電話番号:0120-925-050、受付時間:09:00から20:00まで、年中無休)

  ビデオパスというものに自動的に入会させられた。月562円だそうだが、「そういう趣味はないから要らない」と言うと、「では自分で退会せよ」と言うので、帰ってから忘れないうちに、auのアプリを通じて退会した。簡単に終えられた。

 ぁ…命プランについては、現在、私は月5GBの電話かけ放題というプランである。今はこれで十分なのであるが、それが、「auフラットプラン20・かけ放題」となる。つまり、データ使用量が20GBもある。「私はビデオを見ないから、要らない」というと、「プランはこれしかないし、次のイ韮蕋丕瓧笋閥ν僂任る」というので、納得した。その月額利用料は、7,500円(内訳:月額基本使用料が2,400円+データ定額料が4,720円+LTE NETが300円)。 ちなみに、面白いのは、アップグレート・プログラムで、月390円を払っていると、私の場合は48回返済なので、端末購入から25ヶ月目に機種変更すると、残債はすべてauが負担するという。つまり、本体代金が半分になるということを意味する。更に、乗換え時の今回の負担を軽くしようとするのか、ビッグニュース・キャンペーンとして、最大12ヶ月、毎月1,000円を割り引くという。

 ァ,修譴如∨莊遒了拱Гい蓮■蕋丕茖錚遑紕悗世韻如確か月12,000円強になる。「そこで」と言って係員が出してきたのは、「加えて、iPadに新しく3年契約すると、iPhoneXの方も割り引かれて、合わせて月13,000円ほどですが、いかが?」という。しかも、その分のデータ使用量は、iPhoneX本体で契約する20GBの中に含まれる、つまりiPhoneとiPad間で共用できるということだ。私は、数年前に買ったiPadを実に便利よく使っている。これはもう、iPhoneXとペアで必要不可欠なものと言って良い。特に新聞や雑誌を読むのに使っている。1年ほど前に2年の契約期間が切れたので、その際にSIMカードを抜いてWiFi専用とし、外ではiPhoneXのテザリングを利用していた。だから、iPadに再びSIMカードを入れるなら、テザリングは不要となるから、その費用は節約になる。ということで、またiPadを買うことにした。ややこしいことに、これは3年契約である。


新しいiPad


3.これで契約が終わり、家にiPhoneXと新しいiPadを持ち帰った。

  〜案に、私と家内のiPhone 7plusを私のパソコンのiTunesに暗号付きでバックアップした。ちなみに暗号付きでないと、全てのパスワードや設定をやり直す必要があるからである。次に

 ◆_汎發忙箸辰討發蕕Δ燭瓠∋笋使っていた iPhone 7plus 256GBをまずリセットした。それは、端末の「設定」から簡単に出来る。その上で電源を入れると、「こんにちは」から始まって、使う言語の設定、自宅WiFiの設定(2Gと5Gの二つ)に次いで「新しいiPhoneXとして設定するか、iCloud又はiTunesにある既存のバックアップから復元するか」という選択肢があり、

  最後者の復元を選ぶと「iTunesに繋いで」という指示がある。それに従ってライトニングコードをパソコンに繋ぐと、どのバックアップかという選択肢が示されるので「iTunes中の家内のバックアップ」を選ぶと動き出したが、途中で「残り6時間」などと、とんでもない時間が示された。32GBでこの調子では、私のiPhoneXで256GBをバックアップする場合は何時間かかるのだろうという気になる。

 ぁ,箸海蹐、家内のiPhone 7plus 32GBのバックアップを私の256GBへと復元する試みは、失敗した。3回やっても同じ。指示通りパソコンを再起動しても同じ。しかも「容量がない」という表示がパソコン画面中に出たので、てっきりiPhoneXの容量のことかと思ったら違った。容量不足は、パソコンなのである。500GBあるはずのCデレクトリーの余りが、驚いたことにあと6GBとなっていた。そこで慌てて容量の大きいデータをDデレクトリーに動かして48GBを空けた。それからまた復元を試みたが、やはり失敗した。よくよく調べてみると、家内のバックアップの複製がCデレクトリー中に4個も作られている。これでは容量が足りなくなるはずだ。理由はよく分からない。そこで、当初の計画は一時的に棚上げとして、家内にはとりあえず、引き続き32GBを使ってもらうことにした。パソコン中のバックアップは削除してしまった(注1・2)

 ァ〇笋裡蕋丕茖錚遑紕悗法■沓陦譯s256GBのデータのバックアップを試みたら、一発で成功した。支障なく使えている。

 Α,箸海蹐如古いiPad(これまではWiFiかテザリングで使用)をiTunesにバックアップし、それを新しいiPadに復元しようと思ったら、「古すぎて復元できません。」と出た。「OS11にしてあるのに」と思ったが、仕方がない。こちらは、諦めることにした。幸い、主なデータはiPhoneやiCloud上にあるので、手による復元には、さほどの手間はかからない。むしろ、既存のアイコンが整理できて、かえって都合がよい。


4.それから、iPhoneXと新iPad(第五世代)を10日ほど使ってみた感想であるが、まずiPhoneXの大きさは、7plusシリーズと比べれば再び元に戻ってひと回り小さくなったが、字の大きさが自由に調整できるので、さほど気にならない。むしろ、シャツのポケットに楽に入るから、持ち歩きやすい。それに加えて、顔認証は非常に便利であり、これほどのものかと、つくづく感心した。最初の認証画面だけでなく、パスワード付きの個々のアプリでも、開いたとたん、自動的に顔を見てIDとパスワードを入れてくれる。これだけでも、価値があると思う。また、速度が速くなった気がする。実感としては、2割ほど早いかなという感じだ。しかし、ディスプレー画面は液晶ではなく有機で美しいという触れ込みだったので期待していたのだが、確かに美しいものの、以前ラティーナ・ディスプレイが出てきたときに驚いた時のような感激はなく、iPhoneファンには申し訳ないが、あまり差がわからない。なお、写真の圧縮方式を変えたそうだが、私は「互換性重視」として、引き続きJPEG又はPNGで使うつもりである。美しい写真が撮れるということだが、確かにそうかもしれない。ワイヤレス充電ができるというが、そのための専用充電機器は、まだ発売されていない。新iPadの方は、画面は美しいし、前のものより動きが断然に早い。やっと、設定を終えた。アプリの並べ方は、なるべくiPhoneXに似せるようにした。また、本や書類に紛れることが多いので、目立つようにと、派手な色目(ローズゴールド)のカバーにした(注3)。


派手な色目(ローズゴールド)のiPadカバー


 この際ということで、色々なアプリでパスワードを変更した。困ったのは、JR東日本関係で、「えきねっと」、「Suica」、「Suicaポイント」、「びゅー」、「大人の休日」など、たくさんあり、中にはあまりに古くて、もうパスワードの記録も見つからないというのがあった。それまでは、「My JR−East」の連携IDで入っていたから実用上は問題がなく、従って個々の古いパスワードは忘れてしまっていた。ところが今回の機種変更で、その連携を再びやり直す必要があり、そのためには10年以上も前の昔のパスワードを思い出さないといけない。これには困ったが、何回か失敗して、やっとパスワードが通ったときの嬉しさは、格別だった。でも、考えてみたら、誠にばかばかしい話で、JRが最初から一括してウェブサイトを作ってくれていれば、こんなことはなかったのにと思った次第である。その他、特に銀行関係は、一部独自な認証方式のところを除いて、すべて顔認証でやってくれる。「Keeper」も、顔認証だし、今回、パスワード付きのバックアップから復元したので、いちいち連絡しなくとも、そのまま新iPhoneXと新iPadで使えた。また、この両者で月20GBの容量を使えるし、使い勝手も良くなったので、新iPadをかなり使うようになった。

 その他、家内のiPhone 7plus 32GBと、古いiPadは、まだ十分に使えるので、こんな中古品でよければ誰か若い人にあげようと思ってSIMロックを解除しようとした。そうすると家内のものはネット経由で簡単に解除できたが、残念ながら古いiPadは解除できない機種であることが判明した。WiFiで使うなら別だが、電話回線で使うならauの回線を持っている人にしか、差し上げられない。また、iPhoneXのカバーは、auショップで売っているブック型の単純なものにした。画面保護フィルムは、前回同様に、係員に貼っていただいた。とても、上手である。




(注1) iTunesバックアップの削除方法

 検索バーに「%appdata%」と入力。「return」キーを押す。「Apple Computer」>「MobileSync」>「Backup」の順に各フォルダをダブルクリックすると、バックアップファイルが見つかる。そこで、全て削除してしまった。結局、全部で280GBほどもあった。


(注2) バックアップに再度挑戦

 数日経って、前回バックアップが失敗した理由が分からないので、再びやってみることにした。まず、_汎發裡蕋丕茖錚遑 7plus 32GBについて、パソコンのiTunesでバックアップを取り(もちろん、パスワード付き)、その間、私のiPhone 7plus256GBをリセットする。⊆,い如⊂紊裡貝↓と同じ要領でやると、小1時間ほどで復元ができた。32GBから256GBになったので、これ以降、家内は容量を気にせずに使うことができる。


(注3) 新iPadのカバー(ローズゴールド)

 ESR 新型 iPad 9.7 2017 ケース 超軽量 極薄レザー 三つ折スタンド オートスリープ機能 スマートカバー 2017年春発売のiPad 9.7インチ(第五世代)のみ対応(モデル番号A1822、A1823) 全10色(ローズゴールド) 販売: ESR Case JP Store





(2018年1月14日記)


カテゴリ:エッセイ | 13:39 | - | - | - |
マカオへの旅

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  目 次

 1.歴史地区(上)民政総署
 2.歴史地区(下)媽 閣 廟
 3.カジノとマカオタワー


1.マカオと香港とを比べると

 マカオの通貨は「パタカ」というが、香港ドルがそのまま使えるし、パタカ本体より流通量が多いのではないかと思う。タクシーやバスの運転手は、広東語しか話さない。英語が全くといって通じないし、日本語のガイドブックにあるカタカナ名を言ってもダメだった。例えば、「セナド広場」と言っても通じない。そこで、手持ちのスマホに保存してある写真を見せて、やっと理解してもらった。また、おつりをくれないので、これは酷いと思ったが、そういうものらしい。試しにバスに乗ってみたら、非常に便利で、地下鉄と違って外の景色が見えるのがよい。こんな狭い坂道をと思う所まで、ずんずんと遠慮なく走っていく。ただし、道は曲がりくねって方向が分かりにくい上に、見慣れない漢字で書かれているから、事前に憶えておかないとなかなか判読できない。事前にダウンロードしたグーグルの地図と、iPhoneのコンパスの組合せがとても役に立った。街中のレストランなどでは、WiFiを無料で提供していた。これは、香港と同じである。


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 食事は、私は広東料理、特に飲茶が好きなので、朝食兼昼食にはほとんどそればかり食べていたが、探せばポルトガル料理もある。また、四川、北京、潮州、客家など中国各地の料理店を見かけて、夕食はそのどれかに入ったが、味はなかなか良い。中には、「東北菜館」というのがあった。これはさすがの私も食べたことがなかったから、試しに入ってみたところ、やはり中国東北部、つまり旧満州の料理で、非常に素朴な味がした(上の図)。

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 再び飲茶に話を戻すと、マカオ名物の「エッグ・タルト」なるものを勧められたので食べてみたら、これがまた非常に美味しいものだった。要するに、卵を使ったタルトなのだけど、表面に焦げ目が付いていて、それが香りと味を引き出していて、一口噛むと、ジューシイな黄色い卵の黄身がとろりと出て来る。人気だというのも、むべなるかなと思った。時間があれば、その老舗である「マーガレット カフェ・エ・ナタ」に行くつもりだったが、ついに行きそびれた。ついでに申し上げておくと、今どきマカオで流行るものとして、「ハウス・オブ・ダンシング・ウオーター」というショー」がある。私も見てみたいと思ってチケットを購入しようとしたが、年末で混み合っていて、確保できなかった。次に行く機会があれば、再度チャレンジしてみたい。

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 香港と同じくマカオでも、中国本土に返還されてから、不動産価格が高騰し、小さなマンションでもかつては1000万円もしなかったものが、一時は20倍つまり2億円にもなったという。習近平の反腐敗運動で最近の価格は少しは下がったものの、それでも庶民には全く手が届かない状況が続いているという。大枚の現金を持ってやってくる中国人のせいで、ホテルの周りの店は、かつては土産屋が多かったが、それに代わって、今では貴金属屋、不動産屋、高級漢方薬の店ばかりになってしまったとのこと。なるほど、一般大衆から賄賂という形で巻き上げたお金を不動産や貴金属に変えるという点では、香港と全く同じ状況だ。しかし大きく違うのは、ここマカオでは、その収賄中国人からカジノがまた巻き上げている点である。そう思うと、いささか笑えてくる構図である。


2.マカオ歴史地区

 マカオ歴史地区(Historic Centre of Macau )は、世界遺産に登録された建物、広場などが目白押しということで、真っ先に行ってみた。なお、各世界遺産の説明は、マカオ観光局のものが要を得て簡潔なので、以下では、【 】中に青い字でそれを引用させていただいた。ただし、「ですます調」を「である調」に直してある。


(1) セナド広場

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 セナド広場はかなり大きく、足元には波のように優雅にうねった形のタイルが敷いてあり、そこに新年とクリスマスを祝う大きな飾りがあった。それを見下ろすように民政総署が建っていて、その反対側に真っ直ぐ行くと、モンテの砦に繋がる道である。広場の周囲には、土産屋さんが立ち並ぶ。ぶらぶらと歩く観光客でいっぱいだ。その真ん中に立って辺りを見回していると、中国人の観光客から2回も、広東語で道を聞かれて困った。私はそんなに広東人と似ているのだろうか。

【セナド広場は何世紀にもわたってマカオの街の中心であり、現在も公共のイベントや祝典が開催される最も人気のある広場。民政総署や三街会館(関帝廟)のすぐそばという立地は、地元の中国人社会が積極的に行政に関与していたことを物語っており、マカオ文化の多様性を知ることができる。広場はパステルカラーの新古典様式の建物に囲まれており、波形模様の石畳が調和のとれた雰囲気を醸し出している。】

(2) 民政総署


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 民政総署は、入口から中庭まで見学できるようになっていて、いわゆるパティオ形式の中庭にはクリスマスの飾り付けがされている。それでかえって見えなくなっているものの、周囲の窓、青と白を基調としたタイル、ポルトガルの詩人や文豪の胸像などは、いかにも古き良き時代を思い出させる。また、発掘された大皿などの陶磁器が展示されていて、16世紀から17世紀にかけてのものが多い。明王朝との貿易の最盛期だったのだろう。

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【1784年に建築された建物は、マカオ初の市議会所有のものであり、現在もその機能を果たしている。「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)という名称は、1654年にポルトガル王ドン・ジョン4世がマカオを褒め称えた言葉「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」に由来する。民政総署は新古典様式で、壁、レイアウト、裏庭に至るまで当時のまま残されている。二階には公式行事などで使用される議事室と、ポルトガルのマフラ宮殿の図書館を模した重厚な図書館と、小さなチャペルがある。】

(3) 聖ドミニコ教会


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 聖ドミニコ教会は、明るい黄色の壁に白い枠の装飾が目立つ、実に美しい教会である。中に入ると、小ぶりながらも非常に落ち着いた雰囲気で、正面のイエス・キリスト像が優雅で、しかも脇にひっそり置かれている聖母マリア像が優しい。

【1587年、メキシコのアカプルコから来た3人のドミニコ会スペイン人修道士によって建てられた教会で、ロザリオの聖母が祀られている。1822年9月12日、ここで中国初のポルトガル語の新聞「A Abelha da China (「The China Bee」)」が発刊された。かつて建物の裏手にあった鐘楼は、小さな宗教芸術の博物館として改築され、現在は約300点の宗教的装飾品などを展示している。】

(4) 聖ポール天主堂跡


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 両脇に土産屋さんが並ぶ賑やかな狭い道を上がっていくと、正面に聖ポール天主堂跡が見える階段に繋がる、石畳の小さな広場に出る。観光客、土産屋さんの売り子などが入り乱れて混雑している。中国式ビスケット、干し肉、ジュースに氷水まである。そういえば、歩いてくる途中に、ドリアンまで売られていた。少し心が惹かれたが、猫山王という最高級のブランドに、原産地マレーシアの3倍以上の値が付いている。これは、とんでもない値段だ。こういうことになるから、産地の値段が高騰するわけだ。

 脇道にそれてしまったが、この大聖堂は19世紀に火事で焼けてしまい、正面のファサードだけが焼け残って、それ以来この姿だという。この頃には、イエズス会の宗教的熱狂が薄れてしまったか、あるいはポルトガルとマカオの力が衰えてしまったかで、もはや再建ができなかったのだろう。それも含めて、世界遺産なのかもしれない。

【聖ポール天主堂跡は、1602年から1640年にかけて建設され、1835年に火事で崩壊した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称。当時の聖母教会、聖ポール大学およびモンテの砦は全てイエズス会による建築物であり、マカオの「アクロポリス」のような存在だったと考えられている。近くには聖ポール大学の考古学的な遺跡が残っており、細密な教育プログラムを整備した東洋初の西洋式大学であった歴史を物語っている。今日では、聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)はマカオのシンボルとして街の祭壇のような存在となっている。】

(5) モンテの砦

 聖ポール天主堂跡の階段を登って右手の丘に、モンテの砦がある。昔、ここから大砲を放って、侵入してきたオランダ兵を退散させたという。今でも、当時の大砲が残る。

【1617年から1626年にかけてイエズス会の協力のもとに築かれたマカオ最強の防御施設。砦には大砲、軍部宿舎、井戸のほか、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場や貯蔵庫もあった。砦は台形で、10,000屬傍擇咾泙后M弸匹了誘は防御能力を高めるために突き出すように設計された。】

(6) 媽閣廟


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 セナド広場地区から、最南端の媽閣廟一気に車で行った。着いてみると、ああ、これは仏教のような、道教のような、はたまた儒教のような要素が渾然一体となっている典型的な中国式の寺院である。中に入ると、煙がモクモクとすごくて目が痛くなるくらいだ。それというのも、中国式の線香の長さが30センチほどでしかも太いからだ。人々はそれを何本も抱えて火をつけ、身体の前後に大きく動かして拝む。なるほど、これくらいにしないと、神様に祈りが届かないのかもしれない。中国式の祈りの作法だ。また、大きな渦巻きの蚊取り線香のようなものがたくさんぶら下がっている。これも、神様に捧げるお線香である。

 ちなみに、ポルトガル人が初めて来た時に、この島は何というのかと地元民に尋ねたところ、その地元民がこの寺院の名を訪ねられたと思って媽閣廟(マーゴー)と答えたことから、この地をマカオと呼ぶようになったという説があると聞いた。

【媽閣廟は、マカオの街が形成される以前から存在していた。正門、中国式鳥居と4つのお堂で構成されている。媽閣廟のように単一の建築集合体の中に異なる神を祀る様々なお堂が存在するのは、儒教、道教、仏教および複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例だと言える。】

(7) 鄭家屋敷


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 鄭家屋敷は、媽閣廟から歩いていける。中国人の文豪にして大富豪の大邸宅である。個人の屋敷としては規模がものすごく大きい。昨年5月に、私はペナンに行って「プラナカン・マンション」という海峡中国人富豪の邸宅を見てきたが、この鄭家屋敷は、それを遥かに上回る規模の建物である。ただ惜しいかな、プラナカン・マンションには当時の家族とその生活を偲ばせるものがたくさんあったが、こちらにはそういうものが全くなくなってしまって、単なるだだっ広いがらんどうである。とても残念なことである。歴史というものは、その価値を認めてこれを守り維持していこうという人がいないと、自ずと消え行くものだということだろう。

【1869年以前に建てられた屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の伝統的な中国式住居だった。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が混在している。】

(8) リラウ広場


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 鄭家屋敷のすぐそばに、リラウ広場がある。単なる小さな公園で、そう言われなければ気が付かないほど普通の佇まいである。実はここは、大航海時代のポルトガル人の水汲み場だったそうで、今でも公園の一角に泉が湧いている。

【その昔、リラウの地下水がマカオの天然水の供給源だった。ポルトガルの言い伝えに「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない」とあり、これはリラウ広場に対する地元民のノスタルジックな想いを表したものである。このエリアはポルトガル人が最初に住み始めた地域の一つである。】

(9) 港務局庁舎


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 港務局庁舎というから、なぜそんな所が世界遺産なのかと思ったが、置かれていた説明書を読むと色々と面白い歴史が書かれていた。昔々、この地をヨーロッパ人の兵士に警備させていたら、この地は熱帯性気候でとても暑くてすぐに病気になってしまう。そこで、総督府は1873年にインドのゴアから暑さに強いムーア人の兵士を呼び寄せて、警備を担わせた。この庁舎は、イスラム教徒である彼ら200人のために、ムガール様式で建てられたという。ところがその後、密輸入や海賊の取締りのために海事警察が設立されて、1872年から取締りが行われるようになると、このムーア人宿舎は小高い所にあって、海峡の監視に都合がよいことから、1905年以降は、海事局と海事警察が使うようになったということである。

【1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊の宿泊施設として建築された。現在は海事水務局として使用されている。建物はムガール帝国の建築要素を反映した新古典様式の建築。】

(10) ペンニャ教会


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 ペンニャ教会は、港務局庁舎から更に坂を上がった小高い丘の上にあり、とても見晴らしのよい所に立っている、小さくて「可愛い」と言ってもよいくらいの教会である。まるで、宮崎駿監督が描くアニメーション映画の世界に出てきそうだ。

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【最初の教会は1622年にオランダ人の襲撃から逃れた船員たちによって創設された。大海原へと出航する船乗りたちが祈りを捧げた。】

(11) ドン・ペドロ5世劇場


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 ドン・ペドロ5世劇場、通称オペラハウスは、外観が淡い緑色で白い枠が目立つ、いわゆるコロニアル風の美しい建物である。中はもちろん板敷きで、劇場に入ると、舞台客席がコンパクトにまとまっている。再び外に出て正面に回ると、太い幹の大きな熱帯樹がまるで建物を睥睨するかのごとくに枝葉を広げている。なるほどこれは、歴史ある建物である。

【1860年、中国で最初の西洋式劇場として300席を設けて建築された。地元マカオのコミュニティーにおける非常に重要な文化的名所として残っており、現在も重要な公共の催事や祝賀会の会場として使用されている。】


3.マカオタワー


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 マカオタワー(澳門旅遊塔)は、338mと、東京タワーより5m高い。58階の展望台からマカオ湾一帯を見下ろすことができ、対岸のタイパ地区のカジノホテル群、その反対側には中国本土を望むことができる。南灣湖、西灣湖が入り組んで美しい景色を作り出している。とっても良い眺望で、私がこれまで見た中では一番である。

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 びっくりしたのは、バンジージャンプができることで、見ているうちにも何人かが、飛び降りた。しかもその料金が高いことといったらない。4万6000円もする。動画を付ければ5万6000円だ。私などは「それだけの料金を払って怖い思いをするなんて、とんでもない、たとえお金をもらっても嫌だ。」と思うのだが、世の中はわからないものだ。近くにいた若い中国人観光客に聞くと、「お金があればやりたい。自分を試せる。」と語っていた。やはり若いということは、これも含めて何にでもチャレンジできるということなのだろう。展望台の中に、ジャンプする人の姿を映したスクリーンがある。それとは別に、私は、その落ちて行く姿を毎秒7コマ撮れるカメラで追いかけてみたが、そのうち3枚に写っていただけだった。最高時速は200kmらしい。この眺望とバンジージャンプは、一見の価値がある。

【2001年12月19日にオープンしたマカオ・タワーは高さ338m、展望デッキおよび高さ223mの展望レストランから、晴れた日にはマカオ全土と珠江デルタのパノラマが見渡せます。「スカイ・ウォークX」では、タワーの外側を歩いて楽しむことができます。タワーには4階建て地下2階のコンベンション&エンターテイメント・センターがあり、レストランやカフェ、映画館、ショップ、アウトドアプラザがあります。】


4.カジノ


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 マカオといえばカジノが有名で、マカオとその先に2本の高速道路で繋がっているタンパ地区にある。思い出してみると、私がカジノなるものを訪れたのは、40年ほど前のラスヴェガスと30年ほど前のゲンティン・ハイランド(クアラルンプール近郊)であるから、今回のカジノはそれ以来である。しかし、マカオにある現代のカジノは、もうかつての牧歌的なカジノの時代とは全く様変わりしていたので、とても驚いた。つまり、カジノそのものよりも、今ではそれを取り巻く噴水やらイルミネーションやら、果てはヴェネツィアやパリを真似た人工の世界を作り出して、まるでディズニーランドのような世界となっているのである。こうやって夢か現かわからないような非日常の世界を作り出して、ギャンブラーたちにどんどん賭けさせようということらしい。

 今は昔の話になるが、40年ほど前にラスヴェガスに行ったときは、何しろカジノなるものは初めてなものだから、物は試しと、先ずはやってみた。もちろん、素人にとってはやりやすいジャックポットである。コインを入れてガチャンとレバーを引き、目の前で 数字の7とか、林檎とかの同じ模様が横一線に並べば当たりで、 ガチャガチャと音を立ててコインがたくさん落ちて来るという機械である。普通の機械は、横一線に並んだらコインがもらえるという仕組みであるのに、そのときは入れるコインが3個なら、横一線に加えて左右の斜めも並べば、それも当たりという機械だった。私は、これの方が良いと思い、両替したコインを一杯に持って3個入れてはレバーをガチャン、また3個入れてはガチャンを繰り返していたのであるが、全く当たりそうにもない。ついに、残るコインがあと3個となってしまった。ここでまた3個使うと、それでお終いということだ。そこで私は突然、弱気になり、1個ずつ投入することにした。そして1個入れたとたん、なんとまぁ、斜めの線で3個並んだ。つまり、そこで弱気にならずに、もうこれでお終いでも構わないと引き続き強気を保って3個入れておけば、大当たりだったのである。要するにギャンブラーというものは、「最後の最後のコインに至るまで、すっからかんになるつもりで徹底的に賭けをしないと勝てないものだ」と悟った。そこで、「最後の一瞬で手堅く考える自分自身の性格は、ギャンブルには全く向いていないな」と思ったのである。

 次の経験は、30年ほど前のゲンティン・ハイランドでのことである。ここは、住んでいたクアラルンプールから、山の上に向けて1時間半ほど走ったところにあるカジノだ。ゴルフ場や子供の遊園地もあったので、何やかやと年に4回ほど通った。そこで、カジノにも立ち寄り、ごく少しだけ賭けをして、ルーレットやブラック・ジャックなどをやっていた。あるとき、ルーレットを楽しんでいたら、通常はあまり出ない「00」が2回続けて出た。3回目が続くことはさすがにないだろうと思って「00」を避けた。すると、また「00」が来た。これだけでも珍しいのに、驚いたことに次がまた「00」だった。4回も続くなんて、こんなことはまずあり得ないと思うのだが、それが現実に起こったのだ。一般にルーレットは、ディーラーがある程度操作できるということは良く言われていたが、それにしても偶然かどうかは知らないがこれは酷いと、そのときは憤ったものである。しかし、冷静になって考えてみると「こんなことで憤るのでは、ギャンブルはできない。一獲千金を常に追い求める世界なのだから、素人の常識は通じるはずがない。それならそれで、その世界に没入しなければ」と思った。ところが、私は、どこかで自らを客観的に観る傾向があってそういうことができないので、これまた、自分にはギャンブルの才能がないと思い知らされた出来事だった。

 この話には続きがある。あるとき、日本から客人がやってきて、仕事を終えた後の日曜日、カジノを見てみたいという。「ああ、いいですよ」と言って引き受け、飛行機が夕方なので、朝早くゲンティンへと車を運転して連れて行った。着いたのが午前9時前だった。カジノに入ったとたん、そこに同僚がいるのに気がついた。ブラック・ジャックのテーブルで、煙草をくゆらせ、目を血走らせてカードを繰っている。もちろん、周りに誰がいてどうなっているかなどには気が回るはずもない。ひたすらカードを眼をやっているばかりだ。ああ、前日の土曜日から徹夜でやっていたに違いない。普段は大人しい温厚な人なのに、まるで人が変わったみたいだ、「ははぁ、ギャンブルというのは、人柄まで変えてしまうのか。」と思った次第である。それやこれやで、私はカジノとはそもそも性格が合わず、従ってあまり興味を持たずに今まで来ている。いわば、ギャンブルに免疫が出来ているようなものである。


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 ということで、マカオに話を戻すと、今回はカジノに来ても、全くする気がなくて、ただ、カジノの部屋以外の全体像がどうなっているのかと、カメラを片手に見て回ってきたのである。一番感心したのは、「永利(Winn)」の噴水ショーである。テレサテンの甘い歌声に合わせて噴水が踊る。夜にこれを見ると、赤や青の色がついて、いやもう、その派手なことといったらない。ラスヴェガスでも同じことをやっているそうだが、こちらは通り掛かりの人も含めて誰でも見られるし、十分に楽しめる。



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 次に、こんなものがと笑ってしまったのが、「威尼斯人(The Venetian)」内のヴェネツィア運河である。2階のカジノと同じフロアの向かい側に、本当に河を作ってしまって、何と本物を模したゴンドラを浮かべて船頭が乗客を乗せて漕いでいるではないか。そのゴンドラ、運河に架かる橋、船頭さんのスタイルまで、いやもう本物に限りなく似ていて、驚きを通り越して呆れた。まるでディズニー・シーなどの遊園地も顔負けである。同じく、パリの街を模したといわれているのが「巴黎人(The Parisian)」で、エッフェル塔などがある。

Grand Risboa Hotel



 ちなみに、タイパではなくマカオ本土の方であるが、車で通りかかった「新葡京酒店(Grand Lisboa Hotel )」の形は、派手を通り越して全くの「威容」である。いや、「異様」と言った方が良いかもしれない。何しろ、全体が金づくめ、建物の下の形は繭のようで、上の形はどう表現するか迷うところだが、まるで密教の法具の独鈷を思い出す形だ。聞くところによると、蓮の花をイメージしたということだが、窓拭き屋さんがいかにも苦労しそうな建物である。初めて見る人は、びっくりするのは間違いないと思う。かくして、ありとあらゆる人目を惹く仕掛けが凝らされている。まるで人間の欲望の行き着く先を暗示するかのごとくである。でも、見るのは面白い。昔のアメリカ映画「バック・ツー・ザ・フューチャー」のパート2を思い出してしまう。

 ところで、日本にもカジノを作ろうというので、先頃それを認める議員立法が成立した。従来、日本ではカジノが認められて来なかったが、それに類する独自の文化としてパチンコがある。今でもこれに入れあげている人が多いことを思うと、新しくカジノが出来て、それに溺れる人が大勢出ないか心配である。そうならないように慎重な制度設計がされることを、切に願うものである。





(2018年1月1日記)


カテゴリ:エッセイ | 15:42 | - | - | - |
徒然295.六義園のお正月

六義園の池


 六義園は、五代将軍徳川綱吉から賜った駒込の地に、柳澤吉保がその造詣を存分に生かして造った典型的な大名庭園である。本日は、天気はよいものの寒風が吹き抜ける中、朝10時半から開演の目黒流貫井囃子保存会の景気の良いお囃子演奏と、小気味よい獅子舞を見物してきた。後半、獅子舞が客席を回って観客の頭を「がぶり」とやっているとき、お母さんに抱かれた1歳くらいの男の子が、近づいてきたお獅子の頭にまさにかぶりつかれようとしたその瞬間、見事なパンチでこれを撃退したので、皆からやんやの喝采を浴びていた。笑ってしまうが、小さくてもさすが男の子である。将来、有望だ。

目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞



目黒流貫井囃子保存会のお囃子と獅子舞







(2018年1月3日記)


カテゴリ:徒然の記 | 12:34 | - | - | - |
徒然294.芸妓舞妓さんカレンダー

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 師走も半ばになった頃、郵便局から細長い小荷物が届けられた。送り主を見ると、大学時代の友人Aくんだ。あれあれ、本当に久しぶりだなという気がした。添付されている手紙を読むと「五年ぶりに弊社カレンダーを作成いたしましたので、ここにお届けします。一年間お手近に掛けて頂ければ幸甚でございます。」とある。開けてみると、艶然とした笑みをたたえた芸妓さんと、ぽっくりを履いてすっくりと立つ可愛い舞妓さんたちのカレンダーである。

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 ああ、彼の会社も、苦節5年でやっと復活したかと、嬉しくなった。実は彼の会社は、長年、年末になるとこうして舞妓さんのカレンダーを送ってくるのを常としていて、私だけでなく、家内もそれを楽しみにしていた。それが5年前にばったりと止まったら、家内とともに「どうしたのかねぇ」と、気を揉んでいたのである。

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 というのは、ただこのカレンダー・シリーズを気に入っていただけではないからである。ある年、大学時代の同級生とともに、京都で、「卒業後○十周年記念」と名打って、夫婦で参加する大々的な同窓会が開催されたことがある。その行事が終わった後、何組かの有志で、祇園のお茶屋での二次会を開いた。その時にきてくれた舞妓さんを見て家内が、その会社の「芸妓舞妓さんカレンダー」に出てくる舞妓さんだと気がついた。全くの偶然で、その舞妓さんは、「あれ、Aさんのお友達どすか、いつもいつもご贔屓にしてもろうておますぇ。」などと言う。何のことはない、Aくんは、自分が通うお茶屋の舞妓さんたちに頼んで、このカレンダーを作っていたというわけである。まあ、何という優雅な人生だろう。それが、この度再び復活をしたというわけだ。心から喜びたい・・・と同時に、いささか・・・いや・・・大変うらやましい気がするのである。

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(2017年12月15日記)


カテゴリ:徒然の記 | 22:17 | - | - | - |
年末の横浜を家内と散歩

ホテルニューグランド


 12月も中旬に入った。気温は10度ぐらいで少し寒いが、まだ寒さに震えるほどではない。天気が良いから、どこかへ行こうと思った。先週は、近場の銀座と日比谷だったから、今週は、遠出して横浜へ行き、とりあえずホテルニューグランドのスパゲティ・ナポリタンとケーキのサバランでも食べに行こうかということになった。ちなみに、そもそもこのホテルはナポリタンの発祥の地だし、ブランデーたっぷりの美味しいサバランをだしてくれる。いずれも、我々が好きなものだ。

 千代田線の明治神宮前駅で、副都心線のみなとみらい線直通の電車に乗り換える。家から1時間と十数分で、終点の元町・中華街駅に着く。そこから山下公園に面するホテルニューグランドまでは、歩いて僅か数分だ。港からの冷たい風を頬に受けながら歩き、ホテルのイル・ジャルディーノに行った。ところが、休日のために満員で、何と10組も待っている。係の人と相談して、サバランが食べられるザ・テラスに行くことにした。ただし、イル・ジャルディーノのサバランがブランデーたっぷりなのに対して、こちらのサバランは紅茶ベースとのこと。まあ、良いかと思ってそのメニューを見た。すると、アフタヌーンティーセットが目に入った。とっても、美味しそうだ。ナポリタン+サバランとは大違いだが、家内も、これで良いというので、注文した。こういう、行き当たりばったりの方が、休日の過ごし方だ。お茶は何にするかというので、それぞれミントティーとカモミールティーのハーブティーにする。他に、紅茶を頼んでも良いそうだ。

 それで、やっと周囲を見渡す余裕ができた。まず、我々の座っているのが、中世イタリア風のゴテゴテっとした装飾椅子で、濃紺のクッションと背もたれだ。身体を沈み込ませて休むのにはよろしいが、周りのおしゃべりがややうるさいので、何か話そうとすると、背中を背もたれから離して前かがみにしないといけない。一見優雅な椅子だが、こういう騒がしい環境では、良し悪しだ。我々の右隣はカップルで、星の誕生やら何やらという天文学の話をしている。左隣は、歳をとった母親とその娘たちらしい3人組だ。


アフタヌーンティーセット全体


アフタヌーンティーセット中段


 家内とたわいのない話をして待っていると、ハーブティーを持ってきてくれた。ミントティーはあの鋭い味がするし、家内が飲むカモミールティーのフレーバーの香りが誠によろしい。ひとしきりその話をしているうちに、優雅な手つきでウェィトレスさんがアフタヌーンティーセットを運んで来る。上段はフルーツ、中段はスイーツ、下段はサンドウィッチである。二人とも、何となく中段から手を出した。一口サイズのケーキなどがいくつか載っている。とても美味しい。それを話題に、また二人の話がはずむ。ハーブティーがなくなったので、ウェィトレスさんが、何か別のものはいかがと聞いてくれるので、別途メニューの中から好きな紅茶を選ぶ。家内はディンブラを頼んだ。あまり飲んだことがないからだという。私は、「憎っくき」アールグレイだ。なぜかと言うと、あるときロンドンのホテルで「アールグレイ」を頼もうとしたのだが、2回言っても通じなくて、往生したことがあったからだ。かなりの巻き舌にして3回目にやっとわかってもらった。30数年ほど前のことだが、若い頃のほろ苦い記憶である。ただ、「R」と「L」の発音を練習するきっかけとなったから、転んでもただでは起きなかったのが、唯一の救いかもしれない。それから、あたかも臥薪嘗胆のごとく、紅茶といえば、アールグレイを頼むこととしている。

アフタヌーンティーセット下段


 中段が終わり、下段のサンドウィッチに進む。しばらく食べていくうちに、サンドウィッチの上に、変なものが乗っていることに気がついた。どう見ても食べ物ではない。1cm四方ほどの厚手で黄緑色のプラスチック片だ。どうやら異物らしい。上の写真にも写っている。ウェィトレスさんを呼んで、「これが入っていましたよ」と告げると、調理場に一度報告に戻った後、「すみません。取り替えます」という。「そこまでしなくとも」と言うと、「いいえ、取り替えさせていただきます。」とのこと。そういうわけで、また持ってきてもらったが、おかげでサンドウィッチを1.5人前いただくことになった。

アフタヌーンティーセット上段


 それから、最後に残っている上段のフルーツを食べる。色んなフルーツをちょこちょこと切って、見た目良くプレートに乗せてある。冬だからフルーツに期待はできないが、それでも赤と濃紺色のベリーに、慣れ親しんだ味がした。これは、新鮮な証左である。その上、紅茶をお代わりして今度はウバのミルクティーを頼んだから、それを飲んでしまうと、いやもう、お腹がいっぱいになった。ちなみに、キーマン、ダージリンとともに、ウバが世界三大紅茶の一つということだ。

氷川丸


赤い靴をはいた女の子の像


公園内のインド門


 家内と「お腹がいっぱいだ。これは歩かなきゃ太りそうだ。」と言いつつ、山下公園に向かい、暮れなずむ公園内に足を踏み入れた。氷川丸が係留されている。港内には、夏には群れていた海鳥が、ほとんどいない。それはともかく、遠く海に目をやると、実に雄大な気持ちになる。赤い靴をはいた女の子の像が可愛い。それから、公園内のインド門の脇を抜け、山下臨港線プロムナードを「ぷかり桟橋」方向へ、ぶらぶらと歩いて行った。港に向かって突き出している「象の鼻パーク」に行き、大桟橋に停泊中の豪華客船を見ているうちに、だんだん暗くなってきた。ああ、あの客船は、「飛鳥II」である。聞くところによると、私の高校の同窓生が船長をしているようだ。煙突から煙が出ていると思ったら、午後5時になって出航した。名古屋に向けてワンナイトクルーズに行くらしい。それを見送って、ふと、プロムナードの左手を見ると、屋根の上の塔が四角い神奈川県庁(キング)、屋根の上の塔が丸くてなだらかな横浜税関(クイーン)があったが、横浜市開港記念館の塔(ジャック)は、残念ながらそこからでは見えなかった。

塔が四角い神奈川県庁(キング)


塔が丸くてなだらかな横浜税関(クイーン)


客船「飛鳥II」


横浜赤レンガ倉庫


 橋を渡ると、「横浜赤レンガ倉庫」である。短い方の棟の前にはスケートリンクが設けられている。そこを過ぎて、両方の建物の真ん中の大きな通りの両脇には、露店が軒を連ねている。それらの上には、サンタクロースやトナカイ、東方の三賢人に見守られたマリアとその赤ん坊のイエスキリストなどが据え付けられて、既にクリスマスのムードがいっぱいである。全体をドーム型に覆うように、大きな電飾が取り付けられて、その突き当たりには、巨大なクリスマスツリーがある。そこを二人連れ、家族、若者たちが行き交う。私と家内は、ノンアルコールのワインと、ドイツのクリスマス時のお菓子シュトーレンを買って食べた。どちらも甘くて、もう夕食は要らなくなったほどだ。クリスマスツリーのところまで行って、いまたどって来た道を振り返ると、両脇に赤レンガ倉庫、真ん中にツリー、その向こうに電飾が瞬き、気温は低いが、心まで暖まる気がしてくる。少し早いが、クリスマスだ。今年も、家内をはじめ、家族ともども幸せに過ごすことができた。感謝しなければならない。

横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケット



サンタクロースとトナカイ


東方の三賢人に見守られたマリアとその赤ん坊のイエスキリスト


横浜赤レンガ倉庫


 さて、もう午後6時を過ぎた。桜木町駅や「みなとみらい21地区」に行くのはまた次回にして、馬車道駅から帰るつもりで歩き出した。しばらく行くと、右から横浜コスモワールドの観覧車、クイーンズスクウェア、ランドマークタワーが並んで見える橋まで来た。特に、大観覧車は、カラフルな色が次々に光り、見ていて飽きない。そのうち、中心から端に向けて、光が放射状に走るようになった。家内が「あれは、花火に見立ててあるのよ」という。なるほど、それは思いつかなかったが、確かにそのように見える。しばらく眺めて、ビデオを撮ったりした。それからほどなくして、馬車道駅に着き、東急線から千代田線に乗り継いで帰ってきた。

見かけた馬車


横浜コスモワールドの観覧車、クイーンズスクウェア、ランドマークタワー







 年末の横浜を家内と散歩(写 真)






(2017年12月10日記)


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